四国旅行記(その3 徳島編)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

2003年11月28日(金)

 新阪急ホテルの朝食は、バイキング形式である。 レストランではなく、宴会場が朝食会場になる。如何せん、こういうホテルの朝食は高い。1人1600円のはず。若い頃なら苦もなく元を取ったが、50歳になると、そうもいかぬ。それでも、食べたいものは、あらかた食べ尽くしたので悔いはない。
 朝食会場に、俳優の黒沢年男が入ってきた。眠そうな顔をしている。そういう顔を撮るのは失礼なので、カメラを向けるのは止めた。以前、大阪天王寺のホテルで、イッセー尾形と同じエレベーターに乗り合わせたことがあるが、その時の彼は、もっと酷い顔をしていた。二日酔いで、壁に凭れて、かろうじて立っていた。芸能人というのも大変なのだろうと、勝手な想像をしたのを覚えている。

祖谷渓温泉

 8時半に新阪急ホテルを出発して、祖谷渓温泉(いやけいおんせん)を目指す。高速道路に上がり、大豊インターチェンジで降りて、国道32号線を走る。奇岩の続く渓谷大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)の手前、上名で右折して、県道45号線に入る。ここからは、お馴染みの山道。対向車に怯えながら、ひたすら走り続けるのみ。

 県道32号線に出て、県道45号線は終わる。左折すると祖谷温泉、右折するとかずら橋に到る。まずは温泉を目指して左折。この時期、道路工事のために、時間を区切って通行止めになるようで、運が悪ければ、1時間ほど待たされる。道幅が狭く、片側交互通行にできない個所があるからだろう。時間に余裕がない場合、シーズンオフにこの地を訪ねるのは無理である。

 左の写真が小さくて判りづらいが、写真右上の建物が目指すホテル祖谷温泉である。中央左下に小さく見える白いのが、谷底の露店風呂へ行くためのケーブルカー。高低差は170m、軌道の傾斜は42°にもなる。
 右の写真は、ホテルの建物脇のケーブルカー乗り場から谷底を写したもの。結構、迫力がある。

 左の写真で、ケーブルカーの向こう側に見えるのが、谷底の露天風呂の屋根である。ケーブルカーは無人運転で、自分で発車ボタンを押さなければならない。

 露天風呂は、川沿いの巨岩の上に設えてある。暖房の効いた脱衣場には、鍵のついたロッカーが用意されているし、露天風呂にも屋根がついているから、この日のように雨が降っても困ることはない。
 右の写真の建物が男湯である。ここは、女湯の方が、眺めが良い。女湯は貸切状態、男湯は、私以外に、客が1人いただけである。平日の旅行は、これだから嬉しい。子供の学校はどうしたなどと、野暮は言わぬものである。
 源泉の温度が39度と、少々低いので、長湯が原則である。この季節、湯から出ると肌寒い。脱衣場に暖房が入っていたのは、このせいである。しかし、加水無し、完全掛け流しで循環無し、源泉そのものに入浴できる温泉は貴重である。硫化水素泉特有の臭いとぬめりがあり、しばらく湯に浸っていると、体中に小さな気泡がまとわりつく。湯質と景色、共に最高である。

 これだけ写真が多いということは、それだけ、ここが気に入ったからである。この辺りの大きな写真は、法伝写真館に、若干、追加するつもりである。

 入浴後、ホテル内で、この辺りの名物である蕎麦を食べた。つなぎ無しの10割蕎麦(そば)である。しかし、茹でる時間が長すぎたのと、細麺のため、ぼそぼそと切れて、1本が3センチ程度になり、箸で食べにくいほどである。茹でる時間を工夫すると共に、つなぎを入れるなり太麺にするなどして、もう少し、長目にしてもらいたい。野菜たっぷりの天ぷら蕎麦が850円というのは、良心的な値段である。
 このホテルには、露天風呂以外に、内湯もあるが、こちらは、完全な循環式。しかも、男湯は、窓の外をケーブルカーが通るので、ガラス窓に目隠しがされていて、一部、景色が見えない。

 この温泉について、若干、補足しておくと、祖谷温泉は、昭和31年に、地域振興の一環として、徳島県三好郡池田町が掘削したものである。当時は宿泊施設がなく、ドライブインがあるだけだった。ケーブルカーもなく、露天風呂へは、ドライブインから40分ほどかけて、徒歩で往復するしかなかった。
 後に、池田町は、経営難からか、ドライブインと露天風呂を現在の経営者に売却した。昭和47年に、現在の宿泊施設とケーブルカーが完成し、現在に至っている。

祖谷のかずら橋

 祖谷温泉ホテルを出て、かずら橋へ行く。橋周辺の俗化が甚だしいと聞いていたが、まさにその通り。土産物屋に宿泊施設が並び、谷間には、更に、新しい施設が建設されようとしている。個人的な感想ではあるが、わざわざ訪ねるほどのところではない。
 かずら橋と平行して架かる橋から一瞥して、すぐに立ち去った。

 かずら橋から徳島市内を目指すなら、これまで道順を逆に辿って、国道32号線に戻り、池田町まで走って徳島道(高速道路)に上がるか、県道32号線を北上して、もう一度、祖谷渓温泉の前を通って、下川で、国道32号線に入るのが穏当な経路である。
 しかし、我々が選んだのは、国道439号線から438号線を通って徳島に到る最難関山岳道路だった。リンク先の評価によれば、初心者通行厳禁とある。確かに、日曜ドライバーが、非力なワンボックスカーなどで走るのは止めた方が良い。剣山山頂に近い見ノ越あたりは、標高1400mほどにもなる。高低差が大きく、道幅も狭く、ヘアピンカーブが多い。
 このコースは、初め、娘のポン子が提案したのだが、実は、私も走破してみたいと思っていた。理由は二つ。一つは、俗化していない奥祖谷のかずら橋を観たかったこと、二つは、東祖谷山村が進めようとしている観光開発を観たかったことである。

いやしの温泉郷

 奥祖谷のかずら橋は、雨が酷かったので諦めて、いやしの温泉郷で休憩。ここは、東祖谷山村の第3セクターが運営する。木材を多用した立派な施設である。2003年4月の完成なので、館内は大変に綺麗で気持ちが良い。

  湯殿は、フロントの建物とは別棟になっている。食事と休憩の出来る部屋の脇を通って、脱衣場に到る。脱衣場も、清潔感に溢れている。

 ここの湯は、源泉が地表部分で37度ほどで、加熱循環である。サウナ、泡風呂、薬湯など、スーパー銭湯で一般的な風呂が揃っている。露天風呂は、眺めも良く、湯温も高くないので、ゆっくり楽しめる。

 いやしの郷は、現在、この施設のみだが、将来的には、山の中腹に高山植物園を作り、ケーブルカーを走らせる計画である。ところが、この開発計画に、自然保護団体から、反対の狼煙(のろし)が上がった。その中心は、三嶺(みうね)を守る会である。

 袋叩きを覚悟で言えば、自然保護団体は、それほど保護したいなら、自分達が金を出して、東祖谷山村から買い取れば良い。国有地、県有地ならば、選挙権や請願権など、国民、県民としての権利を行使して、実現すれば良い。村の所有地については、村民にのみ処分権があるのだから、もし、その土地利用について何か言いたいのなら、東祖谷山村に移住して村民として活動するのが筋である。口を出すなら金を出せ。金も出さずに口だけ出しても、誰も傾聴しない。
 貴重な動植物種がそれほど大切なものなら、失って困るのは、第一に東祖谷山村である。保護に必要な情報を与えるのは良いことだが、開発を止めろ等と言うのは僭越である。
 三嶺を守る会は、登山愛好家も多いようだが、そもそも、登山愛好家などいない方が、山のゴミは増えない。全ての登山愛好家のマナーを悪いとは言わないが、登山家を入れない山と入れる山、どちらにゴミが少ないかは、自明のことである。登山愛好家も、自分のものでもない山に登らせてもらっている上に、山の所有者に、ああしろこうしろと、声高に言うのは聞き苦しい。

 自然保護団体を難ずるからといって、東祖谷山村の計画を、諸手をあげて賛成しているわけではない。東祖谷山村の現状を見れば、その程度の安直な計画で、現状を打破できる状態でないことは確かである。

 まず、人口である。村の統計を基に、人口の推移を表にしてみた。

人口

世帯数

人口/世帯

人口指数

 昭和45年

2,487

2,522

5,009

1,264

4.0

100

 昭和50年

1,973

2,051

4,024

1,198

3.4

80

 昭和55年

1,863

1,847

3,710

1,278

2.9

74

 昭和60年

1,604

1,646

3,250

1,193

2.7

65

 平成02年

1,392

1,439

2,831

1,134

2.5

57

 平成07年

1,287

1,333

2,620

1,088

2.4

52

 平成12年

1,254

1,334

2,588

1,069

2.4

52

 平成15年

1,169

1,235

2,404

1,033

2.3

48

 ご覧の通り、この30年間、人口は減少を続け、現在は、昭和45年当時と比して、半減している。

 小学生は、和田小学校15名(2002年) 栃之瀬小学校35名 落合小学校34名 菅生(すげおい)小学校11名で、約95名。中学は、昭和45年に、生徒数減少に伴って統合され、現在、1校で、生徒数は90名。村内唯一の高校である徳島県立池田高校祖谷分校(15名在籍)は、今年から、募集を中止している。
 また、村議会の記録によれば、平成20年には、東祖谷山村の小学校は、6学級58名の規模に減少する。

 平成15年度の予算案で財政状況を観ると、総収入の内、村税が6.47%、使用料手数料が1.64%、財産収入が0.49%、諸収入が1.10%である。つまり、自前の収入は、9.7%と、全収入の1割にも満たない。人間に喩えれば、アルバイトをしているが、衣食住のすべてを親に頼っている子供並みの経済力しかないということである。

 東祖谷山村は、だからこそ、いやしの郷温泉だけでなく、高山植物園を作り、観光収入の増加を図るのだと主張するだろうが、考え方が甘すぎる。
 人口減少が始まってから、既に30年以上が経過している。その間、先人達も、あれこれ、対策を立てて実行してきたはずである。それにも関わらず、人口減少に歯止めをかけられなかったのである。それを、今になって、温泉と植物園で歯止めをかけられるはずがない。
 場合によっては、大きな負の財産になるかもしれない施設を作るのは凍結して、現下の問題である市町村合併に全勢力を傾けるべきである。市町村合併について結論を出さなければ、10年先のグランドデザインは描けないはずである。グランドデザインもないまま、高山植物園を作るというのは、自己調達できる収入が1割程度の自治体のすることではない。

 大都市近郊の人口増加地帯の人間が、勝手な戯言を並べているだけだと思われるなら、それはそれで結構。ただ、そういう地域では、それなりの犠牲を払って、豊かさを得ているのだということは理解して置いた方が良い。
 実際、当地では、夏の晴天時には、光化学スモッグ注意報が発令される。情報は、電話連絡網で、地域一帯の保育所や小中学校に伝達される。知らせを受けた各施設では、子供を園庭や校庭から引き上げて、教室に入れなければならない。豊かさの代償は、決して小さくはないのである。

剣山ドライブ

 いやしの郷でお茶を飲んだ後、剣山脇を抜けて、徳島市内を目指す。雨と霧の中、100キロほどの間、対向車は1台だけという状態だった。確かに、初心者が走る道ではない。今の季節は、落ち葉が道に広がって区間もあり、スリップの可能性も高い。
徳島市内に入って渋滞に捕まったとき、正直、ホッとした。こちらの方が、普段の運転環境に近いからである。

 突然の2泊3日の四国旅行は、これで終了である。総走行距離約1000キロ。半分近くは、山岳道路を走り抜ける強行軍だったが、風情のある温泉を満喫し、美味しいものを安く食べられた楽しい旅行だった。負け惜しみに聞こえるかもしれないが、私自身は、結構、贅沢な旅だったと思っている。