親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写



 御文たびたびまゐらせ候ひき。御覧ぜずや候ひけん。なにごとよりも明法御房の往生の本意とげておはしまし候ふこそ、常陸国うちの、これにこころざしおはしますひとびとの御ために、めでたきことにて候へ。往生はともかくも凡夫のはからひにてすべきことにても候はず。めでたき智者もはからふべきことにも候はず。大小の聖人だにも、ともかくもはからはで、ただ願力にまかせてこそおはしますことにて候へ。ましておのおののやうにおはしますひとびとは、ただこのちかひありときき、南無阿弥陀仏にあひまゐらせたまふこそ、ありがたくめでたく候ふ御果報にては候ふなれ。とかくはからはせたまふこと、ゆめゆめ候ふべからず。

さきにくだしまゐらせ候ひし『唯信鈔』・『自力他力』なんどのふみにて御覧候ふべし。それこそ、この世にとりてはよきひとびとにておはします。すでに往生をもしておはしますひとびとにて候へば、そのふみどもにかかれて候ふには、なにごともなにごともすぐべくも候はず。法然聖人の御をしえを、よくよく御こころえたるひとびとにておはしますに候ひき。さればこそ往生もめでたくしておはしまし候へ。

 おほかたは、としごろ念仏申しあひたまふひとびとのなかにも、ひとへにわがおもふさまなることをのみ申しあはれて候ふひとびとも候ひき。いまもさぞ候ふらんとおぼえ候ふ。明法房などの往生しておはしますも、もとは不可思議のひがことをおもひなんどしたるこころをもひるがへしなんどしてこそ候ひしか。

われ往生すべければとて、すまじきことをもし、おもふまじきことをもおもひ、いふまじきことをもいひなどすることはあるべくも候はず。貪欲の煩悩にくるはされて欲もおこり、瞋恚の煩悩にくるはされてねたむべくもなき因果をやぶるこころもおこり、愚痴の煩悩にまどはされておもふまじきことなどもおこるにてこそ候へ。

めでたき仏の御ちかひのあればとて、わざとすまじきことどもをもし、おもふまじきことどもをもおもひなどせんは、よくよくこの世のいとはしからず、身のわろきことをおもひしらぬにて候へば、念仏にこころざしもなく、仏の御ちかひにもこころざしのおはしまさぬにて候へば、念仏せさせたまふとも、その御こころざしにては順次の往生もかたくや候ふべからん。よくよくこのよしをひとびとにきかせまゐらせさせたまふべく候ふ。かやうにも申すべくも候はねども、なにとなくこの辺のことを御こころにかけあはせたまふひとびとにておはしましあひて候へば、かくも申し候ふなり。

この世の念仏の義はやうやうにかはりあうて候ふめれば、とかく申すにおよばず候へども、故聖人(源空)の御をしえをよくよくうけたまはりておはしますひとびとは、いまももとのやうにかはらせたまふこと候はず。世かくれなきことなれば、きかせたまひあうて候ふらん。

浄土宗の義、みなかはりておはしましあうて候ふひとびとも、聖人(源空)の御弟子にて候へども、やうやうに義をもいひかへなどして、身もまどひ、ひとをもまどはかしあうて候ふめり。あさましきことにて候ふなり。京にもおほくまどひあうて候ふめり。まして、ゐなかはさこそ候ふらめとこころにくくも候はず。なにごとも申しつくしがたく候ふ。またまた、申し候ふべし。

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