四国旅行記(その2 高知編)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

2003年11月27日(木)

汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として

 宇和島は凄い街である。朝の6時に、市内中心部全域に響き渡る大音量で、「鉄道唱歌」のメロディーが流れる。鉄道唱歌の作詞者大和田建樹が宇和島出身なので、この曲が選ばれたのだろうか。
 大和田建樹は文学者、作詞者で、「故郷の空」の作詞も彼である。

夕空晴れて、秋風吹き
月影落ちて、鈴虫鳴く
思えば遠し、故郷の空
ああ、わが父母、いかにおわす

 とにかく、この大音量で、目覚ましが鳴る前に起きることができた。勿論、ムカデ妻とポン子は、まだ泥亀のように眠っている。私は、彼らを起こさないように、そっと、ホテルの部屋を抜け出した。雨が本降りだった。

穂積橋

 穂積橋は、宇和島出身で日本初の法学博士である穂積陳重に因んで名付けられた橋である。彼の功績を讃えて銅像建立の話が持ち上がったときに、「老生は銅像にて 同郷万人に仰ぎ視らるるよりは 橋となって公衆に履(ふ)んで渡らるるを以って無上の光栄とす」と語って、改築中であった「本開橋」を穂積橋とすることに同意したという。すぐに銅像を建てたがったり、名前を残したがる今時の有名人に聴かせたい言葉である。

 穂積については、近年、中央大学教授であった白羽祐三が、「民法起草者穂積陳重論」で、批判的に取り上げている。しかし、残念ながら、白羽程度の学識では、穂積の全体像と彼の目指したところを掌握することはできなかったというのが、素直な感想である。この件に関しては、民法典制定の前後を中心に、死ぬまでに、何か書いておきたいと思っているが、さて、何時になったら実現できることやら。
 なお、極悪寺お薦めリンクの「青空文庫」で、穂積の著書である「法窓夜話」を読むことができるので、興味のある人は、眼を通してみるのが良かろう。

宇和島魚市場

 まだ人通りのまばらな穂積橋を後にして、私が次に向かったのは、宇和島魚市場である。
 無芸大食の私だが、不思議なことに、見知らぬ街で、盛り場や漁港など、目指す場所を嗅ぎ出して、辿り着く能力がある。実際には、街の成り立ちと街の発達、人や車の流れ等を総合的に判断しているのだろうが、自分自身は、自覚的に、そういう判断をしていないので、ある種の嗅覚だと思っている。今回も、旅行ガイドに宇和島の魚市場など掲載されているはずもないが、簡単に見つけ出すことができた。

 写真を縮小したので読み取れないが、時刻は6時35分である。いずれ近海物だろうが、様々な魚が揚がっていて、一通り、眺めるだけでも飽きない。
 特に面白い魚と言えば、このウツボだろう。かなりグロテスクな外見だが、案外、美味で、四国には、これを食べる習慣がある。料理については、高知の「森沢」が参考になるだろう。

 魚市場の隣には、市場食堂がある。店の人によれば、朝4時半から営業を始め、ご飯やおかずが揃うのは5時半頃、それまでは、簡単な麺類が食べられるらしい。
 私が入店したとき、丁度、板前が大振りのよこわを捌いていた。これを食べない手はない。女房子供と朝食を摂ることなど、すっかり忘れて、私は、7時からのNHKニュースを観ながら、豪華な食事をしてしまった。ちなみに、この日の朝定食は、卵焼き、鯖の煮付け、香の物、味噌汁、ご飯という組み合わせで、値段は550円。

 ホテルへ帰って、ムカデ妻とポン子の朝食に付き合う。場所は、前日、紹介したホテル内の食堂「啄木鳥」である。洋食、和食、共に550円と、こちらも割安感があった。満腹の私は、コーヒーだけを注文して、二人が食事を終えるのを待った。「勝手もん」、「自己中」と非難囂々で、朝からよこわの刺身を食べたなどとは、とても言い出せなかった。

滑床渓谷

 宇和島から国道320号線を通り、松丸から県道8号線、県道270号線を経て、滑床に到る。黒尊林道を行けば、高知を回らずに行けるようだが、知らぬ林道を走り抜ける自信はない。
 滑床渓谷の紅葉は、既に盛りを過ぎている。渓谷まで車を走らせながら、辺りの風景を眺めて、そう思った。雨は降り続いているし、とても写真を撮れる状態ではない。

 渓谷の手前、青壮年旅行村で車を止めて、渓谷に向けて車を走らせるべきが思案していると、猿が近づいてきた。観光地の猿は、行儀が悪いというのが通り相場である。面白がって近づくものではない。風景写真が撮れるわけでもないので、仕方なく、車中から、猿を撮影することにする。

 シーズンオフの雨の平日ということで、我々以外に、観光客などいない。折角、来たのだからと、車で渓谷まで走ることにする。幅が狭く、ガードレールもなく、車がすれ違える場所が所々にあるだけの道路である。

 車で行けるのは、森の国ホテルのある渓谷の入口まで。それから先は、徒歩になる。くうたらを絵に描いたような家族が、小雨の中を歩くはずもない。ホテルの建物などを撮影した後、戻ろうということになった。
 それでも、帰りに、一応、川の傍まで降りてみることにした。滑床という名前は、川底が滑らかであることに由来する。その川底を観ないで立ち去るのは、あまりにも愚かしい。清流を通して、川底が滑らかであることを確かめて、記念写真を撮ってから、この地を後にした。

柳瀬温泉

 県道を松丸まで戻って、道の駅「虹の森公園まつの」に立ち寄る。休憩、用足し、ポン子のカメラのバッテリー購入、飲料の補給が目的である。館内に併設されているガラス細工工房を見学して、先を急ぐ。

 国道381号線を進んで県境を越え、西土佐からは四万十川沿いに走る。
 四万十川には、沈下橋と呼ばれる橋脚の短い小さな橋がいくつも架けられている。この形態の橋ならば、増水時に水中に沈むことで、水の衝撃を和らげることができるからである。

 目指す柳瀬温泉へは、この沈下橋を渡って、国道の対岸に渡り、細道を進まなければならぬ。ところが、この沈下橋の位置が、国道からは判りづらい。以前は、国道を右折して河原に降りれば良かったが、江川トンネルができてからは、トンネルの直前で、旧道である細道に入って、そこから更に右折する必要がある。これが判らず、江川トンネルを何往復したことか。

 ようやく柳瀬温泉に辿り着いてみると、留守である。この温泉宿は、鮎釣りの常連客が殆どなので、予約無しの訪問者など、想像だにしていないのだろう。
 信じられないことに、玄関には鍵も掛かっていない。玄関先には、前日の宿泊者のものと思われる浴衣がまとめられているだけ。

 これでは入浴などできそうもないので、折角訪ねたが、また、国道まで引き返すことにした。ここを訪ねる際には、あらかじめ電話をして、予約しておくのが賢明である。

一の又渓谷温泉

 四万十川に沿って、国道381号線と交差しながら、予土線が走っている。車窓から、1輌だけのディーゼル車が通過するのを見つけたので、ポン子に撮影させた。まだ、銀塩一眼レフカメラの使い方に慣れていないので、出来上がった写真の発色が悪い。こういう遠景を撮影する場合は、オートではなく、絞り優先に設定し、絞りを開放にした上で、若干、露光を増やした方が良いのだが。

 国道381号線は、対向車とのすれ違いに苦労する細い山道である。順次、道路整備が行われ、随所で工事中だが、全線2車線になるのは、かなり先のことだろう。そして、国道を右折して一の又渓谷に向かう道は、更に細くなる。ここでも、トンネル工事が行われていて、少しずつだが、道は良くなりつつある。
 ただ、道路の整備は、本当に、地域住民にとって良いことなのだろうか。現在、この辺りの主要産業は、観光と自然を生かした第一次産業である。道路が整備されれば、それらの産業を支えている「日本最後の清流」という謳い文句は使えなくなる。そうなれば、他の地方との差別化が困難になり、どこにでもある田舎に堕してしまう。その時、この地域の住民は、どうやって日々の糧を稼ぐのか。

 一の又渓谷温泉にしても、対向車に怯えながら山道を走り続けて、ようやく辿り着くところに価値がある。秘湯の秘湯たる所以である。大型バスで、易々と乗り付けられるようになれば、誰も見向きもせぬようになるだろう。
 更に、現在は、清流を活かして川魚を養殖し、季節には天然ウナギさえ提供しているが、そのような自然環境も、道路と共に失われるのは確かである。大都市郊外に、数十年間、住んできた私は、道路の功罪を、嫌と言うほど観てきている。東京近郊の自然と地域共同体が、どのように崩壊してきたかも、随分、調べ回った。そういう私の危惧が、現実のものにならねばよいのだが。

 一の又渓谷温泉には、一位荘という宿が、一軒あるばかりである。宿の玄関まで車を横付けすることはできぬ。駐車場に車を置いて、階段を下ると、宿の玄関に辿り着く。
 到着当時、薄暗い玄関には明かりもなく、営業しているか判らなかった。中へ入ると、館内は、木を多用した造りで、清潔感がある。大声で人を呼ぶと、メガネを掛けた作務衣姿の女性が現れた。

 入浴の可否を尋ねると、大丈夫とのこと。一人840円。三人分を払い、遅い昼食を予約してから、長い回廊を下って浴場へ行く。下が丸木の貼り合わせになっているので、スリッパでは歩きにくい。
 日帰り入浴の浴場とは別に、宿泊者用の浴場もあるらしいが、私達には判らない。日帰りと雖も、私達三人の貸切だから、考えてみれば、最高の贅沢である。

 ここの温泉は硫化水素泉と言うが、ほとんど臭いもなく、無色透明に近い湯である。それでも、多少、ぬめりを感じるか。元々、高温の源泉ではないので、加熱しているはずだ。ある程度は循環しているようだが、多少は、流してもいる。
 露天風呂ではないが、窓の外には清流が流れ、せせらぎに耳を傾ければ、完全に俗界から切り離された気分に浸ることができる。これで紅葉が美しければ、言うこと無し。ここは、温泉そのものよりも、この風情を楽しむのが良い。

 入浴後、私とムカデ妻は焼きニジマス定食、ポン子はニジマスの刺身定食を食べた。新鮮であっさりしていて、なかなかの美味だった。
 宿を出てから、高知での宿泊先を探した。ただ、山中では、携帯電話の圏外になるところが多い。ムカデ妻はau、ポン子はvodaphone、私はNTTドコモである。あちらこちらで、携帯電話の電波状態を比べてみたが、やはり、田舎で最強はNTTドコモだった。
 結局、今夜の宿は、新阪急ホテルに決めた。昨夜はビジネスホテルだったのに、今夜も宿代をケチれば、私の命が危ない。ムカデ妻の視線が、上等のホテルに泊まらせろと、強烈に訴えていた。

 国道381号線に戻り、窪川を経て須崎まで走れば、後は、高速道路で高知まで行ける。所要時間は、約2時間半。窪川近くまで走ると、ようやく、対向2車線の道路になった。これ以後は、それほど細道になることも無かろう。私は、例によって、ムカデ妻と運転を交替し、後部座席に移動して、仮眠をとることにした。

高知市

 目が覚めると、車は高速道路を走っていた。既に高知インターチェンジに近づいている。金が必要になると目が覚めるというのも、思えば悲しい性である。
 インターチェンジを降りたところで運転を交替する。ムカデ妻に、見知らぬ街を不慣れな車で運転させるのは危険である。高知に限らず、四国は道路標示が整備されていて、走りやすい。各都市部で発生する軽い渋滞を解決するのが、今後の課題だろう。

 新阪急ホテルで、チェックインの時に、宿泊費を要求された。そういう規則だと、フロントの人間は言う。もちろん、嘘である。これまで、大阪の新阪急ホテルに多くの予約を入れたが、チェックインの際に金を請求されたことはなかった。要するに、当日になって宿泊予約を入れた客を怪しんでの対応である。
 否、私の人相風体を観ての対応だったのかもしれない。私は服装を構わないので、大阪日本橋の電気屋街で、浮浪者に間違われたことがあるし、新宿の盛り場では、暴力団担当の刑事達(通称マル暴)に取り囲まれたこともある。
 それが証拠に、ムカデ妻が実家の「阪急の外商カード」を提示すると、1割引きにした上、支払いは、外商扱いということで、後日の支払いが認められた。今更、外見で人を判断するな等とは言うまい。それが娑婆というもの。

 一流ホテルがどういうものなのか、長らく、その手のホテルとは無縁に過ごしてきた私には、今ひとつ、よく解らぬ。ただ、おそらく、貴族や金持ちが旅行する際、召使いまで同伴するのは不経済かつ面倒なので、旅先でも、自宅と同程度のサービスを享受できる宿泊施設を望んだ結果、所謂一流ホテルが生まれたのではないか。そう考えれば、一流ホテルのサービスについて、朧気ながら見えてくるような気がする。
 まあ、いずれにせよ、私等如きが、一流ホテルに滞在しようなどということ自体、誤りなのかもしれぬ。

 部屋に荷物を置いて、タクシーで繁華街まで出る。時刻は、午後7時。
 まずは、高知の大丸百貨店で土産物を買う。最近、旅行に出ても、所謂土産物屋で買い物をしなくなった。当たり外れが大きく、外れたときの不愉快は耐え難いからである。その点、地元の人間が利用する大手のスーパーマーケットや百貨店は、ハズレが少ない。
 酸橘の瓶詰めや鰹の珍味など、高知の特産品を中心に、あれこれ品定めをして、一部は宅配、一部は贈答用に包装してもらう。平日の閉店30分前のデパ地下は、閑散としている。総菜など、売れ残りも多い。これでは、商売にならないだろう。

 今夜の夕食は、土佐名物皿鉢料理と決めていた。店は、「土佐料理 司」。大丸からは、歩いて2分ほどの距離。土産物を持ったままでも、簡単に移動できる。
 実は、大阪阪急グランドビルの28階に、「司」の支店がある。これまで、何度も前を通り、一度は入りたいと思いながら、叶わなかった。「いつか司で皿鉢料理」。そう思い続けてきたのである。
 念願の皿鉢料理なので、家族分3人前を、大皿に盛ってもらった。下品と言えば下品だが、なかなかに豪快である。季節によって、中身は変わるのだろうが、今回は、伊勢エビ、車エビ、蟹、トコブシ、サザエ(以上、加熱調理)、刺身各種、そして、野菜(漬け物)の太巻き、鯖の姿寿司だった。
 ムカデ妻とポン子が鯖寿司を食べないので、私は、これだけで満腹になってしまった。他にも食べたいものがあったのだが。

 食後、司の人に教えてもらったインターネットカフェ(マンガ喫茶併設)へ行く。旅行に出てまでインターネットかと、ムカデ妻は不満タラタラであるが、一応、サイト管理者として、掲示板の様子は確かめておきたい。1時間だけと約束して、ようやく、ムカデ妻の承諾を得ることができた。娘は、マンガが読めるということで、欣喜雀躍。
 マンガ喫茶へ入るのは、これが2度目である。この店は、15分100円で、インターネット使い放題、マンガ読み放題、ソフトドリンク飲み放題。ネット用回線がADSL8Mというのが、やや難ありだが、雑居ビルのテナントでは仕方がない。固定席なので、ネットをやりたい場合は、PC前の席を申し込む。
 DELLのXPマシンはIMEの出来が悪いので、書き込みは最低限にして、翌日の情報を拾うのに専念する。しばらく、機嫌良くネットサーフィンをしていたら、隣に巨躯の黒人男性が座った。観るともなしに観ていると、どうやらPCの使い方が判らぬらしい。「若いの、手伝おうか」と、下手な英語で話しかけ、友人からのメールを読めるところまで手引きした。
 別に親切心からではない。インターネットの本家から来た男に、これを説明するのは、少々、気持ちが良かったからに過ぎない。以前、博物館で、中国人に仏教典を解説したときに、こういう歪んだ快感を覚えた。
 約束通り、1時間で店を出た。私は、ソフトドリンクを10杯近く飲んだので、それだけでも元は取ったはずである。

 明日は、徳島。