庶民の味方は営業政策

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 テレビや新聞は、庶民の味方である。この点は間違いない。しかし、テレビや新聞は、庶民の味方をすることが正義だと考えているわけではない。テレビや新聞にとって、庶民の味方をすることは、単なる営業政策でしかない。

 これは、少し考えれば解ることである。例えば、テレビ。放送局の収入は、企業からの広告料である。広告主は、インスタントラーメン屋や、歯磨き粉屋である。ジェット機のコマーシャルなど見たことがない。金持ちでも庶民でも、一度に食べるラーメンは1食分である。一度に使う歯磨き粉の量も、金持ちと貧乏人で大きな差はない。それならば、より数の多い庶民の味方をした方が、視聴率が稼げる。視聴率が稼げれば、広告料を高く設定できる。広告料が高くなれば、テレビ局の収入が増える。つまり、訳の分からない広告に踊らされて、シャンプーやラーメンを買う馬鹿な庶民の味方をした方が、儲かるのである。

 新聞の場合も事情は同じ。お金持ちも庶民も、一人1部しか、新聞を買ってくれないから、お金持ちの味方をするより、庶民の味方をする方が、売り上げを期待できる。これまた、庶民の味方をする方が儲かるのである。

 更に言わせてもらえば、当然のことながら、テレビ局の人間は、庶民であることが立派なことだとは考えていない。その証拠に、テレビ局に勤める職員の給料は、庶民より上等である。例えば、大卒の職員の場合、四十歳までに、年収1千万円を越えている。テレビ局に勤めるというのは、オイシイことなのである。もうひとつ、嫌味を言わせてもらえば、馬鹿を騙す広告を作っている奴らの給料は、テレビ局の連中よりも更に良い。例えば、私は、博報堂の社員で、四十歳にして年収1千5百万円の男を知っている。

 テレビや新聞とは経営形態の違う極悪寺が、庶民の味方などしないこと、言うまでもない。