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米国判例の翻訳と日米判例の対比

2002年9月28日                     
井上雅夫(弁理士、情報ネットワーク法学会会員)

 これは2002年9月28日に明治大学で行われた第1回判例情報論研究会情報ネットワーク法学会の研究会)における講演の講演録です。この講演録は情報ネットワーク・ローレビュー、第1巻、2003年3月、P.104-P.117に研究会報告として掲載されました。このウェブ上での公開では、目次と見出しを付けています。

目  次
1.ホームページ
2.翻訳のノウハウ
3.アメリカの裁判制度と日本の裁判制度
4.日米の最高裁判決の数値データによる対比
5.日米の最高裁判決の法律判断の相違

1.ホームページ
 井上雅夫(いのうえ・まさお)です。今日は「米国判例の翻訳と日米判例の対比」についてお話させていただきます。

 これが私のホームページ「プログラム関連米国判決集
です。サブタイトルは「プログラムと法律のインターフェース」です。私は法律の専門家ではなく技術系ですが、法律もある程度は分かります。また、プログラムの専門家でもありませんが、プログラムもある程度は分かります。そこで、プログラムと法律のインターフェース役ができるのではないかということで、このような副題をつけたホームページを始めたわけです。

 私は現在3つの分野の判例翻訳をやっております。最初は「プログラムの著作権米国判決集」というタイトルで、アメリカのプログラムの著作権の判決を翻訳して紹介したいと思って始めました。しかし最近では、ナップスター事件などの重要な事件を取り扱うようになりましたので、著作権関係のページのタイトルを「プログラム関連著作権」に変えました。

 次に始めましたのは、「マイクロソフト独禁法違反事件」です。なぜこれを始めたかといいますと、プログラムの著作権の最大の受益者がマイクロソフトだろうと考えたからです。プログラムを自由にコピーしても良いということであれば、マイクロソフトという会社は成り立たちません。もちろん、すべてのソフトウェア産業がプログラムの著作権に依存していますから同様のことが言えるわけです。法律の分野としては、プログラムの著作権は非常にマイナーな分野ではありますが、ソフトウェア産業全体を支えているという意味では、大変重要な権利になるわけです。しかし、権利があればそれを濫用する人が出てきます。その場合のアメリカのやり方としては、「権利は権利として尊重しますが、濫用する人が出た場合には独禁法などで制限を加えましょう」という考え方です。ですから、これも翻訳を始めたわけです。2000年になりまして、ビジネスモデル特許が大変話題になりました。そこで「プログラムの特許権」を始めました。これら3つの分野の判例の翻訳をホームページに掲載しております。

2.翻訳のノウハウ
 次に、私の翻訳のノウハウをお話します。図1は、FESTO事件というアメリカの最高裁判決を一太郎で開いたものです。

今年(2002年)の5月28日に判決が出まして、その日か翌日に日経新聞の夕刊に載りました。すぐにアメリカの最高裁のサイトにアクセスして、原文を入手したわけです。実はこれはプログラムには関係していません。普通の特許に関する判決です。私も仕事が忙しく、ちょうどこの時期はサッカーのワールドカップが始まろうとしていたときで、翻訳をする時間があるだろうかと考えましたが、非常に良い判例なので翻訳にかかりました。1週間後の6月5日にインターネットで公表することができました。

 まず、その流れを説明します。私は一太郎をワープロとして使っていますから、図1のように一太郎で英文のテキストを開き、翻訳を始めます。図2は翻訳中の状況を再現した映像です。

上の方は日本語ですが、下の方はまだ英語です。つまり、上から順番に翻訳していきます。現在、英文の一番上のセンテンスを翻訳中ですが、その翻訳が終わると、その英文を削除します。そして、次に出てくる英文の翻訳にかかるということを繰り返していきます。こうして翻訳を進めていきますと、最終的にはすべてが日本語になるわけです。翻訳のやり方は人によって様々だと思いますが、私には、このやり方が非常に合っておりまして、ずっとこの形式で翻訳をやっております。

 翻訳に重要なのは辞書です。私が主に使っているのは、一太郎のバージョンアップ時におまけで付いてきた辞書です(図3)。

この辞書は非常に簡単に引けます。monopolyを反転させて、右上の「辞書引き」というアイコンをクリックすると、この意味がポンと出てきます。非常に簡単に辞書が引けます。紙の辞書しかなければ、とてもこのようなホームページを作る気にはなれませんが、電子辞書ですと、非常に簡単ですので、趣味で翻訳を行なって公表する気になれるわけです。現在の一太郎には、この機能だけが標準で付いています。ただし、辞書は付いていませんから使えないのですが、ジャストシステムから『ドクターマウス』という辞書ソフトが出ておりまして、それをインストールすればこの辞書機能が使えるようになります。

 多くの方はマイクロソフトワードをお使いだと思います。ワード自身には辞書機能はありませんが、最近のパソコンにはマイクロソフトオフィスがプレインストールされていることが多いと思います。オフィスには『Bookshelf Basic(ブックシェルフベーシック)』という辞書ソフトが入っています。その辞書が、私が使っている辞書と全く同じものです。私がメインに使っている辞書と同じ辞書を、ほとんどの方が持っておられると思います。これは研究社の『新英和中辞典』ですが、主にこれを使って翻訳をしています。

 私の翻訳のやり方は、たくさん辞書を引くということです。monopolyなどは誰でも知っていますが、それを引いてみますと、独占権だけではなく専売権という訳語も出てくるわけです。やはり判例は難しいですから、知っている単語だと思っても、辞書を引くことが大切です。その中から一番良さそうなものを選んでいくということが重要だと思います。

 この辞書だけでは不十分ですから、『ランダムハウス英語辞典』も使っています(図4)。

これは反転させてコピーして辞書ソフトの上に貼り付けて、「辞書引き」というアイコンをクリックします。多少は面倒ですが、これもマウスの右ボタンでコピー&ペーストをすれば簡単です。このように、辞書ソフトに支えられて翻訳をやっています。時々、田中英夫先生の『英米法辞典』を使いますが、これは紙の辞書です。最近は電子辞典として出ているようですので、そのうち買おうと思っています。翻訳をするにあたっては、自分のスタイルを作ること、たくさん辞書を引くことの2点が一番重要ではないかと思っています。

3.アメリカの裁判制度
と日本の裁判制度
 次に、アメリカの裁判制度についてお話します(図5)。

日米の裁判制度はいろいろな点で大きく違っております。アメリカには州と合衆国の2つの裁判制度があります。州は州裁判所を持っており、各州独自の裁判制度を持っています。三審制の州もあれば二審制の州もあります。これを日本に置き換えますと驚くべきことですが、各都道府県に最高裁判所があり、ある県は三審制であり、別の県は二審制であるということになります。州裁判所は、合衆国憲法で規定されていないことを管轄します。一方、合衆国は合衆国裁判所(連邦裁判所)を持っています。こちらは、最高裁判所・控訴裁判所・地方裁判所の三審制で、合衆国憲法に規定されていることを管轄します。例えば特許や著作権は合衆国憲法に規定されていますので、合衆国議会が特許法や著作権法を制定し、特許や著作権についての裁判は合衆国裁判所で行ないます。また、各州間の通商についても合衆国憲法に規定されているので、これについての裁判も合衆国裁判所で行なわれます。例えば、マイクロソフト独禁法違反事件は、マイクロソフト社が複数の州で営業しているので、合衆国裁判所で行なわれるわけです。仮にマイクロソフト社が小さな会社で、1つの州だけで営業しているとすれば、その州の独禁法違反であるとして、その州の州裁判所に訴えられることになります。

 これは日本人からすると非常に奇妙なことです。日本の憲法には、特許も著作権も都道府県間の通商も規定されていません。なぜアメリカの合衆国憲法にこのように規定されているかといいますと、国の成り立ちが日本とは全く違うからです。200年以上前には、アメリカはイギリスの植民地でした。13の植民地に分かれていたのですが、独立戦争に勝ち、United States、つまり州の連合体として国が作られたのです。従って各州は、合衆国憲法に規定したことについてのみ合衆国に権限を与えるということになったわけです。だから、合衆国憲法に規定されていないことは各州の権限になっているのです。日本では、権限はまず国にあって、それが地方分権によって地方に分け与えられるという形になると思いますが、アメリカは全く違うわけです。


 合衆国裁判所をもう少し詳しく見ます。最高裁判所は9人の裁判官による合議制で法律審です。控訴裁判所は3人の合議制で法律審です。日本の高裁も3人の合議制であるという点では同じですが事実審です。これは非常に大きな違いです。地裁については一人制で当然、事実審になります。日本の地裁も事実審であることは当然なのですが、日本の場合には一人、合議どちらもありうるということです。日本の裁判所法によりますと、合議体が合議で行なうと決定したものについては合議で行なうということですので、一人で行なう事件は、合議体が合議で行うと決定しなかった事件です。したがって、一人で行なっている場合も、背後には合議体が控えているのではないかという感じがします。これに対してアメリカでは、マイクロソフト独禁法違反事件という非常に重要で難しい裁判であっても、地裁では裁判官は一人で行なっています。日本ではこのような事件を一人で行なうことはないだろうと思います。

 もう一つ、アメリカと日本が非常に違うのは陪審裁判があることです。アメリカの民事訴訟では、どちらかの当事者が希望すれば陪審裁判になります。裁判官審理と陪審審理の2つのコースがあるわけです。裁判官審理の場合は、裁判官が法律判断と事実認定の両方を行ないます。陪審裁判の場合は、陪審員がすべてを行なうわけではなく、あくまで法律判断は法律の専門家である裁判官が行ないます。そのうえで、陪審員が事実認定を行なうという役割分担がなされています。陪審裁判でも準備的な段階は裁判官がすべて行ないます。裁判の最終段階でトライアル(事実審理)が行なわれます。トライアルは裁判官審理でも陪審審理でも行われます。日本では準備書面で主張をして、書証を提出するということで裁判が進んでいくわけですが、証人尋問の申請がある場合には裁判の最後の時点で証人尋問が行なわれます。アメリカのトライアルは、日本の証人尋問に近いものであると考えてよいと思います。トライアルでは、陪審審理の場合には、まず陪審員の選定があります。それから両当事者の代理人による冒頭陳述、その後に証人尋問、最終陳述の順に進んでいきます。そのあとが重要なのですが、裁判官から陪審員に対して説示が行なわれます。これによって、法律判断が陪審員に伝えられるわけです。その後、裁判官が評決用紙を陪審員に渡して、陪審員は陪審員室に行って彼らだけで協議します。そして、評決用紙に記載された質問事項にイエスかノーで答えます。損害賠償がある場合には、その金額のみを記載することになります。これが事実認定です。そのあと法廷に戻り、裁判官に報告します。従いまして、陪審審理の場合には結論しかないということですから、判例集には載らないだろうと思います。ただし、サマリジャッジメント(トライアル前判決)がなされた場合は判例集に収録されます。一方の当事者が陪審裁判を希望すれば、相手方はそれを拒否できませんが、サマリジャッジメントの申立は行うことはできます。サマリジャッジメントが認められる要件は、当事者間に争いのない事実に法律判断を適用すれば結論が得られる場合です。これが認められれば、トライアルを行わずに、ということは陪審員による事実認定なしに、裁判官によってサマリジャッジメントがなされます。

 地裁では裁判官審理と陪審審理の両方があるのですが、どちらの場合でも、どちらかの当事者が不服の場合には控訴されます。控訴審は法律審ですから、地裁の事実認定は尊重されなければならないわけです。もちろん、明らかに誤っている場合や、陪審員が証拠に基づかないで判断した場合には事実認定を取り消すことができますが、普通はそのようなことはできません。法律判断で取り消す以外にないのです。

 では、法律判断と事実認定はどう違うのでしょうか。例えば、特許権侵害訴訟では、「侵害になるのは、このような場合である」と一般的に述べた部分、それが法律判断です。判断の基準を決めた部分、それが法律判断です。「これを本件に適用すれば証拠から見て侵害である」という部分が事実認定です。証拠ですからその事件特有の問題になります。ですから、それが事実認定となります。

 そのような判決があった場合、他の裁判でどのように引用されるかと言いますと、事実認定が引用されることはありません。事件が違えば証拠が違うわけですから、事実は当然違います。ある事件で特許権侵害であるからといって他の事件でも特許権侵害になるわけがありません。しかし、法律判断の部分、一般的に述べた判断の基準を決めた部分は他の判決で引用することができるわけです。例えば、「特許権侵害になるのは、このような場合である」という法律判断を引用して、「これを本件に適用すれば証拠から見て非侵害である」という事実認定を行なうという形になります。アメリカでは控訴審が法律審ですから、地裁の判決を取り消す場合は、必ず法律判断をしなければなりません。判例という言葉はいろいろな意味で使われていますが、狭い意味の判例は法律判断のみを言います。他の判決に引用されるような部分が狭い意味の判例です。広い意味では判決全体という意味もあるでしょうし、判例集に載っているものはすべて判例だという考えもあるでしょう。アメリカの場合には、控訴裁判所と最高裁判所の両方が法律審ですから、両方が判例を作り出しているわけです。

 日本の場合は高等裁判所が事実審ですので、事実認定を変えることによって地裁の判断とは逆の結論を出すことも可能なわけです。もちろん、法律判断をしてもいいのですが、判断の基準は同じで、よりよく証拠を調べたら、あるいは高裁で新たな証拠が出たら、地裁と事実認定が変わりましたということもあるわけです。そうすると、それは事実だけの問題になってしまいますので、法律判断としての判例というわけではありません。日本の場合には、最高裁判所だけが法律審で、最高裁は高裁の判決を破棄する場合は必ず法律判断しなければなりません。つまり、判例を作らなければならないということです。アメリカでは最高裁と控訴裁の両方が日本の最高裁と同じような判断をしているので、判例が日本より多くありそうだということが言えるのではないかと思います。

 図6は、日本とアメリカを対比した図です。

日本は制定法主義国ですが、アメリカは判例法主義国で、基本が違います。日本では判例が引用されないか、引用されても少数です。引用される場合には、事件番号によって引用されることになります。一方、アメリカの場合には、判例法主義国ですから判決の中に多数の判決が引用されます。引用の仕方は最高裁判決の場合は、「上告人 v. 被上告人」という形になります。後ろの「520 U.S. 17」の U.S. は判例集の略称で、前に書いてある数字は巻、後ろがページです。この場合には、合衆国最高裁判例集第520巻第17ページを引用したということです。カッコ内の数字は、1997年に判決されたということを示しています。最高裁の場合には1つしかありませんから、これでいいのですが、下級審の場合にはどの裁判所かを特定するために、判決年の前に裁判所の略称が記載されます。また、下級審の場合には、当事者の書き方が「原告 v. 被告」になります。控訴裁で負けた側が上告するわけですから、原告が上告人の場合もあるし、被告が上告人の場合もあります。実はこの例の場合には、被告が上告人です。ですから、地裁、控訴裁段階では「Hilton Davis v. Warner-Jenkinson」で裁判が行なわれたのですが、被告のWarner-Jenkinsonが負けたので上告しまして、最高裁では「Warner-Jenkinson v. Hilton Davis」という形になりました。これは破棄差し戻しでしたから、最高裁判決のあとでまた控訴裁に戻りました。控訴裁の差戻審では「原告v. 被告」になりますから、「Hilton Davis v. Warner-Jenkinson」ということになります。同じ事件ですが、このように当事者の名前が逆転する場合があります。判決の中で引用される場合は、最初はこのように正式に書きますが、その後に同じ判例を引用する場合は最初の当事者名を使ってWarner-Jenkinson事件と簡略して書かれることになります。

 それから、一人制の場合にはその裁判官が判決を書くわけですが、合議体の場合には誰が書くのでしょうか。日本では、合議体の場合はどの裁判官が執筆したかは開示されません。その代わりに、裁判長名が記載されています。アメリカの場合には、判決を執筆した裁判官名が記載されます。例えば、控訴裁の場合には3名の裁判官の名前が書いてあって、さらに判決を執筆した裁判官名が書いてあります。たまに、Chief Judgeが合議体のなかに入っていますが、これは首席裁判官で裁判所所長(長官)です。多分、裁判所所長が合議体のなかに一裁判官として入っているのではないかと思っています。日本の裁判長は合議体を代表するという役割を持っていますが、アメリカのChief Judgeは多分違う位置づけなのだろうと思います。なぜなら、控訴裁でも反対意見・補足意見を書くことができるからです。多分、日本の高裁では、そうではないだろうと思います。最高裁の場合は、日本でも反対意見・補足意見が書けますので、最高裁については似ていると思います。

4.日米の最高裁判決の数値データによる対比
 次に、日米の最高裁判決を対比してみたいと思います。図7は特許権侵害事件の日米の2つの判決を対比した表です。

どちらも同じような判示をしています。日本側は1998年のボールスプライン事件です。先ほど、日本では事件番号で特定すると申しましたが、この表に事件番号を書いても、どなたもお分かりになりません。そこでボールスプライン事件と書きました。これはボールスプラインという技術に関する事件ですので、ニックネームとしてこのように呼ばれています。特許関係の裁判に詳しい方なら、これですぐにお分かりになります。判示事項は均等論と禁反言です。

 一方、アメリカ側は先ほどお話した今年(2002年)判決が出たFESTO事件です
。判示事項は、日本と同じく均等論と禁反言です。この2つの最高裁判決は、詳細は違いますが基本的には同じような内容です。

 ただし、均等論と禁反言と申しましてもお分かりにならないかもしれませんので、少し特許の基礎についてお話します(図8)。

特許は発明に対して与えられる権利ですが、発明をしただけでは特許権は発生しません。これが著作権と違うところです。発明をした人が特許を受けたい場合は、明細書に自分の発明を書いて特許庁に出願します。明細書には、「特許請求の範囲」という部分があります。英語ではclaimといいます。ここには、「○○と○○とを備えた装置」というように自分の発明を特定する事項を書きます。発明の詳細な説明と図面も書きます。これができますと、特許庁に出願します。それを審査官が審査しまして、特許にするか拒絶するかを判断します。特許にした場合、そこで初めて特許権が与えられます。誰かが自分の特許権を侵害している場合は、特許権侵害訴訟を裁判所に提起することになります。侵害か否かは、被告の装置は特許請求の範囲の装置かどうかで決まります。イエスであれば侵害、ノーであれば非侵害になります。被告の装置というのは、被告が実際に製造販売している装置です。一方、特許請求の範囲の装置というのは、明細書の特許請求の範囲に言葉で記載された装置です。ですから、実際の製品が言葉で記載された装置に該当するかどうかを見ます。該当すれば侵害、該当しなければ非侵害となります。しかし、侵害だといわれれば被告は何とかして逃げようとするわけです。自分の装置を設計変更して特許請求の範囲と違うものにしてしまえば非侵害になるわけです。ところが、特許請求の範囲の装置は言葉で書かれている装置ですから、被告が設計変更した結果、言葉尻がちょっとだけ違い外れてはいるけれども実質的には何も変わっていないという場合が出てきます。それが非侵害になったのでは意味がないのではないか、ということで、出てきたのが均等論です。特許請求の範囲の一部を均等物に置換すれば被告の装置に該当する場合は侵害とする、ということです。こうすれば特許権者にとってはいいのですが、批判もあります。均等物とは何かということが問題になるわけですから、裁判も時間が掛かります。

 もう1つの禁反言というのは、特許庁で主張したことと反対のことを侵害訴訟で主張してはならないということです。特許庁で審査官が審査しまして、拒絶理由がある場合には文献を引用して、「この文献に書いてある発明からあなたの発明は容易に発明できたものであるから特許できない」ということを言ってくるわけです。それに対して、特許請求の範囲を補正するなどを行ないまして、「いや、そうではない。私の発明は引用文献に書いてあるものとは違うものなので特許になるべきだ」と主張します。それを審査官が認めて特許になったとします。そのあと、特許権侵害訴訟が起こりましたら、被告の製品が正に審査官が引用した文献に書いてあるものに該当するものだった、という場合があります。その場合に、特許権者としては「均等論で侵害である」と言いたくなるものなのですが、それを言ってはいけないというのが禁反言です。

 図7の表に戻ります。日本のボールスプライン事件では、判決の法律判断の部分だけの字数は1252字でした。制定法の引用数は3箇条です。判例の引用件数は0件です。今まで日本の裁判所は均等論を無視してきましたが、この判例によって、日本の最高裁が均等論を初めて認めたのです。これが日本における均等論の基本判例になるわけです。ですから、この判決で、過去の判例を引用しないというのは当然です。しかし、判例の引用件数0件は他の裁判でも珍しいことではありません。引用したとしても、1〜2件です。

 これに対して、アメリカのFESTO事件では法律判断の字数は8937字です。これは私の和訳した字数です。ボールスプライン事件に比べて、何倍かの字数があります。制定法の引用数が5箇条、判例の引用数が10件です。この数字を比較しただけでも、日本が制定法主義でありアメリカが判例法主義であると言えるかと思います。これは2つの特定の事件を対比したわけですが、他の事件を対比しても同じような傾向が出てくるだろうと思います。

5.日米の最高裁判決の法律判断の相違
 次に、日米の法律判断の違いについてお話します。ここでは特許を例にして日米の判例の違いを知っていただきたいと思います。日本のボールスプライン事件判決には、「特許発明の技術範囲に属するかどうかを判断するに当たっては、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて特許発明の技術的範囲を確定しなければならず」と記載されています。これは特許法70条第1項の引用です。特許請求の範囲で決めなければならない、ということです。次に、「特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存在する場合には、右対象製品等は、特許発明の技術的範囲に属するということはできない。」とあります。次からが均等論です。「しかし、特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても、(1)右部分が特許発明の本質的部分ではなく、(2)右部分を対象製品等に置き換えても特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、(3)右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、(4)対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、(5)対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である。」。多分、お分かりになった方は一人もいらっしゃらないのではないかと思います。ここでは、(1)から(5)のすべてを満たした場合には侵害とするのが妥当である、という結論だけが述べられています。

 次は、同じようなことを繰り返し述べています。ただし、ここでは理由が少し入っています。「(一)特許出願の際に将来のあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難であり、相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部を特許出願後に明らかとなった物質・技術等に置き換えることによって、特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば、社会一般の発明への意欲を減殺することとなり、発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するばかりでなく、社会正義に反し、衡平の理念にもとる結果となるのであって、(二)このような点を考慮すると・・・」と述べています。ここで「発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的」という部分は、内容的には特許法1条を引用しています。この後、(三)、(四)が続いて、これで日本で初めて均等論を導入した基本判例の法律判断のすべてです。

 一方、アメリカのFESTO事件では、「特許法は、イノベーションに一時的な専売権を与えることによって、『科学と有益な技芸の発達を促進する』。」と記載されています。『 』の部分は合衆国憲法から引用した部分です。合衆国憲法には、「Science and useful Arts」と書いてありますが、このあたりが翻訳の非常に難しいところで、Artsというのは普通は芸術ですが技術という意味もあります。ここは特許と著作権を合衆国の権限にするという部分ですので、「科学と有益な技芸」と訳しました。技芸はあまり使われない言葉ですが、辞書を引くとありますので、これを使いました。この合衆国憲法の規定は、日本の特許法の「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」という特許法1条の条文と似ています。ちなみに、日本の著作権法1条にも、「著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする」という規定があります。

 先を続けます。「この専売権は所有権である;そして、あらゆる所有権と同様に、その境界は明確であるべきである。この明確性は発達を促進するために欠くことができない、なぜなら、それによりイノベーションにおいて効果的な投資を可能とするからである。特許権者は自分が所有するものを知るべきであり、公衆は特許権者が所有していないものを知るべきである。この理由により、発明を生むために特許法の約束を信頼する発明者と、その発明者の排他的権利を超えるイノベーション、創作、及び新しいアイディアを追求すべき公衆との間に、特許法が維持することを試みる微妙なバランスの一部として、特許法は発明者らに彼らの製品を『完全で明確で詳細でかつ正確な用語』(35 U.S.C. 112)で記載することを要求する。」。ここで判例を引用しています。この裁判官の場合は行っていませんが、普通は引用する部分を“ ”で囲みます。
 (35 U.S.C. 112)と書いてありますが、これがUSコード、合衆国法律集です。これは合衆国法律集35番で特許法のことです。アメリカの特許法はPatent Lawと35 U.S.C.という2つの名前を持っています。112は112条のことです。ちなみに著作権法は17 U.S.C.です。独禁法は通商法のなか入っていますが、通商法は15 U.S.C.です。15 U.S.C.のchapter 1のsection 1がシャーマン法第1条になっています。section 12がクレイトン法第2条です。独禁法の場合はシャーマン法などと言われる場合も多いのですが、判決で引用する場合には15 U.S.C. の第何条という形が普通です。

 「不幸にも、言語の性質は特許出願に記載された物の本質を捕らえることを不可能にする。発明を秘密裏に利用するのではなく、発明を特許化することを選択し発明を公衆に開示する発明者は、他人が特許の言語の範囲を食い物にする方向の努力に没頭するだろうリスクを負う」。そのあと、何行かに亘って判例を引用しています。「発明は最も顕著には有形の構造又は一連の図面として存在する。言語の記述は、通常、特許法の要件を満たすために後から考えて書かれたものである。この装置の言語への変換は思うとおりに出願することができない意図せざるアイディアのギャップの余地を生む。多くの場合、発明は新しく、それを記述するための用語は存在しない。辞書が常に発明者に遅れないとは限らない。それは不可能である。物は用語のために作成されるのではなく、用語が物のために作成されるのである。」、と続くのですが、法律判断の全体はこの何倍かの分量があります。お聞きいただければ、日本の判例とアメリカの判例はずいぶん雰囲気が違うことがお分かりいただけると思います。日本の場合には非常にコンパクトにまとまっておりますが、ちょっと聞いたり読んだりしたくらいでは理解できません。解析しないと分からないわけです。ところがアメリカの判例ですと、分かりやすい言葉でしかもたくさんの判例が引用されています。これまでの様々な事件で裁判官がそれぞれ考えたことが引用されて、この判決の中に出てきます。均等論というものを様々な裁判官がいろいろな角度で見たこと、それがこの1つの判決のなかに出てくるわけです。ですから、それを読んでおりますと、1つ1つの言葉は忘れてしまっても、均等論というものはどのような考えなのかということが、我々の頭のなかに残ってくるのではないか思います。この点が、日本とアメリカの違いです。

 この次の判例の引用には(1854)と書いてあります。これは1854年に判決された判例を引用しているということです。実はこれがアメリカにおける最初の均等論の最高裁判決です。一方、さきほどお話しました1998年のボールスプライン事件が日本最初の均等論の最高裁判決です。アメリカの特許制度は200年以上続いています。日本でも特許制度は明治後期以来、100年以上続いています。しかし、均等論については150年の差があります。なぜ、こんなに差があるのでしょうか。日本でも特許権者たちは昔から均等論を唱えていましたが、裁判官は耳を貸そうとしませんでした。特許権者から見れば、日本の裁判所は何と冷たいところだろうと感じたと思います。しかしながら、それは制度の違いという面があるからです。アメリカは判例法主義です。しかし特許の分野については特許法という制定法があります。ですから、裁判所は特許法に反する判決を書くことはできません。しかしながら、均等論はいけないという条文はどこにもありません。ですから、アメリカの裁判所は均等論を150年前から導入しているわけです。

 さきほどもお話しましたが、日本には特許法70条1項に、「特許請求の範囲に基づいて定めなければならない」、という規定があります。ところが、これに相当する規定はアメリカの特許法には存在しません。もちろんアメリカの特許法を読めば、クレームで決めることが大前提になっていることは明瞭に分かりますが、明文の規定はありません。アメリカの場合はクレームで決めるということ自体も判例法に基づいています。そして、この150年前の判決によりまして、均等論というものも導入して、文言で非侵害であっても均等論によって均等物で置換すれば同じになる場合には侵害である、ということになります。

 この均等論には批判もあります。この判決でも後ろのほうで、「均等論が放棄されるものであるとすれば、そうすべきなのは最高裁ではなく議会である」と言っています。つまり、本最高裁判所としては今まで150年も歴史のある均等論をここで廃止するという判決は書けません、と言っているわけです。アメリカは判例法主義ですから、新しい判例ができるたびに微妙に均等論の中身が変わってきているわけです。しかし、裁判所は定着した判例を真っ向から否定することはあまりしません。裁判所がおかしな方向に行ったと議会が判断すれば、立法すればいいわけです。議会が均等論はやめるべきだと判断すれば、特許法のなかに「侵害かどうかはクレームだけで判断しなければならない」と書いてしまえばいいわけです。そうしますと、いくら150年の歴史のある均等論でも裁判所はその判例法に基づくのではなく、それ以降については新しい条文の解釈で新しい判例法を始めることになります。ここに、議会と裁判所の役割の違いがあるわけです。

 それから、先ほど申しましたように、非常に重要な条文である日本の特許法70条に対応するものは、アメリカでは明文化されておりません。アメリカの制定法は裁判所に任せてしまう部分もあります。日本の場合はあらゆることを法律できちんと決めなければならないのですが、アメリカではかなり重要なものでも裁判所の問題だとして裁判所に預けてしまう場合もあります。

 一方で日本の場合は、特許権者は均等論、均等論と言ってきましたが、特許法に均等論という条文はないわけです。したがって、日本の最高裁は均等論の判断をしませんでした。日本の最高裁からすれば、「均等論を採用するとすれば、そうすべきなのは最高裁ではなく国会である」と言いたいのであろうと思います。

 しかしながら、1998年のボールスプライン事件で、特許法70条1項の解釈として均等論を入れたわけです。先ほど読み上げました(1)〜(5)は特許法70条1項には書いてないのですが、行間にこのような条文が書いてあると裁判官が見たのではないかと思います。(1)〜(5)が特許法の条文だとすれば普通の難しさかなと思います。ちょっと読んでも分からないけれども、よく読めば分かるわけで、非常にコンパクトに書かれていると思います。

 このように、日本とアメリカの判例は、特許法という制定法のある分野であっても、大きな違いがあると思います。これが、私が何年間か翻訳して感じてきたことです。以上で、私の話を終わります。ありがとございました。


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