修正 1999.12.01   ↑UP    中古ゲームソフト事件高裁判決

ゲームソフトと著作権

−中古ゲームソフト事件、三国志III事件、ときめきメモリアル事件について−

1999.11.28 井 上 雅 夫
目 次
1.はじめに
2.高裁判決と地裁判決
3.プログラムの著作権と映画の著作権
4.三国志III事件東京高裁判決(99.3.18言渡)について
5.ときめきメモリアル事件大阪高裁判決(99.4.27言渡)について
6.中古ゲームソフト事件東京地裁判決(99.5.27言渡)について
7.中古ゲームソフト事件大阪地裁判決(99.10.7言渡)について
8.中古ゲームソフト事件大阪地裁判決の問題点
9.大阪高裁における控訴審
 
1.はじめに

 中古ゲームソフト訴訟の大阪地裁判決が10月7日に出されたが、その夜のニュースステーション(テレビ朝日)の報道は傑作だった。5月に東京地裁で勝訴した東京の中古ゲームショップで、ゲームを選んでいた子供たちに、「大阪の子供たち、我慢してくれッ。」と言わせたのである。

 同じ著作権法(CRIC)が施行されているはずの東京と大阪で正反対の判決が出されたのであるから、驚きである。その原因は、第一には、ゲームソフトが存在しない時代に立法され、その後、ゲームソフトとは無関係に改正された著作権法の「映画の著作物の頒布権」を、ゲームソフトに適用することによって生じる矛盾である。第二には、ゲームソフトの頒布権とは無関係の東京高裁と大阪高裁の判決が、ゲームに関して異なった判断をしていたからである。
 
2.高裁判決と地裁判決

 1999年3月18日、東京高裁は、三国志事件判決において、ゲームソフトの同一性保持権(著作人格権)及び翻案権について、「本件著作物をもって、映画の著作物に類似する著作物に該当するものとは認められない」と判示した。そして、5月27日、東京地裁は中古ゲームソフト東京訴訟において、理由は多少異なるが、「本件各ゲームソフトが著作権法にいう『映画の著作物』に該当するということはできないから、これらが『映画の著作物』に該当することを前提として、これらについて頒布権を有する旨をいう被告(ゲーム製作会社)の主張は失当である。」と判断したのである。

 一方、大阪高裁は4月27日、ときめきメモリアル事件において、ゲームソフトの同一性保持権について、「本件ゲームソフトは・・・『映画の著作物』に該当するものということができる」と判示した。そして、大阪地裁は10月7日「本件各ゲームソフトは、著作権法上の『映画の著作物』に該当するものというべきである。」、「本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上は、著作権者である原告らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。」と判断したのである。
  
3.プログラムの著作権と映画の著作権

 ゲームソフトは、プログラム言語を用いて記述されたプログラムであり、著作権法2条1項10号の2で定義された「電子計算機を機能させて一の結果を得ることができるようにこれに対する指令を組み合わせたものとして表現したもの」に該当するから、プログラムの著作物である。したがって、ゲームソフトを無断でコピーすれば、プログラムの著作物の複製権侵害である。また、コードを書き換えれば翻案権侵害であり、同一性保持権侵害でもある(ただし、著作権法20条2項3号、4号、47条の2に例外規定がある)。

 しかし、ゲームソフトの場合は、そのプログラムコードを見なくても、実際にゲームをプレイすることによって、そのゲームの表現を知り、コードの表現は全く異なるが、ゲームとしては同様な表現のゲームを作成することができる。そこで、表示された絵と音の連鎖が著作権で保護されるかどうかが問題となるが、アメリカでは1982年のStern事件において、プログラムコードはオリジナルであるが、ゲームとしては同様な表現のゲームソフトの著作権侵害事件において「反復的なゲームの絵と音の本質的な部分の連鎖がオーディオビジュアルの著作物として著作権保護の資格を与えている。」と判示し、ゲームの絵と音の連鎖がオーディオビジュアルの著作物として保護されることになったのである。

 日本においても、1984年のパックマン事件(夏井研)において「パックマンは映画の著作物に該当する」と判示されている。このパックマン事件は、無断複製のパックマン・ゲームソフトを内蔵したゲーム機を喫茶店に設置したことが、パックマンの映画の上映権を侵害するかどうかが争われた事件である。無断複製したのは被告ではないから、被告を複製権侵害で訴えることができず、上映権侵害で訴えたのである。著作権法26条1項に「著作者は、その映画の著作物を公に上映し、又はその複製物により頒布する権利を専有する」と規定されているように、日本では上映権は映画の著作物にしか認められていなかったから、パックマンが映画の著作物に該当するかどうかが主要な争点になったのである。

 裁判所は、著作権法2条3項の「この法律にいう『映画の著作物』には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」という規定を適用し、パックマンは映画の著作物であり、被告の行為は上映権侵害であると判断した。しかし、パックマンが本来の映画と異なることは明らかであり、もし、日本の著作権法が、アメリカの著作権法と同様に、オーディオビジュアルの著作物を例示し、オーディオビジュアルの著作物を公に演じる権利が規定されていれば、パックマンは映画の著作物ではなくオーディオビジュアルの著作物として保護されたはずである。
 
4.三国志III事件東京高裁判決(99.3.18言渡)について

 東京高裁で審理された三国志III事件(プライム・ロー)における本件著作物(シミュレーションゲーム)は、出荷時において登場人物(既成君主、既成武将)ごとにその能力が、1から100までの範囲の数値で設定されているが、そのほかに、ユーザーが、データ登録用プログラムを用いて新たに登場人物(新君主、新武将)を作り出し、その能力値を設定することができるようになったものである。本件著作物の中には、ユーザーによる新君主、新武将の登録用ファイルとして「NBDATA」という名称のファイルが含まれ、また「NBDATA」中に能力値を書き込むためのデータ登録用プログラムが含まれるが、ユーザーがメモリー上に書き込める能力値を、1から100までとするチェックルーティンプログラムが含まれている。

 これに対して、被控訴人(被告)のプログラムは、本件著作物に含まれる登録プログラムに代わる別個のプログラムで、チュックルーティンプログラムを含まないデータ登録用プログラムであり、新君主、新武将につきユーザーが100を超える能力値を設定することができるものである。この事件で主に争われたのは、(1)被控訴人(被告)プログラムは本件著作物におけるプログラムを改変するものか、(2)本件ゲームは映画の著作物又はゲームの著作物といえるのか、である。

(1)プログラムの改変か
 東京高裁は、「NBDATA」自体はプログラムの著作物には当たらないとしている。確かに、「NBDATA」はプログラム言語で記述されているわけではなく、これだけを見るとデータファイルであり、著作権法2条1項10号の2のプログラムの定義には含まれない。しかし、プログラムはプログラム言語で記述されたコードだけから成るものではない。

 ワープロを例にとると、ワープロを使って作成した文書、つまりユーザーファイルは、ユーザーがそのワープロを使って作成したデータファイルである。このようなデータファイルがプログラムの著作物でないことは明らかである。しかし、ユーザーファイルとは異なった種類のデータファイルもあるのである。例えば、最近のワープロソフトでは画面の上部のツールボックスに表示されたアイコンの設定を自由に変更することができる。変更後、ワープロを終了し、その後、再度立ち上げても、変更後のアイコンが表示される。これは、ワープロソフトの中にツールボックスに表示するアイコンを決めるデータファイルがあり、設定を変更すると、そのデータファイルの内容を変更し、ワープロのコード部分がそのデータファイルを読み取って、それに応じたアイコンを画面に表示しているからである。もちろん、ツールボックスに表示すべきアイコンをプログラムコードで記述することもできるが、プログラムコードで記述したのでは、設定変更は不可能である。このようなプログラムを動作させるためのデータファイルは、これを取り去るとプログラムとして正常に動作することができないのであるから、プログラムの一部と解釈するのが妥当であると考える。

 したがって、この事件の場合、「NBDATA」もプログラムの一部と考えるべきであるが、「NBDATA」には最初は何も記載されておらず、ユーザーがある制限のもとに設定することができるように作成されたものであるから、これを制限を超えて設定することが、プログラムの著作物の同一性保持権、翻案権の侵害に当たるとはいえないと考えられる。

(2)映画の著作物又はゲームの著作物といえるか
 次に、東京高裁は、静止画像が圧倒的に多いことを理由に、「本件ゲームは、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているものとは認められず、本件著作物が、映画ないしこれに類する著作物に該当するということはできない。」と判示し、更に、「控訴人(原告)は、本件著作物の視聴覚的表現は、著作権法2条1項1号所定のゲームの著作物であると主張するが、著作権法にゲームの著作物そのものを定義づける規定はないので、本件著作物につき、ゲームの著作物であるとして著作権侵害行為の有無を判断することはできない」とした。

 東京高裁は、著作権法にゲームの著作物が定義されていないことを根拠に、著作権侵害行為の有無の判断を避けたが、本件の争点は、映画の著作物に特有な上映権又は頒布権ではなく、どのような範疇の著作物であっても適用される同一性保持権及び翻案権である。そして、著作権法10条1項に例示された、

一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物
二 音楽の著作物
三 舞踊又は無言劇の著作物
四 絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物
五 建築の著作物
六 地図又は学術的な性質を有する図面、図表、模型その他の図形の著作物
七 映画の著作物
八 写真の著作物
九 プログラムの著作物
はあくまでも例示であり、ここに例示されていなければ著作物でないというものでもない。例えば、「漫画の著作物」は著作権法10条1項には例示されてはいないが、「漫画」が著作物であり、著作権で保護されることは明らかである。また、プログラムの著作物が10条1項9号に規定されていなかった1982年に、スペースインベーダーパートII事件(夏井研)で、「本件プログラム(スペースインベーダーパートII)は、その作成者の独自の学術的思想の創作的表現であり、著作権法上保護される著作物に当たると認められる。」 とされてプログラムが著作物として保護された例もある。したがって、東京高裁は、ゲームソフトの絵と音で表現されたものが著作権法2条1項1号の「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」という定義に該当する著作物であるのかどうかを判断すべきであったのではないだろうか。
 
5.ときめきメモリアル事件大阪高裁判決(99.4.27言渡)について

 ときめきメモリアル事件は上記の三国志III事件と類似した事件であるが、大阪高裁は東京高裁とは異なった判断をしている。本件ゲームソフトは、プレイヤーが架空の高校「きらめき高校」の高校生(主人公)となって、卒業式の当日、伝説の樹の下で憧れの女生徒から愛の告白を受けることを目指して、高校三年間勉学や様々な出来事、行事等を通して、憧れの女生徒に相応しい能力を備えるための努力を積み重ねるという恋愛シミュレーションゲームであり、プレイヤー(主人公)の能力値として9つの要素に分けた初期値が設定され、コマンドの選択如何によって上昇するパラメータと下降するパラメータが連動するように設定されている。

(1)ゲームソフトの著作物性
 大阪高裁は、本件ゲームソフトの著作物性について、「著作権法10条1項7号にいう『映画の著作物』には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含む(同法2条3項)とされているから、本件ゲームソフトが再生機器を用いてモニターに各場面に応じて(連続的ではないとしても)変化する影像を映し出し、登場人物が当該場面に相応しい台詞を述べて一定のストーリーを展開している点で、本件ゲームソフトは『映画の著作物』に該当するものということができる。また、本件ゲームソフトのプログラムはコンピュータに対する指令を組合わせたものとして表現したものを含むものと認められるから、同法10条1項9号にいう『プログラムの著作物』にも該当する。そして、本件ゲームソフトにおいては、データに保存された影像や音声をプログラムによって読み取り再生した上、プレイヤーの主体的な参加によって初めてゲームの進行が図られる点で、『映画の著作物』と『プログラムの著作物』とが単に併存しているにすぎないものではなく、両者が相関連して『ゲーム映像』とでもいうべき複合的な性格の著作物を形成しているものと認めるのが相当である。」旨判示している。

 この大阪高裁の判示は、一見すると、ゲームソフトは「映画の著作物」であり、かつ、「プログラムの著作物」でもあると判断しているようにみえる。ところが、よく読むと、ゲームソフトは「『映画の著作物』と『プログラムの著作物』とが単に併存しているにすぎないものではなく、両者が相関連して『ゲーム映像』とでもいうべき複合的な性格の著作物を形成しているものと認めるのが相当である」と判示しているのである。大阪高裁は、ゲームソフトの影像と音声とインタラクティブ性を考慮して、ゲームソフトは「ゲーム映像の著作物」であるとしたと考えられる。大阪高裁の判示は、前述のアメリカのStern事件の「オーディオビジュアルの著作物」、日本のパックマン事件の「映画の著作物」とは異なった独創的な判示であったのである。

(2)同一性保持権の侵害
 本件ゲームは、ゲームの途中経過をメモリーカードにセーブし、後に、メモリーカードのデータをロードして、前回の続きからゲームを再開できるものである。被告が販売した本件メモリーカードは、主人公のパラメータがストレスが0である以外はすべて999等の高数値で与えられ、誰でも憧れの女生徒から愛の告白を受けることができるものである。大阪高裁は、本件メモリーカードの使用によって、主人公の人物像及びストーリーが改変された旨判示しているが、妥当な判断であると考える。

 次に、大阪高裁は、「本件メモリーカードを使用して本件ゲームソフトのプログラムを実行することが本件ゲームソフトの著作物としての同一性保持権を侵害するものであり、そのようなゲームを行っている者は個々のプレイヤーということになるが、本件メモリーカードの制作者は、右行為に主体的に加功していることは明らかであり、本件メモリーカードの制作者はこれを意図してその制作をした者であるから、右カードを使用して行う本件ゲームソフトの改変行為について、制作者はプレイヤーを介し本件著作物の同一性保持権を侵害するものということができる。」と判示しているが、この判断は疑問である。
 著作権法30条1項には、

・・・著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とする場合には、・・・その使用する者が複製することができる。
と規定されており、また、著作権法第43条には、
次の各号に掲げる規定により著作物を利用することができる場合には、当該各号に掲げる方法により、当該著作物を当該各号に掲げる規定に従って利用することができる。
 1号 第30条第1項・・・  翻訳、編曲、変形又は翻案
と規定されている。
 したがって、著作物を個人的又は家庭内において使用する場合には、その使用する者が変形を行うことができると考えられる。例えば、写真集を買ってきて、その写真を切り張りしたり書き込みしたりして新たな作品を作り、それを自分の部屋に飾ってもよいのである。また、映画のビデオテープを買ってきて、二台のビデオデッキを使って編集し直し、自分独自の映画を作成して、個人的又は家庭内で上映することは許されていると考えられる(もちろん、これを公に上映すれば、上映権侵害、翻案権侵害、同一性保持権侵害である)。

 本件の場合、プレイヤーが本件メモリーカードを用いて、憧れの女生徒から愛の告白を受けることは、大阪高裁の判示のとおり主人公の人物像及びストーリーの改変ではあるが、プレイヤーが個人的又は家庭内でゲームをプレイする限り、43条の規定により許容された改変であると考えられる。したがって、この場合、同一性保持権に関しても、プレイヤーは違法性を問われないと考えられる。そうすると、プレイヤーは違法行為を行っていないのであるから、本件被告(本件メモリカード制作者)がプレイヤーの同一性保持権侵害行為に主体的に加功(加担すること。犯罪を手つだう行為。共犯。(広辞苑))しているとはいえず、被告がプレイヤーを介し本件著作物の同一性保持権を侵害したとはいえないのではないだろうか。

(3)技術的保護手段による保護
 上述のように大阪高裁の判断は疑問であるが、平成11年法の改正により導入された技術的保護手段を講じれば、三国志III事件のデータ登録用プログラムや、ときめきメモリアル事件のメモリカードのようなものに対して、著作者は的確に対処することができると考えられる。新著作権法30条1項は次のように規定している。

著作権の目的となつている著作物・・・は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
   ・・・
 二 技術的保護手段の回避(技術的保護手段に用いられている信号の除去又は改変(記録又は送信の方式の変換に伴う技術的な制約による除去又は改変を除く。)を行うことにより、当該技術的保護手段によつて防止される行為を可能とし、又は当該技術的保護手段によつて抑止される行為の結果に障害を生じないようにすることをいう。第百二十条の二第一号及び第二号において同じ。)により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合
 新著作権法30条1項2号によれば、「技術的保護手段の回避・・・により可能と・・・なつた複製を、その事実を知りながら行う場合」は個人的又は家庭内の複製であっても許容されないことになる。つまり、個人的又は家庭内の複製であってもプロテクトを外して、複製することは許されないのである。そして、この条文に関しては既に1999年10月1日より施行されている。その結果、44条で許容されていた翻訳、編曲、変形又は翻案による利用も許されなくなったと考えられる。

 したがって、今後は、データファイル等に技術的保護手段によってプロテクトをかけておけば、プレイヤーがそれを回避して、そのデータファイル等に著作者の意図を超えたデータを書き込むことは、違法であり、同一性保持権の侵害を構成すると考えられる。そうすると、三国志III事件のデータ登録用プログラムや、ときめきメモリアル事件のメモリカードの制作者は、プレイヤーの同一性保持権侵害行為に主体的に加功していることになり、これらを使用して行うゲームソフトの改変行為について、制作者はプレイヤーを介し著作物の同一性保持権を侵害することになると考えられる。
 
6.中古ゲームソフト事件東京地裁判決(99.5.27言渡)について

 中古ゲームソフト東京訴訟(ARTS)は、「プレイステーション」用のロールプレイングゲームと対戦型テレビゲームの中古品の販売がゲームソフトの著作権に基づく差止請求権を有しないことを確認することを求める訴訟であり、原告が東京の中古ゲームソフトの販売業者であり、被告がゲームソフトの著作権者である。

(1)日本の著作権法とアメリカの著作権法
 なぜ、このような事件が起こったのかというと、次のように日本の著作権法が映画の著作物について、一般の著作物とは異なった特別な規定をおいているからである。
日本の著作権法では10条1項に、

七 映画の著作物
が規定され、2条3項に、
この法律にいう「映画の著作物」には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。
と規定されている。そして、26条1項には、
著作者は、その映画の著作物を公に上映し、又はその複製物により頒布する権利を専有する。
と規定されており、映画の著作物以外の著作物には上映権及び頒布権は規定されていない。
 これに対して、アメリカでは、映画の著作物は特別扱いされておらず、102条に、
(6)映画及びその他のオーディオビジュアルの著作物
が規定され、106条に、
107条ないし120条を条件として、本法に基づく著作権者は次に挙げることを行使および許諾する排他的な権利を有する。
(3)著作物の複製物・・・を、販売若しくはその他の所有権の移転によって公衆に頒布すること、又は、レンタル、リース、貸すこと
(4)・・・映画及びその他のオーディオビジュアルの著作物の場合、著作物を公に演じること
と規定されている。しかし、109条には、
(a)106条(3)号の規定にかかわらず、本法に基づいて適法に作成された複製物・・・の所有者、又はそのような所有者によって委任された者は、著作権者の許可なしに、その複製物・・・を販売又は他の方法による所有の処分をする権利が与えられる。
と規定されている。

 このように、アメリカではオーディオビジュアルの著作物が例示されているから、ゲームがオーディオビジュアルの著作物に該当するとすれば、ゲームの絵と音の連鎖についての著作権を保護でき、無理に映画の著作物とする必要はない。また、全ての範疇の著作物の複製物に頒布権が認められているが、適法に入手した複製物であれば、著作権者の許可なしに、販売等ができるのである。つまり、適法な販売等によって一度頒布されれば、それによって、頒布権は消尽(使い切ること)するのである。

 したがって、アメリカでは、著作権者が中古ゲームソフトの販売の差止を求めることはあり得ないが、日本ではゲームが映画の著作物に該当するとすれば、消尽の規定なしで頒布権が規定されているから、著作権者が中古ゲームソフトの販売を差止できるという考えがあり、この事件は、逆に、そのような差止はできないことを確認するために中古ゲームソフト業者が原告となりゲームソフトの著作権者を提訴した裁判である。

(2)東京地裁の判示
 東京地裁は、「著作権法は、多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対して思想・感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという、劇場用映画の特徴を備えた著作物を、『映画の著作物』として想定しているものと解するのが相当である。」、「ゲームソフトは、劇場用映画のようにあらかじめ決定された一定内容の連続影像と音声的効果を視聴者が所与のものとして一方的に受動的に受け取ることに終始するものではなく、・・・プレイヤー個々人がそれぞれのゲーム機を操作して個別の画面上にそれぞれ異なった影像を表示するという形態で利用されるものであり、多数人が同一の影像を一度に鑑賞するという利用形態には本質的になじまないものである。・・・本件各ゲームソフトは、画面上に表示される連続影像がー定の内容及び順序によるものとしてあらかじめ定められているものではないから、『映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物』(著作権法2条3項)に該当するということはできない。」としている。

 この東京地裁の判示は、映画は上映を通じて多数の観客に対して同一の視聴覚的効果を与えるものであるのに対して、ゲームは多数人が同一の影像を一度に鑑賞するという利用形態には本質的になじまないものであるという、常識的な判断に基づいて、ゲームは映画の著作物ではなく、その結果、頒布権はないとしたものであり、日本の特殊な著作権法のもとで、妥当な結論を見出した判決であると考える。
 
7.中古ゲームソフト事件大阪地裁判決(99.10.7言渡)について

 中古ゲームソフト大阪訴訟は、ゲームソフトの著作権者が大阪の中古ゲームソフト販売業者に対して、中古品(外観上、ユーザーにおいていったん遊技等の使用に供したと判断されるゲームソフトの複製物をいい、外観上パッケージが開封されているものを含む。)の頒布の差止及び廃棄を求めたものであり、東京訴訟と原告と被告が逆の立場であるが、同一の法的判断を求める訴訟である。原告が具体的に訴えたゲームは、ロールプレイングゲーム、対戦格闘型ゲーム(アクションゲーム)、レーシングゲーム、サッカー・ゲームある。争点は、(1)本件各ゲームソフトは「映画の著作物」に該当するか、(2)本件各ゲームソフトは「頒布権のある」映画の著作物に該当するか、(3)映画の著作物の頒布権は消尽するか、であり、大阪地裁は以下のように判示している。

(1)本件各ゲームソフトは「映画の著作物」に該当するか
 「映画の著作物」について、著作権法には、他の著作物一般には認められていない上映権及び頒布権(26条)を著作権者が専有する旨の規定が置かれている。また、著作権法は、「映画」の概念の定義については、明示的な規定は置いていないが、「映画の著作物」には、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」としている(2条3項)。

 映画の一般的な意味や、劇場用映画の表現方法のほか、著作権法が映画の著作物の「上映」について、「著作物を映写幕その他の物に映写することをいい、これに伴って映画の著作物において固定されている音を再生することを含むものとする。」と定義していること(2条1項18号)を考え併せると、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているとは、「映画」と同様の視覚的又は視聴覚的効果を生じさせるもの、すなわち、多数の静止画像を映写幕、ブラウン管、液晶画面その他の物に急速に連続して順次投影して、眼の残像現象を利用して、「映画」と類似した、動きのある影像として見せるという視覚的効果、又は右に加えて影像に音声をシンクロナイズさせるという視聴覚的効果をもって表現されている表現物をいうものと解するのが相当である。

 ゲームソフトにも、影像や音声の面での表現内容には種々のものがあるから、当該ゲームソフトが「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物に該当するか否かは、個別具体的に判断すべきものと考えられる。本件各ゲームソフトは、全体が連続的な動画画像からなり、動画の影像もリアルな連続的な動きをもったものであり、影像にシンクロナイズされた効果音や背景音楽とも相まって臨場感を高めるなどの工夫がされており、一般の劇場用あるいはテレビ放映用のアニメーション映画に準じるような視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているといって差し支えない程度のものである。したがって、本件各ゲームソフトは、いずれも、著作権法2条3項にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものというのに十分である。

 著作権法上の映画の著作物の要件としての固定性は、単に放送用映画の生放送番組の取扱いとの関係で、これを映画の著作物に含ましめないための要件として設けられたものである。本件各ゲームソフトは、そのデータはいずれもCDーROM中に記憶されているものであるから、固定性の要件に欠けるところはない。

 本件各ゲームソフトは、プレイヤーの各回のプレイごとに具体的に画面に表示される連続影像が異なるものであるが、ゲームソフトの著作者は、プレイヤーの操作による影像の変化の範囲をあらかじめ織り込んだ上で、ゲームのテーマやストーリーを設定し、様々な視覚的ないし視聴覚的効果を駆使して、統一的な作品としてのゲームを製作するものである。したがって、本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、ゲームソフト自体が著作者の統一的な思想・感情が創作的に表現されたものというべきである。

 以上によれば、本件各ゲームソフトは、著作権法上の「映画の著作物」に該当するものというべきである。

(2)本件各ゲームソフトは「頒布権のある」映画の著作物に該当するか
 著作権法は、「頒布」の意義を、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする。」(2条1項19号)と定義するともに、映画の著作物について、著作権者が頒布権を専有する旨を定めており(26条1項)、映画の著作物の中で頒布権を認めるものとそうでないものとの区別をしていない。したがって、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上は、著作権者である原告らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。

 現行著作権法の制定の経緯から明らかなとおり、著作権法は、配給制度とは直接の関係がないと考えられる放送用映画についても映画の著作物に含まれることを予定して成立したものであり、著作権制度審議会においても、配給制度とは直接関連性を有しないと考えられるビデオテープについても頒布権が及ぶものとして議論されていること、また、頒布権の前提となる「頒布」の概念について、著作権法は、配給制度を前提とするものと考えられる「公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」のみならず、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与すること」をも含む概念として定義している(2条1項19号)ことなどからすれば、現行著作権法の解釈として、「頒布権のある映画の著作物」の概念を、配給制度という慣行の存在する劇場用映画のみ、あるいは劇場用映画の特質を備えるもののみに限定して解釈することは相当でない。

 著作権法が映画の著作物のみに頒布権を認めた背景には、映画の著作物は、製作に多大な費用、時間及び労力を要する反面、一度視聴されてしまえば視聴者に満足感を与え、同一人が繰り返し視聴することが比較的少ないという特性が考慮されているものと考えられる。右のような性質を有する映画の著作物について、投下資本の回収の多様な機会を与えるために、上映権及び頒布権を特に認めて、著作権者が対価を徴収できる制度を構築したものと考えられる。

 テレビゲームのゲームソフトは、多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、この点では劇場用映画に類似するものである。また、ゲームソフトは、視聴者(需要者)に短時間(劇場用映画と比較すればその差はあるが)で満足感を与えるものである点も、劇場用映画と大きく異ならず、殊に人気ゲームソフトでは、新作発表後2ないし3か月で中古品販売数量が新品販売数量を上回ることも少なくないというデータがあることが認められる。そうすると、ゲームソフトについて、その投下資本の回収の多様な機会を与えることには合理性があり、これに対して頒布権を認めることも、劇場用映画と比較すればあながち不合理であるともいえず、少なくとも、映画の著作物に頒布権を認めた立法趣旨に照らして、頒布権のある映画の著作物として保護を受けるに値する実質的な理由がないとはいえない。

 昭和59年に著作権者に貸与権を認める旨の規定(26条の2)が設けられた際に、映画の著作物については頒布権があることから貸与権の規定の適用を除外されたが、当時、既に貸ビデオも存在したから、立法者は、ビデオソフトも映画の著作物に入り、映画の著作物の頒布権によって規制できると考えていたことが明らかである。したがって、現行著作権法は、配給制度によらず、多数の複製物が公衆に販売されるようなものも映画の著作物に含まれることを前提としていると解さざるを得ない。

 以上のとおりであるから、本件各ゲームソフトが「頒布権のある」映画の著作物に該当しないとの被告らの主張は採用できない。

(3)映画の著作物の頒布権は消尽するか
 映画の著作物に頒布権が認められた背景には、劇場用映画についての配給制度という取引慣行があったという面があり、その趣旨からいっても、右頒布権は第一譲渡後も消尽しない権利として一般に解されてきたものである。

 著作権法は、著作物一般については、頒布権を認めず、著作権を侵害する行為によって作成された物を情を知って頒布する行為を著作権侵害とみなす旨の規定(113条1項2号)を設けている。そして、映画の著作物についてのみ、他の著作物一般には認められていない頒布権を認め(26条1項)、著作権を侵害する行為によって作成された物であるか否かを問わず、映画の著作物をその複製物により頒布する権利を著作権者に専有させている。また、頒布権の消尽については何ら規定するところがない。これらの著作権法の規定からすれば、映画の著作物の頒布権が第一譲渡行為に限定されたものであると解することはできない。

 平成11年の改正により、著作物一般について、著作権者に「その著作物をその原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利を専有する」譲渡権を認める規定(改正後の26条の2)が新設されたが、右規定においては、対象となる著作物から映画の著作物を除外するとともに、この譲渡権は、譲渡権を有する者により譲渡された複製物等には及ばないことが明定され、譲渡権が第一譲渡によって消尽することを明らかにしている。右改正に当たって、映画の著作物については消尽しない頒布権を維持するものとされたことが明らかである。

 各国の立法例をみると、確かに多くの国では、映画の著作物を含めて著作物一般について、頒布権を認める場合には、第一譲渡ないし公衆への最初の提供によって消尽するとの法制を採っており、我が国のように映画の著作物について消尽しない頒布権を認めているのは例外に属するが、我が国の著作権法の解釈を諸外国の立法例に適合するようにしなければならないわけではない。

 本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、一般的に上映を目的として譲渡されるわけではなく、劇場用映画のように配給制度という流通形態をとるわけでもなく、多数の複製物が一般消費者に販売されるものである。このようなものについて、映画の著作物に該当するとの理由で、適法に複製された複製物がいったん流通に置かれ、一般消費者に譲渡された後にも、著作権者が消尽しない頒布権を行使して流通をコントロールする立場に立つことは、商品の自由な流通を阻害し、権利者に過大な保護を与えるように見えなくもない。しかし、映画の著作物と認められるゲームソフトについて、頒布権を認めて投下資本の回収の機会を保障することにも合理性がないわけではなく、著作権法の規定上は消尽しない頒布権があると解さざるを得ない映画の著作物のうちから、ゲームソフトについて第一譲渡後の消尽を認めることは、解釈上十分な根拠がなく、採用することができない。
 
8.中古ゲームソフト事件大阪地裁判決の問題点

 上記の理由により、大阪地裁は、「本件各ゲームソフトは映画の著作物に該当し、著作権者である原告らは本件各ゲームソフトについてそれぞれ頒布権を有し、しかも右頒布権は複製物がいったん公衆に譲渡された後も消尽しないものというべきであるから、本件各ゲームソフトの中古ソフトを公衆に販売する被告らの行為は、原告らの頒布権を侵害する。」としている。この大阪地裁判決は、一見、著作権法の規定を、立法経過、条約等を考慮して、極めて論理的に解釈しているようにみえ、また、大阪高裁のときめきメモリアル事件の判示事項とも整合がとれているようにみえる。しかし、本当にそうなのだろうか?

(1)平成11年法による上映権の改正
 大阪地裁は、映画の著作物の頒布権が消尽しないことの根拠の一つとして、平成11年法の改正により、一般の著作物について消尽のある譲渡権が規定され、映画の著作物はそれから除外されていることを挙げている。しかし、平成11年法の改正により、もう一つこの事件に重大な影響のある改正が行われている。これまで、著作権法26条1項で、映画の著作物についてのみ上映権及び頒布権が認められていたが、平成11年法(CRIC)で次のように改正され、上映権は映画の著作物についてだけでなく、一般の著作物について保護されることになったのである。アンダーライン部分が改正部分である。

(定義)
第2条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
十七 上映 著作物(公衆送信されるものを除く。)を映写幕その他の物に映写することをいい、これに伴つて映画の著作物において固定されている音を再生することを含むものとする。

(上映権)
第22条の2 著作者は、その著作物を公に上映する権利を専有する。

(頒布権)
第26条1項 著作者は、その映画の著作物を その複製物により頒布する権利を専有する。

 上述のように、1984年のパックマン事件においてゲームソフトの上映権について争われ「パックマンは映画の著作物に該当する」と判示されているが、これは、映画の著作物にしか上映権が認められていない状況の中で、この事案に妥当な解決をもたらすために、無理をしてパックマンを映画の著作物と判示したものと考えられる。なぜなら、パックマン事件は、無断複製のパックマン・ゲームソフトを内蔵したゲーム機を喫茶店に設置したことが、パックマンの映画の上映権を侵害するかどうかが争われた事件であり、無断複製したのは被告ではないから、被告を複製権侵害で訴えることができず、また、少なくとも提訴時には被告も無断複製であることを知っていたと考えられるが、頒布はしていないから、情を知って頒布する行為を著作権侵害とみなす旨の規定(113条1項2号)も適用できず、映画の著作物の上映権を適用しない限り、被告が情を知った上で無断複製のゲーム機を喫茶店に設置し続けているのを差し止めることができなかったからである。

 しかし、平成11年法によって上映権が一般の著作物に適用されることになったから、今後はゲームソフトが映画の著作物であるというような無理な解釈をする必要はなくなるのである。そして、パックマン事件判決(夏井研)には「右の定義規定(2条3項)の解釈について,右の特則(26条、29条、54条)の立法趣旨等も勘案しながら,本件に必要な範囲で判断を示す。」旨の記載があり、ここで特則とされた26条の映画の著作物の上映権は平成11年法で削除され、新たに一般の著作物に対して上映権が規定されたのであるから、パックマン事件の裁判例は平成11年法が施行される2000年1月1日をもって、その歴史的役割を終えることになる。

 ところで、パックマン事件の判決では、本来的意味における映画以外のものが「映画の著作物」に該当するための要件として次のものを挙げている。

(一) 映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること
(二) 物に固定されていること
(三) 著作物であること
   ・・・・・
 右のうち,(一)は表現方法の要件,(二)は存在形式の要件,(三)は内容の要件であるということができる。
一方、中古ゲームソフト事件の大阪地裁の判決では、映画の著作物として著作権法上の保護を受けるためには、次の要件を満たす必要があるとしている。
(一) 映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(表現方法の要件)
(二) 物に固定されていること(存在形式の要件)
(三) 著作物であること(内容の要件)
 驚いたことに、パックマン事件の判決では箇条書きとは別に記載されている「(一)は表現方法の要件」等が、大阪地裁判決では箇条書きの後ろに「(表現方法の要件)」等のかっこ書きで付加されたことを除けば、(一)(二)(三)の符号も含めて完全に同一表現である。また、これらの要件についての説示は、パックマン事件判決よりも大阪地裁判決の方が詳細であり、表現のレベルで類似しているわけではないが、少なくとも「表現方法の要件」及び「存在形式の要件」については、アイディアのレベルでかなり類似しているようにみえる。したがって、大阪地裁判決は、パックマン事件の裁判例に忠実に従ったものと考えられるが、上述のように、パックマン事件の裁判例としての歴史的役割は終了するから、2000年1月1日をもって、この大阪地裁判決は法的な根拠を失うことになる。

 なお、平成11年法では上映権については映画を特別扱いせず一般の著作物に適用されることになったが、頒布権(=譲渡権+貸与権)については、一般の著作物について消尽ありの譲渡権が新たに規定され、映画の著作物はそれから除外され、大阪地裁の判示のとおり消尽なしの頒布権のままに留まってしまっている。私としては、頒布権についても、一般の著作物と同様に扱うように著作権法を改正すべきであると考える。なぜなら、上映権さえあれば、映画の著作物は十分に保護されるのであり、映画の著作物だけに消尽なしの頒布権を規定する必要はないからである。たとえば、消費者に販売する映画のビデオテープが消尽ありの譲渡権で保護され、一度販売された後は、その後の販売は著作権者の許諾なしにできたとしても、そのようなビデオテープを公に上映する場合には、上映権によって禁止できるので、なんら問題はないと考えられる。

 また、2条1項19号は「頒布」について、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする。」と定義しており、一般の頒布の他に映画の著作物について特に「公衆に提示することを目的として」つまり公に上映することを目的とした映画の著作物の複製物の頒布を含むものとすると規定されている。この定義から見ても、映画だけの頒布権を廃止して、一般の頒布権によって保護した方が、販売用の映画のビデオテープの頒布は通常の著作物と同様に2条1項19号の前半で定義された頒布に該当し、公に上映することを目的とする頒布だけが2条1項19号の後半で特に映画の著作物について定義された頒布に該当するようになるので、条文間の整合性がよくなると考えられる。

 改正法の解説として文化庁著作権課の岸本御織江氏は、「コピイライト」1999.8.9号において、「・・・わが国においても一般的頒布権を規定することとしたものである。その一方で、著作物等(音楽CDや書籍など)の譲渡は、経済取引として日常的に大量・広範に行われているものであり、譲渡行為の全てについて譲渡権が及ぶこととなると著作権等の流通に大きな影響が生じるおそれがあることから、譲渡権の消尽・・・の規定を置き、権利の認められる範囲を制限することにより、権利の保護と円滑な流通の確保との調和を図ることとしている。」と述べておられる。販売用の映画のビデオテープやゲームソフトも、音楽CDや書籍と同様に、経済取引として日常的に大量・広範に行われているのであるから、これらについても消尽ありの頒布権の方が適切であると考えられる。

 そして、そのように改正すれば、映画の著作物だけを特別扱いにした日本の特殊な著作権法を、より普遍性の高い著作権法にすることができ、この事件のような法律の言葉尻をとらえたような訴訟が起こることもなくなるのである。

(2)動画と静止画
 平成11年法で上映権が一般的な著作物について保護されることになったから、たとえば、スライドを公に上映することも保護されることになり、2条1項17号で定義された「上映」はスライドのような静止画の上映をも含むことが明らかになったのである。なお、平成11年法で上映の定義に(公衆送信されるものを除く。)と規定されたのは、これまでは映画の著作物の固定要件でテレビが除かれていたのに対して、上映権が一般化し固定要件がなくなったので、かっこ書きでテレビを上映権から除いたと考えられる。

 大阪地裁判決の論理は、映画の一般的な意味や、劇場用映画の表現方法のほか、映画の著作物の2条1項18号の「上映」の定義を考え併せると、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているとは、動画及び音声をもって表現されている表現物と解するのが相当である、ゲームソフトにも種々のものがあるから個別具体的に判断すべきである、本件各ゲームソフトは全体が連続的な動画画像と効果音や背景音楽からなり、一般の映画に準じるような視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているから、本件各ゲームソフトは、著作権法2条3項にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものである、というものである。

 しかし、上述のように平成11年法によって、「上映」が動画だけの上映でなく、静止画の上映も含むものとなったと考えられるから、2条1項18号の「上映」が映画の著作物の上映であることを前提とした大阪地裁の論理は、この点でも妥当でなくなると考えられる。したがって、2000年1月1日以降については、大阪地裁判決の「本件各ゲームソフトは、著作権法上の『映画の著作物』に該当するものというべきである」という判示は根拠がないものとなるのである。

 また、上述のように、大阪地裁は、動画かどうかによって、映画の著作物かどうかを判別しているが、動画か静止画かという区別は、著作権法において、本質的なものとは考えられない。動画であっても静止画であっても、著作権法2条1項1号の「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であることは明らかであって、動画か静止画かを判別基準にして、著作権の保護が決定的に異なる映画の著作物かどうかを判断するのは妥当であるとは考えられない。

 これに対して、東京地裁の判断は、映画は上映を通じて多数の観客に対して同一の視聴覚的効果を与えるものであるのに対して、ゲームは多数人が同一の影像を一度に鑑賞するという利用形態には本質的になじまないというものであり、「上映を通じて多数の観客に対して同一の視聴覚的効果」かどうかを映画の著作物かどうかの判別基準としており、こちらは著作権の本質に関係した手法である。通常の製品と著作物の本質的な相違は、通常の製品が複製できないの対して、著作物は情報であるから安く簡単に複製できることである。そこで、著作者に複製権を与え、著作者の財産的権利を法的に保護しているのである。そして、通信技術により多数の場所に情報が転送され、複製と同様な効果が生じるから、公衆送信権が保護されるのである。また、上映技術によって多数の観客が同一の情報を見ることができ、複製と同様な効果が生じるから、上映権が保護されるのである。したがって、「上映を通じて多数の観客に対して同一の視聴覚的効果」かどうかで映画かどうかを判別している東京地裁の判断は、著作権の本質に基づいた判断であるので、より妥当な判断ということができるだろう。

 なお、映画の著作物かどうかの判別基準に「上映を通じて多数の観客に対して同一の視聴覚的効果」を使用すると、一見、消費者向けに販売する映画のビデオテープで問題が生じるようにみえる。しかし、消費者向けに販売する映画のビデオテープが映画であることは明らかであるから、当然に映画の著作物として保護されるので、問題はない。これに対して、ゲームソフトが映画ではないことは明らかであるが、著作権法2条3項の「この法律にいう『映画の著作物』には、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」の規定により映画の著作物に含まれるかどうかの判断においては、動画か静止画かという判別基準よりも、「上映を通じて多数の観客に対して同一の視聴覚的効果」という著作権の本質に基づいた判別基準を用いた方が、映画の著作物かどうかで著作権法の保護が決定的に相違することを考慮すると、妥当であるといえるだろう。

(3)法的判断と政策的判断
 大阪地裁は本件各ゲームソフトが消尽なしの頒布権で保護されていることの根拠の一つとして、「ゲームソフトは、多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、この点では劇場用映画に類似するものである」、「ゲームソフトについて、その投下資本の回収の多様な機会を与えることには合理性があり、これに対して頒布権を認めることも、劇場用映画と比較すればあながち不合理であるともいえない」旨判示している。しかし、この判示は法的判断といえるのだろうか?

 もし、著作権法が、「著作者は、多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作され、投下資本の回収の多様な機会を与えることに合理性がある著作物を、その複製物により頒布する権利を専有する」と規定しているとすれば、本件各ゲームソフトが「多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作され、投下資本の回収の多様な機会を与えることに合理性がある」ものであるという事実認定をし、頒布権について判断するのは、妥当な法的判断であると考えれる。

 しかし、現実の著作権法は、「著作者は、その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有する」旨規定しているのであるから、本件各ゲームソフトが映画の著作物であるかどうかの判断だけを行えばよかったのではないだろうか。たとえば、有名監督が多数の有名俳優を使い、巨額の費用と長い期間をかけて作成した映画であっても、中学生が友達を俳優として頼み、僅かな費用で短期間に作成した映画であっても、映画であれば、著作権法上の取り扱いは全く同じである。有名監督の作品も無名な中学生の作品も法のもとでは平等である。したがって、著作物を作成する費用とか、投下資本の回収の合理性とか、著作物の質とか、著作物の経済的価値とかは、著作権法の解釈に含めるべきではないのである。大阪地裁の判示は、裁判所の法的判断というよりも、政策的判断に近いのではないだろうか。

(4)日本と外国
 本件原告らが、この大阪地裁判決に勢いを得て、日本全国の中古ゲームショップに対して差止訴訟を起こし、全て勝訴すれば、日本国内ではゲームソフトの消尽なしの頒布権によって、中古ゲームソフトを日本中から排除するか、頒布権の許諾料で、著作権者は利益を得ることができるだろう。

 しかし、大阪地裁も認めているように、多くの国では、映画の著作物を含めて著作物一般について、頒布権を認める場合には、第一譲渡ないし公衆への最初の提供によって消尽するとの法制を採っており、我が国のように映画の著作物について消尽しない頒布権を認めているのは例外に属するから、日本と違って、外国の消費者は中古ゲームを自由に利用することができることになる。たとえば、Yahoo USAで「used game」で検索すれば、中古ゲームソフトを扱っているサイトを見つけることができる。そうすると、日本の消費者だけが中古ゲームソフトを全く使えないか、あるいは著作権者に対する頒布権許諾料を上乗せされた料金でゲームを利用するしかないことになり、国際的な不平等が生じることになる。

 もし、本件原告らが本気で中古ゲームの差止が正義にかなう著作権の行使に当たると考えるのであれば、本件原告らが考えるゲームソフトの消尽なしの頒布権を、ベルヌ条約、WIPO著作権条約等に組み込むよう働きかけるべきである。日本のゲームのハード、ソフトが世界に受け入れられていることを考えれば、ゲームソフトに関して国際的に受け入れられる普遍性のある法則を世界に提案することは、法的な国際貢献であり、望ましいことである。

 しかし、そのような世界に対する働きかけなしに、立場の弱い日本の中古ゲーム販売業者にのみ差止又は頒布権許諾料を求めるのであるとすれば、本件原告らは日本の特異な著作権法の規定の言葉尻をとらえ、弱いところからだけ利益を吸い上げようとしているに過ぎないのではないだろうか。

(5)新品と中古品
 本件訴訟は中古品(外観上、ユーザーにおいていったん遊技等の使用に供したと判断されるゲームソフトの複製物をいい、外観上パッケージが開封されているものを含む。)の頒布の差止及び廃棄を求めたものであり、大阪地裁は中古品である本件各ゲームソフトの差止及び廃棄を認容した。しかし、大阪地裁の「本件各ゲームソフトは、著作権法上の『映画の著作物』に該当するものというべきである」、「本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上は、著作権者である原告らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。」旨の判示は中古品であることが理由となっていないから、大阪地裁が判示した頒布権は新品のゲームソフトにも及ぶことになる。そして、本件被告は、中古ゲームばかりでなく、新品のゲームをも販売していることを考えると、中古ゲームだけに当てはまる理由なしに、中古ゲームだけを狙い撃ちにしたこのような原告らの主張及び大阪地裁の判示は正当な著作権の行使といえるかどうか疑問である。

 たとえば、原告らが各ゲームショップと、新品ゲームの頒布権だけを許諾する旨の契約を結んでいるとすれば、中古ゲームの販売は契約外の販売であるから、中古ゲームだけについて著作権に基づく差止を裁判所に対して請求することができると考えられる。しかし、判決にはそのような契約書があるとは記載されていない。最近のゲームソフトのパッケージには、「当社は本ソフトの無断複製・賃貸・中古販売は一切許可しておりません」と記載されているが、これが契約書に代わるものであるということだろうか。もし、そうであれば、判決にもこの点を記載し、新品ゲームの頒布には暗黙の許諾があるが、中古ゲームの頒布は許諾されていないから、著作権法に基づいて中古ゲームの販売だけを差し止める、とすべきであったのではないだろうか。もっとも、被告がこの点を主張していないとすれば、裁判所としても判断する必要はないのかもしれないが。

 もし、この判決のような著作権の行使が正当なものとして許されるとすれば、著作権者が指示した小売価格よりも安い新品ゲームソフトの販売の差止も求めることができることになる。この中古ゲームソフト事件の判決と同様な論理で、本件各ゲームソフトは多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作されたものであるから、投下資本の回収の機会を与えることに合理性があるとして、安売り新品ゲームソフトの販売を差し止めることができるはずである。しかし、この判決からほぼ1ヶ月後の11月11日の新聞各紙は、ゲームソフトの販売価格を指示したほか、中古品の販売や転売をしないよう要求し、従わない場合は取引を中止するなど、不公正な取引方法をしていた疑いで、本件原告の一社であるセガに公取委が立ち入り調査をしたことを報じている(ARTS)。
 
9.大阪高裁における控訴審

 この大阪地裁判決は大阪高裁の控訴審で再審理される。大阪高裁は上述のとおり、ときめきメモリアル事件で「本件ゲームソフトは『映画の著作物』に該当するものということができる。」と判示しているから、大阪地裁の判決は控訴審において支持されるようにもみえる。しかし、大阪高裁はさらに、「また、本件ゲームソフトのプログラムは『プログラムの著作物』にも該当する。そして、本件ゲームソフトにおいては、データに保存された影像や音声をプログラムによって読み取り再生した上、プレイヤーの主体的な参加によって初めてゲームの進行が図られる点で、『映画の著作物』と『プログラムの著作物』とが単に併存しているにすぎないものではなく、両者が相関連して『ゲーム映像』とでもいうべき複合的な性格の著作物を形成しているものと認めるのが相当である。」旨判示した。

 それでは、大阪高裁は、ゲームソフトは、映画の著作物、プログラムの著作物及びゲーム映像の著作物の3種類の著作物に該当すると判断したのであろうか。もしそうなら、映画の著作物でもあるのであるから、ゲームソフトに映画の著作物の頒布権が適用され、大阪地裁の判決は支持されることになる。

 そこで、まず、プログラムの著作物から検討すると、ゲームソフトのソースコードはC言語等のプログラム言語で表現されているので、画面に表示しても、ゲームの影像とは全く異なった表現である。また、オブジェクトコードは、アセンブリ言語で表示しても、16表示のダンプリストの形で表示しても、ゲームの画面とは異なった表現であることは明らかである。そして、同一表現のゲームソフトであるからといって、プログラムの表現が同一であるとは限らない。したがって、ゲームソフトは、影像及び音声に関連する映画の著作物及びゲーム映像の著作物とは別に、プログラムの著作物として保護されることは明らかである。

 そして、大阪高裁は、ゲームのインタラクティブ性を考慮して、まさにゲームソフトの影像及び音声のために、わざわざ著作権法10条1項に例示されていないゲーム映像の著作物を「創作」したのであるから、ゲームソフトは少なくともプログラムの著作物及びゲーム映像の著作物の二つの著作物に該当すると判断するはずである。そうすると、残りの問題は、大阪高裁が、ゲームの影像及び音声を、映画の著作物でも保護すると判断するかどうかである。

 ときめきメモリアル事件で、大阪高裁は、「本件において著作物として保護されるべき思想又は感情の創作的表現は、工夫された『ゲームバランス』に従って具体的にモニター画面に展開されるところの、本件ゲームソフトに内包された(多数ではあるけれども限定的に設定された)ストーリー(バーチャルな恋愛模様の表現)とその影像にあるというべきである。」、「初期設定は勿論、コマンドの選択に関連付けられた各能力項目の数値の加減は、本件ゲームソフトの本質的構成部分となっているもので、これを改変し無力化することは、それによる表現内容の変容をもたらすものというのが相当であり、本件ゲームソフトの著作物としての同一性保持権を侵害するものと解せられる。」と判示している。この判示は、ゲームソフトがゲーム映像の著作物であれば足りるのであるから、大阪高裁にとって、ゲームソフトが映画の著作物でなければならない必要性はないと考えられる。

 大阪高裁は、ときめきメモリアルのゲームソフトが映画の著作物に該当する根拠として、「本件ゲームソフトが再生機器を用いてモニターに各場面に応じて(連続的ではないとしても)変化する影像を映し出し、登場人物が当該場面に相応しい台詞を述べて一定のストーリーを展開している点」を挙げている。ゲームについて「一定のストーリー」というのはわかりにくいが、大阪高裁としては映画の著作物に結びつけるためにこのような表現を使用したと考えられる。しかし、実際には、ゲームは、映画のような1種類のストーリーではなく、ゲームの著作者が設計した範囲内の「一定のストーリー」、より正確に言えば、「ゲームの著作者が設計した範囲内の多様なストーリー」を展開するものである。

 そして、ときめきメモリアル事件の本件メモリカードを使用すると、誰でも憧れの女生徒から愛の告白を受けることができるから、著作者が作成した多様なストーリーを、1種類かごく少ない数のストーリーに変えてしまうことになり、それゆえゲームの同一性を改変することになるのではないだろうか(ただし、前述のように、私としては、これは違法ではないと考えている)。一方、映画は1種類のストーリーしかないから、ゲームが映画の著作物であったのでは、ときめきメモリアル事件を解決することができないのである。そこで、大阪高裁はゲーム映像の著作物を「創作」する必要があったのではないかと考えられる。したがって、「本件ゲームソフトは『映画の著作物』に該当するものということができる。」と大阪高裁が述べたのは、ゲーム映像の著作物を導き出すために、このような表現を使っただけではないだろうか。

 ところで、大阪地裁は中古ゲームソフト事件において、「ゲームソフトは、一般的に上映を目的として譲渡されるわけではなく、劇場用映画のように配給制度という流通形態をとるわけでもなく、多数の複製物が一般消費者に販売されるものである。このようなものについて、映画の著作物に該当するとの理由で、適法に複製された複製物がいったん流通に置かれ、一般消費者に譲渡された後にも、著作権者が消尽しない頒布権を行使して流通をコントロールする立場に立つことは、商品の自由な流通を阻害し、権利者に過大な保護を与えるように見えなくもない。」と、自らの判決に不合理な面があることを認めつつ、「ゲームソフトについて著作権者が消尽しない頒布権を有するとすることについては、立法論としては異論があり得ると思われる。しかし、当裁判所は、現行著作権法の解釈としては、右のように解するのが妥当であると判断するものである。」としているのである。

 これに対して、大阪高裁は、既に、ゲーム映像の著作物を「創作」しており、現行著作権法の解釈として、大阪地裁の解釈をとる必要性はないのである。したがって、大阪高裁が、中古ゲームソフト事件の控訴審において、わざわざゲームソフトが映画の著作物であるとして、不合理な結論を出すはずはない。

 大阪高裁が大阪地裁の判決を取り消すのはほぼ確実であると考えられる。



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