翻訳 井上雅夫  1998.07.11 I序説 II仮差止1 III仮差止2 IV統合 V付託 VI命令   ↑UP 


マイクロソフト独禁法事件
98.06.23

DISTRICT OF COLUMBIA巡回区合衆国控訴裁判所

1998.4.21口頭弁論  1998.6.23決定
No. 97-5343
被控訴人 アメリカ合衆国

 控訴人 Microsoft Corporation
98-5012併合
District of Columbia地方合衆国裁判所からの控訴
(No. 94cv01564)

 控訴人代理人  Richard J. Urowskyは控訴人のために口頭で弁論した、John L. Warden, Steven L. Holley、Richard C. Pepperman, II、Andrew C. Hruska, James R. Weiss、William H. Neukom及びDavid A. Heiner, Jr.は書面上で[訳1]

 被控訴人代理人  U.S.司法省副司法長官補佐 A. Douglas Melamedは被控訴人のために口頭で弁論した、司法長官補佐 Joel I. Klein、Catherine G. O'Sullivan及びMark S. Popofskyは書面上で

 法廷助言者代理人[訳2]  カリフォルニア州司法長官 Daniel E. Lungren、イリノイ州司法長官 James E. Ryan、カンザス州司法長官 Carla J. Stovall、メリーランド州司法長官 J. Joseph Curran, Jr.、マサチューセッツ州司法長官 Scott Harshbarger、ミズーリ州司法長官 Jeremiah W. (Jay) Nixon、モンタナ州司法長官Joseph P. Mazurek、ネバダ州司法長官 Frankie Sue Del Papa、ニューメキシコ州司法長官 Tom Udall、オクラホマ州司法長官 W.A. Drew Edmondson、裁判所の法曹メンバーが州の書面上で法廷助言者<amici curiae>として、他のさまざまな参加州の司法長官が出席

Wald、Williams 及び Randolph巡回判事による審理
  
Williams巡回判事によってファイルされた裁判所の意見〔多数意見〕
  
Wald巡回判事によってファイルされた一部同意、一部反対意見〔少数意見〕
  
Williams巡回判事〔が執筆した裁判所の意見(多数意見)〕:
 地裁は、Microsoft Corporationに対してオペレーティングシステム・ソフトウエアをライセンスするコンピュータ製造業者にインターネットブラウザもまたライセンスすることを要求することを禁止する仮差止を発した。また、仮差止の認容において、地裁は政府の恒久的差止申立を特別補助裁判官に付託した。Microsoftは仮差止を控訴し、補助裁判官への事件付託取消執行令状を申請した。我々は、地裁がMicrosoftに告知することなしに仮差止を発したことにおいて手続的に、仮差止の根拠となる同意判決の内在する解釈において本質的に、誤りを犯したものと認める。また、我々は〔事件付託取消〕執行令状の申請を認容し、地裁に事件付託の取消又は変更を命ずる。

  
I.〔序説〕
  
 本件は、Windows 95オペレーティングシステムの売買におけるMicrosoftの慣行から生じている。オペレーティングシステムは、いわば、コンピュータの主要な神経システム<the central nervous system of the computer>であり、コンピュータとキーボードやプリンターのような周辺装置との相互作用を制御している。Windows 95はDOSシェル<a DOS shell>を、グラフィカル・ユーザーインターフェース、つまり操作する者がキーボードをタイプするのではなくマウスのクリックによって機能を実行するテクノロジー、と統合したオペレーティングシステムである。また、オペレーティングシステムはワードプロセッサのようなアプリケーション・ソフトウエアのための「プラットフォーム」としての役割がある。「プラットフォーム」という言葉が暗示するように、オペレーティングシステムは「アプリケーション・プログラミング・インターフェース」(「API」)を経由してアプリケーションのための基本的なサポート機構を供給し、アプリケーションが頼ることができる一般的な機能を供給する。各オペレーティングシステムのAPIは特有のものであり;ゆえにアプリケーションは特定のオペレーティングシステムのために書かれる傾向になる。オペレーティングシステムの主要なマーケットは、コンピュータを製造し、Microsoftのようなベンダーからライセンスを受けたオペレーティングシステム及び他のソフトウエアをインストールするオリジナル機器製造業者(「OEM」)、及び、エンドユーザへのパッケージ売りからなる。パッケージ売りは個人消費者あるいはビジネス向けのどちらでもよい。

 Microsoftに対する司法省の1994年独禁訴訟によって引き起こされた訴訟における以前の見解において、我々は、ソフトウエア産業及び産業経済におけるMicrosoftの役割を簡単に記述した。United States v. Microsoft Corp., 56 F.3d 1448, 1451-52 (D.C. Cir. 1995)。IBMがそのパーソナルコンピュータにMicrosoftのオペレーティングシステムをインストールすることを選択したことから、Microsoftは何百万ものIBM及びIBMコンパチブルパソコンに「インストールされた基盤<installed base>」を獲得した。その基盤は特別の強みを構成し、ソフトウエア産業の二つの特徴−−規模に関する収穫逓増およびネットワーク外部性[訳3]increasing returns to scale and network externalities>−−のために特に独占の危険性が生じることとなった。第1に、ソフトウエアのコストの大部分は設計にあるから、限界生産コスト<marginal production costs>は無視し得る。追加の生産は無限に平均コストを低下させそうにみえる。(つまり、平均コスト曲線は決して上方には向かわない。)第2に、ソフトウエアのある特定の品目のユーザー数の増加は、あるユーザーと仕事を共に行う他の人々の数を増加させる。結果として、Microsoftの巨大なインストールされた基盤は、独立系ソフトウエア・ベンダーがコンパチブル・アプリケーションを書くインセンティブを増大させ、それによってオペレーティングシステムの消費者への価値を増大させる。[訳4]

 司法省の1994年の訴状は、主にMicrosoftのOEMとのライセンス契約における様々な反競争的慣行を主張した。それに伴って、司法省はMicrosoftの行動を制限する提案された同意判決を記録に登録したが、同意判決はMicrosoft、司法省及びヨーロッパ独禁当局間の交渉の産物である。ここにおいて最も関連するのは同意判決のIV(E) 条である。:

 Microsoftは、その契約の条件に、明文又は暗黙に、
 (i) 他の適用製品<Covered Product>、オペレーティングシステム・ソフトウエア製品、又は他の製品(ただし、この条文はそれ自体及びその中においてMicrosoftに統合された製品<integrated products>の開発を禁じるものと解釈されないことを条件とする)をライセンスすること、又は、

 (ii) OEMが非Microsoft製品をライセンス、購入、使用、又は配布しないこと、

を条件とするライセン契約を行わない。
 司法省は、Windows 95とそのウェブブラウザInternet Explorer (「IE」)のMicrosoftのマーケティングにIV(E)(i)条違反があるとみている。

 インターネットはより小規模なコンピュータのネットワークを結ぶグローバルなネットワークである。World Wide Web (「ウェブ」) はインターネットの最も急速に成長している部分であり、ハイパーマークアップ言語(「HTML」)で書かれたマルチメディア「ページ」からなり、ハイパーリンクによって他のページと接続されている。ブラウザはユーザーがウェブをナビゲートし、情報をアクセスすることを可能にする。

 大部分のブラウザは「マルチプラットフォーム」アプローチに従って設計され、種々の異なったオペレーティングシステムのための異なったバージョンがある。添付付録81<「J.A.81」>。ブラウザは、また、ユーザーインターフェース及びアプリケーションのためのプラットフォーム(ある特定のオペレーティングシステム[1]よりもむしろある特定のブラウザのAPIのために書かれることができるだろう)として役割を果たす可能性を有しており、オペレーティングシステムの古典的な機能のいくらかを供給することになる。ユーザーインターフェースとしてマルチプラットフォーム・ブラウザの広く行きわたった使用はオペレーティングシステム・マーケットにおけるネットワーク外部性の独占逓増効果を減少させる可能性を有している。[訳5]  ブラウザは、ユーザーがインターネットもしくはローカルネットワークに蓄積されたアプリケーションをアクセスできるようにし、又は、オペレーティングシステムから独立したアプリケーションを操作できるようにする。J.A. 103-05。

 MicrosoftはIEの継続するバージョンを開発し、その第1のものはWindows 95と共に1995年7月に最初にリリースされた。MicrosoftのWindows 95ライセンス契約は、OEMにMicrosoftから送られたIEを含むソフトウエアパッケージを受け入れ、インストールすることを要求し、OEMにあらゆる特徴や機能、つまりブラウジングのような機能を実行する能力を取り除くことを禁止した。J.A. 86-89。

 IEの最初の3バージョンはOEMに供給されたWindows 95「マスターディスク」に実際に含まれていた。司法省書面4頁; J.A. 1277-78。対照的に、IE4.0は、最初は分離したCD-ROMで配布され、OEMはそれをインストールするよう要求されなかった。Microsoftは1998年2月にWindows 95の一部としてIE4.0をプレインストールするようOEMに要求し始めた。司法省は、Microsoftの計画を知り、この慣行は事実上IE4.0のライセンスを条件にしてWindows 95をライセンスすることによって(司法省の見解では)オペレーティングシステムとブラウザ間の独禁法用語「抱き合わせ」を構成し、IV(E)(i)条に違反すると懸念し始めた。[2](なぜMicrosoftの確立したIE政策のIE4.0への拡張が司法省の懸念を引き起こしたのかは明らかではない。)司法省はIE3.0に関する慣行においてMicrosoftに〔民事的裁判所〕侮辱罪を判決することを求める申請を提出し、IEのいかなるバージョンに関しても同様な契約を行わないよう裁判所が明確にMicrosoftに命令する、という「更なるもの」を要求した。

  他の当事者に〔民事的裁判所〕侮辱罪の判決を求める当事者は重い立証責任に直面し、侮辱罪被疑者が同意判決の「明白で不明瞭でない」条項に違反したことを「明白で説得力のある証拠<clear and convincing evidence>」によって証明する必要がある。Armstrong v. Executive Office of the President, 1 F.3d 1274, 1289 (D.C. Cir. 1993) 。IV(E)(i)条を不明瞭であるとして、地裁は司法省の侮辱罪申立を否定した。しかし、地裁は、(侮辱罪を正当化するほど明瞭ではないが)Microsoftの慣行が実際に同意判決に違反している可能性を残し、その問題に答えるために手続きを続行させ、ディスカバリ〔証拠開示手続き〕を監督するだけでなく、事実認定及び法的結論の提案をさせるために、特別補助裁判官を指名した。地裁は、さしあたり、Microsoftに次の慣行を禁じる仮差止を発した。

Microsoftインターネット・ブラウザ・ソフトウエア(インターネットエクスプローラ 3.0、 4.0 又はその後継バージョンを含む)もまたライセンスし、プレインストールすることを明文又は暗黙の条件として、Microsoftパソコン・オペレーティングシステム・ソフトウエア(Windows 95又はそれの後継バージョンを含む )の使用権をライセンスする慣行
J.A. 1300。

 この差止が何を意味しているのか探求するためには回り道が必要である。裁判所に提出されたいくつかの文書において、司法省は、IE3.0として別個に小売されている「ソフトウエアコードをOEMに受け入れさせ、プレインストールさせる」ことをMicrosoftに禁じる命令を求めると主張した。J.A. 996。Microsoftは、IEソフトウエアコードなしのWindows 95オペレーティングシステムは全然機能しないだろうと答弁した。政府はその(Microsoftの)主張を「極めて誇張された」ものとして描写した。J.A. 1237。地裁は、その正当であると理由づけるメモランダムにおいて、IE3.0として別個に小売されている「ソフトウエアコードをOEMに受け入れさせ、プレインストールさせる」ことをMicrosoftに禁じる差止に言及した、J.A. 1296-97;つまり、その問題に関する司法省の文言どおりを使用した。差止が発せられた後、Microsoft及び司法省は、更に協議し、最終的に、もし、(1)IE3.0に関してアプリケーションの追加と削除<Add/Remove>プログラムユーティリティを走らせる、及び(2)IEアイコンをデスクトップ及びスタートメニューのプログラムリストから削除し、IEXPLORE.EXEファイルを「隠しファイル<hidden>」にするオプションをOEMに差し出すならば、Microsoftは差止に応諾したことになるという裁判上の合意を結んだ。J.A. 1780-81。応諾のこれらの方法がIEソフトウエアコードを取り除いていないことが争われていないようにみえ、実際、〔IEは〕Windowsのノン・ブラウザ機能を提供する役割を担い続けている。事実、ブラウザ機能自体が存続し、4行のコードを入れることによって、あるいは、その機能に頼る必要のあるコードを含む(Quickenのような)アプリケーションを走らせることによって呼び出すことができる。J.A. 1649-55。応諾の合意された方法は単にユーザーがIEにアクセスするのを困難にさせることをOEMに可能とさせているだけである。[3][訳7]

 Microsoftは、合衆国法律集28、1292(a)(1)条に基づいて控訴し、また、特別補助裁判官への付託を取り消すよう地裁に命じる執行令状を求めている。

  
II.〔仮差止1〕
  
   最初に、Microsoftは、地裁が、侮辱罪を認定しなかった後、単に司法省の申立を却下すべきであったと主張する。しかし、申立が「被告Microsoft Corporationに対して民事的(裁判所)侮辱罪が判定されないこと」を証明せよという命令を求めるというスタイルにすぎないにもかかわらず、その救済請求は(1日あたり100万ドルの賠償額を求めるという人目を引く要求のような)純粋な侮辱罪の救済を求めるだけでなく、「Windows 95ライセンスの明文又は黙示の条件としてインターネットエクスプローラのどれかのバージョンをOEMにライセンスすること」をMicrosoftが要求するのを終了させ、断念させる命令を求めた。J.A. 41。これが同意判決の解明を求めるものであったことは明らかであり、ブラウザ問題への適用について詳しい説明を求めるものである。そのような解明は差止の形式を適切に取ることができる。Brewster v. Dukakis, 675 F.2d 1, 3-4 (1st Cir. 1982)参照。実際、同意判決は既に差止を含んでいるから、解明は当然同じ特徴を得る。(もちろん、補足した文言が同意判決を越えるとすれば、それは解明ではなく修正であり、異なった基準によって支配されることになる。例えば、United States v. Western Elec. Co., 894 F.2d 430, 435 (D.C. Cir. 1990)(「作られた訴え<Manufacturing Appeal>」)参照。)侮辱罪の救済の一部としてこの要求を組み立てることは奇妙であったかもしれないにもかかわらず、その手続きがブラウザ・テクノロジーへ適用されたものとしてIV(E)(i)条の意味を議論においたことをMicrosoftは争っていない。

 この政府の解明要求は、−−裁判所がMicrosoftに侮辱罪を判決するという−−最初の要求の直後の申立及び単語「更に」のなかに見られる。「更に」に多数の命令の要求が続いている。Microsoftはこれが、この要求が侮辱罪の認定を条件とすることを明瞭に証明していると述べている。Microsoftは更に(ここでは「付加的」の意味)、地裁が仮差止の決定をする前の最終ヒアリング(1997.12.5)における地裁と司法省弁護士との間の対話からの何行かを我々に指し示す。

裁判所:オーライ。あなたがたがここで要求した救済に行こう。あなたがたの申立は侮辱罪の認定の申立としてだけ明確に表現されている。

MR. MALONE:そのとおりです、裁判官。

裁判所:我々は根拠を証明する[段階]を越えてしまったった[原文のまま]。彼らは根拠を証明した、そして、我々は、今、侮辱罪の段階にある。

 あなたがたが求めているのは、あるいは、私はそう読みたいのですが、私が読むべきなのは、ただ一つの救済であり、そして、それは特効のある執行の申立ですか?

MR. MALONE:それがまさに裁判所が読むべき方法であると思います、裁判官。我々が裁判所に求めた−−我々は裁判所がMicrosoftに侮辱罪を適用することができ、侮辱罪を治癒するこの特効のある救済を科すことができ、直ちに行うべきであると信じていますが−−その最初からの議論において、我々は極めて明瞭に申しあげたと思います。

 Microsoftは、本案訴訟を根拠にしてそれに反対していますが、Microsoftがうまくいくとは思いません、そして、「あなたがたはそのようにすることはできない。これはまさしく根拠あるいは他の何かを証明する命令だ。」と述べています。

 本案訴訟は裁判所にたくさん継続しており、我々が求めていますのは我々が申立の中で要求した特効のある救済です。

 実のところ、裁判官、「Windows 95ライセンスを得る条件としてインターネットエクスプローラを受け入れることをOEMにもはや強制しない」とMicrosoftに述べる単なる命令に要約されます。

J.A. 1235-36。

 実際は、司法省の要求は常に二者択一的であるか、要求を修正してそのようにしたのかのどちらかを、この対話が示唆していると我々は考える。「それがまさに裁判所が読むべき方法であると思います」は申立は特効のある執行を求める要求として読まれるべきであるという示唆に対する返答として行われており、解明におけるその重要性が司法省の主要な関心事として存在する。J.A. 1295。仮に、もしその対話に地裁が参加していれば、我々は司法省の救済請求の理解に従う気にさせられたかもしれない。

 たとえ司法省の要求が実は侮辱罪の認定を条件にしていると我々が認めたとしても、地裁が、侮辱罪の申立の否定に付随して、職権での同意判決の解明において誤ったであろうとは、我々は考えない。侮辱罪の申立はしばしば予備的に解明の要求が付随している。しかし、明白な予備的な解明要求がない場合でも、侮辱罪の否定に付属して、しばしば確認的解明を引き出し、時には修正さえも引き出す。例えば、Wilder v. Bernstein, 49 F.3d 69, 71-72 (2d Cir. 1995); Thermice Corp. v. Vistron Corp., 832 F.2d 248, 250-51 (3d Cir. 1987); Gov't of the Virgin Islands v. Sun Island Car Rentals, Inc., 819 F.2d 430, 431 (3d Cir. 1987); Movie Systems, Inc. v. MAD Minneapolis Audio Distributors, Inc., 717 F.2d 427, 429-30 (8th Cir. 1983); Vertex Distributing, Inc. v. Falcon Foam Plastics, Inc., 689 F.2d 885, 888 n.2, 892 (9th Cir. 1982); Stolberg v. Board of Trustees for State Colleges, 541 F.2d 890, 892 (2d Cir. 1976); Red Ball Int. Demolition Corp. v. Palmadessa, 947 F. Supp. 116, 121 (S.D.N.Y. 1996); Johnson v. Heckler, 604 F. Supp. 1070, 1075-76 (N.D. Ill. 1985)参照。

 我々は、侮辱罪申立の否定に付随する解明の適否について疑をかける事例を知らない。実際、Microsoftは口頭弁論で同意判決を解明するために手続きを続行する裁判所の権限を「原理的に」認めていた。謄本11頁。[4] もちろん、上記の判例は、特質上、地裁の権限を明確に確認してはいない、次の判例ではまさに行ったけれども。Vertex, 689 F.2d at 892 (「地裁はその不明瞭な文言を適切に解明することができる、そして、これがなされ、被告にこれからの広告を同意判決に従うように変更するよう要求した。」)参照。

 Microsoftは、地裁の権限の問題は裁判権であり、そのため単なる慣例では十分ではないと指摘した。しかし、多くの反復された慣行は侮辱罪引用の申立の一般的に理解された意味を照らしている。当事者が明確に要求していない解明を認容する裁判所は申立が暗黙の確認的救済の要求を含んでいるとせいぜい解釈している。この解釈は要するに、本件におけるように、その申立が問題の同意判決の意味を明らかに与え、かつ、その申立が「その事件の性質が求め、裁判所がまさに考え、本裁判所の命令及び判決に従わせるために適切であろうような更なる命令」(J.A. 43、Johnson, 604 F. Supp. at 1075-76 (侮辱罪申立を却下したが、合衆国判決集28、2202条に基づく更なる救済を求める要求に答えて同意判決を解明した)を求める(本申立のどちらかといえば典型的な用語)基準<standerd>の要求をなしているところにおいて合理的であるようにみえる。

 地裁が解明の問題を扱ったことは誤りではないから、我々は仮差止が正しく認容されたのかどうかを判断しなければならない。

  
III. 〔仮差止2〕
  
 Microsoftは地裁が連邦民事手続規則65(a)(1)条「仮差止は不利な当事者に告知することなしに発せられることはない」に従うことに失敗したと争っている。我々は同意する。支配する基準が完全に異なっているから、侮辱罪を引用した司法省の要求はそのような告知を明らかに規定していない。侮辱罪申立に勝つために、Microsoftがしなければならないことの全ては、同意判決が明瞭にその行為を禁じていることの証明責任を果たすことに司法省が失敗したことを証明することであった。仮差止のための伝統的なエクイティ基準[訳8]は、(そこにおいて同意判決が適切に解釈され、その行為が禁止される)本案訴訟における勝訴の実質的可能性、プラス回復不能な損害のリスク、他方の当事者への実質的被害がないこと、および、公衆の利益に合致することを政府が証明することを要求するであろう。CityFed Financial Corp. v. Office of Thrift Supervision, 58 F.3d 738, 746 (D.C. Cir. 1995)参照。侮辱罪の申立はMicrosoftがこれらのファクターを争うための警告とはなっていない。

 恒久的差止を求める司法省の要求も−−その要求は決して起こらない状況(セクションII参照)を条件としているというMicrosoftの議論をわきにおいてさえ−−告知としては働かない。恒久的差止の要求は解明の要求以上のものではなく、司法省の同意判決の解釈が正しいことを証明することだけを要求しているにすぎないだろう。要求する者への当座の回復不能な損害、禁じられる当事者への損害、及び公衆の利益への影響のエクイティ上のファクターが役割を果たすことはない。しかし、これらへの解答は仮差止の認容に必須である;提議者は本案訴訟における終局勝訴判決がないことに釣り合わせるために、当座の〔損害等の〕恐れを詳細に証明しなければならない。

 政府が制定法に基づく仮差止を求めるときの本案訴訟における勝訴の可能性の証明は、当座の恐れの評価の通常の必要性に、取って代わると司法省は口頭弁論において主張した。これはいくつかの状況では正しい。第1に、制定法が一度証明がなされた差止に対して権利を与えているとすれば、原告は−−政府機関であっても民間の当事者であっても−−制定法が明示するもの以上を証明する必要はない。例えば、Illinois Bell Telephone Co. v. Illinois Commerce Comm'n, 740 F.2d 566, 571 (7th Cir. 1984) (回復不能の被害は合衆国法律集47、401(b)条に基づく仮差止には要求されず、裁判所は不従順の証明に基づいてFCC命令を「執行する」と規定する)。制定法の詳細は伝統的なエクイティ基準を排除したが、この排除は「軽々しく当然のことと考えられない」。 Weinberger v. Romero-Barcelo, 456 U.S. 305, 312 (1982)。原告は議会が「裁判所の自由裁量にじゃまに入り、先導もしくは制御する」ことを意図していることを原告は証明しなければならない。同313頁。Amoco Production Co. v. Village of Gambell, 480 U.S. 531, 541-45 (1987)も参照。

 第2に、そして本件では全くはっきりしないが、国が制定法を執行するために訴えたときには、回復不能の被害が違反自体から生じると推定されるという主張が潜んでいる。例えば、United States v. Diapulse, 457 F.2d 25, 27-28 (2d Cir. 1972)(「 制定法の一節は、ある意味で、違反が公衆に害を与えるであろうという暗に含まれた認定であり、必要ならば、抑止されるべきである。」)しかし、そのような判決が実際に原告に〔上記のような主張を〕やる気にさせるかどうか、あるいは、たまたま裁判所の前にいるのがその原告〔国〕であるから、少ない証明と言及された執行機関〔国〕とに基づいた仮差止のために規定しているとして制定法を裁判所が読み取るところの事例にすぎないのかどうかは明らかではない。判例は政府機関が救済を求めるかもしれない全ての制定法にこの理論を適用すると主張してはおらず、それを例えば「救済的」なものに制限している、[5]例えば、 Commodity Futures Trading Comm'n v. Muller, 570 F.2d 1296, 1300 (5th Cir. 1978)、後者がより可能性があるようにみえる。

 Romero-Barcelo事件以前のいくつかの判例では、差止救済の単なる制定法上の権限がエクイティ基準を排除しているという見解を取っていた、例えば、Atchison, Topeka & Santa Fe Railway Co. v. Lennen, 640 F.2d 255, 259 (10th Cir. 1981)(判例が引用されている)。この見解に基づけば、Sherman法の4条、合衆国法律集15第4条は、正当であると判断されるものとして、明らかに十分なものであろうが、それが適用される基準が設けられていないような一時的な差止救済に権限を付与している。しかし、そのような判例は、通常のエクイティ基準の排除は「明確で根拠の確実な法令」を必要とするというRomero-Barcelo見解によって旧式になったようにみえる。456 U.S. at 313, 次を引用Porter v. Warner Holding Co., 328 U.S. 395, 398 (1946)。事実上、Romero-Barcelo以前でさえ、裁判所は4条の許可はエクイティ裁判所の通常の原理によってコントロールされているものとして解釈している。De Beers Consol. Mines v. United States, 325 U.S. 212, 218-19 (1945)。

 いずれにしても、司法省の示唆は見当違いである。仮差止は制定法ではなく同意判決を執行するための訴訟において発せられた。訴訟上の和解であるから、同意判決は、制定法に基づいて訴訟がなされたのよりも、より少ないものを要求するかもしれない、United States v. Armour & Co., 402 U.S. 673, 681-82 (1971); Ass'n for Retarded Citizens v. Thorne, 30 F.3d 367, 369 (2d Cir. 1994), それで、一つの違反は必ずしも他の違反ではない。したがって、同意判決の予想される違反の認定は、政府が頼るこの理論の最も法外なバージョンに基づいてさえ、回復不能な被害を裏付けてはいない。

 地裁は仮差止の認容の前に回復不能な被害を認定する必要がまさにあったのである。告知しなかったことは、この要求に関する証拠及び議論に入るのを行わなかった結果をもたらし、この欠如はささいなことから遠く隔たっている。口頭弁論において、司法省はその問題に関して証拠を提出していなかったことを認め、Microsoftは、司法省が提出したかもしれないあらゆることについて力強く争うことができたであろうことを示唆しており、仮差止以降OEMがその品目の長所を利用するために得ようとしていたという−−証拠中に存在しないことは明らかな−−情報をほのめかしている。謄本10, 61。[6]

 規則65(a)(1)の告知要件の目的は反対している当事者に仮差止に反対する公正な機会を許すためである。Weitzman v. Stein, 897 F.2d 653, 657 (2d Cir. 1990)、そして、応諾は義務である、Parker v. Ryan, 960 F.2d 543, 544 (5th Cir. 1992)参照。反対する当事者に告知することなく発せられた仮差止は一般に取り消される。[訳9] 例えば、Williams v. McKeithen, 939 F.2d 1100, 1105-06 (5th Cir. 1991);Weitzman, 897 F.2d at 657-68; Phillips v. Chas. Schreiner Bank, 894 F.2d 127, 130-31 (5th Cir. 1990)参照。控訴裁判所は、しかしながら、もしエクイティがそのような処分を支持するときには、差し戻し審において適切なヒアリングを継続する余地を残すために、時折、手続き的な欠陥のある差止を許容した。例えば、Rosen v. Siegel, 106 F.3d 28, 33 (2d Cir. 1997)参照。

 ここで、司法省はそのようにすることを、しきりに我々に促している。そのような要求を評価するためには、裁判所が伝統的なエクイティ上のファクターが記録上明らかであると判断する必要がある。例えば、Inverness Corp. v. Whitehall Laboratories, 819 F.2d 48, 51 (2d Cir. 1987)参照。我々は控訴裁判所がそのような要求を考慮しなければならないとは信じていない;もし、記録がエクイティの有効な評価が不可能にされているほど不十分であるとすれば、−−特に、本件のように、差止がどちらかといえば単なるごまかしによって<obliquely>求められた場合には−−裁判所は、当然のこととして、単に差止を取り消すほうがよいだろう。しかし、後述するように、現在の記録は少なくとも我々が司法省の本訴における最終的な勝訴の可能性の合理的な評価をするためには十分であり、このファクターは方向を左右するものではないことが証明される。この段階における沈黙は訴訟経済上のかなりの浪費をまねくリスクがある。「地裁の勝訴の可能性の評価は正しくなく、誤って適用された法的な根拠に依存するものであるときには、『本件は法律上は仮差止を申請した段階にすぎないけれども、控訴裁判所は期が熟した範囲において本案訴訟における判断を与えることによって正義の利益を促進する。』」Air Line Pilots Ass'n Int'l v. Eastern Air Lines, Inc., 863 F.2d 891, 895 (D.C. Cir. 1988) (Natural Resources Defense Council, Inc. v. Morton, 458 F.2d 827, 832 (D.C. Cir. 1972)を引用している)。仮差止を再審理しているときに、我々は本質的に法律的な問題に関して解釈及び指針を与えることに躊躇しない。例えば、Defenders of Wildlife v. Andrus, 627 F.2d 1238, 1243 (D.C. Cir. 1980); Energy Action Educational Found'n v. Andrus, 631 F.2d 751, 761 (D.C. Cir. 1979); Maryland-National Capital Park & Planning Comm'n v. U.S. Postal Service, 487 F.2d 1029, 1041 (D.C. Cir. 1973)参照。したがって、我々は、本案訴訟において司法省が根拠とするIV(E)(i)条の解釈に取りかかる。同意判決の地裁の解釈の我々の再審理はあらためて初めからのものである。[7] 例えば、Richardson v. Edwards, 127 F.3d 97, 101 (D.C. Cir. 1997); United States v. Western Elec. Co., 12 F.3d 225, 229 (D.C. Cir. 1993); United States v. Western Elec. Co., 900 F.2d 283, 293 (D.C. Cir. 1990) ("Triennial Review ")。

  
IV. 〔統合〕
  
 IV(E)条は、ヨーロッパユニオンのDirectorate General IV(「DGIV」)(ヨーロッパの主要な独禁当局)に提出された1993年の告訴から生じたものである。ライバル・ソフトウエアベンダーであるNovellはMicrosoftがMS-DOSオペレーティングシステムをWindows 3.11によって提供されるグラフィカル・ユーザーインターフェースに抱き合わせていると申し立てた。二つを統合したWindows 95の導入以前、MicrosoftはオペレーティングシステムのDOSコンポーネントとWindowsコンポーネントを別々に販売しており、Windows 3.11は他のDOS製品と共に作動させることができた。しかし、競合するDOS製品、DR-DOSを販売していたNovellは、特有の販売慣行−−特に「プロセッサ毎及びシステム毎ライセンス<per processor and per system licenses>」J.A. 754−−によって、OEMがWindows 3.11ばかりではなくMS-DOSもプレインストールするように経済的なインセンティブをMicrosoftが作り出しており、それにより、DOSマーケットにおけるOEMの選択に影響を及ぼすために、(ほとんど100%のシェアを支配している)DOSコンパチブル・グラフィカル・ユーザーインターフェースのマーケットにおいて、その力を行使していると申し立てた。[8]J.A. 839-48。

 1994年の司法省との交渉の間、Microsoftは合同の解決の可能性を提案し、DGIVの代表がBrusselsにおける会合と、後のWashington, D.C.における会合に参加した。1994年7月15日、三者は合意に達し、Microsoftと司法省はIV(E)条を含む同意判決の締結に同意して訴訟上の合意にサインした。Microsoftと司法省は共にIV(E) 条を「抱き合わせ禁止<anti-tying>」条項と特徴づけた。

 Microsoftと司法省は、独禁法がこの論争が関連する範囲に関して書面バトル<brief battle>を行っている。両当事者のいくぶん誇張された立場に時間を浪費することなく、我々は言うことができる、同意判決がSherman法、又は同法に基づく全ての「抱き合わせ」法の全てを取り入れていないことについてはMicrosoftが明確に正しく、同様に、同意判決が独占禁止の要求から出たものであるとの指摘については司法省が正しい、もっとも解決はされてはいないが、そのため、我々は解釈上の仕事において競争擁護のゴール<procompetitive goals>を心に留めておかなければならない。

 しかしながら、Armour事件が明らかにしているように、まるで生命を吹き込む精神は独禁法だけであるかのように独占禁止同意判決を読むことはできない。「同意判決はそれ自体ある目的を持ったものであるということはできず;むしろ、一般的には互いに対立する両当事者が目的を持っており、その結果として生まれた同意判決は、それぞれの当事者が交渉力と達成する手腕を持っているだけ多くの、対立する目的を有している。」402 U.S. at 681-82。

 また、裁判所の役割は両当事者が取り決めた契約をはっきりと認めることにあり;これが同意判決は契約として解釈されるべきであるという命題の背後にある意味である。例えば、ITT Continental Baking Co., 420 U.S. at 236-37; Richardson, 127 F.3d at 101; Manufacturing Appeal, 894 F.2d at 1390参照。不明瞭な条項の意味を見いだすために、我々は、ちょうど契約でするように、両当事者の意図を得ようと探し求める。Western Elec. Co., 12 F.3d at 231-32(「両当事者の共同の意図された目的に照らして同意判決の不明瞭な条項を解釈している」(内部の引用は削除);NRM Corp. v. Hercules, Inc., 758 F.2d 676, 681-82 (D.C. Cir. 1985)(契約解釈)。その探求において、不明瞭な契約を解釈する時のように、我々は「同意命令の構成を取り巻いている環境」を含めて、同じ目的に基づいて解釈することができる。ITT, 420 U.S. at 238参照。

 IV(E)(i)条は 両当事者が合意したNovellの告訴によって提出された問題への「解決策」であることを意味している。そこで申し立てられた慣行は、同意判決における明示的な受容によってWindows 95と結びついているが、現在の論争の我々の解決策を導く競争のモデルを打ち立てる。他のものはどうであれ、IV(E)(i)条はWindows 3.11とMS-DOSの抱き合わせを禁止しているに違いなく、Windows 95は許容しているに違いない。したがって、Windows 95とIEの関係はWindows 3.11とMS-DOSの関係に類似しており、その結合はたぶんIV(E)(i)によって禁止されている。[訳11] 他方、逆類推はWindows 95自体であり、我々が述べたように、Windows 95がグラフィカルインターフェースの機能とオペレーティングシステムを結合しているのに、同意判決は明示的に〔Windows 95を〕一つの「製品」として認識している(II(1)(v)条で「適用製品」として定義している)。もし、Windows 95/IE組み合わせが、Windows 95それ自体を構成するMS-DOS/グラフィカルインターフェース組み合わせのようなものであれば、それ〔Windows 95/IE組み合わせ〕は許容されるに違いない。

 正しい類推を選択するために助けになるものを両当事者はほとんど提出していない。両方がIV(E)(i)条の解釈を提案しているが、その用語とNovellの告訴の事実及び後に許容されてリリースされたWindows 95を調和させることに失敗している。司法省は、IV(E)(i)条がMicrosoftに、適用製品と「Microsoftが同時に取り扱い」かつ「独禁法が別個の製品とみなす」何かとを一緒にバンドルすることを禁じていると主張する。司法省書面37-38頁。ブラウザ・Windowsペアーは最初のフィルター(MicrosoftのIEの個別の製品としての取り扱い)で捕らえられると司法省は言う。なぜなら、Microsoftがエンドユーザーに別個に供給し、異なったオペレーティングシステムのためのIE 4のバージョンを販売し、IE 4を宣伝し、「ブラウザ・マーケット」のなかでの実績を調査し、分離したCD-ROMで配布しているからであると言う。 J.A. 32-37。司法省は独占禁止基準として、Jefferson Parish Hosp. District No. 2 v. Hyde, 466 U.S. 2 (1984)を引用し、消費者の需要が各々別個に存在するとすれば、抱き合わせの目的において製品は個別であると提議している。(司法省は、これは他なしで一つの製品に対する需要を必要とするのではなく、単に異なった売り手からの二つの製品に対する需要が必要とするのであると正しく書き留めている。同at 19 & n.30参照。)

 我々は、これらのしるし、特にMicrosoftの取り扱いに基づくしるしが、必ずしも別個であることを指し示しているとは確信していない。MicrosoftはIEを、ライバルNetscapeがしているように、エンドユーザーにオペレーティングシステムのアップグレードとして供給していると、もっともらしく特徴づけている、J.A. 589、一方、司法省は別個の製品からのアップグレードを識別する方法を提出していない<Microsoft plausibly characterizes the IE that it provides to end users as an operating system upgrade, as does its rival Netscape, J.A. 589, and the Department offers no means of distinguishing an upgrade from a separate product>。異なったオペレーティングシステムのために開発されたバージョンはまったく異なった製品として理解したほうがいいかもしれない;このゆえに、別個であることとの関連性ははっきりしない。別個のCD-ROMでのソフトウエアコードの配布はコードがオペレーティングシステムに統合されているかどうかに関しては全く何も示さない(明らかに単一の製品であるオペレーティングシステムのためのソフトウエアが多数のディスクに渡ってもよい)。

 司法省の「統合された製品」ただし書きの解釈はIV(e)(i)条の本文の解釈をまったく救済しない。司法省の説明では、ただし書きはMicrosoftがオペレーティングシステムの中に新しい特徴を合体し、OEMにパッケージ−−それ〔Microsoft〕と独禁法が同時にこれらの特徴を「個別の商業製品」として取り扱わない限り−−を提供することを許している。司法省書面at 37-38。しかし、これらはIEが「他の製品」であることを議論するために展開されたまさに基準である;もし、ただし書きが単にそれらを(「他の製品」でないものが「統合されている」というために)反復して言っているだけならば、何の意味もない。そして、司法省は、ただし書きは、他の会社の製品とコンパチブルでないテクノロジーを採用したことによって同意判決に違反したという攻撃からMicrosoftを保護していると言っているが、IV(E)(i)条の禁止がそのような行為を如何に禁止していのかが明らかでなく、もしそうなら、統合におけるただし書きが如何にそれを助けるのかも明らかでない。つまり、司法省は事実上IV(e)(i)条から離れてただし書き解釈している。

 しかし、この解釈の最も直接の問題はそれがNovellの申立に悪い結果をもたらすことである。「製品」IEを定義するための試みにおいて、司法省は常に「ブラウザ機能」の概念に頼っている。司法省書面at 10;司法省の侮辱罪申立、J.A. 1317-19;侮辱罪申立の司法省補充メモランダム、J.A. 1424, 1429。しかし、もし、機能性が独自性の基準であれば(司法省はWindows 95における「ブラウザ機能」は他のオペレーティングシステムのためのIE 4と同じ製品であると主張するためにそのように主張している)、Windows 95はマーケットで別個に販売されていた二つの製品(MS-DOSとWindows 3.11)の抱き合わせのようにみえる:それ〔Windows 95は両方の機能を含んでいる。司法省の解釈によれば、したがって、MS-DOSを個別に販売するのを止めない限り、それWindows 95の販売〕は禁止されるべきである。Microsoftが、少なくともエンドユーザーに対しては、実際にMS-DOSを個別にライセンスを続けていたという示唆がある。Microsoft答弁書at 15-16。より意義深いことには、同意判決は、MS-DOSに関するMicrosoftの販売行動を条件として、Windows 95を承認しているわけではない。同意判決によって明確に決められた状態の一つであるWindows 95に適用したとき正しい結果を得ることに失敗することは致命的な欠陥である。[9]

 Microsoftが最も強く主張する解釈はミラー・イメージ欠陥<mirror-image defects>を経験す:それは論理的判断能力に極めて欠け、同意判決の背景、Novellの告発の性質にぴったり合うことに失敗している。Microsoftは、IV(E)(i)条の「統合された製品」ただし書きを強調し、オペレーティングシステム・ディスクと同じ箱に互換アプリケーションを含むディスクを単に入れ、かつ、OEMに両方をインストールするように要求することによってのように、オペレーティングシステムに何かの特徴を付加することは、−−Microsoftが「OEMチャネルで」スタンドアローン・ベースでその特徴もまたライセンスしない限り−−統合された製品を作り出すという<Microsoft stresses s IV(E)(i)'s "integrated products" proviso, saying that the addition of any feature to an operating system, as by simply putting the disk containing a compatible application in the same box with the operating system disk and requiring an OEM to install both, creates an integrated product--unless Microsoft also licenses the feature on a stand-alone basis "in the OEM channel.">。

 この解釈はWindows 95の許容を説明する司法省の論理の失敗ときちんと釣り合っている〔Microsoftの論理も失敗している〕:Microsoftの解釈はNovellへの救済ゼロを与えるだろう、なぜなら、MS-DOSを個別にOEMへライセンスしない限り、それがMicrosoftがWindows 3.11とMS-DOSをバンドルするのを許すからである。要するに、司法省の解釈はWindows 95を許さず、Microsoftの解釈はWindows 3.11とMS-DOSのバンドルを禁止しない。どちらも、両方を行うことを意図した条項の正しい解釈であることはできない。

 奇妙なことに、両当事者の解釈によれば、Microsoftの行為が条件付きライセンスの許容を決定することになる。もし、その行為が抱き合わせの経済原理に何らかの形で関連しているとすれば、これ〔両当事者の解釈〕に欠陥はない。しかし、そうではない。抱き合わされた商品の個別の販売を売り手が慎むことがバンドリングの反競争的効果をどれだけ鈍らせるかに関して司法省は何の理論も提供しない。[10] 商品が固定された割合で使用される補完物である場合には、これは特に要点からはずれているようにみえる。そのような二つの製品を抱き合わせる独占者は抱き合わされた商品を別個に販売する理由がないことは明らかである:なぜなら抱き合わせる製品の買い手の全ては抱き合わされた商品もまた手に入れるだろうから、抱き合わされた商品の残余マーケットは最小限だろう。もし、抱き合わせが競争者が抱き合わせた商品のマーケットに入るのをより困難にすることが懸念されるなら(なぜなら、彼らは抱き合わされた商品もまた提供しなければならないから)、Grappone, Inc. v. Subaru of New England, 858 F.2d 792, 795-96 (1st Cir. 1988) (Breyer, J.)参照、抱き合わされた商品の別個のマーケットは抱き合わせた商品のマーケットに新しい参加者を促進することによって実際に仮定された被害をやわらげる< If the concern is that the tie-in makes it more difficult for competitors to enter the market for the tying good (because they must also offer the tied good), separate marketing of the tied good actually mitigates the posited harm by facilitating new entry into the market for the tying good. >。したがって、両方の解釈は、不適切又は積極的に有害である行為によって、適法となってしまう。

 しかしながら、独禁法と矛盾せず、同意判決の締結における両当事者の明確な望みを達成するIV(E)(i)の解釈を見いだすことは完全に可能であると我々は考える。司法省とDGIVは申し立てられた抱き合わせの反競争的効果に関心を持っていた。Microsoftのゴールは消費者が好むだろう製品を設計する自由を維持することであった。独禁法学者は、長い間、裁判所に製品設計を監督させることは望ましくなく、技術的イノベーションをくじくことは独禁法の目的の逆であろうと認識してきた。したがって、両当事者の望みを調和させる一つの単純な方法はIV(E)(i)条の統合だたし書きを、統合されたパッケージの要素が別個に販売されているかどうかにかかわりなく、いかなる本物の技術的統合も許容すると解釈することである。

 この解釈は、もちろん、統合のコンセプトに本質的な中身を与えることを我々に要求する。「統合された製品」は、その〔二つの〕機能が購入者によって別個に購入され、結合されたとすれば、その長所が利用できないという方法で、(別個にも販売されるかもしれないが共に働く)機能を結合した製品として理解するのが最も合理的であると我々は考える<We think that an "integrated product" is most reasonably understood as a product that combines functionalities (which may also be marketed separately and operated together) in a way that offers advantages unavailable if the functionalities are bought separately and combined by the purchaser>。

 テストのポイントは2つあり、Novellの告訴の典型例及びWindows 95の次々になされるリリースに適用することによって説明することができる。第1に、「統合」は、単一の程度、同じ箱の中に単に置かれたディスクを越える何ものかを示唆している。もし、あるOEM又はエンドユーザー(一般に「購入者」)が別個に製品を買い、彼自身がそれらを結合し、「統合された製品」を生産することができるとすれば、統合は見せかけである<a sham>。もし、Microsoftが単にWindows 3.11とMS-DOSのためのディスクを一つのパッケージの中に入れ、それを一つのライセンス契約で包含したとすれば、別個の製品を買い、彼ら自身がそれらを結合することによって得ることができないものを、購入者に提供することはないだろう。11]

 Windows 95は、著しく違って、二つの機能を購入者が行うことができない方法で結合する;それはMS-DOSの上で走る単なるグラフィカル・ユーザーインターフェースではない。Windows 95は二つの機能−−DOS及びグラフィカル・インターフェース−−が個別に存在することができないという意味で統合されている:一つ〔の機能〕を生じさせるためにに要求されるコードは他もまた生じさせる。もちろん、オペレーティングシステムのために必要なコードが全て一つに含まれており、グラフィカルインターフェースのために必要な全てのコードが他方に含まれている二つの異なったディスクでコードが売られていることを想像することは可能である。しかし、二つの中のコードは大きくオーバーラップしているから、それぞれが個別的な機能を有していると言うのは奇妙だろう。むしろ、各々がWindows 95の障害を持ったバージョン<a disabled version>に相当する。そうであれば、消費者は一つのコンピュータ上で両方をインストールし「修理する<repair>」ことができただろうが、そのような場合、消費者が二つの製品を「結合した」というのは意味がないだろう。Windows 95はAreeda教授が「消費者が行うことができない物理的又は技術的相互連結<physical or technological interlinkage>」と呼ぶものの一つの例である。X Areeda, Antitrust Law s 1746b at 227, 228 (1996)。

 このように、製造業者によって提供された結合は別個の製品から購入者自身が作り出すことができたものとは異なっているに違いない。第2のポイントは、また、何かの面で、よりよくなければならないということである;何かの統合の技術的価値が存在すべきである。製造業者は、反競争的目的ではない何らかの目的を務める結合ではなく、購入者が行うことができない方法で、製品を一緒にくっつけることができる。統合のコンセプトは、もし、Windows 95がIEXPLORE.EXEが削除されれば壊れてしまうことを人為的に装っているとすれば正しいであろうように、製造業者が、比喩的にいえば二つの製品を一緒に「ボルトで締め合わせる」以外のものをしない場合を排除すべきである。ILC Peripherals Leasing Corp. v. International Business Machines Corp., 448 F. Supp. 228, 233 (N.D. Cal. 1978) (「もし、IBMがディスクパック又はデータモジュールをドライブに単にボルトで締め合わせ、二つの品目を一つのユニットとして一つの価格で販売したとすれば、その『集合』は明らかに違法な抱き合わせであったであろう。」)aff'd per curiam sub nom。Memorex Corp. v. International Business Machines Corp., 636 F.2d 1188 (9th Cir. 1980);X Areeda, Antitrust Law p 1746 at 227 (文字どおりのボルト締めを議論している)参照。このように、何かの面で製品が購入者の結合より優れいることが示唆されないとすれば、統合されたとみなすことはできない。[12][訳12]

 上で議論した二つの要素を一緒にすることが難しいようにみえたかもしれない。もし、購入者がWindows 95を作るために二つの機能を結合することができないとすれば、要求される優越性の調査において、Windows 95のテストに対比するものがないようにみえたかもしれない。しかし、購入者は彼らのスタンドアローンで具体化されたもの<stand-alone incarnations>の中でこの〔二つの〕機能を結合することができる。彼らはMS-DOSとWindows 3.11をインストールすることができる。Windows 95の統合のテストは、その統合された設計が〔二つの〕スタンドアローン機能に対応する購入者の結合と比較するとき、利益を提供するかどうかの問題に帰着する。Windows 95の同意判決の明確な抱き合いは、許容される単一の製品として、このテストに直面する両当事者の合意を証明するものとして用いることができる<The decree's evident embrace of Windows 95 as a permissible single product can be taken as manifesting the parties' agreement that it met this test>。

 したがって、端的に言えば、統合は、もし購入者の結合と比較したときに有益であるならば、本物であると考えてよい。しかし、我々は、この審理を行うに当たって裁判所が製品設計の評価に乗り出すべきであると提案しているわけではない。独禁法において、この全ての手続きがそこから湧き出したのだが、裁判所は制度上の権限の限界を認識し、その立場で「技術的抱き合わせ」の論理を拒否することができた。統合の主張の裁判所の評価は限られたもので敬意を表するものでなければならない。[13] 第5巡回区控訴裁判所が述べたように、「そのような違反は、そのハードウエアをそのソフトウエアに抱き合わせる技術的ファクターが、何かの技術的に有益な結果を達成するためよりも、むしろ、その〔二つの〕製品を抱き合わせる目的で設計された事例に限定されなければならない。他のいかなる結論も、製品のイノベーションが正当と認められることの技術的な審理に裁判所を陥らせるであろう。」Response of Carolina, Inc. v. Leasco Response, Inc., 537 F.2d 1307, 1330 (5th Cir. 1976)。

 実際、Microsoftは、交渉において、「統合された」を、そのように理解することを示唆していた。抱き合わせを懸念する司法省及びDGIVのステートメントへの答弁において、Microsoftは、「[Windows 95]のようなエンドユーザーに技術的利益を提供する統合された製品の開発を継続する」権利を主張した。J.A. 756 (強調を追加した)。Microsoftは後にこの適格なフレーズを取り下げた、J.A. 760、「漠然とした又は主観的な基準」の適用を避けるためとMicrosoftは主張している。しかし、我々は、そのフレーズの取り下げが単語「統合された」から全ての意味を排出させたとは考えておらず、司法省とDGIVが、IV(E)(i)条を飲み込むほど限りないものである「統合された製品」ただし書きを、値切ったという示唆を我々は受け入れない。意義深いことには、この適格なフレーズの削除が「本質的な変更を意味しない」ことをMicrosoftは司法省とDGIVに保証している。J.A. 761。

 我々は、この理解は抱き合わせ法と矛盾していないと信じている。Eastman Kodak Co. v. Image Tech. Servs., 504 U.S. 451 (1992)において、裁判所は、例えば、部品とサービスは、別個の供給が効率的である十分な消費者の需要が存在するから別個の製品であると認定している。同462頁。しかし、我々は、自己修理複写機に同じ分析を行っただろうかと疑問に思う;つまり、部品とサービスの別個のマーケットはそのようなイノベーションが実際に抱き合わせであるとは示唆しないであろう[訳13]<But we doubt that it would have subjected a self-repairing copier to the same analysis; i.e., the separate markets for parts and service would not suggest that such an innovation was really a tie-in. >。(少数意見は、我々はそう受け取るのだが、デジタルカメラについての観察によって同じ主張が正しいことを示している。少数意見3-4頁参照。)同様にAreeda教授は、有用な方法で機能を統合した新しい製品はマーケットの構造にかかわらず、単一の製品と考えるべきであると論じている。X Areeda, Antitrust Law p 1746b。[14]

 我々は、この分析が統合された製品がそのスタンドアローンのライバルより優れていることを裁判所に要求しているのではないことを強調する。ILC Peripherals Leasing Corp. v. International Business Machines Corp., 458 F. Supp. 423, 439 (N.D. Cal. 1978)(「技術的観点から二つの選択肢のどちらもが正しいと主張できる利点に関して見解の相違がある場合に、『製品のイノベーションが正当と認められることの技術的な審理に』裁判所が陥ることは許されないだろう」)(Leasco, 537 F.2d at 1330を引用している)aff'd per curiam sub nom。Memorex Corp. v. IBM Corp., 636 F.2d 1188 (9th Cir. 1980)。「コンピュータを設計するという(裁判官及び陪審員にとって)うれしくない立場に裁判官及び陪審員を置く」ようには、我々はIV(E)(i)条を解釈しない。IX Areeda, Antitrust Law p 1700j at 15。問題は統合が正味でプラスであるかどうかではなく、それが何かの長所をもたらすというもっともらしい主張が単にあるかどうかである。これが独禁法一般についての望ましいテストであろうとなかろうと、我々はIV(E)(i)条の唯一の意味のある解釈であると信じている。

 我々の前にある事実からみて、Microsoftは、NetscapeのNavigator[15]のようなスタンドアローン・ブラウザを結合したオペレーティングシステムと比較したときに、統合された設計による表面的にもっともらしい長所を有することの証明責任を明らかに果たした。オペレーティングシステムにブラウジング機能を合体することによって、別個のブラウザ・アプリケーションをスタートすることなく、〔様々な〕アプリケーションがその機能〔合体されたブラウジング機能〕を利用可能となる。J.A. 944,965。[16]更に、IE 3.0のコンポーネント、ましてIE 4のコンポーネント−−特にそのHTMLリーダー−−はウェブブラウジングに直接関連せず、アプリケーションの幅広い範囲の機能を高めるシステムサービスを供給している。J.A. 607-22, 1646-48。最後に、IE 4テクノロジーはウェブブラウジングに関係しないオペレーティングシステムのいくつかの面をアップグレードするために使用されている。例えば、「スタート」メニューをユーザーにカスタマイズさせるために、気に入ったアプリケーションをより容易に利用できるために使用される。J.A. 490-95;1662-64。それらはまた、コンピュータ・ハードドライブ上でファイルの「親指のつめ<thumbnail>」プレビューを可能とさせ、ファイルの内容のよりリッチなビューを表示するためにHTMLリーダーを使用している。J.A. 1664-69。機能のオペレーティングシステムへの統合が利益をもたらすことは、司法省でさえ認めている;1994年に提案された同意判決(Tunney法に基づいて司法省がFederal Registerの中で発行した)におけるコメントに答え、「そのような行為に対する広範囲な差止は一般的に公衆の利益と調和しないだろう」と述べている。59 Fed. Reg. 59426, 59428 (Nov. 17, 1994)。

 統合が利益をもたらすという結論が我々が追求する審理に終わりをもたらすわけではない。OEMやエンドユーザーよりも、むしろ、Microsoftが機能を一緒にしなければならない何らかの理由があることも必要である。X Areeda, Antitrust Law p 1746b at 227;p 1747 at 229。いくつかのより細かな点がこの段階で出現するが、Windows 95の統合された状態を決定することにおいて遭遇したものと相似している。MicrosoftはOEMに別個のCD-ROMでIE 4を供給している(司法省が大きな重要性を与えた事実)。表面的には、OEMはまさにMicrosoftのようにブラウザとオペレーティングシステムの結合を行うことができるようにみえよう。

 しかし、問題はどちらの会社の従業員が特定のディスク又はCD-ROMを走らせるべきかではない。あるプログラムは3枚のディスクで供給されるかもしれない−−Windows 95は確かにできただろう−−しかし、それは、それゆえユーザーが結合する3つのプログラムであるわけではない。ソフトウエアコードは、物理的な製品とは違うという意味で、その性質により分割及び結合の影響を受けやすい<Software code by its nature is susceptible to division and combination in a way that physical products are not>;もし、複数のディスクからのインストールが実行可能であることが、顧客が結合をしていることを意味しているとすれば、統合されたとしてカウントされるソフトウエアはいまだかつてないことになるだろう。IE 4のインストールにおいて、あるOEMが二つのスタンドアローン製品を結合しているというアイディアは、Windows 95をインストールしているOEMがDOS機能とグラフィカル・インターフェースを「結合」していると言うのがナンセンスであるのと同様に、不完全なものである。前述の議論が示すように、IE 3及びIE 4はブラウジング機能も含む以外に含むことができる特徴をそのオペレーティングシステムに追加している。J.A. 1661-68。したがって、Windows 95の場合のように、〔二つの〕製品−−IE 4によってアップグレードされたときの完全なオペレーティングシステムの機能と、IE 4の「ブラウザ機能」−−が別個に存在するわけではない。[17]我々はこれが本質的なポイントであると思う。その製品が別個の存在でないとすれば、購入者がそれらを結合するというのは正しくない。Windows 95/IEパッケージで終わりの<end up with>購入者は一枚より多いディスクからコードをインストールするかもしれない;彼らはブラウザを隠しファイル<hiding>から取り出すかもしれない;[18]彼らはオペレーティングシステムをアップグレードしてもよい−−実際、NetscapeはIE 4のインストールを「実際に一つのOS[オペレーティングシステム]アップグレード」として特徴づけている<they may have upgraded their operating system--indeed, Netscape characterizes the installation of IE 4 as "really an OS [operating system] upgrade." >。J.A. 589。しかし、彼らは二つの別個の製品を結合していない。

 それでは、二つの機能を一緒にする結合として何を頼りにするのか?完全には別個に存在することはないから、唯一の分別のある答えは、結合の行為が、二つを一緒に接合する設計の創作であることである。OEMはこれをすることができない:もし、Microsoftが、Windows 95とIE 4の互いに貫き合う設計ではなく、オペレーティングシステムとスタンドアローン・ブラウザ・アプリケーションを彼らにプレゼントしたとすれば、OEMはMicrosoftがWindows 95にIE 4を統合した方法で結合することができない。例えば、彼らは〔OEMは〕コンピュータのハードドライブ上の情報をよりリッチなビューで提供するためにブラウザのHTMLリーダーを使用することができない。J.A. 1665−−統合されたブラウザを創作するコードを変更することなしにはできない。この再プログラミングはばかげたほど非効率であろう。結局、統合がMicrosoftレベルで行わなければならなかった理由があることが明らかであるようにみえる。この分析は本質的にわれわれが行ったWindows 95をMS-DOSとWindows 3.11のバンドルとたとえることのリプレイであり、Windows 95/IEパッケージは、バンドルであるよりも、Windows 95により近く類似していることを結論づける。もちろん、機能的結論はより完全な記録上で再審理されることになる。しかしながら、我々の前の事実からみて、Windows 95/IEパッケージは本物の統合であると結論づける方向に傾いている;結局、IV(E)(i)条はMicrosoftがそれを一つの製品として提供することを禁止しない。
  

*  *  *

 我々の同僚の少数意見の中のいくつかの言葉が我々の立場をはっきりとさせるかもしれない。Wald判事は「禁止条項とただし書きは、さもなければ別個のマーケットへのMicrosoftの独占の拡張となるが、それを正当化するに十分大きいシナジー<synergies>をその『統合された製品』が達成するときだけ、一つのライセンスに基づいてMicrosoftがOEMに『統合』製品を提供してもよいと述べていると合理的に解釈できた」ことを示唆している。少数意見3頁。(1)禁止事項を明瞭に表現し、かつ(2)禁止の限界を設定する[19]条文が比較考量テスト<balancing test>を導くということを、どのような方法で解釈できるのかを理解するのに我々は当惑している。原文の支えが少ないことから離れても、「別個のマーケットの証拠」に対する、統合された製品の「シナジー」の秤量を、裁判所に要求する比較考量テスト(少数意見5頁)は、予測できる又は有用な方法では実行可能ではないと、我々は考える。裁判所はハイテク製品の設計の利益を評価するための装備に乏しく、[20]天秤の一方の側の評価ができたとしてさえ、天秤の他の側として提案された「別個のマーケット」の証拠の強さはまったく同じ基準では計れないようにみえる。Jefferson Parish事件、Eastman Kodak事件の両方は2進法の「別個のマーケット」分析を使用している:マーケットは別個か、あるいは、そうでないか。466 U.S. at 21-22;504 U.S. at 462参照。もし、記録が示唆しているように、Microsoftが統合ただし書きの修正を「ぼんやりした又は主観的な基準」への懸念により提案したとしたら、J.A. 760、正味のシナジー値のスライディングスケールsliding scale>に対して、別個であるか(ないか)を証明する証拠を秤量することを裁判所に要求する解釈は、想像できる最大全超過見積もり<the most total transvaluation>であるようにみえる。

 制度上の権限は、同意判決を立案中の両当事者の心の中に、真っ先にあったものではないだろうし、テストを適用する裁判所の能力のなさは両当事者が意図しなかったことを、事実それ自体によって、意味するわけではない。しかし、彼らが比較考量テストを意図したとしたら、彼らはその意図をうまく隠し続けたろう。彼らの同時発生の行為の中には(又は、どの時期の誰の行為の中でも)、彼らが比較考量調査を考えたことを示唆するものは何もない。Microsoftが統合したマーケットが実質的にまた明らかに別個であったにもかかわらず、Windows 95はそのようなあらゆる分析を受けたことはない。J.A. 790-96。実際、特に強制的な場合は「Microsoftの独占の拡張の身の証を立てる」ことは必修であろうと考えるかもしれない。少数意見3頁、via Windows 95。ネットワーク外部性がもっとも顕著なオペレーティングシステムマーケットにおいてWindows 95はMicrosoftのWindows 3.11マーケット力に影響力を行使した。Microsoft, 56 F.3d at 1451参照。少数意見によれば、Windows 95はもっとも正しいとされることを要求されなければならない。しかし、その方法で分析されたことを示唆するものは何もなく、その統合のシナジーが別個のマーケットの証拠より重いからではなく、単純に、統合されたものであることにより、検閲をやり過ごしたことのほうがよりありえそうにみえる。

 少数意見で述べられた見方は、別個であった−−そして必然的に別個のマーケットにおいて供給されてきたであろう−−製品を統合し続けるMicrosoftの合法的な欲求を妨害することは確かであるようにみえる。まさしくその性質により、「統合」は〔二つの〕製品が別個の状態から、それらがもはやそうではない状態への変化を意味している。分離条項の歴史学的な事実にフォーカスをあてることによって、少数意見は天秤の上に親指を置いて、Microsoftに裁判所が評価の装備をしてない証拠で釣り合いをとるように要求している。同意判決の文言、両当事者の意図の証拠、同意判決が促進することをたぶん意図していた価値又は裁判官の能力の見地から、我々はこれが意味を持つとは考えない。

* * *

 この段階においても、司法省は本訴で勝訴する合理的な可能性を証明していない。この失敗が与えられたことで、適切なヒアリングを継続する効果を残している仮差止を許す理由はなく、我々は地裁の〔仮差止の〕認容を取り消す。

  
V.〔付託〕
  
 下級審の手続きが続くかもしれないが、それらは仮差止がない状態で行わなければならない。その継続に関して、Microsoftは、特別補助裁判官への「総括的な」付託は合衆国憲法第 III 編〔司法部〕に違反しており、また、予備的に、合意のない付託を正当化するために、連邦民事手続規則53(b)[21]及びLa Buy v. Howes Leather Co., 352 U.S. 249 (1957)に基づいて要求される例外的状況が、この事件には存在しないと主張している。将来の展開はこの問題を議題にのせるかもしれない。我々の同意判決の解釈の観点において、仮のものであるが、University of Texas v. Camenisch, 451 U.S. 390, 395 (1981); Taylor v. FDIC, 132 F.3d 753, 766 (D.C. Cir. 1997)参照、司法省は、特にMicrosoftの慣行に対する別の攻撃を進展させる代替手段が与えられているから、この事件の更なる続行は見込みがないとみなしたほうがよいかもしれない、Nos. 98-1232 and 98-1233。しかし、そのような議論はまだ行われていない。したがって、職務執行令状が事件付託の主張された違法性を正すために利用できるかどうか、そして、もしそうなら、この事件においてそれを交付すべきであるかどうかの問題に取りかかる。我々は両方についてイエスと解答する。

 司法省は職務執行命令の裁判権を欠いていると主張する。その主要な論理は違法な事件付託は「合衆国憲法第 III 編に適合する」ことに著しく失敗した場合にのみ、職務執行令状が及ぶことができるというものであることは明らかである。合衆国〔原告〕補足書面9。しかし、La Buy事件において、最高裁当局は違法な事件付託を正す職務執行令状の使用を承認し、単に「規則53(b)に基づく[裁判官の]権限の乱用」の存在について休止しているだけである、352 U.S. at 256、そして、その乱用は「明らかに」である、同257頁。確かに、La Buy〔事件において最高裁〕は、補助裁判官への付託を惰性で行う地裁の「慣行」に控訴裁判所が直面していることを観察している:「忍耐にも限度がある」。同258頁。しかし、我々は、職務執行令状が事件付託の限界の「絶え間ない無視」を正すために限り利用できるという考えを明確に拒否する。In re Bituminous Coal Operators' Ass'n, 949 F.2d 1165, 1168 n.4 (D.C. Cir. 1991)。

 もちろん、規則53(b)及び第 III 編の境界はごく近くて、それで、La Buy裁判所は、規則53を「例外的条件」基準に言及して、憲法違反の行為を実際に認定したのかもしれない。もし、それが正しいなら、これは司法省の助けには全くならない。もし、放棄に相当する規則53に基づく裁量の明確な乱用を除き、第 III 編の権限〔司法権〕の憲法違反の放棄を正すためにのみ職務執行令状が利用できるとしたら、La Buy裁判所が認定した裁量の明確な乱用と同じ種類のものを認定すれば、我々は正当に職務執行令状の裁判権を行使することができる。

 手続きの最後の挑戦が十分な救済を与えるのは反対されており、ゴシック体の職務執行令状法はそのような救済の適切さが職務執行令状をうち負かすことを我々に告げている。In re Minister Papandreou, 1998 WL 163561 at *1 (D.C. Cir. 1998) (執行令状基準を議論している)。Stauble v. Warrob, Inc., 977 F.2d 690, 693 & n.4 (1st Cir. 1992) (「不用意な」事件付託が回復不能の被害をもたらさないという意見); In re Thornburgh, 869 F.2d 1503, 1508 (D.C. Cir. 1989)(救済を決定するための補助裁判官への付託は、職務執行令状を正当化することのように、「全体的な司法権の放棄」ではない)も参照。しかし、La Buyにおける裁判所の行動は必然的に、少なくとも何らかの点で、一方当事者のPotemkin裁判権への一時的な従属でさえ、不十分な最終行の訂正を与えるのと同様にその当事者の権利をくじく、というの観点に依存しているようにみえる。

 本訴において、司法省は3つの根拠に依存している。第一は、規則53(b)が明確に認める会計及び損害額の計算のような純粋に救済的な決定のための事件付託の良く認識されたカテゴリーの中に入っていると司法省は主張する。第2に、この事件の技術的な複雑さ及び迅速さの必要性が規則に基づく「例外的な条件」を構成していると司法省は主張する。そして、第3に、命令はあらためて初めからの再審理の裁判所の権限による暗黙の留保権を含んでいて、その明言されていない留保権によって〔事件付託〕命令が〔取り消しから〕救われると述べている。

 事件付託は単に監督の目的のためのものであると言っており、司法省は、応諾を監督するために補助裁判官の使用を許す良く確立した伝統に頼っている。Apex Fountain Sales, Inc. v. Kleinfeld, 818 F.2d 1089, 1097 (3d Cir. 1987)(複数の事件を引用している)。しかし、これはそのような状況ではない。問題は解釈であり、応諾ではない;両当事者の権利は決定されなければならず、単なる執行ではない。補助裁判官に関連する問題は、いかなる契約事件の全体的な付託より「救済的」でない。合意されていない付託は、裁判上の形式主義的な領域区分−トライアル前、トライアル、トライアル後−において懸念されているのではなく、権利の決定において懸念されているのである。In re United States, 816 F.2d 1083, 1090 (6th Cir. 1987)参照。

 司法省はまた、これは「例外的」であるほど技術的に複雑な事件であると提案している。同意判決の意味が関係する限り、それは明らかに誤りである;言葉は簡単な英語であり、もし、意味が明瞭でなければ、何らかの深い技術的問題によるのではなく、同意判決を起草した両当事者の目的における不確実性、契約行為に充満する種類の不確実性によるのである。その意味での適用に関して、我々は、我々の解釈、司法の制度上の限界の現実的な評価に基づいて、我々が根拠があるとみなし、独占禁止学説に関係しているとみなす解釈を述べたところである。IV(E)(i)の我々の解釈の適用はソフトウエア専門家を必要としない;我々の解釈はMicrosoftを機能の純粋に人工的な「ボルト締め」から禁止するが、そうでなければ、企業家の製品設計の選択に敬意を表するものである。[22]

 より概括的にいえば、もし、6名の被告と100名近くの原告(87名が一つの訴訟、その他6)からなり、仮抗弁及び命令の一つの事件では27頁の訴訟事件記載事項、50を越える証言録取書、並びに複雑な独占の告発及びRobinson-Patman違反からなるLa Buy事件(352 U.S. at 251-52)が複雑でなかったとしたら、我々はこの事件が特別複雑であると考える理由を見いださない。実際、複雑であるから補助裁判官への付託が適法となるというのは全く極めて疑問である。La Buy事件では、事件付託の正当化よりも、独禁事件の複雑性が、その場限りで指名される通常は裁判官の仕事の経験のない一時的な代理よりも、「通常の経験のあるトライアル裁判官の前でのトライアルを推進する理由である」と書き留めている。同259頁。

 したがって、唯一の残った問題は、補助裁判官の報告の暗黙の地裁のあらためて初めからの再審理の権限の留保が、事実及び法律に関して、事件付託を救うかどうかである。第1に、我々はそのような暗黙の留保はないと認定する。命令それ自体が、「特別補助裁判官は、両当事者によって提出された証拠及び判例を、彼が定める時、所および方法で受け、本件において提起された問題についての裁判所の検討のために事実の発見及び法的結論を提出する」と詳しく述べている。J.A. 1301 (強調が加えられた)。司法省は、「提案」の使用は何かの助けになるものであり、Bituminous Coal事件のそれから事件付託を区別しており、推薦された事実認定と法律問題の結論を求めるものであることを示唆している。949 F.2d at 1166 (強調が加えられた)。用語の違いは重要ではなく、とにかく特別補助裁判官の認定及び結論は常に助言を与えるものである。したがって、あらためて初めからの再審理の留保が事件付託を救うと我々が考えたとしてさえ、敬意を表しない再審理へのあいまいでない約束と共に、可能な再発布を仮定して、我々はそれを無効としなければならないだろう。しかし、我々は、実際、そのような救済メカニズムは利用可能ではないと考える。

 Microsoftは、陪審審理ではないトライアルにおいて、「裁判所は、明らかに誤っていなければ、補助裁判官の事実認定を受け入れる」(強調を追加)という規則53(e)(2)を特に書き留める。これは裁判所及び論評者にやらせる、敬意を表する再審理の義務であると解釈される。例えば、Williams v. Lane, 851 F.2d 867, 884 (7th Cir. 1988); Apex Fountain, 818 F.2d at 1097; In re Crystal Palace Gambling Hall, 817 F.2d 1361, 1364 (9th Cir.1987); In re United States, 816 F.2d at 1087, 1088; 9A Charles A. Wright & Arthur R. Miller, Federal Practice & Procedure s 2605 at 670 (1995)参照。

 司法省は、もし、地裁があらためて初めからの再審理を行うなら、地裁は義務のある主要な問題を付託することができるという趣旨で、Stauble事件の脚注で対抗している。977 F.2d at 698 n.13。しかし、同at 698 n.12 (もし付託が憲法上問題があったとしたら、地裁に正式なトライアルを行わせるために、その救済は差し戻されることを両当事者が合意しているから、補助裁判官の認定が「地裁により深くより関与する種類の再審理をさせることによって、控訴の後でさえ、ことによると利用される」可能性を裁判所は「もう一日」に託すだろうと説明している)と比較せよ。しかし、たかだか、Stauble事件の脚注からもたらされる考えは憲法に基づく無効から事件付託を救済するだろう:その可能性が、La Buy事件のもとに致命的である明白な裁量の乱用より少なくすることはほとんどないだろう。同様なことが次の事件の所見においても等しく正しい、United States v. Raddatz, 447 U.S. 667, 683 n.11 (1980)、裁判所自体、オリジナルな第 III 編裁判権の執行において、特別補助裁判官の報告書の起訴の上に行動していると述べている。プラックティスは規則53(b)に基づく明白な裁量の乱用の存在について何も述べていないことは明らか。

 我々は、Bituminous Coal事件の我々の判断におけるこの点についての曖昧さを書き留める。我々の結論的な命令は裁判官に「彼の付託の命令を修正する...そして特別補助裁判官への付託なしに、全ての潜在的に明らかでない事実又は法律の問題をあらためて初めから決める」ように告げる。949 F.2d at 1169。これが敬意なし事件付託の可能性を暗に是認していると司法省は考える。我々はそうは考えない。Bituminous Coal事件において、「同意なしの事件付託は司法権の乱用を構成するであろう」同(強調付加)という石炭経営者の示唆を我々は拒否するが、その幅広い主張の我々の拒否は地裁の再審理の範囲の変動に基づいておらず、トライアル前の準備又は救済の履行のための合意なしの事件付託を使用する確立された適法の慣行の我々の是認に基づいている、同。そして、我々の処分の序説の要約において、我々は、裁判官は「彼自身のために留保するために事件付託の命令を修正<revise>しなければならず、義務のある問題の事実認定及び法的結論を含む明確でない判断をする核心の機能を補助裁判官に権限を委託してはならないと述べた。同at 1166。要するに、地裁裁判官が単に裁量を乱用したからではなく、彼に両当事者の意志に反して「代用判事」(同1168頁、引用削除)を課す裁量はないから、我々は令状を許可したと、Bituminous Coal事件において我々が述べたときに、我々は陪審審理でない事件において、ディスカバリ(証拠開示手続き)及び救済のような周辺的な付託を除き、合意のない事件付託を事実上除外した。In re Armco, Inc., 770 F.2d 103, 105 (8th Cir. 1985)(「会計、損害額の困難な計算及び普通でないディスカバリの問題を越えて、La Buy判決のきちんとした基準に適合する陪審審理でない事件の事件付託を考えることは難しい。」)(内部の引用削除)と比較。

 要するに、規則53(b)の「例外的」から遠く離れた場合であると認定し、我々は補助裁判官への事件付託は取り消されなければならないと信じている。したがって、我々は、付託された者が不適切な付託における手続きに基づき、行っているというMicrosoftの主張は扱わない。

 
VI.〔命令〕
 
 仮差止は適切な告知なし、同意判決のIV(E)(i)の誤った解釈に基づいて発せられた。したがって、我々は取り消し、差し戻す。補助裁判官への付託は両当事者に代用判事を課す効果を有し、明らかな裁量の乱用又は完全に裁量の存在しない権限の行使のいずれかである。我々は事件付託を無効とする職務執行令状を許可する。

 そのように命令される。
   
   
   
   
 
 


脚注

1.同様に、Sun Microsystemsの「Java」プログラミング言語は、あるJava関連ソフトウエア(Java「バーチャルマシン」及びJava「クラスライブラリ」)が存在する限りオペレーティングシステムに関わらずいかなるコンピュータの上でも走るアプリケーションをプログラマが書くことを可能としている。インターネットブラウザはJava関連ソフトウエアを合体させ、このゆえにJavaプログラムが「write once, run anywhere」宣伝<billing>に答えることができる。[訳6]

2.司法省の言葉は、二つの製品、及び実際、二つのライセンス契約が問題であることを示唆している。司法省書面4頁(「MicrosoftはインターネットエクスプローラのライセンスをWindows 95のライセンスの条件にした。」)OEMは、Windows 95の一部としてIEをカバーするただ一つのライセンス契約を行ったことには争いがない。J.A. 1274。Microsoftの主要な議論は、もちろん、ただ一つの製品だけであるというものである。事実に関する我々の序説の用語法はもちろん争われている問題を解決する又は解決をもたらすことをめざしておらず、これらの問題に関していかなる推論もこのセクションのワーディングから引き出されるべきではない。

3.加えて、拒否するよりもIEを隠すことをOEMに許容することにより、その救済が司法省の抱き合わせ理論とうまく調和しない。抱き合わせは、抱き合わされた商品を購入者が捨てる能力によって影響を及ぼされない。

4.Microsoftは、その時(口頭弁論の時に)、「ディスカバリ〔証拠開示手続き〕を許可せず、証拠のヒアリングを行わず、地裁の審理において書類上で問題を判断するように」司法省が裁判所に促した事実を、異議の根拠とした。同12頁。これらの異議は、有効であるが、ここで我々が扱っている理論とは完全に関係のないものである。仮差止が他の理由で手続的に欠陥があることを我々は認定しているから、我々はそれら〔Microsoftの異議〕に触れる必要がない。

5.我々は「救済的」制定法の概念は助けにならないことを、最近、一度ならず書きとどめている。全ての制定法は、純粋に確認的なものでなければ、事件の既に存在している状態について何ものかを「救済する」ことを求める。これらの判例は「有害な」制定法への参照を奪われているようにみえる。East Bay Municipal Utility Dist. v. United States Dep't of Commerce, 1998 WL 210612 *5-*6 (D.C. Cir. 1998); Ober United Travel Agency, Inc. v. United States Dep't of Labor, 135 F.3d 822, 825 (D.C. Cir. 1998)。

6.地裁は回復不能な被害について述べているが、−−救済の否定が政府によって主張された競争上の利害関係に被害をもたらすであろうかどうかという−−適切な利害関係に焦点を絞った条件においてではない。「将来におけるWindows 95とIEの強制的なアンバンドリングのコストは法外なもととなるであろう」から、司法省は回復不能な被害に脅かされていると、地裁は述べているが、J.A. 1297、これは、裁判所では結局負けたが、Microsoftが現在の慣行を続けたときにMicrosoftが被るリスクに、むしろ、より似ているようにみえる。

7.我々は、同意判決の不明瞭な条項の地裁の解釈のあらためて初めからの再審理に関して普通ではないものあるという〔一部同意、一部反対意見を執筆した〕Wald判事の示唆に合意する。同意判決は一般的には契約として解釈される。United States v. ITT Continental Baking Co., 420 U.S. 223, 236-37 (1975)参照。外部証拠<extrinsic evidence>に基づく不明瞭な契約の文言の解釈は一般的に事実問題として取り扱われ、そして、両当事者の利害関係に関する地裁の事実認定は敬意をもって再審理され<reviewed deferentially>、つまり、明らかな誤りのときだけ覆される。例えば、NRM Corp. v. Hercules, 758 F.2d 676, 682 (D.C. Cir. 1985)。本裁判所は、しかしながら、両当事者が同意判決自体の外の証拠によって明確化を求めている明白に不明瞭な条項の地裁の解釈のあらためて初めからの再審理を正式に行う。例えば、United States v. Western Electric Co., 12 F.3d 225, 229, 231 (D.C. Cir. 1993)(公認された不明瞭さにもかかわらず、あらためて初めからの再審理を述べている)参照;United States v. Western Electric Co., 900 F.2d 283, 293, 296 (D.C. Cir. 1990) ("Triennial Review")(同);同294頁(「純粋な法律問題」として問題を描写している)も参照。ITTにおける最高裁の見解も、Armour事件と区別するために不明瞭の存在に依存しており、(地裁の事実認定に)敬意のしるしも表してはいない。ITT, 420 U.S. at 238 & n.11。もちろん、法律問題のあらためて初めからの再審理は事実認定への敬意と原理的に矛盾しない。Triennial Review, 900 F.2d at 293-94 (「事実認定を除いて、我々は地裁の判断に敬意をはらう義務はない」と説明している)参照;North Shore Laboratories Corp. v. Cohen, 721 F.2d 514, 518-19 (5th Cir. 1983)(両当事者の意図の事実認定への敬意を表することなしに、あらためて初めから再審理している)。このミックスされたアプローチは正しいものであろうし、意図を中心としてあらためて初めからの再審理がしばしばなされているているが、我々の判例〔研究)の一つ成果によれば〔意図の問題を〕熟考しているようにはみえない。しかし、地裁は我々が敬意を表して従うことができた意図に関するいかなる認定も行っていないので、ここに、ともかくあらためて最初からの再審理となろう。[訳10]

8.申し立てられた抱き合わせの二次的な性質は、契約の条件が「明文又は暗黙に、 他の適用製品・・・Åライセンスすることを条件とする」という契約をIV(E)(i)条が禁止する理由を説明するかもしれない。
  
9.司法省が主張する機能の使用をここに拒否したが、それが独自性の適切な基準ではないことを示唆するものではない。もし、それらが同じ需要に直面するとすれば、何らかの文脈の中では二つの製品が等価であるとして扱われるのが適当かもしれない。しかし、異なったオペレーティングシステムのために書かれたコンピュータプログラムは、同じ需要に直面することはないから、独自性の十分な基準として機能の認容は奇妙な結果を導くだろう。ここで、もちろん、同意判決のWindows 95を一つの「製品」として許容したことは、司法省の何が禁止されるかの観点に対する反証となる;一つの可能な説明は機能が製品を定義する最初のふるいとして働くかもしれないが、「統合された製品」ただし書きによって打ち負かされるだろう。

10.Jefferson Parishにおいて、病院は確かに抱き合わされた商品(麻酔)を抱き合わせた商品(外科手術)から分離して提供しなかった、しかし、この事実は裁判所の判断にいかなる役割もはたさない。

11.同じ分析が周辺装置にも適用できるだろう。もし、例えば、Microsoftがオペレーティングシステムにマウスをバンドルすることを試みたとすると、マウス/オペレーティングシステム・パッケージが、OEMによって結合されるよりもMicrosoftによって結合されるほうが、より良く動作することを証明しなければならないだろう。これは、そのオペレーティングシステムと共に、そのマウスが他のマウスよりもより良く動作することを証明することとは全く異なっている。少数意見1-2頁と対比。X Areeda, Antitrust Law p 1746b参照。問題は周辺機器においては起こりそうもないようにみえる、なぜなら、それらの物理的存在が結合の行為を見分けることをより容易とするからである。マウスとオペレーティングシステムが、どちらも別個に存在できないという意味で、統合されているというもっともらしい主張がなされることはありそうにもみえない。異なったマウスと共に使用されるオペレーティングシステムは異なった製品のようにはみえない。しかし、IEのコードのないWindows 95は立ち上がらないだろう<will not boot>、J.A. 1623、そして、ライバルブラウザはこれを直すことができないだろう。もし、追加と削除<add/remove>ユーティリティがIE 4テクノロジーを隠すために走らされたとしたら、Windows 95はより前のバージョン、OEM service release(「OSR」)2.0に後戻りする。[訳7]J.A. 1660-61。

12.もちろんこのように、我々は「コードの混合・・・だけでは真の統合の十分な証拠ではない」(少数意見4頁)という少数意見に同意する。反競争的目的(又は全く無目的)のための混合は「ボルト締め」として我々が述べるものである。

13.少数意見はMicrosoftの同意判決の解釈に敬意を表して製品設計の評価に携わるのが気が進まないようにみえる。少数意見2-3頁参照。これはその種のものではない。我々は同意判決の解釈において両当事者に敬意を表して従ってはいない;実際、我々は両当事者の解釈を否定している。ここに、我々は、ハイテク製品の設計と誤ったときの高いコストを評価するためには、裁判所の能力は限定されており、特定な設計の決定の主張された利益を二次的に推測するのには慎重にならざるをえないことを提案しているだけである。

14.独禁法の問題はもちろん別である。両当事者は同意判決はSherman法〔独禁法〕に基づく異議申立を妨げないことを両当事者は合意している。

15.この問題は司法省のIV(E)(i)条の解釈において末梢的であり、司法省は力強く争わないのかもしれない。この見解が求め与えようとしているガイダンスは、分析の法的枠組みを提示することに制限されている。事実に関する論争の最終的な整理は別の問題であり、もちろん我々の前の制限された記録に基づいて解決することはできないものである。記録は、また、アプリケーション・ベンダーのIEコードの再配布に関連していくつかの非効率性があることを示唆している。アプリケーション・ベンダーの宣誓供述書は、もし、〔IEでなく〕そのブラウザ〔Netscape〕が販売前にコンピュータにインストールされていたら、「我々の製品のインストールは、より速くなる、我々は製品サポート問題を減少させることができる、我々の製品の知覚できる足跡(メモリの使用)はより少ない、そして、一般的に我々の製品の消費者認識はよりよい。」と断言している。J.A. 953, 966。しかしながら、アプリケーション・ベンダーによるインストール上の欠点は、IEテクノロジーを含む統合されたオペレーティングシステムをOEMがプレインストールすることによって、軽減することができ、その欠点はスタンドアローン設計の必然的結果ではなく、むしろ、統合の利益、すなわちアプリケーション・ベンダーによるコードの配布、をもたらす特別な方法の付随的なコストである。したがって、スタンドアローンと統合された設計の我々の比較に関係がない。

16.もちろん、アプリケーション・ベンダーが彼らのアプリケーションと共にIEを配布することによって、このMicrosoftが創作した統合をもたらすことは可能であり、こらは明らかに比較的ありふれた慣行である。J.A. 953, 966。アプリケーション・ベンダーによる配布は統合された設計が利益をもたらすという結論に影響を与えず、また、IEがWindows 95とは別個の存在であることを示唆するものでもない。この慣行の結果は 単にそのようなアプリケーションが購入者のオペレーティングシステムをWindows 95/IEレベルにアップグレードすることにすぎない。消費者がアプリケーションをインストールする行為はIEのMicrosoftの以前の統合をWindows 95にインプリメントすることである<The customer's act of installing the application implements Microsoft's prior integration of IE into Windows 95>。

17.我々の同僚の少数意見は、オペレーティングシステムの一部としてのオペレーティングシステム機能を供給するコードのいくつか又は全部を論じて、IEはWindows 95とは別個であるかもしれないと示唆している。少数意見15頁。しかし、そのコードから離れると、IEにとっては、オペレーティングシステム機能をも供給するコードからブラウジング機能を呼び出すことを要求する4行のプログラム以上のものではない<But apart from that code, there is nothing more to IE than the four lines of programming required to summon browsing functionality from code that also supplies operating system functionality>。J.A. 1654。これらの4行は、もっともらしくIE自体と考えることができた何ものかであるよりも、IEを作動させるキーのようなものにみえる。

18.両当事者の後の裁判上の合意によって解釈されたように、もし、(1) IE 3.xに関して追加と削除<Add/Remove>プログラムユーティリティを走らせる、(2)デスクトップ及びスタートメニューのプログラムリストからIEアイコンを取り除き、ファイルIEXPLORE.EXEを隠しファイル<hidden>にするというオプションを許容すれば、Microsoftが仮差止を応諾したとしてとりあつかっている。上記p. 7参照。この仮差止は、「抱き合わせ」申立の救済として、単に抱き合わせ製品を隠すという中間的なものを被告に許すという明白にユニークなものであり、Windows 95とIEのような統合された機能を別個の製品として取り扱うという奇妙なことを示唆している。[訳7]

19.「統合された」製品が禁止されたジュオ〔二人組〕になるのを禁止するために「適用製品」及び「他の製品」の概念を明確化すること、又は、それらが他の方法でそのようなジュオであるとしてさえ、統合された製品の例外を形成すること、のどちらかによって、禁止の限界を設定するものであると、ただし書きは解釈されるかもしれない。アプローチの選択が本質的な相違を作るとは、我々は信じない。

20.我々の同僚は、この評価を行う一つの方法は統合された製品が別個のマーケットを「圧倒する」かどうかを調べることであると、ほのめかしているようにみえる。少数意見10頁。しかし、マーケットの実績のデータは、あたらしい製品が導入される時には明らかに利用可能ではなく、そして、別個のマーケットの圧倒が、まさに、恐れられるものであり、また、反競争的慣行を単に示すかもしれないものである。

21.この規則は関連部分に規定されている:「補助裁判官への付託は例外的なものであり、通例ではない。訴訟において、・・・陪審員なしで審理され、会計と困難な損害額の計算の問題を省くために、付託はそれを必要とする何かの例外的な条件を示した上でのみ行われる。

22.判決が裁判所を深い技術的な神秘の中に導くかもしれないかぎり、我々は証拠規則706に基づく裁判所の権限は専門家証人を指名することであると特に書き留める。そのような専門家は両当事者の合意によって指名されようとも、そうでなかろうとも、専門家の両サイドによる反対尋問にされされること(規則706(a)参照)が、地裁の一方的な注意されない補助裁判官よりも、専門家のリソースに頼るはるかに適当な方策である。

  
 


訳注
   
(訳1)アメリカの控訴審では、代理人のうち1名が代表して口頭弁論期日に出廷し、口頭で陳述する。その他の代理人は書面上に名を連ねる。なお、〔 〕は翻訳上付け加えたかっこであり、( )は原文のかっこである。

(訳2)裁判所の法曹メンバー<menbers of the Bar of the Court>がどのような立場か不明であるが、一応「法廷助言者代理人」としておいた。5月12日にWindows 98について地裁の仮差止が取り消され、その直後、司法省と20州らが新たな独禁法違反事件を提訴したが、それらの州の司法長官がこの訴訟に参加したようである。

(訳3)「規模に関する収穫逓増」は、生産規模を拡大したとき、産出量が規模の拡大以上に増大するような技術的状態を言う。「外部性」とは、ある消費者や生産者の経済活動が他の消費者や生産者に影響を与えること。有利な影響を受ける場合を外部経済があるという。「ネットワーク」は活動とイベント(事象)の2つの主要な要素によって構成される。以上、金森久男他「有斐閣経済辞典(新版)」より。インターネットブラウザが問題にされている事件であるから、一見「ネットワーク」はインターネットを意味しているように思えるが、文章の前後関係からみてWilliams判事が述べているのは経済学用語としての「ネットワーク」のようである。この次の部分で、Williams判事はこれらの経済学用語をOSに適用して説明している。
 
(訳4)ここに記載されているようにWilliams判事は経済学用語を使用する法律家である。アメリカでは1970年代までは独禁法の適用が厳しく行われており、知的所有権の保護はむしろ否定的に考えられていた。当時、日本の追い上げに合っていたアメリカは、レーガン政権の時代に方針を変更し、知的所有権重視、独禁法軽視の政策をとり、例えば、特許については、CAFC(特許訴訟に関して連邦全体を管轄する控訴裁判所)を設立し、そこにシカゴ学派の裁判官を送り込み、司法面からプロパテント(特許重視)へと導いたのである。Williams判事は、反シカゴ学派のハーバード・ロースクールを卒業しているが、その後、シカゴ・ロースクールを含む大学で客員教授を務めており、また、経済学用語を多用することからみて、経済学分析を活用するシカゴ学派に属していると考えられる。したがって、知的所有権を重視し、独禁法を軽視するタイプの裁判官である。なお、独禁法重視から知的所有権重視へのアメリカの変化に気がつかずに行動した日本の企業が起こしたのが、IBM−日立産業スパイ事件、IBM対富士通のOS著作権侵害紛争であり、また、ミノルタ、セガ等の特許権侵害事件である。現在では、日本でもプロパテント(特許重視)が主張されているように、日本でも知的所有権を保護することは正しいことであると考えられてきている。私としては、知的所有権が保護されるのは、通常の所有権が保護されるのと同様に当然のことであると考えるが、通常の所有権に基づいて独占状態が生じたときに独禁法が適用されるのと同様に、知的所有権に基づいて独占状態が生じたときには同様に独禁法が適用されるべきであると考えている。しかし、シカゴ学派の人たちは知的所有権は重視するが、独禁法は軽視している。これは知的所有権に対する理解が通常の所有権に対する理解と同程度には進んでいないことと、法律家にとって技術がわかりにくいからであると考えられる。

(訳5)「ユーザーインターフェースとしてマルチプラットフォーム・ブラウザの広く行きわたった使用はオペレーティングシステム・マーケットにおけるネットワーク外部性の独占逓増効果を減少させる可能性を有している」というWilliams判事の考えによると、MicrosoftがWindowsにIEを抱き合わせた方が、より独占が生じにくくなるということになる! これにはビルゲーツ氏も苦笑しているのではないだろうか。

(訳6)Williams判事は、「Javaプログラムが「write once, run anywhere」宣伝<billing>に答えることができる」と記述している。(ビラなどの)宣伝<billing>という言葉を選んだことからみて、Williams判事はJavaを蔑視しているようにみえる。Williams判事の見解は巧妙であり、一見、JavaとIEが同様なものであるかのような錯覚に陥る。しかし、Javaはあらゆるプラットフォーム上で一つのプログラム(バイトコード)が動作することを目指しており、また、ブラウザもJAVA Compatibleであればどれでもよいのに対して、MicrosoftのIEが多数のOS上に移植されたとしても、ブラウザはIEだけであり、また、Microsoft流JavaプログラムがWindows以外のOS上で動作するとは考えられない。したがって、Williams判事のIEとJavaに関する認識、および(訳5)に記載したようにWindowsにIEを抱き合わせた方が独占が起こりにくいという結論を導くWilliams判事の認識は、明白に誤っていると考えられる。

(訳7)1998.01.21の訴訟上の合意及び命令の(訳2)に記載したようにオプションには2つあり、オプションbではIEをユーザーに見えなくしているだけであるが、オプションaではIEを取り除いていると考えられる(ただし、一部は残っているかもしれないが)。また、同(訳5)に記載したように、合意の「3.」に基づけば、OEMはWindows 95(OSR2.5) - IE 4.0をプレインストールすることができる。したがって、IEは残っている旨のWilliams判事の見解は正しいとは思えない。

(訳8)エクイティは衡平法とも呼ばれる。英米法においては、コモンロー(普通法)とエクイティ(衡平法)があるが、これらはイギリスの裁判所の長い歴史のなかで形成されてきたものである。コモンローが形式的で厳格であるのに対して、エクイティは具体的正義を達成すべく柔軟で、裁判官の裁量の幅が広く認められている。終局判決<final judgment>の「judgment」は本来コモンロー上の判決であるが、この事件では内容的には同意判決<consent decree>であり、「decree」はエクイティ上の判決であるから、エクイティ基準が問題となると考えられる。

(訳9)1997.12.11の地裁の「メモランダム及び命令」を読んだときには、Jackson判事はプログラムに関しては極めて正確な認識を有しているが、法律的には、侮辱罪の適用は否定しておいて職権で仮差止を行うという手続的に無理なことを行っており、控訴審で覆る可能性が高いと考えていた。しかし、このWilliams判事の執筆した多数意見を読むと、意外にもJackson判事の判断は手続的にそれほど問題はなく、ただ、不利な立場にあるMicrosoftに告知することなく仮差止を発した点だけが違法と判断されたようである。もちろん、Jackson判事がこのような基礎的なことを知らなかったはずはないが、Jackson判事としては、例えば、この記載からもわかるように、このままMicrosoftにWindowsとIEの「統合」を続けさせてしまうとデファクトスタンダードとなり、そうなってしまうと公衆の利益の観点から、もはやアンバンドリングさせることはできず、Microsoftの思うつぼとなってしまうので、緊急の例外的な状況であるとして、仮差止を行ったと考えられる。

(訳10)日本では地裁、高裁が事実審であり、最高裁だけが法律審であるが、アメリカでは地裁だけが事実審で、控訴裁、最高裁が法律審である。したがって、アメリカの控訴裁判所では、地裁の事実認定は敬意をもって再審理され、つまり、明らかな誤りのときだけ覆されるのである。この事件においては、被告に対して事前に告知せずに仮差止を発したという法律問題だけで、地裁の仮差止命令を取り消すことができるのであるが、Williams判事は、地裁の事実認定もあらかじめ初めからの再審理、つまり、地裁の事実認定に敬意を払わずに、独自の事実認定によって覆すのである。アメリカでMicrosoftからOEMに対してWindows 98が出荷される直前に、1998.05.12の命令でWindows 98に関して地裁の仮差止を取り消し、また、アメリカでWindows 98が消費者に販売される直前に、この意見によりWindows 95に関して地裁の仮差止を取り消し、更に、地裁の事実認定も、わざわざ、取り消すのである。このような「状況証拠」からみて、Williams判事がこの事件を普通の事件として淡々と処理しているとは考えられず、Microsoftを強く擁護する立場で判断しているようにみえる。私は、これまで技術に関連するアメリカの判決を少なくとも数十件は読んでいるが、この事件のWilliams判事ほど強引な裁判官は初めてである。かつて、CAFCの初代長官のMarkey首席判事がやや強引にプロパテント(特許重視)の方向の判断をしていたが、強引さの程度はWilliams判事の方が1桁か2桁上である。

(訳11)Williams判事はここで、「Windows 95とIEの関係はWindows 3.11とMS-DOSの関係に類似しており、その結合はたぶんIV(E)(i)によって禁止されている」と述べた後で、当事者さえも主張しなかった独自の論理で、Windows 95とIEはファイナルジャッジメントで許容された「統合された製品」である旨の結論を導いている。Windows 3.11とMS-DOSはどちらもOSであるのに対して、Windows 95はOSであり、一方、IEはアプリケーションであるから、もし、Windows 3.11/MS-DOSというOS同士の抱き合わせがファイナルジャッジメントに違反するとすれば、Windows 95/IEというOS/アプリケーションの抱き合わせは、当然、ファイナルジャッジメント違反であると考えるのが普通の考え方ではないだろうか。この後に記載されたWilliams判事の論理は私にはまったく理解できないものである。

(訳12)ここで、Williams判事は、二つの製品の「統合」が「ボルト締め」あれば、排除されるべきである旨の法律判断をしている。私としては、Windows 95とIE 3.0の関係は「ボルト締め」以外の何ものでもないように思うのだが。Windows 95とIE 4.0の関係は「ボルト締め+接着剤」だろうか。

(訳13)ここで引用された最高裁判例は、複写機の部品とサービスは別個の商品であるから、抱き合わせてはならないというものである(1997.12.11メモランダム及び命令参照)。これに対して、Williams判事は「自己修理複写機」という空想上の複写機を引き合いに出して、最高裁判例に疑問を投げかけるのである。この見解自体が最高裁に上告されることはないかもしれないが、新たに提訴された独禁法違反事件で最高裁に上告されたときには、このようなWilliams判事の見解は最高裁裁判官の怒りをかうのではないだろうか。
 


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