「さぁーてと、買い物に行かなくちゃ」

 学校から家に戻ると、私は大きな声でそう呟いた。
 もちろん、誰も聞いてる人なんていない。
 んー、一人暮らしが長くなると、独り言が多くなるわねー。寂しいのかしら、やっぱり。
 ま、それはさておき、買い物買い物っと。
 金曜日の晩くらい、自分で夕食作らなきゃね。いつも出来合いじゃ栄養偏っちゃうし。
 いくら今時は一人暮らし用の小さなパック食品の方がお得とは言っても、たまには料理くらいしなきゃ。
 何たって、私の苦手項目の一つなんだから、今のうちから少しずつでもやっとかないと、嫁のもらい手がなくなっちゃう。
 時代は移れども、料理の上手下手っていうのは女の人の評価ポイントの一つなのよ。
 特に、お母さんが料理がうまい男の子にとっては、結構重要よ。
 その子の評価基準はやっぱりお母さんの料理なんだから、好みに応じて味付けを微調整して、お母さんの味に近付けることができるくらいにはならなくちゃ。
 ……はぁー、でもなー、生来の無精がたたっちゃって、なかなか上達しないのよねー。レパートリーも増えないし。
 気持ちだけはやる気になってるんだけどなー。
 今日はどうしよう?
 一人分の料理作るのって、やっぱり結構面倒なのよ。材料代高くついちゃうし。
 だから、つい多めに作って、土日もそれですましちゃうってことになるのよね。
 で、多めに作って日持ちするものはそれなりの種類しかないから、どうしてもそういうのばっかりのローテーションになっちゃう。
 それにまた、献立を考えるのが面倒だから……
 結局、妥協して……いつものパターンね……今日は、うーん、シチューくらいかな。
 これなら明日温め直せばまた食べられるし……
 あーあ、いつになったら料理上手になれることやら。
 とりあえず、買い物行こっと。買い物しながらまた何か思いつくかも知れないし。 (今までにそういうことはなかったけど……)

 ……あー、何これ!? 自転車パンクしてるじゃない!
 自転車で行こうと思って学校帰りに寄らなかったのに……
 弱ったなぁ、もう……



 最初の晩餐




 結局、歩いて買い物に来てしまった……
 一番近所のスーパーまでそんなに遠くないからいいんだけど……って、早めに歩いても15分くらいはかかるのよね。
 まあ、いいか。一度決めたことを撤回するのは私らしくないわ。
 それに、冷蔵庫の中、空っぽだし。病気で倒れてそのまま飢え死にしたらシャレにならないもの。
 でも、世間の一人暮らししてる大学生とかOLの人とかはどうしてるのかしらね。
 ちゃんと買い物して自分で料理してるのかしら。
 私もそうなるわよね、この先きっと。
 その前に結婚できたらいいんだけどな……って、料理ができなかったら結局一緒じゃない。
 旦那さまが料理好きならいいけど、それでも全部やってもらうわけには……
 そこまで優しい男の人なんて、そうはいないわよね。
 とにかく、料理も買い物も、花嫁修業の一つよ、うん。
 そう納得しなきゃ、やってられないわ。
 さて、修業修業。えーと、まずは野菜売場から……
 何が安いんだろ……
 広告、見てくれば良かったかな……
 うーん、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ、それから……

「あら、レイちゃん?」

 え? 誰?
 あ、この声……
 聞き覚えのある声に、私は振り向いて挨拶した。

「あ、どうも、こないだは、お世話になりまして」

 そこに立っていたのは碇君のお母さん。
 うーん、相変わらず若いわー。買い物かご提げてると、まだ若奥さまで通じるわよね。
 これで私と同い年の子供がいるなんて、とても信じられない。
 もしかしたらこの人、何か秘密があるんじゃないかしら。不老不死の秘薬を飲んでるとか……

「いえいえこちらこそ、いつもシンジがお世話になって」

 碇君のお母さんはにっこり笑ってそう言う。

「はあ、いえ、こちらこそ」

 うー、いつもからかってるからこういうこと言われると気が引けるわ。
 それにしても、何て魅力的な笑顔なのかしら。ああ、私もこんな女性になりたい……

「夕食の買い物?」
「あ、はい」
「感心ね、ちゃんと料理もできるなんて」
「いえ、そんな。いつも同じ物しか作れなくて……」

 謙遜じゃなくて事実だから困るのよね、これが……

「今日は何?」
「あ、あの、シチューでも作ろうかと思って……」

 お肉を炒めて、野菜を適当に切って煮込んで、シチューのルーを入れるだけだから……
 あ、そういえばまだお肉とルーを買ってなかったわ。
 でも、ルーは前の残りがあるはずだから、買わなくていいとして……

「あら、そう。得意なの?」
「いえ、別に得意というわけでは……」
「材料は……ふうん、でも、タマネギはこっちの方が新鮮で良さそうよ」
「あ……」
「ニンジンはこっちの曲がってる方が安くておいしいんじゃないかしら」
「え……」
「お肉はこの時間だともうすぐ特売になるから待ってた方がいいわね」
「…………」

 買い物のポイントを押さえている……
 若く見えてもしっかり主婦なのね、この人。



「あら、歩いてきたの?」
「あ、はい、自転車、パンクしちゃってて……」

 結局、あの後は碇君のお母さんと一緒に買い物をお付き合いしてもらって、今から帰ろうというところ。
 碇君のお母さんは荷物を持って歩いて帰ろうとしている私を呼び止めて言った。

「送って行きましょうか? 車で来てるし」
「あー、でも、近いですから……」
「でも、歩いたら15分くらいかかるんでしょう?」
「はあ、まあ……」
「そんなに遠慮しないで。遠回りするわけでもないし」

 そうかしら? だいぶ遠回りになるような気もするけど。
 うーん、でも、どうしよう?
 前にも送ってもらったばっかりだけど……
 やっぱり荷物が重いし、ここはご厚意に甘えさせてもらおうかな。
 それにこの人と話してると楽しいし。

「じゃあ、お願いします」

 そう言ったら碇君のお母さんがニコーッと笑ったんだけど、その理由は後で気付いた……



 車が走り出してしばらくすると、碇君のお母さんが話しかけてきた。

「毎日自分で作ってるの?」
「あ、いえ、週末だけなんですけど」

 毎日やってたらもっと上達するんだろうなー。

「あら、そう。じゃ、他の日は外食?」
「はい、それと、インスタント物とか……」

 外食よりインスタント物の方が圧倒的に多いわね……

「栄養が偏らないように気を付けてね」
「あ、はい、一応……」

 それでも心配でビタミン剤飲んでるなんて、言うに言えないわ。
 体質的に太らないからついつい食べ過ぎちゃうのよねー。間食も多いし。
 はあー、それでも、碇君のお母さんって、どうして私にこんなに優しいのかしらね。
 こないだちょっと話しただけなのに。
 普通、世間話で他人の食生活のことまで気にしてくれるかしら?

「お料理はどれくらいレパートリーがあるのかしら?」

 あ、訊かれた。訊いて欲しくなかったんだけど……
 うー、情けない。一応、片手じゃ足りないけど、両手じゃ全然余るくらいしか……

「……10種類くらいです……」

 ちょっと見栄張ってしまった……

「そう、それでも大したものよ。私がレイちゃんくらいの時は、お料理は何もできなかったもの」
「そうなんですか?」
「大学に入って自炊するようになってから、やっとできるようになって」

 そうか、別に料理が上手な人は子供の頃から上手なんじゃないのね。
 良かった。ちょっと安心したわ。
 私もそのうち、上達する可能性が……

「でも、料理って案外楽しくて、いろいろ作ってるうちにすぐ憶えちゃうものよ。レイちゃんも頑張ってね」

 ……安心するのは早かったようね。
 料理が楽しいなんて、まだ思ったことないわ。
 やっぱり向き不向きがあるのかしら。私って向いてないのかも……

「特に、他人に食べさせてあげるようになると、もっと上達するわよ」

 はあ、他人に……つまり、彼氏っていうか、旦那さまになるべき人、ってことかしら。
 それとも世間一般の他人のこと? 料理人の心境というか……

「その人の好みに応じて味を変えたりしなきゃいけないし、食べて喜んでくれることを想像しながら作ると楽しくてしょうがないの」
「あ、そうですね」
「レイちゃんは、料理を食べさせてあげたい人とか、いないの?」

 ちょっとぉ、いきなり核心突かないで……

「えー、一応、今のところは、まだ……それに、もっと上達してから……」
「あら、でも、上達するのを見守ってもらうといいかもよ。今のうちから」
「そうですね。じゃ、なるべく早めに……」

 うーん、でもなー、その人の評価基準は高そうだからなー。何たって……
 ……あ、あれ? ここどこ? まさか……

「うちも今日はシチューだから、レイちゃんも食べてみてくれない?」

 地下駐車場で車を止めた後で、碇君のお母さんはにこやかにそう言った。
 まさか、また私、ハメられたんじゃ……でも、どうやらそのようね……



 ここまで来たら、断るのは却って迷惑。
 私は勝手にそう決め込んで(というか開き直って)、碇君の家に連れられていった。
 自動ドアが開く。
 と、途端にいい匂いが……あれ、もう作ってあるの?
 じゃ、さっきの買い物はいったい何だったのかしら。明日の分?

「ごめんなさい、無理矢理連れて来ちゃって。せっかく買い物してたのに。もし良かったら、私が買い取るけど?」
「え、でも、いいです。そんな……」
「そう? でも、2日続けてシチューはないでしょう?」

 ガーン……金、土、日と3日間シチューにしようと思ってた私って、何?

「はあ……でも、来週とか……」

 まあ、明日、明後日もシチューでも別に私は構わないんだけど……

「でも、お肉が保たないわよ。野菜は他にも使えるけど」

 いや、だから、別に……

「まあ、そうですね……」
「やっぱり、私が買うわ。レイちゃんの分だけ材料が増えるし。ね?」
「あ、はい。じゃあ……」

 うーん、そうすると明日も買い物行かなきゃ……でも、基本的にほぼ毎日買い物行くのが普通なのよね。
 ま、いいか。ここまで来たら、もうどうなってもいいわ。
 結局、碇君のお母さんから代金を受け取って、材料を買ってもらうことになってしまった。

「じゃあ、作るの、手伝ってくれる?」
「あ、はい」

 ここまでされたら、手伝うのが当然じゃない。
 何か、私なんて邪魔するだけみたいな気もするけど。
 でも、シチューはほとんどできあがってるみたいだし、何を手伝うの?

「今から材料を煮込むから、切ってくれる?」

 え? じゃ、そこで煮えてる鍋は何?
 ま、まさか、スープをとってたとか……
 あー、ブーケガルニとか入ってる!
 じゃあこれって、ルーを溶いて作るだけっていうのじゃなくて……私なんかが手伝って大丈夫なの?
 うう、失敗しちゃったらまずいよぉ……
 あ、でも、これって、碇君も食べるのよね。ふむ……
 『他人に食べさせる料理』か……
 ちょっとやる気出てきた……
 でも、やる気と技術は関係ないことがすぐに判明した。
 私は少々危なっかしい包丁さばきで碇君のお母さんを心配させてしまったから。
 あーあ、これって減点よね……



 ちょっと本格的、とは言っても、スープは既に作ってあるから、後は野菜を切ってお肉と一緒にソースを混ぜて煮込むだけ。
 塩コショウの加減を任されてしまったから、少々緊張したけど……
 煮込み始めたら、今度はサラダの準備。
 これくらいなら私にもできるのよね。ドレッシング作るのも簡単だし。
 ああ、でも、シチューのいい匂いがしてきた……
 ビーフシチュー……さっきの味見、おいしかった……うっ、よだれ出そう……
 そうこうしているうちに、玄関のチャイムが鳴った。
 誰か帰って来たのかしら。碇君?
 そういえば、家にいないみたいだけど。今日は早く帰ったはずなのに。

「あら、あなた、お帰りなさい。早かったんですね」
「ああ」

 えっ? っていうことは、碇君のお父さん……
 私は慌てて振り返った。いくら無理矢理連れて来られたとは言え、ちゃんとご挨拶しとかなきゃ。
 しかし、碇君のお父さんを見て私は固まってしまった。
 うっ、何か、怖い……
 濃い色のサングラスをかけてるし、それに、髭……
 何だか声が出なくなってしまった。
 それに碇君のお父さんがサングラスを左手の中指で少し押し上げながら、私の方を見てる。

「君は……」

 低い声。
 どうしよう。何か言わなきゃ……

「あ、あの……」
「綾波、レイ君だな」

 えっ? お父さんも私のこと知ってるの?

「あ、は、はあ、初めまして……」

 しどろもどろになってしまって、それだけしか言えない。
 しかし碇君のお父さんは私の方をじっと見ながら言った。

「いや、いつもシンジの奴が世話になっているらしいな。まあ、これからも仲良くしてやってくれ」

 ……何か拍子抜けしてしまった。
 外見はともかく、声もよく聞いたら落ち着いた感じで、優しそうじゃない。
 やっぱり人は見かけによらないのね。
 今の言葉を言った後で、唇の端がニヤッとなったのが気になったけど……

「あの、いえ、こちらこそ、よろしくお願いします……」

 私はそう言って深々と頭を下げた。
 あ、忘れてた。私、菜箸持ったままじゃない。恥ずかし……

「ああ、よろしくな」

 碇君のお父さんがそう言ったところで、私は顔を上げた。

「シンジはまだ帰って来てないのか?」

 碇君のお父さんはお母さんの方を見ながらそう訊いていた。

「アスカちゃんの所でゲームでもしてるんでしょ。ごはん時になったら帰ってくるわよ」

 そんな、犬じゃあるまいし……
 碇君のお母さんも、他人の前で自分の子供のことを、そんなに悪し様に言わなくてもいいのに。

「そうか」

 碇君のお父さんはそういい残してリビングの方へ消えていった。
 私と碇君のお母さんはまた夕食の準備を続ける。
 ふう、何か、結婚相手の家に挨拶に来たみたいな気分ね。あー、緊張した。



 食器を並べたりしてちょうど準備ができた頃に、碇君が帰ってきた。
 しっかり行動パターン読まれてるのね。

「ただいまー……あれ、綾波? 何でこんなところにいるの?」
「あ、碇君、こんばんは。えーと、それは、そのー」
「私がレイちゃんを呼んだのよ。一緒にお夕食しましょうって」
「でも、なんで……」
「ほら、ぼやっとしてないで、手を洗って手伝いなさい」
「…………」

 そう言われて碇君は渋々洗面所に消えて行った。
 なるほど、碇君って、家では発言権をもらってないのね。
 アスカにももらってないみたいだから、学校以外じゃほとんどしゃべる機会がないんじゃないかしら。
 もしかしたら、例の三馬鹿トリオで一緒に遊んでるときに愚痴言ったりしてるのかも。
 しばらくしたら碇君が戻って来て、シチューをお皿に注いだりするのを手伝ってくれた。
 いつもこうして手伝ってるのかしら。
 だとしたら、結婚したら奥様は結構楽になりそうね。いいな……
 ちょうど全部並べ終わったところで碇君のお父さんも出てきて、4人でテーブルを囲んだ。
 碇君の隣に座らせてもらったのはいいけれど、正面がお父さん。お母さんの方が良かったんだけど……

「じゃ、いただきましょうか」
「うむ」
「いただきます」
「あ、いただきます……」

 では早速、シチューを……
 さっきからいい匂いがぷんぷんしていて、ちょっと味見しただけでそれはもうおいしくって……
 つまみ食いを我慢するのに大変だったんだから。
 スプーンで一口すくって飲んでみる。
 トマトソースのいい香り……
 それに、この具が……
 お野菜には充分に味が染み込んでて……
 お肉もとろけるように柔らかくって……
 ああ……これは……言葉にならない……
 あ。
 やっちゃった……いつもの癖が出て……
 おいしいもの食べると、つい目を閉じて味わっちゃうのよ。
 気が付いたら、みんなが私の顔を見ていた。
 あー、恥ずかしいー。
 思わず顔が赤くなってしまう。

「おいしい?」
「あ、は、はあ……おいしいです……」

 碇君のお母さんににっこり笑って訊かれても、それだけしか答えられない。
 
「そう、良かった。レイちゃんが手伝ってくれたおかげよ」
「いえ、そんな……」

 私が手伝ってなかったら、これよりもっとおいしいんじゃないかしら。

「遠慮せずにどんどん食べてね」
「あ、はい、ありがとうございます」
「ほら、シンジも味わって食べなさい。せっかくレイちゃんが作ってくれたんだから」
「う、うん」

 ……私はほとんど何もしてないんですけど……
 でも、一応、私が手伝った料理を、碇君が食べてくれてるのよね、うん……
 ちらっと碇君の顔を見てみる。
 碇君は神妙な顔つきでスープを口に運んでいた。
 何か複雑な表情してる。やっぱりいつもと味が違うのかしら。
 あーあ、これじゃ碇君を満足させる料理を作るのは大変ね。

「レイちゃんも飲む?」
「え?」

 それ、さっきシチューに使った残りのワイン……
 中学生にお酒勧めるなんて、どういう家庭なのかしら。

「碇君は飲んでるんですか?」
「あら、この子、お酒弱いのよ。レイちゃんは飲んだことないの? 見たところ、強そうだけど」

 えっ、何でそんなことがわかるのよ?
 そりゃ確かに、うちは大酒呑みの家系らしいんだけど……
 でもそんなこと言うと飲まされそうだから、言うわけにはいかないじゃない。

「いえ、あんまりよくわからないんですけど」
「飲んでみる?」
「え? いえ、遠慮しておきます」
「あら、そう。残念ね」

 何が残念なもんですか。
 あ、お母さん、一人でワイン飲んでる。
 碇君のお父さんも弱いのかしら。



 食事が終わってしばらくリビングでくつろがせてもらってから、私はお暇を告げることにした。

「もう少しゆっくりしていけばいいのに」
「でも、あまり長くおじゃますると悪いですし……」
「あら、うちなら別に構わないわよ。何なら、泊まっていく?」
「い、いえ、そんな、着替えも持って来てませんし……」

 碇君のお母さんの冗談とも本気ともつかないお誘いを、私は丁寧にお断りした。
 でも、これがシャレじゃ済まなくなるかも知れないのよね。
 だって、こないだ夕食のお誘いを断ったばっかりなのに、今日はもう夕食をごちそうになってて……
 今度はハメられないように注意しとかなきゃ。
 そ、そりゃ、夕食をごちそうになれるのはありがたいけど……
 ああ、でも、私、ダメかも知れない。食べ物には釣られやすいから……

「シンジ」

 私がそんなことを考えていると、碇君のお父さんが碇君を呼んだ。サングラス(どうして家の中でもしてるの?)をまた中指でクイッと押し上げながら。
 碇君はテレビを見ていたけど、お父さんに呼ばれてビクッとしながら振り返った。
 お母さんには弱いみたいだけど、お父さんにも弱いのかしら。
 もしかしたら家で身の置き所がないとか?

「お前が送ってやれ」

 碇君のお父さんは、碇君を見据えながらそう言った。

「どうして僕が……」
「他の者では無理だからな」
「な、何言ってんだよ。母さんが連れて来たんだから、母さんが車で送ってあげればいいだろ」
「この前は雨が降っていたからよ」
「ふん、女の子一人送れんとは、甲斐性の無い奴だ。シンジ、お前には失望した」
「わかったよ! 送ればいいんだろ!」

 あらあら、ひどい言われようね。
 別に私は一人でも帰れるんだけど。
 ま、そりゃ、碇君に送ってもらえるなら、それに越したことは……

「それじゃレイちゃん、また今度ね」

 玄関まで見送ってくれた碇君のお母さんがそう言って笑った。
 また今度って……うう、せいぜい気を付けよっと。
 しかしそんな考えは心の底にひた隠して私も笑顔で挨拶を返す。

「すいません、家族の団らんにお邪魔しちゃって」
「とんでもない。レイちゃんならいつでも歓迎するわ」

 ……これは冗談じゃないわよね、きっと。
 また私をハメる気ね、このお母さんは……

「じゃ、シンジ、ちゃんと送ってあげるのよ」
「わかってるよ」
「じゃ、おばさま、失礼します。おじさまにもよろしくお伝え下さい」
「はい、おやすみなさい」

 おばさま……って呼ぶには若すぎる気もするんだけど、そうとしか呼びようがないものね。
 で、私は碇君に、自転車で家まで送ってもらうことになった。



「ごめんね、碇君。迷惑だったみたい」

 私は碇君の自転車の後ろに乗せてもらっていた。
 いわゆる二人乗り。
 腰に手を回させてもらってるんだけど、碇君はちょっとバランスが取りにくそう。
 私ってそんなに重いのかな? 自分ではやせ気味のつもりだけど。

「何が?」
「無理矢理送らせちゃったみたいで」
「えっ、別にいいよ」
「でも、さっきは……」
「あ、あれは、その……父さんに言われると、何となく反発しちゃうだけだから」

 お父さんと仲悪いのかしら。
 それより気になってるのが……

「ね、今日の料理、どうだった?」

 そう、私の味付け(って言っても塩コショウだけだけど)、薄いとか濃いとか……
 私は基本的に薄味が好きなんだけど、碇君の好き嫌いもあるし。

「どうって?」
「いつもと味違った?」
「別に、そんなことないよ。どうして?」
「だって、難しい顔しながら食べてたから」
「あ、あれはその……よく味わわなくちゃと思って……」
「どうして?」
「そ、それは、その……」

 ん? 何を動揺してるの?
 その時、ちょっと自転車がふらついた。
 危ない!

「あ、綾波……」
「な、何?」
「その……ちょっと、くっつき過ぎじゃないかな」
「だ、だって、碇君の自転車が揺れるからじゃない」
「で、でも、その、背中に、当たるんだけど……」
「何が?」
「その……」
「あー、もう、碇君のエッチ!」
「あ、綾波がしがみつくからだろっ!」

 だって、そうしたかったから仕方ないじゃない!
 ついでだから、もっとしがみついちゃおっと。
 うふふ、夕食に呼んでもらってほんとに良かった。
 やっぱりまた呼んでもらおうかな。でもその時までにもっと料理うまくなっとかなきゃ!



- Fin -







恒例のおまけ(もはや本編……)



 その頃、碇家のリビングでは。

「あなた、どうでした? レイちゃんの印象は」
「ああ……君に似てるな」
「あら、そうですか? そう言えば若い時の目元が似てるかも」
「シンジも母親に似た女の子が好きなのかも知れんな」
「マザコンですか? もう、しょうがない子ね」
「それはそうと、ユイ」
「はい?」
「さっき言い忘れたことがある」
「何です?」
「……ただいま」
「どうしたんです、今頃……」
「…………」
「さっきレイちゃんの前で言うのが恥ずかしかったんですか?」

 ゲンドウ、新聞を手にとって顔を隠す。

「ほんとに子供みたいなんだから、あなたも……」

 平和な家庭だ……



- Fin -







おまけ(2)



 月曜日、学校───

「よう、シンジ、写真買わないか?」(足音)
「写真? 何の?」(振り向く音)
「これなんだけど」(写真を差し出す音)
「こ、これは……」(血の気の引く音)
「自転車の二人乗りはよくないよな」(眼鏡の光る音)
「……いくらだよ」(冷や汗の流れる音)
「特別料金で300円」(ニヤリと笑う音)
「……どこから撮ったんだよ」(財布を開ける音)
「それは企業秘密さ……毎度ありっ!」(お金を受け取って逃げる音!)

 あーあ、可哀想な碇君!(横目で見ていた私の心の声!)



- Fin -
(これホント!)




新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions