| ふぶきのあした | 木村裕一作 あべ弘士絵 講談社 2002.06.11 |
「あらしのよるに」シリーズ第六巻、完結編。
賛否両論だと言う。今まで子供に読み聞かせて来たお母さんが、ことここに至って「読んでやれない」と言うのだそうな。それは何故か。いったい、どんな結末を期待していたのか。それこそを聞きたい。
「あらしのよるに」シリーズは、最初から甘えがなかった。奇麗事がほとんどなかった。喰うものと喰われるものとの友情は成立するか? という命題を、通常の本能の世界の元で問うたなら、結末は最初から見えている。「くまさんの四季」*1)じゃあるまいし、喰うものと喰われるものが仲良く共存できる森など、普通は有ろう筈が無い。最初から救いなど無いのだ。結末のパターンはいろいろあるだろうけれど、どれも切なく悲しいものになるのは当然なのだ。
だから、敢えて言いたい。その非常識に挑戦してしまった以上、どんな結末でも彼らは幸せだったのだと。どちらが可哀想…などというものは無い。彼らは覚悟を決めて立ち向かったのだから、それがどんな結末であれ、彼らはしっかりと受け止め、受け入れるだろう。
この話の結論を、所詮、異なる世界のものが共に仲良くする事などできないのだ…という風に導くのはどうかと思う。彼らはそんな事は最初から解っているのだから。その中で、自分たちが選んだ道をどう生きるか、どこに幸せを感じるか、そして、どこに存在価値を見出すか、彼らはそれを追求したのだから。互いを信じ合い、自らにできる事を貫き通したのだから。
そしてこの話は、きっと語り継がれて行くのだろう。この想いはどこかに受け継がれて行く事だろう。継がれ継がれたその波が大きくうねった時、後の世で、何かが変わる可能性はある。彼らはその、小さな芽吹きだったのかもしれない。それも奇麗事、御都合主義かもしれないけれど、でも、そう考えたら、少しは救われないかい?
*1)「くまさんの四季」:漫画家和田慎二が昔、森の動物を擬人化して描いた漫画。ある森では、強くて優しいくまさんを中心に、肉食獣も草食獣も食らい合う事無く仲良く暮らしている… というお話。
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