家を買う

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 土地付き一戸建て住宅は、決して安くない。二千万円台から一億円まで、価格に開きはあっても、個人の買い物としては、高額である。それだけの買い物ならば、慎重を期すべきなのだが、相も変わらず、欠陥住宅を掴まされる者が後を絶たない。テレビは、ネタ探しに行き詰まると、これを報ずる。屋根裏から床下まで、基礎から内装工事ににいたるまで、ありとあらゆる手抜きの手法が映し出される。これは大いに参考になる。

 欠陥住宅を買った者の言い分は、一様である。素人には、欠陥住宅を判別できなかった。売り手を信用したら騙された、等々。笑止という他はない。欠陥住宅を見抜けなかったと称する被害者が、テレビ局のカメラを案内して、屋根裏、床下の手抜き工事を指摘しているではないか。おそらく、住宅購入後、自分で、懐中電灯を頼りに、屋根裏、床下へ潜り込んだに違いない。それを、購入前にすればよかったのである。生涯最大の買い物をするのに手抜きをしておいて、施工業者の手抜きばかりを責めるのはいかがなものか。

 以前、私は、西欧近代主義をせせら笑うと書いた。西欧近代主義は、公共の福祉に反しない限り、自由な意思決定と行動を認めるかわりに、その責任も決定者が負うことを基本とする。素人であること、無知であることを、当然の如くに言い放つ人々の満ちあふれた国に、性急に西欧型近代主義を持ち込めば、かくの如き様となる。しかも、拠るべき思想など持たないバカマスコミが、彼らを一方的に被害者に仕立て上げる。マスコミの標榜する西欧近代主義が、営業用の看板であること、疑いの余地はない。私が、西欧近代主義を笑うと書いたのは、このような理由による。

 万人に屋根裏、床下へ潜れと言うのではない。高額商品を買う場合には、買い手もまた、それなりの努力をしろと言うのである。以下、騙された者を軽んずるばかりでは不毛ゆえ、住宅情報誌があまり書かない方法を紹介する。もし、将来、住宅購入の予定があれば、参考にされたい。

 まず、土地には性質があることを知るべきである。大地は生きている。アスファルトとコンクリートで塞がれた地面ばかりを見ているうちに、我々は、そういう当たり前のことを忘れてしまった。

 造成が終われば、外から見て、土地の性質は解らない。だから、土地を知るには、その土地の近くに長く住む人に聞くのが良い。極悪寺周辺にも、最近は、多くの新興住宅地が造成された。土地の古老は、いくつかの団地を指して、「金をもらってもあそこには住みたくない」などと言う。地盤が弱く過去に崩れた場所、鉄砲水の出た場所等々。土地に長く住む者は、親からの言い伝えも含めて、土地の歴史を知っているものである。時には、造成地の以前の所有者もいる。造成途中の様子を見聞していたものもいよう。概して年寄は暇である。菓子折のひとつも持参して、ゆっくりと購入予定地の話を聞いてみるが良い。

 次に、家を調べるならば、購入を予定する住宅に、大工を連れていけばいい。大工は体を動かすのが商売だから、レポートを出せなどと言えば、尻込みする。ついて来てもらって、屋根裏から順番に見てもらいながら、思いつくことを話してもらえばいい。日頃、人間関係を大切にして生きていれば、知り合いの大工の一人くらいは見つけられるだろう。そういう知り合いの一人もいないとすれば、家を買う以前に、日々の生活を改めた方が良い。正直に事情を話して、一日分の日当を払えば、大抵の大工は、快諾してくれる。近代主義者には申し訳ないが、未だに、そういう職人気質は残っている。手抜き工事をする大工ばかりが大工ではない。一通り見てもらったあとで、買うべきか見送るべきかを訊ねれば、ある程度の答えは返ってくるはずである。

 最低限、この程度のことをすれば、易々と欠陥住宅を掴まされることはあるまい。世の中を生きていくのに必要な知識を、全て身につけられれば、それに越したことはない。しかし、世の中が複雑になれば、全てを自分で知ることなど不可能である。まして、住宅購入など、一生一度か、二度である。住宅取得に必要な知識まで、身につけることなど望むべくもない。そういう時代だからこそ、智慧が必要になる。自分の知りたいことを最もよく知る人を見つけ、その人の知識と経験を借りるという智慧である。ハウツー本を買い集めて、にわか仕込みの知識を増やすよりは、賢明な生き方だと、私は思う。

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