【 カウンセリングの心得〜生徒指導へのヒント 】 江夏心の健康相談室代表 江夏 亮

平成16年度 島根県高等学校教育研究大会(生徒指導部門) 講演 議事録
【期日】 平成16年8月24日・25日
【会場】 益田市人権センターあすなろ館
【主催】 島根県高等学校教育研究連合会、島根県高等学校生徒指導協議会
【後援】 島根県教育委員会、島根県高等学校PTA連合会

私は、週の半分はカウンセラーとしてクライアント(患者さん)と一対一のカウンセリングの仕事をしています。週の残りの半分は臨床心理のプラクティカム・ディレクターとして大学院学生の指導をしています。臨床心理学はアメリカの方が進んでいますが、現在では日本にいながらにアメリカの大学院の臨床心理学の修士号が取れます。そこの学生の指導です。

今日はカウンセリングの心得ということで生徒指導へのヒントになるような内容をご提供出来れば、と思っています。いろいろとお話させていただきますが、一つ、心にとめていただきたいことがあります。それは、お話しすることはあくまでもカウンセラーとして一対一でクライアントの話を聞きながら、クライアントが悩みを克服していくという状況設定の中で、こういったことが有効です、ということをお話しするわけです。皆さんは学校の先生ですから、基本的に何十人かの生徒を見ておられると思います。また、皆さんは先生という役割で生徒に接しておられます。だからカウンセラーとクライアントというほぼ同等の関係で一対一で話すというポジションとは少し違います。従って、私がお話しをする中で、皆さんの個々の実態には合わないところもあるかもしれません。そういうところは無理に取り入れる必要はありません。私が話した中でこれは使えそうだなと思う部分を持ち帰ってください。また、話したことをそのままコピーして使うのではなくて、自分なりのやり方で工夫して実践してください。これがとても大切なことです。皆さんは一人一人個性が違うのですし、また状況も違います。従って、私がお話ししたことを少し修正しながら実践することはとても大切なことだと思います。

私がアメリカで気づいた大きなことに、どうしても日本人は根が真面目というか几帳面というか、教えてもらったらその通りにやらなければいけないという体質がしみ込んでいる、ということがあります。勿論、そうでは無い方も中にはおられるかもしれませんが、多いような感じがします。カウンセラー養成の仕事の中で感じるのは、教えるとその通りにやらなくてはいけない、と学生が思いがち、という事です。少しでも違うと、「あ、間違えた」と無意識に思います。私がアメリカで学んだのは「そうではないのだと」いうことでした。カウンセリングのような一人一人を相手にする仕事は、相手にする人が毎回代わります。それから同じ人でも、先週と今週では状態が違い、変化があります。同じテクニックを使うにしても、私という人間は私という個性を持っていますし、別の人はその人の個性を持っています。ですから、その個性を活かすような形でテクニックを使っていくことが大切です。同じテクニックを使うにしても雰囲気も変わってきますし、スタイルも変わってきます。そこを一人一人が工夫することが大切なのです。言われた通りにやることが大事なのではなく、言われたことを自分なりに理解し、自分という人間を通じて自分の個性を活かしながら現場に使用し、その中において創意工夫して自分なりのやり方で実践することが大切なのです。是非、皆さんもそういう態度で私の話を聞いていただいて、何か役に立つことがあれば、それをお持ち帰りになって、皆さんなりのやり方で、皆さんの個性にあった形で使っていただきたいと思います。

これから、カウンセリングを我々がどういう具合にしてやっているかということをお話ししたいと思います。中には他のカウンセリングの研修等で既に知っておられる言葉を私が繰り返すことがあるかもしれません。その時は「ああ、なんか同じ話をしているのだな」と思うのではなくて、「それは大切だから、話す人が代わっても何回も出てくるのだ。それくらい大切なことなのだ」と理解してください。 カウンセラーはクライアントの話を聞きます。私も20年近くカウンセリングをやっていますが、この聞くという行為は、日々、自分で進化させられます。皆さんは話していて、「この人は話を聞いているな」と思う時と、この人は「聞いているふりをしているが全然聞いていないな」と思う時があると思います。聞くという行為は一見単純そうに見えますが、そんなに単純ではありません。カウンセラーは、他の人の話を聞くという行為を通じて、「話してよかった、今日はなにか本当に心が軽くなった」という具合にしてクライアントに満足を与えますが、その大きな秘密は我々カウンセラーが普段から心がけている態度にあります。これが、今日お話しする大切な部分です。これはカウンセリングという技法だけではなくて、もっと広げて、コミュニケーションにおいても大切な部分になります。その大切な要素をまず書いて一つずつ説明したいと思います。

説明図

カウンセラーマインド」と言いますけれども、最初に挙げたい要素は「(1)肯定的な関心」です。人というのは不思議なもので、「人から関心を持たれる、注目される、見られる(またはこの逆でも)」という事を通じて、心理的に何かエネルギーを交流しています。そして、関心を向けてあげるということは、子供やクライアントにとってはその行為そのものがその人に元気を与えることになります。

関心を向けてるということは、その人に心理的な作用を及ぼしています。だから、小さい子供が親の関心をひくために、「わー」と泣いたりします。そして母親や父親なりが「どうしたの?」と関心を向けてると泣き止むのです(場合によっては、してやったりと、逆に大泣きにもなりますが)。実は、子供以外でもそうです。例えば皆さんも経験があるのではないかと思いますが、思春期に誰かを好きになります。その人の関心をひくためにいろいろなことをするわけです。それはなぜかというと関心を自分に向けられると嬉しいからです。これは別に恋愛だけでなく、いろいろな人間関係でもそうではないかと思います。皆さんも自分を振り返ってみるとそうではありませんか?自分がこの人と友達になりたいと思って、その人と仲良くなって話をし始めるとそこに絆みたいなものが出来始めるのです。そして、その交流は我々の心にとって栄養となり、元気にしてくれます。大人、思春期の子供、もっと小さい子供も含めて、人間は誰かの関心が必要なのです。人というのは、心理的に、良い意味でも悪い意味でも、誰か他の人が必要なのです。

関心を向ける時に「肯定的な」というのが大切なポイントです。大雑把に分けると「否定的な向け方」と「肯定的な向け方」の2種類に大別出来るからです。「この人から見られて嫌だな、この人にこっちのほうを見て欲しくないな、この人と話したくないな」と感じることがある一方で、逆に、「この人に話しかけられたら嬉しいな、この人とは話したいな」と感じることもあるわけです。

私が会社で働いていた時、仕事が上手くいっている際には、上司が私の方を見ると嬉しいわけです。また、上手くいっている仕事について聞かれると嬉しいです。ところが、実験を何回やっても上手くいかないし、忙しさの中で頼まれていた仕事をやっていない時は逆でした。上司がちらっとこちらを見ると「見ないで」という感じで視線を避けたくなります。聞かれたくないと思っているわけだから、視線だけでも嫌ですし、ましてや怒られたり、批判されたりすると、もっと嫌でした。このように関心には2種類あります。向けられてうれしい関心と向けられて嫌な関心です。これを少し硬い言葉でいうと、「肯定的関心」と「否定的関心」といいます。否定的関心というのは批判とか、批判のための批評とか、欠点を見つけて怒るということも入ると思います。いじめなども否定的関心であろうと思います。

肯定的な関心とはどのようなものだと思いますか?自分が寄せられて、嬉しいような言葉がけです。例えば自分の上司からどういう風な言葉が寄せられたら嬉しいか、関心を寄せられたら嬉しいか、それを考えてみてください。それが肯定的関心を言葉だけではなく、具体的に理解するヒントになります。自分がかけられて元気になり、よし、明日も頑張ろうと感じるのが肯定的関心です。

肯定的な関心というのは、例えば、「(相手の)どういうところが良いのだろうか、どういうところに長所があるのだろうか?」そう思いながらその人に関心を持つことが該当します。逆に、「この人のあら粗はどこだろうか?」というようなあら粗さがしは、否定的関心になります。皆さんは、この人はなにかわからないけど自分の良いところをさがしてくれているなと感じると、安心して話せると思います。それから、褒めるというのもこれにつながると思います。また、温かく見守るというのも肯定的関心になります。恋人同士の「あなたのことが好き」という態度もこれに当たると思います。対人関係で、何かこう人間的な温かさだとか、その人のそばに居ると元気になるというのは、そういった人たちが、本人は自覚していなくても肯定的関心を身につけている、だからだと思います。人が発しているオーラというか雰囲気みたいなものがあります。そして、そんなオーラを発して人を和ませたり、温かさをくれたりといったものを感じさせてくれる人は、無意識に肯定的な関心を他者に向けているのです。

このように無意識に発せられているものでも、肯定的関心というのは、我々カウンセラーにとっては大切な要素になります。これは基本的な態度です。だから、人の話を聞くといったこととは関係なく、それとは切り離し、誰かに指導する、教える時にも大切になります。「タバコを吸ってはいけないのだよ」ということを生徒に指導する時にでもこういう肯定的関心を持って指導するのと、否定的関心を持って「だからおまえは駄目なのだ、何回言ってもわからないのだ」という感じで指導する場合では結果が異なります。そこは、多分、皆さんも経験の中でうなずかれる要素があるのではないかと思います。

肯定的関心はただ話を聞くという時だけに関係があるのではなくて、人とコミュニケーションをとること全てに関係しています。是非これを養う努力をしていただきたいと思います。専門的には、どうやってトレーニングするかという各論はありますが、まずは、肯定的関心という言葉を覚えておいてください。そして、皆さんが具体的に生徒と接する時に、この言葉を思い出して、「よし、今日は30分、自分が出来る範囲で良いからこの生徒に肯定的関心を向けながら接しよう」そう決めて話を聞いてください。そうすると結構、出来るようになります。そういった態度で練習していくと自然と身についてきます。カウンセラーといった専門家だけでなく、誰にでも出来ることです。

次に我々が「聞く」時の大切な要素は「(2)受容」です。これは生徒を受け入れる、もしくは今の状態を受け入れるということです。我々も人間だから受け入れられない時があります。それはそれで良いのです。少なくとも学校現場ではそういったことが起きるかもしれません。しかし、カウンセラーとしては、クライアントがどういう状態であろうとクライアントの今の状態を受け入れる必要があります。それが例えどんなにひどい状況にあったとしてもです。我々の所に来るクライアントは今の自分の状況を受け入れることが出来なくて、変わりたいと考えているのです。だから、カウンセラーの所に来ます。何か問題を抱えているとか、うつ状態が続いているとかです。しかし、「変わりたい、変わらなければ」という思いがあまり強すぎると、逆に人は変われないのです。今の状態が「嫌だ、変わりたい」という気持ちが強すぎると変化が起こらないところに、人の心理の複雑さがあります。

同様、我々カウンセラーがクライアントに対して「あなたは変わったほうがいい、変わらなければいけない」という思いが強すぎると、逆にクライアントはそれに抵抗して、変わらなくなります。そういう時は逆に、「あなたは変わらなくて良いではないですか、今の状態で良いではないですか」と、今の状態を受け入れてあげると、簡単に変わることが出来ることがあります。これを変化のパラドックスといいます。

時として、この生徒は変わった方が良い、変わるお手伝いをしたいという思いが強すぎると、逆に変わらないので、まず今の状態を受け入れることが大切です。人によって、話を聞くのは苦手だが、受容ならば自分は得意だという人がいると思います。そういう人は受け入れるというところからスタートしていけば良いのです。ここで大切なことは、受け入れるということはある意味で、自分が「同意」しなくても良いということです。そこを混同しないでください。受け入れるというのは「あ、今、この人はこういう状態なのだな、この人の過去のいきさつから今こういう状態にあるのは自然なことだ」と思うことです。このように相手を「受容」する事と、相手に同意することは、別の心理的作業です。

ある生徒が赤点を取った時、「この生徒は勉強しなかった、だから成績が悪いのだが、どんないきさつで勉強しなかったのか。そこにはどんな理由があったのか?」と生徒への理解を深め、「なるほど」と思うことが受け入れるということです。だからといって、その生徒の成績が赤点という事に対して、先生が同意しなくても良いわけです。そういう状況を受け入れて、なおかつ「こういう具合に君も成績を上げたいよね。じゃあどういう具合にあげるか考えようか?」と進められます。同意するということと受け入れるということは別の作業です。「こういう具合に君は今こういう状況にあるよね」と受け入れてあげるということは、同意を外すと結構出来るものです。

人というのは不思議なもので、目の前にいる人が自分のことを受け入れてくれたことがわかれば嬉しくて元気も出るし、信頼にもつながります。そして、この先生に心を開いてみようという具合になります。

これが受容する、受け入れるということです。皆さんの中で勘の良い人は察しているかもしれませんが、「(1)肯定的関心」と「(2)受容」で言っていることの言葉は違いますが、似ているところがあります。表現をしにくいことをいろいろな視点から語っているだけなのです。

そういう意味で三番目に挙げる要素もそうです。「(3)無償の愛、無償の愛情」です。これは日本語がしっくりこない部分があります。20年くらい前から私も日本語にひっかかっています。でも、具体的なことを話せば、ああそういうことかとわかると思います。愛情というものは人間にとって基本的に必要なものですけれども、案外と我々は知りません。ここで言っている愛情や愛というのは、恋人達の愛情や愛というようなものではなくて、もっと広い意味、例えば両親の子供に対する愛とか、先生の生徒に対する愛情という意味です。こういった愛情というのは2種類あります。「役に立つ、人をのびのびと元気づける愛情」とそれから逆に「人の重荷になったり、人の首を絞めてしまうような愛情」があります。後者を私はよく「ひも付きの愛、愛情」と言っています。

人の重荷になるような愛情はひも付きの愛情です。これは「あなたがもし何々をすれば、もしくはこうなれば、私はあなたに愛情をあげるよ」というような愛情です。愛情をあげるのだけれども、そこに必ず「ひも」が付いているのです。生徒の親が子供に過大な期待をして、それが子供にとってプレッシャーになってしまい、子供がつぶれたり、もしくは心理的に少しバランスを崩したりしているような状況は、親のひも付きの愛情の典型です。そういった時に、親は間違いなく子供に対して、「君がこういう風になったら愛情をあげるよ」ということを言っています。それは暗黙の内に、「そうじゃなかったらあげないよ」と言う事と同じです。

ヒモ付きの期待とはそういうものです。だから、親の期待に子供が沿えば親は喜ぶし、そこでなにか愛情を与えるのです。裏を返せば子供がそういう風にならなかったら、親は愛情をあげないというものです。我々も人間だから多少こういったことをやるわけです。それはあるバランスの中ではまだ耐えられるものであるかもしれませんが、基本的にひも付きの愛情というものはあまりよろしいものではありません。そういう愛情を寄せられた人は自分自身でいられなくなるからです。自分自身がやりたいことや、もしくは自分自身を発揮することと、親や周囲の愛情の条件が一致していれば良いのですが、一致していなければ、子供というのは自分自身を殺して、親の期待に合わせようとします。しかし、それは自分でなくなるということですから、これは気をつけなければなりません。だから、こういった愛情は出来るだけ控え、代わりに無償の愛、条件をつけない愛情をあげることが望ましいのです。それは温かく見守ることかもしれません。生徒が仮に失敗しても、それを温かく見守ることが、どのくらいできますか。それは大変なことです。親としても大変ですし、先生としても大変だろうと思います。よほど生徒を信頼しないと出来ないことです。

四番目は「(4)共感、理解する心」です。相手の立場に自分を置いて、できるだけ相手をわかってあげるということです。ここでも「受容」の場合と同様に、共感するのに「同意」が必要なわけではない、という事に留意して下さい。わかってあげる、共感するというのは「相手は今こんな風に感じているんだなあ」と思うことです。生徒で非行に走るような子供がいるとします。どうしても我々はまずはその行動を正そうと思うから、「お前はどうしてそうやって非行に走るのだ」とついついお説教をしたり、怒ったりします。お説教とか怒るというのは、先ほどお話した否定的関心の向け方が多いです(もちろん、無条件の愛のこもった場合も、ごく希にありますが)。相手に対して「お前はだから駄目なのだ」という雰囲気の時には、特にそうです。その雰囲気が否定的関心なのです。そうではなくて、そういう時に生徒が自分の心を開く態度というものは「君はどういう気持ちでそういうことをするのか少し教えて欲しい」とか、「どうしてあなたがそういうことをするのか、または、あなたが今どんな風に感じているのかを少しでも理解してあげたいのだ」と考えて接することです。

相手の立場になって考え、共感する、理解するといった態度を持つと、相手の方が変わってきます。同じ話をしても、こちらの方が共感的に「その時はそういう風に感じたの、そういうことをしたのはその前にこういうことがあって、家庭でそういう風に育って、親と喧嘩して・・・だからそういうことをしたのか、わかるよ、私でもそういう立場だったらそういう風にしたかもしれないなあ」という具合に相手のことを思いながら話を聞くと、逆に相手の方は「あ、自分のことをわかってもらえる」と思うわけです。

人には、自分というものをわかってもらいたいという欲求があります。皆さんも、友達に自分の事を判ってもらいたいでしょう?。特に分かり合える友達は、とても嬉しいものです。1言ったら10通じるわけです。わかり合いが自然に起こっています。だから嬉しいし、そういう友達と一緒にいると元気を貰うわけです。カウンセリングも同じことです。共感しながら、「なぜそういうことをしたのだろう、いったいどういう気持ちだったのだろう」ということを想像しながら話を聞いてあげると、自然と共感が深まります。繰り返しますが、これは同意することとは別です。

以上、4つの要素は、人との関わりの中で重要なので、皆さんも興味のあるところから、日常生活で試してみて下さい。どんな実験結果が得られるでしょうか?

次に、話を聞く時の「枠組み」についてお話をします。我々カウンセラーにとっては、人の話を聞く時にきちんと枠組みを作ることが重要です。枠組みを作るのはどういうことかというと、例えば、時間的に無制限に話を聞かず、ある時間枠を決める事です。それはなぜかというと、一つは聞く際に、カウンセラーは漠然と、受動的に話を聞いているのでなく、先ほど述べた4つの要素に基づき、心の中でもっと積極的に自分のエネルギーを使いながら話を聞いているからです。このように話を聞くと、思ったより疲れます。もし皆さんがこういう話の聞き方をして、今日はなぜか知らないが疲れたなと思っても、最初はそういうものだと思ってください。だんだんと話の聞き方が上手になってくれば皆さんの疲れ方も減ってきます。また、不思議なもので、本当に共感出来たり、本当に無償、無条件の愛を相手に与えられたり、本当に受け入れられたり、本当に肯定的な関心を相手に向けることが出来れば出来るほど、自分にも元気が出てきます。人間は人に何か自然に自発的に良いことをした時に嬉しい気持ちになりますが、多分、それと似たようなことだと思います。だからこういう聞き方が出来れば逆に元気を貰うことが出来ます。ところが、我々は完全ではないですから、そうなるとも限らないこともあり、そうなると疲れます。従って、日常生活の中でのべつまくなしにこれをやると身がもたないという現実があります。だから枠組みを設けるのです。

それは何かというと「時間」と「場所」の「セッティング」を決めることです。それが枠組みです。カウンセラーが人の話を聞くときには、必ず枠を決めます。何故でしょう?

皆さんが、これまでにお話した四つの要素のどれかを使って話を聞き始めたら、人というのはこういう風にして話を聞いてもらえるチャンスはなかなか無いので、相手は結構喋りだします。だから、このような態度で話を聞き始めると、放っておいたら30分、1時間、1時間30分、あっという間に過ぎてしまいます。この時、こちらも人間だからキャパシティがあります。そして、心の中で「困ったな、疲れてきたし、あと何分、この人は話し続けるのだろう、でも、折角、喜んでこの人は話しているのだし、途中で話を切るのは悪いなあ」と思うかもしれません。そこから更に、ずるずると30分、1時間と延長して話を聞くと、げっそりします。そして、ひどい時には、話を聞かなければ良かったとさえ、思うかもしれません。

これは何がおかしかったかというと、話を聞き始める時に枠組みを決めていなかった所に原因があります。どれだけの時間話を聞くかということを相手と同意してなかったことに原因があります。

このような事は看護師の方にもよくあるそうです。看護師の中で意識の高い人は、患者の話を聞いてあげる必要があることを認識しています。病院にガンなどの重い病気になって入院している人というのは、それだけで自分の中にいろいろなことが起こっています。ですから、敏感な看護師はそういうことを聞いてあげたいと思うそうです。そこでカウンセリングの勉強を始めます。カウンセリングの勉強を始めて、これまでにお話ししたことを学び、実際の看護の現場で実践します。そうすると、「枠を決めない失敗」に陥りやすいのです。患者の側からすると「この看護師は自分の話を良く聞いてくれるな」とわかり、どんどん話をし始めます。そうするとあっという間に10分、20分、30分過ぎてしまいます。ご存じのように、今の看護師は忙しいです。貴重な時間を本当は自分でマネージメントしなくてはいけないのですが、話を聞く態度がなまじ身に付いて患者につかまると、30分の時間があっという間に消えてしまいます。そのしわ寄せが当然、自分の他の仕事に影響することになります。だから、こういう具合にして話を聞こうと思う時は「どこで、何分聞くか」自分の中で枠を決めることが不可欠となります。

生徒と話をする前に「今日は40分の時間があるから40分じっくりと話をしよう」とお互いに同意してから始めても良いですし、そこまでする必要がなければ、自分の中で、今日は「40分の時間があるから、最初の25分は指導しないでじっくり話を聞くことに徹しよう」と枠組みを決めて下さい。枠組みを決めた方が上手くいきます。

カウンセラーは、今までお話ししたようなことを自分の中でやりながら話を聞いています。これを日本語では「傾聴」といいます。英語でいうともっとわかりやすく、「active listening」といいます。アクティブ(能動的)にカウンセラーは聞いているわけです。受動的ではなく、能動的に自分の意識や態度を調整しながら聞いています。そして傾聴は、前述の理由で、人を癒し、元気にし、本当に上手に出来れば、自分も元気になります。

次の話に進みましょう。今、インターネットがすごい勢いで発達しています。よくインターネット上でチャットが出来るとか、インターネット上でいろいろなことが出来ると言われます。インターネットが発達し始めた頃のアメリカでは、「インターネットで人間はとても幸せになる」という考え方によってバラ色の未来が描かれていました。「インターネットは時間と空間を越えて、だれとでもコミュニケーション出来るから、人に幸せをもたらす」という訳です。そしてある時、インターネットをしている時間とその人の心理的な満足度、健康度、充実度を調査しました。「インターネットをやっている時間が長ければ長いほど、その人は心理的に健康だし、幸せだ」という予想がなされ、それを裏付けるために調査をやったわけです。しかし、結果は違いました。インターネットを長くやっているから、その人は満足しているか、心が充実しているか、幸せか、というと、どうもそうではないということがわかりました。そこにはあまり相関がないことがわかりました。結局、言われてみれば当たり前なのですが、「人は人が必要なのだ」ということになったのです。人は直接的に人とふれあうことが必要なのです。

人と人の絆みたいなものに関して、心理学的に研究がなされて来ています。そして、最近成果をあげている学派があります。その学派では最初からダイレクトに「人には人がいる」ということを言っています。代表的なものにジョンソン博士の研究で、「attachment theory」があります。「attachment」を日本語に訳す際に、いろいろな日本語が当てはめられますが、なかなか博士の言っている「attachment」を訳す良い日本語が見つかりません。良い訳語ではないですが、「愛着」と訳される時があります。日本語で愛着があるというと、良い意味で愛着があると言う意味だけでなく、少し、否定的なニュアンスが入って来る場合もあるので、ジョンソン博士の使っている意味と少しずれます。だからカタカナで「アタッチメント」とした方がいいかもしれませんし、思い切って私が意訳するとすれば「絆」と訳すでしょう。私の感じる「絆」と博士が言っている「attachment」が、一番近いと思うからです。

さて、博士は「attachment theory」の中で、「人間は絆が必要なのだ、逆に、絆があるからこそ、人間は幸せになるし、元気になる」ということを述べています。そして、良い絆を持っていればいるほど、人間というのは困難なことやリスクに立ち向かえる、と解説しています。特に子供はそうだと言っています。子供は両親とその家族の中に良い絆があればあるほど、外で辛いことがあってもそれに耐えていけると言うのです。逆に、親との絆が強くない子供は、ちょっとしたことに傷ついて、立ち向かっていけないわけです。これは我々が常識的に観察することを直接的にそのまま言っている感じがします。

良い絆というのは、先程、お話しした四つの要素が大なり小なり入っていると思います。インターネットが人を幸せにしなかったのは、人と人の絆が結局インターネットでは起こりにくい、インターネットでチャットをしても、インターネット上に人と人の心理的な絆が出来なければ、結局は人を元気にしないわけです。

悪名高いナチスの強制収容所を生き延びた人たちの話の中に、「なにが一番辛かったかというと、もちろん肉体的な拷問は辛いけれども、それ以上に辛かったのは強制収容所で収容された一人一人がお互いに話したり連絡を取り合ったりすることを一切禁止された、それが一番辛かった」という証言があるそうです。そして、独房に入れられた人はどうしたかというと、独房の壁を叩いたそうです。それで、壁の向こうの方でもそれを待っていて「コンコン」と応答して来たそうです。「たったそれだけのコミュニケーションだけれども、それで自分は耐えられ生き延びられた」という人がいるそうです。人は、人と人の絆、つながりが必要なわけです。

よく見ると、そのつながりには「肯定的でお互いに建設的なつながり」もあるし、「否定的なつながり」もあります。非行少年がなぜ非行に走ったり、悪い仲間とつき合うのかというと、「そのグループは自分を認めてくれた」、「自分の居場所がそこにあった」という理由です。居場所が無いということは絆が無い、人とつながっていない状態で、それは本当に耐えられないわけです。絆を得るためにはたとえ非行のグループであっても、そこに居場所があって、なにがしらの絆があれば、それを選ぶわけです。だからこそ、先生の役割というのは学校の中で生徒の居場所を作ってあげることも、大切なことだと思います。それは生徒同志の絆でも良いし、生徒と先生の絆でも良いと思います。これはジョンソン博士が言っているように人間に必要なものなのです。

カウンセラーはよく、最初の面接の時にクライアントに対して、「この人は大丈夫だ」とかあるいは「危ない」というアセスメントをします。その時の一つのポイントとしては、個人的にまたは社会的にでもよいですが、クライアントが人とどれくらいのつながりを持っているか、もしくはそのクライアントのサポートシステムがどれくらいあるかを評価することが重要になります。危ないのは「孤立している人、サポートシステムの全く無い人」と言われています。「サポートシステムのある人、悩みを話し合える友達がいる人、家族と同居している人、職場がある人」などについては、そのクライアントが今どんなにバランスを崩していても心理的にもつ確率が上がります。逆に、そういうサポートシステムが無いクライアントにはとても神経を使います。例えば一人で住んでいて、あまり友達もいない、職場でもどうも孤立している、または孤独らしいと思われるクライアントです。孤立している、孤独な人間は心理的にもろいのです。

先程もお話ししましたが、特に家庭の中で両親と良い絆を持っている子供、ジョンソン博士の言い方だと家庭の中で良い「attachment」を持っている子供は、「attachment」が強ければ強いほど外に出ていろいろなことに耐えることが出来るし、リスクをとることが出来るわけです。これはある意味で我々にとって目から鱗が落ちるという側面があります。なぜかと言うと、両親との「attachment」、「つながり、人とのつながり」というのは「それは依存だ」という、ネガティブなイメージがこれまでは、ややあったからです。「お互いの依存、相互依存は良くない、だからなるべくそういう依存はない方が良い」という考え方が心理学の分野にもあったのです。極端に言えば、男女がカップルになる、あるいは結婚してお互いに支え合うというのは、「それは依存だから良くない、出来るだけ男性も女性も自立して、一人でやっていけるのが良いのだ」という雰囲気が今まではあったのです。それはある面でそうだけれども、全く100%そうだというと、おかしいと思いませんか?ジョンソン博士の理論では、依存にも「良い依存」と「悪い依存」があります。悪い依存というのは相手を縛る依存、相手に対してこうでなければ嫌だというような依存です。良い依存というのは建設的なものだと思います。そこの中には良い「attachment」や「良い絆」が出来ているのです。良い絆があれば良い影響を互いに及ぼし合います。 ここまでは「一対一のカウンセリング」について話をしてきたのですが、少し、視点を広げてみたいと思います。今度は家族を一つとして取り扱う「家族療法」、もしくは「家族という心理学の理論」からご紹介してみたいと思います。我々のやっている仕事は心理療法、セラピー、サイコセラピーと呼ばれますが、心理療法の中には幾つかのスタイルがあります。その中の一つは今までお話ししてきたカウンセリングです。カウンセリングは我々に、人の癒しに繋がる話の聞き方の基本的な在り方、態度を教えてくれます。そして個人を対象にしています。一方、個人ではなく家族に対して焦点を当てた方法として「家族療法」というのがあります。家族療法が一対一のカウンセリングとどこが違うのかを説明しましょう。

家族は一人では無く、複数の人間で構成されています。そして家族療法では、家族を(図2)の様に

図2

一つのシステムとしてとらえます。母親がいて父親がいて、子供がいるわけですが、これら全体のの家族を一つのシステムとしてとらえます。個人で見るのとシステムで見るのとどこが違うかというと、例えば、子供が問題行動を起こしたとします。従来の方法では問題行動を起こした子供だけに焦点を当ててカウンセリング等を行い、「子供が変われば当然のことながらこの子供の問題行動も無くなるだろう」という考え方でした。「問題行動を起こすのは、その子供自身に何か問題がある」という具合に考えていました。だから、焦点は子供一人に当たっていました。

家族療法では家族という一つのシステムの中で、相互作用を考えています。母親と子供、母親と父親、父親と子供、子供と子供、4人いるだけで複雑なシステムになっています。それぞれの相互作用で上手くいっているところもあるし、上手くいっていないところもあります。家族をシステムとしてとらえると、システムの中にあるいろいろなあつれき軋轢や葛藤、家族の中にあるいろいろな問題が、問題行動を起こした子供に集中しているのが見える時があります。その家族の問題をその子供が代表して問題行動として表現しているのです。なるほど、その子供の問題行動の1/2か1/3、1/4は子供の資質にも関係しているでしょう。しかしそれ以上に、家族の中の不具合や問題があって、そのしわ寄せがその子供に来ているのです。だから、この子供の問題行動はこの子の問題だというだけではなくて、家族の問題でもあるのです。

例えば父親と母親がものすごく仲が悪くて、喧嘩ばかりしているとします。子供にとって、両親が喧嘩ばかりしているというのは心理的に嫌なことです。心理的に嫌だというだけでなく、子供にとっては、生きるのに必要な、家での安心、安全、セキュリティを現実に脅かします。それは子供が小さければ特にそうです。このような状況で子供が病気になると、もしくは問題行動を起こすと、両親は喧嘩をしている暇がなくなります。喧嘩をやめて、その子供に関心を向け、その子供のケアをしなければならなくなります。すると、少なくともその間はその喧嘩が止まります。つまり、この子供の問題行動は家族の中で両親の喧嘩を止めるという機能を果たしているのです。それが、無意識にこの問題行動を起こしている子供の望んでいることですし、必要としているものでもあります。

これが家族療法の一つの考え方です。家族療法では、子供の問題行動が家族の中でどういう機能を果たしているのか、といった機能分析が必要になります。専門家でなくても、こういう視点で考えると、新しい側面が見えてきませんか?実際に問題行動を起こす子供の家庭はうまくいってなかったり、複雑だったり、崩壊しかけていたり、そういう例は多くないですか?このように、家族療法の考え方によると、子供の問題行動というのは子供だけの問題ではなくて、家族の中の問題を子供が代表して表しているにすぎず、その子供が起こしている問題は家族の中で何かある機能を果たしているわけです。ということは、実際に必要なのは子供へのアプローチだけではなく、両親へのアプローチ、先ほどの例で言えば、両親の仲が悪いことが子供の問題行動に関係あるわけですから、両親へもアプローチしなくてはなりません。

よく言われることですが、子供が問題行動を起こした場合、相談に来るのはだいたい100人中100人が母親です。父親の方には耳が痛いかもしれませんが、残念ながら父親が来ることはほとんどありません。むしろ父親は知らんふりをしていることが多いです。「子育ては母親の問題だから、おれは関係無い」といった感じで、父親は関わりを持たないケースも多いです。しかし、それが子供の問題行動の原因になっているかもしれないです。こういった場合に母親だけでなく父親もカウンセリングに巻き込むと、問題の解決が早いと言われます。父親をカウンセリングに参加させるのは難しいですが、力ずくでもその土俵に入れると、子供の問題行動の解決が早いのです。これはだいたい家族療法をやっている人は暗黙に感じています。子供の問題行動は、父親や母親の家族の中での在り方の問題でもあります。ですからそこが改善すると、意外と子供の問題行動も早く収まるのです。実は、両親のカウンセリングと教育が必要なのです。

さて、最後のテーマとしてもう一つ皆さんにお話したいことがあります。今、アメリカで実践されている問題行動への先進的なアプローチについてです。これまで、ひどい問題行動の子供達は、家族から切り離して矯正施設に入れ、そこで矯正して戻すというアプローチを取っていました。しかし、今は、もっと視点を広げ、子供を取り巻く環境にアプローチするということを始めています。環境とは(図3)の様な「家族、学校、地域(友達)、教会」などです。特に子供に直接的に影響するのは家族です。

新しい方法は、子供だけを取り出して、矯正施設に入れて矯正するというアプローチではなくて、逆にカウンセラーが子供を中心とする環境の輪の中に入っていくアプローチを取ります。まずは、家族の

図3

中に入っていきます。子供の両親のカウンセリングをしたり、ディスカッションしたりして両親を教育するわけです。週に2〜3回、家庭訪問して両親に会い、子供をどうしたら問題行動から立ち直らせることが出来るかということを両親に教育するわけです。また、家族だけでなくて担任の先生等の学校にも、どうやって子供を、再度、良い繋がりを学校と持たせられるか、アプローチしていきます。部活が使えるかもしれません。また、何か子供が興味を持つ学校のプロジェクトへの参加かもしれません。もしくは学校の成績が少しでも良くなったらそれを一生懸命に褒めて子供を勇気づけることかもしれません。それから地域へのアプローチです。アメリカでは地域にギャング等がいる可能性があり、そのつながりを断つことなどが大切になります。また、教会のように社会に対して建設的に関わっている人達にも、子供がもう一度関わりを持てるようにアプローチしていきます。

こういう具合に子供をとりまく環境というのは実は家族というシステムだけではなく、システムがいくつもあるわけです。そういう意味では多層構造になっているわけです。この様な「Multi Systemic Therapy(MST)」という考え方がアメリカの先端的なところでは行われるようになって来ました。そして、MSTの方が旧来の矯正施設に入れることよりも効果的であるという研究報告が出始めています。また、費用も最終的に安くつくといわれています。この方法は子供とか家族がカウンセラーのところに来るのを待っているのではなく、カウンセラー、セラピストが積極的にシステムの中に入って、つまり、子供とか家族のところに出かけて行って、教育をしていくのです。こういうアプローチがアメリカでは研究、実践されているということを最後にお話しておきます。

これで終わりですが、今日の話をまとめましょう。一対一でのカウンセリングで必要な事は、「肯定的な関心を向けること」、「子供やクライアントの今の状態を受け入れること」、「相手に対して、無償の愛情、ひも付きでない愛情、広い心での愛情を注ぐこと」、そして、「共感する、相手を理解する態度」、の四つの要素です。結局は同じ様なことを言っているのですが、そういった態度が話を聞くという時に重要になります。そういったものを身に付けると自然と相手の方から話してくれます。その次に話したのは、人は人とのつながりが必要なのだということです。ジョンソン博士が言っているように、子供は両親と強い絆があればあるほど、逆境にも耐えることが出来るし、思い切って勇気のある行動がとれます。外に出て友達からいじめられることがあっても、家庭の中の絆がしっかりしていれば、それだけいじめを乗り越えられる確率が上がります。ところが、家庭での絆が弱ければ、いじめに傷ついて、引きこもりになるかもしれません。そういう意味で、ジョンソン博士の「attachment theory」、もしくは「絆」について、我々も、もう一度考え直す必要があると思います。次に、一人の子供というところから、対象を拡大して家族というところに目を広げた時に、子供の問題行動というのは、実は子供だけの問題では無く、家族の中の病理や問題が子供を通じて表現しているにすぎないという側面があります。子供の問題ではなくて、家族、特に父親と母親の問題を扱うことも必要なのです。そして、その延長として、深刻な問題を起こす子供に対して、アメリカでは家族、学校、教会地域といった多層のシステムのそれぞれにセラピストがアプローチして、子供を取り巻く環境を変えていこうとする試みが始まりました。子供を変えるのではなく、子供にとって良い環境を作る事を通じて、子供の変化を促していくというMSTのアプローチがアメリカで注目され、従来の子供だけを対象にして矯正施設にいれるというやり方よりもより効果的だという研究報告があることを最後にして、今日の話のを終わりにしたいと思います。

(質問)

 私の身近にとても人を褒める人がいます。人を褒めるというのは、先生のお話しの肯定的関心の表れだと思うのですが、私自身がその人に褒められても、また、その人が別の人を褒めておられるのを見ていても、エネルギーを与えられるというよりは奪われるという気持ちになるのです。私だけでなく他の人も同じように感じているようです。これはなぜでしょうか。逆に、私たちが生徒を言葉で褒める時も生徒のエネルギーを奪っているようなことがあれば、それは良い指導にならないのではないかと思います。よろしくお願いいたします。

(回答)

 もう少し、詳しくお話を聞かなければ本当のことはわかりません。ただ、考えられる可能性は2つあります。1つは、今日話さなかったカウンセラーにとって必要とされる「自己一致」という概念と関係する事です。カウンセラーは「自己一致」する必要があります。いくら言葉で褒めても、本当にはそう思って褒めてない限りはパワーがありません。いくらうわべで褒めていても、心の中で「こいつなあ」と別の事を思っていれば、それが相手に通じるわけです。そういう意味で自己一致が大切になります。つまり、その良く褒める方も心の中では自己一致がとれていなくて、否定的な関心を向けている可能性があります。もう一つは、褒めるということを使って、それをひも付きの愛情で使っている可能性も考えられます。だから、褒めてこいつに何かやらせようとか、褒めてこの人をこういう風にしたいという操作の思いがあまりにも強すぎるという可能性があります。ひも付きの愛情を経験している時はエネルギーをとられるような感じがします。本当に無償の愛情とか肯定的な関心が上手くいっているというのは、それを行っている人が自己一致している時ですが、我々は何かエネルギーを貰った感じがします。