翻訳 井上雅夫 1999.08.04   ↑UP 

 原典: Walker v. Time Life Films, Inc., 228 USPQ 505 (2nd Cir. 1986)

Walker映画:サウスブロンクス事件

第2巡回区控訴裁判所

〔控訴人、原告〕  Walker
〔被控訴人、被告〕 Time Life Films, Inc., et al.

No. 85-7690
1986年1月7日判決

 目 次
I.〔事実〕
II.〔著作権〕
III.〔その他の争点〕
(訳注)

 ニューヨーク南部地方裁判所(Edelstein判事)からの控訴;227 USPQ 698。

 Thomas Walkerによる、Time Life Films, Inc.、David Susskind、Gill Champion、Martin Richards、及びHeywood Gouldに対する、著作権侵害、不正使用、信任信頼関係の違反<breach of confidential and fiduciary relationships>、及び不正競争に基づく訴訟。被告ら勝訴のサマリージャッジメントに対して原告が控訴。原判決維持〔控訴棄却〕。

控訴人代理人  Jimmie L. Engram, New York, N.Y.
被控訴人代理人 Eugene L. Girden, New York, N.Y. (Blair Axel, and Patterson, Belknap, Webb & Tyler, of counsel)

Feinberg首席裁判官、Lumbard及びOakes巡回裁判官による審理
Feinberg首席裁判官〔執筆〕

 著書「アパッチ砦<Fort Apache>」の著者である原告Thomas Walkerは、映画「アパッチ砦:ザ ブロンクス<Fort Apache: The Bronx>」のプロデューサーであるTime Life Films, Inc.、David Susskind、Gill Champion及びMartin Richards、及びその映画のシナリオライターであるHey-wood Gouldに対する原告の著作権訴訟において被告らにサマリージャッジメントを認めたニューヨーク南部合衆国地方裁判所(David N. Edelstein判事)の命令に対して控訴した。地裁は法律問題として、その本及びその映画はそれらの著作権適格の見地から実質的類似性はないと判示した。控訴人は、実質的類似性は純粋に事実問題であると主張し、地裁は二つの作品の比較においていくつかの証拠上の誤りを犯したと主張する。[訳1] 我々は、いかなる合理的な観察者も原告の本と被告らの映画の保護適格のある要素に実質的類似性を認定し得ず、地裁はその他の決定おいても裁量権を乱用していないと結論する。したがって、我々は原判決を維持する。


I.〔事実〕

 この訴訟は、ニューヨーク市警の41管区の暴力と都会的腐敗を描く二つの作品から引き起こされた。サウスブロンクスに位置する41管区は、1960年代後半から暴力犯罪の発生率が高く、新聞その他のメディアの注目を集め、警官のなかで「アパッチ砦」というニックネームで知られていた。元ニューヨーク市警警官の控訴人Walkerは1971年5月から1972年8月まで警部補としてそこに配属されていた。彼は、自分の経験に基づいて、「アパッチ砦」というタイトルの本を執筆し、1976年ハードカバーとペーパーバックで出版し、10万部以上が販売された。

 その著者が記述するように、「アパッチ砦」は事実の記録である。Walkerの物語は、その分署での第1日目から始まり、そこで彼は、汚さ、怒った暴徒による分署への攻撃、及び治安を維持する警官の能力の明白な欠如にショックを受ける。また、彼は、最初の日に、いくつかの暴力犯罪を目撃し、その地区の建物の多くは破壊され荒廃していると書き留める。それに続く章には、その界隈を特徴づける麻薬取引、売春及び肉体の荒廃と共に、何十もの不快で時には異様な殺人、自殺、強盗及びその他の犯罪についてWalkerの悲惨な印象が書かれている。彼は記述をとおして家族生活及び若者のギャングの流行を含めたサウスブロンクスの社会的なパターンのいくつかを描き出している。逸話<anecdotes>をとおして、その本は分署の警官の志気及び仕事のストレスへの反応についても描いている。

 その本は暴力的な環境における警官の仕事及び毎日の生活の記録として展開する。数章が警官への攻撃のような特定な話題に焦点を合わせている。その本をとおして、Walkerは、彼がサウスブロンクスの犠牲者と考える者への同情、根本的な改善の見通しに関する絶望、及び41分署の警官が極めて限定された成功ではあるが無法状態に対して抵抗活動を戦い続けていることを表現している。その本は彼の他の分署への転勤によって終わっている。

 被告らは、原告の本と同じ環境を舞台にした「アパッチ砦:ザ ブロンクス」というタイトルの映画をプロデュースし、シナリオを執筆した。1973年、Heywood Gouldはサウスブロンクスを舞台にした映画のシナリオを執筆する契約を新しく組織されたアパッチ砦会社と結んだ。次の年、その会社はGouldによって書かれたシナリオ草案を合衆国著作権局に登録申請した。1976年、被告らは映画制作をアナウンスする業界紙「Variety」に広告を掲載した。「アパッチ砦:ザ ブロンクス」は1981年に封切られた。

 その映画は、41管区の警部として着任したConnolly、及びそこで12年間勤めた平のベテランMurphy、及びサウスブロンクスの犯罪及び廃退に対する彼らの対応に焦点を合わせている。また、その映画は、Murphyと彼の相棒Corelliの親密でユニークな関係も描いている。その映画は、気が狂った売春婦による二人の新前警官の動機なき殺人で始まる。その映画の大部分でその殺人者を突き止める警察の広範で最終的に不成功に終わる努力を見せている。その間に、その売春婦はひもの暴力からMurphyに助けられ、その後、もう一人の男を殺害する。捜査中に、MurphyとCorelliは、足の速い強盗、10代の母の出産及び消防士及び警官を襲撃する暴徒を含むその他のサウスブロンクスの特徴、危機及び犯罪のような目の回る多様性に対応する。その映画はMurphyの麻薬中毒の看護婦との恋愛を軸として展開し、その看護婦は自分が働く病院で麻薬取引の売人によって殺される。加えて、MurphyとCorelliはヒスパニック系の少年が同僚の警官によって屋根から投げ落とされ殺されるのを目撃する。Murphyは、その警官を告発するかどうかについて苦しんだ後、看護婦とCorelliの忠告に逆らって告発したが、同時にConnollyに辞表を提出した。しかし、ConnollyはMurphyに再考するように求めた。その間に、看護婦に致死量の薬を与えた麻薬売人は病院でバリケードを築き人質をとって立てこもる。映画のクライマックスで、Murphyは人質を救出する。その後、彼は強盗を捕まえることに成功し、彼は仕事にプライドを取り戻し、彼が仕事に戻ることがほのめかされる。

 Walkerは、被告らが彼の本の原稿からコピーして彼の著作権を侵害したと主張する。彼は、当時レポーターであったHeywood Gouldが1971年の遅い時期か1972年の早い時期に41分署に訪ねてきてWalkerに会い、Walkerが本を書いていることを知ったと主張する。彼によれば、そのとき、Walkerはメモを取らないという条件でGouldに原稿を見せた。しかし、Gouldは数時間原稿を調べ、メモを取った。そのすぐ後、原稿が分署から消えてしまった。しかしながら、GouldはWalkerに会ったことを否定し、彼の本のいかなるバージョンを読んだことも否定し、その地区の犯罪を記述したニュースレポートと二人の別の警官からシナリオのアイディアを得たと主張している。

 1980年、被告らの映画がまだ制作中に、Walkerは、侵害、コモンロー著作権、詐欺、翻案<conversion>、不正競争及び詐欺の共謀で、被告らをニューヨーク州裁判所に訴えた。ニューヨーク州一般的管轄裁判所<The New York Supreme Court>は連邦裁判所が著作権訴訟に関する専属管轄権を有していることを根拠に侵害請求を却下した。その裁判所は、Walkerの他の法的見解は侵害請求を単に複写したものと判示し、全ての訴えを管轄権の欠如により却下した。Walker v. Time Life Films, Inc., No. 8938/80 (N.Y Sup. Ct. 1983)。[訳2]

 その後、Walkerは連邦裁判所に著作権法§ 1338(a)に基づいて訴えを提起し、著作権侵害、ランハム法〔連邦商標法〕違反、不正競争及び信任信頼関係の違反を主張している。陪審員裁判の要求は行われなかった。両当事者が合意した事実を組み込んだトライアル前命令に同意した後に、被告らはサマリージャッジメントを申し立てた。被告らはGouldがWalkerの原稿にアクセスしたことを申立のために認めたが、その本とその映画はいかなる合理的な事実認定者も著作権法に基づく実質的類似性を認定し得ないほど異なっていると主張した。この主張を支持するために、被告らは宣誓供述書を提出したが、それらのいくつかは両作品の構造<structure>、ムード、特徴、テーマ及びエビソードを分析し比較する著述分析の専門家<an expert in literary analysis>によってなされた。また、Walkerは、それに答えて、両作品の類似性に脚光をあて一覧表とした専門家の宣誓供述書を提出した。加えて、Walkerは、その映画のビデオテープばかりでなく、その本とその映画の最初の部分の類似した出来事又は一節に注意を引きつけるナレーションを伴ったドキュメンタリの証拠(ナレーションバージョン)も提出し、素人の観察者がその映画がその本から由来したものであると信じることを示していると称した。

 その本とその映画を見た後、専門家の宣誓供述書を考慮し、Edelstein判事は被告らの申立を認容した。判事は、合理的な観察者が両作品に実質的類似性を見い出すことはなく、類似性が存在するものはどれも些細であり、抽象的<abstract>であり又は著作権適格がないものに関連しているという理由で、侵害の請求を拒絶した。しかしながら、判事はナレーションバージョンを見ること又はWalkerが提出した類似性のリストを基礎として両作品を比較することを拒否した。その映画とその本との間に混乱させるような類似性はなく、被告らはその映画がその本から由来すると「なりすまし<pass off>」を試みてはいないと結論し、地裁はランハム法上の請求に関してサマリージャッジメントを認容し、継続中の州法上の請求は訴因の主張の失敗及び著作権法の優先により禁じられると認定した。それゆえ、判事は本案訴訟においてよく理由づけられた意見で全ての訴えを却下した、615 F. Supp. 430, 227 USPQ 698。本控訴はそれに続くものである。


II.〔著作権〕

 控訴人Walkerが彼の本に有効な著作権を有していることには争いがない。侵害を証明するためには、彼は被告らによるコピーも証明しなければならない。Warner Brothers v. American Broadcasting Co., 654 F.2d 204, 207, 211 USPQ 97, 99 (2d Cir. 1981) (Warner I)。被告らが著作物にアクセスし、両作品の保護適格のあるものに関して実質的類似性が存在することを原告が立証した時に、コピーが推論され得る。Reyher v. Children’s Television Workshop, 533 F.2d 87, 90, 190 USPQ 387, 390 (2d Cir.), cert. denied, 429 U.S. 980, 192 USPQ 64 (1976)。言い換えると、Walkerは、アクセス及び両作品の実質的類似性を証明することによって彼の本が「コピー」されたことを示さなければならず、かつ、その類似性が著作権適格であるものに関連していることを証明して彼の表現が「不正使用」されたことを示さなければならないHoehling v. Universal City Studios, Inc., 618 F.2d 972, 977, 205 USPQ 681, 685 (2d Cir.), cert. denied, 449 U.S. 841, 207 USPQ 1064 (1980); Arnstein v. Porter, 154 F.2d 464, 468, 68 USPQ 288, 292?93 (2d Cir. 1946); Davis v. United Artists, Inc., 547 F.Supp. 722, 723 (S.D.N.Y. 1982).

A.類似性の概括的な主張
 サマリージャッジメントの申立において、被告らはWalkerの原稿へのアクセスを認めた、したがって、両作品の類似性の問題に絞られた。〔サマリージャッジメントの申立への〕答弁書において、Walkerは「アパッチ砦」及び「アパッチ砦:ザ ブロンクス」はプロット<plot>、テーマ、対話、ムード、舞台<setting>、ペース及び順序<sequence>において類似していると主張した。現在、彼は、これらの類似点<parallels>は、故Nimmer教授が「包括的非文言類似性<comprehensive nonliteral similarity>」と名付けたものと類似しており、3 Nimmer on Copyright § 13.03 [A][1] (1985) (以後、Nimmerという。)、サマリージャッジメントの申立で解決することができない事実問題を引き起こすと主張している。しかしながら、地裁はサマリージャッジメントの申立において、類似性が原告の作品の保護適格のない要素だけに関係しているとき、又は合理的な事実認定者が両作品に実質的類似性を認定しないとき、法律問題として非侵害を決定することができる。Warner Brothers v. American Broadcasting Co., 720 F.2d 231, 240, 220 USPQ 101,108(1983) (Warner II)。サマリージャッジメントの認容が適切であったかどうかを決定するために、我々は、両作品の保護適格のある面の実質的類似性の欠如が、トライアルでの解決を必要とする「事実問題の範囲外になるほど明らかである」かどうかを決定しなければならない。同at 239, 222 USPQ at 108。

 控訴人の本に与えられた著作権保護は、アイディア自体ではなく、アイディアの特有の表現にだけ及ぶ、著作権法§ 102(b)、区別は適用するよりも述べる方がやさしい。それゆえ、実質的類似性の主張の評価において、裁判所は「両作品によって共有された類似性が単なる一般化されたアイディア又はテーマより以上の何かであるかどうか」を決定しなければならない。Warner I, supra, 654 F.2d at 208, 211 USPQ at 100、一般的に仕事は両作品自体の詳細な調査の後に行われた、例えばSheldon v. Metro-Goldwyn Pictures Corp., 81 F.2d 49, 28 USPQ 330 (2d Cir.), cert. denied, 298 U.S. 669 (1936)参照。博学なHand判事は彼が時々引用する「抽象化<abstractions>」テストにおいて区別を明瞭に表現した:

どんな作品についても、・・・出来事がより多く省略されればされるほど、より一般的化されたパターンの多くが同様によく一致するようになる<Upon any work, ... a great number of patterns of increasing generality will fit equally well, as more and more of the incident is left out>。多分、最後のものは、その[作品]の最も一般的な記述以外ではなく、時にはそのタイトルだけで構成されるかもしれない;しかし、この一連の抽象化において、もはや保護されないある点が存在する・・・
Nichols v. Universal Picture Corp., 45 F.2d 119, 121, 7 USPQ 84, 86 (2d Cir.), cert. denied, 282 U.S. 902 (1931)。
 
 合議体のそれぞれはその本を読みその映画を見た。我々は、これらの原理を、その映画が彼の本の基本的な構造<fundamental structure>、舞台<setting>及びペースを複製した<replicate>という控訴人の請求に適用し、二つの作品の比較から合理的な観察者が一般化された又は保護適格のないアイディアのレベルの範囲を超えて実質的類似性を認定することはないと結論する。我々は最初にWalkerの本は、Walker自身の記述によって、実際の出来事の記述であることを書き留める。これは侵害の証明をより困難にする、なぜならば、本巡回区における著作権の保護は、オリジナルな調査をとおして発見されたものであるとしても、事実又は実際の出来事には及ばないからである。したがって、被控訴人はWalkerの本に含まれるいかなる事実も、これらの事実の彼の特有な表現を不正使用しない限り、自由に利用できる、Hoehling, supra, 618 F.2d at 979?80, 205 USPQ at 687参照。

 最も一般的なレベルで、その映画とその本は同じストーリー<story>を述べている。両方が41管区の敵対的な状況と戦う警官の経験を物語っている。しかし、特殊化<specificity>の次のレベルに移行すると、プロット及び構造<plot and structure>における相違がこの一般的な類似性よりはるかに勝っている。「アパッチ砦:ザ ブロンクス」は強烈にプロットが作られている。その作品の多くの部分はいくつかの躍動的で相互に関連づけられたストーリーライン<story lines>に捧げられている。その映画をとおして、警官が、仲間の警官の殺人犯の広範な捜査に従事し、多数の逮捕を行い、サウスブロンクスをきれいにする。Murphyは、最初、恋愛を始めるが、悲劇に終わる。彼は犯罪を犯した同僚の警官に不利な証言をするかどうかを決める際に、モラル不信を経験するが、最終的には解消する。Connollyは、時には不幸な結果になるが、その管区及び分署をその地区の住民から尊敬される規律正しい「法の家」に変えるようにもがいている。他方、その本は話題を組み合わせたものであり、一つの出来事から他の出来事に逸話的<anecdotally>に移っており、ほとんどプロット又はストーリーラインがない。冷酷な犯罪及び警官のアクションのノンストップの物語として、気の滅入る、やや印象主義的な、犯罪に支配され貧困で傷ついた都市の一区画の生活の描写の数々を作り出すことによってその効果を達成している。

 したがって、両作品はペース及びドラマの構造<pace and dramatic structure>において完全に異なっている。「アパッチ砦:ザ ブロンクス」のストーリーラインにはその本には全くない密接な関係とサスペンスが加わっている。その映画では、各サブプロット及び登場人物の設定<subplot and set of characters>も全て他と関係している。例えば、その病院で麻薬取引をしている売人らは最初秘密調査の標的として登場した。終わりに近いところでは、彼らは知らないが映画のオープニングシーンで二人の警官を殺した気が狂った売春婦に彼らが出くわす。彼女はさらに二人の売人のうち一人を殺そうとするが成功せず、彼に刺される。その後、売人らはその麻薬中毒の看護婦がMurphyの愛人であることを知り、彼女が彼らの仕事をばらすだろうと恐れ、彼女に純粋なヘロインを売り、彼女を殺す。彼らはその計画を実行した後、その病院で麻薬を販売していることがつかまれ、そこの一室に医師と看護婦を人質にして立てこもる。Murphyは、その部屋にその看護婦がいると信じて、血なまぐさい人質の救出を指揮する。その看護婦がいないことに気がつき、彼は彼女を探すために走り回ったが、救急処置室で彼女の遺体に直面するしかなかった。その本はこのような複雑なプロットを含んでいない。むしろ、その本は、日記のように、ランダムな順序の警官の生活と仕事の一連の素描を描いている。個々の挿話<vignettes>は時にはサスペンスを伝えるが、読者の注意を引く継続するストーリーは出てこない。

 【1】なるほど、その本とその映画は同一の舞台<setting>を共有しており、両作品において、警官が中心的な登場人物である。しかし、サウスブロンクス及び41管区はメディアのルポルタージュをとおして一般に知られた実際の場所である。したがって、そこで行われる警官の物語を述べるという観念<notion>は著作権適格ではあり得ない。その映画が彼の本から登場人物<characters>を不正使用したというWalkerの主張に関しては、我々は、被告らの登場人物がその本なかで人物の「全体的な概念及び雰囲気<total concept and feel>」をとらえる範囲ばかりでなく、「[人物の]属性及び特徴の全体性<totality of [their] attributes and traits>」も考慮しなければならない。Warner II, supra, 720 F.2d at 241, 222 USPQ at 109。しかしながら、「アパッチ砦:ザ ブロンクス」の登場人物はその本の登場人物とは完全に異なっている。映画では、Murphyは独立心の強い、世をすねた、離婚した巡査であり、権威を馬鹿にしており、反抗して一度降格させられている。Murphyのロマンティックシーンは優しさを見せ;仲間の警官を告発するかどうかについての彼の自己省察は誠実さと忠誠心の両方を見せている。対照的に、彼のボスConnolly警部は「その本は見過ごしたが」サウスブロンクスの法の支配を確立しようとしており、部下をこき使う厳格な人物である。Walkerは、その本のナレーターであり、命令や上官の質問に決してそむかない実用本位で幸福な結婚をした警部補である。彼の人生の経歴、外見、地位及び結婚していることにおいて、彼は映画の登場人物のだれともほとんど類似性がない。

B.類似性の特定の主張
 地裁において、控訴人は、その本とその映画の間のNimmer教授が呼ぶ「断片的文言類似性<fragmented literal similarity>」を証明するために、特定の類似点のリストを提出した。3 Nimmer, supra, § 13.03[A][2]。これらの主張のいずれを見ても、地裁が法的問題として両作品の保護適格がある要素間に実質的類似性が存在しないと正しく判示したという我々の結論を変更する必要はない。例えば、控訴人は、その本及びその映画の両方が黒人と白人の警官の至近距離からの拳銃による殺人で始まり;両方が、闘い、大酒飲み、部品を外された車、売春婦及び密告者を描き;両方がクイーンズ区に住み頻繁に酒を飲む3代目又は4代目のアイルランド系警官を主役とし;両方が不機嫌で志気の上がらない警官と逃走する犯罪者の成功しない追跡を見せていると書き留めている。

 【2】しかしながら、これらの類似性は著作権保護適格がないものに関係している。2名の警官の殺人は実際に起こり、ニュースメディアで報道されており、殺人の歴史的事実はパブリックドメインであり、著作権保護の範囲外である。Hoehling, supra, 618 F.2d at 978-79, 205 USPQ at 686。大酒飲み、売春婦、やくざ及び遺棄された車のような要素はサウスブロンクスの警官の実際の仕事の中に出現するものであろう。したがって、これらの類似性は「必要なシーン<scenes a faire>」[訳3]として、つまり、舞台又は状況の選択の結果必要となるシーン<scenes that necessarily result from the choice of a setting or situation>として保護適格ではない。Reyher, supra, 533 F.2d at 92, 190 USPQ at 291-92参照。また、特定のジャンルに一般的に結びついた著作権又は「ありふれた<stock>」テーマにも著作権保護は及ばない<Neither does copyright protection extend to copyright or “stock” themes commonly linked to a particular genre>[訳4]。アイルランド系警官のよく知られた容姿は言うまでもなく、追跡及び警官の志気の問題は警官についてのフィクションの古びたしばしば繰り返されるテーマである。それ自体、それらは、オリジナルな創作において特有<unique>である−したがって保護適格がある−表現の範囲を除けば、著作権適格がない。

 控訴人は両作品の中に生じたと主張するその他の出来事をリストにしている。そのような散在する類似を基礎として統一された芸術作品を比較する困難性は別として、我々は、両作品を調査し、主張された類似性が認められないか完全に実質的でないことが証明されたかのどちらかであると認定する。控訴人は、例えば、両方の作品において、ある人物が屋根から投げ落とされると正しく書き留めている。しかし、二つの出来事の相違は圧倒的である。その本においては、二人の子供が屋上から三人目を投げる。彼は二つのビルの間の狭いスペースに落ちてけがをし、そこでWalkerが彼を見つけ助け出す。その映画においては、二人の警官がビルから少年を投げ落とし、彼は人でごった返す道で死に、その出来事が犯罪者を確認するかどうかのMurphy自身の苦闘に導く。我々は、その本とその映画の関連した出来事についての控訴人の主張はどれも類似性に関する重要な問題を引き起こさないと結論する。

 控訴人のその他のドキュメンタリの証拠はどれもサマリージャッジメントを禁じるには十分ではない。彼が提出した証拠は素人の観察者がその映画がその本から由来したものであり、それゆえそれらの類似性に関して正真正銘の問題を引き起こすと考えることを証明するのに資すると、彼は主張する。特に、彼は、三つの新聞記事は記者がその本とその映画が関係していると信じていることを示していると主張する。仮に、それらの記事が類似性の問題に関連しているとしても、それらは証拠価値がない。一つは後にWalkerの本を読んだことがないことを認めた映画評論家が書いたものである。他の二つはWalkerが生まれたとき取り上げた医師であり、ついでにWalkerがその本とその映画の作者と述べたその医師のフロリダ訪問の記事である。控訴人は彼の本のレビューと被告らの専門家によって準備された彼の本の分析の間の類似点は両作品自体の類似点に関係する問題を引き起こすと主張する。しかし、二次的又は記述的なものの比較では著作権法に基づく実質的類似性を証明することはできない、Davis, supra, 547 F.Supp. at 724-25を比較せよ、なぜならば、両作品はそれ自体が、それらについての記述又は印象ではなく、侵害の主張のための本物のテストであるからである。

 控訴人のいくつかの主張は証拠上の誤りに関するものである。彼は、地裁は、両作品のプロット、テーマ、構造、登場人物及びペースを分析した被告らによって提出された著述専門家<a literary expert>の宣誓供述書を考慮する点で誤りを犯したと主張する。控訴人の主張によれば、地裁は、類似性の問題に関するサマリージャッジメントの申立を支持するときに、そのような専門家の証言を機械的に排除した。[訳5]

 【3】この問題に関する専門家の分析の妥当性及び許容性は実質的類似性を決定するための基準に依存している。我々は適用されるべき基準をめぐって多少の混乱があることを書き留める。多くの裁判所で最も好まれ(Nimmer, supra, § 13.03[E][1]参照)、本巡回区でもしばしば述べられている(例えばHerbert Rosenthal Jewelry Corp. v. Honora Jewelry Co., 509 F.2d 64, 184 USPQ 264 (2d Cir. 1974); Ideal Toy Corp. v. Fab-Lu Ltd., 360 F.2d 1021, 149 USPQ 800 (2d Cir. 1966)参照)公式は、実質的類似性は通常の素人の観察者の自然な反応によって判断されるべきであるということである。文字どおりにとると、そのような基準は創作的な作品の専門家の分析及び「解剖」を完全に禁止するであろう。Nicols, supra, 45 F.2d at 123, 7 USPQ at 88(我々はこの種の事件において[専門家の]証拠は将来は完全に排除されるかもしれないと希望する)参照。しかしながら、上記Arnstein v. Porter事件における我々の意見はそのような文字どおりの意味にとる必要はないことを示した。その判決は類似性の二つの部分のテストを、二作品間の実質的類似性から推論することができる非侵害の「コピー<copying>」と、その類似性が保護適格のあるものに関連していることを要求する侵害の「違法コピー<illicit copying>」との間の区別を描くことによって、案出した。Arnsteinに基づき、

事実認定者は類似性がコピーを十分証明しているかどうかを決定しなければならない。この問題に関して、分析(解剖)は妥当であり、専門家の証言は受け入れることができる・・・。もし、コピーが立証されれば、その後、違法コピー(不法使用)の第二の問題が発生するだけである。
その問題に関するテストは通常の素人の聞き手の反応である;したがって、その問題に関して、「解剖」及び専門家の証言は不適切である。

154 F.2d at 468, 68 USPQ at 293(強調付加)。Sid & Marty Krofft Television Productions v. McDonald’s Corp., 562 F.2d 1157, 1164-65, 196 USPQ 97, 102-03 (9th Cir. 1977);(専門家の証言はアイディア又はテーマの類似性には許容されるが、表現の類似性に関しては許容されず、それに関する妥当なテストは「平均的かつ合理的な読者の観察及び印象」である。; Davis v. United Artists, supra, 547 F.Supp. at 724 & n.8. Cf. Warner II, supra, 720 F.2d at 245, 222 USPQ at 112 (類似性の問題に関して公衆の意見の調査は許容されるかどうかを決定することを拒絶したが、実質的類似性は「一般の公衆に親しみやすい概念ではなく」むしろ著作者の権利と他の創作者の自由との間のバランスをとるために「裁判所で使用される用語」であると書き留めている)も参照。我々はEdelstein判事の宣誓供述書の考慮がArnstein事件に基づき不適切であるとは信じない。本件においてではそうではないと信じるが、仮に「解剖」のいくつかが不適切であるとしても、我々はいかなる事実認定者も両作品に保護適格な面における実質的類似性を認め得ないと認定するから、この点からのあらゆる誤りは害がない、

 【4】加えて、控訴人は地裁がその映画のナレーションバージョンを考慮することを拒否した点、及び控訴人が主張する類似性のリストを基礎にしたその本とその映画の比較を拒否した点で誤りを犯したと主張する。我々は同意しない。連邦証拠規則1006は、控訴人の主張にかかわらず、ナレーションバージョンを受け入れることを要求していなかった。その規則は、図[又は]要約形式で提出を許容することによって、「裁判所内で調べるのが不都合である」著述、録音又は写真の問題を扱うために立案されたものであり、標準的な映写装置の使用によって全体をゆがめることなく見ることができる映画には適用しない。さらに、地裁が書き留めたように、著作権侵害事件において、両作品自体がそれらと相いれない記述に取って代わり、それらと相容れない記述を抑制する<in copyright infringement cases the works themselves supersede and control contrary descriptions of them>。最終的に封切られた映画のバージョンは実質的類似性に関してベストであり最も適切な証拠であるから、〔地裁の〕裁判官はサマリージャッジメントの申立を決定するときにナレーションバージョンを検討する必要はなかった。とにかく、ナレーションバージョンは重要なことを何も付け加えていない。

 Edelstein判事はその本とその映画を類似性のリストを基礎として比較すべきであったという控訴人の主張は同様に価値がない。多数の裁判所は慣習的に、アクセスがあったことが決定されると、主として両作品自体を詳細に見る又は読むことをとおして、侵害事件を判断している。例えば、上記Warner II;上記 Hoehling;上記Nichols参照。類似性に関するサマリージャッジメントの申立の議論においてそのようなリストを使用することを原告に禁じることは裁量権の乱用だったかもしれないが、Edelstein判事は主張された類似性に注意し、彼の優れた意見においてそれらに十分に焦点を合わせているから、控訴人の異議は効果がない。

 最後に、我々は、Edelstein判事が映画の初期のシナリオ草稿を考慮外としたことで誤ったかどうかを決定する必要はない。一般に、そのような初期の草稿は被告らが原告の作品にアクセスし、それから借用し、後になって、借用<borrowing>を隠すために変更したことを証明するためには有用であり得るであろう。本件において被告らはアクセスしたことを認めたが、依然として初期の草稿がいくつかの借用があったことの証拠であり得るであろう。しかしながら、我々は法律問題として、仮に、借用又はコピー<borrowing or copying>があったとしても、両作品の最終バージョンの保護適格な部分の間に実質的類似性は存在しないと結論するから、初期の草稿の排除の誤りには害がない。


III.〔その他の争点〕

 Walkerは、ランハム法〔連邦商標法〕に基づく主張を押し進めて、被控訴人がその本の人気につけ込みその映画が彼の本から由来するものであると信じるように公衆を混同させようとしたと主張した。両作品は実質的に類似していないという地裁の結論は見る者にその映画自体がWalkerの本と関連があると誤解させるように立案されたという理論をひどく傷つける。Warner II, supra, 720 F.2d at 246-47, 222 USPQ at 113-14参照。また、控訴人は1976年の「Variety」に載せた原告の広告はそれ自体Walkerによって創作されたか由来する作品としてその映画を「偽って通用」させようとした試みであると主張する。しかしながら、地裁は合理的な観察者はその広告からその映画が「アパッチ砦」に由来するあるいは両作品の出所は同じであると推論し得ないと認定した。その映画、及びWalker又は彼の本について述べてさえいない「Variety」の広告の我々の調査から、我々は〔地裁の判断に〕合意する。控訴人は、公衆がその本とその映画が別々であるとは言わないという主張を支持するために、上述の3つの新聞記事を提出した。すでに指摘したように、その記事は信頼できず孤立したものであるから極めてわずかな価値しかない。ランハム法上の請求はそれゆえ正しく却下された。

 加えて、地裁は控訴人の継続中の州法上の不正競争及び信任信頼関係の違反の訴えを正しく却下した。ニューヨーク州一般的管轄裁判所が控訴人の州裁判所訴訟において認定したように、Walkerの不正競争の訴因は、Walkerの本の著作権に対する保護を求める限り、連邦著作権法によって優先される。著作権法§301(a);Oboler v. Goldin, 714 F.2d 211, 220 USPQ 166 (2d Cir. 1983)参照。また、我々は、Heywood GouldがWalkerとの信任又は信頼関係に違反したというWalkerの請求に関してサマリージャッジメントが適切であったことに同意する。なぜならば、WalkerはWalker及びGouldがそのような契約をなしたこと又は彼らの間に存在するその他のそのような関係を証明するに十分な事実を提出することに失敗したからである。

 最後に、我々は、地裁が連邦法上の請求の処理の後に本案訴訟におけるWalkerの州法上の請求を却下した点で適切に行動したと結論する。連邦裁判所は、例外的な状況でないときは、ある事件での連邦法上の請求をサマリージャッジメントで処理するときには継続中の管轄権の行使を慎むべきであるが、Kavit v. A.L.Stamm & Co., 491 F.2d 1176, 1180 (1974)参照、我々は本件における状況は例外的であると考える。控訴人の、連邦法への関係を含む、州法上の請求に重要である多くの問題は侵害の請求の中心的な問題と相当程度オーバーラップしている。さらに、ニューヨーク州裁判所はすでに控訴人の州法上の訴因を検討し、連邦法上の請求と「等価」であると認定した。「司法経済、便利さ及び公正な訴訟」を考慮すると、United Mine Workers v. Gibbs, 383 U.S. 715, 726 (1966)、地裁が州法上の請求に管轄権を維持し、本案訴訟においてそれらに関して決定することは適切である。

 サマリージャッジメントを許容する命令を維持する。

 

(訳1)サマリージャッジメントは直訳すると「要約判決」となるが、実際はトライアルを行わないでなされた判決であり、判決の内容は「要約」ではなく、きちんと記載された判決である。アメリカの民事訴訟は、提訴されると、当事者同士でディスカバリ(証拠開示手続き)が行われ、それが終わると、裁判所でプレトライアル・コンファレンスが開かれ、その後トライアル(法廷での事実審理)が行われる。トライアルは数日から数週間にわたって続き、まず、冒頭陳述が行われ、次に証人尋問が行われ、最後に最終陳述が行われるが、ほとんどの時間は証人尋問に費やされる。当事者がサマリージャッジメントを申立て、裁判所がそれを認容するとトライアルを行わずに判決するが、それがサマリージャッジメントである。証人尋問で裁判官(又は陪審員)が認定するのは事実問題であるから、本件のように法律問題だけで判断できるときにはトライアルを行う必要がなく、サマリージャッジメントがなされるのである。

(訳2)この判決では、連邦法上の問題(著作権法、ランハム法)と州法上の問題(不正競争等)が出てくるので、日本人にはわかりにくい。日本では「地方分権」という言葉があることからも明らかなように、全ての権限は国が持っており、その一部を地方自治体に分け与えるという形になっている。これに対して、アメリカでは全ての権限は各州が持ち、合意した権限だけを合衆国(連邦)に与えているのであり、その合意された「契約書」が合衆国憲法である。したがって、各州は合衆国憲法に規定されていないことは全て行うのであり、各州は司法、立法、行政の三権(例えばニューヨーク州の場合はGULEX参照)を有しているのである。したがって、アメリカでは、著作権のように合衆国憲法で定められた事項については合衆国議会が著作権法を制定し、それに関する事件は合衆国裁判所(最高裁、控訴裁、地裁の三審制、例えばこの事件の第1審を行った「ニューヨーク南部合衆国地方裁判所」はニューヨーク州の州裁判所ではなく、ニューヨーク州の南部に設置された合衆国地方裁判所である、なお、合衆国最高裁、控訴裁についてはGULL参照)が管轄するが、不正競争等は各州の州裁判所(各州によって、裁判所の名称、何審制か、裁判官の任用法等が異なる、例えば、この判決に出てくる「The New York Supreme Court(ILS)」は名称が極めて紛らわしいがニューヨーク州の第1審の州裁判所である、なお、各州の州裁判所についてはGULEX参照)が管轄する。商標についは、合衆国憲法第1条第8節第3項(LII)に諸外国との通商及び各州間との通商については規定されているが、各州内の通商については規定されていないから、合衆国商標法(ランハム法(LII))と各州商標法の二本立てである。なお、日本の民法、刑法に相当するのは、各州の州裁判所の判例法であり、州内の事件は各州の州裁判所が管轄し、複数の州にまたがる事件等の場合だけ合衆国裁判所が管轄する。

(訳3)a faire」は英語の辞書には記載されておらず、簡単なラテン語の辞書にも記載されていない。フランス語の辞書を引くと、「scenes a faire」は「技法(又は行為)に属するシーン」となるがこれでは意味が不明である。この判決では、「つまり、舞台又は状況の選択の結果必要となるシーン」と記載されているから、「必要なシーン」と翻訳した。なお、最初、「必然的なシーン」と翻訳したが、これでは一つのシーンに決まってしまうようなニュアンスがあるので変更した。

(訳4)特定のジャンルに一般的に結びついた著作権又はありふれたテーマにも著作権保護は及ばない」において、ありふれたテーマに著作権保護が及ばないのは当然としても、「・・・著作権・・・にも著作権保護は及ばない」というのは理解しにくい。オリジナルな作品であれば、創作性(オリジナリティ)があるから著作権を有するが、「特定のジャンルに一般的に結びついて」いれば、著作権保護を受けないという意味ではないかと推測するが、自信はない。

(訳5)ここで原告が主張しているのは、地裁の裁判官は被告が提出した専門家の宣誓供述書を考慮したが、トライアルが行われず、その専門家の証人尋問が行われなかったから、地裁の裁判は誤りであるということである。トライアルが行われれば、原告はこの被告側専門家証人を反対尋問で徹底的に問いつめ「落とす」ことができたかもしれないのに、トライアルが行われなかったから、その機会が奪われたと言いたいのである。
 


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