かごめかごめ 2

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

目次

第二部 「かごめかごめ」でそこまでやるか
  序章
  第一章 仮説 多様な表記の理由 
  第二章 失われた言葉
    第一節 失われた言葉の条件
    第二節 失われた言葉
       つくばふ
    第三節 「つくばうた」から「つッペェつた」へ
       つくばふとおつくべ
       つくばふとつくばる
       つくべった・つくべした
       つくべったからつッぺェつたへ
  第三章 「かごめかごめ」の原形
    第一節 意味の確認
    第二節 「なべ」以下
    第三節 「かごめかごめ」の原形
  終章
  参考文献

 

第二部 「かごめかごめ」でそこまでやるか

序章

 第一部で、現存する「かごめかごめ」の資料を検討し、「鶴と亀」がすべらなかったことを確認した。しかし、「鶴と亀がすべった」部分の原形は明らかにできなかった。

 第二部では、この結果を基に、更に、「かごめかごめ」の原形を追う。荒唐無稽にならぬよう、細心の注意は払うが、所詮は、ウグイス法伝の推理である。その点は、お含み置きいただきたい。

 

第一章 仮説 多様な表記の理由

 第一部第二章で記した如く、「つるつる」以下の表記は、実に多様であった。特に、戻橋背御摂と月花茲友鳥は、初演の時期が10年しか違わず、初演された小屋は、共に市村座である。それにもかかわらず、両者の表記は、「つっぱいる」と「つっぱる」という、明らかに別の言葉であった。
 しかも、第三章で記した如く、「つっぱいる」「つっぱる」のいずれを当て嵌めても、「かごめかごめ」全体の意味を明らかにできなかった。

 ここでは、このような結果に終わった理由を説明できる仮説を立てる。それは、
 「かごめかごめ」が記録された当時、既に、つるつる以下の意味は、誰にも解らなくなっていた。言い換えれば、記録された「つるつる」以下は、幼少の記憶や周囲の子供の遊びを頼りに、意味の解らぬ言葉(正確には音)を、解る言葉に置き換えて表記した結果である。
というものである。

 もちろん、他の可能性もあり得る。広い江戸のこと、採集した年代と場所が違えば、伝承も違う可能性がある。確かに、竹堂随筆と戻橋背御摂、月花茲友鳥と幼稚遊昔雛形については、それもあり得る。しかし、戻橋背御摂と月花茲友鳥の初演は、同じ市村座で、わずか10年の違いである。加えて、月花茲友鳥は戻橋背御摂を下敷きにして作られた浄瑠璃である。両者の違いは、採集した年代と場所の違いでは説明できない。
 実際、竹堂随筆、戻橋背御摂、月花茲友鳥に残る「子をとろ子とろ(子とり)」という遊戯歌では、かなりの時間経過にもかかわらず、「どの子が目好(づ)き 後の子が目好き」で一致している。意味が明瞭ならば、それほどの混乱は起こらないものなのである。

 以下、上記仮説に基づき、話を進める。

第二章 失われた言葉

 竹堂随筆には、宝暦・明和期の「かごめかごめ」が採集されたと考えられている。もし、前章の仮説が正しいとすれば、宝暦・明和期以前には、「つるつる」以下に、同書に採集された「つッペェつた」とは異なる言葉が続いたはずである。これを、便宜上、失われた言葉と呼ぼう。当然ながら、失われた時期は不明である。宝暦・明和の直前であったか、遙か以前であったかは特定できぬ。
 竹堂随筆の編者である行智は、一流の悉曇学者であった。悉曇学は、サンスクリット語の文字・音声を研究する学問である。明治以降、西欧の音声学、言語学の導入に伴って、急速に衰退したが、平安時代に日本に導入され、仏教のみならず、日本語の音声学的研究にも大きく寄与した。今日、仮名を「あいうえお」「あかさたな」の順に並べる「五十音図」は、悉曇学の影響を受けて、「いろは歌」以前に成立したと言われている。
 つまり、一流の悉曇学者であった行智は、母音、子音、音便変化、促音、撥音など、言葉の発音に関する基本的知識を持っていた。彼の「つッぺェつた」という表記は、かなり信用できるのである。加えて、彼の表記は、最も古い時代のものである。

 このことに留意しながら、失われた言葉を推理してみたい。

第一節 失われた言葉の条件

 膨大な言葉の海から、一語を探し出すのは至難の業である。よって、まず、失われた言葉の条件を考える。

 「かごめかごめ」は口伝ゆえ、失われた言葉は、宝暦・明和期以前のある時期に、誤って伝えられて消失したはずである。それゆえ、第一部第二章の一覧表で「すべった」の列にある言葉と、ある程度、似ていたと考えられる。

 そこで、第一部第二章の一覧表から、「すべった」の列につき、次の表を作成する。

ぺェ
はい  
はい

 この表から読みとれる各語の共通点は、

  1) 文字数が五文字ないし六文字の動詞の過去形
  2) 第一文字は「つ」
  3) 第二文字の母音は「う」
  4) 第三文字の子音はローマ字表記で「h」「b」「p」
     母音は「あ」か「え」
  5) 最後から二文字目は「つ」「ッ」
  6) 最後の文字は「た」

である。

 よって、上記の条件に近い動詞で、「かごめかごめ」全体と調和する単語が、失われた言葉として相応しい。但し、前述したように、最も意識するべきは、竹堂随筆の「つッペェつた」である。

第二節 失われた言葉

つくばふ

 前節の条件を意識しつつ、古語辞典と江戸語辞典から、該当する語を探した結果、「つくばふ(つくばる)」という語に行き当たった。「つくばふ」というのは、「平伏する しゃがみこむ」という意味を持つ、ハ行四段活用の動詞である。古い広辞苑には、「突く+這う」とある。過去形(連用形)は、「つくばひた」だが、音便変化して「つくぼうた」となる。

 この語ならば、「かごめかごめ」の最後の動作に符合する。私は、この「つくばひた」こそ、「つるつる」に続く失われた言葉ではないかと考える。

第三節 「つくばふた」から「つッぺェつた」へ

 もしそうだとすれば、「つくばうた」から「つッぺェつた」へ変化したのか。その可能性はあるのか。ここでは、変化の可能性を検討する。

つくばふとおつくべ

 「おつくべ」は、インターネット上の報告に限っても、群馬、山梨、伊豆、長野、三重県尾鷲に存在した方言である。意味は、各地とも共通して「正座」である。語源は、「つくばふ」だとされている。実際、佐渡には「つくぼうてくれ(座ってくれ)」、富山には「おつくばい(正座)」という言葉が残っている。
 「おつくべ」が「つくばふ」から転じたとすれば、「つくばふ」という動詞の語幹が変化したことになる。先述した如く、「つくばふ」は、ハ行四段活用で、「つくば」が語幹である。本来ならば、語幹が変化するのは、連用形の音便変化に限られるはずである。
 それにもかかわらず、かなりの広範囲で、「つくべ」に変化している。これだけの地域で、自然に同じく変化するとは考えにくいゆえ、この変化は、中心地たる江戸で起こったと考えるべきであろう。
 つまり、過去のある時期に、江戸で、「つくばふ」という語の用法なり活用なりに乱れが生じて、「つくば」が「つくべ」に変化した可能性はあるのである。

つくばふとつくばる

 古語辞典には、「つくばふ」と共に「つくばる」という動詞が存在する。「つくばる」は、「つくばふ」と同じ語幹を持ち、ラ行ながら、「つくばふ」と同じ四段活用の動詞で、「つくばふ」と、ほぼ同じ意味を持つ。
 「つくばふ」と「つくばる」の内、今日、我々が動詞として継承したのは、「這いつくばる」など「つくばる」方である。「つくばふ」については、「つくばい(低い手水鉢)」等の名詞を残すだけである。
 これから想像するに、「つくばふ」という動詞は、過去のある時点で、活用や用法の乱れを生じた可能性がある。「つくべ」を語幹とする言葉に転じた後に、「つくばる」が台頭してきたとすれば、「つくばふ」「つくばる」いずれの四段活用からも外れた「つくべ」を語幹とする言葉が、方言やわらべうたという歴史の隘路に置き去りにされた可能性がある。

つくべった・つくべした

「つくべ」を語幹とする言葉が、どのようなものであったか。今となっては、想像力を働かせるしかない。「つくべえた」、「つくべった」、「つくべした」、「つくべひた」くらいであろうか。ここでは、暫定的に、「つくべった」としておく。もし、斯界の専門家から、別の意見が出れば、それに従えばよい。

つくべったからつッぺェつたへ

 「つッぺェつた」の原型が、「つくべった」であったとしたら、なぜ、「つッぺェつた」に変化し、意味が失われてしまったのか。その理由は、「つくべった」を長く延ばして歌ったからである。

 かごめかごめは、うしろの正面(真後ろ)の人間が誰かを当てる遊びである。ところが、かごめかごめを、最初から最後まで、同じテンポで歌うと、かなりの確率で、真後ろに人が来ない。最悪の場合は、二人の人間が繋いだ手が、真後ろに来る。これでは遊びにならぬ。そこで、最後の言葉を長く延ばして歌いながら、真後ろに人が来るように微調整を行う。これは、この遊びに必要不可欠な作業である。実際、竹堂随筆に記された「なべ」以下でも、最後は、「たーァも」と延ばしているし、今日、一般的な「うしろの正面」でも「だあれ」と延ばす。

 したがって、遊びの内容に変化がなければ、「つくべった」と歌われていた時代にも、この言葉を、長く延ばしていたはずである。

 そこで、試みに、「つくべった」を長く延ばしてみる。この時、「つーくーべーった」にはならない。日本語独特のリズム感覚から、「つーくべーった」となる。更に言えば、「く」は短く発音され、母音は、ほとんど聞こえない。「つくべった」を長く延ばして「つーk(もしくは小さいカタカナのク)べーった」と発音していたとしたら、行智が書き残した「つッぺェつた」との距離は、格段に縮まる。
 同様に、「つくばひた」を長く延ばしてみると、「つーk(小さなカタカナのク)ばーィた」となって、これは、「つっぱいた」に近づく。これは、戻橋背御摂の「つッはいた」に近い。ひょっとしたら、行智が慣れ親しんだ歌とは違う系統の「かごめかごめ」もあったのかもしれない。

 いずれにせよ、「つるつる」の後の言葉を長く延ばして歌えば、その言葉の表記は、元来の言葉の表記と違うものになる。そして、このように、本来の発音を越えて長く延ばして発音すれば、その言葉の意味は失われやすくなる。かごめのように、文字ではなく、子供の間で口承されるものは、なおさらである。

 以上から、「つくばうた」・「つくばひた」が、活用や語法の乱れによって「つくべった」に転じ、これを長く延ばす内に、「つッぺェつた」に転じて、その意味が失われたと考えられないだろうか。

第三章 「かごめかごめ」の原形

第一節 意味の確認

 「つるつる」以下に「つくばふ(つくばる)」という語を加えて、改めて、「かごめ」を訳すと、次のようになる。

かごめ かごめ 屈(かが)みなさい、屈みなさい (囲みなさい、囲みなさい)
かごの中の鳥は 輪の中にいる子は
いついつ 出やる いつになったら、出られるのだろう
夜明けの晩に いつかは判らないけれど

つるつる つくばうた

(輪を作る者は)、さっとしゃがんだよ

 これを見る限り、少なくとも、「つくばふ」の方が、「つっぱいる」「つっぱる」よりは、適当な語であろう。

第二節 「なべ」以下

 第一節の訳が正しいとすると、「つるつる つくばうた」で完結するゆえ、「なべのなべの底ぬけ」以下は無用である。つまり、「かごめかごめ」の原形には、「なべ」以下はなかった。
 ところが、「つるつる つくばうた」の意味が失われて、この句で、真後ろに、丁度、人が来るように微調整をしてしゃがむことができなくなってしまった。。そこで、竹堂随筆に見られる如く、「つる」から「なべ」を連想し、「底抜いてたも」の「たも」を長く延ばすことで、終了の合図にしたと考えるのである。
 同様のことは、明治以降にも行われた。『俚謡集拾遺』所収の「かごめかごめ」では、「なべ」以下が省略されているが、その後、全国に普及する以前に、「後ろの正面だあれ」が、付加されている。
 よって、「なべ」以下が付加されたと考えるのも、あながち、極論とは言えまい。

第三節 「かごめかごめ」の原形

 かくして、「かごめかごめ」の原形は、あっけないほど単純なものになった。

  かごめ かごめ
  かごの中の鳥は
  いついつ 出やる
  夜明けの晩に
  つるつるつくぼうた

 これだけである。所詮は子供の遊び歌。単純で当たり前。深読みすることに、何の意義があろう。

 

終章

 これをもって、長編駄文「かごめかごめ」は終了である。所詮、素人の遊びではあるが、今後、「かごめかごめ」にまつわる伝説や謎解きを読む上で、いささかなりとも役に立てば幸いである。
 

参考文献

 引用の公正と今後の便宜のため、今回、利用した文献をここに書き置く。江戸時代の文献については、原本を入手できないので、岩波書店刊の「國書總目録」から、活字に起こされたものを探して利用した。

竹堂随筆

書名 続日本歌謡集成||ゾクニホン カヨウ シュウセイ
著者 新間,進一(1917-)||シンマ, シンイチ
著者 志田,延義(1906-)||シダ, ノブヨシ
著者 浅野,建二(1915-)||アサノ, ケンジ
出版 東京 : 東京堂出版 , 1961-1964
注記 巻1:新間進一編 , 巻2,巻5:志田延義編 , 巻3,巻4:浅野建二編

 

四方のあか

書名 大田南畝全集||オオタナンポゼンシュウ
著者 大田南畝||オオタ, ナンポ
出版 岩波書店(1988)||イワナミショテン

 

俚謡集拾遺

書名 続日本歌謡集成||ゾクニホン カヨウ シュウセイ
著者 新間,進一(1917-)||シンマ, シンイチ
著者 志田,延義(1906-)||シダ, ノブヨシ
著者 浅野,建二(1915-)||アサノ, ケンジ
出版 東京 : 東京堂出版 , 1961-1964
注記 巻3:新間進一編 , 巻2,巻5:志田延義編 , 巻3,巻4:浅野建二編

 

戻橋背御摂

書名 大南北全集||ダイナンボク ゼンシュウ
著者 鶴屋,南北(1755-1829)||ツルヤ, ナンボク
著者 坪内,逍遥(1859-1935)||ツボウチ, ショウヨウ
著者 渥美,清太郎(1892-1959)||アツミ, セイタロウ
出版 東京 : 春陽堂 , 1925-1928
内容注記 第3巻:房橋背御攝. 心謎解色糸. 勝相撲浮名花触
注記 各巻木版錦絵折込み図, 挿図あり
巻号 第3巻


書名 鶴屋南北全集||ツルヤ ナンボク ゼンシュウ
著者 鶴屋,南北(1755-1829)||ツルヤ, ナンボク
著者 郡司,正勝(1913-)||グンジ, マサカツ
出版 東京 : 三一書房 , 1971-1974
注記 第五巻: お染久松色読販, 戻橋背御摂, 隅田川花御所染, 杜若艶色紫, 梅柳若葉加賀染, 怪談岩倉万之丞, 怪談鳴見絞, 解説(藤尾真一)


書名 鶴屋南北怪談狂言集||ツルヤ ナンボク カイダン キョウゲンシュウ
著者 鶴屋,南北(1755-1829)||ツルヤ, ナンボク
著者 渥美,清太郎(1892-1959)||アツミ, セイタロウ
出版 東京 : 春陽堂 , 1928.8
シリーズ名 日本戯曲全集:第11巻:歌舞伎篇

月花茲友鳥

書名 清元全集||キヨモト ゼンシュウ
著者 中内,蝶二||ナカウチ, チョウジ
著者 田村,西男||タムラ, ニシオ
出版 東京 : 日本音曲全集刊行會 , 1928.1
シリーズ名 日本音曲全集:3
件名 音曲||オンギョク


書名 日本歌謡集成||ニホン カヨウ シュウセイ
著者 高野, 辰之(1876-)||タカノ, タツユキ
出版 東京 : 春秋社 , 1928.6-1929.2
注記 子書誌に続編あり
注記 子書誌もセット配架
巻号 正編巻11:近世編

(2001/10/10) 初稿
(2002/11/18) 2稿