仏智不思議と信ずべき事
御文くはしくうけたまはり候ひぬ。さては御法門の御不審に、一念発起のとき、無碍の心光に摂護せられまゐらせ候ふゆゑに、つねに浄土の業因決定すと仰せられ候ふ。これめでたく候ふ。かくめでたくは仰せ候へども、これみなわたくしの御はからひになりぬとおぼえ候ふ。ただ不思議と信ぜさせたまひ候ひぬるうへは、わづらはしきはからひあるべからず候ふ。
またある人の候ふなること、出世のこころおほく浄土の業因すくなしと候ふなるは、こころえがたく候ふ。出世と候ふも、浄土の業因と候ふも、みなひとつにて候ふなり。すべてこれ、なまじひなる御はからひと存じ候ふ。仏智不思議と信ぜさせたまひ候ひなば、別にわづらはしく、とかくの御はからひあるべからず候ふ。
ただひとびとのとかく申し候はんことをば、御不審あるべからず候ふ。ただ如来の誓願にまかせまゐらせたまふべく候ふ。とかくの御はからひあるべからず候ふなり。あなかしこ、あなかしこ。
五月五日 親鸞[御判]
浄信御房へ
袖書にいはく
他力と申し候ふは、とかくのはからひなきを申し候ふなり。