ネコ耳マヤさん



From: "伊吹 マヤ" <maya@tech-1.tokyo-3.nerv.un.org>
Date: XXX, XX XXX 2015 08:59:59 +0900
Subject: ごめんなさい
To: Love Story ML <love-story-ml@tech-1.tokyo-3.nerv.un.org>
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Dear: LS-MLのみんなへ

伊吹です。

先日のネコ耳コンテストではみんなと一緒に出場できなくてごめんなさい。

出場者になった他のみんなは、たぶんそれぞれの部や課で推薦されて出場
することになったと思うんだけれど、実は私も推薦されていました。
でも、強行に固辞したら出場させられなくて済んだんです。
あんな場に出るなんて、恥ずかしいし、私には似合わないと思ったし……
でもやっぱり、みんなと同じように出場した方が良かったと思ってます。

結局、あの時は偶然司会者の代理をすることになって、何の間違いか
知らないけれど優勝しちゃいました。でも、こんなことでみんなに対する
言い訳になるなんて思っていません。だから、お詫びに今度のOFF会では
みんなにコーヒーゼリーをおごることを約束します。こんなことくらいしか
できなくてごめんなさい。

他に非難があれば甘んじて受けますので、メール下さい。待ってます。

以上です。

-- 
  へへ                                           へへ
ミ ‥ 彡    伊吹マヤ@技術開発部技術局一課     ミ ‥ 彡
 (    )〜   maya@tech-1.tokyo-3.nerv.un.org     (    )〜


 上の文書は、職場復帰したマヤさんが恋愛小説MLのメンバーに送った謝罪のメールである。
 もちろん、仕事前に書いたものだ。(実は仕事中にもたまに私用メールを書いてたりするんだけどね)
 コンテストの最中に心に決めたとおり、マヤさんはお詫びの印にコーヒーゼリーをおごることが書いてある。
 その上、どんな非難でも受ける覚悟とは……見上げた志だ。(うう、あまりの健気さに涙が……)
 しかし、コンテストに出場したことになってるはずなのに、気付いてないのだろうか。
 司会の長沢さんもそう言ったはずだが……混乱してたから忘れてるのかも知れない。

 ともあれ、マヤさんはメールを送った。
 そしてその1時間後までには、MLの全てのメンバーからの返事が帰って来た。
 その内容は言うまでもなく、みんながみんな、マヤさんを慰める言葉で埋め尽くされていた。
 『気にしないで』『マヤのせいじゃないわ』『謝らなくてもいいから』『あんなことになって可哀想』『私も出なかったもの』『できれば代わってあげたかった』などなどなど。
 全部のメールに目を通すのに、延べ30分はかかってしまったほどだ。

(みんな、ありがとう……やっぱり、いい人ばっかりだわ……)

 MLのメンバーからメールを読みながら、マヤさんは目を潤ませていた。
 そして指でそっと涙を拭い、一つ一つに丁寧にお礼のメールを返す。
 キーをタイプするマヤさんの顔は、本当に嬉しそうだった。
 友達のありがたさを再確認したマヤさんだった。

 なお、全てのメールの最後には『コーヒーゼリーごちそうさま』とか『アラモードにしていい?』とか『カフェ・アルカのがいいな』とか『次のOFFは休むから、その次の時にね』とか書かれていたことを書き添えておこう。
 (みんな食べ物に関しては容赦なしなんだな、きっと……)



 シンジはまだ本部にいた。
 さっきからあっちうろうろ、こっちをうろうろしている。
 何をしているのかというと、旅行センターを探しているのだった。
 本部内には出張の手配や慰安旅行の申し込みなどをするための施設がちゃんとあるのだ。
 しかし、これまで一度もそういうところを使ったことがないシンジは、どこにあるのか知らなかったのである。
 わからないなら人に訊けばいいのだが、彼はなぜかそういうことをしない。
 遊びに行くためのことだから、気が引けてるのかも知れないが。

 小一時間ばかりうろついた挙げ句、シンジはようやくのことで旅行センターを見つけ出した。
 何のことはない、総務課の一角にあったのだった。
 この前、コンテストの賞品の宿泊券をもらいに来たときに気付くべきだったのである。
 シンジがそろそろと窓口に近付いていくと、横を向いてパソコンで何やら打っていた女性がさっとシンジの方を向いた。

「いらっしゃいませ!」

 お、何やら元気な声である。(林原めぐみに似ているのは気のせいか)
 ショートヘアのその彼女は、シンジの方を見ながらニコニコと微笑んでいる。
 伊達眼鏡が似合っていて結構可愛い。どうしてネコ耳コンテストに出なかったのだろう? ……まあいいか。

「あ、あのー……」

 シンジは恐る恐る窓口嬢に話しかけた。
 やれやれ、何をびびっているのやら。
 窓口嬢は相変わらず笑顔を崩さない。
 営業スマイルではない、ナチュラルな笑顔がなかなか魅力的である。

「え、えっと……」
「ご旅行ですか?」

 シンジが言い淀んでいると、窓口嬢の方からシンジに問いかけてきた。
 まあ、それが彼女の仕事でもあるし。
 シンジは少しホッとしながら答えた。

「あ、はい……」
「どちらの方へお出掛けでょうか?」
「えっと、その……箱根湯本なんですけど……」
「何名様でしょうか?」
「あ、えと、ふ、二人です」
「ご出発はいつでしょう?」
「あの、今度の土曜日にしたいんですけど……」
「何泊のご予定ですか?」
「い、一泊、です……」
「宿はお決まりですか?」

 まるでマシンガンのように次々に問いかけてくる窓口嬢。
 リナレイが大人になったらこんな感じであろうか。
 シンジはちょっとたじたじとしている。

「あの……これなんですけど……」

 シンジは鞄から宿泊券を取り出すと、窓口嬢に渡した。
 何のことはない、最初からそうすればよかったのである。
 窓口嬢はそれを一目見ただけで、事情を飲み込んだようだ。
 もちろん、彼女だって目の前にいる少年がサードチルドレンであることくらい知っている。
 そして、ネコ耳コンテストで準優勝したことも。
 彼女だって、コンテストを見に行っていたのだ。
 実は彼女も恋愛小説MLのメンバーだっだりする。
 そうすると、さっきパソコンで何かやっていたのはメールを打っていたのだろうか。

「少々お待ち下さい」

 窓口嬢はそう言うと、また横を向いてパソコンを操作し始めた。
 マウスであちこちボタンを押しながら宿泊予約システムの画面を次々と切り替えていく。
 今時は老舗旅館でも、オンライン予約が当たり前になっているのだ。
 窓口嬢はしばらく画面を見て空き状況を確認してからシンジの方に話しかけた。

「お部屋はお一つでよろしいですね?」
「え?」

 ……え、って何だよ、え、って。
 ビジネスホテルじゃあるまいし、温泉宿でシングル二つなんていう予約の取り方すると思うか?
 それともお前、レイと一緒の部屋に泊まるのがいやだとでも?

「こちら、ペア宿泊券ですので、お部屋はご一緒になりますが……」
「あ、そ、そうなんですか……じゃあ、それでいいです」

 それでいいです、なんていう言い方もないだろうが。
 しかし、窓口嬢も結構いじわるである。
 部屋は同じ部屋になりますって最初から言えばいいのに、訊くふりするなんて。
 ひょっとしたら、レイと一緒に行くことを知っててからかってるとか? まさかなぁ。
 作者の疑問をよそに、窓口嬢は素知らぬ顔でパソコンを操作していたが、ふと思い出したかのようにシンジに訊いた。

「お連れ様は保護者の方でしょうか?」

 ……どうやら知らないみたいだね。

「え? いえ、違いますけど……」
「では、二十歳以上の方ですか?」
「いえ、あの……学校の友達なんですけど……」

 うーん、まあ、それは確かに間違ってはいないな。
 要するに、その辺のことを訊かれたらトウジだとかケンスケだとかいう名前を出してごまかそうとしてたわけだ。
 取り敢えず、レイと行く気はあるということか。うん、まあいいとしよう。
 すると、窓口嬢が意外なことを言い出した。

「申し訳ございませんが、この旅行券は未成年者どうしではご利用になれないんですが」
「え、そ、そうなんですか?」

 ……おいおい、そんなことは作者も聞いてないぞ。

「こちらの裏にそう書いてございますので……」

 窓口嬢はそう言って旅行券の裏書きを指で示した。
 そこには見事にその通りのことが書いてある。
 弱ったなぁ、これじゃ、シンジとレイの温泉旅行計画はおじゃんになってしまうじゃないか。
 読者の皆さんが期待してるのに、どうすりゃいいんだ?
 おねーさんも、堅いこと言わないで、見逃してやってよ。そんな可愛い顔してるんだからさぁ。
 ほら、シンジも何か言えよ。

「…………」

 ……考え込んじゃってるよ。だめだ、こりゃ。
 取り敢えず、別のシーンに行っておくから、その間に何とかしておけよ。



 ここは本部の地下にある計算機室の一角。
 マヤさんとリツコはバルタザールのメンテナンスのため、二人でここに籠もっていた。
 マヤさんが端末を操作し、リツコがそれをチェックしながらサポートする。
 よくある仕事風景である。

 カタカタカタ、タンッ!

 マヤさんは久々の仕事だったので、張り切っていた。
 キーボードを叩く指先も、いつになく軽やかである。
 顔に浮かんだ穏やかな微笑みは、仕事ができるのが楽しくて仕方ないといったところだろうか。
 マヤさんって、ほんとに仕事好きである。

 カタ、
 カタカタカタカタ、
 カタ、
 カタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタ、
 カタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタ、
 カタカタカタ、
 カタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタ、
 カタカタ、
 カタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタ

 流れるような指捌きとはこういうのを言うのだろう。
 キータッチの音も、まるで何かのリズムに乗っているかのようだ。
 ピアノの鍵盤にアルファベットを書いて、楽譜をコード表にしておいたら、名曲ができていたかもしれない。
 マヤさんがピアニストになっていたら、さぞかし人気者になっていただろうなぁ。
 作者はきっと毎回コンサート見に行っちゃうぞ。(そしてカメラ小僧になるんだろうな(笑))

 リツコはマヤさんの後ろに座ってノートパソコンを操っていたが、おもむろにマヤさんの方をちらりと見上げ、その後ろ姿を眺めた。
 マヤさんの頭に生えたネコ耳が、キータッチのリズムに合わせて小刻みに震えている。
 タイツに開けられた小さな穴から生えているしっぽも、うれしそうにふりふりと揺れている。
 楽しく仕事をする様子が身体全体に溢れていた。
 リツコはクスリと笑うと、マヤさんの背中を見ながら言った。

「調子いいわね、マヤ」
「ええ! もう、ばっちりですよ! みんな先輩のおかげです」

 マヤさんはそう言いながら、ちらりとリツコの方を振り返った。
 リツコはちょうどコーヒーを飲もうとしているところだった。
 飲むときの癖で、目を閉じていてマヤさんの方を見ていない。
 マヤさんはちょっと残念そうな表情になり(そんなにリツコの顔が見たいのか〜)、また前に視線を戻そうとしたが、その時ふと視界に入ってきた物があった。

(? どうしてあんな物がここに……)

 マヤさんはほんのちょびっとだけそれが気になったが、また仕事を再開した。

 カタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタ、
 カタカタカタ、
 カタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタ、
 カタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタ、
 
 カタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタ、
 カタ、
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ、
 カタカタカタカタカタカタカタ、
 カタ……ちらっ

 だが、突如としてマヤさんの集中力が低下し始めた。
 キーを打ちながら、時折前に置いてある手鏡の方をちらちらと盗み見ている。
 (仕事中にリツコの顔を見るために置いてある鏡だそうで……)
 しかし、見てるのはリツコの顔ではない。
 リツコのテーブルの上に置かれた、いかにも場違いな『ある物』だった。
 マヤさんはそれが気になって仕方ないのだ。
 『ほんのちょびっと』のはずが、いつの間にか『すっごく』気になってしまっている。

 カタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタカタカタカタカタ……ちらっ
 カタ……ちらっ
 ……ちらっ

 ついにマヤさんのキーを打つ手が止まってしまった。
 そして鏡の中をじっと覗き込んでいる。

(うう、どうしてあそこにあんな物が……気になっちゃうよぉ……)

 さて、マヤさんをこれほどまでに気にさせるその『ある物』とはいったい何だろうか?
 もちろん、勘のいい読者の方はだいたい察しがついておられるだろう。
 では、説明しよう……と思ったら、リツコがマヤさんを呼んだ。

「マヤ」
「は、はいっ!」

 リツコの鋭い声にピクッとなるマヤさん。ネコ耳もしっぽもピン立ちだ。
 ようやく自分の手が止まっていたことに気付いたようである。
 慌ててリツコの方を振り返る。
 どうしよう、手が止まってたこと、怒られちゃう……
 マヤさんはそう心配していたが、リツコは黙って手元のノートパソコンを覗き込んだままだった。
 ひたすらリツコの声を待ち続けるマヤさん。
 そしておもむろにリツコが口を開いた。

「今のところのロジックだけど……」
「は、はい……」
「説明するから、こっちに来てくれない?」

 リツコにそう言われて、マヤさんは椅子から立ち上がった。
 そしてリツコの方に飛んで行き、机の前に立った。
 もちろん、視野の端には『ある物』を捉えたままで。

「フローチャートを変えるわ。描いて説明するから、よく見ておいて」

 リツコはそう言いながら、手元のメモ用紙を一枚取ろうとした。
 と、その時だった。

 ぽーーん……

 リツコの指が僅かに『ある物』に触れた。
 そしてそれはテーブルから転がり落ちて弾んだ。

 ぽーん……ぽーん、ぽん、ぽんぽん、ころころころ……

 その『ある物』は何度か床の上で跳ねた後、ころころと転がっていき、壁にぶつかったところで止まった。
 マヤさんはそれが床に落ちたときから、ずっと目を離さずに見ていた。
 『ある物』……赤いゴムまりを。
 アスカがネコ耳コンテストで小道具として使っていたのと同じ物だ。
 柔らかくてやたらとよく弾む、赤いゴムまり……

「どうしたの? マヤ」
「えっ?」

 転がっていたゴムまりをまだ見ていたマヤさんに、リツコが話しかけた。
 マヤさんは慌ててリツコの方に向き直る。
 リツコは穏やかに微笑みながら、紙の上にフローチャートを描いていた。

「気になる?」

 紙から目を離さずに、リツコはマヤさんに訊いた。

「え? あ、いえ、その……」

 マヤさんはしどろもどろになってそう答えた。
 その表情にも戸惑いを隠せない。
 そう、確かに気になってはいる。
 だが、なぜ気になるのか自分でもわからないのだった。

「気になるんでしょう?」
「あ、あの……はい……」

 リツコはまだフローチャートを描いていた。マヤさんの方を見ようともしない。
 そしてそれっきり黙り込んでしまった。
 マヤさんはリツコの方に顔を向けながらも、ゴムまりの方を横目でちらちらと見ていた。
 どうしてあんな物がこんなところにあるんだろう……
 ……でもあれって、柔らかくってよく弾みそう……
 マヤさんの頭の中が、次第に赤いゴムまりで埋め尽くされていく。

 うずうずうずうずうずうずうずうず……

 マヤさんは何だか身体がうずうずしてきた。
 ゴムまりが気になって気になって仕方がない。
 もう目が完全にゴムまりの方に行ってしまっている。
 どうして? どうしてこんな気になるの?
 ……どうして先輩は気にならないの?

「あ、あの……」
「なぁに?」

 しびれを切らしたマヤさんがリツコに話しかけると、リツコはこれ以上ないような優しい声で答えた。
 そしてフローチャートを描く手を止めると、マヤさんの方を見上げる。
 ペンを持った手を顎の下に持ってきて、マヤさんににっこりと微笑みかけた。
 マヤさんはそれを見てちょっと驚いた表情になったが、おずおずと微笑み返した。
 憧れのリツコに微笑みかけられてるのに、嬉しくないのだろうか?
 もしかしたらリツコのそんな表情に慣れてないのかもしれない。

「あの……ボール、落ちましたけど……」

 マヤさんが恐る恐るそう言うと、リツコはあっさりと一言返す。

「あら、そうね」

 そしてゴムまりの方を振り向きもせずにマヤさんの方を見ながら微笑んでいた。
 マヤさんも困ったように微笑んだ。
 それから少し真剣な表情を交えながら言った。

「あの……拾わなくていいんですか?」
「あら、どうして?」

 え、どうしてって言われても……
 リツコの答えに、マヤさんの心が乱れ始める。
 どうしてって……だって、気になるんだもの……

「どうしてって……でも、あの、机から落ちたし……」
「拾いたいの?」
「え?」

 またしてもリツコの意外な一言。
 しかし、マヤさんは自分が未だになぜゴムまりのことが気になるのかわからない。
 ……どうして私、気になるのかしら?
 どうして……わからない。でも……でも、拾いたい……

「あ、あの……拾いたい、です……」

 なぜそんな気持ちになるのかマヤさんは自分でもわからなかった。
 が、気が付くとリツコにそう言っていた。
 言ってしまってから、当惑した表情になる。
 すると、リツコが一際優しく微笑みながらマヤさんに言った。

「そう、じゃ、拾ってきてくれる?」
「あ……は、はい!」

 マヤさんはそう答えると急に喜々とした表情になり、ゴムまりに向かってさっと駆け出した。
 そして床の上に膝をつき、両手でゴムまりを拾い上げた。
 立ち上がると、ゴムまりをしっかりと胸の中に抱え込む。

「先輩! 拾ってきました!」

 マヤさんはリツコのところに駆け戻ると、ゴムまりを持った両手をさっと差し出す。
 その顔には満面の微笑みがたたえられていた。
 どうしてかわからないが、マヤさんはとっても嬉しかった。

「そう、ありがとう」

 リツコはそう言ってマヤさんからゴムまりを受け取ると、机の上に置いた。
 しかし、置き場所が悪かったのか机が傾いているのか、ゴムまりはころっと転がり出すと、また机の上から落ちてしまった。

 ぽーーん……ぽーん……ぽーん、ぽん、ぽんぽん、ころころころ……

 ゴムまりは今度は先程と反対の壁に向かって転がっていく。
 マヤさんは嬉しそうに微笑みながら弾むゴムまりを眺めていたが、さっとリツコの方に向き直って言った。

「先輩、私、拾ってきます!」
「そう、お願い」

 リツコの答えを待つのももどかしく、マヤさんはまだ転がっているゴムまりに駆け寄っていった。
 床に膝をついてゴムまりを拾い上げようとしたが、ゴムまりはマヤさんの指先に当たってまた転がっていった。

「あっ、ちょっと……」

 マヤさんは四つん這いになってゴムまりを追いかけていく。
 しかし、手を伸ばすとその度にゴムまりはマヤさんの指から逃げていくのだった。

「もう! そっちじゃないったら……逃げちゃだめよ!」

 しかし、そんな怒ったような口調とは裏腹に、マヤさんは相好を崩してゴムまりを追いかけ続けた。
 見れば、しっぽまで楽しそうにふりふりと揺れている。
 上下左右に波打ったり、あるいはくるくると回ったりと、せわしないことこの上ない。
 そうして5分ばかりもゴムまりと追いかけっこを続けた後、マヤさんはついにゴムまりを壁際に追いつめた。
 マヤさんはネコ手になり、ゴムまりをぽこぽこと叩きながら話しかける。

「ほんとにもう、いけない子ね! 私から逃げようとするなんて……」

 そしてネコ手を口元に当ててくすくすと笑った。
 ……何だかちょっと危ない感じだ。でも許そう、可愛いから。

「めっ!」

 マヤさんはそう言いながらネコ手でゴムまりをぽこっと叩いた。
 するとゴムまりはぴょんと弾んで壁に当たり、マヤさんの手で弾かれてまたころころと転がっていった。

「きゃ〜っ! そっちに行っちゃだめだったら!」

 マヤさんはそう言ってまたゴムまりを追いかけた。
 しかしマヤさんがネコ手で押さえようとすると、ゴムまりはするりするりと逃げていく。
 すくい上げると手からこぼれてまた転がっていく。

「うふふっ! くすくすっ! きゃっきゃっ! もぉ、待ってったらぁ♪」

 マヤさんは四つん這いになったまま計算機室の床を所狭しと駆け回っている。
 制服が汚れるのもお構いなしに、床の上に寝っ転がってゴムまりとじゃれあい続けた。
 リツコはその様子を机に頬杖ついて楽しそうに眺めているのだった。
 そして彼女の手元のノートパソコンには、何やら奇妙な数値が弾き出されていた。
Real Time Simulation
Object: Maya IBUKI (Female)
Felinization Rate: 41.3%
(ネコ化率41.3%……計画は順調ね。2%も遅れていないわ……)

 それを満足げに見るリツコの目に、妖しい光が宿っていた。



 さて、次回はマヤさんの……
 え、何?
 もう今回の話は終わりかって?
 そりゃ、まあ、今回のメインは上のシーンだし、他に何が……

 …………

 ……はいはい、わかりましたよ、しょうがないな。書きますよ。さっきの続きでしょ。



 シンジはエレベータの中で考え込んでいた。
 温泉……どうしよう?
 まさか、保護者がいないとだめだなんて、思わなかったな……
 それにしても……初めはあんまり気乗りしなかったのに、行けないかもしれないとなると残念に思うものなんだな。
 べ、別に、綾波と混浴できないのが惜しいって思ってるんじゃないんだぞ……

 おやおや、いったい誰に言い訳してるんだか。
 そうしてシンジが悶々と考えているうちにエレベータが目的の階に着いた。
 さっきのこと、綾波に何て言おう……シンジがそう思いながらエレベータを出ようとすると、開いた扉の前にレイが立っていた。

「わあっ!」

 レイを見て驚くなんて失礼な奴だな。
 だが、レイはそんなことを気にする様子もなく、シンジに近寄ると、指でシンジの腕をつついた。

 つんつん

「碇くん……」
「な、何?」

 この辺の受け答えはもうワンパターンになってしまっているが、こういうのはひたすら繰り返すのが面白いのである。
 水戸黄門や吉本新喜劇の例を引くまでもないだろう。
 ワンパターンはいいねぇ。リリンが生み出したギャグの極みだよ。

「温泉……」
「あ、そ、そのことなんだけど……」

 わかってるんなら『何?』って聞き返さなくてもいいだろうが。
 それはともかく、シンジはさっき旅行センターで言われたことをレイに言うために口を開きかけたが、エレベータのドアが閉まり始めてレイが挟まれそうになったのを見て、慌ててレイの手を取ってエレベータの中に引っ張り込んだ。
 おお、なかなか積極的じゃないか。やるな、シンジ。
 レイも心持ち頬を染めたりなんかしている。何をされると思ったんだか。
 しかし、このエレベータには監視カメラが付いてるから、何かしたらバレバレだぞ、シンジ。
 え? 何をするのかって? そりゃ、ご想像にお任せします。

 ともかく、二人は今密室にいる。
 誰もエレベータを呼んでいないらしく、ドアが閉まっても止まったままだった。

「あ、あのね、綾波……」
「うん……」

 レイはシンジの目を真っ直ぐに見つめながら聞いていた。
 どういう訳か、またネコ耳を付けている。(私のときは見せなかったくせに…… by ゲンドウ)
 そして相変わらずネコ耳をピクピクと動かしていた。
 その仕掛けは未だにわからない。
 しかし、シンジにはそんなこと目に入っていないようだ。淡々と言葉を続ける。

「温泉……保護者を連れて行かなきゃだめなんだって」
「そう……」

 何だか少し話がずれているような気がするが、少し説明しよう。
 旅行センターでのあのシーンの後、何とか気を取り直したシンジは窓口嬢に必死にかけ合った。
 そして、『ペア+保護者』というパターンもOKであることを勝ち取ったのである。
 まあ、考えようによっては『ペア(保護者含む)+α』というパターンと大差ないから当然なのだが。
 もちろん、この場合の保護者(またはα)の旅行代金は別である。
 それでも何とかシンジとレイの温泉旅行が実現しそうな気配になってきた。
 一部の読者の皆さんには喜ばしいことである。

「だから、あの、保護者を見つけなきゃいけないんだけど……」
「そう……」
「だ、誰がいいかな?」
「…………」

 シンジの問いかけにレイは答えなかった。
 誰でもいいと思っているのだろうか。
 もしかしたら、既に意識は湯煙の彼方に飛んでいってしまっているのかもしれない。
 レイが何も答えないので、シンジはまた自分で考える羽目になってしまった。

 誰がいいかな……
 保護者っていえば、やっぱりミサトさんだよな。
 でも、ミサトさんに言ったら、アスカも来ちゃいそうだし……
 パイロットが3人ともいなくなるっていうのはまずいよな、やっぱり。
 (筆者註:邪魔されたくないと思ってるわけではないようです)
 となると、他の人か……
 リツコさん……は、さっき忙しいって言ってたよな。
 マヤさんは病気だからだめだろうし。
 冬月さんはたぶん来てくれないだろうなぁ。
 ミサトさんがいないときは加持さんが面倒見てくれるから、やっぱり加持さんがいいかな……

 この時、シンジの頭の中にはゲンドウのことは1000分の1秒も思い浮かばなかった。(哀れだ)
 もっと言えば、名前さえ出てこないオペレータコンビはさらに悲惨である。(笑)

 カクン……

 突然、エレベータが動き出した。誰かが呼んだのだろう。
 シンジはハッとして上を見上げた。
 しまった、降りなきゃいけなかったんだった……
 エレベータはどんどん下に行っている。
 このままでは実験室に逆戻りだ。
 シンジは慌てて3つほど先の階のボタンを押した。

 つんつん

「な、何?」

 またしても腕をつつかれて、シンジは慌ててレイの方を見た。
 レイはまたシンジの方をジッと見ている。
 どうやらさっきの『カクン』で正気を取り戻したようだ。

「碇くん……」
「う、うん……」
「温泉……いつ?」
「あ、えっと、できれば今度の土日に……」
「そう……」

 約束の日は近いぞ。よかったな、レイ。
 レイが安心したような表情になったので(作者にはわからなかったが……)、シンジはまた上を見上げた。
 早く止まらないかな。そう考えていたときだった。

 つんつん

「な、何?」

 また腕をつつかれたシンジ。油断大敵である。

「碇くん……」
「う、うん……」
「温泉……」
「あ、だから、それは……」
「混浴?」
「…………」

 ……貴様、まさか訊いてくるのを忘れたって言うんじゃないだろうな?

「…………」

 どうやらそのようである。
 仕方ないので、混浴かどうかは次回にお知らせすることに……という訳で、乞うご期待!(逃げる作者)



次回、ついに温泉行き決定か?
しかし、どう考えてもまだ時間かかりそうだよな(笑)


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions