親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写


十五

 閏十月一日の御文、たしかにみ候ふ。かくねむばうの御こと、かたがたあはれに存じ候ふ。親鸞はさきだちまゐらせ候はんずらんと、まちまゐらせてこそ候ひつるに、さきだたせたまひ候ふこと、申すばかりなく候ふ。

かくしんばう、ふるとしごろは、かならずかならずさきだちてまたせたまひ候ふらん。かならずかならずまゐりあふべく候へば、申すにおよばす候ふ。かくねんばうの仰せられて候ふやう、すこしも愚老にかはらずおはしまし候へば、かならずかならず一つところへまゐりあふべく候ふ。

明年の十月のころまでも生きて候はば、この世の面謁疑なく候ふべし。入道殿の御こころも、すこしもかはらせたまはず候へば、さきだちまゐらせても、まちまゐらせ候ふべし。人人の御こころざし、たしかにたしかにたまはりて候ふ。

なにごともなにごとも、いのち候ふらんほどは申すべく候ふ、また仰せをかぶるべく候ふ。この御文みまゐらせ候ふこそ、ことにあはれに候へ。なかなか申し候ふもおろかなるやうに候ふ。またまた、追つて申し候ふべく候ふ。あなかしこ、あなかしこ。
 閏十月二十九日 親鸞(花押)
 高田の入道殿御返事

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