Side Story #9

待つことの長さ



 乾いた銃声が響いた。3発。
 碇君?
 撃ってしまったの?
 まだ私、配置についていないのに……
 待ちきれなかったの?

 そして、空中を浮遊していた使徒が消えた。
 その直後だった。

『パターン青、使徒発見、初号機の直下です!』

 下に? まさか……下にあったのは、使徒の影のはず……

『か、影が……うあっ!』

 影? 影がどうしたの? まさか……

 また、銃声が響いた。3発。
 それっきりだった。
 そして、碇君の声が……

『何だよこれ……おかしいよ! ……はっ……』

 うろたえる声。さっきまで冷静だった声。
 そして、使徒がまた空中に……
 一体、何が起こっているの?
 報告が入らない。

『シンジ君、逃げて! シンジ君!』

 葛城三佐の声。
 碇君が危険? そんな……

「碇君!」

 ……今のは、私の声?
 私、なぜ叫んだの?

『バカ! 何やってんのよ!』

 弐号機パイロットの声。
 心配しているの? あなたも……
 ……私も?

『はっ……はあーっ!』

 碇君? どうしたの? 碇君……
 何も見えない。碇君はどこ?

『ミサトさん! これ、どうなってるんですか!? ミサトさん……
 アスカ、綾波、援護は!?
 ミサトさん! 聞こえてます!? ミサトさん!!』

 援護……そう、援護は?
 私たちは、どちらに動けばいいの?
 葛城三佐……

『プラグ射出! 信号送って!』
『ダメです! 反応ありません!』
『ミサトさん! ミサトさん!……』
『シンジ君!』

 ……どうなったの?
 碇君の声が聞こえない。
 映像も届かない……

『アスカ! レイ! 初号機の救出、急いで!』

 救出……でも、具体的な指示が、ないと……
 ……使徒。そう、使徒。
 碇君に危害を加えた、使徒。
 使徒……
 私は、空中の使徒に向けて、ライフルを撃った。

 ……消えた?

『また消えた……』
『アスカ、気を付けて!』
『影!?』

 影……?

『いやああああーっ!』

 弐号機パイロットの悲鳴。
 そして地面に広がっていく使徒の影。
 影が……これは……

『街が……』

 影の中に、消えていく……
 影……まさか、初号機も、影の中に……

『アスカ、レイ、後退するわ!』

 後退? なぜ?

「待って!」

 ……また、私の声。
 私、なぜ叫んだの?
 でも……
 後退……後退しては、だめ。
 だって……

「……まだ初号機と」

 それに……

「碇君が……」

 ……私は……心配している。何を?
 初号機を……そう、碇司令の大事な初号機を……
 でも……私は心配している。そう、碇君を……
 碇君……誰にとって大事なの? 誰に……

『命令よ……下がりなさい』

 命令は遵守。一時退却……





 報告。
 初号機が、使徒の影に飲み込まれた。
 それだけ。
 ただ、それだけ。

 アンビリカルケーブルが初号機にはつながっていた。
 引き上げられた。
 それで初号機は回収できると思われていた。
 だが、ケーブルの先には、初号機はなかった。
 初号機は使徒の影に飲み込まれたまま。
 そして、碇君も。

 碇君……

 守れなかった。
 私は、守れなかった。
 碇君を。

 いいえ。

 私が守らなければならなかったのは、初号機。
 碇司令の大事な、初号機。
 私は初号機を守れなかった。

 でも、

 私が守りたかったのは、何?
 初号機? いいえ、碇君。
 そう、私が守りたかったのは、碇君。

 なぜ?

 なぜ守りたいと思うの?
 人が守りたいと思うのは、大事なもの。
 私にとって、碇君は大事?

 なぜ?

 私の大事なものは、命。
 そう、命は大事。
 命は守らなければ消えてしまう。

 でも、

 一番大事なのは自分の命。
 他人の命は、私の命じゃないもの。
 守りたいのは、自分の命。

 でも、

 私は守りたかった。
 碇君を。碇君の命を。
 私の命に代えても。

 ……なぜ?

 なぜ、そう思うの?

 なぜ、碇君の命が私にとって大事なの?

 なぜ、こんなにも心配するの?

 なぜ、こんなにも不安になるの?

 なぜ、こんなにも胸が苦しいの?

 なぜ、私は碇君のことしか考えられないの?

 なぜ、私は……

 なぜ……





 陽は落ちた。
 一時退却から何時間経ったのだろう。
 憶えてない。
 私は、何時間考え続けたのだろう。
 碇君のことを。
 なぜこんなにも考え続けるのだろう。
 碇君のことを。
 わからない。

 あれから、何の指示も出されない。
 待機状態は続いたまま。
 私は何をすればいいのだろう。
 私は何ができるのだろう。
 使徒を倒すために。
 いいえ。
 碇君を助けるために。

 私はなぜ、何もしなかったのだろう。
 私はなぜ、何もできなかったのだろう……

 私は考えるばかり。
 ライトに照らされながら、
 壁にもたれながら、
 次の指示を待ちながら、
 ずっと碇君のことを、
 考えるばかり……

「やれやれだわ」

 向こうから弐号機パイロットの声。
 疲れたの?
 私は……疲れていない。
 私は、ほとんど動かなかったから。
 動けなかったから。
 ……なのに、心だけが、疲れている。
 なぜ?

「独断専行、作戦無視。全く、自業自得もいいとこね」

 独断専行、作戦無視。
 そう、碇君のことね。
 私たちの配置前に、碇君は無断で発砲した。
 そんな命令は出ていない。
 現場の判断?
 でも、緊急事態ではなかった。

 使徒は緩やかに市の中心部に向かって進行しているだけだった。
 配置が完了しなければ、援護もできない。
 私たちの互いの位置が充分に把握できないまま、碇君は発砲した。
 使徒の本質もつかみきれていなかった。
 こちらからむやみに手を出すことは控えなければならないのに……

 そう、だから、碇君が危険な目にあったのは、自業自得。
 でも……

 私の中の、この感情は何?
 弐号機パイロットが、碇君のことを言うのが……なぜこんなに、気になるの?

「昨日のテストでちょ〜っといい結果が出たからって、『お手本を見せてやる』?
 ハハン! とーんだお調子者だわ」

 そう、テストの結果が出たとき、碇君はうれしそうだった。
 弐号機パイロットもうれしそうだった。
 碇君が頼りになるようなことを言っていた。

 『お手本を見せてやる』
 碇君がそう言ったのは、弐号機パイロットが碇君を先行に推したから。
 碇君は自信がありそうだった。
 テストの結果が良かったから。
 私も碇君が先行することに、特に問題はないと思った。
 そして私はバックアップに回った。

 そう、碇君が現在危険な状態にあるのは、碇君だけの責任ではない。
 碇君に先行を務めさせた人の責任。
 葛城三佐。
 弐号機パイロット。
 そして、私。

 葛城三佐は、碇君を心配していた。
 私は……碇君を、心配している。
 なのに、弐号機パイロットは……

 他の人も、みんな碇君を心配している。
 碇君を助けるための作戦会議が続いている。
 なのに、弐号機パイロットは……

 あなたはさっき、碇君を心配していたのではないの?
 なぜ、今は碇君を心配していないの?
 なぜ、碇君一人に責任があるようなことを言うの?
 なぜ……

 なぜ私、あなたに対して、こんな気持ちになるの?
 なぜ私、自然に足が……
 なぜ私、あなたの前に……

「な、何よ……シンジの悪口を言われるのが、そんなに不愉快?」

 不愉快……いいえ、わからない。
 自分の今の気持ちがわからない。
 ただ、この気持ち、好きじゃない。
 そう、それを不愉快というのかも知れない。

 なぜ私、不愉快になるの?
 悪口……碇君の、悪口。
 なぜあなたは、碇君の悪口を言うの?

 そう、あなたはテストの後で、うれしそうだったのに。
 碇君のテストの結果が良かったことが、あんなにうれしそうだったのに。
 なのになぜ今は、悪口を言うの?

 碇君は……うれしそうだった。
 この作戦の前も、先行することがうれしそうだった。
 褒められたから……テストで褒められたから。

 エヴァに乗って褒められると、碇君はなぜうれしいの?
 碇君が褒められると、あなたはなぜうれしくないの?
 あなたは何がうれしいの? エヴァに乗って褒められること?

「……あなたは、人に褒められるために、エヴァに乗ってるの?」

 これが……私の言葉?
 私、何を言ってるの?

「違うわ。他人じゃない。自分で自分を褒めてあげたいからよ」

 褒める……自分で自分を……何のために?
 あなた、何を言っているの?

「止めなさい、あなたたち」

 葛城三佐がそう言っても、私は弐号機パイロットから目が離せなかった。

「そうよ、確かに独断専行だわ」

 三者、意見の一致。でも……
 碇君を助けられなかった三人。

「だから、帰って来たら叱ってあげなくちゃ」

 叱る……
 そう、独断専行、命令無視だから。
 作戦指揮者として、服務規程違反者に対する処罰は必要。

 では、

 碇君が帰って来たら、私は……私は、何をするの?
 何をすればいいの?
 何もしなかった私は。
 何もできなかった私は。





「初号機を取り込んだ黒い影が目標か……」
「……そんなの、どうしようもないじゃん」

 でも、碇君はどうにかしようとした。
 私たちは、何もしなかった。

 何もできない、私たち。





 作戦開始、60秒前。
 60秒。
 どうしてこんなにも長いのだろう。
 まるで、永遠の時間のよう。

 碇君がいなくなってから、何時間経ったのだろう。
 16時間……そう、16時間。
 碇君のいない、16時間。
 長い長い、時間。

 それなのに、今は60秒がこんなにも長く感じるなんて。
 待っているだけで、こんなにも胸が苦しくなるなんて。
 苦しい……そう、裂けるような、苦しさ。
 張り裂けそうな、胸の痛み……

 裂ける。
 裂ける地面。
 目の前で、裂けていく。

 赤い色。
 赤い地面。
 血? 血のような赤。

 裂ける。
 裂ける使徒。
 空中で裂けて血を流す、使徒の影……

 赤い色。
 赤い機体。
 血染めになった、初号機。

 帰って来たの?
 あなた、誰?
 誰が碇君を助けたの?





「シンジ君……シンジ君……シンジ君……」

 碇君を呼ぶ声。
 葛城三佐の声。
 開かれる、エントリープラグ。

「シンジ君……大丈夫、シンジ君!」

 プラグの中に見える、碇君の影。

「ただ、会いたかったんだ、もう一度……」

 碇君の声。
 帰って来たの? 良かった……

「叱るんじゃなかったの?」

 碇君を抱いて泣く、葛城三佐。
 それを見ている、弐号機パイロット。

 そして、

 何もしなかった私。
 何もできなかった私。





 私はなぜここにいるのだろう。
 そう、一言。
 たった一言を伝えるために、ここにいる私。
 私は何をしているのだろう。
 待っている。
 ただ、待っている。
 碇君が起きるのを。
 碇君の目が覚めるのを。
 私、他に何もできないから。

 私は何をしているのだろう。
 私の手には本がある。
 私の目は本を見ている。
 でも、
 私は本を読んではいない。
 私の目は、同じ文字を何度もたどるだけ。

 私は聞いている。
 碇君の吐息を。
 安らかに眠る、その息遣いを。
 時折、碇君の方を見る。
 それから、本に目を戻す。
 でも、私の視線は、本の上を彷徨うだけ。

 どのくらいここにいるのだろう。
 何もせずに。
 ただ、碇君の起きるのを待って。
 何もせずに。

 長い、長い時間。
 でも、苦しくない時間。
 碇君を待つ時間。
 でも、心配じゃない時間。
 早く起きて欲しい。
 でも、待っていたい。
 ここにいたい。
 少しでも長く。

 気配。

 息遣いが変わる。
 私は振り向く。
 碇君が目を覚ます。

 やっと、会えた。

 碇君が起き上がる。
 私は伝える。
 たった一言だけ。

「今日は寝ていて……後は私たちで処理するわ」

 それが、伝えなければならない言葉。
 だけど、違う。
 これは私の言葉じゃない。

 私の言葉はどこ?
 私が伝えたい言葉。
 碇君への言葉。

 わからない。どこにあるのか。
 知らない。何を言えばいいのか。
 教えて欲しいのに。

 わからないまま、
 知らないまま、
 私はその場を立ち去る……

「うん……でも、もう大丈夫だよ……」

 弱々しい声。
 でも、優しい言葉。
 私たちを気遣う言葉。

 私は返す。
 たった一言だけ。
 私の言葉を。

「そう……良かったわね……」

 良かった……碇君が、帰って来て。





 そう、私は気付いた。

『お帰りなさい』

 それが私の、伝えたかった言葉。

 碇君をずっと待っていた私の言葉。

 この言葉を、碇君に伝えられるのは、

 いつ?



- Fin -




新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions