彼女は自分の研究室にいた。

 昨夜、可愛い後輩の祝勝会から戻ってきて、家に帰らずにここに泊まり込んだらしい。
 しかも、3時間ばかり仮眠しただけで、夜明け前から今までプログラミングに没頭していた。
 その打ち込みスピードは常人のレベルを遙かに超えていた。
 まるで指自身が意志を持っているかのように自由自在に動いている。
 もちろん、打ち込みミスなど一つもない。
 文字が目に見えないほどのスピードでスクロールしていく。

 と、急に指のダンスをやめ、彼女は立ち上がった。
 そして、コーヒーサーバの方に行ってコーヒーを淹れ直す。
 日付が変わってから数えて既に弐拾杯目を超えていた。
 ネコの形をしたコーヒーカップにコーヒーを注ぎ、また席に戻る。
 椅子をリクライニングにして背もたれに身体を預けると、彼女はコーヒーを一口すすった。
 芳醇なアロマが鼻腔をくすぐり、カフェインが疲れ気味の脳細胞に活を入れる。

 彼女はコーヒーを味わいながらしばらく目を閉じていたが、つと手を伸ばし、キーボードのキーを一つ叩いた。
 途端にディスプレイが真っ暗になる。しばらくしてオレンジ色のメッセージが次々に流れていく。
 バルタザール、メルキオール、カスパー。
 NERVが誇る3台のスーパーコンピュータがフル稼働を始めた。
 画面が左右二つに分かれ、左側を文字の羅列が駆け抜けていく。
 右側は真っ白になっていた。

 しばらくして、右側に3次元ポリゴンアニメーションが映し出された。
 どうやらそれは人間の形状をしているようだ。
 だがそれは少しずつ形を変えていく。下には時間を表す数字がカウントされている。
 その数字はやがて、『72:00:00』を示して止まった。
 3次元ポリゴンの人間は、ところどころに人間らしからぬ突起物を持っている。
 頭に三角形の突起が二つ、そして……

 彼女は画面の右側を見つめながら、満足そうに微笑んでいるだけだった。



 ネコ耳マヤさん




 マヤさんは再びベッドの中にいた。
 頭っから薄手の夏布団をかぶり、横になって身体を丸めていた。そして膝を抱えている。
 やはり相当なショックを受けたようだ。
 普通の女の人なら驚きのあまり失神してしまうかも知れない。
 ましてやマヤさんである。
 可愛くて、優しくて、麗しくて、たおやかで、しとやかで、健気で、笑顔が素敵なマヤさんなのである。
 本来ならあのまま気を失ってしまってもおかしくなかった。(そうなったら作者が介抱してあげられたのに……)

 だが、そこはそれ、いつも使徒を見慣れているせいか、異形の物を見る耐性が少しはできていたのだった。
 もちろん、自分がそうなってしまったというショックは隠せなかった。
 だからこうして布団の中で丸くなっているのである。
 ただし、あの後ちゃんとシャワーを浴びて、頭も身体も綺麗に洗って、ネコ耳にリンスして、風呂上がりにドライヤーで髪を丁寧にブローして、いつもの黄色いパジャマに着替えてからであったのだけれども。

(うう……どうしてこんなことになったのかしら……ネコをいぢめた憶えなんてないのに……)

 布団の中で、マヤさんはそんなことを思っていた。
 どうやら祟りか何かと勘違いしているようである。
 まあ、当たらずといえども遠からずいったところだろうか。
 金髪ネコ女の仕業だと教えてあげられればいいのだが。

 ともかく、マヤさんはさっきからずっと丸くなったまんまだった。
 (『猫背』になってるよ、と指摘してあげたら飛び起きたかも知れないけど)
 まあ、もうしばらくそうしていた方が無難だろう。
 どうもエアコンが効きすぎているようで、布団をかぶらなかったら湯冷めして……いや、それとこれとは関係ないか。
 とにかく、風邪なんてひいたらせっかくのマヤさんの美貌が……あ、関係ないって? 失礼。

(うう、ぐすんぐすん……こんなカッコじゃ、外にも出られないよぉ……)

 どうやらマヤさんは少し泣きが入っているようだった。
 布団の中にいるのでよく見えないんだけれども、泣き顔もさぞかし可愛いんだろう。
 しかし、やはり女性たるもの、人目を気にしなければならない。
 ネコ耳のまま外を出歩くわけにはいかないだろう。
 寝起きの腫れぼったい顔で同居人の男の子の前に出てくるどこかの三十女に、マヤさんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

(ああ、こんな頭じゃ、仕事にいけない……先輩、ごめんなさい……)

 ……何だ、そうじゃなかったのか。
 結局、考えることといえば、リツコのことなのである。ちぇっ!
 読者の方々が(もちろん作者も)こんなに心配してるのに。

 そうそう、言い忘れていたのだが、先程マヤさんは布団をひっかぶる前に、NERVに電話していたのだった。
 無論、リツコの部屋にである。その時の会話を少しばかりここに再現しておこう。






 プルルルルルル、プルルルルルル、プルル、プツッ
『はい』
「あ、もしもし、先輩ですか!?」
『マヤ? どうしたの。今日は昼からだったわね』
「あ、はい、その……今日はその、気分がすぐれないので、休ませていただけませんか?」
『何? 二日酔い? 薬ならよく効くのがあるわよ』
「いえ、あの、そうじゃなくて……実は、ちょっと重くて……」
『ウソおっしゃい、2週間前だったはずでしょ』
「う……」
『とにかく、今日は昨日できなかった分の仕事で忙しいから、絶対に来なさい。わかったわね』
「えっ、そんな、あっ……」
 プツッ、ツー、ツー、ツー……
「……切られちゃった……どうしよう……」






 と言うわけで、マヤさんは今日は絶対出勤の命令を受けてしまったのである。
 もちろん、リツコだってマヤさんの状況を知ってて言ってるのだろうが。(極悪非道女……)
 しかし、マヤさんは知らない。
 自分がこうなってしまった原因を。
 こうなってしまった原因を作った人間を。
 ただひたすら悲しみに暮れるマヤさんだった。嗚呼、可哀想に……

(はっ!)

 ん? ちょいと布団が持ち上がった。
 何かに気付いたらしい。

(そうだ、先輩なら……先輩なら、何とかしてくれるかも……人工進化を研究してるんだから、こういう変てこな症状に詳しいかも……それに、ネコ好きだし)

 ……人工進化とネコ耳とどういう関連があるのかよく解らないが、とにかくマヤさんは一筋の光明を見出した。
 ぶわっと布団を跳ね飛ばして起き上がる。
 黒い瞳がちょいと涙で濡れているが、表情が何となく明るい。
 そしていそいそと出勤用の服に着替える用意を始めた。
 いつもはTシャツなどのラフな服装なのだが、今日は薄紫色のブラウスを引っぱり出してきたりして。
 それに、膝上丈の紺のスカート。どういう風の吹き回しだろうか。

(それと、これを忘れちゃダメ……)

 そんなこと考えながらマヤさんがタンスの一番下の引き出しから引っ張り出してきたのは、空色の帽子。
 作者もよく知らないが、トークとかいう型だそうだ。
 なるほど、これをかぶってネコ耳を隠そうというのか。Tシャツでは帽子が似合わない。野球帽ならまだしも。

 とにかく、軽装だろうが、略装だろうが、正装だろうが、マヤさんなら何でも似合うに違いない。
 思ったより結構スタイルがいいのである。
 胸も意外とあるみたいだし、ウエストはかなり細いし、腰回りも締まってるし。
 もう、何でも着ちゃって下さいって感じだ。
 マヤさんはタンスから出した服を、ベッドの上に次々と並べていった。
 おそらく、色のコーディネイトだろう。

(これでよし……後は……)

 ?

 まだ他に何か?

 え?

 …………

 ……着替え中の取材は拒否します、だって。



「やあ、おはよう、マヤちゃん」
「あ、お、おはようございます……」
「今日は何だか可愛いカッコしてるねぇ」
「いえ、それほどでも……」
「おはよう、マヤちゃん、帽子、似合ってるよ」
「お、おはようございます。ありがとうございます……」

 すれ違う人がことごとくマヤさんに声をかけてくる。
 みんないつもと違うファッションのマヤさんに驚くやら感心するやら。
 しかし、マヤさんの方は全く元気がない。(#1の光景と比べていただきたい)
 挨拶はすれど、心ここにあらず、といった感じだった。

 女子更衣室の前を素通りし、居室の前を通り過ぎ、マヤさんは早足でてくてく歩いていく。
 もちろん、行き先はリツコの実験室である。(決して秘密の場所ではない)
 そしてドアの前に立った。
 木でできた平べったい黒ネコが、『在室』の白い文字と共に出迎えてくれる。
 マヤさんは戸惑うことなく、ドアをノックした。

 コンコン

『誰?』

 中からリツコの抑揚のない声が聞こえた。
 これは結構機嫌がいい証拠なのである。
 機嫌が悪いときはリツコは返事をしない。
 もっとも、返事が返ってこないときはたまに寝ていることもある。

「あ、あの……伊吹です」
『マヤ? 開いてるわよ』
「あっ、はい、失礼します」

 パシュー

 マヤさんはドアを開けて、部屋の中に滑り込んだ。
 そしてそっとドアを閉める。
 部屋の中では、リツコが椅子に座って入り口の方を向いていた。
 これも機嫌のいい証拠だ。
 普段はだいたいにおいて、部屋の片隅で端末の方を向いているのである。

「おはよう、マヤ」

 リツコがコーヒーをすすりながらマヤさんに挨拶した。これも機嫌の……しつこいか。

「お、おはようございます、先輩……」
「どうしたの? 少し早いようだけど」

 時間にうるさいリツコはまずそんなことを訊いてきた。
 決して私服で入ってきたところに注目しないのが、服装に無頓着な彼女ならではである。

「あ、いえ、その……」
「そうそう、気分が良くないって言ってたわね。薬あげましょうか? どんな症状なのかしら」

 全てを知っているくせに、リツコはしらじらしくそんなことを言う。
 その表情は明らかに現状を楽しんでいた。
 しかし、マヤさんはそんなことは露とも知らない。
 人を疑うということができない性格なのだった。

「い、いえ、そうじゃなくて、実は……」

 マヤさんはそう言いつつ頭に手をやり、帽子に両手を添える。
 どうしよう、見せるべきか、見せないべきか……
 ううん、見せるためにここに来たんだもの。何を迷ってるの、マヤ……
 でも、こんなの見せて、先輩に笑われでもしたら……私、立ち直れない……
 そしてどうしようかさんざん迷った挙げ句、マヤさんは意を決して頭の上から帽子を取り去った。

「あ、あの……こんなことになってしまったんですっ!」

 帽子の下から現れたのは、もちろんネコ耳。
 要望があったので詳しく書いておくと、色は薄茶。と言うか、ベージュに近い。
 先の方だけ、少し色が濃くなっている。
 ふわふわっとした柔らかそうな細い毛が生えていて、まるでペルシャネコの耳のようだ。内側は薄いピンク。
 ちょっと元気がなさそうなのは、マヤさんの心情を反映しているのだろうか。
 ともかく、見ていたら触りたくなってくるような可愛いネコ耳である。

 しかし、リツコはそれを見ても何ら動じず、悠然と言い放った。

「あら、マヤ、どうしたの? それ」
「あの……今朝起きたら、生えてたんです……」

 沈痛な面もちで言うマヤさん。しかしそれとは対照的に、リツコの声はひたすら明るい。

「本物なの?」
「は、はい、ちゃんと神経も通ってるみたいで……」
「そう、良かったわね。私は白い方が好きだけど」
「へ?」

 マヤさんは驚いていた。笑われはしなかったけど……
 ひょっとして、ふざけていると思われてるのかしら。
 私、真剣なのに……

「あっ、あのっ、でも、先輩、人間にネコ耳が生えてくるなんて、変じゃないですか……」

 いやでも、ネコにだって、ネコ耳が生えてくるわけではない。最初から付いてるだけだ。
 とにかく、自分が真剣なことを必死で伝えようとするマヤさん。
 しかし、リツコの表情は変わらない。
 むしろどんどん楽しそうになっている気がする。

「あら、生きているんですもの、ネコ耳くらい生えてくるわよ」(c)XXXs
「えっ……そ、そういうものなんですか?」(c)XXXs

 じゃあ、これって結構有名な病気か何かなのかしら?
 マヤさんは何だかドキドキしていた。
 まるで、テスト中に昨日勉強した内容が思い出せないかのように。

(そ、そんな……そんなこと、いつ習ったの? ひょっとして、ベルギーワッフルを食べるために授業をさぼった時かしら? あの時だって、私はさぼるつもりなんて無かったのに、無理矢理誘われて仕方なく……)

 マヤさんも一応ミリタリースクール出身なので、医療関係の講習を多少は受けているのである。
 もちろん、そんなに詳しくはやっていないが、有名な病気については一通り習ったはずだ。
 人工呼吸は結構刺激的だったので、印象に残っているのだが……(あ、もちろん、人形が相手です)
 あれこれと考えているマヤさんに、コーヒーを飲み干したリツコの冷たい声が突き刺さった。

「勉強不足ね、マヤ」(c)XXXs
「すっ、すみません!」(c)XXXs

(ふぇ〜ん、先輩に怒られちゃったよぉ……)(c)XXXs

 マヤさんは打ちひしがれていた。ネコ耳が生えたことよりも。
 じわっと涙が浮かびそうになる。
 マヤさんにとって何が一番怖いかって、リツコに見放されること以外にないのである。
 そのために日頃からひたすら勉強してリツコに付いていこうとしているのだから。
 リツコはネコのカップをテーブルの上に置くと、立ち上がって言った。

「とにかく、検査してあげるわ。こっちに来て」
「は、はい……」

 マヤさんは半泣きになりながら、検査室の方へと連れられていくのだった。



 さて、検査には少々時間がかかりそうなので、ここで別の話題に移ってみようと思う。
 これを書かないと納得しない読者もおられるだろうし。

 シンジとレイはNERVへ向かうリニアに乗っていた。
 今日は5時間目と6時間目の授業が自習になってしまい、みんなが帰ってしまったので、シンジたちも帰ることにしたのだ。
 とは言え、シンジもレイも何もすることがないので、早く行ってNERVで時間を潰すことにした。
 アスカはヒカリと買い物に行ってから来ると言っていた。
 どうもシンジやレイと顔を合わせたくないようだ。昨日のことをまだ根に持っているらしい。

 そんなわけで、シンジとレイは隣どうしに座っていた。
 シンジは相変わらずSDATから流れてくる音楽に耳を傾けている。
 そしてレイの方も、いつものように本を……おや、読んでいない。
 ただ黙ってシンジの横にちょこんと腰掛けているだけだった。
 たまにチロッとシンジの方を横目で見る。
 しかし、鈍なシンジがそんなことに気付くわけがない。

 つんつん

 そうこうするうちにレイによって例が、いや、例によってレイが指でシンジの腕をつついた。(これだからM○IMEは……)

「な、何?」

 シンジは慌ててイヤホンを耳から抜き取ると、レイの方を見た。
 まったく、昨日から何回つつかれたことか。
 しかしレイの方も、毎度正確に同じところをつつかなくても。

「碇くん……」 ←これも同じイントネーションで
「う、うん……」
「温泉……」
「うっ……」

 や、やっぱり訊かれたか……しかしシンジは覚悟していた。
 僕だって、別に忘れてるわけじゃないんだ。
 ちゃんとミサトさんにも訊いてみたし……

「あ、あの、綾波、その……」
「…………」
「ミサトさんに、温泉行っていいかどうか訊いてみたんだけど……」
「…………」

 もちろん、ビールをたらふく飲ませて、つまみ(ネコ缶)も食わせてから訊いたのは言うまでもない。
 嫌なことをさっさと忘れてしまう性格のミサトは、昨夜の夕食の頃にはすっかり機嫌が直っていたのだ。
 単に忘れっぽいだけなんじゃないかとシンジは思ったのだが。

「えっとね、あの……」
「…………」
「実は、その……」
「…………」
「要するに……」
「…………」
「何て言うか……」

 ……早く言えよ。読者の皆さんが待ちくたびれてるだろ。
 しかしレイは黙ってシンジの目を見て待っていた。
 うむ、いい目だ。世の奥方の皆さまも、ご亭主をこんな目で見ることができたら、亭主は奥方の言いなりなのである。
 ただ、シンジは慣れてないだけあって、どぎまぎしているようだ。
 しかし、レイが根気よく待ってくれたおかげで、ようやく言うことができた。

「ミサトさんが言うには、リツコさんがいいって言えば、いいって……」
「そう……」

 レイは静かにそう答えただけだった。
 うれしがっているはずなのだが、顔には出ないようだ。
 しかし、ネコ耳を付けていたら、きっと何らかの反応を示したであろう。ピクピク動いたりとか。

「うん、だから、NERVに着いたら、リツコさんのところに訊きに行こうと思うんだけど」
「そう……」

 レイはそう言ってようやくシンジの方から視線を前に戻した。
 シンジはちょっとホッとした顔で、イヤホンをまた耳の中に突っ込んだ。
 だが、ミサトに訊いたのは、シンジが温泉に行っていいかどうかで、レイと一緒に、ではなかったので、少し心が痛んでいた。
 つらいことを先送りにしていると、後で痛い目に遭うぞ、シンジ。

 つんつん

「な、何?」

 またしてもレイにつつかれ、うろたえるシンジ。
 やはりミサトにはっきり訊かなかったことで良心が痛んでいるのであろう。
 見れば、レイは再びシンジの方を真っ直ぐに見つめていた。

「碇くん……」
「う、うん……」
「温泉……」
「あ、だから、それは……」
「混浴?」
「…………」

 果たしてレイの目的は何なのだろう。
 この辺も今後の楽しみかな……

 さてさて、二人がリツコの部屋に行く頃には、きっとマヤさんの検査結果が出ていることだろう。
 もしかしたら、鉢合わせになるかも知れない。そうなったら面白いのだが……(いや、何となく)



 リツコとマヤさんは検査室にいた。
 テレビでレイが検査を受けているシーンがあったのを憶えておられるだろうか。あの部屋だ。
 実はリツコの研究室のすぐ横にあるのはご存じなかっただろうが。
 マヤさんが受けさせられた検査は、レーザースキャン、DNA検査、血液検査など。
 あと、触診もあった。無論、ネコ耳のである。聴診器を胸に当てる、というのはなかったので安心されたい。

 一通り検査が終わり、あとは結果を待つのみとなった。
 マヤさんは何もすることがなくて椅子に座っている。
 リツコは何やら古めかしいコンピュータの前に立っていて、検査結果を見ていた。
 その手には、何やら細長い紙テープが見える。何と、穿孔テープだ。
 ほら、よく昔のコンピュータに付いていた、カタカタっと出てくる穴空き紙、あれである。
 しかし、これほど最新鋭の設備が揃ったところに、なぜこんな旧式の計算機が……よくわからん。

「思った通りの結果ね」

 リツコが手に取っていた穿孔テープを千切りながら言った。
 よくよく見ればこのコンピュータは、テープドラムが回っていたり、やたらたくさんのLEDが点滅したりしている。
 今時のコンピュータのことをよく解ってない人間が絵コンテを描いたらこうなりそうだ。
 もしかしたら、それを揶揄する目的でわざと外観だけこんな風にしているのかも知れないが……

「あの……やっぱりこれ、病気なんですか?」

 マヤさんが心配そうな顔で訊いた。
 (こんな計算機で本当にわかるのかどうかが心配だったのかも)

「ええ、有名な病気ね。人類ネコ化ウイルスRA型と、ネコ免疫不全ウイルスの合併症よ」
「そ、そうなんですか……」

 マヤさんは失意のずんどこに突き落とされた気分だった。
 だが、病気にかかったことではなく、『有名』だと言われたのに知らなかったからかも知れない。
 ちなみに、『RA型』というのが誰かさんのイニシャルだということに気付いた様子は全くない。

「こうなることは予想されていたけど、発症例はきっとあなたが初めてね。貴重な体験よ、マヤ」
「は、はあ……」

 何が貴重なんだか……
 しかしリツコは嬉しそうに続けた。

「前者は食物感染、後者は血液感染によって起こるわ。それ以外の感染経路は不明。同時罹患率は0.000000001パーセント。オーナイン病とはよく言ったものね」
「…………」

 いや、感染経路ははっきりしていると思うぞ。(解った方はぜひ作者にメールを……)

「とにかく、前例がないから、治療法もわからない。ワクチンもないわ。自然治癒を待つしかないわね」
「! そんな……」

 マヤさんは驚きのあまり大きく目を開けてリツコを見ていたが、やがてガックリと肩を落としてうつむいてしまった。
 ネコ耳も元気なさそうにシュンとしている。
 そして呟くように言った。

「そんな……じゃあ、当分ネコ耳を生やしたままでいろって言うことですか……」

 しかし、次のリツコの一言が、マヤさんをさらなる驚きの淵へと突き落とす。

「あら、ネコ耳だけじゃないのよ」
「えっ!」
「ネコ耳は症状の第壱段階に過ぎないわ。第弐段階にはしっぽも生えてくるのよ」
「えっ……えええっ!!」

 ネコ耳の上に、しっぽまで?
 マヤさんは目が点になっていた。信じられない……信じたくない……
 しかしリツコが冷徹な声で言い下す。

「そして第参段階はネコ語がわかるようになるの。その間に行動も性格もネコ化していくわ」

 ……初の発症例だというのに、どうしてそこまで解っているのか不思議だ。
 だが、マヤさんは冷静に考えることができなかった。
 リツコの方を見ながらオロオロとするばかりだ。

「ウソです、そんな……」
「本当よ、今だって……」

 リツコはそう言いながら白衣のポケットを探り、何やら緑色の物を取り出すと、マヤさんの目の前の床にハラハラと撒き散らした。
 何かの葉っぱだろうか。

「……これ、何ですか?」
「よく見ればわかるわ」
「…………」

 そう言われてマヤさんが椅子から腰を上げ、葉っぱを一枚手に取ってみようとしたときだった。

「え……あれ?」

 突然、カクンとマヤさんの膝が落ちた。そのまま床にへなへなと座り込んでしまう。
 身体が床に倒れそうになるのを、かろうじて手で支えていた。
 あれ、どうなってるの、私……力が、入らない……

「せ、先輩、これは……」
「わかったでしょう、ネコ化してるという意味が」
「じゃあ、これは……マタタビ……」

 そう、『木天蓼』。マタタビ科の蔓性落葉低木(広辞苑参照)の葉である。
 ネコ科の動物が好み、食べると酔ったようになる。(日本語大辞典参照)
 その匂いを嗅がせるだけでも、おとなしくなってしまうという……(耳学問)
 しかし、リツコはなぜにこんな物をポケットに入れていたのだろう。いつも持ち歩いているのか?(謎)
 そうこうするうちに、マヤさんの手の力も抜け、ついに床に倒れ込んでしまった。

「あ、ああ、先輩……」
「ふふふ、安心しなさい、マヤ……悪いようにはしないわ……」

 足元でぐったりとなったマヤさんを見下ろし、リツコは妖しげな笑いを浮かべたまま立っていた。



マヤさんピンチ! このままリツコの毒牙にかかってしまうのか?(笑)
なお、文中『(c)XXXs』の付いた文章は、XXXsさん作の『ぱたぱたレイちゃん』(『エヴァに取り憑かれし心…その容れ物』)の文章を引用させていただきました。XXXsさん、どうもありがとうございました!


新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。

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Written by A.S.A.I. in the site Artificial Soul: Ayanamic Illusions