雨。
午後から降り出した雨が、第3新東京をすっかり覆っている。
セカンドインパクト後の日本は、雨の日が極端に減ってしまったが、こうしてたまに降るとやむまでは長かった。

シンジは緑色のパイプ椅子に座って髪の毛を乾かしていた。
学校に傘を持っていかなかった彼は、急に降ってきた雨に濡れてしまったのだ。
それは、彼と途中まで帰宅を共にしていたレイにとっても同じだった。
学校にはレイの家の方がやや近いため、シンジを雨宿りに、と誘った。
シンジは渡りに船、と、レイの好意に甘えさせてもらったのだ。Yシャツがびしょびしょに濡れてしまったので、レイに乾かしてもらっている。Tシャツと制服のズボン、と言う格好だった。

「相変わらず、綾波の部屋には何もないんだな…。」

シンジは以前、一度レイの部屋に来た事がある。単に、リツコからIDカードを渡すお願いをされただけだったのだが。その時は、普段のレイからは想像もできないこの部屋に、絶句してしまった。

レイの部屋に何も無い、という事はないのだ。
台所や洗面所には一応の生活品が揃っているし、現に、今はレイがシンジのYシャツをドライヤーで乾かしている音が部屋に響いている。台所の隅にある白い冷蔵庫と、リビングの隅にある黒いテレビがシンジの視界に映っていた。

しかし飾り気はない。
コンクリートはむき出しになっているし、床にはカーペットも無い。テレビにも、埃が被っているように見えた。
3時過ぎで、雨が降っていたせいもあるが、部屋の中が薄暗い。天井の明かりも、おそらく元々あった付属品をそのまま使っているのだろう。

ふと、ドライヤーの音がやんだ。洗面所のある部屋から、スリッパの音が近づいてくる。
外からの雨の音は、先程から途切れる事はない。その音から察するに、まだ大分降っているようだった。

「ほら、碇君、Yシャツ乾いたよ。」

レイはシンジの手にそのYシャツを渡す。きちんとたたまれていた。
渡してすぐ、シンジの座っている椅子の前にあるベッドに腰掛ける。

レイ自身は着ていた制服が濡れてしまっていたため、既に白いTシャツにブルーのジーンズという、ラフな格好に着替えている。胸には、「Thanx girl!」と書かれた文字と、その文字を挟んだ二つのハートマークが躍っていた。

「わざわざありがとう、綾波。綾波の制服だって濡れちゃったのに…。」
「気にしないで。困った時はお互い様なんだから!」
「うん。ところで、綾波…。」
「な〜に?」
「余計な事かもしれないけど…。部屋、寂しいね…」

シンジは部屋を軽く見渡して言った。シンジの知っている女の子の部屋とは似ても似付かない。
もちろん、彼自身それほど女の子の部屋などに入った事はなく、同居しているアスカの部屋と比べただけだったのだが。
レイもシンジにつられて、見慣れた部屋を見渡す。

「そう…ね…。いつも変えよう、変えようと思ってるんだけどね。なんか変え難くなっちゃって。」

レイは舌をぺロッと出して笑った。そのレイが、シンジには苦笑いしているように見えた。

「父さんかミサトさんに言って、部屋を変えてもらえばいいのに…。こんな所じゃなくて…。」
「………迷惑かかるじゃない。葛城さん、最近急がしそうだし。」
「そうだね…。でも父さんは?綾波とは仲良いじゃない。」
「司令はやさしくしてくれるけど…そんなんじゃないの…。」
「え…?」

少し湿りがちな声。レイの顔がわずかに俯き、その赤い目が水色の前髪に隠れた。
シンジは、普段あまり見る事のない表情のレイを見つめている。
綾波、父さんと何かあったのかな…。

寂しげなレイが気になって、もう少し近くで話したくなった。シンジはパイプ椅子から降りて、レイの座っているベッドの横に座った。さすがにくっ付いていては恥ずかしいのか、1メートルほど間を空けていたが。

「ねえ、碇君。碇君のお母さんの事って、憶えてる?」
「え?………いや………あんまり小さな頃にいなくなっちゃったから、よく憶えてないよ…。ごめん。」
「あ、ううん、謝る方はわたしの方。ごめんね、嫌な事聞いちゃったかな。」
「別に良いけど…。でも、何でそんな事聞くの?」

レイは少しの間、上を向いて考える。
これから言おうとする事に、彼女は少し自信が無かったから。

「そうね〜。もしかしたら、碇君のお母さんって、わたしと似てたのかもって。」
「え?ど、どうして?」
「女の勘ってやつかな。司令の奥さんって、そんな気がして。わたしにやさしいのも、それが理由なのかなって。」

司令は、時々懐かしむような目で、わたしを見ている気がするの。
昔は気付かなかったんだけど。碇君を知ってからはそんな気がする…。

「………。」
「………。」

レイは俯きながら前を見ていた。ベッドに座りながら足を宙にぶらぶらさせている。
シンジは、それまでレイに向けていた視線を外へと向ける。
雨が少し小降りになり、外からの雨音も先刻よりだいぶ小さくなっていた。

「もし…そうだとしても………。綾波が母さんに似てるっていうのは、なんかやだな…。」
「え〜、どうして〜?」

シンジはベッドを降りて、すっくと立ち上がった。目はドアの方に向けられている。
レイはそれに気付いてシンジの方を見る。シンジがドアを見ているため、部屋の奥の側にいるレイにはシンジの表情が見えなかった。

「その………。確かに綾波はお母さんって感じがする時はあるけど……」
「なら」
「僕にとっては母さんじゃなくて…」








「え?」
「あ、いや、何でもないんだ。ご、ごめん、変な事言い出しちゃって。」
「ちょっと待って、碇君、今なんて…。」
「じ、じゃ、僕帰るよ。遅くなるとアスカとミサトさんがうるさいし。」
「あの、碇君、」
「今日はありがとう、綾波。また明日、学校でね。」

レイは、ばたんと閉められた家のドアを、しばらくぼーっと見ていた。
碇君、なんて言おうとしたの?お母さんじゃなかったら…。
顔が少し赤い事には、自分でも気が付いていなかった。

「なんて言おうとしたのよ、碇君………。」

ドアに向かって告げられた言葉は、雨音にかき消されてしまった。










そんな彼女の可能性〜REASON〜












その雨は、翌日になっても降り続いていた。
昨日ほどではないが、まだ厚い雲が空一面に広がっていて、雨はやみそうにない。
元々、気温が高い上に、湿度も上がってしまったので不快な連日だった。
天気の変動が少ないこの時代、見られる事の少なくなった天気予報だったが、ここ数日は注目している人も多そうだった。

NERV本部はジオフロントにあるために、雨とは無縁だった。
しかし、そこで働く人達の元気がどことなく無いのは、外からの雰囲気を引きずってしまっているためだろうか。
エヴァの実験を行うリツコやマヤ、それを横から眺めるミサトの声にも、どことなく張りが無かった。

エントリープラグの中にはチルドレン三人の姿があった。
プラグスーツ姿の三人は、集中しているために目を閉じている。
シンクロ率、及びハーモニクスのテストというのは、集中して落ち着く事が、最低限必要である。レイやアスカはその経験も長いため、数値を上げるコツも多少は知っていたのだが、シンジにはそんな時間などなかった。
しかし、シンジは無意識の内にそれを行っているようだった。ストレス値は最も低い。

「0、1、2番、全て汚染区域限界です。」
「レイとアスカはいつも通り、という所かしら。シンジ君はまた伸びてるわ。こちらからは何も教えていないのに…。」

マヤがキーボードに向かって不乱に指を動かしている。その肩越しに、リツコがディスプレイを覗きながら言った。相変わらず、左手を白衣のポケットに入れている。

「こっちから教える事なんて元々無いんじゃないの?私はレイとアスカの時の事は知らないけどね。」

彼女達から一歩下がった位置に、腕を組んでミサトが立っている。
先日、功績を認められ、階級が一つ上げられた。襟にある階級章の線が一本増えている。
その若さから言えば、名誉な事なのだが、彼女自身は、それをさほど誇りには思えなかった。

目を細めながらシンジの映っているモニターを凝視している。
リツコはミサトの言葉を聞くと、少しむっとした表情をしたが、すぐにその表情を崩してため息に変えた。

「ふうっ、そうね。私からはシンジ君に何も言う事は無いわ。彼の才能でしょうね。」
「そんな事言われても、喜ばないわよ、あの子。エヴァに乗る才能なんて欲しくないんじゃないかしらね。」
「………何かあったの、葛城『三佐』。随分突っかかるわね。」
「………雨が降って鬱陶しいからよ。それに、私は事実しか言ってないわ。」

リツコはミサトの方には目もやらずに、マヤのキーボードに横から入って何かを打ち込むと、プラグ内へのマイクを開いて話しかけた。

「三人とも、もう良いわ。お疲れさま。」






「シンジ君、シンクロ率がまた上がっているわ。頑張ったわね。」

シンクロテストを終えた三人に、リツコがこう切り出した。
レイはシンジの隣でその話を聞いている。前にはアスカが一人でリツコの正面に立っていた。

最近、碇君のテストって上がりっぱなしよね。すっごく努力しているようにも見えないけど。
男の子の方が向いてるって事かしら。それとも、碇君の才能なのかな…。
それで、碇君がこういう事を言われた後のアスカの反応は、いつも同じ…。

「それでもアタシよりまだ大分低いじゃない!!たいした事はないわね!!」
「あら、日毎に上がっているわ。そのうち追い越されるんじゃないかしら?」
「そんなの、無理に決まってるでしょっ!!ハンッ、いい気になってんじゃないわよっ!!」

アスカは斜め後ろのシンジを睨み付けている。
シンジは笑いながらも、アスカの方には目を合わせようとしていなかった。
そんなシンジから視線を外し、一人ドアに向かうアスカ。シンジはすれ違うアスカに声を掛けようとする。
その声は、アスカとレイにしか聞こえない程度の、小さなものだった。

「別に僕はいい気になってなんて…。」
「アタシ先に帰るわ!!アンタはゆっくりしてきなさいよっ!!」
「アスカ…。」

何でこんなにもアスカは碇君をライバル視するの?
碇君は碇君で、シンクロ率の事なんてあまり気にしてないように見えるし…。
リツコ博士や葛城さんは何か知ってるのかな…。

目をやった先のミサトとリツコは、揃って沈黙を守っていて、ドアを出て行くアスカに、何か言おうとはしなかった。
マヤはばつが悪そうに、リツコの隣で肩を小さくしていた。





「冗談じゃないわよっ!!」

アスカは更衣室に入ると、自分のロッカーにインターフェイスをかなぐり捨てた。
その目がらんらんと輝いている。
その髪を、まとめてプラグスーツから出し、腕のボタンでスーツに空気を入れる。
ロッカーの中にはきちんとたたまれた制服が置いてある。
荒っぽい動作で下着を着け、たたんであったブラウスを乱暴に掴んで袖に手を通す。

そのブラウスのボタンをしている時に、レイが更衣室に入ってきた。
アスカはそのレイを一瞥すると、また自分の着替えを急がせる。スカートをはき、リボンを掴むと投げ捨てたインターフェイスを再び手にする。
リボンをロッカーの中にある鞄に入れると、その鞄を持って更衣室のドアへ向かった。

「アスカ」「良かったわね〜、『碇君』の成績が上がって〜!!」

アスカはドアに向かいながら言う。レイは、アスカのなじるような口調に、かちんと来て言い返した。

「そ、そんな言い方する事ないじゃない!!なんでアスカが怒ってんのよ!!」
「どう思おうと勝手でしょ!!アタシが何しようと関係ないじゃない!!」
「関係ない事ない!!」
「なんでよ!!アンタはシンジと仲良くしてれば良いじゃない!!」
「アスカッ!!」

レイがアスカの肩を掴もうとする。
アスカはそれを手で払い除けた。

「やめてよっ!!関係ないって言ったら、関係ないのよ!!」
「なんで…」

アスカは、レイの返答を待たずに更衣室を出た。

残されたレイは、しばらく立ち尽くしていた。
後、アスカのロッカーを押し付けるように思い切り叩いた。

「関係ないわけないでしょっ!!誰のために心配してるって思ってんのよっ!!!!」

白い彼女の手の平が、赤く腫れた。



「ホントにうるさいのよ、アンタは…。アタシの事なんて、放って置けば良いものを…。」

更衣室を出たアスカは、一人つぶやいた。
その顔は、泣きたいような怒っているような、複雑な表情をしていた。






「あれ、葛城さん。どうしたんです?」

レイは着替えを終え、エレベーターで地上へ向かおうとしたところ、エレベーターホールでミサトが彼女を待っていた。缶コーヒーを飲みながら。レイが来たのを見つけると、空缶入れに缶を放り投げる。カラン、と音を立ててその中に納まった。

「ああ、やっと来たのね。今日の実験長くなっちゃったでしょ?送らせてもらおうかな、って思ってさ〜。」
「え?でもいいんですか、ちょっと遠くなるんじゃ…。」
「いいのよん、車なんだし。この時間に女の子を一人で帰す方が、よっぽど心配よ。」
「う〜ん、それじゃ、お言葉に甘えちゃおかな。」
「そうそう、素直が一番。んじゃ、行きましょ。」
「あれ?そういえば、碇君は?」
「シンジ君は大分先に着替え終わってたから、もう車に行ってるわ。心配しなくても、ちゃ〜んと一緒だから大丈夫よ〜。」

ミサトはにやにや笑いながらレイに言った。
レイは、ぷうっと頬を膨らませながら顔を赤らめて、そのままエレベーターに入ろうとする。
その後を、まだ笑いながらミサトが追った。

「もう、変な事言わないでくださいよっ。先、行っちゃいますよ!」
「あらん、怒る事ないじゃな〜い。」




階数のメーターが、かち、かちと音を立てて変わっていく。
NERVのエレベーターに速度はあるのだが、ジオフロントもかなり地下深いため、エレベーターに乗っている時間は数分を数える。
その中で、背中を壁にもたれさせながらレイが隣にいるミサトに尋ねた。

「あの…。アスカ、何であんなに怒っちゃったんですか?碇君のテストの結果が良くても、アスカが怒る事ないのに…。」
「アスカにはアスカの考えがあるのよ…。私からはなんとも言えないわ…。」

ミサトは神妙な声で答える。斜め上を見ながら、何かを考えているように。
レイはそれを見て、葛城さんも訳を知らないのかな、と思う。

「でも、話してくれても良いのに。アスカは何にも言ってくれないし…。」
「彼女の問題ってことよ。レイが気にする事はないわ。」
「でも!!」

レイは寄りかかっていた背中を壁から離し、ミサトに詰め寄るように視線を向けた。
ミサトは初めは少し困ったような顔をしたが、すぐに表情を和らげた。

「あなたが心配するのも分かるけど…。アスカにだって戦う理由があるってことよ。大丈夫、あの子強いから。」
「戦う理由…?」
「レイにもあるんでしょ?」

アスカが戦う理由……………『自分で自分を誉めてあげたいから』って、いつか言ってた。
でも、それだけであんなに怒るものなの?
アスカにも聞かれたけど、わたしにはそんな理由があるのかな…。

レイの頭に、シンジの顔が一瞬浮かんだが、それがなぜかは分からなかった。






「ねえ、ミサトさん、昇進……したんですよね。おめでとうございます。」
「え?あ〜これね。正直ピンと来ないんだけどね。」

ミサトのルノーは山間にある整備された道を、ただ一台だけ走っていた。
襟に付いている階級章を指ではねながら、シンジに答える。
シンジはいつも助手席に座るのだが、今はレイが後ろで一人にならないように、後部座席に座っている。

山の道を走っているために周りは暗い。時計は既に九時を回っていた。
たまに通り過ぎる人工の光が三人を一瞬照らし、そしてまた消える。
雨を払いのけるワイパーの音が、車内にも聞こえている。

「葛城さん、昇進したの?凄いじゃないですかっ。」
「う〜ん、たいしたこと無いのよ。私はいつも指揮しかしてないんだし。」
「指揮があるから安心して戦えるんですよ、もっと嬉しがってくださいよぉ。」
「ふふ、そう言ってくれると有り難いわ。でも、嬉しいって言うのとは少し違うのよねぇ。」

シンジは膝に手を当てながら下を向いていたが、ミサトの言葉を聞くと、少し顔を上げた。
レイはその上げたシンジの顔を見る。
その顔がどことなく憂いを帯びているように見えるのは、彼女の気のせいなのだろうか。

「そうなんですか…。僕もエヴァの事で誉められても、困るだけなんですよね…。」
「碇君まで、もうっ!テストが良ければ、それだけ強くなったってことなんだから、それで良いじゃない!」
「でも、僕が自分でした事じゃないから…。アスカも怒らせちゃうし…。」
「それは」
「…何が悪かったんだろう…。」
「………そんなに気にする事ないの!碇君の事なんだから。あんまり気にしてると、逆にもっと怒らせちゃうよ?」
「でも…。」

ミサトは無言で道に沿ってカーブを切る。
その先にトンネルが見えた。
空気を切る音を車内に残して、トンネルの中に入っていく。黄色い光が三人を照らし始めた。

「シンジ君がそうやって人の事を気にしている限り、いつまで経っても同じよ。」

斜め前にいるミサトの言葉に、レイは少し驚いた。
彼女の知っている限り、ミサトはシンジに対して叱る事はあっても、酷な事を言う事はなかったから。
悩んでいるように見えたシンジに対して言う事としては、少し酷な事だと思った。

シンジはそれを聞くと、窓の外に映るトンネルの明かりに目をやる。やがてトンネルから抜けると、車は再び闇に入っていく。
光が去っていくシンジの横顔が窓に映る。レイはその窓をじっと見つめていた。








第3新東京市に降る雨は、五日目を迎えていた。
今日の雨は、先日までとは違い、降ったりやんだりの繰り返しとなっていた。薄らと日差しがさす時もある。
山の木はまだ白く煙っていたが。

レイとシンジは傘をさしながら学校からの帰り道を歩いていた。
アスカは弐号機の調整の関係でNERVに行っていて、二人と一緒ではなかった。文句を言いながら、昼休みに学校を早退したのだった。

「な〜んか雨が続いてやだな、こっちまで滅入っちゃうもの。」
「そうだね、洗濯物が乾かなくって、アスカに文句言われてるよ。」
「ふふっ、碇君、それ男子中学生の台詞じゃない。」
「そうかな。」
「そうなの。」

連日の雨で、道路には水溜まりがここそこにできていた。
レイは水溜まりを飛び越えたり、スキップをしたりして、はしゃぎながらシンジの前を歩いている。

「そうだ、綾波。」
「なに?」

軽いステップで一つ水溜まりを飛び越えて、くるっとレイは振り返った。
水飛沫が少しだけ飛ぶ。一瞬遅れて、シャギーの髪の毛がふわりと浮かぶ。

「今日、ミサトさんの昇進祝いがあるんだけど、綾波も来ない?」
「え?葛城さんの昇進祝い?」
「うん。」
「う〜ん、今日は何にも無いんだけど…。碇君は来て欲しい?」
「へっ?」
「だ・か・ら、わたしが葛城さんの昇進祝いに!」

何も無いんだったらくれば良いのに…。
もしかして綾波、僕を試してるのかな。
でも、来て欲しいか、欲しくないかって言われたら、そりゃぁ…

「う、うん。来て欲しい、かな。」
「そっか。良かった。」

そう言ってレイはまた前を向き直す。紺色の傘が大きく回った。
シンジに顔の表情を隠しながら、言葉を続ける。

「来て欲しくない、なんて言われたらどうしようかと思っちゃった。」
「そんな事言わないよ!!」

シンジは立ち止まって、強い口調で言い返した。雨音のしない道路にシンジの声が響く。
飛び立つ鳥の羽音が、遠くから聞こえてきた。
レイは軽い冗談のつもりで言ったのだが、予想外の強い反応で少し驚いて再び振り返った。

「あ…。そうだよね、碇君やさしいもん。ゴメンネ、変な事言っちゃって。」

苦笑いをしながら、手の平を胸の前に合わせてゴメンネのポーズ。
そのレイを見るとシンジも、ふうっと息をついて止まった足をまた前に進め始めた。レイはシンジが来るのを待ち、隣に並んでから歩き始めた。

「僕は………やさしくなんかないよ。」
「え?」

なんで?
わたしが見る碇君はいつもやさしい。
知ってるよ、わたしといる時だって、いつも気遣ってくれてるの。
エヴァの訓練の前にだって、必ず何か声を掛けてくれる。

『今日のテストは上手く行くといいね。』
『綾波って、射撃の成績良いよね。』
『大丈夫、綾波のシンクロ率だってすぐに上がるよ。僕にだってできるんだから。』

わたしはそんな言葉がすごく嬉しいのに。

「この間だってアスカを怒らせちゃったし。なんでアスカが怒っちゃったのか分からない…。」
「………。」
「情けないよね、一緒に暮らしてるって言うのに。ミサトさんにだって…。」
「ねえ、碇君…。」

シンジの自嘲気味に話す声の間に、レイは自分の声を挟んだ。
シンジは俯きがちにゆっくり歩いている。レイはその速さに自分の足を合わせていた。

「気を回し過ぎじゃない、碇君。」
「でも…。」

その返答に口篭もり、再び足を止めるシンジ。レイはすぐに後ろを向き、下を向いているシンジに強い口調で話しかける。

「でもじゃないの!アスカの事はアスカの事、葛城さんの事は葛城さんの事。アスカの事はわたしも気になるけど、今日学校じゃ、いつも通りだったじゃない。問題無いと思うよ、きっと!」
「そうかな…。」
「そうなのっ!!」

レイはそう言うと、ぱさっと傘を閉じてから、立ち止まっているシンジの後ろに回って背中を押す。
そうよ、立ち止まってたって、何にもならないんだから。

「ほら、ほら、せっかく雨もやんでるんだから、今のうちに帰ろ、碇君。また濡れるの、嫌でしょ?」
「う、うん…。」

少し押され、つられるようにしてシンジも足を進める。レイもそれを確認すると、にこっと笑ってシンジの隣に並んだ。

「碇君は碇君にできる事からしていけば良いんじゃない?」
「…僕に…できる事?」

レイは首を縦に振って、こくりと頷く。

僕にできる事なんて何かあるんだろうか…。

シンジはまだ不安そうな表情をしていたが、ふと隣のレイを見る。

何ができるか分からないけど…。
それで良いんだろうか…。綾波は、僕に何を………。

「ねえ、綾波。」
「?なに?」
「ミサトさんの昇進祝い、6時からなんだ。だから…その…良かったらでいいんだけど…。」
「うん。」
「今から…このままうちに来ない?あんまりする事ないけど、綾波一人暮らしで家に帰ってもつまらないだろうしさ…。」
「………分かった。行くよ。お邪魔させてもらうね。」








「それでは、私、相田ケンスケが葛城ミサト三佐の昇進祝賀会の乾杯の音頭を取らせてもらいま〜す!乾杯!!」

と、いうケンスケの一声でミサトの歓迎会は始まった。
参加メンバーは、もちろんミサト、それにシンジ、レイ、アスカ、トウジ、ケンスケ、ヒカリ。主催者はケンスケで、ヒカリにはアスカが声を掛けたのだ。加持とリツコも後に来る事になっている。

ダイニングルームの椅子の上にはレイの作ったポテトサラダ。絨毯の上に置かれている、電話で注文した大き目のピザ。それに、なぜか、こんがりと焼かれた七面鳥がテーブルの真ん中に。
シンジは今日のために食費を多めにもらっていて、レイと学校の帰りにスーパーに寄った。
たまたま冬でもないこの時期のお肉コーナーに、七面鳥を見つけた。
そこで、

「こういう時期に七面鳥ってなんか違うと思うんだけど…?クリスマスでもないのに…。」
「いいじゃない、この際。ほら、テーブルの真ん中に置いておくと、いかにもパーティ!って感じがするしさ。料理できるんでしょ、碇君。」
「まあ…一応作った事あるけど。」
「それなら決まりね。」
「でも、綾波ってお肉苦手なんじゃなかったっけ。」
「う〜ん、好きじゃないけど…。でも、まったく食べられないわけじゃないし。それに、こういう時は盛り上がる物の方がいいのっ!」

と、いう会話がなされて、食卓に並ぶ次第となった。

「相田君、わざわざありがと。嬉しいわ。」

ケンスケに笑い掛けるミサト。
その左手には既にビールが持たれていた。

「いえいえ、ミサトさんのためならこれくらい!」

ケンスケは意気込んで答える。感激で顔が紅潮していた。隣にいるトウジは既に七面鳥に手を伸ばしている。
アスカとヒカリとレイの三人はお喋りに花を咲かせていて、シンジはミサトの隣でピザを皿に取って食べていた。

「それにしても加持さん早く来ないかな、ここにいる奴等じゃ仕方ないのよね〜。」
「なんやて、もういっぺん言ってみい!!」
「何度でも言ってやるわよ、ホントさえないのよね〜。」
「このアマ、言わせておけば…!!」
「やめろよ、トウジ、こんな時に。」
「アスカもよ、加持さんはそのうち来るわよ。」


(みんなよく騒げるよね、なんでわざわざ騒がないといけないんだろ。)

「でも、そんなに格好良いの?加持さんって。」
「もっちろんよ。NERVの中じゃ抜群ね。」
「まあ、加持さんも30超えてるんだけどね。」


(綾波はこういうの好きなんだろうな、僕にはとても真似できないよ…。)

「ちょっとレイ、余計な事言わないの!!愛があれば年の差なんて関係ないのよっ!」
「年の差ね〜。シンジ君、ビール頂戴。」


(元々僕には向いていないんだ。静かにしていたいと思うだけなんだ。)

「あの〜?シンジ君、ビールを…。」

(それの何処が悪いのさ。僕は自分のペースを守りたいだけなのに…)

「シンジ君!?」
「は、はい!?」

我に返ってシンジは反応した。ミサトはそんなシンジをいぶかしみながらも空になったビール缶を渡す。

「良ければビールを頂けないかしら、な〜んて…」
「わ、わかりました、少し待っててください。」

シンジは冷蔵庫から黄金缶のビールを3本ばかり持ってきて、そのうちの1本をミサトに渡す。
サンキュ、と言いながらミサトはすぐにそのプルタブを開ける。

ピンポーン♪♪

「あ、加持さんだ!!…って、なんで二人が揃ってくるのよ。」
「ああ、入り口の所であったんだ。」
「「怪しいわね。」」
「何、ミサトまで焼き餅焼いてるの?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ!な〜んで私が…」


(疲れるよね、こういうの。みんな慣れてるのかな…。)

「碇君、静かだね。」

いつのまにか隣に座っていたレイがシンジに話し掛ける。
シンジは一人と話せる事で、ほっとして隣のレイを向く。

「苦手なんだ、こういうの。」
「う〜ん、確かに碇君は得意そうには見えないけど。でも、せっかくだからこういう時は騒がないと損じゃない?」
「そうかな…。なんか…疲れない?」
「年寄りくさい事言わないの!少しくらい騒いだって、疲れるなんてことないんだよ?碇君はあんまりした事無いのかもしれないけどさ。」

レイは手にしているピザを食べながら言う。
口の周りにチーズがついている事には気付いていないようだ。

「ところで、碇君って本当に料理上手いんだね!知ってたけど、改めて感心しちゃった。」
「先生の所にいる時には一人が多かったから…。別に努力したわけじゃないんだ。」
「でも一日二日で、できるようにはならないよ?長い事続けてきたからでしょ?」
「他にできる事無いのも事実だけど…。」

レイは少しむっとして、手にしているピザを皿に置いた。
シンジは、皿に取ってあるピザを、ほとんど口にしていないようだった。

「もう、そうなんでもかんでも暗く考えないの!!わたしは誉めたいんだから、素直に喜んでよね。」
「………そうなの?」
「そうなの!!」

「ちょっとミサト…人のビール取るんじゃないわよ。意地汚いわね。」
「ただ酒渇食らってるのに偉そうな事いってんじゃないわよ!!」
「加持さ〜ん。」
「おいおいアスカ、離してくれよ…。」
「いいんちょ、その肉のあまり貰ってええか?残すと勿体無いしなぁ。」
「え?私の余りでよければ…。」
「かまへんて、そんな事。」


(僕は………普通に考えているだけだよ…。みんなと違うだけじゃないか…?)

結局その夜は12時過ぎまで続き、酔いの回っていなかった加持が車でメンバーを家に送っていく事になった。



祝賀会も程なく終わり、葛城家はようやく静かになった。
シンジが台所で食器を洗っている、カチャカチャという音がリビングまで響いている。ミサトは二桁以上の缶ビールと、途中からは日本酒も入って、既に床に入っていた。
リビングには端に寄せられただけのビール缶と、お菓子の袋がまだ散らかっている。
アスカはそのリビングでコーヒーを飲んでいた。

「シンジ、アンタ本っ当に賑やかなのが苦手なのね。」

アスカはリビングからシンジに届くような声で言う。
エプロン姿のシンジは振り返らずにアスカの声を聞く。七面鳥を乗せてあった大き目のお皿を、スポンジで洗う。

「………しょうがないだろ、こういう性格なんだから………。別に無理に騒ぐ事ないじゃないか………。」
「いつも暗い顔してんだから、あういう時ぐらい騒ぎなさいって言ってんのよ!つまんない奴ねえ…。」

(アスカも同じ事を言う…。なんで?そんなに騒がないのがいけない事なのか?)

「………慣れてないんだよ。ああいうパーティごとには………。」
「慣れようとしてないだけでしょ。いつまで経ってもそうしている気?少しはレイを見習いなさいよね。」
「綾波は………綾波だろ?」
「そんな事分かってるわよ!」

アスカは先程のパーティで出たお菓子袋の中から、手近な落花生を一つ取って皮を割り、口の中に放り込んだ。

「うん、これおいしいわね………ただ、見習うべき点もあるんじゃないのって事よ!うじうじしてんの見てると、いらいらしてくるのよねっ!」
「じゃあ、見なければいいじゃないか…。」
「そういう問題じゃないのよ!アンタだって、好きでうじうじしてるわけじゃないんでしょ!?それなら変わろうとしてみろって言ってんのよ!」

シンジは食器を洗う手を止めた。水の流れる音が部屋中に響く。
アスカはシンジからの反応が無いのを見ると、立ち上がってダイニングルームの椅子に掛けてあるタオルを手にした。

「………アタシお風呂入ってくるわ。アンタ、先寝てて良いわよ。」
「うん………。」

シンジは止まっていた手を、水に浸して、再び動かし始めた。








僕が変わる………?
そんな事して………何になるって言うんだよ………。
僕は、僕じゃないか。それのどこがいけないだ………。








NERV本部、作戦室の中央にある巨大なディスプレイには二つの映像が映し出されていた。
片方は地球の衛星軌道上に現れた第十使徒、サハクイエル。海星の連なったような形状に、目がその体に張り付いている。
もう片方には第3新東京市と、その周辺の地図。そこにはEVAと書かれたポイント三つと、それを中心にした、円。明らかにエヴァの規定時間内での限界移動範囲を示していた。
それを見つめるのは、オペレータ席に座る三人。その後ろで、腕を組んでいるミサト。白衣の右ポケットに手を突っ込んでいるリツコ。

「あなた、本当にやる気?成功の確率は1%にも満たないわよ。」
「他に方法が無いのよ。こんな時に限って、碇司令は南極に行っていないしね。住民には避難してもらったわ。私達がここを放棄しても仕方が無いわよ。」
「私達がここで本部と心中しても無駄な事だとは思わないかしら?」

おそらく数時間後、ATフィールドと共に落下してくるであろう、第10使徒に対抗する作戦として、ミサトはそれをエヴァで直接受け止める方法を選んだ。
ただ、使徒による電波撹乱のために、あらかじめどこに落ちてくるか、細かくは分からない。エヴァがその落下のエネルギーに耐えられるかも不明。成功の確率が低くなるのも当然だった。

「現責任者は私よ。………やれる事はやっておきたいだけよ。」
「直接作戦を担当するシンジ君達は、たまったものじゃないわね。」
「エヴァを扱えるのは、彼らだけよ…。」

(私はあの子達を利用しているだけなのかもしれないわね…。自分の復讐のために…。誰のためになるか分からないのに。)

「三機とも、エヴァの準備が整いましたが。」

オペレーター席の青葉シゲルから声がかかる。ミサトはモニターを見つめながらその声に答える。

「わかったわ。」








『使徒落下予測時間まで、後120分です。』

ネルフ本部内にオペレーターの声が響き渡る。
NERV関係者も、A級勤務者以外は全て本部から退避していた。エヴァの発進準備は既に整っている。戦闘直前とは思えないほど、本部内に人影が無かった。
チルドレン三人を乗せたエレベーターは、真っ直ぐケージに向かっている。
エレベーターの中にはその無機質な音が響いている。
レイは緊張で少し顔を強張らせていた。

直接受け止める…か。今回はちょっとやばいかもね…。
アスカと碇君、平気なのかな。

「あのミサトが、使徒に勝った暁にはご馳走おごるって言ってんのよ。これは、何としてでもおごらせないといけないわねっ!」

アスカが高い声で言った。いつもと変わらない表情。
シンジは無表情に目の前の虚空を見つめている。思い詰めているように。

アスカは余裕ね。流石に長い事やってきてるだけあるわ。
まあ、わたしもそうなんだから、あんまり変なとこ見せらんないよね。

「何でも良いけど、お肉以外のとこにしてよね。こないだの七面鳥でもう充分だから、さ。」
「ふ〜ん、まあ考慮に入れとくわ。」
「ねえ、アスカ…。」

シンジが小さな声でアスカに話しかける。
それでも、この狭い箱の中では十分聞こえる大きさだったのだが。

「何よ。」
「アスカはさ、なんでエヴァに乗ってんの?」

シンジはアスカの方を向いて言う。
アスカは少し驚いた表情でシンジを見る。

「あんた、レイとおんなじ事聞くのねぇ。相変わらず似てんのか似てないのか分からないのね、アンタ達。…自分の才能を世に示すため、よ。」
「そうなんだ…。」
「そう言うシンジはどうなのよ。」
「僕…?」

あれ?碇君、今ちらっとわたしの方を向いた気がしたけど…。気のせいだったのかな?

「僕にもあるんだけど………。」
「………内緒って事?」
「………うん。ごめん。」
「ったく偉そうに。ま、いいわ。レイはどうなのよ。温泉じゃ、上手くはぐらかされちゃったからね。」
「え?」

わたしは………まだ分からないのかな。
でも………わたしは………。

レイは無意識に、ちらりとシンジの方を見る。
まだ、思い詰めた表情。
始めは無意識だったのだが、なぜか自分がシンジを見ている事に気付いた。

………?
なんでわたし、碇君を見てるんだろ。
碇君とは関係ない事のはずなのに…。
もしかして………さっき、碇君がわたしの方を見たのも、同じような理由からなの?

レイはそう考えると、おかしくなった。
アスカを見て、くすっと笑う。

「な・い・しょ、よっ!」
「アンタもなの?どうせろくな事じゃないんでしょっ!」

そっか、自分で分かっていれば、そんなにたいそうな理由は必要ないんだよね。
乗ると決めた以上、途中で止めるのは嫌だし。
わたしがどうあるか、って問題なのよね。

エレベーターの中からでも、三人の前にエヴァの姿が見え始めた。






「ね、碇君。」

レイはエヴァに乗り込む直前、ケージでシンジに声を掛けた。
アスカはいち早く弐号機に乗り込んでいる。
シンジは初号機に向かおうとしていたのだが、声を掛けられて後ろを振り向く。

「なに?綾波。」
「がんばろ。」
「………うん。」

レイとシンジの間にはまだ少し距離がある。
レイは少し戸惑った仕種を見せたが、意を決して、シンジの所へと駆け寄った。
人影の少ないケージ内に、レイの走りよる音が響く。
目の前で不思議そうな顔をしているシンジの耳元に、自分の顔を近づける。

「碇君が頑張れるように、わたしもエヴァに乗るから、さ!」
「へ?」

レイは一言そう言うと、走って零号機に向かった。
シンジは呆気に取られてレイの後ろ姿を見つめていた。
やがて、シンジの顔が赤く染まる。

「あやな…み…?」

「碇シンジ君、早くプラグに乗り込んでください!!」

わずかに残っていたNERVのスタッフから声がかかる。
シンジは我に返ると、慌ててそれに応えた。

「は、はい!!今行きます!!」







『距離10000まではマギが誘導します。後は各自の判断で行動して。あなた達に…全て任せるわ。』

ミサトさんの声がモニターを介して、発令所から聞こえてくる。
僕は座りなれたエントリープラグのシートに座って指令を待っている。

ミサトさんがNERVに入った理由を聞いたことがあった。
それは、自分が嫌いだったお父さんの、仇を取るために。最後の最後に自分を救ってくれたお父さんの。
僕に似ていると思った。父さんも僕に冷たかったから。でも、僕は父さんの事を知らなすぎる…。
ミサトさんが、なんでそこまでお父さんの事にこだわるか、僕には分からない。
でも、ミサトさんは、きっとそれから逃げてないんだ…。

右のモニターに映っている綾波を見る。もしかしたら、ちょっと緊張しているのかな。
さっきの言葉には驚いたけど…。実は僕も似たようなものなのかも…。
綾波は………いつも僕を励ましてくれる。そんな時、僕はいつも申し訳なく思ってしまう。本当は綾波には心配をかけたくないんだ。
でも、綾波はやさしいから。
綾波が同じエヴァパイロットなのは嬉しいんだけど、実は綾波には戦って欲しくない…。
僕が………しっかりしていればいいんだけど……。だめだよね、こんな僕じゃ………。

『こら〜っ、碇君っ!!こんな時に考え事している暇なんて無いの!!頼むよっ、ホントに!!』
「ご、ごめん!」

…気付かれてしまった…。かなわないなぁ…。
せめて、綾波の前くらいでは、しっかりしていたいな。

左のモニターに映るアスカは相変わらず自信たっぷりの顔をしている。口元には少し笑みも浮かんでいるみたいだ。こんな所が少し羨ましい。
アスカは僕に、『変わろうとしろ』って言った。
アスカは自分で変わっていったのだろうか。小さい頃から。

『考え事をするとは、余裕ね。シンジ。これで失敗したらアンタのせいだからね、分かってんの?』
「わ、分かってるよ!!」

僕は操縦桿を握り直す。
僕が今できるのはこれくらいだとしても…。
綾波も、アスカも戦ってるんだ。だからこそ…。

「逃げちゃだめなんだ。」

僕は誰にとも無くつぶやいた。
もちろん、エントリープラグ内にそれに答える人はいないけど。
そうするのが、いい気がしたから。

『使徒接近。距離、およそ20000。』
『シンジ君、行くわよ。準備は良い?』
「はい。」
『では、作戦スタート。』

「………いくよ。」

僕は静かに言った。声が低くなっているのが自分でも分かる。
アスカが頷く。綾波は親指を立てて僕に応える。
僕は汗ばんだ手の平を膝で拭いた。操縦桿を握ると、ひんやりした感触が再び伝わってくる。
意を決する。作戦開始の合図は僕の役目。

「スタート!!」








わたしのメインモニターに、巨大な使徒を両手で受け止めている初号機が映る。
全開にされたATフィールドのせいで、紫色のボディが赤く染まっている。
使徒のフィールドはその真上で、水平に広がっている。

耐える碇君の声。
初号機の足場が割れていく音。
全速力で駆けている零号機の足音。

左に映るアスカの表情が、目に入る。
歯を食いしばって目の前のモニターを睨み付けている。
薄らと汗が滲んでいるのは、わたしと同じ。

「アスカっ!!フィールド全開っ!!」
『やってるわよ!!自分の心配でもしてなさい!!!』

右足のバランスを崩す初号機。
今までフィールド越しに支えていた使徒を、直接受け止める形になる。
その腕と足が少しずつ曲がっていくのがはっきりと分かる。

碇君、もう少しだけ…!!

操縦桿をを引く手に力が入る。
腰がわずかにシートから浮く。

モニターの一つに、望遠がカットされた映像が映る。
初号機の姿はどんどん近づいてくる。

………これなら間に合う!!

同じような距離で、アスカの弐号機も駆け寄ってくる。

わたしは、使徒を支えている初号機の下にはいり、両手で支える。
同じタイミングで、弐号機が反対側に入る。
使徒が勢いを殺がれてわずかに浮く。

『今だ!!』

間髪を入れず、碇君が叫ぶ。
わたしは眼前の使徒を睨み付ける。

「いくよぉぉっ!!」

薄くなった使徒のフィールドにプラグナイフを直接突き刺す。

わたしの頭にイメージされるのは、単に薄い紙切れを引き裂く感じ。
三機のエヴァに中和されているATフィールドなんて、簡単に消えてしまうはず…!!

寸分違わず、イメージ通りにフィールドは横に裂ける。

その時、初めて使徒の本体が露呈した。

『こんのおおおっっ!!!』

機を見計らっていたアスカが、露呈した使徒の本体にナイフを深々と突き刺す。
プログナイフ自体が見えなくなってしまうほどに突き刺すと、使徒の巨体がぐらり、と揺らいだ。

重力の制御下に入り、ATフィールドいう支えを失ったサハクイエルは、三体のエヴァの上に重なるようにして落ち、閃光と共に十字の火柱を立てた。











発令所はいつもの騒がしさを取り戻しつつあった。
オペレーター達は戦闘の後処理や、使徒に関する情報整理などに追われてその指をフルスピードで動かしている。
リツコとマヤは既に破損したエヴァの確認に向かっていた。

その中央部には、笑顔のチルドレン三人と、ミサトがいた。
ミサトも心から安心した表情で彼女達を見る。

(まったく、いつもこの子達には世話になりっぱなしね。)

「………ありがとう。今回だけは感謝するわ。」
「今回だけじゃなくて、いっつも感謝してもらわないと困るのよ!それより、ご馳走の件、分かってんでしょうね!」
「はいはい、分かってるわよ。」

ミサトの声も明るい。
九死に一生を得た事もそうだったが、自分の期待に応えて彼女達が作戦を遂行してくれた事が嬉しかった。

(それでも、私がこの子達を利用しているのも事実…ね。私がそんな事言ったら怒るかもね。この子達はきっと自分の考えでエヴァに乗ってるわ。本当………よくできた子達よ…。)

ミサトは、自分でも信じられないくらいやさしい目で三人を見ていた。
少しの罪悪感を胸に隠してはいたが。

「電波システム回復します。南極の碇司令から通信が入ってます。」
「お繋ぎして。」

ミサトの声を受け、シゲルが回線を開く。
ミサトは画像の映らないモニターに向かって話しかける。

「申し訳ありません、私の判断で、初号機を破損してしまいました。責任は全て私にあります。」
『いや、エヴァの使命は使徒を倒す事だ。その程度の損害はむしろ幸運と言えるな。』
『ああ。よくやってくれた、葛城三佐。』

シンジの隣で、レイはミサトとゲンドウ達の会話を、上の空で聞いていた。

…初号機が体勢を崩した時にはどうしようかと思ったけど…。
碇君、やっぱりやる時はやるんだよね。
あれだけできるんだから、もっと自信を持てば良いのに。そうしないのが碇君なのかもしれないけど。

レイは隣のシンジを横目で見る。
シンジは「SOUND ONLY」という文字だけが記された、南極とのモニターを見つめていた。

『ところで、初号機のパイロットはいるか。』
「え?…………はい。」

シンジは、まさか、と思いながら南極からの低い声に応える。
父が自分から話しかけてくれた、と言う事が既に信じられない事だった。

『話は聞いた。よくやったな。シンジ。』
「は、はい………。」

ほら。碇君が自信なくっても、認めてくれる人はいるんだから。
司令だって、きっとそうよ。

それに、もし他の人が認めなくっても、さ………。

「良かったね、碇君。」
「………うん………。」








2015年のこの年にも、屋台のラーメンというのは健在だった。
かくして、葛城家近くの公園の前のラーメン屋台では、三人の中学生と一人の成人女性が肩をならべてラーメンを食べる、と言う光景が眺められる事になった。
「ミサトの財布の中身ぐらい、分かってるわよ、無理しなくて良いわっ。」
という、アスカの言葉でラーメンを食べることになったのだった。
実は彼女自身、一度屋台でラーメンを食べてみたかった、というのは後でレイにもらした事だったのだが。

「店長のお勧めラーメンにして、お肉抜きの。」
「あの、綾波。店長のお勧め品は、ちょっと屋台には無いと思うんだけどな…。」
「え〜、残念だな〜。」

と、いうわけで屋台に座るレイの前にあるのはにんにくラーメンのチャーシュー抜き。
ちなみに、屋台の主人がチャーシューを抜いた代わりに、サービスで野菜を入れてくれた。

「ねえ、ミサトさん…。」
「ん?な〜に?」

シンジはラーメンを持つ箸を止めて、ミサトに話しかけた。
レイとアスカは食が進むようだ。不乱にその箸を動かしている。

「今日…初めて、少しだけ、エヴァに乗って良かったなって思えたんだ…。人に必要とされる事が、嬉しい事だって…分かった気がするんだ…。それが、エヴァに乗る事でも、違う事でも…。」

シンジはミサトの方は見ずに、やや前方を見ていた。
伏せ目がちだったが、その表情はとても満足げだった。

「…それなら………シンジ君、あなたの思うようにやりなさい…。結果はきっと後から付いてくるわ。」
「………はい。」

シンジは笑顔でミサトに返事をして、また箸を動かし始めた。

「碇君、気楽に行こうよ。使徒だって、永久に来るわけじゃないんだろうから、さ。一つ一つ片づけていけば良いじゃない。」
「うん…そうだね。」
「まったく、仕方のない奴ねえ。自分の事くらい、しっかり自分で考えなさい!!」

その箸をしっかり進めながら、アスカが言う。 シンジを見ているレイ、目を瞑って何かを考えているシンジ。

そうだよね、一つ一つ片づけていけばいいんだよね。 僕のできる事から…。

「じゃ、というわけで…」

レイの箸がさっと動いて、シンジのラーメンのどんぶりからメンマをくすねた。
続けて自分の口に運ぶ。シンジは不意の事に驚き、情けない顔でレイを見る。

「あ!それ取って置いたのに…。」
「んじゃ、代わりにこれあげるね。」

自分のどんぶりの中にあったナルトを一つ取って、シンジのラーメンの中に入れる。

「もう…調子良いんだから…綾波は…。」
「良いじゃない、これくらい。硬い事言わないのっ♪」
「…まったく、な〜にやってんだか…。アンタ達は所構わず、ホント恥ずかしい奴等ねっ!」

二人を横に見ながら、レンゲでスープを飲んでいるアスカが言う。

「いいじゃない、別に〜。あ、もしかして、羨ましいんでしょ?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ!!そんな訳ないでしょっ!!」
「それなら、見逃してくれてもいいじゃん?」
「公衆の面前で何とかならないのって事を言ってんのよ!!」
「5人しかいないじゃない。」

「若いっていいわね〜。」

コップに注がれたビールを、ぐいっとあおりながらミサトがつぶやいた。
シンジは黙々とナルトを口の中に運んでいた。
それでも、その表情はどこか明るかった。








二日後のシンクロテスト。
雨は先日までにすっかりやみ、外界には再び突き刺すような日差しが戻ってきた。
もちろん地下にあるジオフロントには何の影響も無いのだが、それでも人々は晴れを好むのだろう、若干作業効率が良いようだった。

テストルームの中にはディスプレイに向かう、マヤ。左後ろで、そのディスプレイに映るグラフを見つめるリツコ。

「あの………葛城さんは来ないんでしょうか…?」
「………知らないわよ。学校から帰ったシンジ君達より遅いなんて、何考えてるのか分からないわね。」

ちょうどその時、ぷしゅう、とドアの開く音がした。
なぜか満面の笑みをたたえたミサトが入ってくる。

「やあ諸君、やってるかね〜。リツコもマヤちゃんも元気そうで、何より、何より。」
「あなた…今何時だと思ってるの!?三時をとっくに回っているのよ!?少しは責任持ちなさい!!」
「あん、リツコったら、怒らないの。それで、結果の方はどうなの?………う〜ん、やっぱシンちゃんは調子良いわねえ。」
「………ま、結果はこの通りよ。テストはもう終わりよ。あなたの仕事はなかったわね。」
「無事に終わったのね?それは何より、何より。」
「なんでそんなに機嫌が良いのよ。」
「え?晴れてるからに決まってんじゃな〜い。」
「遅刻しておいてよく言うわね…。」








いつもと同じように、三人のチルドレンはリツコとマヤの前に立っている。
ミサトはいち早く帰ってしまった。使徒の後処理で、徹夜をしたのが堪えたらしい。
リツコはプリントアウトした三人のデータを、ぺらぺらまくりながら口を開く。
レイは後ろに手を組みながら、その様子を眺めていた。

「レイとアスカはいつも通りよ。シンジ君はまた調子良いわね。前より8もアップしてるわ。」

碇君、また上がったんだ…。
このままじゃ、本当にアスカを追い抜いちゃうかも…。
また、アスカ怒るのかな…。

「ハン、そんな事たいしたことじゃ…」「ありがとうございます、リツコさん。」

え?

「どうすれば良いかは分からないんですが、次も頑張ってみます。」

あれ?
碇君の態度がいつもと違うような。

「良い傾向ね、シンジ君。まあ、焦って結果ができるものでもないから、このままのペースを維持する事ね。」
「………なんか調子狂うわね…。ま、いいわ。うじうじしてるよりはよっぽどましか。次は大きくつき離してやるわよ。」
「うん。」

レイは、きょとんとしながら隣のシンジを見つめていたが、明るい表情の彼を見ていると、自分の事のように嬉しくなって、思わず笑みがこぼれた。






よかった。
碇君、ふっきれたみたいで。
だって、今までわたしはこんなに明るい碇君の笑顔を見た事ないもの。

わたしも頑張らなくっちゃね!!








FIN








masa-yukiさんのリナレイ版エヴァ第6弾です。『奇跡の価値は』編ですね。
雨宿りをする家がレイの部屋になってますね……なかなかいい感じじゃないですか、二人とも(^_^)
シンジは服まで脱がされちゃって……すっかり恋人同士のようですね。
そして戦闘後の屋台シーン、ここもいい感じです(^_^)(アスカの影が薄い……(^_^;)
オーラス、すこし変わったシンジの様子。うんうん、変わっていってほしいですね!

Written by masa-yuki thanx!
感想をmasa-yukiさん<HZD03036@nifty.ne.jp>へ……


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