新刑事政策

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 東京池袋の駅前広場で、一人の男が、スケートボードで殴られて片目を失った。当然の事ながら、駅前広場は、スケートボードの練習場ではない。そのような場所で、スケートボードの練習をすることからして、周囲にとっては迷惑だが、それは言うまい。ただ、歩行者を優先する気持ちは必要である。しかるに、スケートボードの男は、あろうことか、歩いている男と軽く接触しただけで激怒した。そして、スケートボードで男を殴った。被害者は、右目眼球摘出の手術を受け、現在は、義眼を入れて生活している。加害者は、後に、「練習がうまくいかず、イライラしていた」と供述したという。被害者は、自動車の修理整備工である。片目を失った今も、仕事を続けているが、以前ほどには、働けぬという。

 おそらく、加害者は、傷害罪で起訴され、懲役刑に服すことになろう。しかし、その期間たるや、せいぜい数年である。また、犯罪被害者等給付金支給法では、殺された場合ですら壱千万円程度しか補償されぬゆえ、今回のケースでは、それ以下であることは疑いない。理不尽に片目を失った被害者の心中は、察するに余りある。

 以上の如く、現行法制では、被害者とその家族への補償に不備がある。しかも、凶悪犯罪は増加傾向にある。犯罪の被害者救済と、凶悪犯罪の増加、これら二つの問題を同時に解決するには、かなり、抜本的な法制度並びに刑事政策の変更が必要である。さりとて、いたずらに刑を重くしても、問題は解決しない。近年、欧米では量刑を重くする方へ傾いているが、犯罪は、さほど減少せず、刑務所が満員になっているだけである。これでは、刑務所の維持費が嵩む。

 そこで、一計を案じた。受刑者に刑務所外での労働を強制するのである。戦前と戦後の一時期、受刑者を労働力として利用した。単なる嫌がらせの強制労働は、憲法違反だろうが、被害者への金銭補償を目的とするなら、強制労働をさせても問題はない。顔をさらすのが嫌ならば、目出し帽を被らせればよい。昔は、編み笠を被せたらしいが、今では、入手困難である。
 土木作業なら、土木作業、川掃除なら川掃除で、働きに応じた賃金を支給する。所得税、刑務所の食事、入浴、その他の費用を差し引いて、残金を被害者に支給する。刑期満了は、金銭賠償の終了したときとする。

 人権を口にする者は、多く、犯罪者の人権を言い募り、犯罪者の更生を主張するが、殺されたり、重い障害を負った被害者の人権は、永久に回復されぬことを言わぬ。確かに、犯罪者の更生は、社会にとって重要な課題であるが、それは、被害者並びにその家族に与えた損害を賠償した後の話である。損害賠償も終わらぬ内に、犯罪者が更生するというのは、順序が逆である。一家の稼ぎ手を殺されて、貧しい生活を余儀なくされている遺族への賠償もせず、加害者が、刑期満了、人生再出発と称して、晴れやかに出所するなど、言語道断である。
 失われた人権は、金銭で回復できぬが、それでも暮らしの役には立つ。与えた損害を償わぬ者など、社会人として失格、更生などと称して、娑婆に戻す必要はない。

 刑務所外での労働には、もう一つの効果がある。子供達に、犯罪を犯せばいかなる末路を辿るか、視覚的・直感的に知らせる事ができるのである。鎖に繋がれた受刑者が、銃を構えた看守に見張られながら仕事をする様は異様であるから、人目につく。当然、子供は、それが何かを問うに違いない。親は、「悪いことをしたら、ああなる」とだけ答えれば済む。
 困ったことに、最近は、「なぜ人を殺してはいけないか」と問う馬鹿が増えた。そして、更に困ったことには、それに正面から答えられぬ親が増えた。誰がどの様に子供を育てようと、与り知らぬが、そういう馬鹿に殺されたり傷つけられるのは迷惑である。言うて解らぬ者には、見せて解らせるのが良い。
 反論は自由だが、その時は、言うて解らぬ者に、どうしたら解らせることができるかも、同時に教えていただきたい。時間をかければ何とかなるのかもしれぬが、何とかなる以前に犯罪を犯した場合、加害者も被害者も、共に悲劇を背負い込むことになる。低年齢化する犯罪を思えば、悠長なことは言っておられぬ。

 言うて解らぬ者には、体で覚えさせるという方法もある。一週間程度の刑務所体験入所を、中学ないし高校のカリキュラムに組み込むのである。ついでに、この間に、不良教師の査定を行えば、一石二鳥である。
 誰しも、小学生の頃、社会科の授業で、消防署、市役所、警察などを見学したことがあるはずである。刑務所も、また、税金で運用される国の施設ゆえ、そこで何が行われているかを知ることは、社会勉強である。ニュースを通じて、懲役三年という言葉は知っていても、それが、どの様な生活であるかは、ほとんどの者が知らぬ。私自身、大学の刑事政策の講義を履修しなければ、刑務所の見学など、未だにしていないだろう。

 もちろん、本物の刑務所へ子供を入れるなど、論外。本物の刑務所と全く同じ造作の施設に入れ、本物と同じように運営するだけである。税金の無駄遣いだと思われるかもしれぬが、これで犯罪が減れば、儲けものである。もし犯罪が減少せぬなら、本物の刑務所として使えば良い。

 この案を友人に話したら、嫌なことを言われた。
「確かに面白い考えだが、もし、体験入所した子供達が、『馬鹿な親に煩く言われ、つまらぬ学校へ行くより、刑務所にいる方が良い』と言い出したらどうする?」
 私は、まさかとは思いながらも、うーんと唸って、二の句が継げなかった。

 

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