シングル・ライフ シングル・ライフ
Written by のぼっち 


駅前の大通りから一本裏道に入ると、穴場的な店が隠れている事は多い。
中でもシンジ達のお気に入りは、その裏道から更に細い所を通って入る、どこか怪しげな古いビルの地下にあった。
その場所では少し年季の入ったバーがひっそりと営業していた。
誰が見つけたのかは知らないが、会社の同僚と飲んだ時、最後に必ずここに寄るのがシンジ達のパターンだ。
ここは先ほどまでワイワイと盛り上がっていた店とは違う。
お酒を味わい静かに語り合うのが、強制的では無いがこの店の暗黙のルールであった。
店内を見渡しても、訪れる客の年齢層は若干高めだろう。
今日、シンジ達はあるプロジェクトが終わって、それに関った人達でささやかな打ち上げをしていたのである。
プロジェクトリーダの伊吹マヤ以下、シンジを含む数人の男女が今夜の打ち上げの締めくくりとして、いつものようのこの店を訪れていた。

「すいません。ちょっと、トイレに行ってきます。」

一時的に会話が途絶えたタイミングを見計らって、シンジは席を立った。

「シンジ君、大丈夫?少し顔が赤いわよ。」

シンジの顔を覗き込むようにマヤが声をかけた。
そう言うマヤ自身もそうとう飲んでるらしくかなり顔が赤かった。
年上だが童顔の彼女は社内でも下からの人気が抜群である。
今は恋人が居ないらしいという噂もあって、何かと声をかけられていたりする。
今日だって、何人かの男は彼女狙いだったりするのだ。
もっとも仕事上では、ここに居るメンバーの誰一人としてマヤに頭が上がらないのだが。

「ええ、大丈夫です。」

と言った途端、シンジは足がもつれて転びそうになった。
あまり気にしていなかったが、シンジもかなりの量を飲んでいるようだ。
案の定、背中越しから笑い声が漏れてくる。
シンジはそれに苦笑いで答えながら、ふと何気なく店の奥へ視線をずらすと、カウンターの一番端でグラスを傾ける人物の姿が目に止まった。
大抵の客が店の雰囲気に馴染んでいるのに、そこだけ何かこの店に似つかわしくないような違和感を憶えたからだ。
そしてそれはシンジ自身も気づかない、ある記憶が蘇ったからかもしれない。

(へぇ、こんな所に一人で来る女の子なんて珍しいな・・・)

そんな事を思いつつ、少し注意深く女性の横顔を見た途端、シンジは彼女から視線を離せなくなった。

「あ、綾波・・・・」

小さいけれども、思わずその名を声に出してしまった。
その名前を口に出した途端、自分の身体の下から血が登ってくるのが解る。

(何処かに行かなきゃ。)

とりあえず、彼女は自分の存在に気づいていないようだ。
シンジはもつれる足をもどかしく思いながら、逃げるようにトイレの中に駆け込んだ。

「何で綾波がこの店に・・・・」

トイレの鏡に映る自分自身に対して、シンジは、そう尋ねた。
けれども、当然の事ながら答えは返ってこない。
もしかしたら飲み過ぎて、良く似た人と見間違ってるのかもしれない ・・・そう自分に言い聞かせる。
そして用を足した後、恐る恐るトイレの扉を開いて店内の様子を伺う。
シンジが祈るような目でカウンターの端を見ると、あきらかに彼女はそこに存在していた。

(間違い無い・・・やっぱり綾波だよ)

いくら酔ってるとはいえ、以前に自分が付き合っていた女の子を間違える訳が無い。
綾波レイ・・・シンジが忘れようとしても忘れられない女の子。
もっとも彼女を見るのはかなり久しぶりだろう。
あの頃、痩せていた身体は女性らしく、その珍しい青い髪から覗く横顔は随分と大人っぽくなった気がする。
ただ、シンジは彼女に声をかけようとは全く思っていなかった。
何故なら、彼女とは酷い別れ方をしてしまったのだから・・・
懐かしくもあり、またあまり思い出したくも無い過去がシンジの中に蘇ってくる。
願わくば自分の姿が見つからないように、そう思いながらシンジは妙に低い姿勢で仲間の居るテーブルに戻って行った。



***



彼女と付き合ったのはまだ学生の頃だった。
どちらかというと女の子が苦手だったシンジに、レイは積極的に話し掛けてきた。
そんな彼女がボクは不思議でたまらなかったのだが、可愛い女の子に話し掛けられて嬉しくないわけがない。
何時の間にか二人は仲良くなって、お互い何となく意識するようになった。
そして二人が何もかも話し合えるような間柄になったある日、何気なく彼女に尋ねてみた。

『どうして綾波はボクに声をかけてきたの?』

『えへへ。碇君、絶対にカッコ良くなると思って、他の子がくる前に今からツバつけといたんだ。』

そう言って、彼女は笑った。
それからしばらくして本格的に始まった恋人同士としての付き合い。
毎日が新鮮で幸福の連続だったのだが、しかしながら、彼女の言葉が現実になるのも、そんなに時間がかからなかった。
それからというもの、シンジはレイを通して随分と女の子の扱いも少しは慣れたようだった。
レイと付き合う事によって、ゆとりのようなものが生まれたからなのかもしれない。
元々シンジの見た目は悪い方ではない。
性格も優しい。
それに加えて精神的にも余裕が出てくるとなると、次第にシンジの醸し出す雰囲気に惹かれていく女の子の数も少なくなくなっていた。
更にシンジ自身、女の子に騒がれて少し良い気分になっていた。
ましてや女の子にばかり目が行く年代でもある。
すなると来るものは拒まずの精神で、シンジは色々と付き合いを広げていった。

(子供だったんだよな・・・)

その時を思うと、あまりの無神経さに自分を否定したくなる。
ただ、そんな時も彼女は何も言わずに黙っていた。
それは彼女による精一杯の無言の抵抗だった。
若かったボクは彼女のそんな気持ちなど気づかず、レイが黙っているのを良い事にズルズルと悪い付き合いを続けていった。
要するに他にも女の子と付き合っていたのだ。
そして、とうとう我慢しきれなくなった彼女が、泣きながらボクを非難したあの日。
心のどこかで彼女なら許してくれるだろうと都合よく考えていたボクは、彼女の乱れた姿を見て驚き、思わず一方的な別れを口にしてしまった。
彼女とはそれっきり・・・自分に腹が立ってあまり思い出したくない。
居なくなってから自分の気持ちが解かるって良く言うけど、それは恐らく本当だろう。
少なくともボクはそうだった。
ボクは綾波が好きだったんだ。
いつでも綾波の注意を引きたかった。
綾波に構ってもらいたかった。
そしてどんな事をしても、綾波がそこで待っていると甘えていたんだ。
その彼女が目と鼻の先の距離に居る。

(ボクは・・・今でも好きなのかもしれない・・・)

手を伸ばせば届く距離、勇気を出して今度はボクから声をかければ、初めて出会った頃の懐かしい笑顔を向けてくれるかもしれない。
ただ自分の思うように世界が都合よく回るなんて事は無いだろう。
あれ何年も経っているとはいえ、あの時辛い思いをしたのは彼女だから・・・
どう考えてもボクは綾波に会わす顔が無いのだから。



***



仲間同士で談笑していてもシンジはどうにも落ち着かなかった。

(当たり前だよ・・・綾波がそこに居るんだから。)

さっきから何度も『話、聞いてる?』と言われ続けている。
シンジの中に入ってくる会話は右から左にながれ、ただ適当な相槌を打って調子を合わせているだけ。
今のシンジの思う事は、願わくば、今は綾波がこちらに視線を向けない様にと祈るばかりであった。
そして、マヤ達も何となくシンジの様子がおかしい事に気づいていたのだが、なにぶんその理由が解らなかった。

「あの・・・突然で申し訳無いんだけど帰っても良いかな?」

とうとうシンジはこの場から逃げ出したい衝動に従う事にした。
そして、出来るだけ普通を装い、ぎこちない笑顔を浮べながら目の前に居る仕事仲間達に口を開いた。
ただ、その声が少し震えているのは飲み過ぎた所為じゃないのはシンジ自身のみが知っている事である。

「え?碇、もう帰るの?」
「ごめん、明日の朝一番で実家に帰らなきゃいけないの忘れてた。」

大人の理由としては少々情けないものであるが、気が動転しているシンジにとって、それが精一杯の理由であった。
それに元々シンジは正直すぎるきらいがあるので、あまり物事を誤魔化したりするのが得意じゃない。
もっとも周りの皆も長い付き合いのせいか、シンジが嘘を言っている事くらい解っていた。
ただその理由までは当然ながら知る由もないのだが。
シンジは財布から紙幣を取り出すと無造作にテーブルの上に置いた。

「シンジ君?」

上司の伊吹マヤが怪訝そうな表情を浮べながらシンジの顔を覗き込む。

「すいません、マヤさん。ホント悪いんですけど、お先に失礼します。皆もゴメン。」

そう言ってシンジはそそくさと店の入り口に向かって歩いていく。
勿論、カウンターに座っているレイには気づかれない様に最新の注意を払って。
そんなシンジの後ろ姿を会社の同僚達は首を捻りながら眺めていた。
そして更にカウンターの奥からは、紅い瞳がシンジが出ていった後の店の入り口を見つめていた。

「碇君・・・」

誰にも聞こえない声でそう呟いた後、グラスのカクテルを半分残したまま彼女は席を立った。



***



外は割と涼しくて、酔って赤くなっている身体を優しく冷やしてくれるような気がした。
一人暮らしのアパートは、最寄りの駅から割と遠くて、仕事で疲れた身には辛いのだが、今日に限ってはそれも悪くないと思う。

(綾波、元気そうだったよな・・・)

冷静に思い返すと、久しぶりに見た彼女は元気そうだった。
もっとも、これはシンジ自身がそう思いたかっただけかもしれない。
ただ、心の底で引っかかっていた彼女の、自分の記憶の中にある辛そうな印象を思うと、今日見た彼女の姿はシンジの心を少しだけ軽くした。

(どうせなら、もっと良く見ておけば良かったかな?)

安心した途端に先ほどの緊張は何処へやら、シンジは自分に対し強がってみせる。
今は妙に嬉しい気分がシンジの心を包む。

「彼女が欲しいなぁ・・・」

しばらく特定の彼女が出来なかったのは仕事が自分の生活の殆どを締めていたのと、何処か苦い記憶が常にあったかもしれない。
でも、今は無性に恋がしたくなった。
それも他の全てを忘れるくらいの。
シンジの頭の中で当時の甘酸っぱい記憶が蘇る。

『ね、碇君?・・・碇君てさ?今、好きな人っている?』
『え・・・いや、特に・・・』
『私はね。居るんだ、好きな人。』
『・・・そうなんだ。』 『・・・誰って聞かないの?』
『え?・・・聞いて欲しいの?』
『・・・うん。碇君に聞いて欲しいの・・・そして、答えて欲しいの。』
『え?』
『・・・私・・・碇君が好き。』
『・・・』
『ゴメンね。ずっと黙ってようと思ってたけど、我慢できなくなっちゃった。』
『綾波・・・』
『やっぱり・・・私じゃ・・・駄目なのかなぁ・・』
『そ、そんな事ないよ。』
『え?』

「ボクも・・・ボクも、綾波が好きだ。」

いつの間にか最後の台詞を声に出している自分に気づく。
と同時に近くを歩くカップルが小さな笑い声がシンジの耳に入った。
思い切り恥かしくなったシンジは、家路を駆け出していった。
アルコールの影響で血液がぐるぐると身体中を駆け巡り、次第に頭がクラクラしてくる。
でも、これ以上酔いが回り、前後左右の感覚が分らなくなっても、それは一向に構わない。
明日は土曜だ。
一人身の休日には特別な予定も無い。
思い切り走って家に着いたら、後は何もせず、ただひたすら眠るだけだから。



おわり?





あとがき

A.S.A.I.さん、ホームページ公開1周年おめでとうございます。
そしてA.S.A.I.さんのSSを愛する皆さま、はじめまして。
シャイなアンチクショウ事、のぼっちでございます。
いつも掲示板を汚しているせめてもの罪滅ぼしとしてSSを投稿させて頂きましたが、いかがだったでしょうか。
何だか良く分らない展開だとお嘆きの方も居ると思いますが、用は大人になったシンジの話です。
勿論、エヴァの本編とは全く関係ありません(何せ私が書いてますから)。
特に綾波な人で無い私が書くSSなので、ちょっち物足りないとは思いますが、その辺は何卒ご了承下さいませ。
もしリクエストを頂ければ、この一人身のシンジの行方を追っていきたいと思ってます。
え?そんなの迷惑?南無〜。
それでは、A.S.A.I.さんのページの更なる発展を願って、三三七分け・・・って、どんな髪形だよ!
コテコテのオチ、誠に失礼しました。



のぼっちさんから1周年記念と言うことでSSをいただきました!
これは、学園未来編のような感じですね。
切ない感じがする話ですね……シンジとレイの過去がちらちらと……それに、この思わせぶりなエンディングが(^_^;)
そう、このままレイを一人にしておいていいはずがありません!
みなさん、是非のぼっちさんに感想を送って、続きをねだりましょう!

……しかし、のぼっちさんの掲示板を汚しているのは私なのに(^_^;;)

Written by のぼっち thanx!
感想をのぼっちさん<nobo@tkb.att.ne.jp>へ……


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