お経について

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 

 お経というのは、必ずしもお釈迦様の言葉を記録したものではない。比較的ポピュラーな般若心経も法華経も、仏説と書かれてはいるが、お釈迦様の言葉を丸写ししたものではない。わが浄土真宗では、仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経を根本の教典にしている。しかし、これとて、お釈迦様が死んでから数百年を経過して成立したものらしい。中には、中国で創作された「仏説何とか経」もあるという。

 その中で、阿含(あごん=アーガマ)と呼ばれるお経の一群は、お釈迦様の言葉を割合忠実に伝えていると言われている。こういう歴史的事実を拠り処にして一宗を起こした者もいるが、実は、この阿含とて、後代にかなり加筆されている。もっとも、この御教祖様は、学歴詐称が趣味という不思議な人だから、そういう細かいことは、お気になされぬらしい。もっぱら、怪しげなご祈祷に励んでおられる。

 話を戻そう。お経の成立年代が明らかになってきたのは、明治以降のことである。ご存じの通り、近代化と共に、歴史学、文献学、書誌学などの西欧の学問が、日本へも輸入され、こういう学問を通じて、新しい形の仏教研究が進んだ。また、鎖国が解かれて、外国の情報も入手しやすくなった。もちろん、インド・ネパールなどへの現地調査も可能になった。イギリスをはじめとする諸外国のインド史研究によって、インドの歴史も明らかにされていった。かくして、お経の成立年代も明らかになってきたのである。

 さて、こうなると困った問題が出てくる。つまり、我々が歴史の教科書で習った有名な坊主、例えば、平安仏教の雄、最澄、空海。鎌倉仏教の法然、親鸞、日蓮、道元、栄西。彼らは皆、お経は、お釈迦様の言葉を書き写したものだと信じていたのである。無論、その弟子は言うに及ばない。

 禅宗の方は、檀家で何かしないとお布施をもらえないから、お経を唱えるが、実は、それ程お経に重きを置いていない。だから、それ程深刻な問題はない。問題があるとすれば、「不立文字」と言い放って、「真実は言葉では伝わらない」などと言いながら、檀家でお経を唱えてメシを食っている体質そのものだろう。

 悲惨なのは、伝教大師(=最澄)の天台宗である。天台宗では、膨大な数のお経を、内容の共通するもの5種類に大別した。そして、お釈迦様が法を説かれた50年ほどの期間を5つに分けて、5部のお経のグループを、それぞれの時期に割り当てた。業界では、これを天台の五時教判という。天台宗の教義の根本をなす経典理解である。これが誤りだということが明らかになってしまったのだ。悲惨と呼ばずして何と呼ぶ。

 ついでに日蓮宗も大変である。日蓮は、結果はどうあれ、自分こそは真に天台宗を目指すという自覚に燃えた人だった。燃えた分だけ、大変である。

 しかし、わが浄土真宗も他宗の不幸を笑ってはいられない。鎌倉仏教の開祖は、親鸞に限らず、皆、若い頃、天台宗の坊主として修行をした。つまり、五時教判については、正しいと考えていたのである。しかも、どうやらお釈迦様は、在世中、阿弥陀仏のことなど語ってはいないのである。

 よく考えてみれば、近代化大好き人間にとって、これは大問題のはずである。ところが、浄土真宗をはじめとして、いわゆる既成仏教各宗派は、この問題について、正面から答えてこなかった。既成仏教教団の近代化とは、所詮、その程度のものであった。近代化の名の下、近代化によって恩恵を受ける者達が、自分達の都合のいい部分だけを近代化してきただけのことである。ヨーロッパ近代主義に対して、端(はな)から懐疑的なオレにとっては、どうでもいい問題ではあるのだけれど。