Side Story #12

熱視線



 洞木ヒカリは気付いていた。
 彼女が少年に鋭い眼差しを送っているのを。

「……?……」

 それはある日の授業中のことだった。
 彼女は、以前は窓の外ばかり眺めていた。
 その赤い視線で、青い空と白い雲を見つめていた。
 ただ、ぼんやりと、何を思う風でもなく。
 あれでクラス一の成績なんだから、たいしたものね。
 ヒカリはいつも感心していた。

 彼女の視線は、いつの頃からか、一人の少年に向けられるようになった。
 その少年は転校生だった。
 彼女も元はといえば転校生。
 やはり転校生どうしって、気が合うのかしら。
 友達が少ない者どうしだし。
 最初の頃、ヒカリはそう思っていた。
 隠された事実を何も知らない頃は。

 彼女の視線は、日を追う毎に熱心になっていくようにも見えた。
 それはヒカリが事実をはっきりと知った頃からだった。
 みんなに知られて、遠慮がなくなったのかしら。
 ヒカリは考えていた。



 洞木ヒカリは気付いていた。
 彼女が少年に鋭い眼差しを送っているのを。

「……?……」

 それはある日の授業中のことだった。
 彼女は、以前は斜め前ばかり眺めていた。
 その赤い視線で、ナイーブそうな少年の横顔を見つめていた。

 しかし、その日は違った。
 彼女の視線は、横に向けらていた。
 窓際の彼女は、真ん中で行儀悪く座っている、ジャージの少年を見つめていた。
 そしてそれは今までとは違う、思いつめた視線だった。

「…………」

 ヒカリは複雑な想いだった。
 私以外に、彼を見る人がいるなんて……

 ナイーブそうな少年は、最近はクォーターの美少女といつも一緒だった。
 その少女も転校生。
 転校生どうしって、やっぱり気が合うのね。
 ヒカリは思いを新たにしていた。
 でも、女の子どうしは仲良くないみたい……

 だからなの?
 ヒカリは考え直した。
 『彼』に想いが届かないから、別の『彼』を見ているの?
 それとも、『彼』の方から……
 ヒカリの心は揺れていた。



『彼が四人目……』

 彼女の心は揺れていた。
 同時にそれが不思議でもあった。
 なぜ、こんな気持ちになるの?
 彼のことが心配だから?
 彼……彼は単なる、クラスメート……

 いいえ、違うわ。
 今の彼は、『適格者』。
 エヴァ参号機専属パイロット。
 でもそれが……なぜ気になるの?
 わからない……



 彼はどこも眺めてはいなかった。
 視線の先にあるのは、青い空、白い雲、緑の山、そして灰色の校舎。
 だが彼はそのどれも見ていなかった。
 昼休み、彼は屋上にいた。
 熱い太陽が照りつけ、時折山からの涼しげな風が吹くその場所に。

『ワシが四人目……』

 彼の心は揺れていた。
 何でワシが選ばれたんやろな。
 アレのこと、一番嫌いなんがワシやのに……
 赤木リツコ、言うたっけ、あの金髪女。
 妹のこと知っとるはずやのに、何で平然とあないなこと言えるんやろ。

 ワシはどないするべきやったんやろ。
 乗る方がええんか、乗らん方がええんか。
 でも、もう乗る言うてもうたしな。
 逃げるわけには、いかへんのやろな……
 山からは蝉の鳴き声が聞こえていた。

 不意に、足音が聞こえた。
 背後に立つ人の気配。
 シンジらが来よったんかいな。
 それとも、委員長か……
 彼は最初はそう思った。

「……鈴原くん……」

 しかし彼に呼びかけた声は、あまりにも意外な人のものだった。

「何や、綾波か……」



 洞木ヒカリは気付いていた。
 彼女が少年に鋭い眼差しを送っているのを。

 「…………」



 彼女の視線は彼の背中を捉えていた。
 黒い服のその背中を。
 見えないはずの、その背中を。
 ダークブルーの装甲の中の、彼の背中を。
 そう、今は、敵として。
 パレットガンのスコープ越しに。

(……乗ってるわ、彼……)

 彼女には見えた。
 昨日見た彼の背中が。
 前屈みに鉄柵にもたれかかった、その背中が。

『シンジやったらここにはおらへんで』

 昨日の彼は言った。

(碇君? なぜ碇君の名前が出るの?)

 彼女にはそれがなぜだか解らなかった。
 そう、なぜだか解らないからここに来ていた。
 なぜここに来るのか解らないままに。
 とまどいという感情が初めて彼女の心を襲った。
 何も言えなかった。

『……知っとんのやろ、ワシのこと。惣流も知っとるようやし』

 黙ったままの彼女に、彼はそう言った。

『……うん……』

 それはここに来た理由の一つ。彼女は頷いた。

『知らんのは、シンジだけか……』

 ここにも出た、碇君の名前。
 なぜ?
 なぜあなたが、碇君の名前を口にするの?
 あなたのことと、碇君がどうつながるの?
 でも、その名前を聞くと、私は……

『人の心配とは、珍しいなぁ』

 心配……そう、心配かもしれない。
 あなたが心配……あなたの心配?

『……そう? よくわからない……』

 わからない……なぜ、私はあなたの心配をしたの?
 ……いいえ、違う、あなたじゃない。私自身。
 私は、私が心配だからここに来た。
 私の中の、説明できない不安。
 あなたが四人目だと知って生まれた、不安。
 だから……私は……あなたに……説明を……求めに……

『お前が心配しとんのは、シンジや』

 また、碇君の名前……
 今、ここにいない、碇君。
 でも、碇君のことを言うあなたと、
 碇君のことを考える私が、
 今、ここにいる……

 でも、

 私は心配しているの? 碇君を?

『……そう?』

 そうなの?
 私は、碇君を心配しているの?
 でも、あなたが四人目だと、どうして碇君が心配なの?
 なぜ私、碇君を心配するの?
 なぜ?

 それは……

 あなたが……以前、碇君を、傷つけたから?
 そして今度もあなたが、碇君を……
 でも、あなたは、四人目……
 私たちと同じ、適格者……味方……
 なのに、なぜ……こんなに、不安……

 不安
 そう、碇君が
 あなたが四人目だと
 知ったら、傷つく
 そんな気が、するから……

『……そうかもしれない……』
『そや……』

(……あなたは、私の心を知っているの?……)

 とまどいが再び彼女を襲った。
 なぜ、知ってるの?
 私の知らない、私の気持ちを。

(……なぜ、知ってるの?……)

 トリガーを引くのが一瞬遅れた。
 その瞬間、

「……あ……」

 彼は、
 彼女の心を
 彼女の視線を
 知っていたかのように、
 彼女に
 襲いかかった。

 彼女の心の迷い、それが、彼を視界から奪い去った。

 彼は既に彼女の後ろにいた。
 彼女は地面に叩き付けられた。
 左腕を襲う痛み。
 まるで針が刺すように。
 腕に何かが侵入してくる……

(いや!……入ってこないで!……)

 そして、

 次の瞬間、走る激痛。

(……痛い!……)

 腕が引きちぎられるような痛み。

 でも、本当に痛いのは、私の心。
 彼のことを、碇君に黙っていた、その心の痛み。
 悪いのは、私。何も言えなかった、私……

(……痛い……)

 スーツの中で、血の流れる感覚がした。

 血の出るような痛みを感じる、私の心。
 私のせい。私のせいで……
 彼が、私を傷付ける。
 そして、彼は碇君も……
 やがて、彼は彼女を置いて去っていった。

(……ごめんなさい……)

 痛みを堪えながら、彼女は思う。
 私、何もできなかった。
 だから、
 彼が、碇君の所に行ってしまう。
 碇君を、傷付けに……

(……ごめんなさい……私の、せい……)

 薄れ行く意識の中で、彼女は謝っていた。



 ずっと見つめ続けていた、少年に。



(……ごめんなさい……碇君……)



 だが、彼女の声が少年に届くことはなかった。
 そして、彼女の少年への想いも……



- Fin -




新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions