変わっていく、人。
変わっていく、街。
変わっていく、心。
変わっていけるの? 私。

過去の私。
今までの私。
私を知らなかった私。

現在の私。
ここにいる私。
私を知っている私。

そして、
未来の私。
これからの私。
私の知らない私。

何が私を変えたの?
流れていく時間。
取り巻く人たち。
そして、私自身。
いつの間にか、
私を変えていくの。

変わってきた私。
今までと違う私。
そしてこれからも、
変わっていく私。
変えられていく私。

でも、
変わらない心、
ただ一つだけ。
あなたを想う気持ち、
残したままで。




後日談 其の四

変わらない心




 月曜日。
 その日も朝からよく晴れ渡っていた。
 第2新東京一帯は盆地であり、日中は気温が上がることで知られている。
 市街地を少し外れたこの辺りは緑も多く、まだ少し気温が低い方だが、朝方出ていた霞はとうに消えている。
 マンションの周りの木立からは、もう蝉の鳴き声が聞こえていた。
 今日も暑くなりそうだ。

 シンジは学校へ行く準備をして、玄関を出たところの壁にもたれていた。
 そう、今日は彼らの転校初日なのだ。
 また転校生になるわけだが、今度はレイと一緒だというだけで、シンジの気持ちは少し軽かった。
 マヤの話では、レイと同じクラスになれるということだったから。
 そのレイと、付き添いのマヤの身支度が整うまで、シンジは昨日のことを思い出していた。

 昨日は朝から電話がかかってきて……
 そう、みんなで一緒に朝ごはんを食べることになってたんだけど、うっかり目覚ましをかけ忘れてたんだった。
 あわてて着替えて綾波の部屋に飛んでいったら、二人が朝食の準備してくれてた。
 トーストとサラダとオレンジジュースっていう簡単なものだったけど、どういうわけか二人ともわざわざエプロン着けてて。
 でも、綾波も、何て言うか、エプロン似合ってたな。
 それから一緒に朝食を食べながらマヤさんが、『楽しいでしょ? 他の人と食事するの』って、ミサトさんと同じ様なことを綾波に言ってた。

 朝食が済むと、街のことをいろいろと知るために、みんなで出掛けた。
 一番近いコンビニ、スーパー、薬局、郵便局、銀行、バス停、駅、病院、本屋、クリーニング屋、理髪店、電気屋、僕らがこれから通う学校、マヤさんが見つけたっていう美味しいパン屋と喫茶店。
 マヤさんは先週、僕らの部屋の家具やその他の物を買うためにこっちに来ていたんだそうだ。
 自分で作ったっていう地図まで僕らにくれた。
 そして最後に行ったデパートで、3人で昼食。

 その後はそのデパートで細々とした日用品や、その日の夕食の買い物。
 肉売場で主婦と間違われたマヤさんが、ものすごく怒ってたっけ。
 その時のマヤさんの反応が見ていて面白かったから僕はクスクス笑ってたんだけど、綾波は不思議そうな顔してたな。
 年のことを気にする感覚がわからないんだろうけど……
 でも、綾波も年頃になったら、そういうの気にするようになるんだろうか。
 以前と少しずつ雰囲気が変わってきたから、これから普通の女の子みたいになるのかもしれない。

 で、マヤさんがあれもこれもって買い物するものだから、荷物がいっぱいになって、タクシーで帰ることになって。
 ああいう買い物のしかたはいけないんだって、綾波に教えてあげた方がいいかも。
 あ、でも、綾波なら必要ない物は買わないかな。

 帰ってきてしばらく休憩してから、夕食の準備。
 僕が手伝おうと思ったら、マヤさんは綾波に手伝ってもらうって言い出して。
 でも、綾波は料理なんてやったことなさそうだし、見ていて危なっかしかったから、結局僕も手伝ったんだ。
 綾波に包丁の使い方教えたときは……その、綾波の手に僕の手を添えて教えたんだけど、あれは何となく恥ずかしかったな。
 マ、マヤさんが、そうした方がいいなんて言うから……

 シンジが一人、昨日の出来事を思い出しながら赤くなっていると、隣の部屋のドアの開く音が聞こえた。
 あわててもたれていた壁から背を離し、レイの部屋のドアの方を見る。
 真新しい制服を着たレイと、スーツに身を包んだマヤが揃って出てきた。
 レイの制服は真っ白なブラウスに、細目の赤いネクタイ。そしてグレーのスカート。靴は昨日買った新品の茶色い革靴。
 前の制服と違うっていうだけで、かなり印象が変わるんだな。シンジはレイの姿を見ながら考えていた。
 マヤは薄いピンクのブラウスにクリーム色のスーツ上下。パンプスやバッグの色もスーツに揃えてある。
 付き添いっていうより、これから入社式に行く人みたいだ、とシンジは思った。

「じゃあ、行きましょうか」
「あ、はい」

 マヤに声をかけられてシンジは短くそう答えると、3人でエレベータの方に向かった。
 シンジはレイと並んで歩きながら、レイの方をチラチラと見ていた。
 レイは背筋をピンと伸ばし、真っ直ぐ前を見つめながら歩いている。
 その横顔には、何の感情も見出すことができなかった。
 ……いつもとあまり変わらない表情してる。シンジは思った。
 綾波は転校することとか、あんまり不安じゃないんだろうな、きっと……



 市立第三中学校。そこがシンジとレイの転校先だった。
 市内でも有数のマンモス校だったが、増え続ける人口に伴って最近学区の調整が行われ、生徒数を大幅に減らしたところだ。
 それでも新興住宅地に近いこともあって、転校してくる生徒は後を絶たない。
 一つのクラスに月のうちに一人二人生徒が増えるのも珍しいことではなかった。

 学校に着くと、会議室で担任になる教師と軽く打ち合わせ。
 ほとんどの手続きは事前に終わっていたのだが、保護者と共に面談が必要と言われたので、マヤが付いてきたのだった。
 既に先週のうちに校長や担任と会っていたマヤは、できれば今日は来ないで済ませたかったらしい。
 日曜日に面談することも提案したのだが、先方の都合で無理矢理今日にされてしまったのだそうだ。
 学校に来る道でそのことを少し不満そうに話していた。
 しかし、面談では至って穏やかな顔で話をしていたので、マヤさんもやっぱり大人なんだ、とシンジは妙なところに感心していた。

「それじゃあ、私はこれで帰るから。学校の方、転校したばかりで大変でしょうけど、頑張ってね」

 面談が終わると、マヤは隣に座っていた二人の方を見ながらそう言った。
 シンジもマヤの方を見ながら言葉を返す。

「あ、はい。あの、いろいろとどうもありがとうございました」
「いいの、気にしなくて。だって私がシンジ君とレイちゃんの保護者代わりなんだもの」

 マヤはそう言ってうれしそうに笑った。
 『仕事だから』とマヤに言われなかったことで、シンジは少しホッとしていた。
 ミサトさんは、学校に来るのも仕事だからって……でも、あれもつい言っちゃっただけなんだろうな。
 僕もあの時はミサトさんの態度に疑問を持ってたから、揚げ足取っちゃったけど……
 シンジがそんなことを考えながら黙っていると、マヤが思い出したように口を開く。

「そうそう、言い忘れてたけど……学校のことでも家のことでも、困ったことがあったらいつでも電話してね」
「あ、いえ、ありがとうございました」
「……ありがとうございました……」

 シンジがマヤに礼を言いながら軽く頭を下げると、横に座っていたレイも同じように小さな声で礼を言い、小さく会釈した。

(えっ……)

 その小さな声を聞いて、マヤは不思議な気持ちになった。
 あれ、何? 私、何を驚いてるの?
 そして、目の前の二人を見つめ直した。
 あ、そうか……レイちゃんね。
 そこまで考えてから、マヤはシンジが少し怪訝そうに自分の方を見ているのに気が付いた。
 あわてて笑顔を作り直す。

 そう、彼女の言った言葉……『ありがとうございました』
 ずっと前から付き合ってきたのに、一度も聞いたことがなかった。
 実験の準備や何かでいろいろと世話することがあったけれど、その時でも何も言ってくれなかった。
 聞いたことがあるのは、こちらの意図が伝わったことを確認するための返事だけ……
 いつの間にか、それが普通になっていた。
 この土日に、少し話す機会があったけれど、その時でもまだ同じだった。
 でも、ここに来て、初めて聞いた……
 ……そう、もしかしたら、シンジ君の真似をしたのかもしれない。
 彼女……変わろうとしているの? シンジ君のおかげで。

 何だか、複雑な気分。
 子供の成長を見守る親の気持ちって、こんななのかしら。
 マヤは膝の上に置いていた鞄を手に持ち、椅子から立つと明るい声で言った。

「それじゃ、また週末ね」
「あ、はい。さよなら」
「……さよなら……」

 そしてマヤは担任の教師と丁寧に挨拶を交わしてから、会議室を出ていく。
 シンジもレイも、その後ろ姿を見送っていた。

「さて、ではそろそろ教室に行きましょうか」

 会議室のドアが閉まり、笑顔で手を振るマヤの姿が二人から見えなくなったところで、担任の初老の教師は二人にそう告げた。
 それを聞いてシンジは自分が少し緊張しているのを感じた。
 ……前に転校したときはこんなこと感じなかったのに、なぜだろう?
 少し不安になり、シンジは横に座っているレイの顔をちらりと見てみた。
 レイはいつもの平然とした表情でそこに座っていただけだった。



「あー、では、転校生を二人紹介します。碇シンジ君と綾波レイさん。では、簡単に自己紹介を……碇君の方から」

 教室に連れて来られたときから、シンジは何も見えていなかった。
 居並ぶ生徒たちの顔も全く目に入らない。
 どうしたんだろう。僕は何を緊張してるんだ?
 転校なんて、2回目じゃないか。何を緊張することがあるんだよ。
 挨拶して……挨拶して、席に座って……それから、話しかけられたら適当に何か答えとけばいいだけじゃないか。
 それなのに、いったい、何を……

「あ、あの……い、碇、碇シンジです……静岡県の強羅から来ました……よろしくお願いします……」

 第3新東京という地名を出さなかったのは、マヤにそう言うように言われたからだ。
 NERVとの関わりを、なるべく薄めたいということらしい。
 シンジは必要最小限のことだけを言うにも少しつっかえてしまった。
 それからあわてて頭を下げる。
 拍手の音が教室に響きわたっていたのに、後から気付いた。
 顔を上げると、教室の後ろの方で一人だけまだ拍手している者がいた。
 無意識のうちにそちらの方に目を遣る。
 ゆっくりと焦点が合うような感じで、その少年の顔が目に入ってきた。

(あれっ……)

 その少年は、見覚えのある黒いジャージを身にまとっていた。
 シンジが自分に気付いたのがわかったのか、拍手をやめ、それから机に頬杖をついてじっとシンジの方を見ている。
 何となく虚ろに見える視線だった。

(……トウジ……どうしてここに……)

「……綾波レイです……新横須賀から来ました……よろしくお願いします……」
「はい、ごくろうさま。あー、二人は先の第3新東京市のミサイル被爆事故で被災しまして……」

 レイの挨拶も、担任が自分たちの偽の経歴を紹介してくれているのも、生徒たちがレイを見て何事かヒソヒソと話すのも、シンジの耳に入っていなかった。
 ただ、少しずつ教室を見回すだけの余裕が出てきていた。
 そして、窓際でビデオカメラをこちらに向けている少年がいることに気付く。
 その眼鏡の少年は、カメラのファインダーを覗くのをやめて、シンジの方に小さく手を振った。
 呆然としたシンジがふと視線を落とすと、教壇のすぐ前の席にいる、お下げでそばかすの少女が目に入る。
 少女もシンジ同様、呆然とした顔で目の前の二人の転校生を見上げていた。

(……ケンスケ……それに、委員長まで……)

「……ということですので、皆さん、仲良くしてあげて下さい。いいですね。……あー、では、あなた方はあの窓際の後ろの方が二つ空いてますから、そこに座って下さい」
「……はい……」
「あっ、はいっ」

 どうして僕の知っている人がここに……
 何がどうなっているのか全くわからなくなっていたシンジが我に返ったのは、担任の長い話が終わってレイの小さな声が聞こえたときだった。
 あわてて返事をして、言われたとおりに席の方に移動する。
 窓際を通るときに、またケンスケが小さく手を挙げた。

「あ、えっと……」
「ああ、また後でな」

 シンジが話しかけようとすると、ケンスケは挙げた手でそれを制した。
 そして担任の方をちらりと見る。
 そうだ、もうすぐ授業が始まるんだった。
 話はしたいけど、しょうがない。次の休み時間にしよう。
 シンジはそう考えて、ケンスケの方に頷いておいた。
 それからシンジはまた後ろの席の方に歩き始めた。

 窓際の席は縦に二つ並んで空いていた。ケンスケのすぐ後ろだった。
 シンジは前の方の席に鞄を置いたが、ふと気付いて後から来ていたレイの方を見る。
 綾波はどっちの席がいいか訊いた方が良かったかも……
 しかし、レイは無言でシンジの脇を通り過ぎると、シンジの後ろの席にすっと腰を下ろした。
 やむなくシンジも席に着く。
 その時になって周りの席の生徒が自分の方をじっと見ていたのにやっと気付き、頭を下げて挨拶しておいた。

「あー、では、以上でホームルームを……おや、もう先生が来られてますね。それでは、委員長さん、後をよろしく」
「あっ、はいっ! きりーつっ!」

 担任が教室を出て行き、一時間目の授業の教師が入れ替わりに入ってくると、ヒカリの大きな声が教室に響きわたった。



 一時間目が終わるとすぐに、前の席のケンスケが振り返ってシンジの方を見た。
 そしてケンスケは相変わらず飄々とした表情でシンジに言葉をかけた。

「よう、シンジ、久しぶり」

 シンジは少し戸惑い気味にケンスケに言葉を返す。

「う、うん、久しぶり……あの、疎開したって聞いてたけど、こっちの方だったんだ……」
「ああ、まあな。疎開って言っても、身寄りが少ないと、行き先も限られてるし。それにみんな、親の仕事の都合とか、いろいろあるしな。指定されたところに行くだけさ」
「そうなんだ……ごめん、僕のせいで、みんなの家が……」
「気にするなよ。シンジのせいじゃないさ」

 シンジが謝ろうとするのを遮って、ケンスケは言った。

「前にも言ったろ。シンジがいなきゃ、俺たち今頃死んでるって。だから気にするなよ」
「う、うん……ありがとう……」

 そう答えながらシンジは考えていた。
 やっぱり、内罰的なのかな、僕って。
 この性格、変えていかなきゃいけないんだろうな……

「……でも、みんなバラバラにならなかったんだね」

 少し気を取り直して、シンジはそう言った。
 とにかく、知ってる人が3人もいてくれて良かった。
 他のクラスにも知ってる人がいるかも知れない。
 そう思っていると、ケンスケが答えて言う。

「いや、みんなバラバラだよ。一番多かったのは甲府かな。他は、長野とか、松代とか……」
「えっ、そうなの? でも……」
「こっちに来たのは、俺たちを入れて10人くらいだったかな。それがクラス毎に2人か3人ずつ振り分けられたんだ」

 ケンスケはそう言ってちらりとトウジの方を見た。
 トウジはまだ机に頬杖をついたままぼんやりと前を見ている。
 それから週番と何か話しているヒカリの方を見た。
 シンジもトウジやヒカリの方を見ていたが、またケンスケの方に顔を戻して言った。

「でも、偶然一緒のクラスになるなんて……」
「ああ、それはたぶん、固められたんだろ、俺たち」

 ケンスケが間髪を入れずに答える。
 少し表情が真剣になったように見えたのは、眼鏡が反射したせいだろうか。

「固められたって?」

 どういうことだろう?
 シンジの疑問に、ケンスケは平然と答える。

「俺たちは、ほら、シンジたちと一番仲良かったし、ミサトさんの家にも出入りしてたし」
「あ、うん」

 でも、それだけの理由で?
 シンジが考えていると、ケンスケが言葉を続けた。

「エヴァの戦闘を邪魔してコックピットに入ったし、委員長は惣流をかくまったし。ま、要するに俺たち3人は要注意人物ってことさ」
「…………」

 シンジは何も言えなかった。
 もしかしたら、僕のせいでケンスケたちは迷惑してたんだろうか。
 だが、ケンスケは半ば笑っているような表情で話している。
 まるで楽しい思い出話をするかのように。
 シンジが黙っていると、ケンスケはまたトウジの方を見遣り、少し声を低くして言った。

「しかも、トウジはパイロットだったからな。まだ監視が付いてるんじゃないの?」
「うん、監視は僕たちにも……あっ」

 そこまで話してから、シンジの頭の中で無理矢理封印していた記憶が蘇る。
 そうだ、トウジ。エヴァに乗ったトウジ。トウジの脚……
 ……あれは、あれは僕のせいだ。だから……

「あの……トウジとも話してくるよ」

 シンジがそう言うと、ケンスケは軽く笑いながら答えた。

「ああ、そうしろよ。あいつ、ずいぶんシンジのこと、心配してたぜ」
「えっ?」

 心配って、どうして?

「自分のせいで、シンジが悩んでるんじゃないかってな。話、してこいよ」
「あ、うん……」

 違う。悩むどころか、悩むことから逃げて、無理矢理忘れようとしてたんだ。
 僕は……僕は、卑怯だ。謝らなきゃ、トウジに……
 シンジは立ち上がると、教室の後ろに行こうとした。
 ふと、レイと目が合う。
 レイは後ろの席からシンジとケンスケが話しているのをじっと見ていたようだ。

「あの……トウジと話してくるから」

 言ってしまってから、シンジは気が付いた。
 どうして僕は綾波にいちいちこんなこと言ってしまうんだろう?
 ……僕はまだ綾波に頼ってるんだろうか?
 レイが頷いたのを見て、シンジは歩き出したが、結論は出なかった。



Extra Episode #4

a friend indeed




 ぼんやりと前を見ていたトウジは、シンジの足音で顔を上げた。
 そして身体を捻ってシンジの顔を見上げる。
 シンジはその目を見ながら少し震える口を動かした。

「トウジ……」
「おお、シンジ。久しぶりやの」

 そう言ったトウジの顔は穏やかだった。以前のトウジとは少し違う。
 まるで……そう、エヴァに乗ることが決まった頃のトウジみたいだ。
 もっとも、その時僕はそんなことは知らなかったんだけど……

「トウジ、その……脚は……」

 シンジは少しためらってからその言葉を口にした。
 トウジが片脚を失ったことは、病院を出るときにミサトさんから聞かされた。
 だから僕は父さんが許せなかった。
 トウジをそんな目に遭わせた父さんが。
 でも、それは僕がエヴァを操縦しなかったからでもあるんだ。
 僕が自分で使徒を倒していれば、トウジはもう少し軽い怪我で済んだかもしれないのに……

 だが、シンジの耳に聞こえたのは、意外な言葉だった。

「ああ、ま、ぼちぼちっちゅうところやな」
「えっ……」

 シンジはちょうどトウジの左側に立っていた。
 トウジの失われた方の脚の側に。
 しかし、ふと視線を下に落としたシンジの目には、トウジの脚が映っていた。
 ないはずの左脚が。

「あ、脚……その脚……」

 シンジはうわごとのように声を出していた。
 脚……あるじゃないか……じゃあ、あれは……あの時聞かされたのは……
 それっきり言葉を失ったシンジに、トウジが苦笑しながら話しかける。

「ああ、これはニセモンや」
「にせ物……?」

 じゃあ、義足?
 シンジの目の前で、トウジはその脚を手でポンポンと軽く叩きながら言う。

「そや。でも、ようできとるわ。そこそこ思うたように動いてくれるさかいな」
「…………」
「何でも、神経パルスを拾うて動くっちゅう優れモンや。まだまだリハビリしとるところやけど、まあそのうち慣れるやろ」
「あの……ごめん……」

 シンジはいつの間にかまた謝っていた。
 すると、トウジがまたシンジを見上げて、ふっと笑いながら言った。

「何や。何を謝っとんのや?」
「えっ? だって……」

 だが、トウジはシンジに有無を言わせぬ強い口調で語った。
 まるで、昔のトウジに戻ったように。

「シンジが気にすることやあらへん。ワシが自分で決めたことでこないなったんやさかいな。そやから謝る必要なんかあらへんのや」
「…………」

 そして呆気にとられているシンジに向かって、屈託ない表情を見せて言った。

「何やセンセ、久しぶりにオうたのに、そないに辛気くさい顔すんなや」
「あ、う、うん……でも……」
「気ぃ使うことなんかあらへん。ワシら、友達やないか、なあ」
「うん……」

 シンジはしばらく床を見つめていたが、思い切って顔を上げると、トウジに向かって言った。

「……ありがとう……」

 そしてシンジはようやく笑顔になることができた。
 『友達』という一言がうれしくて。
 みんな、まだ僕のことを友達と思ってくれてたんだ……

「い、碇君、あの……」

 その時、前の方から声がかかった。
 振り返ると、ヒカリがシンジの顔を見ながら立っていた。

「あ……委員長……」
「あの……ちょっと、訊きたいことが……」

 ヒカリが口ごもりながらそう言ったとき、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「まあ、詳しい話は、昼休みにでもしよや」

 トウジのその一言で、ヒカリもシンジも席に戻った。
 席に戻るとき、シンジはまたレイと目が合った。
 ……ずっと見てたのかな?
 シンジはそう思いながら席に着いた。
 そして授業中も、シンジは背中にレイの視線を感じていた。



 昼休み、シンジは屋上に来ていた。
 その隣にはレイが座っている。
 そしてケンスケ、トウジ、ヒカリと一緒に丸くなって座り、弁当を広げていた。
 NERVの話はあまり他の人に聞かれるとまずいから、とケンスケが屋上に行くことを言い出したのだ。
 空はいつの間にか薄曇りになっていて、風が出ていた。
 弁当を食べるには好都合な日和になっていた。

「えっ、じゃあ、相田君は知ってたの?」

 ヒカリがお手製の弁当をつつきながら、ケンスケに訊いた。
 ケンスケは購買で買ってきたパンを頬張りながら答える。

「ああ、転入生が来るっていう情報くらい、簡単にわかるからな。もっとも、それがシンジと綾波だってのを知ったときはさすがに驚いたけど」

 ケンスケはそう言って紙パックのコーヒー牛乳を一口飲んだ。
 そしてパンの残りを口に押し込むと、別のパンの袋を開ける。
 ヒカリは納得がいかない様子で、トウジの方に目を向けた。

「鈴原も知ってたの?」
「ん? ああ、いや、ケンスケから聞いたんは昨日なんやけどな」

 トウジはボソッとそう言うと、アルマイトの弁当箱の中から卵焼きをつまんで、口の中に放り込んだ。
 それをゆっくりと噛んでから飲み込み、また口を開いた。

「そらぁ、驚いたがな。まさか、シンジまでここに来よる思えへんかったし」
「そうそう。ま、とにかく、みんな再会できたんだから、めでたいことだよな」

 トウジの言葉にケンスケが相づちを打つ。
 ヒカリは2人の顔を代わる代わる眺めながら、不満そうに言葉を漏らした。

「で、でも、どうして私には言ってくれないの? 転校生が来るのも知らなかったし、それが碇君と綾波さんだったから、ほんとにびっくりしたんだから……」

 すると、ケンスケがパンを食べようとしたのをやめながら言った。

「委員長は担任に聞いて知ってると思ってたんだよ」
「そんなの、全然知らなかったわよ」
「そりゃ、悪かったよ。今度からちゃんと言うよ」

 それからケンスケはパンを口に放り込み、シンジの方を見て言った。

「で、どうなったんだ? NERVの方は」
「えっ? その……」

 シンジは箸を止めて3人の顔を眺めた。
 3人とも興味深そうにシンジの方を見ている。
 シンジは何をどう話していいかわからなかったが、取り敢えずNERVの行く末のようなものを答えてみた。

「僕も詳しいことは知らないけど、解体されるとかで……」
「解体? じゃあ、使徒は全部倒したってことか?」
「う、うん、一応……」
「そらそやろ。全部倒さんうちからNERVがなくなってどないすんねん」
「そりゃそうだけどさ」

 トウジの言葉にケンスケはそう言うと、またパンを一口かじった。
 そしてそれをコーヒー牛乳で流し込むと、また口を開く。

「じゃあ、2週間前のあれが最後だったんだな、きっと」
「あれって?」

 何のことを言ってるか解らずシンジが訊くと、ケンスケは一瞬不思議そうな顔をした後で、やれやれという表情になって言った。

「そうか、シンジは内部の人間だから、外に伝わってる情報は知らないのかもしれないな」

 それから食べ終わったパンの袋を丸めながら言う。

「こっちじゃ、第3新東京が国籍不明のミサイル砲撃を受けたってことになってるんだけど、どうなんだ? ほんとのところ」

 そして興味津々と言った顔でシンジを覗き込んだ。
 シンジは2週間前のことを思い出していた。
 そうか、確か……

「いや、ミサイルを落とされたのはほんとなんだけど……」
「でも、それだけじゃあんな火柱は上がらないだろ?」
「そや。あの時は空がまるで真昼みたいに明るうなりよったからな」

 トウジがそう言ってからご飯を口に掻き込んだ。
 しかし、シンジは困ってしまった。
 その辺のことは聞かれても、よくわからないんだよな。
 僕がわかってるのは、ミサイルが落とされた後の少しの間だけで……
 ミサトさんにどうなってたのか聞いてみたけど、ATフィールドがどうのこうのって、良くわかんないこと言い出すんだもの。
 シンジが戸惑っていると、ケンスケが身を乗り出しながら言う。

「相変わらず、報道管制が続いてるんだよ。爆発ででっかいクレーターができたっていうことしか聞いてないんだ。口止めされてるのはわかるけど、少しだけでいいから教えてくれよ、なあ、シンジ」
「いや、別に隠すつもりはないけど……」
「だったらいいだろ。何があったんだ?」
「えっと、まず、ミサイルが落ちて……」

 それからシンジは順を追って話し始めた。
 ミサイルが落ちてきた後で、量産機が空から降りてきたこと。
 暴走した初号機が量産機を圧倒したこと。
 最後の最後に掴まってしまい、空に拘引されていったこと。
 しかし、そこまで話したところで、シンジは話すことがなくなってしまった。

「じゃ、その後は憶えてないって言うのか?」

 ケンスケが呆れたようにシンジに言った。

「う、うん。隠してるわけじゃなくて、ほんとに知らない間に終わってたんだ」
「何や、それは。そんな勝ち方あるかいな」
「そんなこと言われても……」

 知らないことは知らないんだから……
 シンジがそう言いかけたとき、それまで黙って聞いていたヒカリが口を開いた。

「あの……アスカはどうなったの?」
「そうだよ。シンジが意識不明になってる間に、惣流が敵をやっつけたんじゃないのか?」

 ケンスケがヒカリの言葉を受けるようにそう言った。
 シンジは少し考えてから答える。

「でも……アスカはその時は、心身症か何かで、病院にいたんだ」
「動けなかったのか?」
「うん。エヴァともシンクロしなかったし。回復したのは、戦闘が終わってしばらくしてからで……」
「ほな、綾波か?」

 トウジのその言葉に、3人の視線がレイにさっと集中する。
 レイは小さな弁当箱に詰められたサンドイッチを既に食べ終わり、シンジたちの話を黙って聞いていたが、トウジに訊かれても静かに首を振るだけだった。

「なんや、けったいな話やな。ほんまに平和になったんかいな」

 トウジは食べ終わった弁当箱の蓋を閉めながらそう言った。

「でも、ミサトさんとかが、終わったって言ったんだろ? シンジ」
「あ、うん」
「なら、信用するしかないな」
「そやな。そうでなかったら、シンジがここにおるわけあらへん」
「そうか。終わっちまったのか。でも、状況がよくわからなからないのは残念だな。あーあ、結局俺は何にもできなかったってわけかぁ」

 ケンスケは空になったパンの袋とコーヒー牛乳のパックを、ビニール袋に詰めて口を縛った。
 そして両手を後ろについて空を見上げる。
 トウジも同じようにして空を見ていた。
 雲の切れ間から薄日が射している。
 しかし、ヒカリだけはまだシンジの方を見ていた。

「あの……もう一つ訊いていい?」
「あ、うん、何?」

 ヒカリの声に、ご飯を食べようとしていたシンジは手を止めて聞き返した。

「……アスカはここに来ないの?」
「えっ? いや、その……」

 シンジが言い淀むと、空を見ていた二人ががばっと座り直してシンジの方を見た。
 そして矢継ぎ早に質問を浴びせる。

「そうだ、シンジ、惣流はどうしたんだよ」
「心身症とか言うとったけど、まだ病院におるんか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「じゃ、どこ行ったんだよ」
「えっと、その、ドイツに……」
「ドイツ?」

 シンジの答えに3人は口を揃えてそう言うと、呆気にとられたようにシンジを見ていた。
 しばらくしてトウジが呟く。

「何や、帰りよったんかい」
「本当に帰っちゃったの?」

 ヒカリがまたシンジに聞き直した。

「うん。アスカはそう言ってたけど……」
「そう……残念ね……」

 ヒカリは視線を落とし、まだ半分ほど残っている弁当箱を見つめながらため息をついた。
 ケンスケはそんなヒカリを見ながら、同じようにため息をつくと、誰に言うともなく呟いた。

「ま、委員長は惣流の唯一の友達だったし、気になるだろうな」
「ゆ、唯一って……アスカに失礼じゃないの」
「しゃあないやないか。ほんまのことやねんから」
「ドイツに帰った方が、友達もできやすいんじゃないか?」
「そうかもしれんな。まあ、シンジも綾波も、早うこっちで友達作れや。ちゅうても、ワシらもまだあんまりおらへんけどな」
「そうそう、聞いてくれよ、シンジ。委員長って、友達作るのうまいだろ?」
「あ、うん」
「で、みんなにいろいろ訊かれて、前の学校で委員長やってたって言ったらしいんだ。そうしたら、今学期からまた委員長になっちゃって」
「へえ、そうなんだ」
「な、何言ってるのよ! 投票の前に、男子に言いふらしたの、あなたたちでしょ? ……あっ、そうだ、友達と言えば……碇君?」

 ようやく楽しい話に話題が移ってきたところだったが、ヒカリが思い出したようにシンジに話しかけた。

「えっ、何?」
「葛城さんからまだペンギン預かってるんだけど、どうしたらいいかしら? 結構なついてくれてるんだけど、もう危なくないのなら、葛城さんに返した方がいいのかと思って……」

 ……そう言えば、そうだった。シンジはようやく思い出した。
 委員長が疎開するって言うから、ミサトさんが頼んでペンペンを預かってもらったんだった。
 前にうちに遊びに来たとき、ずいぶん可愛がってくれたからって。
 どうしよう? 取り敢えずは……
 シンジは少し考えてからヒカリに言った。

「じゃあ、ミサトさんに一度電話して聞いてみるよ。何なら、一時的に僕が預かってもいいけど」
「そういや、シンジはどこに住んでるんだ?」
「あ、うん、えっと……」

 ケンスケに訊かれて、シンジは振り返ると、山の方を見ながら言った。
 と言っても、山はすぐ側に迫っていて、ここからそれほど遠くはない。

「……向こうの方にある新しいマンションに住んでて……」
「で、今度は綾波と一緒かいな?」
「ええっ!?」

 トウジがぼそっと言った言葉に、シンジはあわててトウジの方に向き直った。

「ち、違うよ。綾波は、その、隣の部屋で……僕とは別の部屋で……」

 シンジは少し慌てていた。
 ミサトにからかわれたこと思い出してしまったのだ。
 そしてついレイの視線を気にしてしまう。
 シンジの隣で、レイはじっとシンジのことを見ているのだった。
 するとケンスケが横から口を出す。

「じゃあ、あの綺麗な女の人が一緒なのか?」
「え?」
「お、誰や? それは」

 ケンスケの言葉にトウジが少し身を乗り出してきた。
 いつの間にか昔のトウジの表情に戻っている。
 ヒカリが複雑な顔でトウジを見ていた。

「今朝、シンジたちと一緒に学校に来てたんだよ。違うのか?」

 ケンスケが答えて言う。
 窓際から会議室の方が見えたのだろうか。
 また、ビデオでも撮っていたのかもしれない。

「女の人って、マヤさんのこと?」
「マヤさんっちゅうんかいな、その美人は」
「結構若いみたいだったぜ。二十歳くらいかな」
「あーあ、何でシンジだけがいつもええ目ぇ見るんや」
「ち、違うよ、マヤさんは付き添いで来てくれただけで、一緒に住んでるわけじゃ……」

 2人にからかわれてうろたえながらも、シンジは何か楽しいものを感じずにいられなかった。



 家に帰ってくると、シンジは寝室の机の上に鞄を置き、大きくため息をついた。

「ふう……」

 でも、思ったほど疲れなかった……シンジは考えていた。
 最初は何だか緊張して、今日一日もつか心配だったけど、何とかなったな。
 やっぱり、ケンスケやトウジや委員長がいたからかな。
 でも、3人ともあんまり変わってなかったな。いや、トウジは少し変わってたかも。何だか落ち着いてるような……
 とにかく、周りがみんな初対面の人ばかりだったら、もっと気疲れするんだろうけど。
 それに、最初から知ってる人がいたせいか、他の人があんまり話しかけてこなかったな……

 シンジはそんなことを考えながら、カッターシャツを脱いで、袖畳みにして机の上に置く。
 後で洗濯機に入れておかなければいけない。
 それからズボンを脱いで、ハンガーに掛けた。
 そしてベッドの上に腰を下ろすと、今度は小さくため息をついた。

 ……そう言えば、綾波に話しかけてくる人は少なかったな。
 やっぱり、近付きがたい雰囲気があるんだろうか。
 でも、少しずつ他の人にも慣れた方がいいだろうし
 それには、僕も協力しないといけないだろうけど……

 シンジは立ち上がるとシャツを脱いでポロシャツに着替え、スウェットのズボンを履いた。
 そしてカッターシャツを掴んで寝室を出る。
 リビングとダイニングを通り抜け、洗面所に行こうとしたとき、ふと気付いた。
 あ、電話が……

 帰ってきたときは気付かなかったが、ダイニングの留守番電話の赤いランプが点滅していた。
 それはメッセージが入っていることを示している。
 誰だろう……ケンスケか、トウジかな。
 その他に、まだ電話番号を教えた人はいないし。
 取り敢えず、洗面所に行って洗濯機の中にカッターシャツを放り込み、それからダイニングに戻る。
 そして留守番電話の再生ボタンを押した。
 ピッという小さな音がして、メモリーに記録されたメッセージが再生される。

『もしもし、伊吹ですけど……』

(え、マヤさん?)

 留守番電話には今朝別れたばかりのマヤの声が入っていた。
 声は話し続ける。

『今朝言おうと思っていて、忘れてたんだけど……ごめんなさい、言い忘れてばっかりで。時間がなくて、バタバタしてたものだから……』

 マヤは少し早口でそう喋っていた。少し焦っているようだ。
 必要なことだけ言えばいいのに、そうしないでいろいろ気を回すのが何となくマヤさんらしい、とシンジは思った。
 それからマヤはようやく本題に入る。

『で、お願いがあるんだけど、これからしばらくレイちゃんの夕食を作ってあげて欲しいの。お料理、まだできないみたいだから……それと、できればお昼のお弁当も』

 あ、そうか……シンジはまた昨日のことを思い出した。
 マヤさんが昨日の夕食を綾波に手伝わせたのは、料理を教えるためだったのか。
 それに、今日綾波が昼に食べてたサンドイッチ。あれはきっとマヤさんが作ったんだ。
 前の日から言われてれば綾波の分も作ったんだけどな。今朝は時間もあったし。
 シンジはそんなことを考えながら、メッセージを聞いていた。

『レイちゃんのところにも留守電入れておくから、後で相談しておいて。それじゃ、また週末……』

 そこでメッセージは終わっていた。
 時間は9時少し前。
 帰りの列車に乗る直前に電話したのだろうか。

(弁当はともかく、夕食は……買い物に行かないといけないな……)

 シンジが冷蔵庫の中身を思い浮かべながらそんなことを考えていると、玄関のチャイムが鳴った。
 え? 誰だろう……まさか、綾波?
 シンジは玄関に駆けていくと、インターホンの受話器を取った。

「はい?」
『……碇君……』
「あ、綾波? ちょ、ちょっと待って……」

 シンジは受話器を置くと、玄関のドアを開けた。
 外にはレイが立っていた。
 セーラーカラーの白いブラウスに、青いスカート。シンジが見たことのない服だ。
 さっきまでとまた少し印象の違うレイを見て、シンジはちょっと動揺していた。

「え、えっと、その、夕食のこと?」
「…………」

 シンジが訊くと、レイは黙って頷いた。

「マヤさんから、電話入ってたんだよね?」
「…………」

 またレイは頷くだけ。
 やっぱり、そうだったのか。
 どうしよう。でも、まず買い物に行かなくちゃ。
 シンジは取り敢えず、レイを買い物に誘おうとした。

「あの、じゃあ、これから買い物に行こうよ。ちょっと待って、財布取ってくるから……」

 シンジはそう言い残すとまた寝室に戻った。
 Gパンに着替え、制服のズボンから財布を取り出すと、玄関に戻ってくる。
 レイはドアの外でじっとシンジが出てくるのを待っていた。

「お待たせ……じゃあ、買い物に……」

 シンジが靴を履きながらそう言おうとすると、レイが小さく声を出した。

「……碇君……」
「えっ、何?」

 見ると、レイがじっとシンジの方を見つめていた。
 その瞳は、シンジが今まで見たこともないような深い紅を湛えている。
 透き通るような綺麗な紅だった。瞳が放つ光が心の内まで見通すかのような。
 その紅い瞳が心なしか揺れている。
 シンジは言葉も出せずに、ただレイが話すのを待っていた。
 レイもまた黙っていた。しかし、その口元は何かを語ろうとしていた。
 だがまだそれは言葉にならず、心の中で必死に紡いでいるのかもしれない。
 やがてレイは戸惑うように口を開いた。

「……料理……」
「えっ……」
「……教えて……」
「あ……」

 シンジはまた言葉を失った。
 マヤさんから電話で、僕に教えてもらうように言われたのかもしれない。
 でも、綾波の方から言い出すなんて思わなかった。
 そういうことは、僕の方から言い出さなきゃいけないと思ってた。
 でももう、そうじゃないんだ……
 シンジはうつむき加減になって黙って考えていたが、顔を上げるとレイに言葉を返した。

「うん……もちろん、教えるよ。じゃ、まず買い物から……」

 それを聞いたレイの顔に、安堵の表情が広がったようにシンジは感じた。
 そしてシンジはレイを促してエレベータの方に歩き始めた。
 レイは黙ってシンジの横に並んで歩く。
 下に降りるエレベータの中で、シンジは考えていた。
 買い物の間も、帰ってきて料理を作っている時も、夜が更けてベッドに入ってからも、考えていた。

 綾波……変わろうとしてるの……

 それから、思う。

 僕は……僕は、変われるのか……



私を変える人。
それはあなた。
あなたがいるから、
私は変わるの。

私を変える人。
それは私。
あなたを想う気持ちが、
私を変えるの。

何が変わるの?
あなたのために。
何を変えるの?
私のために。

でも、

変えていいの?
私自身を。
変わるのが怖いの?
私の心が。

変えたくないの。
私の気持ち。
あなたを想う心。
変わるのは、いや。

でも、

私は知らない。
何が変わるのか。
どう変わるのか。
私の心が。

変わるのが怖いの。
私の心が。
変えられた私が、
あなたを変えることが。

変わっていいの? 私……


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions