親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写


三十三

 九月二十七日の御文、くはしくみ候ひぬ。さては御こころざしの銭五貫文、十一月九日にたまはりて候ふ。

 さてはゐなかのひとびと、みなとしごろ念仏せしは、いたづらごとにてありけりとて、かたがたひとびとやうやうに申すなることこそ、かへすがへす不便のことにきこえ候へ。やうやうの文どもを書きてもてるを、いかにみなして候ふやらん。かへすがへすおぼつかなく候ふ。

 慈信坊のくだりて、わがききたる法文こそまことにてはあれ、日ごろの念仏は、みないたづらごとなりと候へばとて、おほぶの中太郎の方のひとは九十なん人とかや、みな慈信坊の方へとて中太郎入道をすてたるとかやきき候ふ。いかなるやうにてさやうには候ふぞ。詮ずるところ、信心の定まらざりけるときき候ふ。いかやうなることにて、さほどにおほくのひとびとのたぢろき候ふらん。不便のやうときき候ふ。またかやうのきこえなんど候へば、そらごともおほく候ふべし。

また親鸞も偏頗あるものときき候へば、ちからを尽して『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力の文』のこころども、二河の譬喩なんど書きて、かたがたへ、ひとびとにくだして候ふも、みなそらごとになりて候ふときこえ候ふは、いかやうにすすめられたるやらん。不可思議のことときき候ふこそ、不便に候へ。よくよくきかせたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。
  十一月九日      親鸞
 慈信御坊

 真仏坊・性信坊・入信坊、このひとびとのこと、うけたまはり候ふ。かへすがへす、なげきおぼえ候へども、ちからおよばず候ふ。また余のひとびとのおなじこころならず候ふらんも、ちからおよばず候ふ。ひとびとのおなじこころならず候へば、とかく申すにおよばず。いまはひとのうへも申すべきにあらず候ふ。よくよくこころえたまふべし。
             親鸞
 慈信御坊

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