親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写


二十五

 六月一日の御文、くはしくみ候ひぬ。さては、鎌倉にての御訴へのやうは、おろおろうけたまはりて候ふ。この御文にたがはずうけたまはりて候ひしに、別のことはよも候はじとおもひ候ひしに、御くだりうれしく候ふ。

 おほかたはこの訴へのやうは、御身ひとりのことにはあらず候ふ。すべて浄土の念仏者のことなり。このやうは、故聖人(源空)の御とき、この身どものやうやうに申され候ひしことなり。こともあたらしき訴へにても候はず。性信坊ひとりの沙汰あるべきことにはあらず。念仏申さんひとは、みなおなじこころに御沙汰あるべきことなり。御身をわらひまうすべきことにはあらず候ふべし。

念仏者のものにこころえぬは、性信坊のとがに申しなされんは、きはまれるひがことに候ふべし。念仏申さんひとは、性信坊のかたうどにこそなりあはせたまふべけれ。母・姉・妹なんどやうやうに申さるることは、ふるごとにて候ふ。さればとて、念仏をとどめられ候ひしが、世に曲事のおこり候ひしかば、それにつけても念仏をふかくたのみて、世のいのりに、こころにいれて、申しあはせたまふべしとぞおぼえ候ふ。

 御文のやう、おほかたの陳状、よく御はからひども候ひけり。うれしく候ふ。詮じ候ふところは、御身にかぎらず念仏申さんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために念仏を申しあはせたまひ候はば、めでたう候ふべし。

往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ。

 なほなほ、疾く御くだりの候ふこそ、うれしう候へ。よくよく御こころにいれて、往生一定とおもひさだめられ候ひなば、仏の御恩をおぼしめさんには、異事は候ふべからず。御念仏をこころにいれて申させたまふべしとおぼえ候ふ。あなかしこ、あなかしこ。
  七月九日       親鸞
 性信御坊

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