親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写


四十三


 くだらせたまひてのち、なにごとか候ふらん。この源藤四郎殿におもはざるにあひまゐらせて候ふ。便のうれしさに申し候ふ。そののちなにごとか候ふ。
 念仏の訴へのこと、しづまりて候ふよし、かたがたよりうけたまはり候へば、うれしうこそ候へ。いまはよくよく念仏もひろまり候はんずらんとよろこびいりて候ふ。

 これにつけても御身の料はいま定まらせたまひたり。念仏を御こころにいれてつねに申して、念仏そしらんひとびと、この世・のちの世までのことを、いのりあはせたまふべく候ふ。御身どもの料は、御念仏はいまはなにかはせさせたまふべき。ただひがうたる世のひとびとをいのり、弥陀の御ちかひにいれとおぼしめしあはば、仏の御恩を報じまゐらせたまふになり候ふべし。よくよく御こころにいれて申しあはせたまふべく候ふ。

聖人(源空)の二十五日の御念仏も、詮ずるところは、かやうの邪見のものをたすけん料にこそ、申しあはせたまへと申すことにて候へば、よくよく念仏そしらんひとをたすかれとおぼしめして、念仏しあはせたまふべく候ふ。

 またなにごとも、度度便には申し候ひき。源藤四郎殿の便にうれしうて申し候ふ。あなかしこ、あなかしこ。
 入西御坊のかたへも申したう候へども、おなじことなれば、このやうをつたへたまふべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。
             親鸞
 性信御坊へ

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