捕らわれた天使
捕らわれた天使


「わざわざ呼び出すとは、一体、何の用事だ、ヴェルスター?」目
の前に出された紅茶を一口飲むと、男はそう目の前の初老の男に聞
いた。
「つい最近、わしは夢を見たよ、ブラウ」
「夢?」
「そうじゃ。世界が滅びる夢じゃ。自ら放った、滅びの矢に身を貫
かれる、愚かな人類の末路じゃ」そう言った、ヴェルスターの目は、
無気味に輝いていた。
「まさか、そんな夢の話を聞かせるために、私は呼んだんじゃない
だろうな?」そう、ブラウが眉を顰めて、聞く。
「だが、人類が必ずしも、滅びるとは限らない。滅びは、可能性の
一つに過ぎない。では、どうすれば、我々は助かるのか?」
「ヴェルスター」ブラウが多少、声を大きくして言う。
「簡単な事だ。神を屠れば良い。滅びの矢は天へと向かって、放て
ば良いのじゃ」そう言いながら、ヴェルスターは頭上を指差した。
「ふぅ。ヴェルスター、君は正気ではないようだ。そんな君に付き
合う時間は、私には無いので、ね。ここで、お暇させて貰おう」そ
う溜息を吐いてから言うと、ブラウはゆっくりと立ち上がった。
「まあ、待て。わしもつい、熱くなり過ぎたようじゃ。今日、おま
えさんを呼んだのは他でも無い。これじゃ」そう言うと、ヴェルス
ターは一枚の設計図を広げた。
 それにブラウが興味を示し、覗き見る。その設計図には砲台のよ
うな物が書かれていた。
「砲台か? だが、余程の物でない限り……」と、ブラウは砲台の
後部部分を見て、声を失った。
「これは、何だ、ヴェルスター?」
「天使じゃよ」そう、ヴェルスターが含み笑いを浮かべる。
「天……。ヴェルスター、これも夢で見た物なのか?」そう、ブラ
ウが呆れ顔で聞く。
「まあ、信じられんのも、無理は無い。じゃが、これを見て、どう
思うかな?」そう不気味な笑みを浮かべると、ヴェルスターは立ち
上がった。
「地下室で面白い物を見せてやろう」

 静けさの中に、地下室へと降りる二人の足音だけが響く。
(見せたい物……? 一体、ここに何があると言うんだ?)
 ブラウはそう考えながら、ヴェルスターの背中を見詰めていた。
と、二人は階段の終わりへと辿り着き、ヴェルスターが地下室に足
を踏み入れると、地下室に明かりが灯った。
「な……?」地下室へと入ったブラウは、驚きの声を上げた。
 地下室には様々な装置や計器類があった。そして、その中に一つ
だけ異質な物があった。機械仕掛けの十字架と、それに繋がれた一
人の女性。項垂れるその女性の背中からは、白い翼が生えているよ
うに見えた。
 ブラウが思わず、駆け寄ろうとする。が、それをヴェルスターは
止めた。
「それ以上、近づかん方が良い。死にたくなければ、な」
 と、女性が顔を上げ、二人の方を向く。その女性の両目は醜く焼
け爛れていた。
「音と臭いで、こちらの居場所が分かるようでな。実験用に、多少、
自由に力を使えるようにしているから、余り近づくと人間など簡単
に殺されてしまう」
「……」ブラウは何も言葉にならず、その天使の姿からも目を離せ
なかった。
「さて、どうする? おまえさんは従兄弟じゃから、最初に話をし
たが、軍には他に知り合いもおる。この国である必要性も無い」
「わかった。あんたの言う事を信じよう」引き剥がすように天使の
姿から目を逸らすと、ブラウはそう頷いた。
 その後、二人は地下室を出た。そして、ブラウは設計図を受け取
り、ヴェルスターの家から去っていった。その時、ヴェルスターは
こう、ブラウに告げた。
「ブラウ。おまえさんはさっき、わしを正気ではないと言った。し
かし、果たしてこの世に、真の意味での正気を保っている者がいる
物であろうか?」

 半年後、ブラウは伴を連れ、戦場へと赴いた。そこには、巨大な
一台の砲台があった。
「やっと、ここまで来れましたね、ブラウ様」
「仕方があるまい。物が物だからな」ブラウがそう、答える。
 と、ブラウの方に一人の男が駆け寄ってくる。
「ブラウ様、神罰砲の準備、滞りなく完了致しました」
「そうか。御苦労であった。標的はどうなってる?」
「はっ。北西の方角にガーゴイルの存在を確認しており、こちら側
に誘導する手筈となっております」
「なるほど、あれだな」ブラウがそう、北西の方角を指差す。
 ブラウの指差した先には、空を飛ぶ複数の物体があった。それは、
段々とこちらに近づいており、やがて、翼を生やした人間型の生き
物である事がわかってきた。
「良し。君、撃ち給え」そう、ブラウが砲手の方を見て、言う。
「ですが、遠すぎませんか?」と、砲手がブラウを振り返って聞く。
「これくらいの距離で通用せねば、意味は無い。撃ち給え」
「解りました」そう答え、砲手が前方を見る。
 砲手が一つ大きく息を吐き、右手を神罰砲の引き金にかける。そ
して、照準機を覗く。と、神罰砲の砲台がゆっくりと動き出す。
「照準は自動か?」ブラウが横の男に聞く。
「はい。砲手の視線から、判断しています」
「撃ちます」と、砲手が言う。
 砲手が引き金を引く。すると、神罰砲は唸るような音を発て、次
の瞬間、ガーゴイル目掛けて光の弾を放った。
 と、それを見た、ブラウは目を丸くした。そして、右手で強く両
目を擦る。
(目の……、錯覚か? 光の中に、天使の姿が……)
「ブ、ブラウ様」と、横の男が震える声で言う。
「どうした?」その声で、ブラウが我に帰る。
「ガーゴイルが全滅しました」
「馬鹿な。一体や二体、残ってるはずだ」
 ブラウが前方を見る。が、そこには、ガーゴイルの影も形も残っ
ていなかった。
「いや、待て。有り得る。目に見える範囲と実際の影響範囲の違い、
か」
「違い、ですか?」
「そうだ。生きとし生ける物、全てに魔法結界は存在する。だが、
それは普段は目には見えない。それは、確かにそこにあるのだがな」
「はぁ」
「私は学者じゃないから、詳しい事はわからん。だが、これだけは
確かだ。神罰砲は使える」
 ブラウは身が震えるのを感じていた。それが、この結果に対する
驚きからなのか、あるいは別の何かなのかは、ブラウにはわからな
かった。
「城に戻る。実験は続けていてくれ。何かあった場合は、連絡を入
れるように」

 その数週間後、神罰砲は正式な兵器として、採用される事が決まっ
た。そして、ブラウはその報を手に、ヴェルスターの館へと向かっ
た。
「ヴェルスター、どこだ?」そうブラウが館の扉を開けて、中に入
る。
 が、ヴェルスターの出てくる気配は無い。それを見ると、ブラウ
は苦笑し、二階へと上がっていった。
(また、部屋に閉じ篭もってるな?)
 と、ブラウが二階の一室の扉を開ける。が、その部屋にも人影は
無かった。あるのは、椅子と机とその上に乱雑に置かれている、何
かの設計図の様な物だけである。
「ヴェルスター?」そう呟いたブラウは、何か嫌な予感を感じ取っ
た。
(地下、か?)
 と、ブラウが部屋を出て、一階へと駆け降り、地下室へと向かう。
そして、地下室への扉を開いた時、ブラウは嫌な匂いを嗅ぎ、思わ
ず鼻と口を押さえた。
(何だ、この匂いは? まさか!)
 ブラウが階段を駆け降りる。匂いは階段を降りると共に強まり、
息をするのも辛くなってきた。
 階段が終わり、ブラウは地下室の前へと辿り着いた。明かりが灯っ
ていない為、地下室の様子はそこからでは良くわからない。が、ブ
ラウにはそこに淀んだ空気が漂っているのが、見えるような気がし
た。
 ブラウが息を呑み、地下室へと足を踏み入れる。それに合わせ、
地下室に明かりが灯る。
「ヴェルスター……」瞬間、ブラウが顔を蒼白に染め、呟く。
 ブラウの視線の先には、ヴェルスターと天使の無残な姿があった。
ヴェルスターの首筋に食らいつき覆い被さる天使には、両手は肘か
ら先が、両足は膝から先が無くなっていた。
 天使の封じられていた十字架にブラウが視線を移すと、そこには
天使の両手と両足が無残に残されていた。

 その後、極秘裏に天使の死体は処理され、ヴェルスターは埋葬さ
れた。残された、ヴェルスターの実験結果・資料・設計図等は全て
押収される事になった。
 その中の一つに、神滅砲と殴り書きされた設計図があった。が、
その設計図が日の目を見るのは、二百年以上後の事になる。

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