真宗学

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 お叱りを受ける覚悟で、あえて言わせてもらえば、真宗学など、おもしろくない学問である。私は、真宗学を学んで感動したから、坊主になったわけではない。釈迦に惚れ、親鸞に惚れて坊主になったのだ。正直な話、真宗学など、坊主になるための試験に合格するのに必要だったから、かじっただけである。

 それにしても、真宗学というのは、どうしてこれほどつまらないのだろう。自分の頭のことは棚に上げて考え込んでしまう。

 新発見も新発明も期待できない学問だから、新しい論文を書こうとすると、重箱の隅をつつくしかないからか。それとも、真宗学の教授職は滅多にないから、生き残るために、教授の鼻息をうかがいながら論文を書くからか。さらに、その教授が、本山のご機嫌をうかがうからか。

 そういえば、かつて、龍谷大学で、本山とは異なった解釈を打ち出した真宗学の教授がおられたが、案の定、本山から批判されることになった。初めは、争う構えを見せておられたが、結局、この先生は、自分の考えを撤回された。まあ、この先生、後に龍谷大学の学長になられたのだから、自説を撤回されたのは、それなりに賢明な判断だったのだろう。

 私の知る限り、真宗学がおもしろかったのはあの時だけである。