きのせい

発表:1997.11.14(Fri)

また落ちた..。

ひらひらと舞う褐色の木の葉を目で追いながら、ため息を一つ。

...一体、何回目のため息だろう。

授業中、先生の説明なんて聞こえない。だって、あの先生つまんないんだもん。
いつだって「おやじギャグ」を飛ばして、乾いた笑いを誘う..。みんな良くガマンしてるなぁ。

たまんないなぁ、こんな授業。でも、次は体育だから少しはましかぁ。

視線をまた教室の脇に立つ大きな樹に向ける。とても大きい。3階のこの教室でも枝が真横にみえる。見上げると、4階の窓くらいの高さなのかな。

ん?

一瞬、真横の枝の上を何かが動いた気がした。

...じっと見つめても、何にもいない。
気のせいかな。それとも疲れてるのかなぁ。

もう一度ため息をつくと、視線を教科書に向ける。

...でもほんの3秒ほどでまた樹の方に視線を戻す。

やっぱりさっき動いたのは見間違いじゃない気がする。うん、きっとそうだ。
昔からそういう「もの」には敏感だった。周りの人達には見えなくても、自分には見える「もの」がいたんだから..。今のもそういう「もの」だ、直感が告げている。

少なくともこの退屈な授業を聞いているよりは、「もの」を探している方が性に合っている気がするし。

私はちらりと樹を見た。そして、素知らぬ振りで視線を逸らす。今までの経験では、「もの」は猜疑心が強い。でも、無視したり、そっけない態度を示すと、逆に向こうが興味を持ってくる、そんな風に好奇心も旺盛らしい。

何度かそんな事を繰り返していると、何かが違う事に気付いた。樹の幹の向こう側から、褐色の「もの」がこちらを伺っていたらしい。「もの」は、こちらが奇妙な行動を取っているのに興味をそそられたらしい。

そこですかさず視線を合わせる!!すると、慌てて隠れる「もの」。

さらに、樹を見たり視線を逸らしたり、と繰り返す。するとまた姿をあらわす。

今度はゆっくりと、そして穏やかな視線を「もの」に向ける。「もの」は恐る恐る視線を合わせてくる。精一杯の微笑みを投げかけ、優しい気持ちを相手に向ける。

視線を合わせてくる「もの」。かわいいなぁ...。これが見えない人達がかわいそうだなぁ。
うっとりとした目で「もの」を眺めていると、「もの」もこちらに強い関心を持っているらしく、もじもじとしはじめる。

しかし、そこまで...。何故か「もの」は慌てて姿を消す..。

あれ?おかしいなぁ。何で逃げちゃうんだろ?

ふと、横に誰かが立っているのに気付いた。見上げると、それは先生だった..。

眉間にしわを寄せてる..。あっちゃあ、やばいなぁ。キレるぞ、こりゃ..。

「!!!!!!!!」

激しい怒声を聞き流しつつ、唾と一緒に飛んでくる悪口雑言の羅列に、「さすが現国の先生だわ」とか思ってみたりする。

「もの」は感情の起伏に敏感で、激しい感情が側にあると、逃げ出してしまうんだよね。

「今回は駄目だったけど、次は仲良くなろうね」と、視線を樹へ向ける。もちろん「もの」は姿を見せない。先生の語気がまた荒くなったような気がするけど、まぁそれは気にしない事にするかなぁ。

しかしまぁ、語彙の多い先生だね、もう5分ぐらい怒鳴ってんじゃないのかなぁ..。

しばらくすると声が止まる。唾も飛んでこなくなる。ああ、チャイムが鳴ったのか。

チャイムの音...授業の終わり...休み時間...。

「もの」のおかげで、退屈な授業も何とかなりそうだわ。席替えも悪くはないなぁ、とか思う。

あぁ!!次は体育かぁ。ちぇっ..楽しい事は早速お預けかい。しゃあないなぁ..。


じょぼじょぼじょぼ...。

ふぅ〜っ、生き返るぅ..。火照った顔に水道の水が突き刺さるほど冷たく感じる。 昼飯前のマラソンってのはカンベンだよなぁ。まったく、生徒をなんだと思ってんだか。

髪の毛から水をしたたらせながら、手探りで自分のタオルを探す。あれ?ここに置いておいたのに..。

「ようちゃん、はぁい。」

タオルを探していた私の目の前に、そっと私のタオルが差し出された。和やかな波動を感じる。ああ、この感じは香澄だな。

「あ、ありがとう、かすみぃ。」タオルで頭と顔を拭きながら、答えた。

中学時代からの親友の香澄。今はクラスが違うけど、昼は大抵一緒に食べるし、都合が合う時には一緒に帰る。そんな間柄。
ちょっと童顔だけど、ウェーブのかかったロングヘア、たれめがちの目という風貌は、お人形さんみたいでとてもかわいいと女子にも評判であり、男子にも結構人気があるようだ。
何よりも、香澄の純粋さと優しさが醸し出す独特の雰囲気、つまりオーラは、周囲の人間の心を穏やかにする働きがあるように思う。

実際の所、「人には見えないものが見える」という力を持っている私は、子供の頃から友達もできず、オトナも信用できず、自分の殻に篭っていた。そんな私に、掛け値ない包容力と優しさで接してくれた香澄。きっかけは些細な事だったが..。

香澄がいなければ、自分は今以上に排他的で無気力で、こういう楽しい時間さえ知らずに過ごしていただろう。もっとも、今だって十分に人付き合いの悪い性格だが、あの頃に比べれば大分マシになったと思う。

人の持つ性質や性格は、オーラとして周囲に影響を与えることができる。一般に「カリスマ」という人は、自らの強い自我で周囲に強い影響を与える事ができるらしい、というのが私の結論。そういった意味で、香澄は明らかに「カリスマ」たりうるオーラを持っている。アイドルにでもなれば多くのファンを獲得できるだろう、と思う。

もっとも、この娘の作り出す和やかな雰囲気を、他の連中に分けてやる義理はないなぁ、とも思う。私が今まで出会った中で、香澄ほど優しいオーラの持ち主はいなかった。香澄の友人を続けているのには、そういう打算も多少はあるのだろう。

「この寒いのに水浴びなんかしたら風邪ひいちゃうよぉ。」

妙に語尾が長いのは、香澄の癖だ。にこにこしながら、お弁当を持って私を待っている。おいおい、私はまだ着替えてないんだぞ..とか思いながらも、ぬれたタオルをたたむ。

「今日はねぇ、外で食べたいなぁと思うのぉ。どこで食べようかぁ?」という香澄の質問に、ちょっと考える。そして、現国の時間の事を不意に思い出し、「あの大きな樹の下」とぶっきらぼうに答える。

香澄はちょっと考え、「うん、わかったぁ。先に言って待ってるねぇ.」と言うと、のたのたと走り出した。のたのた..。いや、それが一番しっくり来る擬態語だと思うぞ。運動神経をどこかに落としてきたとしか思えないほど、香澄はどんくさいのだ。

さっさと更衣室へ移動する。もう誰もいやしない。私はそそくさと制服に着替え、体操服をまとめて外に出た。

件の樹へと向かう途中で、ふと思い出す。弁当忘れた..。あわてて戻ろうとするが、樹が教室の真横に生えている事を思い出し、そのまま香澄のもとへと向かうことにする。

樹の下では、香澄が既にシートを敷いて座っていた。「おそぉい。お弁当冷めちゃうでしょぉ。」 ...弁当は冷めてるもんだぞ、香澄..。

私は3階の教室に向かって声を張り上げる。慌てて顔を出す隣の席の男子。名前は..なんだっけかな..?とにかくその「なんとか君」に弁当を投げてもらうように頼む。
呆れた様子で席に戻り、弁当を落としてくれる。「ありがとな!!」と言うと、彼は照れた様なそぶりでさっさと窓を閉めてしまった..。

何はともあれ、昼休み恒例のお弁当大会の開催だ。香澄が様々な話題を提起する。授業中の出来事、昨夜のテレビドラマとか昨日買ったCDの話、話、話、話。
話題は尽きることなく、香澄の方から迸る。口調はノンビリだが、さも楽しそうに、嬉しそうに、時には身振りまで付けて話を続ける。表情はころころと変わる。感情を素直に表現する香澄を、私は時々うらやましく思う。
しかし現実問題として、相変わらず私には良く分からない話題が多かったので、いつものように率直な感想を述べる。私がそういう人間だと知っている香澄は、怒りもせず、反論もせず、私の返事を聞いては喜んでいた。

香澄の言う所によると、私は理想の女性なんだそうだ。「ようちゃんってぇ、クールでぇ、自分の意見をしっかりもっていてぇ、りりしい大人の女性って感じでぇ〜。」とか..。香澄にそう言われると、まぁ悪い気はしないが..。


楽しいお昼休みの一時のせいで、私はここに来た訳を忘れていた。私がその目的を思い出したのは、樹の幹を背に話し続ける香澄の頭上に伸びる太い枝に、「もの」がいることに気付いた時だった。

「もの」は香澄の一挙一動のたびにビクッと反応した。しかし、香澄の持つ「ほんわかした雰囲気」は、「もの」を段々捉え始めたみたいだ。興味深々という感じで香澄の方を見つめる「もの」。

ゆっくりと立ち上がり、枝にそっと手を伸ばす。「もの」は私の方を油断なく見つめていた。そっと声をかける。「おいで」と。

香澄は私の行動の意味を理解できず、ただ無言で私の指先の枝と、私の顔の間で視線を往復させる。

「もの」は、おそるおそる私の手に乗る。私はそっと「もの」を顔に近づけ、微笑みかける。ううぅ、かわいいよぉ..。
「もの」はおびえながらも逃げだそうとはしなかったので、私はそのままシートの上に座り込んだ。

手を香澄の方に差し出す。香澄は、私の不可解な行動に疑問を感じているようだが、私が「何か大事なものを差し出した」そぶりをしている事に対応して、私の手の上にゆっくりと手を伸ばす。

そして、指先が「もの」に触れた。慌てて手を引っ込める香澄。触れた瞬間、「もの」も電気が走ったようにビクッと反応する。

静寂の後、私の方を上目遣いで見つめる香澄。私のうなずきを確認して、再びおそるおそる手を伸ばす。「もの」は香澄の方を見つめる。おびえた様子はもう見られない。
二度目の接触。香澄は、私の手の上にある「何か」の正体を探るべく指をはわせる。「もの」は、香澄の持つオーラに呼応するように身震いするのが、私には分かった。

そして、香澄の表情が驚きの兆候を示し始める。驚きが最後まで至らないうちに、香澄の表情は、喜びに変わっていった..。

「いやぁ〜ん、なにこれぇ、かわいいぃ〜!!」

どうやら、香澄にも「もの」が見えるらしい。

もしかしたら、と思っていた。香澄が私に和やかな雰囲気を提供してくれたように、私の力も多少の影響力を持っているのではないか、と常々考えていた。
香澄が私を信じてくれたから、その効果も大きくなったのだろう...多分..。

「もの」は、ころころと笑う香澄の真似をして、笑みをうかべる。それに応じて、香澄はまた黄色い声を上げる。

そういう様子を私はうっとりした目で見つめる。自分の手の上で笑い、踊る小さなかわいい妖精。そして、私の目の前で和やかな波を送り続けてくれる、優しい親友。

至福という言葉の意味はこういう事なのだろうか、とか頭の片隅で考えながら、目の前の光景をただ見つめていた。

香澄は私から「もの」を受け取ると、いろいろと話し掛けていた。自分の思った事を素直に表現する。「もの」には言葉は伝わらないが、気持ちは伝わる。香澄の優しさは、「もの」にとっても心地よいものであるようだ。

しばしの後、遠くで鐘の音が聞こえる..。香澄は、かなり残念そうな表情をして、じっと「もの」を見つめる。そして、「もの」を私に手渡す。私はそのまま、もとの樹の枝に「もの」を届ける。香澄の名残惜しそうな表情を、「もの」も真似る。

香澄は「もの」の表情を見て、ニッコリと微笑む。「また会おうねぇ!!」

2人が玄関へと走っていく後ろ姿を、そして時々は振り返る2人の姿を、「もの」は枝の上から見つめていた..。

香澄はのたのたと走る。息を切らしながら、私に話し掛ける。

「あとでぇ、...あの子のことぉ...詳しくぅ...教えてねぇ...。」

そう言いおわり、ニッコリと微笑む香澄の手を引きながら、私は答える。

「全部教えてあげるよ。私の知っている事を。放課後...そうだな、あの樹の下でね。」


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