2004.02.22; 09.02.02  ↑UP 


職務発明事件と裁判所の認定判断

−青色発光ダイオード事件(日亜化学事件)、オリンパス事件、日立事件、味の素事件−
2004.02.22  
井 上 雅 夫   
       目       次
 1.はじめに
 2.将来の独占の利益の事実認定
 3.青色発光ダイオード事件で東京地裁が事実認定した予測
 4.東京地裁の予測の問題点
 5.オリンパス事件最高裁判決と東京高裁判決
 6.日立事件東京高裁判決とオリンパス事件最高裁判決
 7.オリンパス事件最高裁判決の法律判断
 8.特許法35条3項の条文解釈
 9.特許法35条2項、3項、4項からみた条文解釈
10.もし、合衆国最高裁がオリンパス事件の裁判を行ったとしたら
11.職務発明訴訟と攻撃防御
12.おわりに

 [5](アメリカにおける職務発明)
 [6](強行規定)
 [7](振動を続ける解)
 [8](青色発光ダイオード事件東京地裁判決の先例)
 [9](裁判官に高額判決の勇気を与えたと思われる著書)
 [10](発明後の使用者の貢献を考慮した味の素事件東京地裁判決)
 [11](職務発明訴訟の予防法)
 [18](東京地裁の事実認定と日経ビジネスの記事とウェブページ)
 [19](味の素事件は東京高裁で2割引で和解)
 [20](青色発光ダイオード事件は東京高裁で6億円で和解)
 [21](外国特許の職務発明に関する日立事件最高裁判決について)
 [22](職務発明の見直しの記事(2009.1.5)について)
 [23](特許法35条1項の改正私案)


1.はじめに
 「被告は、原告に対し、200億円・・・を支払え。」
 青色発光ダイオード事件で、東京地裁が2004年1月30日に言い 渡した判決の主文である。実際に東京地裁が認定した支払額は604億円であったが、原告の請求が200億円の内金請求であったため、東京地裁は原告の請求 額どおりの金額を言い渡したのである。もし、原告が604億円以上を請求し、それに見合った収入印紙を追納していれば、「被告は、原告に対し、604億 円・・・を支払え。」という判決が下ったことになる。原告は控訴審において請求額を604億円に変更することができるのであるから、
以 下、話を簡単にするために東京地裁が「604億円を支払え。」と判決したとして、話を進める。

 1992年に日本の2つの企業がアメリカの特許裁判で負け、それぞれ百数十億円と数十億円の損害賠償で和解したといわれている。その時に、アメリカで事 業を営む日本の企業は、アメリカの民事訴訟と陪審裁判の怖さに気づき、アメリカの民事訴訟の研究を始め、現在ではアメリカの民事訴訟に対応できるように なってきているはずである。ところが、今度は、この青色発光ダイオード事件東京地裁判決で、日本の企業は、日本の民事訴訟と裁判所の怖さを思い知らされた のである。

 この判決によって、日本の企業の経営者は、自社で優れた発明がなされることを、経営者の経営判断が及ばないリスクとして評価しなければならなくなったの である。なぜなら、経営者自らの経営判断で発明者への相当な対価を支払うことができず、裁判所が予想した被告会社が受けるべき利益と裁判所が認定した被告 会社の貢献度に基づいて裁判所が事実認定した相当な対価を、そのまま支払わざるを得ないからである。

 もし、この東京地裁判決がそのまま最高裁で支持され確定するとすれば、日本の企業は、自社で優れた発明がなされるリスクを回避するために、研究開発を いっさい止め、次の二つの方法のどちらかを取らなければならないだろう。(1)第1の方法は、研究開発に携わっている社員をアメリカの子会社に移し、社員 とアメリカ流の契約を結び、研究開発をさせる方法である。アメリカの特許法には日本の職務発明の規定に相当する規定がないから、このような判決を回避する ことができるのである。(2)第2の方法は、他社の研究者、開発者から契約によって特許を受ける権利または特許権を譲り受ける方法である。他社の研究者、 開発者は自社の従業者等ではないから、特許法35条の職務発明の規定が働かず、裁判所が契約を無視して相当な対価を支払えという判決を行うことはできない のである。また、契約によって特許を受ける権利または特許権を譲り受ける場合は、その対価が604億円であるとしても、その金額は経営者の経営判断に基づ くものであり、604億円が無駄金に終わるリスクはあるにしても、それは経営者としての経営責任の範囲内のリスクである。

 多くの日本の企業が第1の方法を選択した場合は、アメリカでの研究開発は進むとしても、日本国内での研究開発は急速に衰退することになる。また、多くの 日本の企業が第2の方法を選択した場合は、日本国内での研究開発は進むとしても、それは研究開発型企業によるものであり、製造業の企業での研究開発は停止 することになる。製造業の企業は製造のみを行い、研究開発型企業は研究開発のみを行うという産業構造ができあがることになる。

 特許法1条には、「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。」と規定されてい る。しかし、前述のように、この地裁判決が最高裁でそのまま確定することになれば、日本国内での研究開発が急速に衰退するか、あるいは、製造業の企業の社 内での研究開発が停止することになる。このような結果が特許法1条が目的とするものだろうか。青色発光ダイオード事件の地裁判決の事実認定と、その基礎と なるオリンパス事件最高裁判決の法律判断は、特許法1条に規定された特許法の目的にかなうものなのだろうか。

2.将来の独占の利益の事実認定
 青色発光ダイオード事件地裁判決で驚かされるのは、604億円の認 定額よりも、むしろ、この特許による被告会社(日亜化学工業)の将来の独占の利益を事実認定したことである。通常の特許権侵害訴訟では、裁判所が事実認定 するのは、過去の事実に関する原告が受けた損害の金額あるいは被告が得た不当利得の金額である。これらの金額を計算することは必ずしも簡単ではないとして も、過去の事実に関する金額の事実認定であるから、不自然さはない。しかし、この地裁判決では、被告会社の将来の利益の予測を事実認定したのである。交通 事故で寝たきりになった被害者の将来の入院費用のようなものであれば比較的正確に事実認定できるかもしれないが、会社の利益のような経済活動に関する将来 の予測を裁判官が正確に事実認定できるとはとても思えない。しかし、東京地裁はそれを行ったのである。

 東京地裁が将来の被告会社の独占の利益を事実認定したのは、特許法35条3項、4項に以下のように規定されているからである。
3 従業者等は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ たときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。

4 前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程 度を考慮して定めなければならない。
東京地裁は、4項の「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」を「その発明により使用者等が将来受ける利益の額」と解釈したと考えら れる。確かに、文言どおりに読めば、その解釈が正しいかもしれない。しかし、使用者が将来受ける利益の額の予測を裁判所が事実認定して、その認定した予測 金額に基づく相当の対価を今すぐ支払え、とは特許法35条3項、4項は規定してはいないのではないだろうか。

 通常の裁判官であれば、確実性を欠く可能性の高い、被告会社の将来の利益の予測を、事実認定するのは躊躇するだろうと考えられる。では、なぜ、この事件 の裁判官は将来の予測の事実認定を躊躇なく行えたのであろうか。それは、特許権侵害訴訟に精通した裁判官は、将来の独占の利益の計算に慣れているからであ る。

 民事訴訟では、訴状に収入印紙を貼付して裁判所に提出する。この収入印紙は裁判の手数料ということになる。損害賠償事件であれば損害賠償請求額を訴額と して、訴額に応じた収入印紙を訴状に貼付する。例えば、「100万円を支払え。」という請求であれば、訴額は100万円であり、収入印紙代は1万円であ る。「200億円を支払え。」という請求であれば、訴額は200億円であり、収入印紙代は2602万円である。「604億円を支払え。」という請求であれ ば、訴額は604億円であり、収入印紙代は6642万円である。このように金銭請求の場合は請求額つまり訴額が高ければ、収入印紙代つまり裁判の手数料も 高くなる[1]

 しかし、差止訴訟の場合は、「被告は、別紙物件目録記載の製品を製造し、販売してはならない。」という請求であり、金銭には関係ないので、訴額がいくら かわからず、その結果、いくらの収入印紙を貼付すればよいのかわからない。そこで、東京地裁の知的財産権部と大阪地裁の知的財産権専門部は、特許権に基づ く差止請求の訴額の算定基準を定め、公表している。差止訴訟の原告は、この算定基準によって計算した訴額に基づく金額の収入印紙を貼付して訴状を提出する と共に、その計算式を記載した訴額計算書を提出しなければならないのである。以下は、東京地裁の知的財産権部が公表している訴額の算定基準である。
な お、大阪地裁の知的財産権専門部の訴 額算定基準はインターネット上に公開されており、1.(5)に下記の東京地裁の算定基準と同じ計算方法が記載されている。
第2 知的財産権に基づく請求等の訴額の算定基準
 ・・・・
1.特許権,実用新案権,意匠権

 ・・・
(6)差止請求
 次のいずれかによる。
 @ 原告の訴え提起時の年間売上減少額×原告の訴え提起時の利益率×権利の残存年数×1/8
 A 被告の訴え提起時の年間売上推定額×被告の訴え提起時の推定利益率×権利の残存年数×1/8
 B (年間実施料相当額×権利の残存年数)−中間利息
後に詳細に説明するが、青色発光ダイオード事件で東京地裁が事実認定した将来の被告会社の独占の利益の計算方法は、Bの方法と同じである。

 前述のとおり、損害賠償請求事件や不当利得返還請求事件のような金銭請求の場合は、請求金額が高いほど、訴状に貼付する収入印紙の金額も高くなる。これ とバランスを取るためには、差止訴訟でも、差止による特許権者の利益、すなわち将来の独占の利益が大きければ収入印紙の金額が高くなるように決めるのは合 理的である。そして、上記の差止請求訴訟の算定基準は、多数の損害賠償請求事件、不当利得返還請求事件、差止請求事件を扱う東京地裁の知的財産権部と大阪 地裁の知的財産権専門部がそれらの請求のバランスを考慮して定めたものと推測できるから、この差止訴訟の訴額の算定基準は訴額計算の基準として妥当なもの であると考えられる。

 差止訴訟の訴額は、差止による独占の利益には違いないが、あくまで訴状に貼付する収入印紙の金額を決めるために便宜的に計算する訴訟物の価格である。金 銭請求の場合には、裁判所が原告の請求を認めた場合は、「
被告は、原告に対し、○○円を支払え。」と判決す る。そして、裁判所が原告の請求を全て認めた場合は、この○○円は訴額と同じ金額である。しかし、差止訴訟の場合には、裁判所が原告の請求を認めた場合 は、「被告は、別紙物件目録記載の製品を製造し、販売してはならない。」と判決する。したがって、裁判所が 差止訴訟の訴額に基づいて「被告は、原告に対し、○○円を支払え。」と判決することは絶対にないのである。

3.青色発光ダイオード事件で東京地裁が事実認定した予測
 東京地裁は過去分については原告と被告の証拠に基づいて、将来分については原告の証拠だけに基づいて計算している。被告は将来分については証拠を提出し ていないと考えられる。青色発光ダイオード事件東京地裁判決に記 載された独占の利益の計算方法は次のとおりである。なお、わかりやすくするために、判決から基本的な部分だけを抜粋した。【 】内は私のコメントである。
5 独占の利益の算定
 (1) 独占の利益算定の基準時
 被告会社が高輝度青色LED及びLDの市場における優位な立場を通じて得ている超過売上高を認定し,それにより被告会社が本件特許発 明を実施する権利を独占することによって得ている利益(独占の利益)を算定する。

 独占の利益は,特許権の存続期間満了までの間に使用者があげる超過売上高に基づく利益を指すが,勤務規則等に職務発明の対価の支払時 期が定められている場合には,特段の事情のない限り,独占の利益は,中間利息を控除して当該支払時期の時点における金額として算定するのが相当である。 【独占の利益=超過売上高から得る利益−中間利息】

 本件においては,独占の利益は,中間利息を控除して相当対価の最終支払時期である本件特許権の設定登録時(平成9年4月18日)にお ける金額として算定するのが相当である。【中間利息の控除とは、例えば10年後に支払う100万円を今の時点で100万円支払うとすれば、支払いを受けた 者は10年分の利息を得することになるから、その分の利息を控除することである。ここでは、支払時期を特許権の設定登録時である平成9年4月18日と認定 している。】

(2) 被告会社におけるGaN系LED及びGaN系LDの売上高
 ア GaN系LED【発光ダイオード】の売上高の算出
 青色LEDが市場に出始めた平成6年から平成14年までの被告会社のGaN系LEDの売上は,合計2398億5100万円である。 【これは過去についての事実認定である。以下は将来についての予測の事実認定である。】

 平成15年以降の売上については,@GaN系LEDの市場全体の成長率,A被告会社の市場占有率,及び,B被告会社の成長率を,下記 のとおり推測する。
                  上記@   同A    同B
    平成15年(2003年) 45.4% 52.2% 34%
    同 16年(2004年) 30.6% 49.8% 25%
    同 17年(2005年) 17.1% 47.4% 11%
    同 18年(2006年) 14.3% 44.9%  8%
    同 19年(2007年) 18.6% 42.5% 12%
    同 20年(2008年) 16.7% 40.1% 10%
    同 21年(2009年) 16.7% 37.7% 10%
    同 22年(2010年) 16.7% 35.2%  9%
 上記各数値は,平成7年から平成14年までの上記@ないしBの数値を基礎として推測したものである。すなわち,まず,上記@について は,LED業界で高い信用を得ている米国Strategies Unlimited社作成に係るレポート「Gallium Nitride−2003」に基づき,平成15年以降のGaN系LEDの市場規模を予測して算定したものである【Strategies Unlimited社のレポートにより@GaN系LEDの市場全体の成長率を予測】。そして,上記Aについては,被告会社の生産能力が市場の伸びに追いつ かない懸念,代替技術登場の可能性及び販売体制の制約等の事情を加味し,平成14年における被告会社の市場占有率が,本件特許権の存続期間満了年次である 平成22年までの間に,GaN系LEDが製品化されてからこれまでに被告会社が記録した最も低い市場占有率にまで逓減するというように被告会社の将来の市 場占有率を控えめに予測したものである【平成14年の市場占有率から平成22年にこれまでの最も低い被告会社の市場占有率に逓減するようA被告会社の市場 占有率を予測】。上記各予測数値は,本件において提出されている証拠上,最も控えめな予測数値であり,合理的なものと認められる【最も控えめな予測数値で あるからといって、合理的であるといえるはずがない。原告が提出した証拠の中で、最も被告に有利な予測数値であるというのが正しいと思う。】。

 そこで,上記各予測数値に基づいて算定したGaN系LEDの市場規模(市場全体の売上高)に被告会社の各年度の上記予想市場占有率を 乗じて,各年度ごとの被告会社の予想売上高を算出する【@とAから各年度の被告会社の予想売上高を予測】。

 本件特許権の設定登録時までに既に得られていた平成6年から同8年までの売上高については,これらを合計すると,60億4600万円 となる。【平成6年〜平成8年の被告会社の売上高(実績)。支払時期である平成9年4月18日以前であるから、これは中間利息を控除しない。】

 他方,平成9年から特許権存続期間満了年次である平成22年までに得られることが予測される各年度ごとの売上については,これをまず 複利計算により中間利息(年5分)を控除して平成9年(12月末日)現在の価値にひきなおした金額を合計した上,更に平成9年12月末日から上記基準時 (平成9年4月18日)までの間の中間利息を控除して,算定すべきこととなる。【ここで平成9年から平成22年までの各年度の被告会社の売上高(平成9年 〜14年は実績、平成15年〜22年は予測)から中間利息を控除する。中間利息は年度によって相違するから、各年度毎に計算しなければならない。そこで、 合計する前の各年度の段階で中間利息を計算する必要がある。そして、この段階では「各年度の被告会社の予想売上高」であり「年間実施料相当額」ではない が、この「各年度の被告会社の予想売上高」の段階で中間利息を控除しても、計算結果に違いは生じない。な お、この判決で2段階の中間利息の計算を行っているのは、裁判所が認定した支払時期(平成9年4月18日)までの中間利息を計算するために、まず、平成9 年12月末日までの中間利息の計算を行い、その後、平成9年4月18日から平成9年 12月末日までの間の257日分の中間利息を日割り計算で控除するという計算手法をとっためである。平成9年を日割り計算するのは、平成9年1月1日〜平 成9年4月18日までは、支払時期の前であるから中間利息を控除せず、平成9年4月19日〜平成9年12月末日までは支払時期の後であるから中間利息を控 除する必要があるためである。】

 平成9年以降の分についてまず平成9年12月末日現在の価値として上記の計算を施した上での,被告会社のGaN系LED売上高に関す る各年度ごとの数値は,これらの合計額は1兆1380億9394万円となる。【これが平成9年12月末における中間利息を控除した金額】

 これを更に本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日現在の価額として算定すると,1兆0993億8940万円となる。【これ が支払時期である平成9年4月18日における中間利息を控除した金額】

 そして,平成6年から同8年までの売上高合計60億4600万円に上記1兆0993億8940万円を加算した合計1兆1054億 3540万円が,GaN系LEDについて平成9年4月18日を基準とした相当対価を算出するための基礎となる売上高合計額となる。【これが発光ダイオード についての中間利息を控除した平成6年〜平成22年(特許権満了年)の被告会社の売上高の合計額(平成6年〜14年は実績、平成15年〜22年は予測)で ある。】

 イ GaN系LD【レーザダイオード】の売上高の算出

 GaN系LDについても,同様にして,前記米国Strategies Unlimited社作成に係るレポート「Gallium Nitride−2003」に基づいて,平成15年以降のGaN系LDの市場規模を予測する。

 平成15年から平成22年までの売上げ合計1067億9788万円について,本件特許権の設定登録時である平成9年4月18日現在の 価額として算定すると,1031億6587万円となる。【これがレーザダイオードについての中間利息を控除した平成15年〜平成22年(特許権満了年)の 被告会社の売上高の合計額(平成14年以前の実績なし、平成15年〜22年の予測)である。】

 ウ 小括

 以上によれば,平成9年4月18日を基準とした相当対価を算出するための基礎となる売上高合計額は,1兆2086億0127万円と認 められる。【これが発光ダイオードとレーザダイオードの両方についての中間利息を控除した平成6年〜平成22年(特許権満了年)の被告会社の売上高の合計 額(平成6年〜14年は実績、平成15年〜22年は予測)である。この売上高は実績と予測の両方を含むが、以下、話を簡単にするために私のコメント中では 「予想売上高」という。】

(3) 被告会社の独占の利益
 ア 被告会社の超過売上高
 次に,本件特許権により競業他社に本件特許発明の実施を禁止していることに起因する被告会社の超過売上高を認定する。すなわち,競業 他社に本件特許発明の実施を許諾していた場合に予想される売上高と比較して,被告会社がどれだけこれを上回る売上高を得ているかが問題となる。

 被告会社が,競業会社である豊田合成及びクリー社に対して,輝度のまさった高輝度青色LED及びLDを製造し続け,市場における優位 性を保っているのは,被告会社が本件特許発明を実施して半導体結晶膜を製造し,他方,本件特許権の存在により競業会社である豊田合成及びクリー社が本件特 許発明を用いて半導体結晶膜を製造することができないことに起因するものと認められる。

 イ 独占の利益の算定方法
 上記認定を前提として,本件特許権についての被告会社の独占の利益を算定することとなるが,その方法としては,@被告会社が上記超過 売上高から得る利益を算定する【独占の利益=超過売上高から得る利益−中間利息】,A豊田合成及びクリー社に本件特許発明の実施を許諾した場合を想定し て,その場合に得られる実施料収入により算定する【独占の利益=豊田合成及びクリー社に実施を許諾したと想定した場合の想定実施料収入−中間利息】,とい う2つの方法が考えられる。

 本件においては,@の方法をとるには証拠等が必ずしも十分とはいえないので,Aの方法により被告会社の独占の利益を算定することとす る。【この判断によって東京地裁は「独占の利益=豊田合成及びクリー社に実施を許諾したと想定した場合の想定実施料収入−中間利息」を採用した。上記の差 止請求の訴額の算定基準のBは「算定基準Bによる差止訴訟の訴額=(年間実施料相当額×権利の残存年数)−中間利息」である。ここで「年間実施料相当額」 というのは、実際の収入である「年間実施料」ではなく、差止が認められた結果の独占の利益を計算するための根拠となる、被告に実施を許諾したと想定した場 合の「年間実施料相当額」である。したがって、「年間実施料相当額×権利の残存年数」は「被告に実施を許諾したと想定した場合の想定実施料 収入」である。そうすると、「独占の利益=豊田合成及びクリー社に実施を許諾したと想定した場合の想定実施料収入−中間利息=(年間実施料相当額×権利の 残存年数)−中間利息=算定基準Bによる差止訴訟の訴額」であり、「独占の利益=算定基準Bによる差止訴訟の訴額」である。より正確にいうと、東京地裁が 事実認定した「独占の利益」は、被告会社が原告となって、豊田合成及びクリー社に対して差止訴訟を提起する時の訴額と完全に等しいのである。ただし、これ は将来の被告会社の独占の利益の予測であるから、真実の数値を出すことは不可能である。計算する人によって前提や仮定や想定が異なるはずであるから、計算 する人によって異なった数値になる。ちなみに、タイムマシンに乗って将来を見てきた人でも真実の数値を出すことはできない。なぜなら、豊 田合成及びクリー社から現実の実施料が、将来、支払われるわけではなく、もし、豊田合成とクリー社に実施許諾したことを想定したと したら、どれだけの想定実施料収入(実施料相当額)が見込めるかという架空の数値であり、それを独占の利益であるとしている だけだからである。】

 ウ 本件特許発明の実施料率
 仮に被告会社が本件特許発明の実施を競業会社である豊田合成及びクリー社に許諾していれば,上記(2)の売上高のうち少なくとも2分 の1に当たる製品は,豊田合成及びクリー社により販売されていたものと認められる。【豊田合成及びクリー社に実施を許諾したと想定した場合の豊田合成及び クリー社の想定売上高=被告会社の各年度の予想売上高の合計額×(1/2)】

 仮に豊田合成及びクリー社に本件特許発明の実施を許諾する場合の実施料率は,少なく見積もっても,販売額の20%を下回るものではな いと認められる。【豊田合成及びクリー社に実施を許諾したと想定した場合の想定実施料収入=被告会社の各年度の予想売上高の合計額×(1/2)×20%】

  エ 小括
 そうすると,仮に被告会社が本件特許発明の実施を競業会社である豊田合成及びクリー社に許諾していれば,上記(2)の売上高のうち少 なくとも2分の1に当たる製品は,豊田合成及びクリー社により販売されていたものであるから,実施料額算定の前提となる豊田合成及びクリー社の売上高とし ては,上記(2)の売上高の2分の1【豊田合成及びクリー社に実施許諾したと想定した場合の豊田合成及びクリー社の想定売上高=被告会社の各年度の予想売 上高の合計額×(1/2)】,すなわち,平成6年度から平成22年度までの,被告会社の青色LED及びLDに関する売上高及び予想売上高につき,平成9年 4月18日の時点の価値として計算した数値である1兆2086億0127万円の2分の1となる。したがって,上記の時点(平成9年4月18日)の価値とし て算定した実施料額は,これに本件特許発明の実施料率20%を乗じて得られた1208億6012万円となる。【独占の利益=豊田合成及びクリー社に実施許 諾したと想定した場合の想定実施料収入−中間利息=中間利息を控除した被告会社の各年度の予想売上高の合計額×(1/2)×20%】

 以上によれば,被告会社が本件特許発明を独占することにより得ている利益(独占の利益)は,1208億6012万円と認められる。
 裁判所は、このようにして独占の利益を1208億円6012万円と認定し、これに裁判所が認定した原告(発明者)の貢献度50%を乗じ て、相当対価の額として604億円3006万円を認定したのである。

 以上の東京地裁の計算は、差止訴訟の訴状に貼付する収入印紙の金額を決めるための訴額の計算としては極めて妥当な計算であると考えられる。しかし、以上 の東京地裁の将来の独占の利益の事実認定は、市場規模(市場全体の売上高)の予測の事実認定、被告会社の市場占有率の予測の事実認定、競業会社の豊田合成 及びクリー社に実施許諾したと想定した場合の豊田合成及びクリー社の想定売上高の事実認定、実施料率の事実認定、および、原告の貢献度の事実認定に基づく ものであり、
多数の経済活動に関する予測を含む事実認定である。この事実認定は将来 の事実に関する事実認定を含む事実認定であるから、前提や仮定や想定が異なれば、当然、異なった金額になる。

 さらに、東京地裁の将来の独占の利益の事実認定は
、豊田合成及びクリー社から、将来、実際に支払われるで あろう実施料を予測した事実認定でもない。もし、豊田合成とクリー社に実施許諾したことを想定したとしたら、将来、どれだけの想定実施料収 入が見込めるかという、将来の架空の実施料収入の金額の事実認定なのである。将来、被告会社が、東京地裁が 事実認定した想定実施料収入を豊田合成とクリー社から受けるわけではなく、被告会社の過去の 実績および将来の予測の売上高のうちの(1/2)×20%分が、原告が発明し被告会社が所有している特許による独占の利益であるという事実認定である。こ のような将来のかつ架空の「事実」認定によって、「604億円を支払え。」という判決を行うことが妥当であるかどうか疑問である。[9]

4.東京地裁の予測の問題点
 東京地裁の将来の利益の予測は差止訴訟の訴額の計算としては全く問題ない。なぜなら、差止訴訟の訴状に貼付する収入印紙の金額は訴額の1%〜0.1%で あるから、その収入印紙の金額はそのような訴訟を行う会社にとって無視し得る金額であるからである。例えば、訴額が604億円であると、訴状に貼付する収 入印紙の金額は6642万円であり、その金額の収入印紙を訴状に貼っても、その会社の経済活動にはほとんど影響することはないので、訴額計算の前提になっ たその会社の市場占有率に変動を及ぼす恐れはないからである。

 ところが、上記の計算に基づいて、「604億円を支払え。」という判決を行った場合は状況が全く異なるのである。なぜなら、被告会社である日亜化学工業 の2002年12月期の税務上の利益に相当する申告所得は465億円であるから[2]、被告会社が604億円を支 払うとすると、被告会社の経営に大きな影響を与えることは明らかで、研究開発投資、設備投資等を大幅に削減しなければならなくなるからである。そうする と、研究開発投資、設備投資等の大幅削減にともない被告会社の市場占有率も相当低下するはずである。したがって、東京地裁が認定した上記の表のA被告会社 の市場占有率の予測値は変更されなければならないはずである。

 東京地裁は「上記Aについては,被告会社の生産能力が市場の伸びに追いつかない懸念,代替技術登場の可能性及び販売体制の制約等の事情を加味し,・・・ 予測したものである。」と述べているが、判決には、被告会社が604億円を支払うことによる研究開発投資、設備投資等の削減を加味したとは記載されていな いから、東京地裁の予測には、この判決による604億円の支払いは加味されていないと考えられる。したがって、この判決の被告会社の独占の利益の予想は、 被告会社が604億円を支払うことによる研究開発投資、設備投資等の削減による市場占有率の低下を加味して、上記の表のA被告会社の市場占有率を書き換え て再計算しなければならないことになる。そして、そのようにAを書き換えて再計算した結果の金額が出たとして、その金額に基づいて被告会社に支払いを命じ たとすると、今度はその金額の支払いによって、再び、上記の表のA被告会社の市場占有率を書き換えなければならなくなり、結局、計算の無限ループに陥るこ とになる。

 これは、被告会社の経済活動の将来の予測値から、被告会社に支払いを命じる金額を計算したからである。被告会社が裁判所の判決に基づいて金銭を支払うの も経済活動の一環であり、かつ、その金額が被告会社の経済活動に対して無視し得ない金額であるから、それによって、支払い金額の根拠となった被告会社の経 済活動の予測に影響が及び、無限ループに陥ってしまうのである。

 東京地裁の計算は、米国Strategies Unlimited社作成のレポートに基づき将来の市場規模を予測し、被告会社の市場占有率を平成22年までの間に現在の市場占有率からこれまでに被告会 社が記録した最も低い市場占有率にまで逓減するとして予測し、予測した市場規模に予測した被告会社の市場占有率を乗じて、被告会社の予想売上高を1兆 2086億0127万円と計算し、豊田合成及びクリー社に実施許諾したと想定した場合の豊田合成とクリー社の合計の想定売上高を被告会社の予想売上高の 1/2として6043億0063万円とし、それに実施料率20%を乗じて1208億6012万円(独占の利益)を得て、これに発明者の貢献度50%を乗じ て604億3006億円(相当の対価)を得たのである。

 被告会社の604億円の支払いによる研究開発投資、設備投資等の削減による市場占有率の低下を計算に組み入れると、被告会社の予想売上高が低下する。そ して、豊田合成とクリー社に実施許諾したと想定した場合の豊田合成とクリー社の合計の想定売上高を被告会社の予想売上高の1/2としているから、被告会社 の予想売上高の低下にともない豊田合成とクリー社の想定売上高も低下することになる。そうすると、想定実施料収入も低下し、被告会社が命じられる支払額も 低下することになる。すなわち、東京地裁の計算方法に、被告会社の604億円の支払いによる研究開発投資、設備投資等の削減による市場占有率の低下を組み 入れると、被告会社の予想売上高が低下し、それにともない豊田合成とクリー社の想定売上高も低下し、想定実施料収入も低下し、その結果、被告会社の独占の 利益も低下し、裁判所が被告会社に命ずる相当の対価も低下する。

 そうすると、今度は604億円より低額の支払いを裁判所は命じることになる。そうすると、それにより、再び、被告会社の市場占有率が変動するから、再 び、計算を行わなければならなくなるのである。これを続けていくと、ある一定の金額に収束するか、金額が上がったり下がったりの振動を続けるかのどちらか になるはずである。どちらになるのかは、前提や仮定や想定による[7]

 この計算方法は、差止訴訟の訴状に貼付する収入印紙の金額を決めるために便宜的に使用するのには全く問題ない。なぜなら、前述のように差止訴訟の訴額 が、例えば604億円であるとしても、訴状に貼付する収入印紙の金額は6642万円であるから、計算の前提になった市場占有率にほとんど影響を与えないか らである。しかし、この計算方法で「604億円を支払え。」という判決を行った場合は、その巨額の支払いにより、計算の前提になった被告会社の市場占有率 が大きな影響を受け、それにより競業会社の経済活動も影響を受け、またそれにより様々な経済活動に影響が生じるのである。東京高裁が採用した計算方法は、 差止訴訟の手数料を決めるための計算としては適切であるが、「604億円を支払え。」と判決するための計算方法としては適切かどうか疑問である。

5.オリンパス事件最高裁判決と東京高裁判決
 青色発光ダイオード事件東京地裁判決において、将来の予測を事実認定したのは東京地裁のオリジナル[8]である が、
職務発明についての法律判断はオリンパ ス事件最高裁判決に基づいていると考えられるので、以下、オリンパス事件について検討する。オリンパス事件は、オリンパス光学工業を被告とする職 務発明事件であり、最高裁は、職務規程の争点と消滅時効の争点で上告受理申立を受理し、東京高裁判決の結論を支持している。

 オリンパス事件の最高裁判決と原審の東京高裁判決を法律判断の字数で対比すると、最高裁判決の職務規程の争点についての法律判断の字数は1196字であ るのに対して、東京高裁判決の職務規程の争点についての法律判断の字数は3426字であり、事実審の東京高裁判決の法律判断の字数の方が、法律審の最高裁 判決の法律判断の字数よりも多いのである。

 最高裁判決の法律判断東京高裁判決の法律判断をもう少し詳しくみてみると、東京高裁判 決は当事者らに納得させようとする姿勢が伺えるが、最高裁判決は文字数も少なく、極めてあっさりした法律判断で、当事者らに納得させようとする姿勢がみら れないように、私には見える。しかし、逆に、東京高裁判決は、「特許法35条3項,4項は,強行規定であるから,上記定めが,これらに反することができな いことは明らかである(就業規則に関する労働基準法92条1項参照)。」、「「相当の対価」の具体的な額を,当該権利に関する義務者である使用者等が一方 的に定め得るとすれば,それは,法律上,むしろ異様な状態というべきである。」、「強行法規に違反する取扱いが事実上行われてきたことを示すにすぎず,」 等の記載もあり、私としては反論したくなるような点が少なくないのである。一方、最高裁判決は、あまりにあっさりした内容なので、異論を差し挟む余地がな いように、私には見えるのである。

 私は最高裁判決と東京高裁判決を読んだ時に上記のような印象を持ったのであるが、それは単なる私の印象だけではなかったようである。ジュリスト、 2003年9月1日号の「時の判例」の欄で、最高裁判所調査官がオリンパス事件の最高裁判決について解説しておられる[3]。 この解説には、「・・・現行法の解釈論としては、異論の少ないところと思われる。」、「強行法規とみる見解は労働者保護の観点を重視するようであるが、特 許法35条が会社役員等にも適用されることに照らすと、異論もあり得よう。以上の点は、本判決・・・の射程範囲をどうみるか・・・にも関係し、今後の課題 となると解される。」、「職務発明については、近年、社会的な関心が高まっており、法改正を含めて広く議論されている。本判決は、現行法の下における最高 裁の解釈を示したものとして、重要な意義を有するものと思われる。」等の記載がある。結局、最高裁判決は、東京高裁の法律判断から異論がありそうな部分を 全て削除して、異論の少ない法律判断をして、東京高裁判決の結論だけを支持したもののようである。つまり、最高裁は現行法についての明確な法律判断を避 け、問題解決を法改正等に預けたように見えるのである。

 しかし、2004年2月11日の日本経済新聞の特許法改正案国会提出の記事には、「改正案でも「合理性」の基準はあいまい。紛争回避の抜本策を盛り込め ないまま見切り発車した。」と記載されており[4]、司法、立法、行政の全てが問題解決を先送し、あるいは他者ま かせにしているように見えるのである。

6.日立事件東京高裁判決とオリンパス事件最高裁判決
 青色発光ダイオード事件について東京地裁が判決した1月30日の前日の1月29日に、日立製作所を被告とした職務発明事件(以下、日立事件という。)に ついての東京高裁判決がなされている。日立事件東京高裁判決の裁判 長は、オリンパス事件東京高裁判決の裁判長と同じである。日立事件 の東京高裁判決は職務規程の争点に関しては、オリンパス事件最高裁判決をそのまま引用して法律判断を行っている。しかし、日立事件東京高裁判決は、日立事 件に特有な問題である職務発明に係る外国の特許を受ける権利の争点に 関する法律判断の中で、次のように判示しているのである。
(ア)特許法35条3項及び4項は,・・・と規定する。この規定は,従業者と使用者との間の職務発明に係る譲渡契 約の対価を強行法規により定めることによって,従業者と使用者との間の雇用契約上の利害関係の調整を図り,これにより「発明の保護及び利用 を図ることにより,発明を奨励し,もって産業の発達に寄与することを目的とする。」(特許法1条)との特許法の目的を達成しようとするものである。このよ うに,特許法35条は,特許法中に規定されているとはいえ,我が国における従業者と使用者との間の雇用契約上の利害関係の調整を図る強行法規で ある点に注目すると,特許法を構成すると同時に労働法規としての意味をも有する規定であるということができる。職務発明についての規 定がこのようなものであるとすると,職務発明の譲渡についての「相当の対価」は,外国の特許を受ける権利等に関するものも含めて,使用者と従業者 が属する国の産業政策に基づき決定された法律により一元的に決定されるべき事柄であり,当該特許が登録される各国の特許法を準拠法として決定されるべき事 柄ではないことが明らかである。
 この日立事件の東京高裁判決は、オリンパス事件の東京高裁判決と同様に、あるいは、より明確に「強行法規」、「労働法規」について言及 し、「職務発明についての規定がこのようなものであるとすると,」「「相当の対価」は,外国の特許を受ける権利等に関するものも含めて,使用者と従業者が 属する国の産業政策に基づき決定された法律により一元的に決定されるべき事柄であ」るという法律判断をしているのである。

 しかし、昨年の4月22日のオリンパス事件最高裁判決の法律判断では、異論が出そうな「強行法規」、「労働法規」の用語はきれいに削除されているのであ る。オリンパス事件最高裁判決は、職務規程の争点に ついて、次のように記載している。【 】内は私のコメントである。
第1 事案の概要
1 ・・・
2 ・・・
3 原審は,以上の事実関係の下で,次のとおり判断し,・・・被上告人の請求を認容すべきものとした。
 (1)職務発明について使用者等が定めた勤務規則その他の定めにより算出された対価の額が,特許法35条3項,4項所定の相当の対価 に満たない場合には,従業者等は,上記定めに基づき使用者等が算出した額に拘束されることなく,上記各項による相当の対価を請求することができる。
 (2) ・・・

第2 上告代理人大場正成,同鈴木修,同大平茂の上告受理申立て理由第1について
1 【ここに職務規程の争点に関する最高裁の法律判断が記載されている。「強行法規」、「労働法規」の用語は含まれていない。なお、こ こに記載された最高裁の法律判断については、後に詳細に検討する。】
2 ・・・
3 原審の上記第1の3(1)の判断は,以上の趣旨をいうものとして,是認することができる。・・・
 結局、最高裁は東京高裁判決を、「強行法規」、「労働法規」を含まない第1の3(1)に記載したように要約し、その要約した東京高裁の法 律判断が第2、1に記載した「強行法規」、「労働法規」を含まない最高裁の法律判断と同じ趣旨であると述べているのである。

 そして、最高裁判所調査官が書かれた前述の「時の判例」には次のように記載されている
[3]
・・・2審が特許法35条3項・4項は強行規定である旨を・・・判示したのに対し、本判決は、いま だ職務発明がなされておらず、承継されるべき特許を受ける権利の内容や価値が具体化する前に、あらかじめ対価の額を確定的に定めることはできないな どと判示するにとどまっている。・・・強行規定であるとすると、発明された後に会社と従業員が特許を受ける権利の継承の対価につき 契約したときでも、従業員は相当の対価に達するまでの請求権を失わないのか、従業員から会社への特許を受ける権利の贈与も認められないのかなどと いった疑問が生じ得る強行法規とみる見解は労働者保護の観点を重視するようであるが、特許法35条が会社役員等にも適用されるこ とに照らすと、異論もあり得よう。
この記載からみて、最高裁は、オリンパス事件において、異論がありそうな「強行法規」、「労働法規」の用語を意図的に削除して、東京高裁判 決の結論だけを支持したと考えられるのである。

 しかし、前述のように、オリンパス事件東京高裁判決の裁判長と同じ裁判長による日立事件東京高裁判決は、再び、「強行法規」、「労働法規」について言及 し、「職務発明についての規定がこのようなものであるとすると」、相当の対価は外国の特許を受ける権利も含む、旨の法律判断を行っているのである。オリン パス事件最高裁判決は、原審の東京高裁の裁判長に、最高裁の意図を伝えることに失敗したのではないだろうか。オリンパス事件最高裁判決は、「現行法の解釈 論としては、異論の少ない」ことを目指して書かれたためか、あまりにもあっさりしすぎており、異論は少ないとしても、説得力も乏しく、原審の高裁の裁判長 さえ説得できなかったのである。

7.オリンパス事件最高裁判決の法律判断
 ここで、オリンパス事件最高裁判決の職務規程に関 する法律判断の内容について検討する。最高裁は次のように判示している。【 】内は私のコメントである。
1 【まず、35条の一般的な説明である】特許法35条は,職務発明について特許を受ける権利が当該発明をした従 業者等に原始的に帰属することを前提に(同法29条1項参照),職務発明について特許を受ける権利及び特許権(以下「特許を受ける権利等」という。)の帰 属及びその利用に関して,使用者等と従業者等のそれぞれの利益を保護するとともに,両者間の利害を調整することを図った規定である。【以下の(1)〜 (4)はそれぞれ35条1〜4項の説明である】すなわち,(1)使用者等が従業者等の職務発明に関する特許権について通常実施権を有すること(同法35条 1項),(2)従業者等がした発明のうち職務発明以外のものについては,あらかじめ使用者等に特許を受ける権利等を承継させることを定めた条項が無効とさ れること(同条2項),その反対解釈として,職務発明については,そのような条項が有効とされること【この2項の反対解釈が、下記の「これによれば」につ づき、結論を導く】,(3)従業者等は,【実際の特許法35条3項には、この部分に「契約、勤務規則その他の定により、」が記載されているが、最高裁はこ の記載を削除してしまった!】職務発明について使用者等に特許を受ける権利等を承継させたときは,相当の対価の支払を受ける権利を有すること(同条3 項),(4)その対価の額は,その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明につき使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならないこと (同条4項)などを規定している。これによれば【(2)の2項の反対解釈が「これ」に相当する】,使用者等は,職務発明について特許を受ける権利等を使用 者等に承継させる意思を従業者等が有しているか否かにかかわりなく,使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定め(以下「勤務規則等」という。)にお いて,特許を受ける権利等が使用者等に承継される旨の条項を設けておくことができるのであり,また,その承継について対価を支払う旨及び対価の額,支払時 期等を定めることも妨げられることがないということができる。しかし,【以下に述べられていることは、特許法の条文解釈ではなく、最高裁が独自に考えたこ とである】いまだ職務発明がされておらず,承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に,あらかじめ対価の額を確定的に定めることがで きないことは明らかであって,上述した同条の趣旨及び規定内容に照らしても【上述した規定内容のうち(3)は実際の3項の規定から「契約、勤務規則その他 の定により、」を削除したものである】,これが許容されていると解することはできない【ここで、2項の反対解釈、最高裁が独自に考えたこと、および、3項 の規定から「契約、勤務規則その他の定により、」を削除した「規定内容」から、「あらかじめ対価の額を確定的に決めることができない」という結論を得てい る】。【以下は、既に得た結論を3項、4項に適用しているだけで、3項、4項の条文解釈は行っていない。】換言すると,勤務規則等に定められた対価は,こ れが同条3項,4項所定の相当の対価の一部に当たると解し得ることは格別,それが直ちに相当の対価の全部に当たるとみることはできないのであり,その対価 の額が同条4項の趣旨・内容に合致して初めて同条3項,4項所定の相当の対価に当たると解することができるのである。したがって,勤務規則等により職務発 明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させた従業者等は,当該勤務規則等に,使用者等が従業者等に対して支払うべき対価に関する条項がある場合に おいても,これによる対価の額が同条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは,同条3項の規定に基づき,その不足する額に相当する対価の支 払を求めることができると解するのが相当である。
 最高裁は、(3)の3項の説示の部分で、「契約、勤務規則その他の定により、」を削除してしまったのである。そして、(1)〜(4)は最 高裁が35条1項〜4項の規定を説示している部分であるから、最高裁は現実の特許法35条3項から「契約、勤務規則その他の定により、」を削除した「従業 者等は、職務発明について使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対 価の支払を受ける権利を有する。」という架空の特許法35条3項を用いて、法律判断を行ったことになる。信じられないことであるが、上記の法律判断を詳細 に分析すると、そのようにしか理解できないのである。

 一方、(2)で2項を説示した後、2項の反対解釈を行っている。(2)の内容を反対にすれば、「従業者等がした発明のうち職務発明については,あらかじ め使用者等に特許を受ける権利等を承継させることを定めた条項が有効とされること」となる。したがって、この2項の反対解釈が、「これによれば」の「こ れ」に当たり、2項の反対解釈から、「これによれば、使用者等は,職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させる意思を従業者等が有している か否かにかかわりなく,使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定め(以下「勤務規則等」という。)において,特許を受ける権利等が使用者等に承継さ れる旨の条項を設けておくことができるのであり,また,その承継について対価を支払う旨及び対価の額,支払時期等を定めることも妨げられることがないとい うことができる。」という判断を導いている。

 次に、「しかし,いまだ職務発明がされておらず,承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に,あらかじめ対価の額を確定的に定める ことができないことは明らかであって,」という判断をしているが、これは条文解釈ではなく、条文とは無関係に最高裁が独自に考えたことである。

 次に、「上述した同条の趣旨及び規定内容に照らしても」と述べている。この「上述した同条の趣旨」は、冒頭の「特許法35条は,職務発明について特許を 受ける権利が当該発明をした従業者等に原始的に帰属することを前提に(同法29条1項参照),職務発明について特許を受ける権利及び特許権(以下「特許を 受ける権利等」という。)の帰属及びその利用に関して,使用者等と従業者等のそれぞれの利益を保護するとともに,両者間の利害を調整することを図った規定 である。」のことであると考えられる。また、「上述した・・・規定内容」は、(1)〜(4)のことであると考えられるが、(3)は実際の3項の規定から 「契約、勤務規則その他の定により、」を削除したものであるから、最高裁は、上述の趣旨と、「従業者等は、職務発明について使用者等に特許 を受ける権利若しくは特許権を承継させ、又は使用者等のため専用実施権を設定したときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。」という架空の3項を有 する架空の特許法35条に照らして、その後に述べる判断をしたことになる。

 そして、「これが許容されていると解することはできない。」と判断している。「これ」とは少し前に記載された「いまだ職務発明がされておらず,承継され るべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に,あらかじめ対価の額を確定的に定めること」であるから、最高裁は、2項の反対解釈、最高裁が独自 に考えた
「いまだ職務発明がされておらず,承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に,あらかじめ対価の額を 確定的に定めることができない」ということ、冒頭に記載した趣旨、および、3項の規定から「契約、勤務規則その他の定により、」を 削除した「規定内容」に基づいて、「いまだ職務発明がされておらず,承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に,あらかじめ対価の額 を確定的に定めることは許されない」という結論を得ている[6]

 次に、「換言すると」と述べていることから明らかなように、これ以降、既に出された結論を、3項、4項に適用していくのである。まず、「勤務規則等に定 められた対価は,これが同条3項,4項所定の相当の対価の一部に当たると解し得ることは格別,」と判断する。次に、「それが直ちに相当の対価の全部に当た るとみることはできないのであり,その対価の額が同条4項の趣旨・内容に合致して初めて同条3項,4項所定の相当の対価に当たると解することができるので ある。」と判断している。これは既になされた「あらかじめ対価の額を確定的に定めることは許されない」という結論から、3項、4項の「相当の対価」につい て判断を導いているのであり、3項、4項の条文解釈に基づく法律判断を行っているわけではない。

 次に、「したがって,勤務規則等により職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させた従業者等は,当該勤務規則等に,使用者等が従業者等に 対して支払うべき対価に関する条項がある場合においても,これによる対価の額が同条4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは,同条3項の規 定に基づき,その不足する額に相当する対価の支払を求めることができると解するのが相当である。」と述べている。これは、これまで判断してきたことのまと めであり、ここにおいても、3項、4項の条文解釈に基づく法律判断は行っていない。

 これを書いていている私自身にとっても信じがたいことであるが、最高裁の法律判断は、3項から「契約、勤務規則その他の定により、」を削除した架空の特 許法35条についての法律判断である。しかも、最高裁は、2項の反対解釈から、3項、4項を飛び越して、結論を導きだすことによって、35条3項、4項の 条文解釈に基づく法律判断を回避しているのである。最高裁は、3項の「契約、勤務規則その他の定により、」を削除した上に、更に、2項の反対解釈から、
3 項を飛び越して、結論を得ているのである。最高裁は、よほど、3項の「契約、勤務規則その他の定により、」が嫌いなようである。

 しかし、35条3項、4項の条文解釈こそが、職務発明に関する法律判断の根幹をなすものであり、その中で3項の「契約、勤務規則その他の定により、」の 解釈こそが最も重要なのである。そこで、以下、現実の特許法35条3項、4項について検討する。

8.特許法35条3項の条文解釈
 特許法35条3項は次のように規定している。
3 従業者等は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権 利・・・を承継させ・・・たときは、相当の対価の支払を受ける権利を有する。
ここで、問題となるのが、最高裁が削除してしまった「契約、勤務規則その他の定により、」が、次の「職務発明について使用者等に特許を受け る権利・・・を承継させ・・・たときは」だけにかかるのか、それとも、「相当の対価の支払を受ける権利を有する」にもかかるのかである。この解釈が結論に 重要な影響を与えるのである。したがって、職務発明に関する法律判断で、この条文解釈を欠かすことはできないのである。

 最高裁はこの条文解釈を回避したが、原審の東京高裁はこ れについての判断を次のように行っている。【 】内は私のコメントである。
 上記条項【35条3項】は,職務発明に係る特許権等の承継等を生じさせるものとして,従業者等の意思を必須の要 素とする「契約」と並んで,従業者等の意思を要素としない「勤務規則その他の定」を明確に定めているから,使用者等が,従業者等の意思いかんにかかわら ず,「勤務規則その他の定」により,一方的に承継等を生じさせることは,文言上,明らかである。しかし,同条項の「契約,勤務規則その他の定により」がか かるのが,「承継させ」・・・のみであることは,構文上明らかというべきであるから【東京高裁は「構文上明らかというべき」と述べているだけで、詳しい説 明は行っていない】,同条項の文言を、一審被告の上記解釈の根拠とすることは不可能である。同条項は,「従業者等は,・・・承継させ・・・た ときは,相当の対価の支払を受ける権利を有する。」として,従業者等は,その意思によるにせよ,その意思に反してであるにせよ,職務発明に係る特許権等の 承継等があったときには,「相当の対価」の支払を受ける「権利」を有することを明瞭に定めている【権利に「 」をつけ「権利」として、強調している】。こ のように,従業者等に「権利」として支払を受けることの認められた「相当の対価」の具体的な額を,当該権利に関する義務者である使用者等が一方的に定め得 るとすれば,それは,法律上,むしろ異様な状態というべきである。
 ・・・
 ・・・一審被告が主張するように,日本企業の多くがこれまで社内規定により相当の対価の額を一方的に定め,どのような場合にもそれ以 上の請求はできないとしていた実態があるとしても,それは,強行法規に違反する取扱いが事実上行われてきたことを示すにすぎず,そのことは,何ら,上記解 釈を採ることの妨げとなるものではない。
 東京高裁は、35条3項について、「「契約,勤務規則その他の定により」がかかるのが,「承継させ」・・・のみであることは,構文上明ら かというべきであるから,同条項の文言を、一審被告の上記解釈の根拠とすることは不可能である。」と述べている。しかし、私としては、3項の「契約,勤務 規則その他の定により」が前半だけにかかり、後半にはかからないことが構文上明らかであるとは、到底考えられないのである。日本語の構文からはどちらであ るのか判断はつかないのではないかと思う。むしろ、「日本企業の多くがこれまで社内規定により相当の対価の額を一方的に定め,どのような場合にもそれ以上 の請求はできないとしていた実態がある」ということは、日本企業の多くが、35条3項の「契約,勤務規則その他の定により」は後半にもかかると解釈したか らではないだろうか。

 より詳しくみると、東京高裁は「構文上明らかというべきである」と述べており、「構文上明らかである」と述べているのではない。東京高裁 は「というべきである」と述べているのである。つまり、「契約,勤務規則その他の定により」が前半のみにかかることが、構文上自然に出てくるのではなく、 「構文上明らかというべきである」、すなわち、「構文上明らかであるといわなければならない」と判示しているのである。そして、東京高裁 は、「同条項は,・・・「相当の対価」の支払を受ける「権利」を有することを明瞭に定めている。従業者等に「権利」として支払を受けることの認められた 「相当の対価」の具体的な額を,当該権利に関する義務者である使用者等が一方的に定め得るとすれば,それは,法律上,むしろ異様な状態というべきであ る。」と述べ、日本企業の実態について、「それは,強行法規に違反する取扱いが事実上行われてきたことを示すにすぎず,」と述べている。

 裁判官は、「権利」という用語から極めて強い印象を受けるのではないだろうか。だからこそ、権利を「 」でくくって「権利」と述べているのだと考えられ る。「この「権利」が目に入らぬか。」といいたいのだろうと思う。だからこそ、「法律上,むしろ異様な状態というべきである。」、「強行法規に違反する取 扱いが事実上行われてきたことを示すにすぎず」というような極めて強い表現を使っているのではないかと考える。法律の専門家の裁判官には、35条3項は、 「従業者等は、・・・相当の対価の支払を受ける権利を有する。」と見えるのだろうと思う。そして、「・・・」の部分に「契約、勤務規則その他の定により、 職務発明について使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ・・・たときは、」が書き添えられているに過ぎないと見えるのだと思う。だからこそ、裁判官 にとっては「構文上明らかというべきである」ということになるのだろう。しかし、法律の専門家ではない日本の企業は、裁判官のようには考えないから、東京 高裁に「強行法規に違反する取扱いが事実上行われてきたことを示すにすぎず」と断定されたことをやり続けてきたのではないだろうか。

 私は、技術系の人間であり、ある程度法律はわかるが、法律の専門家ではない。したがって、法律の専門家としての東京高裁の構文解釈に同意することはでき ない。私には、「権利」という用語に強い思い入れはないから、「契約、勤務規則その他の定により、」が後半にもかかるとしても、何の不自然さも感じないの である。ただし、3項だけでは、必ず後半にもかかり、前半だけにかかることは絶対ない、とまではいいきれない。

9.特許法35条2項、3項、4項からみた条文解釈
 そこで、3項だけでなく、2項、4項を含めて検討する。以下に、35条2項〜4項を示す。
2 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権 利・・・を承継させ・・・ることを定めた契約、勤務規則その他のの条項は、無効とする。

3  従業者等は、契約、勤務規則その他のにより、職務発明について使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ・・・たときは、相当の 対価の支払を受ける権利を有する。


4  前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければ ならない

2項〜4項を眺めてみると、2項に「定めた」「定」があり、3項に「定」があり、4項に「定めなければならない」がある。これらの「定」 は、動詞の場合と名詞の場合がある。

 2項では、「・・・を定めた契約、勤務規則その他の定の条項は、無効とする。」と規定している。ここで、「契約、勤務規則その他の定」の意味は、「その 他の定」と規定しているのであるから、その前の「契約」、「勤務規則」も「定」であり、それ以外に「その他の定」も含むという意味である。すなわち、 「・・・を定めた契約の定の条項、勤務規定の定の条項、その他の定の条項は、無効とする。」という意味である。2項は、契約の定の条項、勤務規定の定の条 項、その他の定の条項に、・・・を定めた場合は、その定のその条項は無効であるという意味である。したがって、動詞の「定めた」は名詞の「定の条項」にか かるのであり、「定の条項」と規定しているのは、その定全体が無効ではなく、その定の「・・・を定めた」「定めの条項」だけが無効であると規定しているの である。したがって、各条項まで考慮しなくてよいとすれば、動詞の「定めた」は「定」すなわち「契約、勤務規則その他の定」にかかるのである。

 3項の「契約、勤務規則その他の定により、」も同じように、「契約の定、勤務規定の定、その他の定により、」という意味である。2項では、無効とすると いう規定であるから、無効にする部分だけを特定するために、「定めの条項」と規定したのであるが、3項では、無効にするという規定ではないから、特に条項 を指定する必要がなく、単に「定」と規定していると考えられる。

 そして、4項には「・・・定めなければならない」と動詞で規定されている。2項では、動詞の「定めた」が名詞の「定」にかかったのであるから、4項の動 詞の「定めなければならない」がかかる名詞の「定」があるはずである。そして、4項の冒頭には、「前項の対価の額は」と規定されているのであるから、4項 は、前項すなわち3項に関する規定であり、3項には名詞の「契約、勤務規則その他の定」があるのであるから、4項の動詞の「・・・定めなければならない」 は、3項の「契約、勤務規則その他の定」にかかることは明らかである。したがって、3項の「契約、勤務規則その他の定」に、「対価の額は、その発明により 使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければならない」(4項)のである。つまり、3項の 「契約の定、勤務規定の定、その他の定」の中には、相当の対価が定められているのである。そして、4項は「前項(3項)の対価の額は、・・・定めなければ ならない。」と規定しているが、この「対価」は3項の後半の「・・・相当の対価の支払いを受ける権利を有する。」の「対価」を意味してお り、前述のように、「契約、勤務規則その他の定」には相当の対価が定められているのであるから、「契約、勤務規則その他の定により、」は、後半の「相当の 対価の支払を受ける権利を有する。」にもかかることは明らかである。したがって、3項を、より明確に記載すると、次に示す3’項になる。
2 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権 利・・・承継させ・・・ることを定めた契約、勤務規則その他の定の条項は、無効とする。

3’ 従業者等は、契約、勤務規則その他の定により、職務発明について使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ・・・たときは、契 約、勤務規則その他の定により、相当の対価の支払を受ける権利を有する。

4 前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定 めなければならない。
3項だけを見いていたのでは、「契約、勤務規則その他の定により、」が前半だけにかかるのか、後半にもかかるのかがはっきりしなかったが、 このように2項〜4項を眺めてみれば、簡単に結論が出るのである。すなわち、従業者は、契約、勤務規則その他の定により、相当の対価の支払を受ける権利を 有するのである。

 一方、オリンパス事件の最高裁の法律判断がどのようなものかは、「7.オリンパス事件最高裁判決の法律判断」に記載したが、最高裁の法律判断によれば、 2項、3項、4項は次に示す2”項、3”項、4”項に書き換えられたことになると考えられる。

2” 従業者等がした発明については、その発明が職務発明である場合を除き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権 利・・・承継させ・・・ることを定めた契約、勤務規則その他の定の条項は、無効とする。使用者等は、職務発明について特許を受ける権利等を使用者等 に承継させる意思を従業者等が有しているか否かにかかわりなく、使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定め(以下「勤務規則等」という。)におい て、特許を受ける権利等が使用者等に承継される旨の条項を設けておくことができ、また、その承継について対価を支払う旨及び対価の額、支払時期等を定める ことも妨げられることはない。ただし、あらかじめ対価の額を確定的に定めることはできない。当該勤務規則等に、使用者等が従業者等に対して支払うべき対価 に関する条項がある場合においても、これによる対価の額が4項の規定に従って定められる対価の額に満たないときは、3項の規定に基づき、その不足する額に 相当する対価の支払を求めることができる。

3” 従業者等は、職務発明について使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ・・・たときは、相当の対価の支払を受 ける権利を有する。

4” 前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して、 事後的に使用者等と従業者等が定めなければならず、争いがあるときは裁判所が定めなければならない。
最高裁は、2項の反対解釈から結論に達しているので、2”項には、多くの内容が付加されるこ とになる。そして、3”項からは「契約、勤務規則その他の定により、」が削除されることになる。

 そして、2”項に記載したように、最高裁は、「あらかじめ対価の額を確定的に定めることはできない。」、「対価の額が4項の規定に従って定められる対価 の額に満たないときは、その不足する額に相当する対価の支払を求めることができる。」と法律判断しており、これは、事後的に使用者等と従業者等で「4項の 規定に従って定められる対価の額」を定めなければならないという意味であると考えられる。もし、使用者等と従業者等に対価の額について争いがあれば、裁判 所が「4項の規定に従って定められる対価の額」を定めることになる。したがって、4”項は「・・・事後的に使用者等と従業者等が定めなければなら ず、争いがあるときは裁判所が定めなければならない。」となる。

 特許法は、国会が制定した制定法である。最高裁(司法府)が、立法府が制定した特許法をこれほど自由にいじってしまってよいのだろうか。私は、これまで 数年間アメリカの判決を翻訳してきた。アメリカの膨大な判決のごく一部を翻訳しただけであるが、私が翻訳したアメリカの判決には、議会が制定した制定法 を、オリンパス事件最高裁判決のように自由にいじった判決はなかった。アメリカは判例法主義国であるから、制定法がなければ、裁判所が自由に判例法を形成 するが、議会が制定した制定法がある場合は、議会が制定した制定法を尊重し、その制定法を極めて厳密に解釈する。アメリカは三権分立であるから当然のこと だと思う。日本も三権分立といわれているが、オリンパス事件最高裁判決を見ていると、そうでもないのかもしれないと思えるのである。最高裁のように特許法 をいじらなくても、私がやったように、2項〜4項を冷静に見渡せば、前述の3’項のように解釈できるのである。私の解釈は、最高裁とは違い、国会が制定し た特許法を尊重した解釈である。

 最高裁によれば、あらかじめ対価の額を確定的に定めることはできない。しかし、私の解釈によれば、「従業者等は、・・・契約、勤務規則その他の定 により、相当の対価の支払を受ける権利を有する。」のであり、「定」というものは、あらかじめ定めたものであることは明らかである。そして、4項 には、「前項の対価の額は、・・・定めなければならない」と規定されており、前述のように、3項の「契約、勤務規定その他の定」に定めなければならないの であるから、契約、勤務規定その他の定により相当の対価の額をあらかじめ確定的に定めているのである。これは当然のことであり、世の中の常識とも一致す る。例えば、野球選手やサッカー選手は高額な報酬を得るが、これも契約、勤務規定その他の定によってあらかじめ確定的に報酬が決められているのである(時 に、成績によって報酬が変動する契約を結ぶ場合があるかもしれないが、その場合でも変動することが確定的に決められているのである)。野球選手やサッカー 選手が予想外の大活躍して球団に予想以上の利益をもたらしたとしても、事後的に裁判所に訴えて、裁判所が、「被告は、原告に対し、○○円を支払え。」と判 決することはありえないのである。あらかじめ対価の額を確定的に定めておかず、単に「対価を支払う」とのみ定めて、事後的に対価の額を決めるという方法を とれば、多数の紛争が起きるのは明らかであるから、契約、勤務規定その他の定によってあらかじめ確定的に報酬を決めるという方法が、世の中で普通に行われ ているのである。

 ただし、私の解釈でも、次に、4項の解釈をしなければならない。既に述べたように、オリンパス事件最高裁判決によって、特許法35条2項、3項、4項 は、
2”項、3”項、4”項に書き換えられたが、その最高裁判決に基づいて判断した例えば青色発光ダイオード事件の東京地裁によれ ば、4”項は、更に、次に示す4'''項に書き換えられたことになる。
4''' 前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度のみを考慮 して、事後的に使用者等と従業者等が定めなければならず、争いがあるときは裁判所が定めなければならない。
 しかし、現実の特許法35条4項は次のとおりである。
4  前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなけ ればならない。
現実の特許法35条4項は、「・・・を考慮して」と規定しているのであり、 「考慮」とは「そのことをよく考えてみること」(岩波国語辞典)であるから、「考慮して定めなければならない」は「よく考えてみて 定めなければならない」ということである。しかも、現実の4項には、上記の4'''項のように「・・・の みを考慮して、」とは規定していないのであり、また、「それ以外を考慮して定めてはならない」とも規定されていないのであ る。したがって、使用者等は、勤務規則を定めるために必要なその他のことも当然考慮してよいのである。ただし、「その発明により使 用者等が受けるべき利益の額」と「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度は必ず考慮しなければ ならないのである。[10]

 青色発光ダイオード事件では、出願補償と登録補償しか行っておらず、これらは
1件につき1万円の補償金であるから、会社が受ける 利益や会社が貢献した程度をよく考えてみることなく、勤務規則が定められたと推測できる。し たがって、被告の日亜化学の勤務規則が4項に違反していると判断されても仕方がないかもしれない。しかし、オリンパス事件では、被告のオリンパス光学工業 の勤務規則は、出願補償、登録補償の外に、100万円の上限はあるとしても工業所有権収入取得時補償を定めているのである。100万円の上限のある工業所 有権収入取得時補償は、会社が受ける利益と、会社が貢献した程度と、その他の勤務規定を決める際に必要なことを、よく考えてみて定められた ものであると推測できる。そうすると、この会社の勤務規則は、裁判所によって書き換えられた上記の特許法35条4'''項には違反するかもしれないが、現 実の特許法35条4項は満たしていることになるのではないだろうか。また、日立事件の被告の日立製作所の勤務規則にも実績補償が定められているから、同様 である。

 前述のように、オリンパス事件の東京高裁は、「日本企業の多くがこれまで社内規定により相当の対価の額を一方的に 定め,どのような場合にもそれ以上の請求はできないとしていた実態があるとしても,それは,強行法規に違反する取扱いが事実上行われてきたことを示すにす ぎず」と説示している。これは東京高裁が、4'''項のように書き換えた特許法に照らして判断したからではないだろうか。しかし、 現実の特許法35条4項は裁判所によって書き換えられた特許法ではなく、「前項の対価の額は、・・・を考慮して定め なければならない。」というものである。仮に、現実の特許法35条4項が東京高裁が2度も判示したように「強行規定」であるとして も、法律が強行している内容は、「前項の対価の額は、・・・をよく考えてみて定 めなければならない。」というものであるから、特許法35条4項に従って、よく考えてみて契約、勤務規則そ の他の定を定めればよいのであって、東京高裁が判示した結論が得られるはずがないのである。少なくとも、オリンパス事件および日立 事件の東京高裁は、被告会社の勤務規定が対価の額は・・・を よく考えてみて定められたものであるかどうかの事実認定を行わなければならなかったのではないだろうか。結局、現 実の特許法35条4項に照らして判断するとすれば、日本企業の多くがこれまで社内規定により相当の対価の額を一方的に定め,どの ような場合にもそれ以上の請求はできないとしていた実態」は、適法であるといえるのではないだろうか。

10.もし、合衆国最高裁がオリンパス事件の裁判を行ったとしたら
 私は、1年半前に、「米国判例の翻訳と日米判例の対比」と題する講演を 行い、その講演の後半で日米の最高裁判決の対比を行ったことがある。図1(A)はその時使った図である。
 
図1(A)は、日米の最高裁判決の数値データによる対比である。日本側は1998年のボールスプライン事件、アメリカ側は2002年のFESTO事件である。判示事項はどちらも均等論と禁反言であり、詳細は違うが、基本的 には同じような内容である。日本のボールスプライン事件では、判決の法律判断の部分の字数は1252字である。制定法の引用数は3箇条であり、判例の引用 件数は0件である。これに対して、アメリカのFESTO事件では法律判断の字数は8937字(翻訳文の字数)である。日本のボールスプライン事件に比べ て、何倍かの字数がある。制定法の引用数が5箇条、判例の引用数が10件である。この数字を比較しただけでも、日本が制定法主義でありアメリカが判例法主 義であることがわかる。

 図1(B)に、オリンパス事件最高裁判決の数値データを示す。法律判断の字数は、職務規程の争点と消滅時効の争点を合わせて、1637字である。条文の 引用数は2箇条(項数で計算すると5項)で、判例の引用数は0件である。結局、数値データで比較すると、オリンパス事件最高裁判決とボールスプライン事件 最高裁判決は類似しており、これらと合衆国最高裁判決とは、数値データだけからみても、かなり異なることがわかる。

 講演では、日米の最高裁判決の法律判断の違いを次のようにして説明した。まず、日本のボールスプライン事件最高裁判決の法律判断の一部を読み上げた後、「多分、お分かりになった方は一人もいらっしゃら ないのではないかと思います。」と述べたのである。もし、オリンパス事件最高裁判決の法律判断を読み上げたとしても、同じだったと思う。

 次に、アメリカのFESTO事件最高裁判決の法律判断(翻訳文)の一部を読 み上げた後、「お聞きいただければ、日本の判例とアメリカの判例はずいぶん雰囲気が違うことがお分かりいただけると思います。日本の場合には非常にコンパ クトにまとまっておりますが、ちょっと聞いたり読んだりしたくらいでは理解できません。解析しないと分からないわけです。ところがアメリカの判例ですと、 分かりやすい言葉でしかもたくさんの判例が引用されています。これまでの様々な事件で裁判官がそれぞれ考えたことが引用されて、この判決の中に出てきま す。均等論というものを様々な裁判官がいろいろな角度で見たこと、それがこの1つの判決のなかに出てくるわけです。ですから、それを読んでおりますと、1 つ1つの言葉は忘れてしまっても、均等論というものはどのような考えなのかということが、我々の頭のなかに残ってくるのではないか思います。この点が、日 本とアメリカの違いです。」と述べたのである。

 アメリカの特許法には、日本の特許法35条(職務発明)に相当する規定はないから、オリンパス事件最高裁判決と対比する合衆国最高裁判決はない。そこ で、もし、アメリカの合衆国最高裁が、日本の特許法と日本の判例に基づいて、オリンパス事件の裁判を行ったとしたら、どのような判決になるのかを推測して みよう。

 オリンパス事件の東京高裁は、「特許法35条3項,4項は,強行規定であるから,上記定めが,これらに反することができないことは明らかである(就業規 則に関する労働基準法92条1項参照)。したがって,上記定めにより算出された対価の額が,特許法35条3項,4項にいう相当の対価に足りないと認められ る場合には,・・・従業者等は,上記定めに基づき使用者等の算出した額に拘束されることなく,同項による「相当な対価」を使用者等に請求することができる ものと解すべきである。」と判示している。

 もし、これを原審とする上告事件を合衆国最高裁が日本の法律と判例に基づいて審理したと仮定すれば、合衆国最高裁の判決は次のようなものになるのではな いだろうか。まず、日本の民法の基本原理の一つである契約自由の原則と強行規定に関する判例をいくつか引用して、契約自由の原則と強行規定がどのような関 係にあり、どのような場合に強行規定とされるのかを説示することになるだろう。次に、合衆国最高裁は、労働基準法92条「就業規則は、法令又は当該事業場 について適用される労働協約に反してはならない。」を引用し
、また、特許法1条「この法律は、発明の保護及び利用を図ることによ り、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。」を引用し、更に、これらに関連する判例を引用して、特許法と労働基準法の関係を説示す ることになるだろう。また、著作権法1条「この法律は、著作物・・・に関し著作者の権利・・・を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作 者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」を引用し、特許法の目的と類似していることを説示し、しかし、著作権法において は、特許法35条(職務発明)に対応した規定はなく、むしろ、著作権法15条1項に「法人その他使用者・・・の発意に基づきその法人等の業務に従事する者 が職務上作成する著作物・・・で、その法人等が自己の著作の名義の下に公表するものの著作者は、その作成の時における契約、勤務規則その他に別段の定めが ない限り、その法人等とする。」と規定されていることを指摘して、従業者等が、職務に属する発明を行った場合と、職務上作成する著作物を作成した場合にお いて、使用者等と従業者等の関係が本質的に違うものであるかどうかについて説示するかもしれない。

 そして、その上で、国会が制定した特許法35条3項、4項の厳密な条文解釈を行うことになるだろう。前述のように、日本の最高裁は特許法35条3項から 「
契約、勤務規則その他の定により、」を削除した上で法律判断を行ったが、合衆国最高裁は、立法府である国 会が制定した特許法35条3項から「契約、勤務規則その他の定により、」を削除する ようなことは絶対に行わず、逆に、契約、勤務規則その他の定により、」、 「職務発明について使用者等に特許を受ける権利・・・を承継させ・・・たときは、」だけにかかるのか、「相当の対価の支払を受ける 権利を有する。」にもかかるのかを、詳細に審理するだろう。4項については、何に「・・・を考慮して定めなければならない」 のか、また、「考慮して」はどのようなことを意味しているのかを詳細に審理して、法律判断を行うだろう
 このような合衆国最高裁判決であれば、特許法や労働基準法の専門家でなくでも、法律に多少でも興味を持っている人であれば、誰でも理解できるのではない だろうか。

11.職務発明訴訟と攻撃防御
 通常の特許権侵害訴訟においては、原告(特許権者)は、被告の製品が原告の特許を侵害していると主張し、立証する。これに対して、被告は、被告の製品は 原告の特許を侵害していないと主張する。また、被告は原告の特許は無効であることが明らかであるから原告の特許権侵害の主張は権利濫用であると抗弁するこ とも少なくない。さらに、被告は特許庁に無効審判を請求し、特許庁において原告の特許を無効とすることもできる。このように、通常の特許権侵害訴訟におい ては、原告の権利侵害の主張に対して、被告は様々な方法で防御することができるのである。そして、特許の明細書というものは被告が徹底的に検討すれば、様 々な弱点を見いだすことができるのが普通である。出願時に、将来、特許権侵害訴訟が起こることを予測して完璧な明細書を作成したつもりでも、実際に特許権 侵害訴訟が起こった時点で、被告側が社運をかけて多人数で徹底的に検討すれば、弱点は見つかるものなのである。したがって、被告は、原告の明細書の弱点を 突いて、原告による侵害の立証に反論したり、権利濫用の抗弁をしたりすることができるのである。そして、裁判官は、英語ではジャッジということからも明ら かなように、原告被告のどちらが勝ちかを決める審判であり、裁判官は原告被告間で展開される攻撃防御を見て、どちらが勝ちかを決めるのである。被告側に様 々な防御の手段があり、裁判所が被告を勝ちと判決することも少なくないからこそ、特許権者の利益と公衆の利益のバランスが保たれ、それによって特許法1条 でいう「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与する」という特許法の目的が達成されるのであると、私は考えている。

 ところが、職務発明訴訟では、通常の特許権侵害訴訟とは全く異なった様相を呈するのである。職務発明訴訟では、原告は元社員の発明者である。一方、被告 は原告がかつて勤務していた会社であり、特許権者である。通常の特許権侵害訴訟では特許権者である会社と発明者である社員はどちらも原告側であり、協力し て、他社の特許権侵害を攻撃する。しかし、職務発明訴訟では、本来であれば利害が一致し、同じ側に立つべき発明者と特許権者が、原告と被告に分かれ、裁判 官の前で攻撃防御を行うのである。被告会社は特許権者であるにもかかわらず、被告の立場に立たされ、元社員である発明者からの攻撃に対して防御しなければ ならないのである。本来は攻撃する立場の特許権者である被告会社が、原告である発明者からの攻撃に対して防御するということは極めて困難なことなのであ る。

 原告である発明者としては、被告会社は原告の発明に基づく特許権によって利益を得ていると主張する。これに対する被告会社の防御としては、その特許に よって利益を得ていないと主張すればよい。そのためには、その特許は無効であるとか、その特許は実際に実施されている技術とは違うというようなことを主張 すればよい。つまり、通常の特許権侵害訴訟における被告が主張することと同じことを主張すればよいのである。既に述べたように、明細書には弱点はあるはず であるから、通常の特許権侵害訴訟では、被告は明細書の弱点を突いて防御することになる。職務発明訴訟においても、明細書には弱点はあるはずである。しか し、職務発明訴訟においては、自分の特許の明細書の弱点を自分で突いて、自分の特許が無効であるとか、自分の特許が実際に実施されている技術とは違うとか を主張するのであり、極めてやりにくいのである。しかし、それしか被告会社には防御するすべがないのである。したがって、職務発明訴訟においては、原告の 元社員は被告会社を自由に攻撃できるが、被告会社はほとんど防御できないことになる。このように、職務発明訴訟においては、民事訴訟の攻撃防御の仕組み が、正常に機能しないのである。

 日本の会社における発明者の立場は弱いから、日本の特許法に35条(職務発明)の規定は必要であるという意見がある。会社内での発明者の立場が弱いのは そのとおりかもしれないが、一度、特許法35条に基づいて職務発明訴訟を起こせば、発明者は被告会社に対して、圧倒的に強い立場に立つである。ほとんど防 御のすべのない被告会社を自由に攻撃できるからである。このような原告被告間の攻撃防御を見ている裁判官は、原告側が圧倒的に勝っているという心証を形成 するに違いないのである。

 青色発光ダイオード事件東京地裁判決において、被告会社は「原告の発明に係るツーフロー方式は,・・・を必須の要件とするものであったが,特許請求の範 囲にはこの点に関する要件が開示されておらず,明細書の記載だけをみると,未完成発明というべきものであった。・・・本件特許権が設定登録される直前の平 成9年4月15日以後は,被告会社が保有するすべてのMOCVD装置につき,本件特許発明とは別個の技術思想に基づく発明である被告現方法を実施して,高 輝度青色LED及びLDの全製品を製造している。」と主張した。これに対して、東京地裁は、「特許権者である被告自身が,本件特許発明を未完成発明 であるとして,本件特許の有効性を疑問視するような主張をする真意は必ずしも明らかでないが,・・・本件明細書の記載に不備があるとも認められな い。・・・本件特許発明は,その特許出願の当時において,「産業上利用することができる発明」(特許法29条1項柱書)として完成していたものであり,か つ,本件明細書の記載にも欠けるところはないもの(同法36条4項1号参照)と認められる。したがって,この点に関する被告の主張は採用できない。」と判 示しているのである。

 東京地裁が「特許権者である被告自身が,本件特許発明を未完成発明であるとして,本件特許の有効性を疑問視するような主張をする真意は必ずしも明らかで ないが・・・」と述べていることからみて、被告会社が自分自身の特許の弱点を主張したことによって、むしろ、東京地裁は被告会社に疑念をいただき、被告会 社に、より不利な心証を形成したものと考えられる。スポーツの試合にたとえると、審判が被告の防御を反則と判定したようなものである。

 もし、この事件の被告会社が、原告として他社に対して特許権侵害訴訟を提起した場合は全く異なった状況となる。その特許権侵害事件の被告が、この職務発 明事件の被告会社が主張したのと全く同じように、未完成発明であるとか、別個の技術思想に基づく発明を実施しているとかを主張した場合に、裁判所はそれを 受け入れ、被告の勝ちにするかもしれないのである。あるいは、安い金額で和解させるかもしれないのである。特許権侵害訴訟では、被告が原告の明細書の弱点 を突くのは正当な防御であり、反則とされることはあり得ないからである。通常の特許権侵害訴訟と職務発明訴訟では、被告が全く同じ主張をしたとしても、裁 判官の心証は正反対になる可能性が高いのである。それは、通常の特許権侵害訴訟においては民事訴訟の仕組みが正常に機能するのに対して、職務発明訴訟では 民事訴訟の仕組みが正常に機能しないからである。[11][22]

12.おわりに
 私は、これまで特許事件、著作権事件を中心に、日米の判決を読んできたが、そのなかには、疑問に思う判決もなくはなかった。しかし、ここで取り上げた判 決ほど問題点を明確に指摘できた判決は、これまで読んだことがない。これは、前述のように、職務発明訴訟においては民事訴訟の攻撃防御の仕組みが正常に機 能していないからだと考える。通常の裁判では、原告被告の攻撃防御が拮抗するので、裁判所は両当事者の主張立証を詳細に審理して判決するのだろう。しか し、職務発明事件では、民事訴訟の攻撃防御の仕組みが正常に機能しないため、裁判所の心証が圧倒的に原告側に傾いてしまい、両当事者の主張立証を詳細に審 理することなく、判決してしまうのではないだろうか。

 したがって、解決策は一つしかないと考える。特許法35条(職務発明)の廃止である。35条を存続させたまま改正しても意味はない。なぜなら、民事訴訟 の仕組みが正常に機能しないのであるから、正常な判例法が形成される可能性はないからである。

 日本の特許法35条は特許制度に必須のものでも、必要なものでもない。アメリカの特許法にはこのような条文はないのであり[5]、 しかも、アメリカは世界的にみて発明や技術革新のレベルの高い国である。特許法35条が日本の科学技術の発展に貢献するとは思えない。また、職務発明訴訟 は一種の内輪もめであり、このような内輪もめに、貴重な特許裁判の資源を浪費するのは、無駄である。

 日本では、発明者の立場が弱いから、日本には特許法35条が必要であるという意見があるかもしれない。しかし、特許法35条と判例によって、日本全国の 企業の発明者の処遇を一律に規制し、しかも、発明者である元従業者と特許権者である被告会社が裁判で争うことを奨励することが、「この法律は、発明の保護 及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。」という特許法1条の目的に合致するとは思えない。

 むしろ、多様性が必要である。発明者に成果に応じて高額の報酬を与える会社があってもよいだろうし、年功序列型の会社もあってもよいと思う。発明者も自 分に合った会社を選べばよいのである。もし、日本に適当な会社がなかったら自分に合った特許制度を持つ国に行けばよいのである。多様性があった方が、特許 法1条の目的にかなうと思う。その方が、技術動向が変わっても、その時々の技術動向に合った会社と発明者が成功をおさめることができるからである。

 解決策はただ一つ、特許法35条の廃止しかないのである。





  2004.03.30.11   ↑UP  職務発明事件と裁判 所の認定判断↑     日立事件最高裁判決について<New


特許法35条(職務発明)の改正案について

2004.03.30   
井 上 雅 夫    
     目  次
 1.はじめに
 2.報告書「職務発明制度の在り方について」
 3.改正案の4項について
 4.改正案の5項について
 5.味の素事件東京地裁判決改 正案の5項
 6.合理/不合理
 7.労働法規
 8.産業構造審議会知的財産政策 部会
 9.諸外国の報奨金等
10.報奨金と対価
11.おわりに
 
  [12](経過措置)
  [13](日付順の表)
  [14](味の素事件の裁判官は改正案の5項を解釈)
  [15](会議が次の週だったら)
  [16](相当の対価の支払いとストックオプション)
  [17](企業と大学では事情が全く異なる)

1.はじめに
  特許庁は
、2003年10月24日に特許制度小委員会報告書「職務発明制度の在り方について」(案)を公表し、パブ リックコメントを募集した。その後、2004年1月29日に開催された産業構造審議会知的財産政策部会で、この報告書が知的財産政 策部会の報告書として決定され、特許庁は2004年2月10日に特 許法35条の改正を含む特許法改正案を公表している[13]。 そこで、報告書と改正案を検討し、改正法施行後に、職務発明訴訟がどのようになるのかを予想してみたい。

2.報告書「職務発明制度の在り方について」
 2004年1月29日の産 業構造審議会知的財産政策部会(中山信弘部会長で 決定された報告書「職 務発明制度の在り方について」の冒頭(6頁)には、次のように記載されている。
 知的財産立国を実現し、産業競争力を強化するためには、イノベーションを生み出す人材の確保とこれを活かすシス テムを構築することが極めて重要である。このシステムの中核をなす知的創造サイクル(知的財産再生産の好循環)は、知的財産の創造活動から始まる。このた め、我が国の豊富な研究人材の発明意欲を、今まで以上に刺激することが必要である。・・・職務発明の活性化のためには、まず何よりもこうした職務発 明の担い手に対して、更なる研究開発、発明に向けたインセンティブを付与することが必要である。他方、職務発明は、発明活動に直接従事する研究者 のみによって成し遂げられるわけではなく、研究者を雇用する企業や大学等による研究開発資金やリスクの負担の上に成り立つものであることもまた当然であ る。したがって、職務発明の活性化のためには、併せて、こうした資金やリスクの担い手である企業や大学等に対しても、研究開発投資を増大させるよう なインセンティブを付与することが必要である。
これを要約すると、何よりも、職務発明の担い手に対しインセンティブを付与することが必要であり、併せて、企業や大学等に対してもインセン ティブを付与することが必要である、となる。前半部分は、産業構造審議会知的財産政策部会の部会長である中 山信弘東京大学大学院教授が書かれた「工業所有権法(上)特許法[第2版増補版]」[9]に記載された「現在でもその対価の額や従業者の権利意識の面において、欧米に及ばない」という課題を解決しよう とするものであると考えられる。これに対して、後半部分は企業側の委員の意見の反映であると考えられる。この報告書(案)は中山教授の考え方を支持する委 員と企業側の委員の主張の折衷案であると考えられるが、「何よりも・・・・、併せて・・・」という記載からみて、中山教授を支持す る委員の考え方のほうが、より強く反映されていると考えられる。結局、この報告書は、何よりも従業者等に高額の相当の対価を与え、併せて使用者等にも研究 開発投資を増大させるためのインセンティブを付与するというものである。

 この報告書の「第4節 相当の対価について」の「3.制度改正の具体的方向性」(17頁)には、次のように記載されている。
 発明により利益を得るためには、発明がされるまでの貢献だけでなく、特許出願手続、実施化のための技術開発、営 業・宣伝活動、ライセンス交渉等、発明完成後の貢献も必要である。このため、これらの貢献も「相当の対価」の算定において考慮されるべきである。また、使 用者等は、当該研究開発のリスクを負担していることに加えて、具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも当該利益に間接的に繋がる研究開発も 幅広く行っている。さらに、従業者等のうち使用者等の利益に貢献した研究者等が給与、昇進等によって厚く処遇されている場合もある。

 したがって、裁判所によって「相当の対価」を算定する際に指針となる第4項の規定について、当該発明に直接的又は間接的に関連性がある限り、上述のよう な様々な事情が幅広く考慮されることを許容すべきである。
この報告書によると、相当の対価を算定する際に様々な事情が幅広く考慮される方向で制度改正が行われるべきであるということになる。そし て、この報告書に基づいて35条の改正案が作成されたはずである。ところが、この報告書に記載されている考慮すべき事項のなかで改正案には規定されていな いことがあるのである。しかも、それは相当の対価の金額に極めて重要な影響を与えることである。

3.改正案の4項について
 特許庁は2004年2月10日に特許法改正 案を公表している。35条については、これまでの4項を修正して5項とし、新しく4項を追加している。改正案の4項は次のとおりである。
(4) 契約、勤務規則その他の定めにおいて前項の対価について定める場合には、対価を決定する ための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況、策定された当該基準の開示の状況、対価の額の算定について行われる従業者等から の意見の聴取の状況等を考慮して、その定めたところにより対価を支払うことが不合理と認められるものであつてはならない。
改正案4項は、3項に規定された「契約、勤務規則その他の定め」に対価を定める場合についての規定であり、その定め により対価を支払うことが不合理かどうかを判断する場合に、考慮すべき3つの状況が具体的に規定している。

 1番目の状況は「
対価を決定するための基準の策定に際して使用者等と従業者等との間で行われる協議の状況」である。「基 準の策定に際して」と規定されているから、使用者等と個々の従業者等の個別の協議ではなく、使用者等と従業者等の団体、すなわち管理職も含む発明者会およ び/または管理職を含まない労働組合と、基準の策定について協議することになるのではないだろうか。私は労働法規については全くの素人であり、素人の私に は現行法の35条は労働法規には見えなかったが、この改正案では、素人の私でも、労働法規であるように見える。

 2番目の状況は「
策定された当該基準の開示の状況」であり、これは策定された基準を各従業者等に周知徹底すればいいのであるか ら、簡単である。

 3番目の状況は「
対価の額の算定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況」であり、これは、「基 準の策定」ではなく、具体的な「対価の額の算定」であるから、発明された後に、その発明について、例えば実績補償の金額を決定する 場合の個々の従業者等(発明者)からの意見の聴取についての規定ではないかと思う。

 この3つの状況の考慮が、ANDなのか、ORなのか、総合的判断なのかは不明であるが、「等」と規定されているから、それ以外の状況も考慮できることに なる。これがどのように解釈されるのかは、施行後の裁判所の判断によるが、裁判所が、勤務規則等による対価の支払が合理的であると認定すれば使用者側の勝 ちになり、不合理であると認定すれば改正案の5項によって裁判所が対価の額を決定することになる。

4.改正案の5項について
 改正案の5項は従来の4項を継承した条項であり、次のように規定している。
(5) 前項の対価についての定めがない場合又はその定めたところにより対価を支払うことが同項の規定によ り不合理と認められる場合には、第三項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額、その発明に関連して使用者等が 行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情を考慮して定めなければならない。
対価について定めがない場合、あるいは4項に基づいて不合理と認定された場合に、裁判所が対価の額を定めるときに考慮すべきことが規定され ている。

 1番目は「
その発明により使用者等が受けるべき利益の」であり、これは従来の4 項と同一である。したがって、この金額はこれまでの裁判例どおりの方法で、将来の利益も含む独占の利益を裁判所が認定することになる。

 2番目は「
その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」であり、これは 従来の4項の「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」とはかなり異なっている。これまでの4項 では発明がされるまでの使用者等の貢献しか考慮していなかったが、改正案5項では、発明がされた後を含む使用者等が行う負担、貢献および従業者等の処遇そ の他の事情を考慮して、対価を認定することになる。

 この改正案5項は、前述の報告書よりも、かなり抽象的な規定になっているが、改正案5項の「その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献
お よび従業者等の処遇その他の事情」に、報告書に記載された「特許出願手続実施化の ための技術開発、営業・宣伝活動、ライセンス交渉等、発明完成後の貢献」、「従業者等のうち使用者等の利益に貢献した研究者等が給 与、昇進等によって厚く処遇されている場合」が含まれていることは明らかである。

 しかし、
改正案5項は、報告書に記載された使用者等は、 当該研究開発のリスクを負担していることに加えて、具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも当該利益に間接的に繋がる研究開発も幅広く行っ ている」ことについては規定していないのである。「その他の事情」とは規定されているが、「そ の発明に関連して使用者等が行う負担、貢献および従業者等の処遇その他の事情」と規定されているのであるか ら、「その他の事情」」は「従業者等の処遇」に関係した「その他の事情」か、その発明に関連して使用者等 が行う負担、貢献および従業者等の処遇」に関係したその他の事情と解釈されるのではないだろうか。これらに直接関係しない「具 体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益 に間接的に繋がる研究開発」が「その他の事情」に含まれるとは考えにくいのである。

 そしてこの点を考慮するかどうかによって、相当の対価の金額は決定的に異なるのである。具 体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益 に間接的に繋がる研究開発を考慮するということは、その発明以外の発明つまり具体 的利益に直接繋がらない発明を考慮するということであり、これを考慮することにより、相当の対価の金額は、そ の発明に関連して使用者等が行う負担、貢献および従業者等の処遇」を考慮するよりも、遙かに大きな影響を受 けるはずである。したがって、この点からも「その他の事情」に具体的利益に直接繋 がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発は 含まれないと解釈されると考えられるのである。なぜなら、相当の対価の金額に影響の少ない考慮すべき事項を条文に具体的に列挙して、それよりも遙かに影響 の大きい考慮すべき事項を「その他の事情」として規定することはあり得ないからである。

5.味の素事件東京地裁判決改 正案の5項
 
味の素事件東京地裁判決[10]は、現行法の解釈として、次のように法律判断を行っている。
(4) 「使用者等が貢献した程度」について
 ア ・・・使用者等が貢献した程度」として,具体的には,その発明がされるについての貢献度のほか,その発明を出願し権利化 し,さらに特許を維持するについての貢献度,実施料を受ける原因となった実施許諾契約を締結するについての貢献度,実施製品の売上げを得る原因となった販 売契約等を締結するについての貢献度,発明者への処遇その他諸般の事情が含まれるものと解するのが相当である。
改正案5項の「その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」 をより具体的に記載するとすれば、上記の味の素事件東京地裁判決の現行法の解釈と同様になるのではないだろうか。

 上記の味の素事件東京地裁判決の現行法の解釈でも「その他諸般の事情」と記載されているが、
東京地裁はこの「その他諸般の事情」 のなかに「具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行ってい る]当該利益に間接的に繋がる研究開発は含めていないのである。東 京地裁は上記の法律判断の後に次のように事 実認定している。
 イ 本件につき被告が貢献した程度については,前記2(1)認定の原告の職務内 容,同(2)認定のAPM事業化の経緯,同(3)認定の本件各発明がされた経緯,同(4)認定の本件各発明の意義,前記(5)認定の本件各発明を権利化す るに至る経緯,同(6)認定の本件各発明の事業化の経緯及び同(7)認定の原告の処遇等の諸事情を総合的に判断して,定められるべきである。
   前記2認定の諸事情,ことに,@ 原告は,本件各発明当時,被告の中央研究所技術開発研究所課長の立場にあり,APMのプロセス改良の研究開発に従 事し,本件各発明を行うことが期待される地位にあったこと,A APM自体はサール社の研究者によって発見され,サール社がアメリカ合衆国,日本及びヨー ロッパ各国でAPMの基本特許である用途特許を取得しており,被告のAPM事業においてはサール社とのライセンス契約の締結が不可欠であったこと,B 被 告は,上記契約締結のためにAPMの生産技術を確立し,それに関する多くの特許を取得するとともに,サール社の安全性試験と用途開発のため,同社に対し, 赤字でAPMのサンプルを供給するなど,APMの事業化の上でのリスクを負担し,また,アメリカ合衆国における市場を確保する前提としてのFDAの認可に 被告の実験が功を奏し,その結果,サール社との間で独占販売権契約及びライセンス契約が締結されたこと,C 被告は,これらの研究開発のために,極めて多 額の費用及び多くの人員を投入したこと,D 被告において,APMの工業的規模での製造方法の開発,ことに通常とは異なる晶析特性を示すAPMの大きな結 晶を得る技術手段の確立が課題となっており,そのために,長年にわたり,費用と人員を投入して,会社を上げての研究が行われたこと,E 本件各発明も,こ うした被告のAPM事業の一環として行われたものであり,また,それまで被告において行われたAPMの大きな結晶を得るための様々な撹拌晶析方法の研究を 前提としていること,F 本件発明2の束状集合晶自体は実験室レベルでは従来から得られていたものではあるが,本件各発明の本質は,従来では工業的に採用 することは困難であると考えられていた静置晶析法を採用することにより,束状集合晶の工業的生産が可能になったというところにあり,しかも,当該静置晶析 法を採用することは原告の着想に基づくものであること,G 本件各発明の実験等は,被告の研究所内で被告の施設設備を使用し,被告の計算において行われた こと,H 本件各特許の出願に当たっては,Cが原告のチェックを受けて明細書を起案し,特許部のK課長とともに明細書を完成したものであり,各国での拒絶 理由通知や異議申立てに対応するため,被告の特許部,中央研究所その他の関係者が,意見書や補正書を作成し提出するなど,本件各特許が権利化されるに至る には,被告において多大な労力,時間及び費用を費やしたこと,そして,権利化によって, 実施料を取得し,独占的に実施することができたこと,I サール社,NS社及びEASA社とのライセンス契約の締結は,被告における上記の成果に基づくも のであり,契約締結自体に原告の関与はないこと,J 被告は,原告を中央研究所長,東海工場長,関連会社の代表取締役にするなど,技術系社員として同期で 1,2を争うほどの処遇をし,被告及びその関連会社が原告に支払った給与,賞与,退職金の総額は1億9800万円を下らないこと,以上の諸事情を併せ総合 的に考慮すると,被告が本件各発明がされるについて貢献しまた前記利益を受けるについて貢献した程度としては,全体の95%と認めるのが相当である。
以上のように、味の素事件東京地裁判決は、「・・・発明者への処遇その他諸般の事情が含まれ る。」と現行法の解釈を行っているが、実際に考慮しているのは、「その発明を出願し権利化し,さらに特許を 維持するについての貢献度,実施料を受ける原因となった実施許諾契約を締結するについての貢献度,実施製品の売上げを得る原因となった販売契約等を締結す るについての貢献度,発明者への処遇」と実施化のための技術開発、当該研究開発のリスク負担、 従業者(発明者)の給与、賞与、退職金だけであり、具体的利益に直接繋がる発明を 生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発の ようなことは、考慮していないと考えられる。

 そして、これは東京地裁がこの点に気づかなかったからではない。以下は、裁判所が被告会社(味の素)の勤務規則について認定した部分であるが、アンダーライン部分 が報告書の「
具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行って いる]当該利益に間接的に繋がる研究開発」と実質的に同様な部分である。以下の裁判 所の認定は被告の主張立証に基づくはずであるから、味の素事件において被告は実質的に、報告書に記載された「具 体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益 に間接的に繋がる研究開発」を考慮して相当の対価を認定すべきであると主張したはずである。
2 認定事実
 ・・・
 (8)  被告の規程と原告に対する報奨金等の支払
     ・・・
     イ 平成11年の発明等取扱規程
      ・・・
      (ウ) 平成11年の特許報奨制度の拡充は,従来の表彰金額では革新的な技術創造へのインセンティブとして不十分であるという認識の下に行われた。当時, 先進的といわれる会社の報奨金の最高額としては1000万円という例があって,被告における報奨制度の額の充実も必要とされていた。そして,上記の報奨金 額や算定根拠を検討する際の具体的事例として本件各特許が念頭に置かれており,本件各特許の場合,利益を発明者にとって有利になるように積み上げれば, 1000万円程度の報奨金額になるものと考えられていた。すなわち,100億円の利益の場合,1億円では報奨金として多すぎ発明者でない利益貢献者とのバ ランスを余りに欠くことになるであろうし,逆に100万円では従来と同じ基準に止まり,発明奨励のインセンティブに欠けるので,イ ンセンティブを与えるには,当時の超一流他社の水準も考慮して,1000万円という金額がインパクトを持つと考えられたものである。
         そして,被告は,報奨金は発明を業務とする研究者への発明奨励目的で付与される前提の下で,@ 会社が研究者を含む多くの社員を雇用して事業活動を行 うことが,職務発明を生み出すためには必須であり,その中で,職務発明で利益を上げるには,研究開発以外に,調査を含むマーケティング活動,食品・食品添 加物,医薬品等の申請業務,契約の締結,生産のための設備投資,海外法人設立のための出資など商品化のために種々のリスクを担い,多大な利益を上げるため には商品化後もこれらの活動を継続して行うことが必須であって,こうした会社の広範な事業活動による貢献を9割,A 多大な利益を上げるような職務 発明を生み出すためには,基盤技術や周辺技術開発等を含めて多くの研究開発投資が必要であり,このような研究開発全体としての貢献を9割,B 発 明行為だけでは,利益に多大な貢献をすることは困難であり,職務発明を特許権として確立,維持し,第三者との特許紛争において防衛することにより,利益を 守ることが必要であり,その権利化,維持及び行使による貢献を9割と大まかに想定し,@では利益の1割が職務発明を含む研究開発全体による貢献,Aではそ のさらに1割が研究開発全体の技術中の1つである職務発明による貢献,Bではそのさらに1割が当該職務発明を行った行為による貢献として,報奨金額の決定 上,純粋な職務発明行為自体の貢献は,利益の1000分の1という算定をしたものである。
 しかし、味の素事件の東京地裁は前述のように、上記のアンダーライン部分については考慮せずに、相当の対価を認定したのである。東 京地裁は、上記「(4) 「使用者等が貢献した程度」について」で、「イ 本件につき被告が貢献した程度については,前記2(1)認定の・・・,同(2)認定の・・・,同(3)認定の・・・,同(4)認定 の・・・,前記(5)認定の・・・,同(6)認定の・・・及び同(7)認定の・・・等の諸事情を総合的に判断して,定められるべきである。」としており、 一方、上記の「被告の規程と原告に対する報奨金等の 支払」は(8) であるから、(8)に記載された上記の アンダーライン部分が考慮されていないことは明らかである

 被告会社(味の素)は、上記のアンダーライン部分のAに記載された会社の貢献9割に基づいて、1/10を乗じて報奨金を算定しているので あるが、もし、この点を東京地裁が考慮していれば、1億9935万円(裁 判所認定の相当の対価)×1/10(Aの考慮)−1000万円(支払い済みの報奨金)=993万5千円を支払えと判決したはずである。すなわち、上 記のAと実質的に同様な「具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅 広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発を考慮するかどうかにより、相 当の対価の金額はきわめて大きく影響を受けるのである。

 味の素事件の東京地裁は現行法の解釈として、「「
使用者等が貢献した程度」として,・・・その他諸般の事情が含まれるものと解す るのが相当である。」という法律判断を行ったのであるが、「その他諸般の事情」の中に、Aの被告会社の貢献は 含まないと法律判断を実質的に行っているのである。この判決からもわかるように、改正法における職務発明事件において、被告会社が改正案の5項の「そ の他の事情」に報告書に記載された「具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発 以外にも[幅広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発が 含まれると主張したとしても、裁判所はその被告会社の主張は採用しないはずである。

 結局、改正法に基づいて、オリンパス事件、青色発光ダイオード事件、日立事件と同様な職務発明事件が 起こった場合は、改正案5項の「その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」 を考慮して、これらの事件の判決の金額の何分の一かの金額を相当の対価と裁判所は認定すると考えられる。しかし、味の素事件東京地裁判決では、改 正案5項のその発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」 と実質的に同じことを考慮しているのであるから、改正法に基づいて味の素事件と同様な職務発明事件が起こった場合は、味の素事件東 京地裁判決と同様な金額の相当の対価を裁判所は認定することになると考えられるのである。

6.合理/不合理
 前述のように、改正法に基づく職務発明事件における裁判所の相当の対価の認定は味の素事件東京地裁判決と同様であると考えられるが、裁判所が、改正案4 項に基づいて、
職務規程等による対価の支払が合理的であると認定すれば、被告会社(使用者側)を勝ちとし、裁判所が認定した相当の 対価を支払へと判決することはない。

 そこで、味の素事件東京地裁判決を例として、使用者側は 1000万円を支払ったが、裁判所が計算すると
相当の対価が1億9935万円になる場合について考えてみよ う。ここで問題になるのが、改正案4項の「対価の額の算定について行われる従業者等からの意見の聴取の状況」 である。意見の聴取において、従業者は1億9935万円を主張したが、使用者側が実 際に支払った金額は1000万円であったとする。従業者は不服であるから、裁判所に訴える。この例では裁判所が認定する相当の対価も1 億9935万円である。

 もし、裁判所が改正案4項に基づいて、被告会社(使用者)の1000万円の支払は合理的であると認定すれば、裁判所は被告会社(使用者)を勝ちとし、
1 億8935万円1億9935万円−1000万円)の支払い を命じることはない。しかし、裁判所はそのような判断を行うだろうか。1000万円が合理的であるとすれば、裁判所が認定する1億 9935万円は、あまりにも金額が違い過ぎることからみて、明らかに不合理である。裁判所が自分が認定する相当の対価を不合理にしてしまうような判断をす るはずはない。そうすると、裁判所は被告会社(使用者)の1000万円の支払は不合理であると認定し、改正案5項に基づいて被告会 社に1億8935万円の支払いを命じることになるはずである。

 したがって、
改正法に基づく職務発明事件においても、味の素事件東京地裁判決が実 質的な先例となり、裁判所は、現行法における味の素事件東京地裁判決と同様な方法で相当の対価を認定し、その金額から既に被告会社が支払った金額を控除し た金額を支払えと被告会社に命令することになると考えられる。

 
ところで、経過措置[12]により、改 正法が適用されるのは改正法が施行された後に特許を受ける権利等を継承した特許に対してである。したがって、既に登録されている特 許、既に出願済みで将来登録される特許、これから改正法の施行までに出願して将来登録される特許についての職務発明訴訟は現行法に基づいて裁判されること になる。権利期間は出願から20年であり、権利満了後も職務発明訴訟を起こすことが可能であるから、改正法施行後20年あるいはそれ以上の期間、現行法に 基づいた裁判も行われることになり、この間は新法、旧法の職務発明訴訟が混在することになる。しかし、上述のように、味の素事件東京地裁判決の現行法の解 釈は実質的に改正案と同じであるから、現在裁判所に継続中の職務発明事件についても、また、改正法施行以前に出願された特許についてこれから提起される職 務発明事件についても、実質的に改正案と同様な判断基準で裁判がなされることになりそうである。味の素事件東京地裁判決が現行法と改正法の橋渡し役を果た すことになるのである。

7.労働法規
 前述のように、
労働法規について素人の私から見ても、改正案の35条は労働法規の ように見えるが、35条は本物の労働法規だろうか。報告書は、具体的利益に直接繋 がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発を 考慮するとしているから、中山信弘著「工業所有権法(上)特許法[第2版増補版]」に記載された終 身雇用、年功序列の雇用形態を基本とし、かつ企業別組合の多い我が国においては、従業者を均一に扱い、従業者間の一体感を高めることが重要であり、ある特 定の有能な発明者のみに破格の待遇を与えることは困難を伴う[9]と いう日本の状況を反映したものであるようにみえる。

 これに対して、前述のとおり、改正案は、
報告書に記載された具体的利益に直接 繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発の 考慮を排除していると考えられるから、改正案は、「ある特定の有能な発明者のみに破格の待遇を与える」[9]ことによって、現在でもその対価の額や従業者の権利意識の面に おいて、欧米に及ばない。」[9]という課題を解決しようとするものとなったのである。

 一方、労働組合は、発明者全体の給与水準が上昇することは望んでいると考えられるが、あ る特定の有能な発明者のみに破格の待遇を与える」ことは望まないと考えられる。したがって、労働組合は、報告書には賛成すると考え られるが、改正案には賛成しない可能性があるのである。法律の専門家は35条は労働法規であるとしているが、それはあくまで学問上 のことであり、35条の改正案は労働組合が積極的に支持する本物の労働法規とはいえないのではないだろうか。

8.
産業構造審議会知的財産政策部会
 前述のように、2004年1月29日に開催された産業構造審議会知的財産政策部会で、 報告書「職務発明制度の在り方について」が知的財産政策部会の 報告書として決定された。その時の議 事録によると、まず、特許庁の南技術調査課長が特 許制度小委員会報告書「職務発明制度の在り方について」概要を使って説明した後、日本知的財産協会会長の三浦委員(代理  宗定)と日本経済団体連合会副会長・産業技術委員会委員長の庄山委員(代理 高橋)が意見を述べ、専修大学 法学部教授の斎藤委員が質問し南技術調査課長が答え、「職務 発明制度の在り方について」を知的財産政策部会の報告書とすることを決定している。三浦委員(代理 宗定)と庄 山委員(代理 高橋)は以下のように発言している。[15]
三浦委員(代理 宗定)
 知的財産協会でございます。このたび改正について大変御苦労をかけまして方向づけしていただきましてどうもありがとうございました。
 趣旨には我々賛同しております。ただ、若干のあいまいなところがまだ残っているように思いますので、今後、社会の動静を見て、また目 指す方向が実現できないような場合にはぜひまた原点に返った議論を速やかにやっていただくようにお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

庄山委員(代理 高橋)
 経団連の高橋でございます。きょうは、庄山経団連産業技術委員長がやむを得ない事情によって出席できませんので、代理で出席させていただきました。
 私から2点申し上げたいと思うんですが、1つは、これに至るまで非常に大変な努力をしてここまでまとめ上げたということで、事務局の努力を多としたいと 思います。使用者と従業者が双方の意思を反映した形で契約を結んだ場合は、その契約の内容が尊重されるという形のことを繰り返し繰り返し、いろんなシチュ エーションがあると思いますので、明確にしていっていただきたいということが1点でございます。
 もう1つは、今後35条の改正ということになると思いますが、その場合もいろんな議論が国会等であろうかと思いますが、ぜひこの職務発明の報告書 の趣旨が変わらないようにして、それを生かした形の条文で通していただきたいということをお願いしたいと思います。
 以上でございます。

この知的財産政策部会には、委 員名簿を見ると、情報産業労働組合連合会中央執行委員長も委員として出席しているが、特に発言はしていない。この議事録から見ると、多少の疑問は 残るとしても、労使ともに、報告書「職務発明制度の在り方について」を一応支持しているように見える。

 しかし、経団連の委員が「
いろんな議論が国会等であろうかと思いますが、ぜひこの職務発明の報告書の趣旨が変わらないようにし て、それを生かした形の条文で通していただきたい」と懇願したにもかかわらず、国会提出以前の改正案作成の段階で、報告書に記載さ れていた具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅 広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発」の考慮は排除されてしまったの である 

9.諸外国の報奨金等

 2004年1月29日に開催された産業構造審議会知的財産政策部会で 配布された参 考資料1 諸外国の従業者発明制度に外国の報奨金等の例が記載されている。この日の会議には極めて多数の資料が配付され、また、特許庁の課長も参 考資料1について何も説明していないので、どの委員もこの参考資料1に外国における報奨金等の例が記載されていたことには気が付かなかったのではないかと 思う。以下、参考資料1に記載された諸外国の報奨金等の例を紹介する。

 アメリカについては、参考資料1の5頁〜6頁に次のように記載されている。
 ほとんどの企業は、従業者により創出される発明は企業へ譲渡されるという規定を含む雇用契約を使用している。し たがって、従業者は、発明をなしても基本的には給与以上の報酬を受けとることができない。ただし、以下に例示するように、発明奨励プログラムとして報償金 制度を採用している企業も存在している。

A.ルーセント・テクノロジーズ社

 社内で開発された技術が特許申請に至った場合、技術開発者に対して1,000ドル、また特許取得が行われた場合さらに2,000 ドルの報奨金を与えるプログラムを採用している。同社の特許管理責任者によると、このプログラムを通じ、研究者の中には55 の特許を取得、報奨金で2 艘のヨットを購入したケースもあるという。

B.ヒューレット・パッカード社

 研究者が新技術を開発、報告するごとに1,000 ドルの報奨金を与えるというインセンティブ・プログラムを導入している。もしもその技術が特許申請された場合、研究者にはさらに1,750 ドルが支給され、そして特許取得に至った場合には企業のイベントにおいての表彰と、記念盾の授与が行われる。
 プログラムに参加するかどうかは、各事業部門の代表者が決定する。このプログラムに参加することで、部門内において実際に特許取得率 が上がっているのか、新たなイノベーションが生まれているのか、その効果を見極め、次年度もこのプログラムに参加するかを決定することができる。
これによれば、アメリカでは「従業者は、発明をなしても基本的には給与以上の 報酬を受けとることができない。」ということである。また、ルーセント・テクノロジーズ社の 例では、報奨金で2艘のヨットを購入した例が記載されているが、55件の特許取得によるものであり、1件あたりでは出願補償1,000ドル(約10万 円)、登録補償2,000ドル(約20万円)である。[16]

 ドイツでは、従業者発明に関する紛争解決のために特許商標庁内に調整委員会が設けられており、参考資料1の11頁に1991年〜1998年に調整委員会 が提示した1発明1年間当たりの補償金額を示す図が記載されている。その図を以下に示す。
この図によると、最 も頻度が高い補償金提示額は6万円〜12万円であり、最高でも180万円〜240万円である。これは1年当たりの金額であるが、最 も高額の240万円と提示された発明が、出願から20年間実施され続けたとしても、その合計金額は4800万円である。



 イギリスについては、参考資料1の26頁に、「出願報奨:400ポンド(約7万6千円);欧州、米国、日本でのいずれかにおける最初の特許登録で登録報 奨:1500ポンド(約29万円)。」の例が記載されている。

 フランスについては、参考資料1の36頁に、職務発明に対する追加の補償の支払い条件を定めている社内合意例が次のように規定されている。
@)IBM France
・冶金業界の団体協約を基本として、修正を加えた独自の制度。
・ポイント制を採用(各発明に付き、出願ごとにカウント。特許出願1件当たり3ポイント、防御的公開1件当たり1ポイント)。
・発明者ごとに各発明当たり年間12ポイントで表彰及び賞与の対象。
・賞与額は逓減式:第一特許につき1,500米ドル(約17万5千円)、第二特許につき1,200米ドル(約14万円)、第三特許につき750米ドル(約 9万円)。
・従業者発明に係る紛争解決のために、4又は5年おきに内部の調停委員会で審理。

A)PEUGEOT-CITROEN
・1999年1月1日から、1987年から有効であった特許出願時補償(3,000フラン(約54,000円))に加え、フランス特許出願がフランス国外 で特許になった場合の補償(5,000フラン(約9万円))、並びに、欧州特許が許可され、かつ発明が実施された場合の補償(12,000フラン(約21 万円))を支払う。
・この補償の額は、発明者が複数いる場合には低減される:前記国外特許時の補償は、発明者2名の場合発明者1人当たり3,000フラン、発明者3名の場合 発明者1人当たり2,000フラン。
・年間最優秀発明賞の発表とともに、発明者の昼食会及び年次会合が開催される。

また、参考資料1の38頁には、1994年〜1998年の調停案の内訳:追加の補償額(15事例)、公正な補償額(11事例)が記載されている。これらを 以下に示す。



 日本においても、最近は高額の実績補償を行う企業も増えてきたようであるが、数年前までは日本の多くの企業で行われていたのは出願補償1万円、登録補償 1万円程度ではないかと思う。確かに、その金額と比較すると、欧米の報奨金等はかなり高額ではある。しかし、東京地裁、東京高裁が判決した、
1 億2810万6300円日立事件東京高裁判決)、604 億円3006万円青色発光ダイオード事件東京地裁判 決)、1億8935万円味の素事件東京地裁判決)と比較すると、欧米の報奨金等は、ずいぶ ん控えめな金額であるように見えるのである。

10.報奨金と対価
 上記の
参 考資料1 諸外国の従業者発明制度では、「報償金」、「報奨金」、「補償金」という用語が使用されている。これに対して、 日本の特許法では「対価」と規定している。参考資料1が正確な用語を使用して書かれているのかどうか不明であるが、本当に日 本と外国でこのように用語が異なるのであれば、外国の用語に合わせるように改正すべきであると考える。日本 の特許法の「対価」を「報償金」、「報奨金」、「補償金」に変更するだけで、上記のように欧米各国と比較して突出して高額な東 京地裁、東京高裁の相当の対価の認定が、欧米の水準に多少は近づく可能性があるからである。

 前述のように、味の素事件では、被告会社は、「A 多大な利益を上げるような職務発明を生み出すためには,基盤技術や周辺技術開発等を含めて多くの研究 開発投資が必要であり,このような研究開発全体としての貢献を9割」
として、1/10を乗じて報奨金を1000万円と決めている が、東京地裁は被告会社のこの貢献を考慮せずに、相当の対価を1億9935万円と認定したのである。このよ うに被告会社と東京地裁の金額が大きく異なるのは、被告会社が報奨金として考えているのに対して、東京地裁は、「対価」という用語に基づいて、従 業者等の職務発明に対する報奨金を、他社から特許権を購入する場合と同じ「対価」として考えていることも一因だと思う。なぜなら、他社から特許権を購入す る場合の対価には、「A 多大な利益を上げるような職務発明を生み出すためには,基盤技術や周辺技術開発等を含めて多くの研究開発 投資が必要であり,このような研究開発全体としての貢献」を考慮することはないと考えられるからである

 もし、
従業者等の職務発明に対する報奨金として、他社から特許権を購入する場合の「対価」と同じ金額を支払わなければならないと すれば、わざわざ研究開発を行う従業者等を雇用して自社で研究開発を行うことは無意味となるだろう。常識的には、特許法35条の「対価」は他 社から特許権を購入する場合の「対価」とは異なると思うが、裁判所は法律に「対価」と規定されていれば、他 社から特許権を購入する場合の「対価」と同じであると判断してしまうのだろう。したがって、この点からみても、裁判所が、改正案5 項の「その他の事情」の中に具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外に も[幅広く行っている]当該利益に間接的に繋がる研究開発」が含まれるように解釈す ることはないといえるのである。なぜなら、他社から特許権を購入する場合の対価には、具 体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも[幅広く行っている]当該利益 に間接的に繋がる研究開発は含まれないと考えられるからである。

 多くの日本の企業でも、「対価」という用語ではなく、「報償金」、「報奨金」、「補償金」の ような用語を使用しているのではないかと思う。日本の裁判官と法律の専門家だけが、「対価」という用語に基づいて、世間で大きな話題になるような極めて高 額な相当の対価を認定しているとすれば、特許法35条の「対価」の用語を日本の企業や外国の制度で使用されている用語に変更すべきである。裁判官や法律の 専門家が世の中で使われている用語と同じ用語を使用するようになれば、裁判官や法律の専門家の考え方が、世の中の常識に近いものになる可能性があるからで ある。

11.おわりに
 現行法の特許法35条4項は具体性を欠いているから、裁判所は、高額の相当の対価を認定することも、低額の相当の対価を認定することも可能である。現実 には、東京地裁、東京高裁は、欧米と比較しても突出して高い相当の対価を認定しているが、これは判例法に基づくものであるから、最高裁が判例を変更すれ ば、東京高裁、東京地裁の相当の対価の認定も変わることになる。

 青色発光ダイオード事件東京地裁判決はマスコミ等でも大きく取り上げられたから、最高裁の15名の裁判官も当然この判決に注目し、その法的基礎となった オリンパス事件最高裁判決を読み、
できのわるい判決であることに気がついたものと推測する。少なくとも、604億円の地裁判決の基 礎となる最高裁判決としては貧弱すぎることは、全ての最高裁裁判官が認めざるを得ないと思う。したがって、次の職務発明訴訟の上告事件である日立事件にお いて、最高裁は、「あらかじめ対価の額を確定的に定めることは許されない」と判示したオリンパス事件最高裁 判決を否定して、世の中の常識を加味して現行法の35条を解釈して法律判断を行い、東京地裁、東京高裁の相 当の対価の事実認定が欧米の報奨金と同程度になるように誘導することができたと思う。例えば、現行法の4項の解釈として、「勤務規 則に相当の対価について規定する時は、通常、勤務規則を定める時に当然考慮することも考慮することができる」、と法律判断すればよ いのである。 

 しかし、改正案は現行法の特許法35条4項を明確化したものであり、この改正案が国会で可決成立すれば、最高裁はこれを無視することはできないのであ る。
最高裁は、日立事件の上告審において、改正案と実質的に同じ現行法の解釈を行った味の素事件東京地裁判 決[14]と同趣旨の法律判断を行うしか方法がないと 思う。したがって、改正案の可決成立によって、今後の新法、旧法の職務発明事件は、味の素事件東京地裁判決 の認定判断で固定されることになる。味の素事件では、被告会社は「当時の超一流他社の水準も考慮して,1000万円という金額がイ ンパクトを持つ」と考えて1000万円の報奨金を支払ったのに対して、裁判所の相当の対価の認定額は1億 9935万円である。

 結局、今後の職務発明訴訟においては、会社がインパクトを持つと考える報奨金より少なくとも1桁高い相当の対価で固定されることになりそうである。そし て、被告会社が支払った報奨金は裁判所が認定した相当の対価より1桁以上低額であるから、裁判所は被告会社の報奨金の支払いは不合理であると認定し、裁判 所が認定した相当の対価から被告会社が支払った報奨金を控除した金額を支払えと判決することになるだろう。[17]

 今後、外国企業がアジアに研究開発拠点を設立する場合に、日本を除外して、中国、台湾、韓国等に設立することは確実であると考える。アメリカでは職務発 明について契約によって取り決めるから、極めて高額な報奨金を
従業者に支払う企業もあるかもしれない。しか し、そのような企業でも、日本に研究開発拠点を設立するはずはない。なぜなら、裁判所が使用者と従業者の間に介入して、裁判所が勝手に相当の対価の支払を 命じるというようなことを、アメリカの企業が認めるはずはないからである。ヨーロッパの場合は比較的日本に似た制度であるとして も、日本の裁判所が認定する相当の対価はヨーロッパの企業から見ると途方もない金額であるから、ヨーロッパの企業も日本に研究開発拠点を設立するはずはな い。

 日本の企業の場合は、日本の司法、立法、行政が手続きに従って行っていることであるから、それに従うしかないが、徐々に、海外の工場に研究開発拠点を移 転していくことになるのではないだろうか。報告書
「職務発明制度の在り方について」の冒頭には、「知 的財産立国を実現し、産業競争力を強化するため」と記載されているが、特許法35条の改正によって、正反対のことが起こりそうである





[1]訴額(訴訟の目的の価格)と収入印紙代の関係は、以下に示す訴訟費用等に関する法律別表第1項1に記載 されている。
(一) 訴訟の目的の価額が百万円までの部分
 その価額十万円までごとに 千円
(二) 訴訟の目的の価額が百万円を超え五百万円までの部分
 その価額二十万円までごとに 千円
(三) 訴訟の目的の価額が五百万円を超え千万円までの部分
 その価額五十万円までごとに 二千円
(四) 訴訟の目的の価額が千万円を超え十億円までの部分
 その価額百万円までごとに 三千円
(五) 訴訟の目的の価額が十億円を超え五十億円までの部分 その価額五百万円までごとに 一万円
(六) 訴訟の目的の価額が五十億円を超える部分 その価額千万円までごとに 一万円

[2]2004年1月31日の日本経済新聞の「日亜化学、経営に影響、「不当判決」コメント発表」という見出 しの記事には「日亜化学の2003年12月期の連結売上高は前の期に比べ55%増の1800億円となったもよう。税務上の利益に相当する申告所得は02年 12月期で465億円に達する優良企業だ。」と記載されている。

[3]長谷川浩二=最高裁判所調査官、「時の判例」、ジュリスト、No.1251、2003.9.1、172 頁〜174頁。

[4]2004年2月11日の日本経済新聞の「「発明の対価」見切り発車、特許法改正案国会提出」の記事に は、「政府は10日、知的財産立国の実現に向けた特許法などの改正案を国会に提出した。企業内研究者の発明に対する報酬の額は労使の合意を尊重することを 明記、合意がない場合や合理性を欠く場合は裁判で判断するルールを設けた。企業に多額の報酬の支払いを命じる判決が相次いだが、改正案でも「合理性」の基 準はあいまい。紛争回避の抜本策を盛り込めないまま見切り発車した。」と記載されている。

[5]日立事件東京高裁判決は、アメリカの特許法について次のように述 べている
アメリカ合衆国の特許法においては,発明は発明者に原始的に帰属するものとされているから,職務発明に係る特許を 受ける権利等の譲渡という問題が生じ得る。しかし,職務発明に関する規定が存在しないため,職務発明に係る特許を受ける権利等の譲渡については,使用者と 従業者との契約にゆだねられている。ただし,各州の判例法に反する契約は無効とされる。判例法によれば,一般に,職務発明は,従業者から使用者への譲渡義 務が発生する発明(発明をすることが雇用契約の内容となっている場合に認められる。),使用者にいわゆるショップライト(shop right)が与えられる職務発明,上記以外の自由発明に分類され,八つの州では,自由発明について予約承継契約を禁止している。
 このアメリカの8州の判例法による自由発明の予約継承の禁止は、日本の特許法35条2項の「従業者等がした発明については、その発明が職 務発明である場合を除き、あらかじめ使用者等に特許を受ける権利若しくは特許権を承継させ又は使用者等のため専用実施権を設定することを定めた契約、勤務 規則その他の定の条項は、無効とする。」に相当すると考えられる。本文中で特許法35条を廃止すべきだと述べたが、この2項は存続 させてもよいと思う。なお、2項は、「・・・無効とする。」と規定されており、強行規定であることは明らかである。

[6]最高裁は、「あらかじめ対価の額を確定的に定めることは許されない」という結論を得ているが、 この結論を得る上で決定的な役割を果たしているのは、「いまだ職務発明がされておらず,承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に, あらかじめ対価の額を確定的に定めることができない」という最高裁が独自に考えたことである。そして、これは前掲[3]の 「時の判例」において、最高裁判所調査官が、「1審が・・・旨を、2審が特許法35条3項・4項は強行規定である旨を、それぞれ判示したのに対し、本判決 は、いまだ職務発明がなされておらず、承継されるべき特許を受ける権利の内容や価値が具体化する前に、あらかじめ対価の額を確定的に定めることはできない などと判示するにとどまっている。」と述べておられることとも一致する。山川一陽著、「民法総則講義〔第三版〕」、(株)中央経済社、平成14年5月30 日第三版第3刷発行、152頁には次のように記載されている。
強行法規に反する法律行為は無効となる。この強行法規というものは当事者の特約によってその適用を排除することが できない規定のことである。つまり、強行法規というものは、これによって法の基本理念としての公の秩序を維持する目的を有する存在であり、これに違反する 法律行為については国においてもその実現に協力しないという禁止規定であるということができよう。そこで、強行法規に反する行為は無効なものとされ る。・・・この強行法規に対する概念がいわゆる任意法規ということになるが、これは当事者の意思によって、その適用を排除することができる法規のことであ る。・・・取締法規というものは、ある種の経済目的や行政目的から、一定の行為を規制したり制限したりするものである・・・
この著書は法学部の学生の民法の教科書として使用されているようであるが、この教科書を参考にすると、東京高裁の強行法規を根拠にした法律 判断は理解できるが、最高裁の法律判断の法的根拠は理解できない。最高裁は、オリンパス事件において、強行法規、任意法規、取締法 規とは異なった類型の法規を創設したのだろうか。日立事件において東京高裁は、再度、強行法規を根拠にした法律判断を行ったのであるから、その上告審にお いて、最高裁は特許法35条3項、4項は強行法規かどうかの法律判断を明確に示すべきだろう。もし、強行規定であると判示するのであれば、上 記の教科書によれば、「強行法規というものは、・・・公の秩序を維持する目的を有する存在」であるから、原告のみを救済するだけでなく、被告会社の勤務規 則を無効として他の従業者も救済する必要があると考えられるが、なぜ、被告会社の勤務規則を無効とせずに、原告のみを救済するのかについても判示すべきだ ろう。また、もし、強行法規でないのに、「あらかじめ対価の額を確定的に定めることは許されない」と判示するのであれば、その法的 根拠を明らかにすべきだろう。

[7]
一定の金額に収束するか、振動を続けるかは前提や仮定や想定によると述べたが、振 動を続ける場合の2つの解を見つけることができた
 1番目の解は、被告会社が604億円の支払いによって倒産すると仮定した場合である。被告会社が倒産すると、2回目の計算では、市場占有率は0%にな り、被告会社の予想売上高も0円になるから、相当の対価も0円になり、裁判所が命じる支払額も0円になる。そうすると、3回目の計算では、東京地裁の計算 と同じ計算になり、相当の対価は604億円になり、支払額も604億円になる。そうすると、再び、被告会社は倒産することになり、4回目の計算では再び0 円になる。結局、相当の対価は604億円と0円の間を永遠に振動することになる。これは
青色発光ダイオードが市場に出始めた平 成6年に604億円を支払うと仮定した場合である。現時点では、過去分の相当の対価だけでかなりの額になり、2回目の計算で0円とはならず、3回目以降の 計算は難しい。しかし、裁判所が支払時期とした平成9年4月18日の時点で604億円を支払うと仮定すると、その時点での過去分の 相当の対価は3億円程度であり、2回目の計算で裁判所が命じる支払額も3億円程度になる。3億円程度であれば、被告会社の市場占有率にほとんど影響を与え ないと考えられるから、3回目の計算では再び相当の対価は約604億円となり、これを裁判所が支払えと命令すると、再び被告会社は倒産することになり、4 回目の計算では再び約3億円になり、計算するたびに約604億円と約3億円の振動を繰り返すことになる。
 2番目の解は、被告会社が青色発光ダイオードおよび青色レーザダイオードの事業から撤退すると仮定した場合である。東京地裁の計算は、
豊 田合成及びクリー社に実施許諾したと想定した場合の想定実施料収入に基づくもので、一見もっともらしいが、実際には、被 告会社の各年度の予想売上高×(1/2)×20%によって各年度の独占の利益を出し、それに原告(発明者)の貢献度50%を乗じ て、相当の対価としている。したがって、「各年度の相当の対価=被告会社の各年度の予想売上高×(1/2) ×20%×50%=被告会社の各年度の予想売上高×5%」となる。結局、被告会社は売上高の5%を支払わな ければならないのである。したがって、もし、被告会社が5%以上の利益率が得られないと判断すれば、相当の対価を支払えば利益が出ないのであるから、当 然、被告会社は青色発光ダイオードおよび青色レーザダイオードから撤退することになる。そうすると、倒産した場合と同じように、相当の対価は振動を繰り返 すことになる。

[8]
将来の予測を事実認定したのは青色発光ダイオード事件の東 京地裁のオリジナルであると述べたが、先例が見つかった。荒垣恒輝著、「知的財産権重要判決要約集−侵害訴訟編−」、(株)青林書 院、2003年11月10日発行の第B編には、昭和58年から平成15年までの職務発明事件の判決の要約が16件掲載されている。 その中で青色発光ダイオード事件に最も近い先例は、394頁〜396頁に記載された東京地判平8・9・30(平成元年(ワ)第6758号)である。この事 件は、意匠と実用新案に関する事件であるが、第三者の予想売上高を被告会社の売上高の1/2とし、実施料率を2%にしている。したがって、この事件では 「独占の利益=被告会社の売上高×(1/2)×2%」である。最高裁の知 的財産権裁判例の検索でこの判決を検索してみると、過去の売上高から年平均売上高を出し、将来分についても同じ年平均売上高であるとして、過去と 将来の被告会社の売上高を計算している。したがって、青色発光ダイオード事件の東京地裁(または原告代理人)のオリジナルな点は、市場全体の成長率と逓減 する被告会社の市場占有率から逓増する被告会社の将来の売上高の予測を計算した点と、中間利息を控除して差止訴訟の訴額の算定基準Bと同じ形にした点であ る。

[9]青色発光ダイオード事件の東京地裁は、原告が提出した証拠の中で被告に最も有利な証拠を採用 して被告会社の独占の利益を算出し、発明者の貢献度については原告の主張(100%)と被告の主張(0%)の間をとって50%を得て、これらを乗じて 604億円の認定を行ったと考えられる。この「604億円」の金額が世の中を驚かせるに十分な金額であることは裁判官も予測できた はずである。では、なぜ、この事件の裁判官は「604億円」という世の中を驚かせるような金額の認定を躊躇なく行 えたのだろうか。東京地裁の裁判官に勇気を与えたのは、次の著書ではないかと思う。中山信弘著、「工業所有権法(上)特許法[第2版増補版]」、法律学講 座双書、(株)弘文堂、平成12年4月15日第2版増補版1刷発行、の68頁には次のように記載されている。
・・・現在では、多くの企業、国の研究所、大学等において職務発明規定が整備されている。しかし、現在でも その対価の額や従業者の権利意識の面において、欧米に及ばない。・・・雇用の流動性が高く、かつ横断的組合によって保護されている欧米の発明者に とっての関心事は、自己の発明的能力をいかに高く使用者に売り込むか、という点にある。これに対し、終身雇用、年功序列の雇用形態を基本とし、かつ企業別 組合の多い我が国においては、従業者を均一に扱い、従業者間の一体感を高めることが重要であり、ある特定の有能な発明者のみに破格の 待遇を与えることは困難を伴う。・・・しかし、このような状況が今後も続くとは限らない。・・・これらの事情を勘案するならば、わが国だけ が特異な雇用形態の下でのみ機能する従業者発明についての実務を維持することは、次第に困難となろう。
これを読むと、604億円の判決は、ある特定の有能な発明者のみに破格の待遇を与えることに よって、対価の額や従業者の権利意識の面において欧米に及ばないというわが国の後進性を改善させ、また、わが国の特異な雇用形態の 下でのみ機能する従業者発明の実務を裁判所の力によって強制的に是正させる先進的な判決であると理解することができる。しかし、この著書に記載されている ことは事実に基づくものなのだろうか。
 
2004 年3月1日の毎日新聞紙上で、経済同友会代表幹事の北城恪太郎氏は次のように述べておられる。
 一般に日本では、アメリカ企業が高額の報酬を研究者に支払っているというイメージがあるようだ。しかし実際に は、発明者としての社員は、特許を受ける権利を企業に無償で譲渡することに合意した上で入社することが多い。それに対して企業は、社員が優れた研究開発に 従事できるよう、研究環境を整えたり、人事や処遇を整備したりする。そして発明の内容に応じて、数百万円の範囲でボーナスや報奨金を支払っている。そのた め、今回のような係争は、あまり起こらない。
北城氏の発言が経営者側からみた発言であることは当然であるが、北城氏の経歴が「48歳で日本IBM社長就任、99年12月会長」であるこ とからみて、北城氏がアメリカのIBMにおける発明者の処遇を念頭において発言されている可能性もあるのである。
 前記の著書の著者である中山
信弘東京大学大学院教授が正しいのだろうか、それとも、北城氏が正しいのだろ うか。控訴審において、被告会社は、北城氏あるいはその他の適任者を証人尋問して、欧米における発明者の処遇について証言してもらうべきではないだろう か。一方、原告は、中山教授を証人尋問して、日本の職務発明規定の対価の額や従業者の権利意識の面において欧米に及ばない点について証言してもらうべきで はないだろうか。そのような証人尋問が行われた後に判決がなされれば、より真実に近い判決が得られるのではないだろうか。

[10]2004年2月27日に味の素を被告とした職務発明事件(以下、「味の素事件」という。)の東京地裁判決がなされている。味の素事件東京地裁判決のオリジナルな点は使用者等の貢献度を 拡張解釈した点である。東京地裁は次のように判示している。
特許法35条4項には「その発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を考慮すべきである旨規定されている が,・・・特許を受ける権利の承継後に使用者が現実に得た実施料をもって「その発明により使用者等が受けるべき利益の額」として「相当の対価」を算定する 場合においては,考慮されるべき「使用者等が貢献した程度」には,「その発明がされるについて」貢献した程度のほか,使用者等がその発明により利益を受け るについて貢献した程度も含まれるものと解するのが相当である。すなわち,「使用者等が貢献した程度」として,具体的には,その発明 がされるについての貢献度のほか,その発明を出願し権利化し,さらに特許を維持するについての貢献度,実施料を受ける原因となった実施許諾契約を締結する についての貢献度,実施製品の売上げを得る原因となった販売契約等を締結するについての貢献度,発明者への処遇その他諸般の事情が含まれるものと解するの が相当である。
味の素事件東京地裁判決は特許法35条4項を次の4''''項のように解釈したことになる。
4''''  前項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて並 びにその発明がされた後にその発明及びその発明者について使用者等が貢献した程度のみを考慮して定 めなければならない。
ここで、「その発明がされた後にその発明について使用者等が貢献した程度」が「その発明を出願し権利化し,さらに特許を維持するについての 貢献度,実施料を受ける原因となった実施許諾契約を締結するについての貢献度,実施製品の売上げを得る原因となった販売契約等を締結するについての貢献 度」であり、「その発明がされた後にその発明者について使用者等が貢献した程度」が「発明者への処遇その他諸般の事情」ということになる。この拡張解釈は 妥当な解釈ではないかと思う。
 しかし、味の事件の東京地裁の解釈でも、依然として、「・・・のみを考慮して定めなければならない。」という解釈である。特許法35条4 項には、「・・・を考慮して」と規定されているのであり、また、それ以外を考慮してはならないとも規定されていないのであるから、私としては、勤務規則を 定める時に当然考慮すること、例えば他の従業者等とのバランス等も考慮してよいと考える。そうだとすると、かなり多くの日本の企業の職務規則が適法にな り、わざわざ特許法35条4項を規定した意味がないといわれるかもしれないが、わざわざ「のみ」を追加して、多くの(恐らく全ての)日本の企業の職務規則 が違法であるように解釈する方が異様な解釈だと思う。企業内には、発明者以外に、特許の出願業務を行う従業者や、著作物を作成する従業者や、工場で製品を 製造する従業者や、製品を販売する従業者等もいるのであり、そのような従業者の中にも、特定の有能な者が特に優れた能力を発揮して「使用者等が受けるべき 利益の額」に大きく貢献する場合もあるはずであり、そのような従業者等に使用者等が報いようとすれば、使用者等が受けるべき利益の額及び使用者等が貢献し た程度を考慮して、もちろん、その他の事情も考慮して、ボーナスや報奨金を与えると考えられる。
 したがって、特許法35条4項は使用者等が有能な従業者等に報いようとする時の当たり前のことを規定しているのに過ぎないのではないだろうか。裁判所の 判例のように解釈すると、特定の有能な発明者だけに破格の待遇を与えることになってしまい、他の面で有能な従業者等を著しく差別することに なってしまうことになる。
裁判所が、他の従業者等を著しく差別して、特定の発明者だけに破格の待遇を与える よう使用者等に強制するために、国会が特許法35条を制定したとは思えないのである

[11]特許権者である会社が原告として特許権侵害訴訟を行うときは、被告の製品は本件特許を侵 害しており、本件特許は有効である旨主張する。ところが、発明者から職務発明訴訟を起こされると、同じ特許権者である会社は被告として、本件特許は実際に 使用されている技術とは異なっており、本件特許は無効の可能性がある旨主張しなければ、勝てないのである。結局、特許権者の会社は特許権侵害訴訟と職務発 明訴訟で正反対のことを主張しなければ勝てないのである。
 本文で特許権侵害訴訟の被告にはいくつかの防御の手段があると述べたが、それ以外に、
フェアプレイとは言い難いが、侵害訴訟の被 告が原告の特許公報を職務発明訴訟専門の弁護士に送るという防御の手段が考えられる。その弁護士が、発明者に前掲[9]中 山信弘著「工業所有権法(上)特許法[第2版増補版]」の68頁を見せて説得すれば、ほとんど全ての発明者は、私利私欲のためだけではなく、欧米に追いつ くためには自分が立ち上がらなければならないと考えて、職務発明訴訟を行うことを承諾するはずである。そうすると、特許権者である 会社は、侵害訴訟の被告と職務発明訴訟の原告(発明者)に挟まれて、身動きができなくなってしまうのである。
 また、特許権侵害訴訟では相手の反論があるため、侵害を立証するのは容易ではないが、職務発明訴訟では相手(特許権者の会社)がそれ以前にその発明を高 く評価しているのであるから原告(発明者)にとって簡単に勝てる訴訟なのである。したがって、職務発明訴訟のノウハウを多くの弁護士が身につければ、価値 のある特許を保有する日本全国の全ての会社に対して職務発明訴訟が起こされるはずである。
 職務発明訴訟の予防法が一つだけあるのではないかということに気がついた。発明された後に、会社と従業者(発明者)がその発明について契約を締結するの である。その契約書には、会社は職務規則どおりの対価を支払い、発明者はその対価を了承し、職務発明訴訟は起こさない旨規定するのである。
東 京高裁が2度に渡って判示したように特許法35条3項、4項が強行規定であるとすれば、このような契約書は何の役にも立たない。しかし、オリンパス事件の 最高裁は強行規定とは判示していないのである。最高裁は、2項の反対解釈から、あらかじめ定める勤務 規則等において、いまだ職務発明がされておらず、特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に、あらかじめ対価の額を確定的に決めるこ とはできないとしているだけである。また、前掲[3]において、最高裁判所調査官は次のように述べてい る。
・・・2審が特許法35条3項・4項は強行規定である旨を・・・判示したのに対し、本判決は、いまだ職務発明がな されておらず、承継されるべき特許を受ける権利の内容や価値が具体化する前に、あらかじめ対価の額を確定的に定めることはできないなどと判示するに とどまっている。・・・強行規定であるとすると、発明された後に会社と従業員が特許を受ける権利の継 承の対価につき契約したときでも、従業員は相当の対価に達するまでの請求権を失わないのか、・・・といった疑問が生じ得る。強行法 規とみる見解は・・・、異論もあり得よう。
最高裁判所調査官が法律雑誌に記載した解説に法的効力はないとしても、最高裁の法律判断を理解する上で有力な手がかりになるのではないかと 思う。この記載を反対解釈すると、「強行規定でないとすると、発明された後に会社と従業員が特許を受ける権利の継承の対価につき契約したときは、従業員は 相当の対価に達するまでの請求権を失う」となる。したがって、「あらかじめ」ではなく、発明された後に対価の額を確定的に決める契 約を結べばよいのではないだろうか。
 私は、法律の専門家ではないのでこの方法が本当に有効かどうかはわからない。もし、この方法を使うのであれば、法律の専門家に相談していただきたい。
も し、この方法でだめであるとすれば、職務発明訴訟の予防法はなく、東京地裁と東京高裁の知的財産権部は職務発明事件で溢れかえることになると予想する。

[12]特許庁が公開している法律案・理 由のPDFファイルの39頁に規定されている経過措置には、「改正後の特許法第三十五条第四項及び第五項の規定は、この法律の施行後にした特許を 受ける権利若しくは特許権の承継又は専用実施権の設定に係る対価について適用し、この法律の施行前にした特許を受ける権利若しくは特許権の承継又は専用実 施権の設定に係る対価については、なお従前の例による。」と規定されている。したがって、既に提起されている職務発明事件について現行法が適用されるばか りでなく、改正法施行前に特許を受ける権利等を継承した特許権についての職務発明事件についても現行法が適用される。

[13]職務発明に関する最高裁判決以降の出来事を日付順に並べた表を次に示す。
2003年04月22日 オリンパス事件最高裁判決(228万9000円)
2003年10月24日 特許庁が「職務発明制度の在り方について」(案)を公表
2004年01月29日 産業構造審議会知的財産政策部会が「職務発明制度の在り方について」を決定
2004年01月29日 日立事件東京高裁判決(1億2810万6300円)
2004年01月30日 青色発光ダイオード事件東京地裁判決(604億3006万円(内金200億円))
2004年02月10日 特許庁が特許法35条改正案を公表
2004年02月27日 味の素事件東京地裁判決(1億8935万円)

[14]上記の[13]の表から明らかなように、味の素 事件東京地裁判決は35条改正案が公表されてから17日後になされているのであるから、裁判官は改正案を読み、これと実質的に同じになるように現行法の解 釈を行ったと考えられる。経過措置により、現行法による職務発明事件と改正法による職務発明事件が20年以上に 渡って混在するのであるから、現行法と改正法の解釈を実質的に同じにしておかないと不公平となるからである。したがって、味の素事件東京地裁判決における 現行法の4項の解釈は、味の素事件の地裁裁判官が行った改正案の5項の解釈でもあるのである。
 
なお、改正案公表前になされた青色発光ダイオード事件東京地裁判決では現行法の「そ の発明がされるについて使用者等が貢献した程度」を厳密に解釈して、「発明がされた後のこれらの事情は,そ もそも使用者会社の貢献度として考慮される事情に当たらない」としている。

[15]上記の[13]の表から明らかなように、産業構造 審議会知的財産政策部会が開催された1月29日(木)と同じ日に、日立事件東京高裁判決がなされている。出席した委員は会議が終わってから日立事件におい て東京高裁が地裁判決の約4倍の高額の判決を行ったことを知ったはずである。そして、次の1月30日(金)に青色発光ダイオード事件東京地裁判決で604 億円が認定され、びっくりしたと考えられる。議 事録に示されているように会議が平穏に終わっているのは、この時点では委員がこの二つの判決を知らなかったからである。も し、この会議が2月2日(月)に開かれていたとしたら、このように平穏な会議ではすまなかったと思う。

[16]アメリカでは資金力のないベンチャー企業等が優秀な人材を確保するためにストックオプ ション制度を利用することが少なくないようである。したがって、アメリカではストックオプションによって大きな利益を得る発明者もいるかもしれない。しか し、アメリカでストックオプションによって発明者が大きな利益を得ることがあるからといって、日本の裁判所が高額な相当の対価の支払いを命令することが妥 当であることにはならない。
 ストックオプションについては、「連載  知っててトクする株式講座第2回 ストックオプション制度の落とし穴」、杉山靖彦、2000/06/19に、次のように記載さ れている

ストックオプションを実施するためには、次の3つの方法が考えられます。

(1)申し込み期間の非常に長い新株式発行
(2)市場から買い戻した自社株式の贈与
(3)転換社債を発行し、株式購入券であるワラント部分のみを付与

 米国では(1)が一般的ですが、日本においては商法などの絡みから(3)を採用するベンチャー企業も少なくありません。方法は いずれにせよ、このストックオプションを与えられた人がその権利を行使して株式を売却することによって、

「現在の株価」−「(一般的には)権利を付与された時点の株価」

を利益として得ることができます。つまり、権利を付与された時点と比較して株価が上昇すればするほど得ることができる利益は大き くなるわけです。したがって、ストックオプションの付与を受けた人は、この利益を最大化するため、企業の会社の業績を上げるために努力するであろうという わけです。

このようなストックオプションを会社が従業者に付与すれば、従業者としては優れた発明を行い、会社が利益を得て株価が上昇すれば、ストック オプションの権利を行使して自分も利益を得られ、また、会社としては株価より遙かに低額の配当金を支払うだけでよいのであるから、安いコストで従業者にイ ンセンティブを与えることができるのである。すなわち、ストックオプションは会社にとっても従業者にとっても利益のある制度である。なお、株価が上昇しな ければ従業者は利益を全く得られない。また、当然のことであるがアメリカでは裁判所が企業に対してストックオプションの付与あるいは相当の対価の支払いを 命令することはあり得ない。アメリカでは企業経営者も自由に創意工夫を発揮して経営できる環境が整えられているようにみえるのである。
 これに対して、日本の裁判所が被告会社に対して支払いを命じる高額の相当の対価は元従業者に支払うものであり、元従業者にとっては大きな利益になるが、 会社にとっては全く利益がない高額な金銭の支払いでしかない。
報告書「職 務発明制度の在り方について」の6頁には、「まず何よりもこうした職務発明の担い手に対して、更なる研究開発、発明に向けたインセンティブを付与 することが必要である。・・・併せて、こうした資金やリスクの担い手である企業や大学等に対しても、研究開発投資を増大させるようなインセンティブを付与 することが必要である。」と記載されている。被告会社に現在いる従業者にとっては、元従業者が高額な支払いを受けた事実が間接的な インセンティブになるかもしれないが、被告会社にとっては、経営判断の及ばない高額な金銭の支払いであり、企業にとっては負のインセンティブにしかならな いと思う。

[17]日本の裁判所や法律の専門家が欧米に比べて突出して高額の相当の対価を指向するするの は、企業と大学の区別がついていないことも一因ではないかと思う。2004年3月27日の日本経済新聞は次のように伝えている。
 国立大学特許料研究者手厚く
 30−50%を配分 九州工大が最高の70%
 四月の法人化を機に、国立大学が特許料収入の配分を発明者の教員に手厚くする。主要32校を対象にした日本経済新聞社の調査による と、30%還元の大学が多数を占め、国が特許管理する現行規定(100万円超過分は25%)に比べて研究者の厚遇ぶりが目立つ。
 ・・・
 各大学の規定は民間企業と比べても発明者を優遇する内容となっている。
この記事においても、大学と民間企業は同じであるという前提で、「各大学の規定は民間企業と比べても発明者を優遇す る内容となっている」としているのである。しかし、大学と民間企業では事情が全く異なるのである。
 大学は製品を製造販売することはないから、特許から利益を得る唯一の方法は企業に特許をライセンスしてライセンス料(特許料)を受けることだけである。 ライセンス料は、ライセンス契約によって明確に定められた金額であり、実際の収入である。大学はこの実際の収入の30−50%を発明者に分配するのである から、その金額は明確であり、裁判所が企業に対して認定する想定実施料収入のような架空の金額が入り込む余地がないのである。また、大学においても
特 許出願手続、ライセンス交渉等の費用は必要であるが、大学は製品を製造販売することはないから、実施化のた めの技術開発、当該研究開発のリスクの負担、具体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも幅広く 行っている当該利益に間接的に繋がる研究開発製品の製造、営業・宣伝活動等の費用は 全く考慮する必要がないのである。これらはライセンスを受けた企業が負担する費用であり、ライセンス料はこれらの費用を考慮して決められるはずである。さ らに、ライセンス料にはライセンスを受けた企業の利益および一般管理費等の費用も考慮されているはずである。そして、特許法69条に「特許権の効力は、試 験又は研究のためにする特許発明には、及ばない。」と規定されているから、大学は、試験又は研究を行うために企業から特許のライセンスを受ける必要はな く、この費用も考慮する必要がないのである。
 利益を得ることを通常は考えない大学の研究者に、ライセンス料の30−50%を分配してインセンティブを与えれば、利益を得る研究を指向するようになる はずである。そして、ライセンス収入があれば、それから発明者に分配した金額と費用を差し引いた金額を研究費に充当することもでき、国立大学であれば税金 の負担を減らすことができ、私立大学であれば授業料を安くすることができるのである。
 大学とは違い、民間企業は製品を製造し販売している。特許をライセンスしてライセンス料を受けることもあるが、他社にライセ ンスしない場合もある。また、製品を製造販売するためには、他社からライセンスを受けることも必要である。他社とクロスライセンス契約を行う場合も少なく なく、この場合は個別の特許1件についてのライセンス料は明確ではない。企業にとっては、特許出願手続、ライセンス交渉等の費用の ほかに、一般管理費、実施化のための技術開発、当該研究開発のリスクの負担、具 体的利益に直接繋がる発明を生みだす研究開発以外にも幅広く行っている当該利益に間接的に繋がる研究開発、他社に支払うライセンス料、製 品の製造、営業・宣伝活動等の費用を負担する必要があるばかりでなく、このような費用のほかに、利益が得られなければ企業活動を存 続できないのである。
 
このような事情から、企業の場合は、相当の対価を客観的かつ明確に決めることはでき ないのである。しかし、裁判が提起されれば、裁判所は相当の対価を決めなければならないから、例えば、青色発光ダイオード事件東京地裁判決では、実 際には被告会社が想定実施料収入を豊田合成とクリー社から受 けるわけではないにもかかわらず、被告会社の過去の実績および将来の予測の売上高のうちの(1/2)×20%分が想定実施料収入であるとして架 空の独占の利益を認定し、これに発明者の貢献度50%を乗じて、「604億円を支払え。」と判決しているの である。しかも、青色発光ダイオード事件においては、相当の対価が争われている特許については被告会社は他社に実施許諾してしておらずか つ、他社(豊田合成およびクリー社)も常に何割か輝度が劣るとしても青色発光ダイオードを製造販売しているに もかわらず、裁判所は上記の架空の独占の利益を認定しているのである[18]
 改正案によって、「その発明に関連して使用者等が行う負担、貢献及び従業者等の処遇その他の事情」が考慮されることになった が、報告書「職 務発明制度の在り方について」の6頁に「併せて、こうした資金やリスクの担い手である企業や大学等に対しても、研究開発投資を増大 させるようなインセンティブを付与することが必要である。」と記載されていることからも明らかなように、企業と大学を区別して検討 して、改正案が作成されているわけではない。改正案は大学にとっては特に問題がなく、また、大学におけるライセンス料の30 −50%は欧米における報奨金と同程度の金額になると考えられるが、企業にとっては今後も納得できないと感 じられる判決が続きそうである。

[18]青色発光ダイオード事件で東京地裁は次のように事実認定しており、この事実認定が604億円の相当の対価の基礎に なっているのである。
競業関係にある豊田合成及びクリー社も,それぞれMOCVD方法によりGaN系化合物半導体結晶膜 を成長させていることがうかがわれるものの,結果として,青色LEDが製品化されて以来現在に至るまで,本件特許発明を独占して実施する被告会社の 製造する高輝度青色LEDに比して,常に何割か輝度の劣るLEDしか製造できておらず,このことからすれば,高輝度LED及びLDに関しては,本 件特許発明の方法によってもたらされる結晶膜の質の差が,製品となった半導体発光素子の品質(輝度)に決定的な役割を果たしているものと認められる。
ところが、日経ビジネス、2001年9月3日号、28頁〜31頁の 記事「日亜化学、特許戦略を転換か」には、次のように記載されている。
学会での発表を見る限り、先行しているのは米クリー社である。既に30%を越える発光効率を実現している。蛍光灯 が持つ40%まであと一歩に迫った。一方の日亜化学は20%台にとどまっているという。今後、日亜化学が発光効率の高いLEDを生産するためには、どうし ても他社からライセンスを受けなければならない状況にきているのかもしれない。
同記事には、次のような記載もある。
 日亜化学が所有する特許のほとんどを取得した中村氏はこう話す。
 「取得した特許は特にバランスを考えて申請したわけではなく、自分で勝手に出したモノばかり。とても網羅性があるとは思えない。今と なっては穴だらけではないか。」
 また、豊田 合成のウェブサイトには、「豊田合成は世界に先駆け最も明るい青色・緑色・青緑色LEDの開発に成功しました。」と記載されており、ク リー社の国内総販売代理店の住友 商事のウェブサイトには、「「エックスブライト」シリーズは世界最高水準の輝度を誇り、携帯電話のフルカラー液晶バックライト用の白色LED向け に急成長が見込まれている。」と記載されている。
 このような記事やウェブページを読むと、604億円の相当の対価の基礎となった東京地裁の上記の事実認定が真実だろうかという疑問が生じ てくる。
 私は基本的には裁判所の事実認定を信用するが、それは、
裁判官が原告被告間で展開される攻撃防御を見て、どちらが勝ちかを決める という民事訴訟の仕組みがあるからこそである。ところが、「職務発明事件と裁判所の認定判断」の「11.職務発明訴訟と攻撃防御」で述べたとおり、職務発明事件では民 事訴訟の攻撃防御の仕組みが正常に機能しないから、私としては職務発明事件の裁判所の事実認定は信用できないのである。東京地裁の上 記の事実認定も、民事訴訟の仕組みが正常に機能しなかったことの結果ではないだろうか。

[19]2004年11月20日の日本経済新聞は、「味の素の人工甘味料「アステルパーム」の製法特許を開発した元社員、成瀬昌邦氏(63)が、発明の対 価の一部として同社に約6億8900万円の支払いを求めた訴訟の控訴審は19日、同社が和解金1億5000万円を支払うことを条件に東京高裁(北山元章裁 判長)で和解が成立した。」と報道している。東京地裁の判決が
1億8935万円であったから、2割引での和 解である。通常、和解する時は和解の金額等を公表しないことを条件とするのだが、このような金額が公表される条件で東京高裁が和解させたということは、東 京高裁としてはこの金額を相場にしたいと考えたのではないだろうか。
 今年の改正で、特許法35条4項が「
契約、勤務規則その他の定めにおいて前項の対価について定める場合には、・・・、その定めた ところにより対価を支払うことが不合理と認められるものであつてはならない。」と規定され、勤務規則等に基づく対価の支払いが不合 理でなければ、裁判所は対価の支払いに介入できないことになった。しかし、この和解で形成された相場からみて不合理な金額であれば、東京地裁、東京高裁は 勤務規則等を無視して、この相場に基づいて支払額を決定することになると予想される。
 この相場は世界最高の水準であると考えられるから(「
9.諸外国の報奨金等」 参照)、研究開発を志す者が増え、海外から日本の企業での研究開発を希望する者も増えるかもしれない。企業から通常の俸給を得なが ら、つまり安定した収入を得ながら、うまくいけば高額の発明の対価を得ることができるのであり、日本の企業で研究開発を行うことはロー リスク・ハイリターンである。また、それほど優れた発明でなくても、辣腕弁護士を利用すれば、訴訟に慣れていない企業から高額の対 価を得ることも可能であり、日本は発明者天国になるだろう。一方、企業にとっては、出願するたびに将来の訴訟のリスクを負うのであるから、日本は地獄であ る。日本の企業は、研究開発部門とそれに密接に関係する先端製品の製造部門だけを日本国内に残し、その他の製造部門を中国等の外国 に移転させていると考えられる。しかし、日本の特許法35条と裁判所の解釈によって、研究開発部門や先端製品の製造部門も海外へ移 転させなければならなくなるかもしれないのである。特許法35条とそれに基づいて裁判所が決めた相場が、特 許法1条の「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。」に 合致するかどうかは疑問である。

[20](05.01.11追記
2005年1月11日の日本経済新聞夕刊によれば、青色発光ダイ オード事件で、発明対価6億円(遅延損害金を含めれば8億4千万円)で和解が成立した。特許191件に対する中村氏の貢献度を最大でも5%として対価を算 定したとのことである。東京高裁は和解ではなく判決を書くべきだったのではないだろうか。これほど話題を集めた事件で発明の対価を1/100にしたのであ るから、その理由を東京高裁は判決で明確に判示すべきだったと考える(知財高裁のサイトに和解勧 告書が掲示されている)。中村氏の発明の対価が6億円とすれば、味の素事件の1億5000万円は高すぎると思う。今後の事件では、この相場に合わ せた金額を根拠づける計算式を地裁が「発明」するのだと思うが、それでは裁判所への信頼は揺らいでしまうのではないだろうか。これは法律自体や判例、学説 が不適切であるからである。2005年4月に改正特許法が施行されれるが、職務規程等による対価の支払が合理的でないと裁判所が認定すれば、これまでと同 じである。そして、改正特許法によれば、企業は合理的な発明の対価の額を算定しなければならないから、その算定のために資料を作成しなければならず、その 資料作成のコストはかなりの額になるのではないだろうか。もし、アメリカで特許訴訟が起こり、ディスカバリで要求されれば、そのような資料を提出しなけれ ばならないが、それが日本で研究開発を行う企業に有利に働くか不利に働くかは未知数である。また、工場で生産に従事している者が、職務上発明を行った時 に、その発明に対する対価を企業が支払うのは当然のことであるが、それは、その者に対する給与は生産の仕事に対する対価であり、発明に対する対価を含んで いないからである。これに対して、研究開発に従事する者に対して企業はその研究開発の仕事に対して給与という形で対価を支払っている。それにもかかわら ず、研究開発の仕事の結果である発明の対価を、給与とは別に企業に支払わせる理論的根拠も明確ではない。このようなことも考慮して、再度、特許法を改正す べきではないだろうか。また、法律学者も法律の条文と判例だけに依存して頭の中だけで考えた学説を発表するのではなく、世の中の常識や世の中の仕組みや特 許実務の知識もその根拠を明らかにした上で考えに入れて学説を発表すべきではないだろうか。

[21](2006.10.29追記)2006年10月17日の日立事件最高裁判決で、 外国特許についても発明者は会社に対して相当の対価の支払いを請求できることになった。判決の数日前の新聞報道で、口頭弁論が行われず原判決が支持される ことを知った。その時、私としては、最高裁が特許法35条に規定された「特許」は国内特許だけでなく、外国特許も含むと判断するに違いないと予想した。な ぜなら、35条には国内特許だけに限るとも、外国特許を含むとも記載されていないから、最高裁は外国特許を含むと解釈することが可能だからである。最高裁 が35条の「特許」は外国特許を含むと解釈して、外国特許にも相当の対価を請求できると判示するのであれば、裁判所の権限の正当な行使である。
 ところが、判決を読んで驚いた。最高裁の判示は、35条の「特許」は外国特許を含まないから、外国特許について文理上35条3項4項を直接適用すること はできない、しかし、35条3項4項を類推適用すべきであるというものだったからである。例えば、アメリカの合衆国最高裁は、MGM v. Grokster P2Pソフト配布事件でコモンローと特許法を類推適用して著作権分野に誘因論による著作権侵害を導入している。このような類推適用なら理解できる。ところ が日立事件の最高裁の類推適用はこのようなものではない。文理上35条3項4項を直接適用できないとした上で、同じ条文の35条3項4項を類推適用してい るのである。私は法律全般の専門家ではないから、このような類推適用が日本で普通に行われているのかどうかは知らないが、文理上適用できないとした条文自 体を類推適用するというのは私としては不思議に思えるのである。
 なぜなら、最高裁は外国特許について文理上35条3項4項を直接適用できないと判断したのであるから、この条文を制定した国会は35条3項4項は国内特 許だけに適用することを意図して立法したのであり、国会は外国特許については何も立法していないと最高裁自身が認識しているからである。それにもかかわら ず、最高裁は、立法機関である国会が何も行わなかった外国特許について35条3項4項を類推適用するという事実上の立法を行ったことになる。国会が国内特 許だけを意図して立法し、外国特許については何もしていない場合に、最高裁は、国会が何もしていない外国特許について、事実上の立法を行う権限を有してい るのだろうか。
 最高裁は、外国特許について文理上35条3項4項を適用できないと判断したのであるから、本来であれば、原告の請求は法的根拠がなく、原告の請求は認め られないと判示すべきだったのではないだろうか。そうすれば、外国特許に関する職務発明について、(特許庁が審議会の意見を聞いて法案を作成し、国会に法 案を提出し、)国会が審議して、立法を行うことができたのである。その場合、国会や審議会の審議では、職務発明の制度は国によって異なり、例えば、アメリ カにはこのような制度はなく、ヨーロッパには類似の制度があるが、民事訴訟を行って金額を決めるわけではなく、金額は日本の裁判所が認定する金額の1桁か 2桁下であるという事情(「
9.諸外国の報奨金等」参照)が考慮され るはずである。また、経営者側と発明者側の政治的な要求も考慮されるかもしれない。
 したがって、最高裁が、本判決によって、35条を単純に類推適用して事実上立法した外国特許に関する職務発明の規定と、国会が審議して新たに立法するか もしれない外国特許に関する職務発明の規定は、全く異なる可能性が高いのである。もちろん、裁判所が、国会が制定した法律のない領域において、普遍性のあ る人間社会の法則に基づいて判例を作り、事実上の立法を行うのであれば、それは裁判所の正当な権限の行使であり、また、裁判所がそのような判例を作ること は社会にとって望ましいことだと思う。しかし、本事件は、そのようなものではなく、国の政策により、国によって異なる立法がなされている分野の事件であ る。このような分野において、最高裁が、文理上適用できないと判断した条文自体を単純に類推適用して、事実上の立法を行うのは、裁判所の権限の濫用であ り、社会にとって望ましいことではないと思う。

[22]
(2009.01.10追記)2009 年1月5日の日本経済新聞朝刊の「特許 ソフトも保護対象」という見出しの記事の最後の部分に、職務発明に関して次ように記載されていた。
 「また、企業の従業員が仕事として手がけた「職務発明」についても見直しの必要性を議論する。現行法では企業が特許権を譲り受ける代わりに、発明者に 「相当の対価」を支払わなければならない。職務発明を巡る技術者と企業との相次ぐ訴訟を念頭に置き、特許権の保有者を発明者、企業のいずれにするか、技術 者との企業の契約のなかで定めるべきかなどを慎重に探る。」
 上記の記事によると、自然人(従業者等)だけでなく、法人(企業)も発明者となり得ることを議論することになるのだろうと思う。あるいは大正10年法の 発明者主義から明治42年法の使用者主義に戻るかどうかを議論するのかもしれない。
 「11.職務発明訴訟と攻撃防御」で述べたように「職務発明訴訟では民事訴訟の仕組みが正常に機能しない」か ら、職務発明訴訟では、必ず原告(発明者)が勝ち、必ず被告(企業)が負けることになるのである。このような、予め原告(発明者)の勝ちが決まっている裁 判が、公平な裁判といえるのだろうか。職務発明の見直しは、予め負けが決まっている企業に取っては大歓迎かもしれないが、発明者(従業者等)は職務発明訴 訟を行えば必ず勝てるのであるから、職務発明訴訟を行っている人たちは絶対反対であろう。そこで、「慎重に探る」ということなのだろう。
 私は、かつて特許庁で審査官をしていたが、特許庁に入庁したばかりのときに、特許法を第1条から読んでいき、35条(職務発明)に疑問を感じたことを今 でも覚えている。日本の出願の多くは企業からの出願であるから、ほとんどの出願は職務発明によるものである。そして、ほとんどの職務発明者は工場で製品を 組み立てているような人ではなく、研究開発を職務としている人たちである。ほとんどの職務発明者は職務命令により研究開発を行い、その成果物として発明が 得られるのである。したがって、職務発明者はその研究開発の対価として給与を受け取っているにもかかわらず、さらに、35条により、「相当の対価の支払を 受ける権利を有する」のである。これは研究開発を行う者に対して、法律が給与の2重払いを強制していることである。このような35条は、特許法の勉強を始 めたばかりの私には、あまりにも不合理で、理解しがたい条文であった。
 そこで、私は、35条は研究開発を職務としている人たちではなく、工場で製品を組み立てている人が、自分が組み立てている製品の形状を変えれば不良品が 出にくくなるというような発明を行った場合に適用される条文に違いないと思ったのである。なぜなら、工場で製品を組み立てている人は、その仕事の対価とし て給与を受けているのであり、研究開発の対価としての給与は受けていないのであるから、そのような人が発明を行った場合にその発明に対する対価を企業が支 払うのは合理的であるからである。しかし、もしかすると、この場合は研究開発の職務命令を受けていないのであるから、職務発明ではなく、自由発明であり、 従業者等が勝手に特許出願できるというのが通説なのかもしれない
[23]。 実際には、職務発明訴訟は、研究開発の職務命令を受けて発明した職務発明者が必ず勝つ裁判であり、特許法35条は給与の2重払いを強制している条文と解釈 されているのである。
 ところで、今日(2009年1月10日)の日本経済新聞夕刊には「国の保有特許1円で利用可能に」という見出しの記事が載っ ている。この記事には次のように記載されている。
 「実施権料を、特許の内容などによっては一円でも利用できるよう認めるなど安い価格とする。国が保有する環境分野などの特許活用を促し、民間の競争力強 化につなげる狙い。」
 これは国の施策としては優れたものであると思うが、職務発明に関しては面白い問題を提起している。国が民間の競争力強化のために実施権料を1円にして民 間企業に実施させたところ、その発明によりその民間企業が莫大な利益を得た場合に、それを発明した国の研究者は、1円に発明者の貢献度を掛けた金額(5銭 〜50銭)の発明の対価しか受け取れないのだろうか。もし、その研究者が国を相手どって職務発明訴訟を提起した場合に、裁判所は、その民間企業の莫大な利 益からみて適切な実施権料を算出し、その実施権料に発明者の貢献度を掛けた巨額の発明の対価を国は発明者に対して支払えと判決するのだろうか。
 (以下2009.01.12追記)35条5項に「…その定めたところにより対価を支払うことが同項の規定により不合理と認められる場合に は、第三項の対価の額は、その発明により使用者等が受けるべき利益の額…を考慮して定めなければならない。」と規定されており、5銭〜50銭は明らかに不 合理と認められる場合であるから、裁判所は「
その発明により使用者等が受けるべき利益の額」(民 間企業の莫大な利益からみて算出された適切な実施権料)を考慮して合理的な発明の対価(巨額の発明の対価)を支払えと判決すること になるはずである。

[23](2009.02.01追記)[22]で 述べたように、工場で製品を組み立てている人が、自分が組み立てている製品の形状を変えれば不良品が出にくくなるというような発明 を行った場合は、職務発明ではなく、自由発明であり、従業者等が勝手に特許出願できると解釈されるのは、特許法35条1項に「その 性質上当該使用者等の業務範囲に属し、かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に属する発明(以下「職務発 明」という。)」と規定されているからである。
 この規定の後半部分「
その発明をするに至つた行為が…職務に属する」を文言通り読めば、研究開発の職務命 令を受けている従業者等による発明だけが職務発明となり、35条の適用を受けることになる。一方、それ以外の場合、例えば上記のように、工場で製品を組み 立てている人がその製品の改良発明を行った場合は、前半部分の「その性質上当該使用者等の業務範囲に属し」 には該当するが、研究開発の職務命令は受けていないから後半部分のその発明をするに至つた行為が…職務に 属する」には該当しない。したがって、この場合は、自由発明であり、35条の規定の適用を受けず、従業者等が勝手に出願できることになってしまうのであ る。
 しかし、一般の人の常識からすれば、このような場合に従業者等が勝手に出願できるのはおかしいと感じるはずである。また、研究開発の職務命令を受けてい る従業者等の場合は給与の2重払いを国が企業に強制しているというのも常識外れである。しかも、出願時点では発明の価値はわからないから、出願時点では発 明の対価がいくらになるのか予測不能である。その出願が特許となり、その後、その特許が実際に使用され、企業に莫大な利益をもたらしたときに、その莫大な 利益に発明者の貢献度を掛けた金額が相当の対価となるのである。企業がこのような将来にならなければ金額がわからない金銭の支払いの義務を負う契約等を行 うことは普通はないはずである。例えば、ゲームソフト(著作物)の制作では、作品がヒットしたかどうかでボーナスが大きく変動するような契約等を行うかも しれないが、それは企業の自由意志で行うのであり、著作権法によって強制されて行うわけではなく、また金額が不合理だとして裁判所から巨額の金銭の支払い を命じられることもない。このような点からも35条は常識に反していると思う。
 私は35条1項の上記規定は立法ミスであると思う。
この立法ミスを正すには例えば、「その性質上当該使用者等の業務範囲に属し、 かつ、その発明をするに至つた行為がその使用者等における従業者等の現在又は過去の職務に関する発明(以下「職務発 明」という。)と改正すればよいのではないだろうか。
 このように改正すれば、
工場で製品を組み立てている人がその製品の改良発明を行った場合は職務発明となり、自分で勝手に出願する ことはできないが、その代わりに相当の対価を受け取るのである。この場合、企業はその発明に対しては給与を支払っていないのであるから、その発明に対して 対価を支払うのは当然であり、35条は合理的な条文となる。一方、その従業者等が実際に組み立てている製品(例えばオーディオ装置のアンプ)とは直接関係 しない発明(例えばオーディオ装置のスピーカーの発明)を自宅で趣味で行った場合は職務発明とはならず自由発明になり、自分で勝手に出願できるのは当然で ある。
 そうすると、研究開発の職務命令を受けている従業者等の場合は、研究開発に対して給与(工場で製品を組み立てている従業者等の給与より高額のはずであ る)を受けているのであるから、相当の対価の支払いを給与として受けていると解釈でき、35条を給与の2重払いを強制する条文と解釈をしなくてもすむので はないだろうか。もちろん、研究開発の職務命令を受けている場合であっても、その給与が工場で製品を組み立てている従業者等の給与とそれほど違わず、研究 開発の職務に対して合理的な給与が支払われていない場合は、当然、相当の対価の支払いを受ける権利を有するであろう。
 現在の法律およびその解釈では、職務発明訴訟の原告であるごく少数の元社員が過去の発明に対して巨額の相当の対価を受けるだけである。これに対して、上 記のように法改正を行い、上記のように解釈すれば、過去の発明で一発当てたごく少数の元社員に巨額の金銭を支払うのではなく、現在研究開発を行っている一 般の職務発明者の給与水準を底上げすることができるのではないだろうか。私としては、こちらの方が、発明を奨励し、産業の発達に寄与し、技術革新を促進す るのではないかと思うのである。



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