…ここは…? 

真っ白な空間。

何処まで続いているか分からない、広い空間。

全てがぼやけている、うつろな空間。

わたしはその中にいる。

でも、わたしは自分の姿が見えない。

意識だけが空間を舞って、何処かへさまよっていく。

ふわふわしたこの感じは、上も下も分からなくて不安になる。

しばらくそうして漂っていると、やがて、わたしの意識は、ある方向へ向かって移動していった。

すごい速度で動いている気がするが、何もわたしは感じない。

空気の流れさえもそこには感じなかった。

眩い光とともに、遠くに見えてきたのは、小さな部屋。

ぎりぎりまで近づくと、部屋の窓のすぐ側でわたしの意識は止まった。

外からの視点で、わたしは部屋の中を見ている。

何処かのマンションのようなつくりだ。

小さなキッチン、ベッドルーム、リビング。

どれも、二人分の生活のためにあるようだった。

反対側の窓の向こうに古い書院造りのお寺が見えた。

一人の男性と一人の女性がリビングにいる。

木で作られた椅子に座っている女の人のお腹は、大きく膨れている。

妊婦さん、しかも、もう子供が生まれるのは近いかもしれない。

男の人はその隣で、いたわるようなやさしい目でその様子を見ている。

幸せそうなその光景を見ると、あったかい気分になれた。 

やがて、中で二人が話している声がわたしの耳に届き始めた。

男の人は司令……?

話している相手は………



女の人の声が聞こえた瞬間、

わたしの意識はその女の人と重なって、

中に吸い込まれていった。
























「……経過は良いのか。」


「ええ。とても順調ですって。」


「そうか。」


「もう、6月。早いものね…。」


「中旬までには生まれそうだな。」


「予定日は15日だったけど…。ちょっと早まっちゃいそうね。」


「……そうか。」


「それはそうと、あなた。考えてきてくれた?」


「ああ……。」


「なら聞かせてくださいな。そのために来たわけでしょ?」


「そうだな…。男なら、シンジ。女なら、レイと名付けるつもりだ。」


「シンジ……レイ……。ふふふっ、あなたも仕方のない人ね。」


「……そうか……?」


「そうよ。」


「なら、他のほうが良いのか?」


「いいえ、それで良いわよ。良い名前だと思うし。私も嬉しいし…。」


「解かった。しかし、性別は知る事ができるのではないのか。」


「あら…。嫌よ、私は。そういうの、本当は会って始めて、知るものよ。」


「そうか…。」


「お仕事のほうは良いの?」


「ああ。E計画のほうも順調だ。それに、ユイがいないとできない事も多いしな。」


「そうね…。でもしばらくはそちらに参加できないわ、子供がいるんですから。」


「解かっているよ。」


「赤木博士は例のコンピュータの開発に入ったのかしら?」


「ああ。基礎理論の構築から入っている。完成には長い事かかりそうだ…。」


「そう。リッちゃんが来るまでにはできるかしらね。」


「解からん。彼女はゲヒルンに来る事になっているのか?」


「本人は希望してたわよ。多分そうなるんじゃないかしらね。まだ、中学生だけど。」


「そうか。まあ、構わん。……私はそろそろ仕事へ行くぞ。」


「はい、行ってらっしゃい。仕事が忙しいのは知ってるけど、毎日顔ぐらいは見せてね。」


「ああ、解かった。時間を空けておくよ……。」
















その女の人の中にいたわたしの意識は、

女の人の体から抜け出て、再び移動を始めた。

部屋を貫いて、また何も無い空間を走りだす。

やがて白かった空間の色は、水の中に塗料をたらしたかのように赤く染まった。

夕日の赤より、血の赤より、まだ赤いその色。

わたしの意識は、その赤の中に溶けた。





































ねえ、帰りましょう。わたしとともに…。

































「……。」


オレンジの斜陽の光が入っている部屋のベッドの上で、わたしは眠りから覚めた。
その光は既に弱かったので、わたしの目をいたずらに刺激する事は無かったのだけれど、頭はまだはっきりしないので、そのまま少しの間目を閉じていた。
目の裏に映り出すオレンジ色が閉じられた視界を染める。弱い光の熱がわたしを正気に戻す。
頭が徐々にはっきりし出して、物事を考えられるようになってから、始めてわたしは目を開けた。

……あれ??
ここはいつものわたしのアパートよね…。
おっかしいな〜、今のはなんだったんだろ。
違う場所に行ってたみたいだったんだけどな〜。
そもそも、わたしって寝てたんだよね。
たしか、今日は学校が午前中に終わったんだけど、シンクロテストまでは時間があって、ヒカリは委員会で、アスカは週番だったから、結局一人で家に帰ってきて、昼食を食べて、お風呂に入って、その後、何もする事が無かったからベッドで横になって…。
あ、やっぱり寝てたんだ。
じゃあ、今のは……夢、かな。
そう言えば、わたしって夢なんて見たこと無かった…な。
なんだか、変な感じだったなぁ…。
女の人、わたしに似てたような…。
いや、違う。あの女の人とは、髪の色が違ったもの。顔はそっくりだったけど。
まあ、夢なんてつじつまの合わないものよね。
でも、シンジ、レイって…。それに、最後のは…。

プルルルル…プルルルル…プルルルル…

突然この部屋に、けたたましいコール音が鳴り出した。
ちょっと耳障りに思ったわたしは勢いよくベッドから飛び降りると、出しっぱなしのパイプ椅子の上に置いておいた携帯電話を取った。

「もしもし、綾波で…」
「くぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁ、綾波レイ!!」
「ひゃっ!?か、葛城さん!?」
「シンクロテストには遅刻をするなって、いつも言ってるでしょうが!!アンタ今何時だと思ってるのよ!!」
「え?今何時…」
「後少しで5時になるわよ!!昨日、4時からだって言ったでしょ!!何やってたのよ!?携帯には何回かけても出ないし!!アスカは先に学校を出たって言ってるし!!どうせ、ちゃぷちゃぷ長風呂にでも入ってたんじゃないの!?もしくは、ゆ〜っくりと昼寝でもしてたのかしらね!!」

うっ、それは確かに両方とも当ってるけど…。
だって、お風呂に入って力が抜けると、ベッドでゆっくり眠れちゃうのよ!!

「それは、そのぉ…」
「とにかく、すぐに来なさい!!分かったわね!!」
「わ、わかりましたあっ!!」























そんな彼女の可能性〜WHEREABOUTS OF HEART〜




















「You’re No.1!!」

その日のシンクロテストの最後に、葛城さんの声がわたし達三人のエントリープラグに届いた。
わたしのモニターには、碇君に向かって親指を立ててガッツポーズを表現している葛城さん、その声を聞いてうれしそうな顔をしている碇君が映っている。
わたしはつい、そのモニターを見つめてしまった。

「綾波!!見てた?」

そう言いながら、今度はわたしに向かってピースマークを繰り出している。
普段の碇君からは発せられないような、明るい声。明るい笑顔。
そんな碇君につられたわたしは、つい笑ってピースを返す。


「ばっちり!さすがだね、碇君!」

碇君は少し前からシンクロテストを真剣に受けるようになって……別にそれまで真剣じゃなかったって訳じゃなかったけど……シンクロ率はどんどん上がっていった。
元々、わたしよりはずっと高かったけど。今日、結局アスカのシンクロ率まで抜いてしまった。
50以上も差があったのに。
わたしは碇君のシンクロ率が良くても悪くても構わなかったけれど、テストの結果がいいときは碇君は明るいから。
それで、しっかりわたしも応援しちゃってるんだけど。

「終わったんなら、上がらせてくれない?」

隣のモニターから、アスカの声がした。
アスカはシンクロの体制を崩さないまま、操縦桿に両手を置いたまま、目も閉じられたままだった。
碇君の成績がいいと、アスカの機嫌は良くない。

「いいわよ。三人とも上がって頂戴。」

リツコさんがテストの終了を告げると、プラグからLCLが抜け、体に重みが戻ってきた。






















わたしがテストを終えて、更衣室へ戻ると、アスカは着替えを始めていた。
プラグスーツは既に脱いでしまっていて、ブラウスと制服のスカートをはいている途中だった。
わたしがアスカの後ろを通りすぎても、アスカは黙って着替えを続けていた。
わたしもなんとなく雰囲気に飲まれて、話しかけずにロッカーの前に立つ。

「いや〜、あんなにあっさり抜かれちゃうと、ちょ〜っと悔しいわよね〜。」

突然大きな声でアスカは喋り出した。
わたしは少し驚いて、アスカの方を向いたけど、アスカはロッカーに向かって着替えを続けていた。
妙に明るい口調だったけど、逆にわたしは気になってアスカの後ろ姿を眺めていた。

「これでも、7歳のころから訓練して、やっと乗れるようになったってのにね〜。私はこんなに苦労したって言うのに、天才鬼才のシンジ様は、半年も行かないうちに抜いてくれちゃったって訳。やっぱり、戦いって言うのは才能なのかな〜。すごいな〜、真似できないわよね〜。」
「あの…アスカ」
「ね〜。レイもそう思うでしょ〜?アンタだって苦労してきた口なんだから、ちょ〜っとはこの気持ち、わかるわよね〜。」
「わ、わたしは…。」
「あっ、そっか〜。愛しの碇君が、レイちゃんは守ってくれるんだから、悔しいなんて事無いか〜。逆に嬉しいくらいって感じ?もう、良いわね〜王子様がいる人は!一人身の私なんてつらいだけだわ…。ああ加持さん、か弱いアタシを守ってねっ。」

アスカは、天を仰いだり、両手を組んだりして、大げさに自分の言葉を体で表現していた。
わたしからみると、アスカは何か、いらついているようだった。それも、普通じゃないくらい。黙っていると感情に押し流されてしまうほどに。アスカの声はいつものように高かったけれど、そこに感情がこもっていなかった。ただ大きな声を出して、やり場を探しているようだった。

「アスカ…怒ってるの?」

しまった!!
なんて聞き方をしちゃったんだろ!!
アスカは問い詰める人を必要としていたわけじゃないのに…。

「べっつに〜?怒ってなんかないわよ?ただ、シンジはすごいな〜ってことを言っただけよ。」
「でも……。」

アスカがいつもの調子でない事に気付いていた私は、言葉を続けるのに少し戸惑った。
こんな事をここで言っても、言わなくても、アスカには関係無いのかもしれない…。

「………何よ。」

アスカの語調が、低く、冷たく、強くなった。
アスカは着替えの手を止めたまま、ロッカーに向き合って、微動だにしない。
ちょうど、スカートを履き終って、ブラウスの裾のボタンを留めているところだった。

「い、いいじゃない!アスカはアスカなんだから!碇君は確かにすごいけど、わたしはアスカだって…」
「だから、なんなのよ!!」

アスカは振り返って、その青い瞳でわたしを見た。
表情は険しく歪んでいた。今までの怒りを、わたしにぶつけているようだった。

「アスカが気にする事じゃないって事!!エヴァは生き残るためにあるんでしょ、それが達成できれば、それで良いじゃない!」
「アンタに……」
「…」

アスカは少し俯きながらそう言うと、顔を上げてわたしの方をきっと睨んだ。
怒気をはらんだ視線が、信じられないくらい鋭い。
それは、殺気といっても過言ではないほどだった。背筋が一瞬凍りつく。

「アンタにアタシの何が分かるって言うのよ!!さも分かったような振りしちゃってさ!!中途半端にアタシの事知ってるだけで、分かったふりなんてしないでくれる!?」

容赦のないアスカの言葉に、わたしはとっさに反応できなかった。
普段から語調はきついけど、こんな事は言われた事がない。
いや、いつか同じように碇君がテストの結果をリツコ博士に誉められたときも、こうだったろうか。

「わ…分かったふりなんてしてない!!アスカの事全部わからなきゃいけないなら、わたしはなんにもアスカに言えないじゃない!!」
「だから、何も言わないでよ!!」
「なんで!?いいじゃん、別に一番じゃなくったって!!」
「はんっ、アンタにそんな事言われたんじゃ、もうアタシも落ちこぼれね!!」
「そんな事言ってない!!わたしは、アスカが落ちこぼれたなんて思ってないもの!!」
「どうせシンジがアタシを抜いてくれて、嬉しかったんでしょっ!ざまぁ見ろ、とでも思ってるんでしょ!!偽善的な顔で、アタシに哀れみでもかけてるつもりなの!?シンジがいるんだから、アタシの事はほっときなさいよ!!シンジが居るから、アタシは要らないのよ!!」
「ちょっと、アスカっ!」

アスカはロッカーの中に入れてあった通学かばんを無理やり引き出すと、片手で掴み、もう片方の手で投げるようにしてロッカーの扉を閉めた。金属のぶつかる激しい音がしたと思うと、既にアスカは出口のドアの前に立って、わたしの方を睨んでいた。
白いブラウスの裾のボタンは、まだ留められていなかった。

「大っ嫌い!!アタシのする事にいちいち干渉してこないで!!アタシはアンタたちみたいに、子供だましの遊びで楽になろうなんて気にはならないわよ!! 自分達と同じだなんて、思いこまないでくれる!?放っといてよっ、いやらしいっ!!」















「どうしたの、綾波…。」

NERVからの帰りのバス、わたしと碇君は最後部に座っていた。
そのバスには、他に乗っている人はいない。独特のエンジン音が車中に響いていた。
運転手さんまではわたし達の会話が聞こえないだろう。
バスの中は、薄暗い電気がいくつかついているだけ。外から入る光のほうが、明るく感じられた。
わたしは呆然とその薄暗い光を眺める。
アスカと喧嘩したまま別れたわたしは、少し気がふさがっていたのかもしれない。
黙ったままだったわたしに、碇君は気遣ってくれたんだと思う、短く声をかけた。

「え?……ううん。なんでも無いよ。」
「そう?……なんか元気なさそうだったから。」
「……ふふっ……普段はわたしがそういう事言うのにね。」
「ま、まあ確かにそうかな…。」

隣の碇君はわたしの言葉に苦笑する。
普段励ますのは、わたしの役目だからね。

「ねえ碇君、シンクロ率がアスカより高くなって、嬉しい?」
「……それは……嬉しい、と思う。」

葛城さんの言葉を聞いた時に碇君が喜んでいるのをわたしは見ていたから、それは予想外の言葉じゃなかった。…碇君は本当に、嬉しいのかな…。

「どうして…?」
「だって……僕は結果を残せるような事は他にできないし……。エヴァに乗れば、自分が何もできないわけじゃないって思えるんだ。価値のある事だと思うから…。」

そっか、碇君は、自分のしっかりした価値が欲しいんだね。
でも、わたしがエヴァに乗ってようと乗ってまいと、わたしはわたし…。
そう最初に言ってくれたのは、碇君じゃない。
だから、碇君だって、エヴァに乗ろうと乗るまいと、碇君だって事は変わらないはず。
碇君だっていう、価値も変わらないよ。
そりゃ、エヴァに乗ってないと碇君と知り合う事は無かったかもしれないけど…。

「わたしは、碇君がエヴァに乗ることしか出来ないなんて、思わないよ。」
「え?」
「碇君が思いこんでるだけだよ、きっと。碇君は碇君の良いところがあるじゃない。」
「……例えば?」

例えばって言われると困っちゃうな…。
たくさんあるけど、一言で説明できる事じゃないよね、これって。
でも、わたしは碇君のいいとこ、いっぱい知っているよ。
例えば…。

「……碇君って……あったかい、よね。」
「ぼ、僕が?」

碇君は、わたしの言葉に目を見開いて驚いている。
わたしは碇君の方を見ずに、なんとなく話を続ける。ただ、普段感じていることを素直に言えばいいだけだけど。

「うん。そう思う。今も心配して声かけてくれたんでしょ?あんまり出来ない事だと思うの、そういうの。碇君はあんまり口数が多いほうじゃないけど、なんていうか…うん…一緒に居るとあったかい気持ちになるっていうか…気持ちが楽になる、って言うか、さ……。ぺらぺらと話すわたしの言葉も、いつも真面目に聞いてくれるし。」
「…ありがとう…。初めてだよ、そんな風に言われたの…。…本当に…」
「えっ…?」
「……。」

碇君は、真剣な眼差しでわたしを見る。
外からのネオンの光が碇君の目に映って、赤く光っていた。
チラッと隣を見たわたしの目と、じっとわたしを見ていた碇君の目が真っ直ぐにあう。
一瞬、かすかに、胸の奥で疼きを感じて、それは共振しながらわたしの心の隅にまでしみわたった。

「ま、まぁ、いいじゃない!わたしはそう思ってるんだから!だから、一つの事しかできない、なんて言わないでよ!みんなだって、きっとそう思ってるって。口には出さないけど。」

わたしは照れ隠しに大きな声で言うと、そっぽを向いて顔を隠し、胸を押さえる。
碇君ってば、急に真剣な顔するから…。
でも、わたしは本当にそう思ってる。碇君とよく喋るのも、場を楽しませるとかじゃなくて、本当に喋っていたいから。ただ碇君が聞き上手ってだけじゃないと思う、きっと、わたしの話を本気で聞いてくれているから。
それが嬉しくて、わたしはつい口が開いちゃう。
エヴァに乗ってかっこいい碇君もいいけど、普段の優しくてあったかい碇君の方が、わたしは…。

「本当はね、ちょっと喧嘩しちゃったの、アスカと。」
「アスカと?」
「うん…。」

この事、本当は碇君に言うつもりは無かったのに、結局口を割って出てしまった。
隠し事できないのかな、碇君には…。

「アスカ、悔しがってた。碇君にシンクロ率で抜かされた事を。それで、わたしが余計な事言っちゃったものだから…。」
「やっぱり…そう…なんだ…。アスカを傷つけるような事しちゃったのかな、僕は…。」

沈みがちに言った碇君に、わたしは首を振って否定する。

「あ、そうじゃないよ、碇君。わたしが無神経な事言っちゃったから、アスカは怒って…アスカが気を悪くしていたのは、分かってたはずなのに…。」
「でも、僕がアスカを抜いたりしなければ…。」
「碇君は悪くないって。わたしがちゃんとアスカの事考えていれば…」

「………。」
「………。」

重い沈黙が二人の間に漂う。
わたしはなんとか言葉を捜すけれど、間を埋めるような気の効いた台詞も浮かんでこない。
やだな、こんな雰囲気。
碇君は、エヴァパイロットとしての仕事をきっちりやっただけなんだから、碇君が悪いなんて思うことないのよね。

「「あの」」

不意に口を開いた、わたしと碇君の声が重なった。
少しびっくりして、わたしは碇君に先をすすめる。

「な、何?碇君の方から、どうぞ?」
「え?う、うん…。」

碇君は少しどもりながら、口を開く。
わたしも少し戸惑いながら、碇君の言葉を待った。

「…アスカの事はよく分からないけど…綾波は綾波なりに気を配って声をかけたんでしょ?」
「うん…。でも、ちょっと気配りが足りなかったかもしれないね。」
「別に…綾波がアスカを思っていったんだから…良いんじゃ…ないかな…。」
「……そう?」
「うん…。それに…その…。」
「…。」
「こんな事で…綾波に落ち込んでもらいたくないし…。」

碇君の言葉を聞いていると、重くなっていた気持ちが少しずつ楽になってきた。
わたしが落ち込んでたって、アスカの機嫌が良くなるわけでもないよね。
わたしのせいで、碇君が暗い顔してるのも見たくないな…。

「……ありがと。楽になったよ。もう大丈夫。」
「そう?よかった。あ、綾波は笑ってるのが一番だからね。」

リクエスト通り、わたしは笑って碇君の言葉に答えた。

「うん。」



























「目標は、毎時2.5kmで侵攻中。」
「どうなってたの、富士の電波観測所は!!」
「探知してません。直上に、いきなり現れました。」
「ATフィールド反応無し。パターンオレンジ。」
「新種の使徒?」
「マギは、判断を保留しています。」

第3新東京市直上に、球状の生命体が現れたのは翌日の午後の事だった。
NERV司令、碇ゲンドウはその日、本部にいない。
ミサトは緩やかな速度で進入してくる使徒に対し、三機のエヴァを戦闘モードに移行した第3新東京市に待機させた。

『みんな、聞こえる?目標のデータは送った通り。今は、それだけしか分からないわ。慎重に接近して反応を伺い、可能であれば、市街地上空外への誘導を行う。先行する一機を残りが援護。よろしい?』

ミサトの指示が三人に伝わる。
三機のエヴァは既にフル装備で、戦闘配置に移行するところだった。
その時、アスカから通信が入った。

「は〜い、先生!先鋒は碇君が良いと思いま〜す!」
「はぁ?」
「そりゃぁ、もう、こういうのは成績優秀、勇猛果敢。シンクロ率ナンバー1の殿方の仕事でしょ?それともシンちゃん、自信無いのかな〜?」
「…行けるよ!!」
「ん!?」
「お手本を見せてやるよ、アスカ。」
「な、な、なんですって〜!?」

発令所で、ミサトは呆れながらその様子を見ていた。後ろのリツコも同じようだった。
メインディスプレイに3人の画面が移っている。シンジ君、どうしちゃったのかしら…。
言い争っているシンジとアスカに対し、レイは少し戸惑いながらその様子をうかがっているように見えた。

「ちょっと、あんた達…」
『言ったでしょ、ミサトさん。You’re No.1って。』
「いや、あれは…」

自分が言った手前、ミサトの歯切れが悪い。
こんなに自信がついちゃうなんて、失敗だったかしら…。

『碇君、わざわざそんな事しなくても…』
『大丈夫だよ、綾波。戦いは男の仕事、綾波にこんな事、させられないよ。』
『う、う〜ん、そうじゃなくってさ…。』
『はっ、頼もしいお言葉!!じゃ〜シンちゃんにお任せしようかしらねっ!弐号機、バックアップに回ります。』
『綾波もそうしてよ。先鋒は僕がやるから。』
『うん…』

シンジは発令所のミサトに先鋒になる旨を伝えると、モニターを切った。
アスカも同じようにミサトに告げると、配置地点への移動を開始した。
レイは意気込んでいるシンジに対し、心配そうな表情を浮かべていた。





レイは零号機を指示された配置地点に移動させる。
武装ビルに隠れながらの移動なので、なかなか上手く使徒に回りこめない。
アンビリカルケーブルを、何度か切り替えながらの移動になっている。

『アスカ、綾波、まだ?』
『全然、まだよ、焦らせないで!!』
「わたしもまだ。もう少し待って、碇君。」
『早くしてよ。』

早くしてよ、と言われても、このビル群の中では移動速度に限界がある。
零号機の持っているライフルも、移動速度の減少に繋がっていた。
射撃ポイントまでまだ距離がある。
その時、使徒前方から、パレットガンの発射される音がした。

「どうして!?碇君、早過ぎる!!」

レイは零号機のライフルを大急ぎで使徒の方向へ向ける。
しかし、直前までいたはずの球体の生命体は、そこに姿が無い。

「消えた!?」
『パターン青、使徒です。初号機の直下!!』
『うわっ!!な、なんだよこれ、おかしいよ!!』

レイのプラグに、モニターを通してシンジの叫びがこだまする。
見ると、初号機の直上に球体の使徒が移動している。あたかも、初号機ごと覆い被さるように。
初号機はその影になっていて、体が黒い闇に沈みこんでいる。

『シンジ君!!逃げて!!』
「碇君!!」
『バカ、何やってんのよ!!』
『ミサトさん、どうなってるんです!?アスカ、綾波、援護は!?』
『アスカ、レイ、救出急いで!!』

ここからでは碇君を助けるには距離がありすぎる!!
わたしから行くより、アスカの方が近い、それなら…!!
レイは零号機の向きを変えると、上空の使徒に向かってライフルを発射した。
的が大きい、必ず直撃させられるはずだった。
しかし、弾は使徒のカラダを突き抜け、その後ろにある武装ビルにぶつかった。
……また消えた!?

『アスカ、影よ。気をつけて!!』

初号機に近かったアスカは弐号機を走らせて直接救援に向かった。

「あの馬鹿、模試だけ満点取ったってしょうがないじゃない!!」

自分の言葉を少し後悔するようなアスカの声。
出来うる限り、操縦桿を前に傾ける。
しかし、既に初号機は顔まで飲みこまれようとしていた。
くっ、間に合いそうにない…このままじゃ…!!

「ミサトさん!!ミサトさん!!」

モニターから聞こえてくるシンジの悲鳴が、だんだんと小さくなる。
弐号機がその場所についたとき、すでに初号機の姿はそこに無かった。
ちっ、と唇をかむアスカ。
気付くと、弐号機も、使徒の真下に入りこんでいる。

身の危険を覚えて、アスカは弐号機を宙に飛ばせた。

『影!?』

弐号機がビルに飛びついて、かろうじて飲みこまれまいとするが、ビルごと影に沈みこんでいく。
アスカは持っていた近接戦闘用のスマッシュホークとプログナイフをめり込ませて、足場にして弐号機をビルによじ登らせる。
レイのいる位置までは、影の半径に入っていなかった。

『街が…』
『アスカ、レイ、後退するわよ。』
『ちょっ!!』
「でも、初号機と、碇君が!!」

碇君がどうなるのか分からないのに、このまま引き揚げるなんて…!!

『命令よ…後退しなさい…』

モニターから聞こえてきたミサトの声は、確かに震えていた。















太陽は既に落ちていて、これから夜の帳が下りる、その直前の時刻だった。
七時を知らせる、教会の鐘の音が第3新東京市に響いていた。
NERVの面々は、初号機を飲みこんだ黒い影を、最もよく見下ろせる高台に仮作戦室を設けてそこに詰めていた。零号機と弐号機がそのすぐ隣でメンテナンスを受けている。
ミサトは双眼鏡で影の様子をうかがいながら、状況を把握しようとしている。
初号機を飲みこんでからは、直径600mを超えたところで静止したままだ。

「独断先行、作戦無視。昨日のテストでちょっと良い結果が出たからって、お手本を見せてやる?はは〜ん、とんだお調子者だわ!!」

両手を腰に据えながら、アスカは大きな声で言った。
鬱憤を晴らしているかのようにも聞こえる。
それまで壁に背中をもたれかけていたレイは、そのアスカの言葉を聞くと、彼女を真っ向から見つめるようにしながら前に出る。
赤い眼に見つめられたアスカは、驚きながらもその青い眼で睨み返した。

「アスカ……あなたはそんなに人から誉められて自己満足に浸りたいの。」
「な、なんですって!?私は自分で自分を誉めるために戦ってるのよ!!他人なんて関係無いわ!!」
「ウソッ!!本当に自分の意思で戦っているなら、碇君の失敗を笑う必要なんて無いじゃない!!」
「ア、アタシは事実を言ったまでよ!!テストでいい結果残したからって、調子に乗って命令違反したのは事実じゃない!!」
「それは、アスカが碇君を悪く言う理由にはならないわ!!」

レイの口から出た言葉は、止まろうとしなかった。
自分がシンジに対して、助ける事も出来ずに見捨ててしまった、という憤りもあった。
どうしようもなく、打ち消せない不安を散らしたいがため、と言う事もあった。
が、シンジの事を言われている事が、レイにはどうにも耐えられなかった。
元はといえば、アスカが変なこと言ったから!!
普段なら、碇君だってあんな無茶はしないのに!!

「そう、確かに碇君は命令違反よ…わたしもアスカも配置についていなかったし、発令所との連携も取れてなかった…敵の情報もろくに無かったわ…でも、それをアスカがどうこう言う事じゃないでしょ!!アスカがあそこに落ちてたかもしれないじゃない!!」
「アタシはアイツみたいな馬鹿な真似しないわよ!!シンジのこと言われるのが、そんなに腹立つ!?」
「腹立つわよっ!!わたしが言われるのならともかく、碇君の事をどうこう言われるのは頭に来て仕方ないのっ!!」
「なっ……!!」
「アスカ、あなたが余計に煽ったから、碇君がああしてしまったかもしれないのよ!!あなたの余計な優越感を満足させたいがために……!!もしこれで碇君が戻ってこないなんて事になったら………絶対許さないから!!」
「!!」

「止めなさい!!」

レイの言葉に、アスカが体を固めていた時、ミサトが声をかけた。
双眼鏡をはずし、暗くなりかけた山の向こうを見据えている。
少し前まで見えていた夕日の残光は、今はほとんど見えなくなっていた。

「確かに、独断先行、作戦無視だわ。だから、帰ってきたら叱ってやるのよ。」
















使徒に飲み込まれたシンジと初号機は、12時間近く、その動きを止めていた。
シンジは、何度か目の眠りにつき、何度か目の目覚めを向かえていた。

「寝る事がこんなに苦痛だなんて…思わなかったな…。」

何も考えずに、操縦桿を握った手に力を入れる。親指でボタンを押す。
しかし、その行動は、なんの変化も生み出しはしなかった。

「レーザーもソナーも帰ってこない。やっぱり、真っ白のまま。空間が広すぎるんだ。」

プラグスーツに埋め込まれた時計をふと見る。

「ぼくの命も、後四・五時間か…。」

シートに頭を倒し、ゆっくりと目を瞑る。眠りにつく事は、容易ではなかった。
「アスカ、笑ってるだろうな…あんな事言って、このざまなんだから…。綾波、心配してないかな…。ははっ、もう呆れられてたりして…。当然だよね…。」
自嘲気味にシンジは呟いたが、言葉に覇気が無かった。分かっていても、納得したくない様子だった。

「嫌だな…綾波に嫌われたら…僕は…。」

















「エヴァの強制サルベージ?」
「使徒の本体はあの影。直径680m、厚さ約3nmのね。その極薄の空間を、内向きのATフィールドで支え、内部はディラックの海と呼ばれる虚数空間になっているわ。多分、他の宇宙へと繋がっているんじゃないかしら。殲滅する方法は、支えているATフィールドを侵食し、その瞬間に全てを破壊してしまうしかない。そこで、使徒の中心部に現存するN2爆雷992個を投下。タイミングを合わせて残存するエヴァ二体のATフィールドを使い、使徒の虚数回路に千分の一秒だけ干渉する。その瞬間に爆発エネルギーを集中させて、使徒を形成するディラックの海ごと破壊する…。」

対使徒の作戦会議は、夜を徹してのものになっていた。
リツコら、技術部を始めとしたスタッフ達は、時間を惜しむかのように動いていた。
その中で、レイは仮設作戦室に作られたフェンスに寄りかかって、自分の肩を抱いていた。
ほとんど口論になってるリツコとミサトの声を横で聞きながら、小さく固まっていた。
その目は堅く閉じられていて、自らを制しているような細い息が、薄い唇から漏れている。
水色の髪は非常用ライトに照らされ、オレンジ色に変化していたが、それは小刻みに打ち震えている彼女の表情を隠すくらいにさえ、役には立っていなかった。
時折彼女は大きく震え、自らの腕でそれを押さえる。その仕種がしばらく続いていた。

「それじゃ、シンジ君は!!救出作戦とは言えないわ!!」
「この作戦は、初号機の回収を最優先します。」
「ちょっと待って…!!」
「この際、パイロットの生死は問いません。」
「っ!!!」

バチッ!!!

「…!!」

ミサトの手がリツコの頬を叩いた音がしたのと、レイの心を縦に切り裂くようなひびが入ったのとはほぼ同時だった。
レイは自らを締め付けるようにその腕に力を入れる。
フェンスに寄りかかっていなければ、足から崩れていってしまうかもしれない。
それは、時間がたつごとに増していくようだった。 







何故…こんなに不安なの?

碇君がいないだけで…。落ち着かない…。


寒いな…。震えが止まらない…。

ざわざわする…。

心が軋む音がする…胸が痛い…。

何かにえぐられている感じがする…。



…何故…。

どうして…。








やだな…。

ここに居たくない…。耐えられない…。

でも、動けない…。




どうしてるの、碇君…。

無事なんでしょ?無事だと言って欲しい…。

いつもは優しい声で、わたしの言葉に答えてくれるのに。

無事じゃなかったら、わたしは…。



いつも呼んでくれるじゃない、「綾波」って…。

わたし、碇君に呼ばれて振り向かなかった事、ないよ?

いつもそう言って欲しくて、かまって欲しくて、側にいて欲しかったから。

それなのに、今は居ないんだね…。











ここで待っているの、嫌なの。

顔が見たい。声を聞かせて。







碇君が見えないなら。


声が聞けないなら。


肌に触れないなら。


一緒に居れないなら。








消えてしまっても、構わない。


いっそ、ここで消えてしまいたい。


誰も居ないところへ行ってしまいたい…。

その方が楽かもしれない。無へと帰る方が、楽かもしれないの。








でも、碇君の居ないところは嫌なの。


碇君が居ないと、駄目なの。


ここには、碇君がいないの…。








だから、わたしを呼んで?


何処へでも行くよ。








………。








…寂しい…。


一人で居ると、こんなにも寂しいんだね。


なんで今まで分からなかったんだろう。








慣れてしまっていたのかな。


当たり前だと思ってたのかな。


碇君の居る事が…。


空気みたいな…ものだったのかな…。








違うの、碇君がいないと。

上手く笑えないの。


上手く喋れないの。 








温もりが欲しい。


ここは寒いの。


碇君がいないと、寒い…。


なぜ、わたしは震えているの?














………お願い………。





わたしは…ただ…一緒に居たい…。























「綾波」











「!!!!」





突然、レイは名前を呼ばれた気がした。
驚き、そして切ない願いを込めて、声のした方向を見る。

碇君、戻ってきてくれたの!?

しかし、そこに居たのは彼女の求めてやまない人ではなかった。
彼女よりも数センチ高い位置から、ショートカットで女性らしい顔立ちが覗いていた。

「レイちゃん…大丈夫?」
「マヤさん…。」

レイは自分を抱いていた腕を解き、力を抜いてマヤに向き合う。
しかし、からだの震えがどうにも止まらない。
再び、か細い腕で自らの身を抱き、顔を伏せる。

「レイちゃん…。大丈夫、センパイが何とかしてくれるわ!今までも何とかやってきたじゃない。心配しないで。」
「でも、今度は碇君がいない…。いつも居た碇君が、今はいないの…。」

弱々しい声が彼女の口から発せられ、再びその口を閉じる。
普段とはあまりにも違う、そのレイにマヤは驚きを隠せなかった。
自分がNERVに来て、こんなレイを見たことは今まで一度もなかった。
マヤはレイの小さく震えている肩に手を置き、明るく声を出したが。

「レイちゃんらしくないじゃない!心配しないで。シンジ君なら大丈夫よ、強いから。このあいだのシンクロテストだって一番だったし。生命維持装置だって、まだもって…いるんだ…から…」

励ましつづけようとしたマヤだったが、レイの怯えきった様子に、逆に自分が不安になってしまった。

「レイちゃん…」
「ご…ごめんなさい…マヤさん…わたしが…こんな…でも…仕方、ないのに…ね…。」

レイは、その伏せた顔を上げる事ができなかった。










































ここは何処?








エヴァの中だよ。







君は?







僕は、君だ。君の中の、僕。

人というのは二人の自分から出来ているのさ。

実際に見られる自分と、それを見つめる自分だよ。

僕だけじゃない、たくさんの君がいる。

綾波レイの中に、惣流アスカの中に、葛城ミサトの中に。

君は僕が怖いんだ。他人の中の、僕が怖いんだ。












…人に嫌われるのが、怖いんだ。


…捨てられるのが、怖いんだよ…。










それで、自分が傷つくのが、怖いんだろ?

人に傷つけられるのが怖いんだろ?











…悪いのは、父さんだ。


僕を捨てた父さんだ、父さんが僕を捨てなければ、こんな思いをする事は無かったんだ!!



…悪いのは自分だ。何も出来ない、自分なんだ…。












わたしは碇君が何も出来ないなんて思わないよ。










でも、僕は何も出来ないと思っている。


ずるくて、弱虫で、卑怯で、人のことを気にすることしか出来ない自分なんだ。













碇君がそう思いこんでるだけだって。













…どうしてそんな事言えるのさ。


僕が何をしたって言うのさ、何もしてこなかったじゃないか!!


父さんから逃げ出したのは僕だ。母さんから逃げ出したのも、僕だ…。








嫌いなの、お父さんの事が。











嫌いだと思う。でもよく分からない。


エヴァに乗ったら、あの父さんが誉めてくれた。


あの父さんに誉めてもらったんだ!















そうやってその喜びを反芻して、これからも生きていくのかい?













そうすれば、これからだって上手くやっていけるさ。
















自分の『可能性』を否定してまで?

碇君にとって、わたしは、何?












…綾波は…僕を必要としてくれた。


やさしくしてくれたんだ!なんの価値も無い僕を…。


僕を捨てなかったんだ…。


捨てられたくないんだ…綾波に…。










やさしくしてもらっている、と思いこんでいるんだろ?

他の人からはやさしくしてもらえないから。

自分で自分をやさしく出来ないから、だろ?













違う!!


僕はそんな事を思って綾波に近づいたりしてない!!












自分で自分をやさしくするより、自分で自分を傷つける方が楽だから。

その方が簡単だから。考えなくても済むからね。

自分が悪いんだと、自己完結する事が出来る。

痛みを感じる事で、実感しているふりをするだけ。

こんなに傷ついているんだ、だからやさしくしてよ、と思いたいのさ。

自分で自分にやさしく出来ないから、綾波にやさしくしてもらっていると、思いこみたいのさ。














うるさい、うるさい、それの何処がいけないんだ!


人を傷つけてはいないじゃないか!!


綾波だって、傷つけてないじゃないか!!











そう思いこんでいるだけさ。

事実、昨日、君はアスカを傷つけたじゃないか。












あれはアスカの思い込みだ!


僕は関係無い!


シンクロテストの結果なんて、僕の知ったことじゃない!!










でも、君のした事だ。

君は言葉でそう言っても、本当にそうだとは思っていないのさ。

自分が悪いと思うのが嫌で、あの時綾波にすがったんだろ?

自分が傷つけた、と言う事を否定してもらいたかったから。











違う!!


あれは、綾波が寂しそうな顔してたから、僕に出来る事は無いか、と思って…。


それだけで…。










なら、それで良いじゃない。わたしは楽になったよ?












自分が楽にした、と思いたいんだろ?

そうしないと、他人も自分も分からなくなるから。

他人のことなんて完全には理解できないのに。












そうさ、ヒトのことなんて、分かるわけ無いじゃないか!!


それが分からなくて、僕の勝手に動いて、何がいけないんだよ!!
















自分で動いている、と思っても、何も考えずに、他人の言葉に従っているのだけなのさ。

自分で自分の価値が認められないから、綾波に認めてもらいたかった。

結局、他人の言葉を頼りにしたかっただけじゃないか。

綾波を利用してただけだ。














違う!


綾波が認めてくれれば、僕は何も出来ないなんて思わないんだ!


気分が楽になるんだ。


隣に居てもいいと思えるんだ。


一緒に居るのが、嫌じゃないんだ。










君は何故そう思うのか、自分の言葉で説明できるかい?

自分がどういうつもりで彼女の側にいるのか。




















うるさい、呼び方なんて関係無いさ!!


自分のしたいことだけをして、


いたいヒトの近くにだけいて、


考えたい事だけを考えて、


何がいけないんだよ!!
















君はそれをするだけの自分が無い。

いたいヒトの近くにいる事は、自分の慰めを探しているだけさ。

そのくせ、ヒトを傷つけないように怯えている。

逃げ込む場所が欲しいだけだ。

君は何故、彼女が君にやさしいと思うのか、自分で分かっているのか?














うるさい、うるさい、うるさいっ!!!


不都合が無いなら、何も分からなくても、いいじゃないか!!














…ほら…また逃げている。

自分の都合で、悪いのは父親のせいにして、

他人が怖い時は怖くないヒトにだけすがって、

自分を持っていない。

事実を知ることを恐れているから、

思考を止める。

それで生きていけるはずが無いのさ。





特に、僕は…ね…。






























作戦を担当するリツコは、仮作戦室の前で、プラグスーツ姿の二人の少女に作戦の概要を説明していた。
いつもの白衣姿に、オレンジ色の照明が照りかえっている。
傍らには、大量の数式が書きこまれたホワイトボード。リツコの脇には作戦内容を記したファイル。
相変わらず片手が白衣のポケットの中に入れられている。
作戦開始まで、約一時間。N2爆雷の手はずもほとんど終わっていた。
空には使徒を偵察するために、常時数機の偵察機が夜の空に赤と黄色の点を残していた。
使徒の黒い影の周りも、戦自軍によって固められている。
エヴァ二機はまだ作戦配置には就いておらず、戦闘体制にはまだ移行されていない。

リツコはレイとアスカに一通りの説明を終える。
先にミサトに説明した作戦通り。ATフィールドでディラックの海に干渉し、その瞬間にN2爆雷で使徒ごと破壊する。初号機の安全性については考えられていない。ただ、機体の回収を目的としたのみ。その事は、レイとアスカには告げられていなかったが、二人ともその作戦の危険性を既に理解していた。

「…作戦は以上よ。質問は。」
「……アタシ達は、ATフィールドを爆発の直前に重ねるだけで良いのね。」
「そうよ。後は自動的にN2爆雷が使徒を殲滅するわ。作戦としては簡単なものね。」
「…ふん。」

アスカはリツコの話を横に流す程度でしか聞いていなかった。
これが救出作戦でない事は、内容からよく分かっている。
隣で口も聞かずに黙って立っているレイに、喋る気も起きなかった。

「じゃ、スタンバイ頼むわね。」
「……了解したわよ。」

アスカは憮然とした表情でリツコに答えると、踵を返して赤い弐号機に向かった。
レイはその場に立ち尽くしたまま。
リツコも仮発令所へ向かうために、レイに背を向けた。

「レイ。あなたも行きなさい。エヴァが二機無いと、この作戦は成功しないわ。」

レイの方を見もせずに、去り際にリツコはレイにそう一言加え、発令所に向かう。
ハイヒールの音をならし、数歩先に進んだ、その時。

「!?」

突然、リツコは後ろから腰に重みを感じて、前に少しつんのめった。
驚きながら振りかえると、リツコの腰にしっかりとレイの腕が舞わされ、白衣に顔を押し付けているレイがいる。
リツコが僅かに痛みを覚えるほど、レイの腕に力が入っていた。

「ちょっと、レイ!?」
「リツコ博士…碇君、助かるよね。大丈夫だよね。」
「あなた……。」

…この子…ここまで…。

「…私からは何も言えないわ。これ以外、私達に採る事のできる方法は無いの。このまま初号機を中に閉じ込められているよりは、よほどシンジ君の助かる可能性も高いわ。少なくとも、シンジ君の命は後数時間。シンジ君の生きている可能性があるうちに、この作戦は実行しなければならない。」
「………。」
「あなた達がしっかりやってくれれば、作戦は成功するわ。後は、シンジ君と初号機次第…。」
「……はい……。」
「……頼むわね。私だって、シンジ君を犠牲にしたいわけじゃないのよ。」

リツコは腰に回されたレイの腕を解くと、軽くその肩に手を乗せた。

「ほら、あなたらしくなさい。シンジ君が今のあなたを見たら、どう思うでしょうね。」

軽く微笑を浮かべながらリツコはレイに言う。
レイは沈みがちだった表情を消して、伏せていた顔を起こした。

「…わかりました。碇君は、必ず助けますから。」

リツコはそのレイの答えを確認するとうなずいて、再び踵を返して光のともる発令所に向かって歩き始めた。
レイに相対していたような柔らかい表情は、歩いているうちに消えていた。
普段はしない眼鏡越しに、リツコの視線は鋭く夜の闇を貫いていた。

……馬鹿な子……あの子も……。




















どうして僕はこんな所にいるんだろう…。
何故エヴァの中にいるの?
ここは…嫌なんだ…。





碇君









綾波?


…どうして?






碇君が望んだんじゃない








僕が?


…そうかもしれない。







何を、私に望んでいるの











分かって欲しいんだ。


僕を分かってくれる人に、会いたいんだ…。










それは、あなたが自分で見つけなければいけない

私だって、碇君の事全ては分からない











でも…僕には何もない…。


何も無い僕に、かまってくれる人なんて…。











何があるか無いかも、あなたが見つけないといけない


でも、


私は碇君が何も無いなんて思わないよ。











どうして…。










碇君、あったかいもん。











あったかいって、僕が…?







うん、そう思う。

一緒にいるとあったかい気持ちになれるの。










…じゃあ、僕と一緒にいてよ。


ここは寒いんだ。



一人はもう…











「いやだ…。」
















零号機のエントリープラグ内で、わたしは強く操縦桿を握り締めていた。
作戦開始まで、後五分足らず。上空からのN2爆雷の準備もほぼ整ったようだった。
わたしはモニターに間近に移っている、黒い影を見据えた。
碇君を飲み込んだ黒い影。それが、何処の宇宙へ続いているかわからない。
でも、碇君は返してもらうから…!!

「レイ。」

モニターが一つ開いて、弐号機のアスカの顔を映した。
無表情、と言ったところだろうか。アスカは特に感情を表していなかった。

「何。」
「こんな嫌な作戦、とっととやって、とっとと終わらせるわよ。いいわね。」
「…分かってる。碇君は助け出すもの。」

ふっ、と少し笑って、アスカはモニターを切った。
アスカも心配してるんだよね、きっと。
みんな、碇君に帰ってきてもらいたいと思ってる。
ぜったい助け出すよ。

わたしが決意して、再びモニターを見つめた時、異変が起こった。
黒い影が大地ごと波打ち、地割れを起こして赤い土を露出した。
轟音が沈み込んだ都市一面に大きく響き渡った。

「何が起こっているの!?」
「状況を知らせて!!」

アスカと発令所のミサトさんが、同時に声を張り上げる。
わたしは、裂けていく大地に飲み込まれないように零号機を数歩後退させる。
上空を見上げると、球状の使徒の形をしたモノが、一瞬一瞬その形を変え、内側からの圧力を跳ね返そうとしていた。

「これは…まさか、シンジ君が…」
「ありえないわ!!初号機のエネルギーはゼロなのよ!!」

発令所は騒然としているようだった。
詰めている人達は、モニターの映し出す状況にくぎ付けになっている。
使徒の内部から、動脈を切断したかのように噴出した赤い液体とともに、初号機の腕が外部へ這い出してきた。
その赤い液体は球形の使徒全体を包み、黒く沈んだ都市へと滴り落ちた。
初号機は掴んだ使徒のカラダを両腕で引き裂き、赤い液体を受けてその体を震わせている。
上空にはN2爆雷を投下するために戦闘機が多数待機している。
そして、その朝焼けに染まった第3新東京市の上空に、地獄から這い出た獣のような形相で、初号機は咆哮をあげた。

「アタシ…こんなのに乗ってるの…?」

アスカの声がモニターから入る。
わたしは初号機から視線をはずさなかった。
初号機は咆哮とともに使徒のカラダを完全に砕いて、血にまみれた巨体を大地へとおろした。

朝焼けが、この世のモノならぬその姿に、眩しく照りかえっていた。





















僕は何処にいるんだ…。

…においがする…。

…温もりがある…。

…そっちへ行かせて…。




「…ンジ君!!シンジ君!!」
「碇君っ!!」





…水面がある…。

あの先のほうが、明るい気がする…。

そうだよね…。

母さん…。





「大丈夫、シンジ君!!」
「……ミサトさん……。」

僕が薄らと目を開けると、エントリープラグのハッチの所に涙目のミサトさんがいた。
はっきりとその顔が確認できるまで、数秒がかかったが、長い黒髪が目に入った時に、ミサトさんが分かった気がした。

「僕は…生きてるの…。」
「お、お帰りなさい、シンジ君…」

ミサトさんは声をかすれさせながら答えた。そうか、戻って来れたんだ…。

その後ろには、腰に手を当てて呆れ顔のアスカが僕を見ている。
僕、というよりは僕たちのほうを見ているようだった。

「まったく…叱るんじゃなかったの?」

まだなんとなくはっきりしない意識の中で僕はアスカの声を聞いた。
ははっ…叱られて当然かもね…。
そう言えば…綾波はいないな…。
やっぱり…呆れられちゃったのかな…。

その直後、僕は胸の辺りに圧迫感を感じた。
体温がまだ戻ってきていないので、体がしびれている。
それで、認識するのに時間がかかったのだろう。
首を少し下げると、水色の頭が僕の体に押し付けられていた。

「ほら、その子に何か言ってあげなさい…。」

ミサトさんは僕を諭すように、やさしい声で言う。
綾波は僕の胸に顔を押し付けるようにして泣いていた。
プラグスーツから、途切れがちに、しかし止まない泣き声が漏れている。

「グスッ…ヒック……うっ、ううぅっ…」

綾波、僕のために泣いてくれるの…?
こんな僕のために…。
生きていることに何も無い、僕のために…。

言葉が浮かばない僕は、心の赴くままに、自分の手を動かす。
僕の手は綾波の後頭部を軽く撫で、うなじを越えて背中を移動し、心臓の後ろ辺りで止まった。
ピクッ、と綾波が反応する。シャギーの髪の毛が、僅かに震える。
少しの間、その動きが止まった。

「うえぇ…グスッ…うう…ック…」

しかし、またすぐに泣き声が漏れてきた。
僕の体に回された細い腕に、僅かに力が入った。

その綾波の反応に、安心を覚えたのだろうか。
僕は目を瞑り、ゆっくりと眠りの淵に落ちていった。
綾波の声と、温もりを体に感じながら。





ただ、もう一度、会いたかったんだ…。


























リツコは、本部に帰ったゲンドウとともに、ケージで初号機の洗浄作業を眺めていた。
紫色のボディについた赤黒い液体が洗浄液で流されていった。
オレンジ色のコートを着ながら、二人は初号機を見つめている。

「私は今日ほど、このエヴァを怖いと思ったことはありません。」

常に分からない存在であるエヴァだが、それを活用する事にリツコが恐怖を覚えたことは今日が始めてだった。
自分達が制御できているうちは味方であるかもしれないが、それはとても危うい事だった。

「葛城三佐、何か気付いたかもしれませんが。」
「そうか。今はいい。」
「エヴァの秘密をシンジ君やレイが知ったら…許してもらえないでしょうね…。」

…私がレイを育てたのは失敗だったかもしれない。
一時の情に任せてした事は、レイの事を思うなら、不幸に繋がってしまうかもしれない…。
私は、子猫の代わりを探していただけだったのだろうか…。
それとも、ユイさんに対する悔い改めのつもりか…。母さんのした事への…。

「パイロットの容態も特に問題無いようです。ただ、心理的な影響が皆無だとは言えませんが。」
「そうか。早急に検査をしろ。こうなっては、委員会の方も黙ってはいないだろうからな。」
「諮問会には葛城三佐が出ることになりますか。」
「…そうだな。まだ、ゼーレは何も言ってこないだろう。」

リツコは視線をかすかにゲンドウの方へとやったが、彼は初号機を見つめているのみだった。













発令所には、アスカ、ミサト、マヤの三人が仕事の途中で集まっていた。
国連軍の発動や、上の被害などもあり、後処理が意外と面倒だった。
その合間を縫って、歓談にふけっている、と言った状態だった。
発令所も、その席以外はフル稼働の状態だ。
アスカはプラグスーツ姿のまま。マヤはいつもの指定席に座って。ミサトはデスクに腰をかけながら。三人とも片手にコーヒーを持っていた。

「それにしても、待っている時のレイの様子、まともじゃなかったわよ!?あんな一面があるとはね。」
「あ〜、どうしちゃったのかしらって感じだったわね〜。私は結構強い子かなって思ってたけど…。」
「レイちゃんも、普通の女の子って事ですよ。シンジ君のこと、気にしてるみたいでしたし…。」
「ほ〜んと、食って掛かられた時はどうしようかと思ったわよ。凄い迫力だったんだから。」
「アスカのあの口調じゃ、当然よ。レイだって腹が立ったんでしょ?」
「し、シンジが命令無視をしたのは事実じゃない!…それでレイがあんなに怒るとは思ってなかったけどさ…。」
「それくらい心配だったって事ね、レイちゃんも。」
「……まぁ、いいわ。あの馬鹿も一応助かったんだから。こんなところで死なれちゃ、寝覚めが悪いしね。」
「ふ〜ん、そんな事言って、アスカも心配だったんじゃないの?本当は。」
「そりゃ、心配だったけど、別に特別な事は無いわよ!!それを言うなら、ミサトのほうが取り乱してたじゃない!!」
「わ、私だってシンちゃんに二度と会えないなって嫌だし…。」
「ったく、シンジには甘いんだから……ま、アタシが余計な事言ったのは、事実だけどね。それだけは、悪いと思ってるわよ。」
「シンジ君も自信ついてたんですかね、テストで結果出したから。」
「シンちゃんの気持ちも、わからないでもないけどね。だからと言って、作戦無視されちゃ困るけど…。」
「そうですね。なにより、シンジ君がいないと、レイちゃんが可哀想で…。」
「……後でレイにも謝っておくわよ。」

アスカがコーヒーをグビリ、と飲み干して言う。

「んで、そのレイは何処行ったの?姿見ないけど…」
「シンジ君が一般病棟に移されてからは、ずっとつきっきりです。よほど心配だったんですね。」
「ったく、それでアタシがアイツの分まで後処理やらされてんのよ?この借りは高くつくからねっ!!」
「まあまあ、あの子も随分心配してたんだし、今日のところは許してやったら?」
「もう、仕方の無いヤツラね!」
「あら、アスカちゃんもシンジ君のところ行きたかったの?」
「違うわよ!!……もう大丈夫なんでしょ、少し疲労していたくらいで。」
「エヴァに乗っての事だから、なんとも言えないけどね。使徒に取りこまれた、なんて前例が無いし…。」
「委員会の方、何か言ってくるのでしょうか?」
「私が出ることになるかぁ。シンちゃん連れてくわけにも行かないしねぇ…。」
「葛城さんも大変ですね。」
「責任者なんてなるもんじゃないわね〜。今更だけどさ。」
「往生際が悪いわよ、ミサトも。」
「リツコに比べれば、まだましかしらね…。」
「センパイも、今回の事には驚いてましたね。初号機のエネルギーはゼロだったのに…。」
「結局、エヴァがなんであるかでさえ、わかってないのかしらね。私達は。」
「NERVもいいかげんね、アタシ達の身になって欲しいわよ。」
「まぁまぁ…。」

結局、その雑談は冬月が来て一喝するまで続けられたらしい。


















NERV中央病院四階の、一般病棟。
シンジがその場所で寝ているのは、既にそれが4回目の事だった。
白い光が病室を包み込んでいた。夕方のセミが鳴き出す時分だった。
レイはパイプ椅子に座りながら、本を開いている。
開けられている窓から、夕方の心地よい風がレイを頬を触る。 視線は本に注がれているが、時折シンジの顔に移り、レイは軽い微笑を浮かべる。
そのたびに、やわらかい空気が流れ出すようだった。

レイがその動作を何回繰り返した時だったろうか。
シンジは目を覚まして、その上体を起こした。

「おはよう、碇君。」
「え…あ……おはよう……綾波…。」

レイはシンジが気がつくと、読んでいた本をかばんにしまった。
にこっとシンジに笑いかける。
シンジも軽く笑みを浮かべた。

「今日は、寝てていいよ。後の処理はわたし達がやるから。」
「うん…。でも、もう大丈夫だよ。」
「そっか。よかった。」
「えっ…?」

レイは椅子から立ちあがると、通学かばんを持ってドアの方へ向かう。
空気がレイとともに流れた。
シンジは呆然とその姿を見つめる。
後少しで病室のドアが開く、というところまで来て、レイは立ち止まった。
立ち止まったまま、動こうとしない。
シンジは白いブラウスと制服が包み込むその背中を見つめた。

「……綾波?」
「碇君。」

すっとレイはふりかえり、シンジの方を向く。
そして、ゆっくりとベッドに向かって歩いた。シンジの顔の間近で、立ち止まる。
赤い瞳は、しっかりとシンジに、シンジの顔に向けられている。口をきっと結んでいる。
シンジは見上げるようにして、レイの顔を見る。
綾波、どうしたんだろう…。何か、言う事でもあるのかな…。
やがて、レイの薄ピンクの唇がゆっくりと開いた。

「碇君。」
「え、な、なに?」

次の瞬間、再び空気が動いて、シンジの嗅覚を軟らかい香りが撫でた。
カチリ、カチリと、病室のアナログ時計の秒針が、ゆっくりと進む音がする。
カナカナカナ…というセミの声がやけに大きく、外から聞こえてきた。
医者を呼び出す、病院の院内放送の音が、白い病室に入ってきた。

起こしたはずのシンジの上体は、再びベッドの上に、寝かされていた。
枕の上には、その頭が乗せられている。
ただ、そのシンジの頭は、レイにしっかりと抱きしめられていた。
それは、子供がおもちゃを離さないようでもあり、母親が子供を抱きしめているようでもあった。
しかし、レイ自身は、ただ自分の願望に任せただけだった。

「……もう……勝手にどっかに行っちゃ、ダメだからね。」
「………。」

突然の事に、シンジは声が出ない。
顔全体に、軟らかい感触が広がっていて、心地よい体温に包まれている。

「ダメだからね。」

確かめるように、レイは言葉を繰り返す。
シンジはまだ戸惑っていたが、レイの近くにあった自分の左手を、ブラウスが包み込むその背中に、ゆっくりとまわし、軽く触れさせた。
レイの体温に触れていることが、嬉しかった。
少しでも孤独を忘れられる事が、嬉しかった。


「……うん……。」


















知らなかった。

わたしが、こんなに碇君に頼っていたなんて。

いいのかな。

碇君がいないと、生きられないほどに頼ってしまっても…。












FIN








masa-yukiさんのリナレイ版エヴァ第9弾です。
冒頭のレイの心象風景は……ユイとのつながりを感じさせる何かですね。
サルベージされた魂と何か関係があるのでしょうか。今後の見所かも。
さて肝心の部分……うーん、精神世界に深く入り込んでますねぇ。特に、シンジの自問自答の辺りが。
テレビ本編も1時間くらいあれば、こんな風になっていたのではというほどの深い掘り下げでした。(^_^;)
そして最後の病院のシーン……いいですね、らぶらぶで(*^_^*)
シンジがいない間のレイの寂しがり方も、良かったですね。
しかし、リツコの一言が気になる……(-_-;;)

Written by masa-yuki thanx!
感想をmasa-yukiさん<HZD03036@nifty.ne.jp>へ……


Back to Home