飛んで来たブーケの方向は完璧で、あとは、誰より先にブーケに辿り着けばいいだけだった。 思い切り膝を曲げ、高くジャンプ! 伸ばした手にしっかり握った可愛らしいブーケに、やったあ!と声を上げてしまった。 …まあ、本当は、ブーケに頼らなくても、結婚式の予定はあるんだけど。 かと、とテーブルの上に出されたビロードの箱に、え。と固まったのは、ついこの間のこと。 「…いらないなら、捨ててください。」 それだけ言って、オーストリアさんは本に目を落としたまま、カップに手を伸ばした。 いつもどおりだ。いつものオーストリアさんだ。 なのに、その箱、だけが、異質で。 じっと見つめていると、開けないんですか?と尋ねられた。 「いや、あの、…ええっと、指輪、ですよね?」 「指輪ですよ。」 それだけ確認してから、開けてみた。…美しい指輪だ。デザインに、見覚えがあった。 「これ…!」 「覚えていますか?」 忘れるわけがない。二重帝国時代に、こういうのは形が大事ですよね、とオーストリアさんがくれた指輪によく似ている。 引き出しに大切にしまってあるそれよりは、ずっと細くて、現代的な形にアレンジしてはあるけれど。 「…これ、あの、」 ただのプレゼントとは思えなくて、でも、聞いて違います、と言われてしまったら、と怖くて聞けなくて、あの、その、と手の中の指輪とオーストリアさんを交互に見ていると、オーストリアさんは、ずっと見ていた本から、やっと顔を上げてくれた。 その顔は、いつもと変わらなくみえるけれど、でも、少し頬が赤い。…照れてる。長年一緒にいるからこそわかること。 「…もう一度、一緒に暮らすのはどうだろう、と思ったんです。」 「え。」 「この間の、イギリスの結婚式のときに、日本と話をしまして。」 …ああ、あのときか。別にイギリスが見たいわけではなくて、日本さんのウェディングドレス姿をカメラに収めたくて、渋るオーストリアさんを説き伏せて一緒に言ったのだ。…そういえば、彼女と何か話していたみたいだった。 「どうして結婚するのか、と聞いたんですよ。そうしたら。」 理由はいろいろありますけど、そうですね、一つだけ、というなら。 …おはようございますとおやすみなさい、を毎日言えたら幸せだと思いませんか? 幸せそうに微笑んでいた日本さんを思い出す。本当に、幸せそうな笑顔だった。…こちらまで、笑顔になってしまうような。 「それを聞いて、なるほど、と思ったんです。」 毎回、さようなら、また。なのは、少し。…嫌、でしたし。 そう言われて、息を飲んだ。 私はずっとそう思っていた。まさか、オーストリアさんもおなじように感じていたなんて! 「だから、もう一度。…今度は、国としてではなく、私個人として。」 結婚していただけませんか?ハンガリー。 柔らかく微笑んだオーストリアさんに、なりふり構わず、テーブルを飛び越して抱きついた! 「…っ、はい、します!結婚します!」 ああ、夢みたい! でも、飛び越した際にテーブルにぶつけた足は痛くて、間違いなくこれは現実で、でもオーストリアさんは優しく髪をなでてくれて、そんなオーストリアさんがかっこよくて優しくてうれしくてもう! 後で小さく告げられた、断られたらどうしようかと思っていました、という言葉に、そんなわけないじゃないですか、ともう一度強く抱きついた。 戻る . 結婚式に誰も呼ばない、と二人で決めた。 二人だけで式を挙げる、と。そんなに大々的にやるものでもないし。オーストリアさんだけいてくれたら、それだけで幸せだし、あと。 誓いのキス、みんなの前じゃ、恥ずかしがってしてくれない可能性があったし。 キス、なんて、もうどきどきしすぎて頭の中真っ白になってしまった! 泣かないでください、そう苦笑されて、やっと自分が泣いているのに気づいたくらい。 そっと涙を拭ってくれてから、優しく触れた唇は、柔らかくて温かくて。でも、そっと握ってくれた手先が、とても冷たかった。緊張してる。一緒だ、と思ったらもう愛しくなって、ぎゅ、とその腕に手を絡めてみた。 ゆっくり歩き出して、教会のドアを開けると、わあ!と大きな歓声と拍手! 見慣れた顔がたくさんあるのに固まっていると、私はドイツとスペインの家だけに招待状送ったんですけど…余計なのが山のようについてきましたね、と隣でオーストリアさんが苦笑した。 「ハンガリーさんすっごく綺麗!」 「…おめでとう。」 イタちゃんのうれしそうな声。と、ドイツくんの優しい声。 「ほんまオーストリアにはもったいないくらいやで?」 「もったいない。今からでも俺のところに」 「おまえな!」 スペイン、フランス、イギリスのわいわい騒ぐ声。 いつもどおりのそれに苦笑していると、ほら、ブーケトスですよ、と言われた。 ああそうか、とブーケを見て、ふ、と、見てない人がいるのに気がついた。 ブーケを受け取ろうと出てくる女の子たちの中には…いない。 「奥です。右の方」 囁かれて目をやると、…ああ。ひねくれもののあの子らしい。 「オーストリアさん、このリボン、はずしてもらえませんか?」 髪のリボンをさすと、はずしてくれた。 そのあいだに、ブーケを分解して二つに分ける。…こんなこと、ほんとはしちゃいけないんだけど、でも、この幸せを分けてあげたい人が二人もいるのだ!仕方がない。 受け取ったリボンを半分のほうにくくりつけて、片方をオーストリアさんに預けて、投げた。 片方は、うまく落ちて、ねらい通りイタちゃんのところへ。 もう片方を受け取って、腕を振り上げる。 「届きます?」 「任せてくださいよ。運動神経には自信があるんです。」 思い切り、投げた! 受け取ったロマーノがひどく驚いた顔をしているのを見て、おかしくなって二人で顔を見合わせて笑った。 戻る . 言えない。言える訳が無い。 だって。こんなこと。…前は、全然だったのに。どうして。何で。 「どうしましたハンガリー?」 尋ねられて、はっと顔を上げる。 じっとこっちを見る瞳。口を開きかけて、でも言えなくて。 「…何でも、ない、です。」 「…そんな嘘をつかないでください。」 やれやれ、とため息。立ち上がる彼に、びくっと怯えると、彼は苦笑して、すとん、と隣に座って。 「ほら。言って御覧なさい。」 頬を撫でられた。優しい手つきに泣きそうになって、ゆっくり、と口を開く。 「……きた、みたいです…。」 「え?」 かすれて出ない声を叱咤して、息を大きく吸って、彼を見た。 「あかちゃん、できたみたいです。」 そう告げて、でもその反応なんか見れなくて、顔を伏せる。 しん、と静まり返った部屋。 ぎゅ、と目を閉じていると、手を取られた。 おそるおそる目を開ける。 「…ハンガリー。」 「は、はい」 真剣な表情に少し怯えながら答える。 「…産んでいただけますか?」 まっすぐ見つめられて。小さくこくんとうなずいた。ぱたり、と涙があふれた。 「泣かないでください」 「だ、だって、」 不安だった。オーストリアさんの性格を考えたら、産むのはいいって言ってくれるだろうけど、でも、万が一って。 頭を撫でられた。そんなわけないじゃないですか。優しい声。 「…ハンガリー。」 愛しています、なんて囁かれて胸がいっぱいになった。 戻る . 「まったくスペインときたら…いつまでも泣きやまないんですから」 ため息をつくとハンガリーはくすくす笑った。 「笑い事じゃないですよハンガリー…」 「ごめんなさい。…でも、スペインらしいと思いますよ」 まぁ、それはそうだった。 我が子の誕生に素直に涙を流せるあの単純さは、うらやましくもある。 「それに、もしかしたらオーストリアさんだって泣いちゃうかもしれませんよ?」 ねー。そうおなかの子に彼女に、泣きませんよ、と眉を寄せる。 「あ、言いましたね?言いましたね?覚えましたから!」 これで生まれる日が一段と楽しみになりました。そんな風に笑うから、苦笑してしまう。 臨月近いハンガリーは、いや、昔からか。ずっと。それはもう癖だ。 不安なことや心配なことがあると、それを見せまいとわざとふざけてみせるのだ。…まったく。作り物と本物の笑顔の区別がつかないほど、彼女のことを理解していないつもりはない。 さらり、と髪を撫でる。柔らかい指通りの、髪。オーストリアさん?不思議そうに呼ばれ、私もですよ、と言ってみせる。 「はい?」 「楽しみです。…早く生まれてくるといいですね。」 その言葉に、彼女は少し驚いたような表情をしてから、泣きそうに笑ってうなずいた。 産声を上げる赤ちゃんを抱き上げるオーストリアさんに、疲れ果てているのに、でも思い出して笑ってしまった。 「ハンガリー?」 「泣かないって言ったのに。」 そう言って、ルキーノくんが生まれたときのことを思い出していると、な、泣いてませんよ、とムキになった声。 「そんな潤んだ目で言われても説得力ありませんよ。」 くすくす笑っていると、一瞬むっとした顔になったオーストリアさんも笑い出した。 「…仕方ないじゃないですか。…幸せなんですから。」 渡される我が子。そっと抱きかかえて、あやす。 「本当に。…幸せ、です。」 だって、本当はずっと欲しかった。長年ずっと一緒にいて、ずっと言えなかった。 その子が、オーストリアさんと私の子供が、目の前にいるのだから! 「マックス」 二人で相談して決めた名前だ。呼んで、そっと抱きしめる。 「どんな子になるんでしょうね?オーストリアさんに似て礼儀正しい子?」 「さあ…ハンガリーに似て少々やんちゃかもしれませんよ?」 「ちょ…どういう意味ですかそれ!」 言い返すと、笑われた。楽しそうな笑み。 「でも。…元気に健やかに育ってくれれば、それでいいです。」 「…そうですね。」 目を閉じて、深呼吸一回。 そうしないと、泣いてしまいそうだった。 ああ、本当に。 この子が、幸せに育ってくれますように! 戻る |