翻訳 井上雅夫  1998.08.08   ↑UP 

マイクロソフト独禁法事件
98.08.08

DISTRICT OF COLUMBIA巡回区合衆国控訴裁判所
1998.6.23決定  No. 97-5343

Wald巡回判事、一部同意、一部反対〔少数意見〕:

 私は、同僚の解釈は地裁が差し戻し審で行う審理の範囲を不必要に狭めていると信じており、同意判決の解釈に関してのみ同僚と異なっている。第1に、その条項の最も正確な解釈に十分に関係する更なる事実の進展のために差し戻すという事実にもかかわらず、多数意見はIV(E)(i)条の合理的な解釈はただ一つであると決めているようにみえる。第2に、多数意見が、両当事者の意図に従った独禁法の解釈に根拠をおいたと主張しているにもかかわらず、多数意見は、事実上、少なくともいくつかの拘束される先例と整合しない方法で、IV(E)(i)条を解釈している。これらの理由により、〔同意判決の〕[訳1]起草者の意図と独禁法の重要性に、より一致するIV(E)(i)条の解釈があり得ることを示唆するために、私は少数意見を書く。もし、〔私が書く〕そのようなもう一つの解釈を支持する事実が差し戻し審で発見されれば、〔私が書く〕解釈は多数意見によって排除されるべきではない。

 多数意見の解釈に基づくと、IV(E)(i)条は「それ自体及びその中においてMicrosoftに統合された製品の開発を禁じるものと解釈されない」という、IV(E)(i)条のただし書きは、余りにも簡単に入港することできる余りにも安全な港〔避難所〕である:他の方法では利用できない何らかの「もっともらしい」利益を最終ユーザーに提供する方法で機能を結合する設計をMicrosoftが作り出す限り、(「明文又は暗黙に「他の製品」をライセンスすることを条件とする」ライセン契約を行うことをMicrosoftに禁じる)IV(E)(i)条の主要な禁止事項に、船を座礁させる恐れなしに、Microsoftは作り出したものをそっくりそのままインストールするようにOEMに要求することができる。私の考えでは、この解釈は「統合」にほとんど十分な厳密な調査を課すことなく、IV(E)(i)条の主要な禁止事項の大部分を役に立たないものとしてしまう。Beal Mortgage, Inc. v. FDIC, 132 F.3d 85, 88 (D.C. Cir. 1998)(「その条文の全てに意味を与えるように、かつ、お互いに首尾一貫するように契約を解釈するという基本的な解釈の原則」を書き留めている)(内部の引用削除)参照。多数意見の解釈は、例えば、Windows 95のライセンス条件としてコンピュータ周辺機器(例えば、マウス)を販売する権利のライセンスをOEMに要求することをMicrosoftに禁じるようにはみえないだろう、他のマウスと比較してエンドユーザーのタッチにカーソルの応答をよりよくするコードをWindows 95に含める先見性をMicrosoftが有している限りは。しかし、多数意見は、IV(E)(i)条の合理的な解釈に基づいてWindows 95をにマウスを抱き合わせることは明らかに禁止されていることに同意していると考えられる。[1] ソフトウエアと周辺機器とで分析がそれほど異なるべきである理由、あるいは、他のコンピュータ関連製品よりもソフトウエアに対して、「統合の主張についての我々の評価は[より]限られたもので敬意を表するものでなければならない」(多数意見25頁)という理由は、私にはわからない。例えば、Firestone Tire & Rubber Co. v. Bruch, 489 U.S. 101, 112 (1989)(「どちらの当事者の解釈にも敬意を表すことなしに」契約の条項を解釈する)参照。結局、我々の役割は、同意判決を一つの契約であるとして解釈することである:「賢そうなポリシーについての我々自身の考えではなく、契約の原文<text>及びその目的に適合する理解に基礎を置く」方法で。United States v. Western Elec. Co., Inc., 846 F.2d 1422, 1427 (D.C. Cir. 1988)。

 もう一つの−−もっと多いかもしれないが−−合理的なIV(E)(i)条の解釈は、この条文の主要な禁止事項に、より多くウエイトを与えることだろう。一見して、その禁止事項は、Microsoftが一つの契約で実際には二つの製品(一つの「適用製品」と、この事件の目的のためには、一つの「他の製品」)の申し出を受け入れるようにOEMに要求することを禁じている。一方、ただし書きは、Microsoftに「統合された」製品を開発しライセンスすることを許容している。[2] 一緒に読むと、禁止事項とただし書きは、統合された製品が、他の方法ではMicrosoftの別個のマーケットへの独占の拡張を正当化するに十分なシナジー<synergies>を達成する時だけ、Microsoftが一つの契約で「統合された」製品をOEMに提供してもよいと述べていると合理的に解釈できると私は考える。

 後述するように、多数意見は合意していると私は解釈するが、同意判決は独禁法を背景として作成されたものである。独禁法によれば、「ある会社が[第2の製品]とは別に[第1の製品]を供給することが効率的であるような十分な消費者の需要」が存在するときに、二つの製品は別個であると考えられている。Eastman Kodak Co. v. Image Technical Servs., Inc., 504 U.S. 451, 462 (1992)(FindLaw)。この事件の困難性は、技術的な発展が「効率性」の境界を変えることができるということである。例えば、Eastman Kodak事件は、別個のマーケットが存在する機能的に結び付いた二つの製品の例としてカメラとフィルムを引用している。同463頁参照。しかし、独禁法は、たぶん、従来の意味のフィルムを必要としないデジタルカメラの開発を禁止しないだろう。

 したがって、独禁法は、特定の技術的発展が、効率がよいから生じたのか、あるいは単に独占者に新しいマーケットに独占を拡張することを許すから生じたのかを決定することを避けることができない。ソフトウエアコードは、もし、独占禁止の概念が生き延びるべきであるとしたら、このような分析が必須である特に際だった例である。<Software code is a particularly stark example of why such analysis is essential if antitrust concepts are to survive at all>。この点で、多数意見は、「ソフトウエアコードは、物理的な製品とは違うという意味で、その性質により分割及び結合の影響を受けやすい」と述べることによって、事実上、ソフトウエア製品を独占禁止分析から免除している。多数意見28頁。しかし、この議論は私にとって、Microsoftの統合の主張の、寛大であるよりもむしろ、より厳密な検査に向かわせるものである。二つの製品を一つにしたいオペレーティングシステム設計者なら、「IEのコードのないWindows 95は立ち上がらない」(同23頁脚注11)ようにして、二つの以前には別個の製品のコードを簡単に混合することができ、その結果、インターネット・エクスプローラなしのWindows 95が「Windows 95の障害を持ったバージョンに相当する」(同23頁)ことになり、そして、その結果、インターネットエクスプローラは追加と削除<Add/Remove>機能に、「4行プログラミング」がそれ〔インターネット・エクスプローラ〕を作動させるに十分な余地を残すように、指示することになる<so that Internet Explorer instructs the Add/Remove function to leave so much of that program in place that "four lines of programming" will suffice to activate it>。同29頁脚注17参照。コードを混合すること自体が有害である、あるいは、疑惑を起こさせる、と言っているのではない。むしろ、ポイントは混合することだけでは真の統合の十分な証拠にはならないということである;裁判所は、結果の製品が消費者に二つの以前には別個のマーケットの製品の橋渡しを正当化する利益を与えるかどうかを考慮しなければならない。

 この仕事は困難ではあるが、決して多数意見が示唆するような不可能なプロジェクトではない。後述するように、伝統的な独占禁止分析および通常の独禁法の方法は究極の効率の問題を扱う種々の方法を裁判所に与えている。例えば、PSI Repair Servs., Inc. v. Honeywell, Inc., 104 F.3d 811, 817 (6th Cir. 1997)、上告不許可、117 S. Ct. 2434 (1997) (引用削除)(「二つの製品を一緒にバンドルすることにより供給者と消費者に生じる種々の効率増大を心に留めると同時に、我々は独禁法が価値のある主張と価値のない主張とを区別する道具を与えていると確信している。)参照。私の理解では、効率の計算は二つのファクターを考慮に入れて行う。第1は、二つのソフトウエア製品を統合することに関連して消費者に実際の利益があるという証拠である;私はこれらの利益を「シナジー<synergies>と呼ぶ。[3] 第2は、別個に供給された二つの製品のために一つの本物のマーケットが存在するという、独占禁止分析において通常用いられるタイプの独立の証拠である。例えば、Windows 95は比較的わずかな機能を持つビルトインされた計算プログラムを含んでいる。このプログラムをオペレーティングシステムに組み込むことに関連してシナジーはほとんどないかもしれないが、このプログラムを別個に供給する大きなマーケットもないようである、そして、このファクターを計算に入れなければならない。独立した複数の製品の需要のマーケットの証拠は、効率の考慮について抽象的に推測する必要性から裁判所を免除するだろう。

 これらの二つのファクターを一緒にすると、比較考量テスト<a balancing test>が生まれる。別個のマーケットの証拠が重ければ重いほど、他の方法では「他の」製品であるものを、一つの「統合された」ものに合体させることを正当化するために、Microsoftが立証しなければならないシナジー<synergy>の証明は、より重い必要がある。もし、別個のマーケットの証明が弱ければ、Microsoftは(たぶん多数意見によって必要とされる最小限の証明ほどではないが)かなりささやかな証明によって〔勝ちを〕得ることができる。しかし、明らかに二つの別個のマーケットが存在するとすれば、Microsoftは、これらのマーケットを橋渡しする一つの新しい「統合された」製品をOEMに強いるためには、本質的なシナジーを証明する必要があるだろう。他の言葉でいうと、Microsoftの製品の技術的進歩の熱意を冷やし、単に新しい特徴を合体させたからという理由で、ある製品をきっぱりと禁じると同意判決が述べているわけではない−−OEMが競争者の製品よりも新しい製品を圧倒的に選ぶような製品をMicrosoftが設計しOEMに彼らのためになるものを販売することは、自由であることをただし書きがはっきりさせている[4]。したがって、ただし書きは、「他の製品」がより大きな全体に(適法に)技術的に包含された統合のためにのみ安全な港〔避難所〕となる。[5]

 したがって、同意判決違反が行われたかどうかを決定する目的のための本当の問題は、以前に別個であった機能の新規な結合が、今でも、「他の製品」を含んでいるかどうか、又は、二つの機能は合法的に混合され、もしくは「統合され」、そして以前の独自性を失い、そして禁止事項がもやは適用されない一つの製品になったかどうかである。(もちろん、これは差し戻し審において探求される事実問題である。) 既に示唆したように、そして、多数意見が合意するように、IV(E)(i)条が生じた文脈が与えられているとして、そのような統合が生じる場合を決定する一つのガイドとして独禁法を頼りにするのが適当である。多数意見はその解釈が独禁法と首尾一貫していると主張しているけれども、多数意見22頁参照、私の見方では、多数意見の解釈は、Jefferson Parish Hospital District No. 2 v. Hyde, 466 U.S. 2 (1984)(FindLaw)における最高裁判例、別個の製品の決定についての指導的指針、に正当な重みを与えていない。[6] Jefferson Parish事件において、最高裁は、病院がある決まった麻酔医だけから受けるように患者に要求した麻酔サービスが、事実上その病院から提供された別個の製品であったか、又は、むしろ一つの「機能的に統合したサービスのパッケージ」と病院が主張するものの一部であったかどうかを考慮した。同19頁。そのようなパッケージは抱き合わせに関係しないという病院の主張を否定する中で、最高裁は、「一又は二の製品が関係しているかどうかの問題に対する答えはそれらの機能的関係によるのではなく、むしろ二つの品目に対する需要の特徴による」と判示している。同。したがって、その病院が、「麻酔部門のために必要とされるスペース、装置、メンテナンス、及び他のサポートサービス」を供給し、必要な薬品及び生活用品を購入し、必要とされる看護職員を供給したという事実、同6頁、は別個であることの認定を妨げず、「クローズド・システム」麻酔部門が「最高品質の患者のケアをもたらす」と病院が信じているという地裁の結論も妨げない。Hyde v. Jefferson Parish Hosp. Dist. No. 2, 513 F. Supp. 532, 540 (E.D. La. 1981)。他の言葉でいえば、病院によって供給されるサービスと麻酔医によって供給されるものにはオーバーラップがあるにもかかわらず、そして「統合された」関係の主張された利益にもかかわらず、最高裁は、分析の適切な焦点は、その組み合わせが買い手の見方で別個である製品のために二つの別個のマーケットを結び合わせるかどうかであると判示した。Jefferson Parish, 466 U.S. at 19-20 (Times-Picayune Publishing Co. v. United States, 345 U.S. 594 (1953), 及びFortner Enters. v. United States Steel Corp., 394 U.S. 495 (1969)を引用している)参照。なぜ、この分析が技術的状況の中では、ほとんど適用されるべきでないのかは、私にははっきりしない;事実、ポストJefferson Parish事件のトレンドはそのテストを技術的領域においてさえ適用するというものである。例えば、Allen-Myland, Inc. v. International Bus. Machs. Corp., 33 F.3d 194, 211-12 (3d Cir. 1994) (コンピュータ部品と取り付け); Service & Training, Inc. v. Data Gen. Corp., 963 F.2d 680, 684 (4th Cir. 1992) (診断ソフトウエアと、メンテナンス/修理サービス); Digidyne Corp. v. Data Gen. Corp., 734 F.2d 1336, 1339 (9th Cir. 1984) (CPUとオペレーティングシステム)参照;Jefferson Parish, 466 U.S. at 25 n.42 (「かつて、ヘルスケア産業が関係しているからという理由だけで明白な反競争的行為を大目に見るのを我々は拒否する。」)と比較せよ。

 抱き合わせの分析は、もちろん、実際的なものである。例えば、左の靴だけの何かのマーケットの存在が(例えば、片足だけの者又は異なったサイズの足の者の間で)可能であるにもかかわらず、靴をペアで売る慣行によって抱き合わせ法に違反すると主張する者はいないだろう。同様に、Jefferson Parish事件の病院が、患者に(彼ら自身の受付係を連れてくる代わりに)病院の受付係を受け入れ、(他の組み合わせの代わりに)クリーニングサービスと彼ら自身の室で提供される食事を受け入れることを要求し、患者にこれらのサービスの代金を請求することは、十中八九、抱き合わせ違反ではない。自分自身で受付係、クリーニング、食事の組み合わせをすることを好む限られたグループの患者がいるかもしれないけれども、そうである。例えば、Jefferson Parish., 466 U.S. at 22 n.36(独占禁止分析は「レントゲン技師、病理医及び他のタイプの病院の医師」に対しては異なるかもしれないと書き留めている); Jack Walters & Sons Corp. v. Morton Bldg., Inc., 737 F.2d 698, 703 (7th Cir. 1984) (慣例は、もし、結合して供給することが明らかに経済的であるとすれば、ある製品を一つの製品として分類するというものであると書き留めている)も参照。靴、受付係及びクリーニングの場合は、結合した供給の利益が(もし、存在するとしても)疑いもなく最小限の別個のマーケットであるものよりも明らかに優れているという判断がなされる。麻酔医の場合は、対照的に、主張された利益−−24時間麻酔サービス、融通のきくスケジュール及び毎日の仕事、専門性の基準及び機器の整備の便利さ−−は結合して供給することを正当化するためには十分ではない、と最高裁は認定した、なぜならば、極めて実体のある麻酔サービスが存在し、また、これらの利益は強制的な抱き合わせなしに、(例えば、病院の麻酔医の患者への利益を促進させること、及び互換性の基準を設定することによって、)達成可能であるからである。Jefferson Parish, 466 U.S. at 25 n.42参照。この方針に基づくと、結合した供給の結果、何かの利益が存在しても、単純に、「統合された」製品が一つであるとすることはできない、なぜならば、病院は簡単にこの基準を満足させるからである。むしろ、「統合」は、創られたシナジーが、存在する別個のマーケットに優る−−他の言葉では、結合の利益が、訴えられた「抱き合わされた」製品を〔別個に〕消費者が求めるのを思いとどまらせ、供給者が供給するのを思いとどまらせる−−機能の結合以上の何かを意味していなければならない。[7]。 

 このIV(E)(i)条の解釈は多数意見の「模範」例にも適合する。Windows 3.11とDOS 6.22を一つの製品として単に供給することは何かの利益−−例えば、取引コストの低減、保証された互換性、及びカスタマー・サービスの一本化−−を作り出したかもしれない。しかしながら、これらの利益は別個のオペレーティングシステムのマーケットを圧倒するには十分ではない−−実際、Windows 3.11と共に使用されるNovell製品の存在がまさしくそのようなマーケットが存在することを示唆している。例えば、J.A. 845 (DG IV異議陳述) (「そのような抱き合わせは、よりよい代替品を見つけるため、又は、Windowsと共に使用されるオペレーティングシステムのためのよりよい条件を得るためのライセンスの自由競争に影響を及ぼす。」)参照。しかしながら、Windows 95は異なった問題である。このケースにおいては、−−「それはMS-DOSの上で走る単なるグラフィカル・ユーザーインターフェースではない」と多数意見が書き留めているように−−全体は部分の総和よりも明らかにすばらしい。多数意見23頁。そして、Microsoftが少なくともWindows 95がそのような利益を提供すると考えていたことは現在の記録において明らかである。例えば、J.A. 1101(Microsoftの「Windows 95特徴レビュー」)(「あなたがWindows 95を最初に立ち上げたとき、もはやMS-DOSの上で走っていたWindowsの旧世界ではないことが直ちに明らかになります。」)参照。したがって、シナジーの利益は十分に大きいようにみえるから、司法省がWindows 95を一つの統合された製品として扱うことに合意したのは合理的であっただろう。[8]

 しかし、多数意見の解釈は、結合(すなわち、その設計)が「何かの利益」を提供するという「もっともらしい主張」受け入れることによって、この先例から外れている。多数意見26-27。もちろん、多数意見の解釈及び私の対案はどちらも統合のあらゆる見かけ倒しの主張−−二つのディスクを同じ箱の中に単に入れることができただろう〔実際はそうではない〕というMicrosoftの主張、統合は(例えば、同21頁参照)第2の考えにほとんど値しなかっただろう〔第1の考えに値した〕という主張<Microsoft's claim that it could simply put two disks in the same box and claim integration, for example, see id. at 21, would hardly merit a second thought>−−を信用していない。しかし、Microsoftのもっともらしい利益の主張とかなり違う多数意見の解釈は、オペレーティングシステムの内部的な働きのMicrosoftの特権的な知識と結び付いて、IV(E)(i)条のバーを地表レベルから上にほとんど持ち上げない。オペレーティングシステムに「統合」したい現在は別個のソフトウエア製品のために、Microsoftが呪文を唱えて何かの技術的な利益を呼び出すことができない、と想像することは困難である。[9] そして、多数意見にとって、追跡は、インターネット・エクスプローラは他のブラウザが行わない方法でオペレーティングシステムとコードを分け合っており、それゆえ、統合されているというMicrosoftの主張で、終わる。しかし、インターネット・エクスプローラの一部がオペレーティングシステム及び従って他のアプリケーションとコードを分け合っているという事実は、Jefferson Parish事件の麻酔医が、病院の設備と職員を、病院及病院のスタッフと分け合ったという事実(あるいは、ある決まった麻酔医だけの使用を要求することに病院は何かの重要でない実際的な利益を確認することができたという事実)がした以上に、分析を終わらせるべきではない。分析する者は次の点も考慮しなければならない、インターネット・エクスプローラが独禁法に基づく別個の製品であるかどうか、つまり、他の製造業者からのインターネット・エクスプローラの代替品を、消費者が購入することを非常に希望する−−ゆえに製造者が供給を非常に望む−−ことにより、消費者が[インターネット・エクスプローラ]と[Windows 95]を区別するかどうか;他の言葉で言うと、「[抱き合わす製品]とは別個に[抱き合わされた製品]を提供するのが効率的である別個の製品マーケット」が存在するかどうか。Jefferson Parish, 466 U.S. at 22;Digidyne, 734 F.2d at 1339(「地裁の見解で要約された争われなかった事実は、被告のRDOS[オペレーティングシステム]とは別個のNOVAインストラクションセットCPU[中央処理装置]のための需要が存在したこと、及び、もし、被告が消費者に両方を買うことを強制しなかったなら、NOVAコンピュータシステムは別個に供給され、消費者によって別個に選択されることができたことを証明している。」)も参照。そのようなマーケットが存在するかどうか、そして、IE 3.0及び/又はIE 4.0をWindows 95に統合することに関連する特別なシナジーを圧倒するに十分であるかどうかは、もちろん、地裁の権限内の事実問題の決定である。しかし、マーケット分析における妥当な指針は次のものを含むことは確実であろう、(1)他のオペレーティングシステムの製造業者がOEMに特定のブラウザを含むように要求するかどうか、例えば、Jefferson Parish, 466 U.S. at 23 n.39 (「他の病院が麻酔サービスを別個に購入することをしばしば許している」と書き留めている); X Areeda, Antitrust Law p 1746, at 225 (1996) (類似した競争的なマーケットにおける慣行と申し立てられた抱き合わせの比較を示唆している)参照;(2)Microsoft自身の行動がWindows 95のマーケットとは別個に「インターネット・エクスプローラ」の競争的なマーケットの認識を示しているかどうか、例えば、AllenMyland, 33 F.3d at 208-09(別個の製品のマーケットの決定において内部的なレポートの証拠価値を書き留めている);及び(3)競争相手のブラウザ製造業者のまさしくその存在、例えば、Eastman Kodak, 504 U.S. at 462(「全体のハイテクサービス産業の発展はサービスの別個のマーケットの効率性の証拠である」と書き留めている)参照。しかしながら、多数意見はこれらの考慮はまったく行っていない。このような分析の妥当性を無視することによって、多数意見は事実上伝統的な独禁法をショートしている。

 この解釈がもっともらしいにもかかわらず、同意判決−−特に用語「統合された製品」及び「他の製品」−−の解釈を与えるために独禁法が意図する範囲は地裁の差し戻し審に最も残されたもう一つの未解決な問題である。同意判決のIV(E)(i)条が不明瞭であることは誰でも合意すると私は信じる、−−実際、不明瞭ではないとすれば、地裁は魚を捕らえるか、又は、餌を切ることができた<fished or cut bait>、すなわち、地裁はMicrosoftの行為が〔民事的裁判所〕侮辱罪を構成するか、又は、同意判決にまったく違反していないかのどちらかを決定することができたはずである。したがって、多数意見がどの点においても、原文<text>の中だけに置かれることができたIV(E)(i)条の明白な意味があると述べているとは、私は解釈しない。反対に、我々は契約法の通常の原理のもとにある:両当事者の意図を探し、「『同意命令、使用された用語について両当事者が持っていたかもしれない技術的意味、及び、明確に同意判決に結合した他の文書、の構成を取り巻く状況を含む』伝統的な『解釈の助け』」によってその冒険はガイドされる。United States v. Western Elec. Co., 894 F.2d 430, 434 (D.C. Cir. 1990) (United States v. ITT Continental Baking Co., 420 U.S. 223, 238 (1975)を引用している)参照。これらの原理に基づいて、不明瞭な契約の解釈は両当事者の意図に関する事実問題の認定を必要とする。例えば、Bennett Enters., Inc. v. Domino's Pizza, Inc., 45 F.3d 493, 497 (D.C. Cir. 1995); Carey Canada, Inc. v. Columbia Cas. Co., 940 F.2d 1548, 1553-54 (D.C. Cir. 1991)参照。本件のように意味が明白でない事件において、一般的に控訴裁判所は自分自身の事実認定の役割に乗り出すことを辞退し、主要な事実認定者としての地裁の役割に敬意を表し、地裁の事実認定の明白な誤りについてだけ再審理する。例えば、United States v. Insurance Co. of N. Am., 131 F.3d 1037, 1042-43 (D.C. Cir. 1997)(不完全な記録に基礎を置いて契約の当事者の意図を決定することを辞退し、更なる事実認定を差し戻している)参照。下級審の地裁は「その公に述べられた目的に照らしてIV(E)(i)条を読むことにより、政府がここに異議を申し立てる行為に対して[IV(E)(i)条]の適用を決定する際に、このような[抱き合わせ]独占禁止の先例を使用することを両当事者が予期していたという、論理的な推論をすることができる」(United States v. Microsoft Corp., 980 F. Supp. 537, 542 (D.D.C. 1997))という結論−−両当事者の合意よりはるか前に判断されたJefferson Parish事件が実際に同意判決の解釈に関係していることを示唆するという結論−−を下しているが、告知と、証拠と主張を提出する適切な機会が与えられたなら、両当事者が地裁を他の方法で説得することに成功することが想像できないことではない。[10] しかしながら、多数意見はそのような努力にほとんど余地を残していない−−多数意見の解釈は最後の言葉であることを明らかに意味しているようにみえる。[11]

 最後に、そして関連して、IV(E)(i)条の両当事者の当時の理解が最終的に明らかにされたとき、その理解を両当事者がどのような意図で行ったのかに関して更なる仕事がなされるべきである。地裁が、何かが「他の製品」であるかどうかはその製品の別個のマーケットの存在によると結論するとしたら、地裁はどのようにその「何か」−−本件の場合は「インターネット・エクスプローラ−−が定義されるのかを更に決定しなければならない。ここに、再び、多数意見は、「インターネット・エクスプローラ」は、エンドユーザーがインターネットをアクセスするためのコードばかりでなく、オペレーティングシステムをアップグレードするコードも含んでいるという仮定に強く依存し、それゆえ、いかなる抱き合わせ分析についても「別個の」製品は存在しないと結論している。多数意見29頁。[12] その認識の妥当性は私にはそれほど明らかではない。Jefferson Parish事件において、麻酔医の仕事を可能とする供給と設備は病院に残されている−−ひとつの言い方としては、麻酔医は、エンドユーザーである患者と、病院という「オペレーティングシステム」、の間のインターフェースのようなものである−−という事実は、サービスの麻酔医の部分が別個の製品を構成するという結論を裁判所が出すことを妨げるものではない。不幸なことに、たぶん仮差止手続きの変則的な性質のため、 結合ピン製品「インターネット・エクスプローラ」が包含するように意図されているものに関する事実認定の方面で、地裁はほとんど何もしていない<the district court made little in the way of findings concerning what the linchpin product "Internet Explorer" is intended to encompass>。[13] 前述の議論が示唆するように、典型的なエンドユーザーの見方から問題にアプローチすることは不合理であるとはいえず、エンドユーザーは「インターネット・エクスプローラ」を、そのプロセスに関連する裏に潜んだコードを考えず、インターネット上の情報をアクセスするための特別な乗り物として考えることが最もありそうである。多数意見が示唆するように(多数意見29-30参照)、「インターネット・エクスプローラ」があるコードをオペレーティングシステムに配布しているという事実は、このコードのいくつか又は全部が「インターネット・エクスプローラ」の一部として少しも考えられるべきではなく、オペレーティングシステムの一部として考えられるべきであることを単に示唆しているのかもしれない。さもなければ、たぶんこのコードが行う仕事はNetscape又は他の競争者によって書かれた似たようなコードによって同様にうまくなされることができるだろう、その場合、必然的にそのコードの機能はオペレーティングシステムの機能では少しもない。[14] しかし、「製品」の意味へのどのアプローチが同意判決に対する両当事者の当時の理解であったのかは決定されるために残されている。

 更に、「スタート」メニュー及び「親指のつめ」プレビューを含むWindows 95へのインターネット・エクスプローラの統合に関して多数意見が断言した多数の利益(同27-28頁)は、インターネット・エクスプローラ3.0ではなく、インターネット・エクスプローラ4.0によってのみ提供されていることを記録が示唆している。例えば、J.A. 490-95, 1664-69参照。多数意見は、ほとんどあるいはまったく証拠なしに、IE 3.0とWindows 95が「統合されている」と結論しているようにみえる。この点を照らす更なる証拠がもたらされるべきであり、したがって、地裁は多数意見の結論に拘束されることはない。IE 4.0に関しては、地裁の仮の結論は、Microsoftが別個のディスクのみによってそのプログラムを提供したという事実に基づいて決定しているようにみえ、関連する技術に基づいて決定しているようにはみえない、Microsoft, 980 F. Supp. at 544参照、したがって、IE 4.0に関してより多くの事実認定も必要であることが示唆される。

 地裁の差し戻し審においてなされる意図と作用<operation>についての更なる重要な事実認定があると信じるので、私は仮差止を再度発する地裁の権限を排除しない。[15] これが、多数意見のIV(E)(i)条の解釈の有無をいわせぬ性質によって、私が悩まされた理由であり、多数意見の解釈は、更なる手続きにおいて進展するかもしれず、仮差止又は恒久的差止を正当化するかもしれない条文とただし書きの他の解釈を、排除しているようにみえる。その範囲で、私は多数意見から謹んで意見を異にする。


脚注
 
1.もし、Microsoftがオペレーティングシステムにマウスをバンドルすることを試みたとすると、「マウス/オペレーティングシステム・パッケージが、OEMによって結合されるよりもMicrosoftによって結合されるほうが、より良く動作することを証明しなければならないだろう、それは、そのオペレーティングシステムと共に、そのマウスが他のマウスよりもより良く動作することを証明することとは異なるテストである」と多数意見は断言している。多数意見23頁脚注11。しかし、「結合の行為が、二つを一緒に接合する設計の創作であり」(同28-30頁)、どの会社の従業員が物理的結合を成し遂げるかではないと断言する多数意見自身のテストを、誤って述べているように、私にはみえる。もし、これがその場合であれば、多数意見のテストは、Microsoftのマウスとオペレーティングシステムを「一緒に接合する」設計が、競争者のマウスとオペレーティングシステムの結合によって利用できない利益を提供するかどうかを考慮することになるだろう。これは容易に満たされる基準であると私は考える。例えば、Microsoftが特許で保護されたある程度有用な特徴を持ったマウスを開発し、この特徴を持ったマウスを使用するときに最もうまく動作するようにオペレーティングシステムを設計し、OEMにこの二つの製品を一緒に購入するように要求することができることになる。このマウスとこのオペレーティングシステムは、多数意見のテストに基づけば、統合の資格を有するだろう。「IE 4によってアップグレードされたときの完全なオペレーティングシステムの機能と、IE 4の『ブラウザ機能』が...別個に存在するわけではない」のであるから、IE 4.0とWindows 95は統合されていると多数意見は言う。同29頁。同様に、特許で保護されたマウスの完全な機能とMicrosoftのマウス−フレンドリー・オペレーティングシステムは別個に存在しないであろう;その二つはお互いのために設計されており、それらの完全な機能は結合された時だけ存在するだろう。したがって、多数意見のテストに基づけば、特許で保護されたマウスがユーザーにとってほとんど特別の価値がない場合でさえ、MicrosoftはIV(E)(i)条の影響を完全に回避するだろう。ただし書きが同意判決をこのように意味のないものとするように意図されているとは私は考えたくない。

2.ただし書きはMicrosoftは統合された製品を「開発する」ことが許容されることだけを述べているが、両当事者は「開発」が研究開発だけに制限されるべきでないことを合意している。

3.多数意見は、「統合された」製品によって提供されるシナジー<synergy>のレベルを判断する裁判所の制度上の能力を問題としている。多数意見25頁参照。私は製品設計の詳細に司法が日常の仕事として干渉することを是認しているのでは決してない。しかし、複雑性に直面して(多数意見が行っているに近い)司法の放棄を是認しているのでもない。裁判所は、ある特定の統合が何らかのシナジーの利益を、一体、提供しているのかどうか、および、それらの利益は最小限か、重要か、偉大かどうかを決定する能力を間違いなく有している。これは事実問題の決定であるから、それらは、例えば、宣誓供述書、消費者の調査、両当事者又は裁判所が指名した専門家証人の証言、及び、両当事者によって提出された他の証拠による努力のなかで導かれる。統合の「もっともらしい」利益に関するあらゆる真正の断言に独禁法が降参する多数意見の提案より、このアプローチの方が、間違いなく、望ましい。

4.本件における特別補助裁判官としての任期中に、Lawrence Lessigは、本控訴事件の記録の一部を構成する書簡の中で、同一ではないが、同様なIV(E)(i)条の解釈を提案した。1998.1.19付けのLessigからMalone他宛の書簡(IV(E)(i)条の禁止事項は契約を破った<through>抱き合わせだけを禁じている;ただし書きがはっきりさせているように、技術的な努力による<through>抱き合わせは禁じていないと主張している)参照。もちろん、Lessig教授がこの極めてもっともらしいIV(E)(i)条の解釈を提案したという事実は彼の解釈がただ一つの受け入れられるものである−−これは差し戻し審の手続きにおいて決定される問題である−−ことを示唆している。

5.多数意見は、「(1)禁止事項を明瞭に表現し、かつ(2)禁止の限界を設定する」条文が比較考量テスト<balancing test>を導くということを、どのような方法で解釈できるのかに関して、当惑していると表現している。その製品が適法に統合されていることを、この条文が要求していることは確実である;さもなければ、IV(E)(i)条は何の力も持たないだろう。同意判決の一つのもっともらしい解釈は、それ〔IV(E)(i)条〕は、適法に統合された製品かどうかを決定するために、裁判所に独禁法を参照させているというものである;これらの状況のもとでは、独占禁止分析は比較考量を要求する。私としては、Microsoftの行為の制限を意図しているのが明らかな同意判決が、Microsoftの行為に精密な調査をほとんど課さないで、どのような方法で解釈できるのかを理解するのに当惑している。

 私が提案する解釈では、いったい、なぜ、IV(E)(i)条がただし書きを含んでいるのかを尋ねる者がいるかもしれない。ただし書きは、「この同意判決を取り巻く強烈に弁護士化した雰囲気の中で、保証を二重に確実にするために意図されたものであり、」United States v. Western Elec. Co., Inc., 12 F.3d 225, 238 (D.C. Cir. 1993) (Williams判事は反対意見)、−−他の言葉で言えば、弁護士的冗長であると私は考える。しかし、私はただし書きをそれほど制限された役割をさせるためのものとして解釈する必要があるとは考えない。私の解釈によれば、ただし書きはIV(E)(i)条の禁止事項が無制限ではないこと−−製品が以前に存在した機能の新しい結合を含んでいるからという理由だけで禁止されないこと−−を明らかにするために役に立っている。このように、ただし書きはIV(E)(i)条の一つの可能な解釈を排除する機能を有している。ただし書きが解釈の条件として役割−−IV(E)(i)条は統合された製品を禁じると「解釈されない」−−が与えられているとすれば、それ〔ただし書き〕をこの制限された解釈上の機能と調和させることが適切である。

6.多数意見は、Microsoftがそのように〔別個に〕扱えば、製品は別個であるという司法省の主張を拒絶した、多数意見19-20頁、しかし、独禁法がそのように〔別個に〕扱えば、製品は別個であるという政府の関連した主張に本気で取りかかっていない、同19頁参照(司法省のJefferson Parish事件の引用を書き留めている)。

7.もし、OEMが統合を彼ら自身で同様にうまく行うことができたら、製品は「統合」されていないという多数意見の所見に関して、私のコメントは、これは明らかな問題であり、それが分析に何を付け加えるのか私には明らかではないというものである。購入者が彼自身で同様にうまくできない利益をそれが持つとすれば、シナジーは単にそれなりに勘定に入れるべきである。例えば、クッキーとミルクを結合するシナジー的な利益がある、しかし、消費者は家で完全にうまく結合することができる。したがって、スーパーマーケットは通常は、クッキーとミルクが一緒に買われることを要求するための理由として、このシナジーに頼ることができない。

8.多数意見は、Microsoftと司法省がWindows 95に比較考量テストを受けさせたという証拠はないことに異議を唱えている。多数意見31-32頁。しかしながら、この事件の手続上の状況により、両当事者が同意判決に何を意図していたのかに関して、記録にはどのような種類の証拠もほとんどない。Microsoftと司法省がWindows 95に多数意見の最小限テストを行った兆候がないことは間違いない。

9.多数意見のテストはMicrosoftに、ワープロ・プログラム、表計算・金融管理ソフトウエア、及び事実上あらゆる他の現在別個のソフトウエア製品を、オペレーティングシステムに「統合する」ことを、そのような「統合」に関連する最小限のシナジーを明らかにすることによって、許しているようにみえる。多数意見は、事実上、オペレーティングシステムの設計のために独禁法からの広範な免除を作り上げた、その理由は明らかに、オペレーティングシステムは、その物理的存在が結合の行為を見分けるのがより容易である周辺機器のようなものではないからというものである。多数意見23頁脚注11。しかし、まさか、物理的存在が独禁法適用の制限として働くことはできない−−例えば、サービスの供給は無形の「製品」であるが、しばしば、独占禁止分析の主題である。例えば、Jefferson Parish, 466 U.S. 2(麻酔サービス); Allen-Myland, 33 F.3d 194 (コンピュータ部品の据え付け); Service & Training, 963 F.2d 680 (コンピュータ・メンテナンス及び修理サービス)参照。

10.実際、地裁は「技術的事実に関する問題についての議論は、契約の解釈と同様に、現在、記録に多い。」と認めていた。Microsoft, 980 F. Supp. at 543。

11.「地裁は我々が敬意を表して従うことができた意図に関するいかなる認定も行っていない」と多数意見は断言しているが(多数意見15頁脚注7)、そうであるからこそ自制が特にふさわしいのである。

12.明白に、多数意見のこの結果のための断言は、Microsoftが仮差止に従うのに失敗したかどうかに関するヒアリングにおいて、Microsoftによってなされ、政府によって争われている証言に依存している。多数意見29頁参照(例えばJ.A. 1661-68を引用している)。両当事者のこの論争の最後の合意(訴訟上の合意及び命令参照)は、地裁によるこの問題に関する事実認定の必要性を除去している。裁判所内のデモンストレーションを伴う多くの証言を与えられたとして(例えば、J.A. 1661-72参照)、本裁判所が事実問題の争いを自ら解決するために議論に加わるのは期が熟していないと私は信じる。

13.地裁の意見は「現在、Microsoft自身が『インターネットエクスプローラ3.0』として別個に小売りで流通させている」としてひとつのユニットの分析に言及しているが、Microsoft, 980 F. Supp. at 544、この記述はその後の手続きで異議を唱えられた。J.A. 1619(インターネット・エクスプローラ3.0のタイトルで小売店に製品を配布していないというMicrosoftの役員の断言);J.A. 1780(一定のファイルだけの削除で仮差止に応諾したという司法省とMicrosoftによる合意)参照。

14.例えば、ワープロ・プログラムは、一度インストールされたオペレーティングシステムの、あるコードをアップデートするばかりでなく、辞書も含んでいてもよい。他のアプリケーションが辞書ファイルを要求するかもしれないという事実、又はワープロ・プログラムが完全に削除されたとしたら、あるオペレーティングシステム・ファイルが「退化」されるであろうという事実は、必ずしも、ワープロ・プログラムがオペレーティングシステムに統合されていることを意味しない。そのプログラムのその部分だけがそのように統合されてるかもしれないが、あるいは、それの何もオペレーティングシステム機能を果たしていないかもしれない。

15.この点から、本裁判所〔多数意見〕は政府が「実体のある勝訴の可能性」を証明する要件は、「確実」又は「51%」さえも意味するという考えを拒否したと、私は書き留める。Washington Metro. Area Transit Comm'n v. Holiday Tours, Inc., 559 F.2d 841, 844 (D.C. Cir. 1977)参照。むしろ、地裁は4つのファクター全て(本訴で勝訴する可能性、回復不能な被害、他の当事者への損害、及び公衆の利益の促進)の相対的強さに照らして、仮差止の適否を評価するべきであるから、「勝訴の可能性の必要な『レベル』又は『程度』は裁判所の他のファクターの評価に従って変わるだろう」。同843頁。


(訳1)〔 〕は翻訳上付け加えたかっこであり、( )は原文のかっこである。

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