北海道旅行記(その3)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

2001年09月09日

八月二十九日(木)

 この日は、六時半に起床。今日も天気は悪いようだ。目を覚ますと、ムカデ妻が温泉から帰ってきた。温泉旅館にはよくあることだが、男湯と女湯を入れ替えるので、夜と朝では、入る風呂が違う。ムカデ妻は、昨夜、私が入った方の風呂を利用したことになる。ムカデ妻も、湯の中の虫が気になった様子である。
 朝食は、和洋両方を揃えたバイキング形式。この10年ほどで、バイキング形式の朝食は、驚くほどに普及した。嗜好の多様化と人件費の圧縮に有効なのだろう。
 朝食のバイキングの内容は、旅館の評価に入れる。これは、宿泊費の額に拘わらず、ほぼすべての宿泊客が、同条件で口にするものだからである。評価が、料理の数、温度、食材の質で簡単に決められる、というのも判りやすい。ここの朝食は、並と評価しておく。特筆すべき点は何もない。
 かくして、この旅館の評価を決めたが、ひとつだけ、忘れてはならない事がある。それは、私達が支払った旅行代金が、どの様に各旅館と交通機関に振り分けられたかが不明な状態での評価である。各旅館に、同額が支払われたという保証はない。低料金の中で、可能な限りのサービスを心がけた結果かもしれない。したがって、私の評価が、この旅館のすべてを著しているとは考えていない。ただ、それにしても、低料金を設定して、他の旅館と比べて低い評価を受けるようなパック旅行に名を連ねるという決定をしたとすれば、その責任は、この旅館の経営者にある。
 実は、この旅行記は、完成後、JTB並びに、今回、お世話になった旅館に送ろうと考えている。もし、記述に誤りがあれば、実名を掲載した以上、訂正するつもりである。

 北海道号は、八時に、予定通り、我々を迎えに来た。バスに乗って二十分ほどで、銀河、流星の両滝に到着する。十五分ほど見学して、また、車上の人になる。とにかく、この旅行は慌ただしい。イラチ(短気)の関西人でも閉口する。
 以前、車は、層雲峡を充分に堪能できる道を走っていたらしいが、現在では、安全のため、トンネルや防護シェルター内を走る。よって、車窓からの景色は、ずいぶん、寂い。層雲峡が、脆い柱状節理の断崖絶壁で、崩れやすい以上、致し方ないと言うべきか。

 層雲峡を出て、次に訪れたのは、留辺蘂町温根湯(るべしべちょうおんねゆ)の北キツネ牧場。昔、生物学者に憧れたほどの生き物好きなので、野生動物特有の悪臭も気にならない。私は、むしろ、人間嫌いである。
 キタキツネは、全く、人間を怖がらない困ったキツネである。本州のキツネに比べると、やや小型の印象を受ける。まだ、夏毛なので、その姿は、やせ細って貧相である。やはり、これは冬に見るのが良い。
 キツネは穴居動物故、穴を掘ってトンネルを作る習性がある。この牧場にも、いくつかトンネルが掘られ、いくつかはサッカーボール大の石で塞がれていた。逃走防止用だろう。フェンスで囲われているだけなので、施設管理者も大変である。

 温根湯を離れると、バスは、網走へ向かう。道東の小都市たる網走の名を全国に知らしめたのは、高倉健主演の映画「網走番外地」シリーズである。これ以外にも、「新網走番外地」シリーズというのもあった。主演の高倉健自身は、この手のヤクザ映画について、あまり、良い印象を持っていないようではあるが、彼の代表作であることには間違いない。
 網走番外地というのは、網走刑務所のこと。刑務所は国有地故、詳細な番地がない。よって、昔、網走刑務所に手紙を出す場合、住所は、「網走市番外地」と表記された。実は、網走刑務所以外にも、「地名+番外地」という土地があった。例えば、国立大学や国立病院などである。しかし、この映画のヒット以後、それらは、無番地と改められ、現在では、番地まで決められている。

網走番外地 作詞 タケオ・カンベ 作曲 山田 栄一 歌 高倉 健

春に春に追われし 花も散る
酒(きす)ひけ 酒ひけ 酒ぐれて
どうせ 俺らの行く先は
その名も 網走番外地

遥か遥か彼方(かなた)にゃ オホーツク
紅い 真っ赤な ハマナスが
海を見てます 泣いてます
その名も 網走番外地

追われ追われこの身を 故郷で
かばってくれた 可愛(まぶ)い娘(すけ)
かけてやりたや 優(やさ)言葉
今の俺らじゃ ままならぬ

キラリキラリ光った 流れ星
燃えるこの身は 北の果て
姓は誰々 名は誰々
その名も 網走番外地

凍り凍りつくよな 星影に
誰が描いたのか 片隅の
壁に涙の 詫び文句
あても名前も 書いてない

ひとりひとり暮らしの お袋に
極道かさねた 罰あたり
済まぬ済まぬと 手をついて
涙で祈る 番外地

人里人里離れた 檻(おり)の中
この世に地獄が あろうとは
娑婆(しゃば)のねすこにゃ わかるまい
知らなきゃ俺らが 教えよか

 私は、高倉健が「網走番外地」を歌うのを、小さな舞台の袖で聴いたことがある。学園紛争の嵐、未だ収まらざる頃、貧乏学生だった私は、上京後、すぐ、水商売の世界に足を踏み入れた。大型キャバレーで、ボーイから始めて、メンバー長、そして、半年後には、マネージャーになった。キャバレーでは、年に数回、大物タレントのショーが行われていた。高倉健も、そういうタレントの一人だった。
 今は亡き山本麟一という同じ東映の俳優を連れて、高倉健はやって来た。まだ、平(ひら)のボーイだった私は、店の事務所でくつろぐ高倉健と山本麟一に、飲み物を運び、その後、舞台の袖で、彼の歌を聴いた。映画の最後に流れるのと同様、決して上手くはなかったが、素人臭さと律儀さのない交ぜになった不思議な味があった。
 元々、高倉健は、不器用な俳優である。デビュー当時の彼が出演した、コメディ映画を何本か観たことがあるが、その頃から今に至るまで、それほど演技が上達したとは思えない。年齢を加えて、台詞を減らして、という作業を繰り返しながら、自分なりのスタイルを確立した俳優である。歌だけ上手いはずがない。

 我々一行が到着したのは、網走刑務所前のオホーツクバザールという観光センター。一階が土産物店、二階が食堂という建物である。あらかじめ車内で、4種類のメニューから昼食の予約を取り、到着後、すぐに食事ができる様に手配されている。私とムカデ妻は、海鮮三色丼(1500円)を頼んだ。少々、割高だが、観光地価格ということだろう。
 ここの海鮮三色丼は、鮭、いくら、蟹と、三種の具をあしらった丼である。これに蟹の味噌汁、香の物が付く。

 オホーツクバザールは、JTBが用意した北海道号の乗換場所になっている。我々は、同じバスに乗り続けるが、同乗していた観光客の一部は、他のコースのバスに乗り換える。当然、他のコースを走っていた北海道号から乗り込んでくる客もある。
 この乗換のために、ここでの休憩時間は、約一時間ほどある。タクシーを利用すれば、監獄博物館などを見学することも可能である。
 私とムカデ妻は、博物館へは行かず、食後の腹ごなしを兼ねて、網走刑務所まで歩いた。本物の刑務所であるから、中を見学することはできない。刑務所脇を流れる網走川の両岸は、最近の河川改修工事のせいだろう、昔に比べて、随分、綺麗になっていると、二十年ほど前、この地を訪れたムカデ妻が言う。
 網走刑務所は、初め、北海道開発工事に必要な人足用囚人の宿泊所として作られた。後に、宮本顕治(元日本共産党書記長)や徳田球一(日本共産党幹部)などの思想犯を収容している。
 戦前は、過酷な待遇で名を馳せたが、今日では、網走刑務所も、鉄筋コンクリート建て、エアコン完備だという。昔は、その過酷な待遇故に、網走刑務所では、十ヶ月の刑期を一年と数えたらしいが。
 それにしても、自由は制限されるにしても、受刑者が浮浪者以上の生活環境を与えられるのは、腑に落ちない。世間では、あまり知られていないが、今日、受刑者は、内容に制限はあるものの、新聞も読めるしテレビを観ることもできる。もちろん、読書もできる。病気になれば、医者にも診てもらえる。
 浮浪者は、他者の人権を踏みにじって浮浪者になったのではない。むしろ、誰かに踏みにじられて浮浪者になった。受刑者は、他者の人権を侵したが故に、収監されているのである。彼我の扱いに不均衡を感じるのは、私だけではあるまい。

 若干の乗客の入替後、バスは、天都(てんと)山に登った。山頂には、有料のオホーツク流氷館と、オホーツク海を一望できる無料の展望台が併設されている。流氷館で、十五分ほどの流氷映画を観た後、本物の流氷を保管している部屋を見学し、水槽のクリオネを観る。他には、エゾ鹿やキタキツネなどの剥製があるだけで、これといった展示品はない。
 映画を観ながら、実際の流氷を観たいと思った。昔、読んだ、渡辺淳一のエッセイに、恋に傷ついて流氷のオホーツク海に消えた女性の話があった。その時にも、流氷を観たいと思った。
 「北」は、傷ついた者を惹き付ける。「北帰行」、「津軽海峡冬景色」などは、北を歌ってヒットした。「北」という字は、人が背中合わせに並ぶ象形文字を起源とする。顔を背けているところから、「死、暗、寒」などの否定的な意味がある。厭うべき方角であり、「敗北」という言葉でも判るように、逃げるという意味もある。
 傷ついた者が、北を想うのは、故なしとしない。これは、北半球温帯地域に通底する心情なのかもしれない。

 この後、バスは、オホーツク海沿いに走って、網走市に隣接する小清水町の「小清水原生花園」で停まった。オホーツク海と涛沸(とうふつ)湖に挟まれた、細長い一帯である。海岸沿いに真っ直ぐに延びる釧路本線の線路が、本州の人間には、珍しい。既に、花の季節は終わりに近く、ハマナスは朱の実を結んでいる。
 オホーツクの海が近いので、浜まで歩いて海水を舐めてみる。当たり前だが塩辛い。浜で、摩滅した貝殻の破片を集める。これに孔を開けて、手編みのストラップに付けるつもりである。こうすれば、金のかからぬ土産物ができる。できれば、オホーツクの海岸で拾った貝殻だと講釈を垂れて、付加価値を高めるようにしたい。
 他にも、珍しい色形の小石を拾って、土産にすると安上がりである。蒲鉾板を適当な大きさに切って、窪みを穿って黒く塗り、小石を貼り付ける。これに、採取した年月日、場所、採取者を印刷したテープを貼り付ければ完成である。貰った者が不要だと思ったときに、どこにでも捨てられるのが嬉しい一品である。もちろん、普段、家の近所で石を捜しておけば、更にお手軽。

 小清水原生花園を出発すると、次は、この旅一番の難関、観光船による知床半島観光である。私は乗り物酔い、就中(なかんづく)、船酔いをする。ここまで、酔い止めが効いて、飛行機とバスでは酔わなかったが、船は別格である。正直に言えば、2430円も払って、辛い思いなどしたくもないが、ムカデ妻に、「お前のせいで船に乗れなかった」と、死ぬまで言われるのは、なお辛い。ここは、男、一番勝負の時である。断固、船に乗る。大袈裟だと、笑いたければ笑うが良い。子供の頃から、船に乗って幸せになったことなど、一度もないのだ。

 船着き場へ行くと、「男を張ったりするとろくな事にならぬ」ことを、再確認させられた。折からの悪天候で、午前中、観光船は、全便欠航していた。現在、本日最初の便が、沖に出ているらしい。それも、観光時間を三十分短縮しての運行である。それでも、ここで引き下がれば男が廃るなどと、性懲りもなく自分に言い聞かせて、素知らぬ顔で船に乗り込んだ。

 この観光船の一方の目玉は、当然の事ながら、車では入れない知床半島先端の観光。そして、もう一つが、カモメや海猫に餌を与える遊びである。これが実に面白い。カモメ達と遊んでいたおかげで、終(つい)に、船酔いせぬまま船を下りることができた。昔、親が、「この子は、好き勝手に遊ばせておくと、本当に機嫌が良い」と言っていたが、今も、その性癖は変わっていないらしい。
 与える餌は、「カルビーのかっぱえびせん」である。船着き場の売店で買うと130円、船内で買うと150円。もちろん、私は、船着き場で購入しておいた。
 船が出航すると、心得たもので、五十羽以上のカモメ達が、船を追いかけて飛来する。甲板に立って、えびせんを高く掲げていると、カモメが上手に取っていく。時々、指まで銜える不器用な鳥もいるが、そこはご愛敬。また、上に投げると、えびせんが軽いので、かなりの間、空中にある。カモメ達は、これを追いかけて、大抵は、海面に落下するまでに捕獲する。まずは、これが、一般的な遊び方である。
 しかし、それだけではつまらないので、早速、あれこれ、実験を始める。
 カモメを観ていると、同じ背黒カモメの中にも、大きさにかなりの差がある。大きいものは、捕食の才に長けているに違いない。そこで、船と並行して飛ぶカモメから、最大のものを選んで、その前にえびせんを投げ上げる。案の定、実に的確に餌を取る。これに比べて、小型のカモメは、あまり上手くない。くちばしの大小も関係があるだろうが、大型のカモメは、概して、器用である。ただ、小型のカモメの中にも、捕食の上手いものがいるから、そういうものは、将来、大型化するだろう。
 更に、大型のカモメは、自分が捕ろうとした餌を盗られると、捕ったカモメを攻撃する。餌を捕る技術のみならず、この押しの強さが、カモメを大型化させる。
 たかがカモメなれど、その生き様は、多様である。海面に落ちたえびせんを、着水して拾うカモメもいる。一度、着水すると、水の着いた重い体で、再上昇しなければならない。それでも、着水するカモメがいる。律儀と言うべきか、要領が悪いと言うべきか。いずれも小型のカモメばかりである。
 中でも笑うのは、甲板に降り立って、餌をよこせと泣きわめくカモメである。人間の世界にも、こういう横着者はいる。檀家の中に、公営住宅の管理部門で働く人がいる。公営住宅の入居者の中には、低所得で税金も払わぬくせに、ああしろこうしろと、過大な要求ばかりを繰り返す者がいるという。泣き叫ぶカモメを観ながら、そんな話を思い出した。
 結局、他にもあれこれ実験をしながら、えびせん2袋、260円で、一時間、ゆっくり、遊ばせて貰った。言い換えれば、知床半島を説明する船内放送は、ほとんど聴かなかった。ムカデ妻には笑われたが、まあ、船酔いをしなかったのだから、良しとしよう。

 今夜の宿泊地は、船着き場から徒歩五分の「知床グランドホテル北こぶし」である。宇登呂温泉では、これ以外の大旅館は、皆、山上にある。見晴らしは山上が優れるが、土産物店などは、船着き場近くに集まっているので、散策に便利なのは「北こぶし」だろう。(どうでも良いことだが、ここの経営者は、なかなかやり手である。ドメイン名として、shiretoko.co.jp を取得している。)

 夕方、五時にホテルに到着。一休みして、温泉に入る。北海道へ来るに際して、もう一人、怪しい知り合いに声をかけておいた。その人物が、夜八時頃にホテルまで来てくれるという。夕食前に入浴しておかねば、彼と行き違いになる可能性がある。加えて、この日は、修学旅行生が宿泊するので、七時半から九時二十分まで、女湯が混雑する。
 私の知り合いだから、怪しいのは仕方ないが、この男、かつて、「北こぶし」で宿泊しようとして断られている。それほどに怪しい。彼自身は、「団体旅行しか受けない」というホテルの断りを信じているようだが、これは嘘である。ホテルのサイトには、予約申し込みのページがあるが、団体旅行専門だなどとは、一言もない。要するに、怪しいから断られたのである。

 ここの露天風呂は、建物最上階の大浴場から階段を上った屋上にある。危険防止のフェンスがあるので、湯船に浸かると、オホーツクの海は見えない。星空が見えれば興趣も湧くが、この悪天候では、それも叶わぬ。もっとも、夜のオホーツクなど、単なる夜の海故、観るべきものは何もない。ここの露天風呂の管理は、前日の宿よりは良い。
 大浴場は、オホーツク海側がガラス張りで、すこぶる眺望が良い。このホテルでは、露天風呂よりも、この大浴場がお奨めである。
 このホテルの浴場に問題があるとすれば、次の点である。このホテルは、三棟から成っており、三棟を繋ぐのは、一階と二階のみである。風呂は、第一棟にあるので、第三棟に部屋があると、第三棟のエレベーターで二階まで下りて、第二棟を横切って第一棟まで歩き、更に、第一棟のエレベーターで、最上階の風呂まで行かねばならぬ。
 今回、修学旅行生のせいか、旅行代理店と約定した部屋より上等の部屋を用意されたが、これが、第三棟だった。私の場合、足が二十八センチと大きいので、ホテルのスリッパでは、爪先立ちを余儀なくされる。これで、風呂まで往復するのは、すこぶる苦痛である。

 夕食は、待ちに待ったバイキングである。品揃えは中の上。味も悪くない。小さなホタテ貝の炊き込み飯など、気の利いたものも用意されている。特別料理として、私は生の毛蟹、ムカデ妻は雲丹を注文した。
 若い頃は、吐くほど食べたが、この歳になると、翌日への影響を考えて、満腹で止める。しかも、果物など、これまでならば見向きもしなかったものも食する。

 食事を終えた八時半頃、携帯電話が鳴った。怪しい男が、ホテル一階の喫茶室に到着したという。彼は奥方同伴である。この夫婦、怪しいのは旦那の方だけで、奥方の方は怪しくない。両方で怪しいウチとは違う。
 普通、こういう場合、女同士がよく喋るが、この組み合わせでは、男同士の独壇場である。与太話の連発で、夜が更けていく。彼の話は、そのまま、落語の「新北の旅」になりそうなほど面白い。不思議なことに、彼は、私が高圧線を盗んで売り飛ばしていると、今でも信じているらしい。名誉のために言っておくが、私は、電柱から電気を拝借したことはあるが、電線を売り飛ばしたことなどない。
 ところで、一部、怪しい世界で、この時、四人で食い逃げをして、私が捕まったという噂が流れているようだが、これも事実に反する。実際はこうだ。話に夢中になっていた時、従業員から、十時で閉店だと声をかけられた。驚いて時計を見ると、十時二十分。既に、かなりの時間超過である。四人は、慌てて店を出て、別れたが、この時、誰もが勘定のことを忘れていた。彼ら夫婦は手洗いへ消えたが、私達夫婦は、愚かにも、部屋に戻るエレベーターを間違えて、再び喫茶室の前を通って、従業員に声をかけられた。「あのう、お勘定がまだなんですけれど。」ここにいたって、ようやくミスに気づいて、勘定を払ったのである。なお、コーヒーを飲んだだけで、何も食べてはおらぬ故、正確には、飲み逃げである。

 寝る前に、もう一度、温泉に入る。最早、高校生の喧噪はない。修学旅行生の件は、他の泊まり客に、周知徹底されていた。フロント、客室係が口頭で伝え、エレベーター内にも、その旨、張り紙があった。情報の伝達を確実にするには、このように複数の手段を利用するのが常道である。
 今回の旅行で利用した三軒のホテルで、ここを二位と評価する。従業員の接客態度、施設の保守状況など、どれも優れている。一位としなかった理由は、追って書く予定。

 入浴後、すぐに就寝のつもりが、長湯で湯当たりをしたのか、寝付けない。仕方なく、モバイルを取り出して、インターネットに接続することにした。ムカデ妻が寝ているので、ケーブルを寄り付きまで引き回して襖を閉め、こそこそと始める。極悪寺の掲示板と行きつけの掲示板に、短い書き込みをして、再び、床につく。
 本日の走行距離、約230キロ、歩いた距離、約八千歩。

 

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