なにごとよりは、如来の御本願のひろまらせたまひて候ふこと、かへすがへすめでたく、うれしく候ふ。そのことに、おのおのところどころに、われはといふことをおもうて、あらそふこと、ゆめゆめあるべからず候ふ。京にも一念・多念なんど申すあらそふことのおほく候ふやうにあること、さらさら候ふべからず。
ただ詮ずるところは『唯信鈔』・『後世物語』・『自力他力』、この御ふみどもをよくよくつねにみて、その御こころにたがへずおはしますべし。いづかたのひとびとにも、このこころを仰せられ候ふべし。
なほおぼつかなきことあらば、今日まで生きて候へば、わざともこれへたづねたまふべし。また便にも仰せたまふべし。鹿島・行方、そのならびのひとびとにも、このこころをよくよく仰せらるべし。一念・多念のあらそひなんどのやうに、詮なきこと、論じごとをのみ申しあはれて候ふぞかし、よくよくつつしむべきことなり。あなかしこ、あなかしこ。
かやうのことをこころえぬひとびとは、そのこととなきことを申しあはれて候ふぞ、よくよくつつしみたまふべし。かへすがへす。
二月三日 親鸞