羽生 響の伝説
羽生 響の伝説はこのように語り継がれる・・・羽生 響はドバイの防衛大臣の第2夫人の片腕として開発され、オマーンの研究所で産声をあげた。ママにはナイショだったのに。
羽生 響は中学時代、野球部で背番号56のユニフォームを着る。しかし、ほんとはサイズが合ってなかった。
羽生 響は3日間はいた靴下のかほりがたまらなく恋しいらしい。
このころから、ウソをつくたび鼻が伸び始め、「ピノッキオ・羽生 響」と呼ばれるようになる。
この頃、反時計回りの扇風機がないことに気付くも、それがべつにどうしたこともなく、ただボンヤリと生きる。
27歳の時、居眠り中にネズミに耳をかじられる。
28歳のころ、闇の守護聖に選ばれる。
30歳の時に、主星の占いの館の占い師になる。が、守護聖様に間違えてラブラブフラッシュではなく、「マジカルフラッシュ!!」をかけてしまい、一日で首になる。
脱サラして、悪の秘密結社を結成。「ブキミ社」の誕生である。
ピノッキオ・羽生 響! ファイナルフュージョン承認!!
40歳の時懸賞にはまる。当たったのは定岡正二卓上カレンダーのみ。
45歳にしてようやく呪いが解ける。
ピノッキオ・羽生 響はのろいでうごけない!!
58歳、南極条約で疎んじられる。これは、後に『ピノッキオ・羽生 響条項』と呼ばれ、喉に刺さった魚の小骨のように歴史学者を悩ませることとなる。
羽生 響は極真会館史上初の9897人組手に成功。ただしその代償として全身を複雑骨折。そのせいで、ピノッキオ・羽生 響は『地上最強ののど自慢大将』と呼ばれるようになった。でも壊れるのは一瞬だった。
75歳、伝説の樹の下でザクの告白を受け無念の涙と共に、立ち往生を遂げた。
伝説の由来を知りたい人は、行ってみて下さい。
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