それはまだ夜も明けやらぬ頃だった。

 部屋の明かりを消し、彼女はただ黙って椅子に座っていた。
 リクライニングの背もたれに身体を預けるようにして深く腰掛け、両手を肘掛けに置いて。
 そして少し横を向くようにして、目を閉じていた。
 どうやらひとときのまどろみを甘受しているらしい。
 眠る前に何か楽しいことがあったのだろうか、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
 心地よく利かされた空調の風が、時折彼女の金色の髪を優しく撫でた。

 彼女の目の前のモニターには、彼女の可愛い後輩の寝顔が映し出されていた。
 だが、その寝返りを打つ様子を見ることもなく、彼女は安らぎの境地に落ちたままだった。
 脇机に置かれたノートパソコンの画面では、スクリーンセーバーのネコがボールを追いかけて跳ね回っている。
 ネコは遊び疲れると丸くなって眠り、しばらくすると起き出してまた駆け回る。
 それが何度となく繰り返される間、彼女は椅子の上で微動だにしなかった。

 ジオフロントに一筋の光が降りてきた。
 地上の世界に朝が訪れたのだ。
 黎明の光は次第に強さを増して、まるで金色の雨のように地下の空洞に降り注ぎ、闇を追い払った。
 その光は彼女の部屋にも届き、そこを清新な空気で満たした。
 彼女が目覚めたのはそんなときだった。

 一度薄く開いた目をまた閉じ、ゆっくりと深呼吸する。
 リクライニングを元に戻し、両手を肘掛けに置いて立ち上がる。
 そこでようやく目を開け、造り付けのキッチンセットに向かうと、手早くインスタントコーヒーを淹れる。
 ブラックのまま一口すすってから、大きく息を吐いた。
 それからちらりとモニターの方を見遣る。
 彼女の可愛い後輩は、まだ深い眠りから覚めていないようだった。

「間もなく最終段階ね……その時は……」

 彼女はそう言いかけて口をつぐむと、薄く笑った。
 その微笑みの意味を知る者は一人としていなかった。



 ネコ耳マヤさん





 マヤさんはまだ夢の世界の住人だった。
 小さな『zzz』の文字を吐きながら、すやすやと眠っていた。
 布団は静かで規則正しい上下運動を繰り返している。
 何か幸せな夢でも見ているのだろう、柔らかな笑顔を浮かべている。
 時折はっきりと嬉しそうに微笑む表情も垣間見られた。
 もしかしたら、昨日の昼の楽しいボール遊びのことを思い出しているのかもしれない。

 しかし、作者も幸せである。
 マヤさんの寝起きを4日連続で見られることになったのだから。
 (実はこのSSが始まってから、まだ4日しか経ってないのであった)
 これなら、リツコの眠っている様子を書くために早起きさせられたことも苦にならない。
 何しろ、マヤさんの寝顔というのは抜群に可愛い。
 それを文章にして読者の皆さんにお伝えしたいのだが……生憎、作者のつたない文章では表現しきれないほどなのだ。(あ、またマヤさんが笑った)
 だが、そうは言っても何とか書き表す努力をするのは作者の義務というもの、及ばずながら挑戦してみよう。

 マヤさんは正面を向いて眠っていた。
 首のところまでこんもりと布団をかぶり、その端に軽く手をかけて。
 部屋の明かりはもちろん消されている。
 暗闇の中の眠り姫の姿をぼんやりと浮かび出させているのは、枕元の電子時計の青い蛍光。
 その光が顔に微妙な陰影を作り出す。
 前髪が額に落とす影、涼しげな目元にできた睫毛の翳り、形の良い小鼻と柔らかそうな頬の輝き。
 そして緩やかで美しいカーブを描く唇は、光の加減でリップを差したかのように濡れて見える。
 大人の女性としての魅力もさることながら、どこかあどけなさが残るその面影は、造形の女神の悪戯か。

 唇が微かに開いた。
 そして声にならない呟きの後、小さく寝返りを打った。
 今度は右を下にして眠っている。
 髪が乱れたので、起きたときには寝癖ができているかもしれない。
 だがもちろんそんなことを気にすることもなく、マヤさんは安らかな眠りを堪能していた。
 まるで子供のように無邪気な笑顔を浮かべながら。

 こうして毎日マヤさんの寝姿をみなさんにお届けできるのは、作者にとってもこの上ない喜びである。
 だが、マヤさんとてずっと眠っているわけではない。
 時間が来れば否応なしに眠りの淵から引きずり出されることになっている。
 そしてその時間はもう間もなく来る予定だ。
 ほら、時計に注目……9、8、7、6、5、4、3、2、1……

『♪〜♪〜 ♪〜♪〜 ♪〜♪〜 ♪〜♪〜……』

 この旋律はどこかで聞き覚えが……そう、エヴァのサントラに入っている『RITSUKO』だ。
 どうしてこんな物が目覚ましに入っているのだろう。
 もしかしてステレオにCDがセットされていたのかも。
 ともあれ、マヤさんは曲をきっちりフルコーラス聞いてから目覚めた。
 布団からむっくりと起き上がり、うーんと伸びをする。

「ふゎ……」

 片手で口元を隠しながら、可愛らしく小さく欠伸。
 誰も見てないからといって(作者は一応見てるけど)、油断して大欠伸などしないところがマヤさんだった。
 それから枕元の電気のスイッチを入れて部屋の明かりを点ける。
 しかし、まだ布団に足を入れたまま、ぼんやりとしている。
 目をしばたたかせていたりして、ちょっと眠そうだ。
 低血圧だから、少々寝起きは良くないマヤさんだった。
 そうそう、予想通り、髪の毛が少し跳ねている。(これがまたいいのだ)

「みゅん……」

 マヤさんは何やら口ごもりながら、右手をネコ手にして目元をこすった。
 そんなことをしたら目が赤くなって、可愛い寝起きの顔が台無しになるのに……
 作者のそんな思いが通じたのか、マヤさんは目をこするのをやめた。
 そしてネコ手を目の前に持ってきてじっと見ている。
 働けど働けど、我が暮らし楽にならざり……というわけでもないだろうが、どうしたのだろうか。

 ぷに

 マヤさんは左手で右の掌をつついてみた。
 何だか妙な弾力があるようだ。

「ふふ」

 マヤさんは小さく笑うと、楽しそうにその部分をつつき始めた。
 何だかとても楽しそうである。
 更に左手にも同様のものがあるのを発見し、右手でつついている。

 ぷにぷにぷに……

 ひとしきりそうしてつつき回すと、マヤさんは両手をぴったりと頬に付けた。
 そうしてマッサージをするように、円を描くようにして動かす。
 どうやらその独特の感触を、頬で楽しんでるらしい。
 目を閉じてとても気持ちよさそうな顔をしている。

「ふふ」

 マヤさん、ご満悦の表情だった。

 パシューン

 と、その時、自動ドアが開いてリツコが入ってきた。
 もしかしたら外で様子を窺っていて、マヤさんが起きた頃合い見計らって入ってきたのかもしれない。
 リツコは昨日と同じように、食事のワゴンを押している。
 マヤさんはパッと目を開け、リツコの姿を認めると、嬉しそうな顔になって言った。

「先輩! おはようございます!」
「おはよう、マヤ」

 平静を装い、挨拶を返すリツコ。
 しかし、彼女はマヤさんの身に何が起こったのかを既に知っているはずだ。
 だがマヤさんはそんなことは気にもせず、まるでいいものを見つけた子供のような顔になって言った。

「先輩、ほら、これ!」

 そうしてマヤさんはリツコの方に両手を突き出した。
 ネコ手のまま……あれ?
 手は指を軽く握った状態になっている。
 表面は柔らかそ〜な白い毛で覆われていた。
 これではまるで、ネコ手になった手袋をつけているかのようだ。
 そして掌の部分には、ピンク色の楕円形の物体が……

「肉球、できちゃいました!」

 ……あの、嬉しそうな顔してますけど、マヤさん?
 それって、結構大変なことじゃないんでしょうか。しっぽ振ってる場合じゃないですよ。
 全く、ネコ耳やしっぽが生えてきたときに大騒ぎしていたマヤさんはどこへ行ってしまったのやら。
 それとも、もう開き直ってしまったのだろうか。
 まあ、マヤさんに限ってそういうことはないと信じたいから、きっと今は寝起きでネコモードになっているのだろうと推察する。
 通常モードに戻ったとき、どんな反応を示すか……まあ、今は話を進めることにしよう。

「そう、良かったわね、マヤ」
「にゃあ!」

 リツコの言葉に、マヤさんはこれまた嬉しそうに返事をした。
 ほら、やっぱりネコモードだった。
 ネコ耳ぴくぴく、しっぽふりふり。
 今やマヤさんはネコモード全開であった。

「顔と手を洗ってきなさい。朝食にするわよ」
「にゃあ!」
「ネコ手でも、スプーンやフォークなら持てるでしょう」
「にゃあ!」

 マヤさんは元気良くそう返事をすると、ポンとベッドから起き上がって、洗面所に駆けていった。(爪先走りで)
 すぐに、水の流れる音が聞こえ始める。
 顔と手を洗うというから、ネコみたいに舐めて綺麗にするのかと思ったら、人間の習慣がちゃんと残っているようだ。
 その間にリツコはベッドの枕元からマヤさんの髪の毛を拾い上げ、それをポケットに入れた。
 そしてマヤさんがタオルで顔を拭いて戻ってきたときには、何事もなかったかのようにテーブルを出して食事のセッティングを始めていた。

「今日の朝食は鰺の開きよ、マヤ」
「わあっ、おいしそうですね!」
「身をほぐしてあげるから、お食べなさい」
「ありがとうございます、先輩! いただきま〜す」

 朝食の間中、マヤさんはご機嫌であった。



 さて、場所は計算機室に移る。
 マヤさんの仕事はもう始まっていた。
 リツコが背後から見守る中、マヤさんは笑顔でキーボードを叩いている。
 まだネコモードのままなのだろうか。
 いや違う。

 実は、食事が済んだ後でマヤさんは通常モードに復帰した。
 だんだんネコモードでいる時間が長くなっているようだが、それはさておき。
 そこで当然のように、悲劇のシーンが訪れた。

『あぁっ! この手はいったい……それに肉球まで……』

 マヤさんは自分の手がネコ手に変化していたことを『正しく』認識し、涙をぽろぽろと流して泣き始めたのだ。
 (一粒1万円で売れそうなくらい綺麗な涙だったが)
 リツコはマヤさんに寄り添い、肩に手を置きながら耳元で優しく語りかけた。

『仕方ないわ。そういう病気ですもの』
『でも、でも……』

 まるで子供のようにくすんくすんと泣きじゃくるマヤさん。
 昨日しっぽが生えたときにかなり観念したのか、大泣きはしなかったが。

『でも……これじゃ、私、もう……オペレーター……できない……』(c)利根さん

 あ、あのね……
 昨日もそうだったけど、マヤさんの考えって何かちょっとずれてない?
 いや、仕事を大事にする気持ちはわかるんですけどね。
 ネコの姿になって困ることといえば、他にいくらでもあるでしょうに。
 例えば、外を出歩くときにコスプレしてるみたいで恥ずかしいとか。
 (じゃ、コミケの会場じゃ恥ずかしくないのかと言われたらどう答えていいのかわからんが)
 それから……

 …………

 他にないな。

 それはともかく、これくらいショックを受けていたマヤさんが立ち直ったのには訳がある。
 もちろん、リツコが特注ネコ手用キーボードを用意していたせいもあるが(いつ発注したんだ?)、もう一つ大きな理由が……まあ、お聞きいただこうか。

 タタタ、タンッ!
 タ、
 タタタタ、
 タ、
 タタタタタ、
 タタタタタタタタタ、
 タタ、
 タタタタタタ、
 タタタタタ、
 タタタ、
 タタタタタ、
 タタタタタタタタ、
 タタタタタタタタタ、
 タタタタタタタ、
 タタタタタタタタタ、
 タタタ、
 タタ、
 タタタ、
 タタタタタタタタ、
 タタタタ、
 タタタタタタ、
 タタタ、
 タタタタタタ、
 タタタタ、
 タタタ、
 タタタ、
 タタタタタタタタ、
 タタタ、
 タタ、
 タタタタタタタ、
 タタタタタタタタタ、

 おわかりだろうか。
 そう、以前は『カタ』と表現していたキータッチ音が、今は『タ』なのである。
 つまり、速度が約2倍(筆者調べ)になっているのだ。
 それでもまだリツコのスピードに及ばないのはリツコがすごすぎるからなのだが、そんなことを別にしても、マヤさんは自分の信じられないキータッチにいたく感動したのだった。

「せ、先輩、すごいです! ほら、キータッチがこんなに早く!」

 確かにすごい。5本指でやっていたときよりもまだ早いのだから。
 (指は一応少し使えるようなのだが、なにぶん短いので肉球で押している)
 まさか、ネコ化することによって運動神経が俊敏化したとでもいうのだろうか。
 マヤさんの手は特注キーボードの上を目にも留まらぬ速さで駆け回っているのだった。(しぱぱぱぱって感じ)
 まるで手の神経が脳に直結したかのように、手が自由自在に動いている。
 その素早さは、あたかもネコが獲物を捕るときのようだ。

「良かったわね、マヤ」
「はい、これならネコ化するのもそんなに悪いことじゃないなって思えてきました!」

 マヤさんはリツコの方を振り返りながらそう答えた。
 それでもキータッチのスピードは落ちないのだからたいしたものだ。
 でもそれって、仕事のためならネコになってもいいってことなのだろうか? あまり迂闊なこと言わない方がいいと思うんだけどなぁ。
 それはともかく、マヤさんがまたディスプレイの方に目を戻したとき、リツコはこれ以上ないくらい嬉しそうに微笑んだのだった。
 果たして彼女はマヤさんをネコにすることによって何が嬉しいのだろうか……
 それは作者もリツコに聞いてないので詳しいことはわからない。
 そのうち、リツコ自身が明かしてくれることだろう。

 とにかく、マヤさんは昨日までの遅れを取り戻してお釣りが来るくらい仕事がはかどるのが嬉しくて、無心にキーボードを叩き続けていたのだった。
 もちろん、たまにネコになってゴムまりと戯れるのも忘れていなかった(笑)

「ほらマヤ、あなたの好きなゴムまりよ」
「ごろにゃ〜ん」
「ほら、毛糸玉よ。これで好きなだけ遊びなさい」
「にゃんにゃんにゃん!」

 そしてリツコはそんなマヤさんを満足そうに眺めているのだった。



 さて、そんなこんなで週末。
 金曜日の夜である。
 明日から温泉旅行ということでシンジはその支度に追われていたが、一つやっかいな問題があった。
 温泉に行くことを、ミサトとアスカにまだ言っていないのだ。
 それが何が問題かというと、まあいろいろとある。

 一つは、二人の生活の問題。
 既にこの頃、炊事、掃除、洗濯は全てシンジの仕事になっていた。
 いわば、兼業主夫。
 ミサトはたまに思い出したように燃えるゴミを捨てに行ったりするが、アスカはさっぱりなのである。
 だから、この家にシンジがいないとどうなるか……

 使徒との戦いのせいでシンジが入院したときなどは、食事はもちろんコンビニ弁当とインスタント食品。
 紙パックやプラスチックのトレイはテーブルの上に出しっぱなし。使った箸や皿も洗わずにシンクに沈んでいる。
 部屋に掃除機をかけるのは二人とも月に一度あればいい方で、床の拭き掃除などはしたこともない。
 汚れた服は洗濯機がいっぱいになるまで放り込んだまま。洗濯したものもシンジが仕分けして部屋まで持っていってやっている。
 とまあこんな感じだから、シンジが一泊旅行などして帰ってきたら、洗い物が山ほど溜まっているのは明白だろう。
 そしてダイニングは廃棄物集積所になっているに違いない。洗濯はまあいいとして。
 こんな二人を放っていって、ほんとにいいのだろうかとシンジは少し悩んでいたのだった。

 もう一つの理由は、シンジだけが行くことだ。
 ミサトは仕事があるから行けないとして、遊び好きのアスカが黙ってシンジを行かせるわけがない。
 ペアで当たったことを持ち出して、どうして自分を連れていかないのか問い質すことだろう。
 まあ、言い訳は考えてあるのだが、八つ当たりして何を言われるかと思うと気が重くなってくる。
 アスカがシャワーを浴びている間に、ミサトにだけに言おうかとも考えたが、それだと帰ってきてから難癖をつけられる恐れがある。
 そんなことを言われるのを悩みながら温泉に浸かっていても面白くないだろう。
 どうせ嫌な思いをするなら、先にした方が……
 シンジはそう考え、食事の後で洗い物をしながら二人に話しかけた。

「あの……ミサトさん?」
「んー? 何?」

 シンジはダイニングのテーブルでビールを飲んでいるミサトに話しかけたが、リビングでごろ寝してテレビを見ているアスカにも聞こえるように言った。

「明日から僕、温泉に行ってこようと思うんですけど……」
「へ? 温泉? それはまた、唐突ね」
「ええ、あの、コンテストでもらったやつ。こないだ、ミサトさんに訊いたら、リツコさんがいいって言えば行ってもいいって言ってたじゃないですか」

 ミサトを酔わせて言わせたこともあり、既に忘れているかもしれないとシンジは心配だった。
 一応、その時の発言は録音してあるのだが……
 しかし、ミサトはしばらく考えた後で納得したように言った。

「あー、あー、あれね。で、行っていいって?」
「ええ。すぐ近くの温泉だし、すぐ呼び戻せるからって」
「誰と行くの?」

 その質問をしたのはミサトではなかった。
 アスカがリビングでテレビに顔を向けたまま、訊いてきたのだ。
 ……やっぱりな……
 シンジはアスカが見ていないのをいいことに、しょうがないなという顔をしながら言った。

「……リツコさんと」
「え? リツコと?」
「へ? リツコぉ?」

 ミサトとアスカはハモりながらそう言うと、一斉にシンジの顔を見た。
 二人とも驚いた顔をしているが、その内容は少し違うことだろう。
 ミサトは『あんな仕事の虫みたいなリツコが今頃どうして温泉に……』であり、アスカの場合は『何でアタシとじゃないのよ』だったに違いない。
 だが、それを言われる前に、シンジはあらかじめ用意しておいた言い訳を一気にまくし立てた。

「ほ、ほら、この前、僕、病気で一晩NERVに泊まったじゃないですか。その時、リツコさんが賞品を利用して療養がてら温泉に行ってきたらって……で、あのペアチケットって、保護者同伴じゃなきゃ行けなくって、それならミサトさんは今度の土日は休みじゃないはずだからって、リツコさんが代わりに行ってくれることになって……」

 当然のことながら、マヤさんとレイが一緒に行くことは言わなかった。
 言ったらアスカが黙ってないに違いないから。
 シンジは言い訳を終えると二人の反応を窺った。
 ミサトは納得したようなしてないような、アスカは明らかに不服そうな表情だった。

「……まー、言われてみればあたし当分土日休みないし。それにこないだ使徒退治のついでに行ったとこだから、ま、いっか」

 ミサトはしばらく考えた後でそう言った。
 しかし、ほんとはあまり考えてなかったに違いない。
 もう既にだいぶ飲んで酔っぱらった状態だったから。
 それとも、加持との密会が待っているのだろうか。

「どうしてあたしは連れてってくれないのよー」

 ややあって、アスカがはっきりと不満を口にした。
 しかし、シンジはこれに対する答えを既に用意してあるはずだ。
 しっかり言い訳するんだぞ。

「で、でも、あれって、ペアチケットだったし……」
「アタシたち中学生なんだから、大人一人分で二人行けないの?」

 おお、鋭い。さすが大卒。(関係ないか?)
 実は半額とはいかないまでも、少々割引があるのだった。
 もちろん、その割引分はレイの代金の足しになっている。(ちなみにマヤさんは全額自分で出す)
 だが、そんなことを言ってしまってはいかんぞ、シンジ。

「む、無理だよ、そんなの……宿泊料金には中学生割引なんて無いんだ。それに、近場で交通費なんてほとんど要らないから、割引されても微々たるものだし……」
「ふん、役に立たないチケットねっ!」

 何に八つ当たりしてるんだか。
 しかし、これでアスカは引き下がってくれそうである。
 シンジはアスカがテレビに向き直ったのを見て、ホッと一息ついた。

「あーあ、あたしも加持さんにどっか連れてってもらおうかなー」
「無理無理、あいつ、明日から出張だって言ってたわよ」
「ちぇっ、つまんないのー! もうお風呂に入って寝よっと」
「入浴剤でも入れて、温泉気分出してみたら?」
「そうだ、加持さんのおみやげ、温泉の素にしてもらおうかなー」

 ミサトとアスカの会話を耳にしながらシンジは洗い物を終えると、部屋に戻ってぐったりとベッドに倒れ込んだ。

(はあ、よかった……バレなくて……)

 彼にとってはこの程度の嘘を付くのも必死なのだった。
 お疲れさん。
 しかし、温泉に行ったらたぶんもっと疲れると思うぞ(笑)



 マヤさんは久々に自分のマンションに戻ってきていた。
 もちろん、温泉旅行の荷造りのためである。
 ネコ耳病さえ治っていれば土曜日は恋愛小説MLのオフに(コーヒーゼリーをおごらされに)行く予定だったのだが、仕方なく断念。
 『次回は絶対』というメールをみんなに出してから帰ってきたのだった。
 (『利子は高くつくわよ』というメールをいくつか受け取ってしまったらしい(笑))
 一泊旅行なのでそれほど荷物がいるわけでもないのだが、マヤさんはタンスの引き出しをひっくり返したかのように服を部屋中に撒き散らしながら考え込んでいた。

「これとこれを合わせたらどうかしら……でも、ちょっと地味かも……でも、これとこれじゃあまりにもカジュアルすぎるんじゃ……でも、せっかく先輩と一緒に行くんだから……やっぱりどうせなら先輩の趣味に合わせて……ああ、でも、これじゃ合う靴がないし……」

 どうやらリツコと一緒に旅行できることで、かなり取り乱しているようだ。
 (前回の社員旅行はマヤさんの入社前だったのである)
 鏡の前で服をとっかえひっかえしながら悩んでいる。
 いつも服を買うときでもこんなに悩まないのに。
 しかし、その表情にはどこかうきうきした様子も感じられた。
 時折、視線を宙に漂わせながらぼんやりと考え込んでいる。

「温泉……やっぱり、先輩と一緒に入るのよね……
 『マヤ、背中流してあげるわ』
 『そんな、先輩、私が……』
 『いいから、ほら、こっちへ背中を向けて……』
 『は、はい……ありがとうございます……』
 『綺麗な肌ね、マヤ……』
 『そ、そんなことないですよ……』
 『謙遜しなくてもいいのよ。ほら、ここなんてすべすべじゃないの……』
 『ああっ、先輩、そこは……
 なんてことになったら……きゃーっ! どうしよう……」

 ……何だか、変な妄想の世界に入って転げ回っているマヤさんだった。
 まさか、その手の趣味があったとは……
 エヴァの登場人物の中で、マヤさんだけはまともだと作者は信じていたのに。
 裏切ったな! 作者の気持ちを裏切ったな!

「それから……
 『先輩、今度は私がお背中流します』
 『そう、ありがとう』
 『先輩のお肌も、綺麗ですね』
 『ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ』
 『そんな、お世辞だなんて……だって、ここは……』
 『ああ、いけないわ、マヤ、そんなこと……
 だ、だめよ、私ったら、こんなこと考えちゃ……きゃーっ!」

 ありゃりゃ、手に持った服がくしゃくしゃになっている。
 しかし、マヤさんってこんなに危ない人だっただろうか?
 ま、ときどき何かに取り憑かれたように興奮するからなぁ。(ネコ耳シンジを見たときとか)
 それにネコ耳病にかかっているから、発情しやすいのかもしれない。
 何だか温泉旅行が心配になってきたぞ。
 収拾つくんだろうか?

「それから、夜になったら……

 まだやってる……



 レイは月の光の中にいた。
 自分の部屋で、ベッドにうつ伏せになって。
 枕に頭を乗せ、何かを考えるように前方を見つめていた。

「……私、なぜここにいるの……」

 レイはしばしば、こうして自分に問いかけている。
 自分の存在意義、それがレイにとっての最大の問題だった。

「……私、なぜ生きてるの……」

 自分はどこから来て、どこへ行くのか。
 無から生まれ、無に還る存在なのか。

「……何のために……」

 何が自分を生かしているのか?

「……誰のために……」

 誰が自分をここに存在せしめるのか?

 いつもは、この問いかけに対して、答が出ることはなかった。
 レイはいつものように目を伏せる。
 だが、しばらくしてレイは呟いた。

「……碇君と混浴するため……(ぽっ)」

 ……どうやら存在意義は見つかったようだね(汗)



「これとこれと……そうね、これも持っていった方がいいかも……」

 リツコも現在、自宅で旅行準備の真っ最中だった。
 しかし、着替えや洗面用具などの用意は既に終わっている。
 持っていく服はいつもの黒いシャツ、白いブラウス、青いハーフパンツ。
 それに、パジャマ代わりのスウェット上下。あとは下着が一揃い。
 タオルや歯ブラシは、出張用の鞄に入れっぱなしだ。
 では、さっきから何をためつすがめつしているのだろうか?

「カードとケーブルはこれでいいかしら。やれやれ、また電話代が嵩むわね……」

 リツコはそう言いながらふふっと笑った。
 選んでいたのはノートパソコンが数台と、何やら怪しげな計器類。
 こんな物何に使うんだ……いや、もちろん、マヤさんの観察のために決まってる。
 通信の用意もあるということは、携帯電話か何かでMAGIにアクセスしてデータの計算をさせるつもりだろうか。
 何もそこまでしなくても、という感じだが……

 それらの膨大な数の機械類を鞄に詰め込むと、リツコは鞄を閉じ、それを旅行用カートにくくりつけた。
 そして約一週間ぶりに自分のベッドの上に仰向けになる。
 天井の電気の光を避けるようにして手を顔の前にかざすと、リツコはまた一人呟いた。

「これも全てあなたのためなのよ、マヤ……」

 リツコは怪しげな笑みを浮かべながら、この場にいないマヤさんに向かって話しかけた。
 いったい、何がマヤさんのためになるというのか。
 全ては謎に包まれたままだ。

 ……でも、ほんとに温泉に行けば全てが明らかになるのかなぁ?
 作者もだんだん心配になってきた……



 新しい朝が来た。
 希望の朝だ。
 喜びに、胸を開け、青空……やめとこう。
 そう、ついに温泉旅行の日が来たのだ。
 皆さま、大変長らくお待たせしました。
 ついにシンジとレイの混浴が……あるといいなぁ(笑)

 おっと。
 忘れるところだった。
 マヤさんの寝起きを書かねば……

「にゃ〜ん、せんぱぁ〜い、もっとボール触らせて下さいよぉ〜」

 朝から夢の中でネコっているマヤさんだった。(ちゃんちゃん)



さて、次回から本格的に温泉旅行の回に入ります。
今回はつなぎなのでお楽しみが少なくてすいませんでした(^_^;)


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions