魔法の矢
魔法の矢

 とある国に一人の射手がいた。
 その男は矢をひとたび放てば、外す事の無いと謳われる程の名手
であった。
 ある時、その名射手に一人の男がこう聞いた。
「あなたは多くの戦で功を納めている。どうすれば、あなたの様に
なれるのか?」
 その問いに、名射手は少し間を置き、軽く頷くとこう答えた。
「何の事は無い。私はここぞと言う時には、悪魔より譲り受けた、
特別な矢を使うだけだ」
 その答えに、重ねて男が聞く。
「特別な矢とは?」
 名射手は答えた。
「その矢は、一矢放つ度に私の寿命を一月奪っていく。だが、その
矢が的を外す事は無い」

 さて、その話を風の噂で耳にした、一人の男がいた。その男もそ
の国の射手であり、いつも、戦での活躍を夢に描いていた。
 男は考えた。
「私にも、その矢があったなら」
 その男の耳に、ある山に悪魔が住んでいると言う噂が届く。男は
躊躇せず、その山へと向かった。近々、大きな戦が行われると言う、
噂もあったからである。
 山に登り始めて暫くすると、急に辺りに霧が立ち込めた。そして、
何者かの声が聞こえてきた。
「我が棲家に何用だ、人の子よ?」
 その声に、男は頬を緩ませ、尋ねた。
「お前がこの山に住むと言う悪魔か?」
「そうだ。それを知っていて、ここまで来たのか」
 男は迷う事なく、こう告げた。
「私に必ず標的を射抜く、魔法の矢を与えて欲しい」
「良いだろう。だが、条件がある、この矢を一矢放つ毎に……」
 と、男は悪魔の言葉を遮って、こう言った。
「寿命を奪うと言うのだろう? それは、わかっている。さぁ。早
く、矢を!」
 暫くの沈黙がその場に流れた。と、男の背後で、何か物が落ちる
様な音がした。
 男が振り向くと、そこには矢の束が置かれていた。その矢は、青
白い光を帯びていた。
 男は喜び勇んで、矢の束に駆け寄ると、それを高々と持ち上げた。
「これで、私も手柄を立てられるぞ」
 その後、男は山を降り、家へと戻ると矢の数を数えた。矢は十本
あった。
「十ヶ月、約一年の寿命か。だが、それだけの犠牲で、多くの恩賞
を得られるのならば」
 男はそう、呟いた。

 数日後、男は戦場に出た。背中の矢筒には、魔法の矢があった。
 その戦は後の歴史に残る様な、とても大きな戦であった。当然、
その恩賞も名誉も、大きな物となる。
 男は躍起になって、敵将と思われる姿を探し出して、魔法の矢を
放った。矢は次々と敵将の息の根を止めていった。
「素晴らしい。この矢さえあれば、私は英雄となれる!」
 男は有頂天になっていた。そのため、自らの変化に気づかなかっ
た。
 その変化に気づいた周囲も、何も言わなかった。いや、何も言え
なかった。
 気づくと、男の矢筒の中身は空になっていた。男は周囲を見た。
戦況はこちら側に有利に展開していた。
 一息入れると、男は額に流れる汗を手で拭った。と、拭った手に
無数の髪の毛が絡まっている事に男は気がついた。
 暫くの間、男はその理由に気がつかなかった。やがて、男はわな
わなと肩を震わせて、こう呟いた。
「まさか」
 恐る恐る男が片手を頭に伸ばし、ゆっくりと髪の毛を引っ張る。
その髪の毛は、驚くほどにあっさりと抜け落ちてしまった。
「馬鹿な!」
 男は叫んだ。そして、自らの手に無数の皺がある事に、そこで初
めて気がついたのである。

 数刻後、男は山の中を歩いていた。あの後、戦場を抜け出して、
どうやってここまで来たのか、男は覚えていなかった。
 男は悪魔の声を聞いた場所に向かって、歩き続けていた。その男
の足取りは、覚束ない物だった。
「どこに……、いる?」
 掠れる声で、男がそう呟く。すると、それに答える様に、悪魔の
声が山の中に響いた。
「お主か」
 その声を聞いた途端、男の顔は怒りの余り真っ赤に染まった。
「騙したな!」
 男が叫ぶ。
「騙した? 何の事だ?」
「寿命だ! 一体、私から、何年の寿命を奪ったのだ?」
「その様子だと、全ての矢を使ったのであろう? ならば、五十年
だ」
 その声に、男は目を見開いた。
「約束が違う。一年との約束だろう?」
「その様な約束はしていないはずだが? そもそも、説明を遮った
のは、人の子よ。お主自身であろう?」
「そんな。じゃあ、なぜ、あの男は一ヶ月なのだ?」
「何を勘違いしているのかは知らぬが、お主以外にあの矢を渡した
事は無いが?」
 その瞬間、男は唖然とした表情のまま、その場に崩れ落ちた。そ
して、その男は二度と立ち上がる事は無かった。

 とある日、訓練所に一人の男の姿があった。男は黙々と遠くの的
に向かって、矢を放っていた。その男は、名射手と言われている男
だった。
 と、そこに別の男が近づき、こう声をかけた。
「魔法の矢を持つと言う、あなたが日々の訓練を絶やさないとは、
不思議ですね」
 その問いに、名射手は苦笑してこう答えた。
「はは。もし、本当にその様な矢を持っていたとしても、私は怖く
て使えない。私は臆病なのでね」
 そう答えると、名射手は矢を放った。その矢が的の中心を貫く。
「日々の訓練を絶やさぬ事が、何の変哲も無い矢を魔法の矢に変え
る。私はそう思っている」
 名射手はそう言うと、訓練所から去っていった。

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