夜空を閃光が駆けた。
今宵の第3新東京市は激しい雷雨に見舞われていた。
風はうなり声を上げて吹き荒れ、雨が高層ビルの窓を割りそうなくらいに叩く。
そして彼女はいつもの場所にいた。
彼女の細い指先は、斬新なデザインのキーボードの上を舞い踊っていた。
だがその動きは華麗であっても、クラシックバレエのような悠長なリズムではない。
器用なコード捌きに自信を持つハードロッカーでもそれを見たら舌を巻いたに違いない。
窓の外で雷鳴が轟いた。
しかし彼女がいるのはジオフロントにあるNERV本部……即ち、雨風などとは無縁の場所のはずだった。
なのに、窓の外が白く輝いた。
もしかしたら、彼女はそういう演出の中でプログラミングをするのを好むのかも知れない。
そう、その光景を見た者は口を揃えて言うに違いない。
「それって、マッド・サイエンティストって感じぃ〜」
金髪の彼女は指先のダンスを止め、側のテーブルにあったNERVロゴ入りの白いマグカップを手に取ると、その底に僅かに残っていた黒い液体を喉に流し込んだ。
彼女のお気に入りのコーヒーの銘柄は、冷めてもインスタントよりは数段味がいいのだった。
それを味わうかのように目を閉じ、その微妙な苦みで疲れを癒しながら、彼女は一人呟いたのだった。
「ふふ……もうすぐね……」
その意味を彼女以外に知る者は、当然いなかった。
無論、作者でさえも。
ネコ耳マヤさん
マヤさんの朝は早い。
いや、今日のマヤさんの朝は早い。
明日は遅いかも知れない。
何のことかというと、マヤさんの朝は不規則なのである。
これには更に説明を加える必要があろう。
つまり、NERV職員の勤務時間は、非常に複雑な交代制になっている。
3交替だとか4交替だとか、週のこの日は早くてこの日は遅い、等という単純なものではないのだ。
休日は自己申告によって取ることができるが、その他の日の勤務時間はMAGIによって計算の上、割り当てられている。
そして、これが尋常な複雑さではない。
噂によると、数十万桁だか何だかの素数を使って計算されているらしい。
無論、そんなことをして計算をする必要は、ない。
もっと単純に、という要望があちこちから出ているそうだ。
だが、どうして複雑になったのかというと、それは『計算する人の趣味』なのだそうだ。
人事部が計算アルゴリズムを計算機管理者に依頼したところ、そうなったのだという。
しかし、その本当の理由を知る者はいない。
それを知ろうとした者は、原因不明の死……ならぬ、記憶喪失になっているとか。
話を元に戻そう。
そう、マヤさんの朝である。
この日は早かったとは言っても、7時過ぎだった。
彼女はいつものように、いと可愛らしくベッドの上で目覚めた。
ちなみにその姿はというと、黄色地に白の水玉の付いたパジャマに身を包んでいた。
白い大きな襟が付いていて、胸元に房が二つぶら下がっているところは何とも子供っぽい。
もっとも、寝起き姿なら『今年、高校を卒業したばかりの女の子』で通用するかも知れない。
彼女は手で口元を隠しながら小さいあくびをすると、洗面所に顔を洗いに行った。
歩きながら眠い目をこする姿など、14歳のチルドレンそのものである。
洗面台の蛇口を捻り、冷たい水をほとばしらせる。
パシャパシャッと音を立てながら、まるで洗顔フォームのCMのように顔を洗う。
それからタオルで軽く叩くようにして顔を拭いてから、鏡に向かってにっこりと微笑んだ。
何だか知らないが、これが毎朝の習慣らしい。
寝癖で髪が少し跳ねているのはご愛敬だろう。
それからダイニングに行ってパンを焼きながらコーヒーを淹れる。
大学時代は朝食を抜くことが多かったのだが、ある先輩の薦めで少しだが食べるようになったそうだ。
八つ切りの薄い食パン一枚に、これまた薄くバターを塗ってパクつく。
だが、4、5回噛んだだけで、コーヒーで流し込むことを繰り返し、朝食は終わる。
再び洗面所に行って歯を磨き、それから出勤のために着替える。
しかし、堅苦しいスーツなどは着たりしない。
今日はELLEのロゴ入りの白いTシャツに、薄いブルーのホットパンツという軽装だ。
いつの時代も、若い者はお気楽なものである。
出掛ける前にもう一度洗面所に行き、髪をブローして整える。
これにていつものマヤさんの出来上がり。
もちろん、化粧なんてしない。必要ない。若いから。
それから彼女はもう一度鏡ににっこりと微笑むと言った。
「いってきます!(はぁと)」
「おはようございます!」
「やあ、おはよう」
「おはようございます!」
「おはよう、マヤちゃん」
本部に着くと、マヤさんは会う人ごとに挨拶する。
だからマヤさんは結構人気があったりする。
何でも、『親衛隊』や『補完委員会』が結成されているとかいないとか。
特にこの日は挨拶の数が多かった。つまり、出勤している人が多いのである。
それでもマヤさんはニコニコ笑顔を崩さない。それも人気の秘訣。
更衣室でいつもの制服に着替えると、技術局第一課の居室へ。
「おはようございます!」
一際大きなマヤさんの声が部屋に響く。
皆が一斉に振り返り、笑顔で口々に挨拶の言葉を返してくれる。
「おはよう、マヤ」
「おはようございます、先輩!」
リツコの挨拶にも元気に答える。
そしていつもどおり、今日の打ち合わせから。
「マヤ、今日の仕事だけど」
「あ、はい。メルキオールの87ユニットのロジック変更でしたよね」
中学時代から予習復習を欠かさない。
それがマヤさんをこれまで支えてきたのである。
だが、リツコの答はちょっと調子を外すものだった。
まるで、抜き打ちのテストを告げるかのように。
「それは今日はいいわ」
「えっ? じゃあ、何をするんですか」
マヤさんは首をちょっと傾げて目を『?』にした。
「別の仕事……これよ」
リツコはマヤさんの目の前に、レポート用紙の束を置いた。
マヤさんは不思議そうな顔でその表紙を眺めている。
「……何ですか? これ」
「読めば解るわ」
リツコはそう言ってコーヒーをすすった。
マヤさんはレポート用紙を取り上げて表紙の文字を読んだ。
「第1回NERV猫耳コンテスト……」
読んだ瞬間、マヤさんはいやーなことを思い出した。
この話は一ヶ月ほど前から聞いている。
そうか、今日がその日だったのね。
そう言えば、出場者エントリーが始まったときに、課のみんなに出ろ出ろって言われたっけ。
涙目になって抗議したら出さされずに済んだけど……
まさか、やっぱり出場しろって言うの?
そんな……でも、先輩の命令なら、逆らうわけには……
そこまで考えてから、マヤさんはリツコの方を見た。
マヤさん、既にうっすらと涙目になっている。
「あの……」
「心配しないで。出場しろという訳じゃないわ」
「そ、そうですか……」
マヤさんはホッと一息ついた。
出場者じゃなければ、裏方だって審査員だって……
だが、その考えはちょこっと甘かった。
ゴディバのチョコレートよりはちょっと控えめな程度に。
「司会をやるはずだった総務課の女の子が、急病で休んだのよ」
MAGIとまではいかないが、マヤさんの頭の回転も結構早い。
リツコの言葉を即座に解析する。
しかし、その解答はあまりよくない気配がするものだった。
バルタザールなら条件付き賛成の立場をとったであろう。
カスパーならもちろんリツコを裏切る……いや、これはこの際関係ない。
「えっ……じゃあ……」
それでも恐る恐る確かめてみる。
だが、99.89%の確率で、マヤさんはリツコの次の言葉を予測できた。
「そう、あなたにはコンテストの司会をやってもらうわ……」
ガーン! マヤさん、大ショックだった。
(そんな……司会って言ったら、大勢の人の前でしゃべるんでしょ? 私、そんなの苦手……でも、先輩の命令だし……)
うろたえるマヤさん。
しかし、総務の仕事がなぜ彼女に回ってきたかを考える余裕はないのだった。
もちろん、リツコの不敵な笑みの理由を分析することなどできはしない……
ここで話は一ヶ月ほど前にさかのぼる。
「問題ない。第拾参大会議場を使い給え」
広報課からコンテスト開催の許可申請が上がって来たとき、ゲンドウは二つ返事で承諾した。
それを横で聞いていた冬月の顔は引きつった。
そして、広報課の人間が去った後で、ゲンドウにそっと話しかけた。
「いいのか? 碇……このことが委員会にバレたら……」
「問題ない。委員会には別の物を差し出してある」
何を差し出したのだろう? 気になる……
まさか、開催案内状とか投票用紙だとか言うんじゃないだろうな。
「しかし、こんなものをやっている時に使徒が来たら……」
「問題ない。その時は……」
さすがゲンドウ、何か深い配慮があるのか……冬月は次の言葉を期待した。
「その時だ。何とかなる」
それを聞いたとき、冬月はこけた。思いっきり。
あたかも、吉本新喜劇のお約束のギャグに対する反応のように。
さすが冬月先生、京都で教鞭を執っていただけのことはある……
だがきちんとツッコまないところに非関西人を感じさせる。
冬月は起き上がって制服の塵を払いながら思った。
こいつ、何考えてやがんだ……
……たぶん、ネコ耳を付けたレイのことじゃないかな。
そう、コンテスト開催の影の発案者がゲンドウだということを冬月が知る由もなかった。
で、所変わってこちらはチルドレン。
「へぇー、ワケわかんないコンテストねー。でも、面白そうじゃない」
シンクロテストが終わった帰りに、できたばかりのパンフレットを渡されたアスカはそう言った。
今日も今日とて、彼女だけはお気楽極楽である。
シンジはいつもどおり疲れ切っているし、レイに至っては……彼女が楽しそうにしているところを見たことがない。
「アスカ、出るの?」
後ろでパンフレットを読んでいたシンジが訊いた。
更にその後ろには同じくパンフレットを読んでいるレイがいる。
「当然じゃない。ま、私が出場すれば、優勝は決まったようなものね」
パンフレットで自分をパタパタと仰ぎながらアスカはそう言った。
相変わらずたいした自信だ。
まあ、似合うであろうことは認めよう。
「でも、優勝賞品はもらえないわ……」
後ろの方からレイがぼそっと呟いた。
無論、アスカはそれを聞き逃さずに、厳しく糾弾する。
「何よ、優等生、どういう意味よ」
しかし答えるレイの声は落ち着き払っていた。
「賞品は、オーストラリア旅行7泊8日だから……」
そう言いながらもレイはパンフレットから目を離さない。
国連機関にしては賞品が豪華ねなどと考えているわけではないだろうが。
「それがどう……」
アスカは言いかけて口をつぐんだ。
ちょっとムッとしていた顔が、かなりムッとしている顔になる。
やっと解ったらしい。
そう、沖縄旅行にも行かせてもらえなかったのに、オーストラリアなど考えるだけ無駄である。
それに一週間もあれば、下手すれば使徒が2回くらいは来るだろう。
「ふ、ふん、要は優勝の栄誉さえもらえればそれでいいのよ。賞品は誰かに売ってやるわ」
アスカはそう言ってツンと横を向いた。
くれてやると言わないところが何とも勘定高い。
それからアスカはパッと振り返ってシンジの顔を見た。
シンジは視線を感じ、顔を上げたが、明らかにひるんだ顔になっていた。
そう、また無理難題を言いつかるのがとっさにわかったのだ。
慣れというのは恐ろしい……
「そうだわ、シンジ、あんたも出なさい!」
やはしそう来たか……作者の予想通りである。
「ええっ!? ぼ、僕が? 何で? ……それに、僕、男だよ!?」
シンジはいつものように抵抗したが、レイの言葉が後ろから首筋に冷たく突き刺さった。
「エントリー要項には男女の区別はないわ……」
「ええっ!?」
シンジは振り返ってレイの顔を見た。
だがレイはパンフレットに目を落としたままだ。
あ、綾波、どうして僕を陥れるような真似を……
シンジは目で訴えようとしたが、見てくれないのでは仕方ない。
また前に目を戻すとアスカがじっと見ていた。
『出なさい』
美しく青き瞳はそう言っていた。
シンジはうろたえながら言葉を発していた。
「綾波は……そうだ、綾波は、出ないの?」
そう言って振り返ると、レイがちょうど顔を上げたところだった。
じっとシンジの方を見ている。
(しまった! つい、巻き込んじゃって……怒ってるかも)
後悔の念がシンジの頭の中でぐるぐると回る。
しかし、自分が出場させられそうになっているのは綾波にも責任が……
だが、シンジが責任転嫁の理由を考える間も与えずに、レイはシンジの目を見ながらあっさりと言い放った。
「碇君が出るなら……」
「へ?」
レイは何か思うところがあったのだろうか。
だが、彼女の考えていることを言い当てるのはなかなか難しい。
ともかくも、かくしてチルドレン3人のコンテスト出場が決定した。
「ふっふっふっふっふっふっふ」
NERVの地下食堂で、生ビールの特大ジョッキを景気よくあおりながらパンフレットを読んでいる女が一人。
どうやら彼女もコンテストに出るらしい……
続く?
新世紀エヴァンゲリオンは(c)GAINAXの作品です。
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Written by A.S.A.I. in the site
Artificial Soul: Ayanamic Illusions