昼休みの前半は終わり、みんな弁当は食べ終わったのか、校庭に出てくる人が増えてきた。皆それぞれ思い思いの事をしている。
運動場にはバスケ、サッカー、バレー、ドッジボールなどでたくさんの人が集まっていて、上がる歓声もひときわ大きい。
そこまでいかなくても、校庭をなんとなく散歩をしている人たちも見える。今日はすごく天気が良くて、教室にいるのが勿体無く思ったのだろうか、その表情は明るい人が多い。仲睦まじそうな男女のカップルもちらほら…。のどかな光景であった。
そんな昼休みの一角で、校舎の影で何かをしている三人がいる。
見ると、三馬鹿トリオの面々。今日は珍しく制服を着ているトウジと、お金を換算しているケンスケは校舎にもたれかかって座り、少し離れたところでシンジは腕を組みながら呆れた目つきで二人を見ている。
「毎度あり〜♪」
ケンスケはまた売り上げを伸ばすと、写真の残りを数えた。どうやら写真を売って小遣い稼ぎをしているようである。
「やっぱまずいよ、ケンスケ。こんな事惣流が知ったらただじゃ済まないよ…。」
「ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ。」
「そうや、硬い事言いっこなしやで、センセ。」
「で、でも………やっぱり………」
「あ〜、三馬鹿トリオが勢揃いで何やってんの?」
そんなやり取りをしているところに、なんとなく暇を持て余して散歩をしていたレイが通りがかった。相変わらずの高い声が校舎にはね返って良く響く。
「まっ、まずい…。」
ケンスケは写真とお金をさっと後ろに隠す。
「あ、綾波!?」
「何で自分がこんな所におるんや。」
ん?何?この過剰反応は。何かあるわね…?
「いいじゃない、どこにいたって!なんか企んでんでしょ!ホントろくな事しないんだから………。」
「べ、別に僕は何もしてないよ…。」
「あっ、ずるいぞシンジ!!裏切る気か!?」
「だって僕は何もしてないじゃないか!」
「ん?相田君、その後ろに隠してるのをちょ〜っとみせてごらん。」
「い、いやこれは何でもなくて…。」
そうは言っていたが、あきらかにうさん臭かったので、レイはケンスケが後ろに隠したものを強引に奪い取ってしまった。
「ああっ、アスカの写真!!値段がついてるって事は………売ってるのね!?………な、何でわたしのまであるの〜!?」
見るとアスカの写真、しかも、どう見ても隠し取りとしか思えないようなものばかり…。その中に、しっかりレイの写真も混じっている。
「ま、まあええやないか、減るもんやないんやし…。」
「そうそう、僕らはちょっと公共福祉をしてるだけで…。」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「ぼ、僕は本当に何もしてないんだよ、綾波ぃ。」
「まだ言い逃れする気なんか、シンジ!友達がいの無いやっちゃなぁ!ほれ、こないだ自分にも綾波の写真やったやないかい。」
それを聞いてシンジが、かあっ、と顔を赤くする。レイの頬にも、ぽっ、と赤味がさした。
「ト、トウジっ!!」
「碇君、わたしの写真持ってるの?」
…ちょっとくすぐったいけど、うれしいな。
「い、いや、あれはケンスケがくれるって言うから断るのも悪いかな、と思って…。」
…むうっ。
「何それ、じゃあ仕方なく貰ったってこと!?」
「い、いや違うよ、そうじゃなくて、その、別に僕は………。」
しどろもどろになって答えるシンジと、問いただそうとするレイだったが、その時二人の携帯電話がなった。シンジはいつも携帯を入れる場所を決めてなかったのか、がさごそと探しだす。レイはいつものように制服の上着のポケットから取り出すと、少々不機嫌そうに答えた。
「………ハイッ、綾波ですけどっ!」
そんな彼女の可能性〜Wanna dance with you〜
「先の戦闘で、第3新東京市の迎撃システムは大きなダメージを受け、現在までの復旧率は26%。実戦での稼働率はゼロと行っていいわ。したがって今回は、上陸寸前の目標を一気に叩く!!」
輸送飛行機に作られた仮発令所からミサトが意気込みながら、エヴァに乗ったアスカとシンジに伝えた。紀伊半島沖で発見された第七使徒、イスラフェルを殲滅するために、エヴァ二機は飛行機にて空輸されているところだった。第五使徒が片付いていない第3新東京市では戦う事ができないためだ。既に二人はエントリープラグ内にて待機している。
「う〜ん、大丈夫かなぁ。意外と二人とも抜けたところあるのよね〜。」
レイもミサトといっしょにモニター越しに二人を見ている。あまり広くない飛行機の中なので、ミサトの後ろから覗き込んでいる格好だったが。
「レイ!!聞こえてるわよ!!こないだはあんたとシンジが邪魔したからちょっと苦戦しただけじゃない!!アタシの真の実力、見せてあげるわっ!!」
「う〜ん、アスカって言う事は大きいんだけど………。」
レイは顎に手を当てて少しいぶかしむ。シンジはレイの言う事に苦笑いをしていた。
「黙ってなさい!!何笑ってんの、シンジ!!くれぐれも足引っ張るんじゃないわよっ!!」
「う、うん。」
「ふん、本当はアタシ一人でも十分だったのに!!」
「アスカ、私達には手段を選ぶ余裕なんて無いのよ。」
ミサトは諭すように言う。彼女としては、使徒殲滅のために最も可能性の高い方法を取らなければならなかった。
「な〜んか心配だなぁ………。」
「大丈夫だよ、綾波。ニ対一で戦うんだから。心配しないでよ。」
「ホントに?それならいいんだけどさ…。」
「うん。そりゃ、三人の方がもっと良かったんだけど。」
え?頼りにしてくれてるのかなぁ。
「そ、そうね。まあ、零号機壊れちゃってるから、仕方ないよ。大丈夫、碇君つ〜よいんだからっ。」
「ふふっ、変なの、心配してたのは綾波の方だったのに。」
「へへっ、そっかな。」
「あ〜〜〜〜っ、もう!!黙ってアタシのやることをみてればいいのよ!!」
そのやり取りに、アスカは苛立っているようだった。
「んで、や〜っぱりこうなっちゃったわけねえ。」
NERV本部内、発令所近くの一室。スクリーンに映像を映すため、暗くなったその部屋で、レイは呆れたようにつぶやいた。その前方には文句を言い合っているシンジとアスカ。スクリーンには襲来したイスラフェルに、こてんぱんにのされたエヴァ二機が映っている。初号機は海に頭から突っ込んでるし、弐号機は吹っ飛ばされた後、同様に山の中腹に頭を突っ込んでいた。リツコ曰く、「無様な」格好をさらしている。
海岸で使徒を迎撃した二機だったが、結局こういう結果に終わってしまった。一度はアスカが槍状の武器、スマッシュホークで一刀両断にして、その実力を発揮したか、というシーンもあったのだが…。あろう事かその使徒、イスラフェルは二つに分離して、しかもその後の攻撃は通用しなかった。攻め手を失った両機は、パワーに勝るイスラフェルの攻撃にやられてしまった。
「あんたがぐずだからこんな事になっちゃったんでしょ!!」
「な、なにいってんだよ!!惣流が焦って馬鹿な真似したから、こんな事になっちゃったんじゃないか!!」
「だ、誰が馬鹿ですってぇ!!なんであんたにそんな事言われなきゃなんないのよ!!ずうずうしいわね!!」
「本当の事言っただけだろ!!『何が真の実力見せてあげるわ』だよ!!全然たいしたこと無いじゃないか!!」
「ぬ、ぬわんですって〜!!あんただって何かしたわけじゃないじゃない!!」
「あれじゃ、何かするよりましだよ!!」
レイは二人のやり取りを見ていたが、ふう、とため息を吐くと隣の椅子に座っている加持に話し掛けた。
「で、加持さん、あの使徒結局どうなったの?」
「ん?ああ、それはこれから出てくるよ。」
シーンが変わって、ディスプレイには爆発に包まれたイスラフェルが映し出された。明らかにN2爆雷によるもので、当然周りの地形も変わってしまったであろう。
「やっつけちゃったの?」
「いや。足止めに過ぎないな。ま、それだけでも儲けもんだが。」
一番後ろに控えていた冬月コウゾウは苛立たしげにふたりを見る。NERV司令の碇ゲンドウがこの場にいない以上、彼が最高責任者である。
「君たち………自分の仕事が何かわかっているのかね?我々は恥をさらすためにNERVにいるのではない。使徒を倒すためにやっているのだよ。その辺、わかってくれたまえ。」
そう言って彼は部屋を出た。レイは去っていく冬月の背中に目をやり、はあ、と一つため息を吐いた。
「あ〜あ、怒られちゃった…。で、どうするの?このまま使徒を放っておくわけにもいかないし……。」
「そうだな、結局使徒を倒すのはエヴァしかできない訳だしな。奴が復活するまでに何らかの対策を立てないといけないだろう。まあ、葛城かりっちゃんが考えてるんじゃないのか?」
「そんな適当な…。あれ?そう言えば葛城さんは?」
「責任者は責任を取るためにいるからな。きっと書類の山に埋もれているさ。」
「あらら………。」
「あんたがトロいからこんな!!」
「惣流だって人の事言えないじゃないか!!」
「………も、やめたら?」
スクリーン前で、まだ二人はやりあっていた…。
「じゃあね、また明日!!」「バイバイ!!」「おい、おまえ今日空いてる?」「あ〜?」
第壱中学校の校門にたくさんの生徒の声が響く。授業は全て終わり、放課後になっていた。すぐに家に帰る子もいれば、昇降口前でしゃべっている子もいる。昼休みと共に、この時間の学校の雰囲気はいつも明るい。
帰ろうとしている人たちの中に、水色の髪の少女がいた。今日は隣に黒髪の少女もいっしょだ。二人とも黒い手提げかばんを前に持ってゆっくり歩いている。
「え〜、じゃあ結局それで負けちゃったの?」
「うん…何とか足止めしてるとこなんだけどねぇ…。」
レイは隣の少女、洞木ヒカリに昨日の戦いの事について話しているところだった。ヒカリは学級委員長で、転校してきた当時から、レイには優しかった。その内に打ち解けていった、と言う訳だった。使徒やエヴァの事は本当は軍事機密なのだが、ここ第3新東京市にその事を知らない者はいないし、レイとヒカリの仲もいいので、お構い無しである。
「じゃあ…今日、惣流さんと碇君が休みだったのも何か訳ありなのね?」
「多分そうだと思う。後五日しか時間が無いらしいから、特訓でもしてるんじゃない?」
第壱中学校は高台の上にあり、登校するのは厄介だが、帰るのは楽だ。彼女たちの周りにはふざけ合っている男子や、寄り道をしている女子が少なくなかった。二人も帰路に就きながら雑談を楽しんでいたのだが。
「じゃあ、ヒカリはとりあえずアスカの家に行ってみるのね?」
「うん。配布物もあるし、惣流さん転校して来たばっかりだし。」
「そうね…。わたしも行ってみようかな。零号機は壊れちゃってるから、わたしの仕事はないのよね。」
「そうなの。でもいいじゃない、戦わなくていいんだからさ。」
「そりゃそうだけど、結局碇君とアスカが戦わなくちゃいけないんだし。二人ともどっか抜けてるからわたしが守ってやらなくちゃならないって感じなのよね。ホント、困っちゃうな〜♪」
レイは前に持っていたかばんを頭の後ろにくるりと回して両手で持ち直した。ヒカリはそんなレイの仕種がおかしくて、くすっと笑う。
「ふ〜ん、碇君を守りたいんだね〜。レイちゃんってば。健気なんだからっ。」
思わずその言葉に反応して、レイは顔を赤らめてしまう。
「べ、別に碇君だけとは言ってないじゃない!わ、わたしは碇君にさ…。」
「ハイハイ、碇君の事はいつもよ〜く聞いてます!!すぐにのろけちゃって、もう…妬けるったらありゃしないわ!」
「そ、そんなに言ってないもん。」
顔を赤くして言っても説得力はなかった。
ヒカリとレイが担任の教師にもらったアスカの住所にあるマンションの玄関に至った時、ちょうど同じタイミングで制服姿の男子生徒二人組みもそこに姿を現した。レイとヒカリも良く知る、おなじみの二人だった。
「あれ?三馬鹿トリオの二人じゃない。何やってんの?こんなとこで。」
レイが自分達と同じようにやって来たケンスケとトウジに声をかける。その二人も鉢合わせになった事にやや驚いている様子だった。ケンスケとトウジは一度顔を見合わせると、ヒカリとレイの方を見る。
「碇君のお見舞いってとこだな。」
「そういう委員長達は何やねん。」
「え?惣流さんのお見舞いよ。」
「………それっておんなじアパートに住んでるって事?」
玄関で話していても仕方が無いので、トウジ、ケンスケ、レイ、ヒカリの順でマンションに入り、エレベーターに向かった。
マンションの中は整っていて、安っぽい印象はない。一つ一つの部屋も意外と大きそうで、アスカ一人が住むには若干不自然のようである。
四人はそろって同じエレベーターに乗ると、やはりそろって同じ階で降りた。
「二人は碇君の住んでる所知ってるんでしょ?」
「そりゃ、そうや。ミサトさんと同じ部屋に住んでるんやで。」
「それは聞いてるんだけど…。なんでアスカまでこの階なのよっ。」
レイの機嫌が少し悪い。まあシンジとアスカの家が近い、という事だけで既に機嫌は悪かったが…。
四人は一緒に歩き、また一緒の場所で止まる。部屋のネームプレートには葛城の文字。
「どっ、どういう事!?なんでアスカまでここに…。」
「ま、まあ落ち着いて、レイ。とりあえず呼んでみようじゃない。惣流さんもここに来て日が短いから事情があるかもしれないし、さ。」
ヒカリがレイを何とかなだめる。恐る恐る、四人で一つのチャイムを押した。
ピンポ〜ン♪
「「は〜い」」
や、やっぱり二人ともいるのねっ!!
ガチャッ。
!!!!
現れたのは音符をあしらった、なんとも可愛い、おそろいのトレーニングシャツとスパッツ姿の二人。
「うっ、シンジまたしても裏切りおったな…。」「ぺ、ペアルック…。いや〜んな感じぃ♪」
「二人とも不潔よっ!!」
「誤解だよ…。」「誤解だわ!!」
存外だ、と言わんばかりに二人は言い返した。
「い〜くゎ〜り〜く〜ん!?!?」
シンジの前にいつもの赤い目をらんらんと輝かせたレイが立っている。物も言わせぬ迫力である。
「ど〜ゆ〜事っ!!」
「ち、違うんだよ、綾波、この格好は、ミサトさんが日本人は形から入るものだって言うから…。」
それを聞いたレイがシンジの首につかみ掛かった!!
「何に形から入るのっ!!し、ん、じ、ら、ん、な、いっ!!」
「や、め、て、よ、あ、や、な、みぃ」
「また馬鹿な事やってんじゃないわよ、レイっ!!何か誤解してんじゃないの!?」
「誤解も六階も無いわよ!!もうっ!!」
「まあ…綾波が怒るのもしゃあない、っちゅうとこやな…。」
「不潔よ〜二人とも〜っ!!」
「シンジ…早まったな…。」
「ん〜?何やってんの、人ん家の前で。」
収拾がつかなくなってしまった彼らの後ろに、コンビニの袋を手にしたミサトが立っていた。
「それであんなとこで騒いでたの?あっきれたわね〜。」
結局、リビングでミサトの説明を受けて四人は納得したのだった。
つまり、第七使徒の弱点は分離中のコアに対する同時攻撃だから、こちらの攻撃を完全に合わせて攻撃するためのユニゾンの訓練を行っている、という事だった。
「だって〜。」
「まあ、あのペアルックは強烈やったからな。」
「綾波が誤解するのも無理ないさ。」
「それで、ユニゾンの成果はどうなんですか?」
「それが…あの通りなのよねえ〜。」
広間には1から9までの数字を書いた正方形のマットが二つ、その後ろに得点を記す電光掲示板。まあ、簡単なトレーニングマシン、といったようなセットがアスカとシンジの前に置かれている。する事は単純で、順番に光るマットの数字を、流す音楽に合わせて手足で踏んでいくという事なのだが、手足のタイミングまできっちり合わせないといけないので、言うほど簡単ではない。
そう言っている間にも失敗を知らせるブザー音が聞こえてくる。四人は出されたコーヒーを口にしながら、思い思いのため息を吐いた。
「アタシがこの馬鹿シンジにレベル下げるなんてできる分けないわ!!どだい無理な話なのよ!!」
「そんな事言ったって、無理なんだから仕方が無いじゃないか!!」
文句を言いながらも何回かトライしてみるのだが、どうしても合わない。と言うか、進んで合わせようとしているようには見えなかった。ペースがまるっきり違うようだ。
レイも少し呆れた様子で二人の練習をうかががっている。
んん〜、どうも違うのよね、二人とも焦ってんじゃないかなぁ…。
性格の違いが思いっきり出ちゃってるって感じよね。
しょうがない、このわたしが一肌脱いであげちゃおっかな。
「アスカ、碇君。」
レイが二人の方に歩み寄る。
「もう一回ちょっとやって見て。」
「何度やったって無理なのよ!!あんた、今見てたでしょ!」
「う〜ん、綾波、僕も無理だと思うんだけど…。」
「情けない事言ってないで、ほら、始める、始める。」
レイは半分やめかけていた二人の背中を、手で押しながら言う。二人とも、追い立てられながら、半分諦め顔でポジションに就く。プーっという音と、流れてくる音楽と共にトレーニングが始まった。
ぴっ、
ぱっ、
ぽっ、
初めのうちは合っているのだが、
ぴっ、ぱっ
ぱっ、ぷっ、ぱっ
ぴぴっ、ぴぱっ、
ブブーッ。
「あんたってのは何度同じとこで引っかかったら気が済むのよ!!少しは学習しなさいよね!!」
「な、何だよ、アスカだって同じ所で引っかかってるじゃないか!!」
「まあまあ、そう気を荒立てないで。なんとなく分かったから。ほら、碇君。」
レイはシンジの元に行くと、おもむろにその手を取った。
「え?ちょ、ちょっと、綾波?」
「まず、碇君はこの三番に行く時がアスカよりちょっと遅いの。だから少し早くして…。」
「う、うん…。そ、そうだね…。」
レイは、右手はこっち、左手はあっち、といった感じで直接指導する。シンジの方は明らかに照れた様子でレイの言われるままにしている。レイの指導に身を任せているシンジの様子に呆れるアスカ。
「ま〜ったく、ほんとに世話のかかる奴ねっ、あんたって!!な〜んでチルドレンに選ばれたんだか…。」
「何言ってるの、アスカ。あなただって悪い所あるんだから。ほら、ここのタイミングが少し速すぎるから…」
そう言いながら今度はアスカの手を取って教える。
「え?え?ちょっと、アンタ!!」
「ほら、ボーッとしてないの。時間無いんでしょ。こういうのは外から見ればすぐ分かるんだから。」
「やるやないか、綾波。」
「たいしたものだね、あの二人相手に。」
「いい性格してるわ、レイ。」
レイがテキパキと二人を指導する様子を見て、感心する三人。
「………コーチ役はレイにお願いしようかしらね。」
ミサトはそういう経緯でレイにコーチ役を任せたのだった。
「え〜っ、じゃあ女が二人も居ながらご飯作るのは碇君に任せちゃってるってこと?」
夕食の一場面。アスカが来て明るくなった葛城家の食卓だったが、今日はレイがいるため更に賑やかだ。シンジの作ったシチューを口に運びながら、会話が弾んでいる。レイは口にしているシチューをシンジが作ったと聞いて驚いていたのだが、いつもシンジが作っていると聞いて更に驚いた。
「べ、別にできないわけじゃないのよ。まあ、シンジがやりたそうだったから任せてるだけよ。」
「………いつ僕がやりたそうにしてたんだよ………。」
「保護者って事で葛城さんが作るっていうのはだめなわけ?」
「ん?私はたまには作るって言ってんのに、シンちゃんがいつもやらなくていいって言うのよね〜。そんなに気をつかわなくっていいのに。」
「………いいんですよ……ミサトさん………。ご飯は僕が作りますから…。」
「ん〜もう、シンちゃんたらぁ、遠慮しちゃって。」
「なんか訳でもあるの?碇君。」
「いや…ちょっと個性的な味付けをするんだよ、ミサトさんは…。」
「な、何その個性的な味付けって!失礼しちゃうわね、シンちゃんってば!」
「そ、そうなの。ところで葛城さん、わたしも一緒に泊まっちゃっていいんですか?」
「いいのよん、一人や二人増えたって。レイもその方が良かったんじゃないの?」
ミサトはなぜかニタリ、と笑いながら言う。
「え?ま、まあ………そう………かな?」
「ふ〜ん………意外と抜け目無いのねぇ、レイって。」
目の前に座っているレイを見ながら、アスカが何かに納得したような口調でつぶやいた。
「ど、どういう意味よ、アスカ。その抜け目無いってのは。」
「そのまんまの意味よ。それとも、はっきり言ってあげようかしら?」
シンジがレイの隣で首をかしげていた。
結局その日はユニゾンが上手くいかなかったので、
「こういう日は、きりのいいとこで切り上げちゃって、さっさと寝ちゃいましょう!!」
と、いうミサトの提案に乗って少し早いが寝る事になった。
蒸気がもうもうと舞い、その部屋全体を覆い尽くしている。平均的なマンションに備えてあるそれよりは少し大き目だろうか。一人でいるのは十分すぎるほどのゆとりがその部屋にはあった。
レイはいつもの習慣に従ってお風呂に入っていた。彼女はいつも、寝る前にお風呂に入る。いつのまにか付いてしまった習慣だったのだが、彼女にとってはこの順番が一番落ち着くようだ。気分が安らいだところで、ぐっすり眠れるのが気に入っていた。
「は〜っ、やっぱりお風呂入ってるのが一番落ち着くわね〜。」
ちょっと若者らしくない台詞をつぶやきながらレイは湯船に浸かっている。頭の上にタオルを載せているのがもっと若者らしくない。実は結構長風呂で、日によっては一時間以上入っているのだが、今日は人の家に来ているので、少し遠慮して三十分位にしようかな、と思っていた。
…それにしてもあの二人が完璧なユニゾンなんかできるのかなあ、性格がまるっきり違うなのよね〜。
アスカはもっと協調しないと、あれじゃ合うものも合わなくなっちゃうよ。
碇君はもっと自信を持ってやればいいのに。優しいからかな、いつも譲歩しちゃうのよね。
まあ、そこがいいとこなんだけどね…。
そこまで考えてレイは少し顔を赤く染める………と言っても既に赤く染まっていたレイの肌だったのでわからなかったが。火照った頬に、ぴとっと右手をつけた。顔が温まっているのが良く分かる。ちゃぷん、とお湯を少しかき混ぜた。
そうそう、それで、少しの間碇君と一つ屋根の下で過ごす事になっちゃったのよね!
う〜ん、うれしいんだけど、実はちょっと不安もあったりして…。NERV本部では待機任務で泊まる事もあるんだけど、全然違うわよね、これは。
まあなるようにしかならないかっ。
………そろそろ出よっかな。
思い立ってレイは風呂から上がった。そのドアを開けると、蒸気が脱衣所の方へと流れていった。
体を白いバスタオルで拭いて、貸してもらった薄黄緑色のパジャマを着ると、すっきりとした気分になった。体から余計な力が抜けていく気がする。レイは、息を一つついてその開放感を味わった。
やがて、くしゃくしゃと髪の毛を拭きながらリビングの方へ行くと、三人で何か騒いでいる。
「なんでわざわざ四人でリビングに寝なきゃなんないのよ!!」
「そうですよ!!」
「だ〜か〜ら〜、言ってるでしょ、生活ペースも完全に合わせないと完璧なユニゾンなんてできないんだから!!ほら、レイもそう思うでしょ!?」
髪の毛を拭きながらやって来たレイに、ミサトが話を振る。
「え?う〜ん、どっかな?」
ちょっとびっくりしながらもレイは軽く答える。
「甘い!!シンジが襲って来ないとも限らないじゃない!!」
「な、何だよ、それ!!そんなことしないよ!」
実は彼、言いながらもレイのお風呂上がりの姿を見て少し顔が赤い。
「さあっ、どうかしらっ、スケベシンジの考える事なんてわからないわよ!!レイも無事じゃ済まないんじゃないの!?」
「えっ、ええっ!?い、碇君!?」
「や、やめてよ綾波、ほんとに何にもしないってば!!」
「まあまあ…シンちゃんが一番端で、私がその隣なら問題ないでしょ。」
「まったく、そんな事までする必要はないんじゃあないの!?」
「いいじゃないの、そんじゃあ明日からた〜いへんなんだから、さっさと寝るわよ!!」
その朝もよく晴れ、第3新東京市に降り注ぐ日差しは早くも真夏の強さを表し始めていた。ここのところ数日続いている快晴が、その日も続く事はほぼ疑いの無い事のようである。それは、マンションの一室にいる変わった四人組にも同じように訪れていた。
トレーニングセットの前に横一列に並んでいるシンジとアスカ、その真ん中でレイがふたりを見ていて、ミサトが丁度レイの後ろに立っている。気付かれないように装っていたが、レイの目はいつもより少し赤い。
…なんで二人ともすやすや眠っていられたのよ、わたしは気になって眠れなかったのに……意識し過ぎだったのかなぁ…。仕方ないじゃない、男の子と一緒の部屋で寝た事なんてないのっ!
「………ほら、始めよう。アスカは昨日より少しゆっくり目に、碇君はもうちょっと早目にね。」
「……んで、何であんたがその服を着てる訳よ。」
レイは昨日からアスカとシンジが着ている音符のトレーニングシャツを来ている。今日の朝、ミサトに出してもらったのだ。
「いいじゃな〜い、余ってたって言うんだから。こういうのって形から入るんでしょ、葛城さん。」
「そうよ、結構重要なんだから、こういうの。似合ってるし。雰囲気の問題よ、雰囲気の。それより二人とも、もう時間ないんだから、頼んだわよ!!」
「わかってるわよ!」「わかったよ。」
ミサトの言葉にユニゾンで答えたのだったが。
「違う違う、碇君そこはもっと早くするの。後がつっかかっちゃうわ。」
「ご、ごめん。」
「もう、何でこれくらいできないのよ!!これで負けたらアンタのせいよ!!」
「わ、わかってるよ!!」
「アスカも、もう少し合わせようとしてよ。それじゃ碇君には早すぎて合わないのよ…。」
「シンジがどんくさいからいけないんでしょ!!しっかりやれば合うはずよ!!」
「そういうものじゃないんだってば」。
随分長い時間やっているはずなのだが、相変わらずあまり進まない。
シンジはアスカに合わせようとして様子をうかがいながらだし、アスカはシンジの方を見ようとせずに自分のペースを貫き通しているようだった。
アスカは自分に合わせることのできないシンジに苛立っていたし、シンジは合わせることのできないペースに戸惑っていた。レイはそれを横から見ていたので、原因は良く分かっていたのだが、何度言っても二人の癖が出てしまって上手くいかない。
そうしているうちにまた失敗を告げるブザーが鳴る。
「だから、違うんだってば!何度言ったらわかるのよ、アスカ!!もう少し碇君と合わせてあげてよ!!」
「うっるさいわね〜!!そんなに言うんだったらレイ、あんたやってみなさいよ!!」
何度か指示されて、頭に来ていたアスカがレイにあたる。
「ええ?わ、わたしがやったってしょうがないじゃない。」
「あら、いいんじゃない?レイもやってみたら?上手くできるようだったらレイが弐号機に乗るっていうのも考えてみてもいいかもね。」
レイの後ろで三人の様子を見ていたミサトが腕を組みながらそう言った。
「ほら、やってみなさい!!あれだけ言って全然できなかったりしたら、どうなるかわかってんでしょうね〜!」
アスカはレイの手を引いて自分のポジションに連れてくる。
「わ、わかったわよ。」
仕方ないな、と言う表情でレイはスタートポジションに就く。
「じゃ、よろしくね、碇君。」
レイは横にいるシンジに、にこっと笑いかける。振り向いた勢いで水色の髪の毛が揺れた。シンジはどぎまぎしながらそれに答える。
「う、うん、よろしく。」
音楽と共にユニゾンが始まった。
ぴっ
ぱっ
ぽっ…
ここまでは楽勝ねっ、次は碇君だから少しゆっくり目に…。
…ぴっ
ぴっ…
…ぱっ…
……?やりやすいな、綾波相手だと。なんでだろ?気をつかわなくてもいいみたいだし。
……綾波が気をつかってくれてるのかな?なら、うれしいんだけど。
ぱっ、
ぽっ、
ぱっ…
…うん、体が勝手に動いてくれて、なんかいい感じよね。やっぱ相性がいいって事かなあ。
よどみないユニゾンを続ける二人。
「これはペア、替えた方がいいかもねえ…。」
「え、ええっ…。」
アスカは呆然と二人のユニゾンを見る。
音符に乗ってテンポよく進む。いつのまにか二人表情がなごんでいる。お互いの表情を見合って少し笑う。今度はシンジも照れなかった。また前を見てユニゾンを続ける。
ぴっ、
ぱっ、
ぱ…
「やってらんないわよっ!!」
音楽を寸断するようにアスカの怒声が響いた。
突然の声に驚いて二人は同時にアスカを見る。アスカは肩をわなわなと震わせていた。
「そんなにできるんだったら、あんたたちでやればいいじゃないっ!!勝手にすればいいわっ!!」
そういってアスカは玄関に向かって駆け出していった。
「アスカ!?」
思わず声を張り上げたレイだったが、アスカはそれに応ずるはずもなく外に出ていってしまった。レイはその時あまり見たくないものを見たような気がした。
………涙!?なんで!?………。
そう思った時、レイは既に駆け出していた。
なんで?悔しかったから?わたしにできて自分にできなかったのが…。
そんな事、気にすることじゃないのに…。何でアスカ、そんなに…。
「アスカ?」
マンション近くの公園のベンチに彼女はいた。レイが偶然通りかかった時には肩を落としてそこに座っていた。らしくない彼女の姿に少し躊躇したが、そうしていても仕方が無いのでアスカの方に近づいていく。アスカはレイが近づいてくるのを見ると少し顔を上げたが、また顔を伏せる。レイは声をかけたかったが、ここまで落ち込む理由が彼女にはわからない。座っているアスカの横に立っていることしかできなかったのだが、やがてアスカがつぶやくように口を開いた。
「………わかってるわよ………私はエヴァに乗るしかないのよ。」
「何で………そんな事言うの?」
「アタシがセカンドチルドレンだからよ。エヴァに乗らなくってどうするのよ……。」
「………たとえアスカがエヴァに乗って失敗したとしても……誰もあなたを責めないわよ…。」
「何であんたにそんなことわかんのよ!!」
うつむいていたアスカは、顔を上げて強い口調と強い視線でレイにそう言った。その強さにレイは少し身じろいだが、ここで引く訳にはいかない、と思い、視線に耐えながら話を続けた。
「意識し過ぎよ、アスカ。少なくとも碇君はわたしがエヴァに乗れなくてもいいよって、言ってくれたもの。」
「自分だけがエヴァに乗っていたかったんじゃないの」
「碇君はそんな人じゃないわ!!」
今度はレイの口調が強くなった。が、レイの表情が強張ったのはほんの一瞬で、すぐに表情をやわらげた。母親のようなまなざしでアスカを見る。
「本当に意識し過ぎよ、アスカ。もう少し肩の力を抜いてやろうよ。疲れちゃうからさ。」
「えっ…?」
優しく言ったレイの言葉に何かを感じ取ったのか、アスカははっとした表情をとる。
「アスカぁ、綾波〜!!」
その時シンジが走ってやって来た。アスカを見ているレイの隣に立つ。シンジもアスカの表情に若干戸惑いながらも口を開く。
「アスカ、ごめん…僕が鈍いから上手くできなくって…。」
「………。」
「でも、途中でやめるのは……その……僕ももう少し頑張るからさ…。」
「もう、いいわよ……」
アスカはシンジの言葉を止めて、吹っ切れたようにすっくと立った。するとマンションの方に駆け出した。
「ほら、やるんだったら早く行くわよ!!レイ、見てなさい!!アンタの十倍は上手くやってやるんだからっ!!」
二人から少し離れた場所でアスカが言い、そのまま二人を待たずに走っていってしまった。呆気に取られた二人はその場に立ち尽くしていた。
「良かった…。ありがとう、綾波。」
シンジがゆっくり歩きながらレイの方を向いていった。
「え?ううん、わたしは何もしてない。」
「でも…やっぱり綾波がいてくれて良かった。ありがとう。」
シンジはにこっと笑いかけながらレイに言う。そう言われて、レイも顔が少し赤い。
「い、いいのよっ、わたしと碇君の仲じゃない!!細かい事は気にしないの!!」
隣にいるシンジの肩をパンパン叩きながら照れ隠しに言う。シンジはまだレイの方を見ながら、にこにこ笑っている。レイはそんなシンジを直視できない。
「な、なによぉ…。」
「何でもない。じゃ、僕たちも行こう。」
それ以後はアスカもやる気を出し、一歩一歩ながらもユニゾンは上達していった。アスカが先導をして、シンジが謝りながらもそれに付いていき、レイがはっぱをかける、といったところだった。
使徒再活動まで後二日である。
深夜二時。夏しか訪れないこの時代の日本には非常に寝苦しい時間帯であるが、部屋の中にはクーラーがしっかりセットされているため快適な眠りを約束されているはずだった。ちょうど良い温度のその部屋には、眠れない要素など何も無いように思えたのだが。
………う…ん………何か乗ってるの?………重い………。
レイはお腹の辺りに圧迫感を感じてその目を開いた。そこにはミサトの足が横たわっている。
………まったく……葛城さん、寝相悪いんだから。体二つ分こっちによってるじゃない。………加持さんの言った事って本当だったのね。
さすがにレイはそのままでは眠れないので、何とかミサトの足をのけて布団から出る。すると、つっかえがなくなったミサトは崩れるようにレイの布団の上にうつ伏せになってしまった。
………どうしよ、これじゃ寝れないじゃない…明日が最終日だって言うのに…。
………あ、そうだ!葛城さんがこっちに転がってきている、と言うことは葛城さんが元いたところに寝ればいいんじゃない。な〜んだ、これで問題解決ねっ。
レイは至極当然な解決方法に思い至ったはずだったが、すぐに問題点に気がついた。今まで、シンジ、ミサト、レイ、アスカの順に寝てたのだった。
と、いうことは…
………い、碇君の隣で寝るってこと!?
し、仕方ないのよ、このままじゃ寝れないんだし、明日もまだ大変なんだし!
い、碇君だって寝てるんだから………。どうってことないよね……。
心の中で必死に言い訳をしながら、レイはシンジの隣……ミサトの布団の上に立った。それだけで緊張感が一挙に増す。なぜか自分のパジャマの着崩れを直した。
シンジは窓の方が眩しいのか、部屋の中、つまりレイの方を向いて寝ている。一定の周期を保った彼の寝息がレイの耳に入り、改めてシンジが寝ている事を認識する。
一、ニ分、いや、彼女にとってはもっと長い時間だっただろうか、足元に眠るシンジの顔を見つめた。彼女の心は軽い罪悪感と、言い表せない満足感に包まれる。やがてすぐにその満足感が別の感情に変わっていく。
………もっと近くで見てみたいな………
レイは周りを見渡した後、布団の上にぺたんと正座をした。座っただけで彼の寝顔が急に近づいた。彼の顔をまた見つめる。呼吸のために肩がわずかに上下している事もはっきり見て取れる。シンジの存在を感じ取れたような気がして、思わず顔が緩む。
………もうちょっと近くでも………いい……よね……。
「う…ん…」
ビクッ!!
ドキリ、としてレイは体を引く。シンジのかすかな声でさえ、レイの心臓には跳ね上がるほどの圧迫をもたらした。自分の鼓動が体全身に響いているような気がする。無意識のうちに喉が鳴る。その音でさえもシンジに聞かれているような気がして、ますます体を強張らせる。
………い、今起きちゃったらどうしよう………
それでもレイはシンジの顔を見続けた。
頬が上気して熱い。薄いパジャマの布地に汗の跡が滲み出る。
「すう………。」
やがて聞こえてきたのは先ほどと変わらない、ゆっくりとした寝息だった。
はあ……。
レイは安心して息をつく。
先程までばくばくいっていた心臓が治まっていくのを感じた。おかげで、彼女の心にも少しのゆとりが生まれる。
また、目の前のシンジを優しく見つめた。
心の中で、眠っているシンジに話しかける…。
………ぐっすり寝むっちゃって。私は碇君と同じ部屋ってだけで、すっごく緊張してるんだからね………
………わかってんのかなあ………私は碇君がいるから………。
その時、月が雲の後ろから姿を現し、外から入る光が強くなった。
驚いた。
それだけで彼の表情が変化したように見えたから。まるで自分に微笑みかけているかのように。
いつもの笑顔とはまた違う表情。一つ秘密を見つけたようでレイはうれしくなる。
そんな喜びと共に彼の顔を見つめていると、ふとした事に気付いた。
………わたしが外見こんなだからみんな気付かないけど、私と碇君の顔って少し似てる…。輪郭とか…目元とか…。
……女の子に似てる、なんて言われても碇君、うれしくない……かな。
……わたしはうれしいんだけど、ね。
月の光に照らされているシンジの寝顔が、なぜかとても綺麗に見えた。まだ幾分かの罪悪感が残ってはいたが、それ以上に、ある願望が彼女の心いっぱいに膨れ上がる。押え切れないほどに。
それを果たすため、彼女は自らの顔を近づける。
………お願い……起きないで………。
無意識のうちに唇を人差し指でなぞる。感じたものは、かすかな水気。確かな温もり。自分の心。
膝の上で、きゅっとこぶしを握り、息を止める。
彼女が望んだ唇の接触。初めてのコト。
……碇君………わたし………。
近づいてくる彼の唇。寝息の周期は変わらない。
距離が狭まり、もはや目を開けている必要が無くなったレイはゆっくりとそのまぶたを閉じる。
…………ゴメンネ、碇君…………………わたしが……碇君………と………
やがて彼女の願いは、
甘い罪悪感とシンジの吐息と共に、
静かに果たされた………。
「あら?眠そうね、レイ。」
朝食のパンを食べながらミサトがレイに言った。レイはパンにジャムを塗りながら、確かに眠そうに眼をこすっている。昨日と違って眠いのを隠す事ができなかった。
「え?そ、そんなことないですよ…。」
「眠れなかったの、綾波?」
「何か寝れないような事があったのかしらね〜レイには。」
アスカもパンをほおばり、薄ら笑いを浮かべながらレイを疑う。レイは何か後ろめたい気がして、顔を合わせないようにしながらアスカに答える。
「だから、なんにもないわよ、何疑ってんの、アスカ!」
「ま、べっつにいいけど〜。」
まだアスカは薄ら笑いを浮かべていた。
「あ、そうだ。私今日仕事が随分残っていて、今日の練習にはちょっち付きあえそうにないのよね。今日はレイ、頼んじゃっていい?」
ミサトがレイに言った。今回のケースは使徒の再活動時刻がほぼわかっている、という例外的な事態だったので、それまでに作戦課としてもできる事がたくさんあったのだ。
「え?いいですよ。まっかせてくださいっ。」
「なんでそんな事レイに頼むのよ!!」
「二人だけじゃ心配だからに決まってんじゃな〜い。」
「信用ないんだなぁ…」
使徒の攻撃が明日に迫っているというのもあり、一日中通して訓練は続いた。時折アスカのペースにシンジの体力が持たないような場面もあったのだが、レイがしっかりフォローする。
レイとシンジがやった時のような自然さはなかったが、隅々までしっかりと練られたユニゾンが完成していった。
「それじゃ、ラストいくわよ!!ちゃんと付いてきなさいよ、シンジ!!」
「オッケイ、わかったよ。」
終日トレーニングは続き、そろそろ日も傾きかけているような時間になってしまったが、しっかりと結果は出た。アスカがシンジに合わせるようになっていくと、ユニゾンも綺麗にまとまってきて順調に進んだ。もう、仕上げの段階である。
「頑張ってよ、二人とも!!」
「スタートッ!!」
合図と共に音楽がかかり、ユニゾンが始まった。
「リツコ、そっちは終わった?」
「何しに来たのよ、ミサト。あなたも仕事、残ってるんでしょ?」
NERV本部のリツコの研究室にミサトが訪れた。リツコはというと、ミサトの方も見ずにパソコン端末に向かっている。カタカタ、というテンポの良い音がその部屋中に響いていた。手元に置いたコーヒーもすっかり冷めているようだった。
「そんなに煮詰めてやっても仕方ないのよん。頭がすっきりしている時に働いた方が効率もいいんだから。」
リツコは、ふうとため息を一つつくと、それまで酷使していたみずからの指を止めた。冷めたコーヒーを捨て、暖かいコーヒーを入れる用意を始める。ミサトはそんなリツコを見ながら、机にもたれかかっている。
「それで…あの子達のユニゾンは上手くいってるの?いくら私達が頑張ったってあの子達が上手くやってくれないとどうしようもないのよ。」
「それは大丈夫よ〜、レイが見てくれてるんだから。もう多分完成してるとこよ。」
「あなたそんなことレイに頼んでんの?呆れた…。」
そう言いながらリツコは出来上がったコーヒーをミサトに渡し、自分もコーヒーを飲む。
「いいのよ、あの子ああ見えて面倒見いいんだから。レイとはリツコの方が長いんだから知ってんでしょ?」
「そうね………確かに優しくて、とても良い子よ……。」
「?」
リツコの何かを含んだような表情にミサトが少しいぶかしんだ。
しかし、その時研究室のドアが開いた。
「よう、りっちゃん、そろそろ夕食でも一緒にどうだい?…って葛城もいるじゃないか。」
加持が相変わらずの笑顔と共に、部屋に入ってきた。ミサトはそれに反応して、きっとそちらにきつい視線を向ける。
「あ〜ん〜た〜、何しに来たのよ!!」
「いやあ、マヤちゃんに言づてを頼まれちゃってさ。」
「嘘おっしゃい!!今、思いっきり夕食に誘ってたじゃない!!」
「何なら、葛城も一緒に行くか?俺はいっこうに構わないぜ?」
「だ〜れが、あんたなんかと!!」
「ちょっと二人ともその辺でやめてちょうだい。…で、何なの、マヤからの言づてって。」
「ああ、例の物が出来上がったからちょっと見に来てくださいって。」
「そう、思ったより早かったのね。わかったわ。二人は食堂で夕食を楽しんでて良いわよ。」
リツコは飲みかけのコーヒーを一気に飲んでしまうと、カップを置いてドアの方に向かった。
「リツコ」
「そうか、残念だが仕方ないな。じゃ、せっかくリっちゃんもああ言ってくれてるんだし、行こうか、葛城。」
そう言いながらミサトの腕を取る。
「ちょっと、何すんのよ!!」
「ほら、早く行かないと混んじまうぞ、この時間人多いんだから。」
「……むううっ、ちゃんとおごんのよっ!!」
「へいへい。」
音楽が止まり、二人のユニゾンも終わりを迎える。アスカは満足げにふう、と息を吐くと、レイの方に向き直った。腰に手を当てながら自信満々のポーズでレイに言う。
「どうっ!!レイ!!」
「完璧よ、アスカ、碇君。これなら明日も上手くいくわ!」
「良かった…。」
シンジも、ほっとして肩を落とした。久しぶりの満足感に包まれたような気がした。
再びそのマンションにも夜が来る。昨日と違い、その部屋には三人しかいない。
シンジはアスカに、
「今日はミサトがいないんだから、スケベシンジは向こうで寝なさい!!」
などと言われ、無理矢理リビングの奥にある部屋に寝かされる事になった。レイとアスカはリビングに寝ている。ここに来て、今まであまり良く寝れていなかったレイだったが、今日はシンジと別の部屋だったからだろうか、ぐっすり眠る事ができた。
シンジはなんとなく眠れなくて、トイレに立った。アスカが起きていたら何か言われそうだったのだが、幸いにして彼女は寝ているようだった。ほっ、と一安心してリビングを抜け、トイレに向かう。
用も足して、寝ていた部屋に戻ろうとした時、すやすやと寝ているレイの顔がシンジの目に入った。リビングにはクーラーの音が定期的に響いていが、やはり静かな事に代わりはない。その静かな部屋に、シンジは自分の喉の音が響いた気がした。温度が上がっているように思えるのは気のせいだろうか。
少しの間、彼はその部屋にとどまって………。
「目標は、強羅絶対防衛線を突破。依然進行中。」
発令所に青葉シゲルの声が響いた。
活動開始時間をほぼ予測できていたので、発令所には冬月以下、総員戦闘配置済みである。ミサトはメインディスプレイの前で指揮を執り、その後ろにレイが心配そうにディスプレイを見つめる。ミサトの斜め後ろに加持の姿もあった。
「来たわね。今度は抜かりないわよ。」
ミサトは腕を組みながら映し出される使徒の姿を見据える。レイは不安で思わず手を胸の前に組んでいる。ディスプレイの映像が変わり、エントリープラグ内のアスカとシンジをとらえた。
「音楽スタートと同時にATフィールドを展開。後は作戦通りに。いいわね。」
「「了解!!」」
二人はユニゾンで答えた。
「いいわね、最初から手加減無し、フル稼動で行くわよ!!」
「わかってるよ、62秒でけりをつける。」
「二人とも、頑張ってよ……!!」
「大丈夫だよ、綾波。練習の成果を見せてあげるよ。」
その言葉を聞くと、レイの組んだ手に力が込められた。
「発進」
ミサトが小さな声で、しかしはっきりと作戦の開始を告げた。同時に三人の耳に既に聞きなれた音楽が流れ始めた。
エヴァンゲリオン初号機と弐号機がリフトアップされ、その巨体が、使徒イスラフェル目前の上空に舞った。
軽い。動きが軽い。エヴァに乗っている時にこんなに心地よく思ったのは初めてじゃないかな。やらなきゃいけないことはもう体に染み付いてるんだ。迷わなくていい。
二機のエヴァがスマッシュホークを上空からイスラフェルに向かって突き刺し、二本のスマッシュホークがその体を貫いた。イスラフェルはたまらず分離する。それも既に計算範囲内だ。
そっちが分離したってこっちが同時に攻撃できればいいってことでしょ!!ぬかりはないのよ!!特訓のおかげで、こっちの攻撃は初めから乱れちゃいないわ!!
初号機はパレットガンを、弐号機はポジトロンライフルを手に取る。武器は違うがタイミングはまったく同じだった。二体のイスラフェルに向かってそれぞれ連射する。そこに集まる攻撃はまだ乱れない。しかしイスラフェルも反撃し、コアの部分から光線を放つ。二機共にその攻撃をかわす。
アスカ、碇君、敵の攻撃だってタイミングはそろっているの。なら、よけやすいはずよ。二人が同じ行動を続ける限り、敵は同じ攻撃をするはず。あれほど練習したんだから。難しい事ではないはずよ。絶対ユニゾンを壊さないで…。
使徒の攻撃を後方に下がりながらかわす二機のエヴァ。かわすタイミングもまだぴったりだ。やがて二機同時に足元のスイッチを踏み、防御壁がその前に現れた。それを盾にしながら、二機のエヴァは射撃を続ける。イスラフェルはその攻撃を飛び越え、そのまま爪を使ってエヴァを縦に切り裂こうとした。二機とも、まったく同じタイミングで左右に飛びのく。
「ちっ!!援護射撃!!撃てるのは全部撃ち尽くして!!少しでも良いから時間を稼ぐのよっ!!」
ミサトの命令が下ると、この戦いのために用意してあった、ありったけの砲台からミサイルが発射される。雨のように降り注ぐその攻撃に、使徒の動きが止まった。
ナイス、ミサト!!たまにはいい事するじゃない、使徒の攻撃が完全に止まった今なら!!
接近戦を仕掛けられる!!間違いなくアスカも同じようにする!!
二人とも、今しかないっ!!同時に攻撃すれば、接近戦が一番効くはず!!
動きの止まった使徒に対し、二機のエヴァが急接近する。
まったく同じタイミングでコアに向かってアッパーカット、踵落し。
激しいエヴァの攻撃にイスラフェルは宙に浮き、そこで再びその体を一体化させる。
「「「今だ!!」」」
エヴァはその跳躍力をめいっぱい使って天空に舞う。二つの巨体が太陽に重なった。
「「いっけえぇぇぇぇぇぇぇっ!!」」
そのエヴァの雄姿を見て、発令所の面々は自分達の勝利を確信する。
レイの組まれたその手に一層力が入った。
空中で反転し、落下の勢いを利用して、二機のエヴァから一体の使徒に飛び蹴りがくわえられる。
それはイスラフェルのコアを完全に捕らえた。
その蹴りの勢いで、イスラフェルの巨体は大地をえぐっていく。
残り時間、00:00。
まさにその時、イスラフェルは最後の大爆発を起こして絶命した。
「エヴァ両機、確認」
凄まじい爆風にまみれて、まだディスプレイにはその姿が映ってこない。エヴァのパターン信号だけがその生存を伝える。やがて、爆風がやみ、砂煙が落ち着いた。
見えてきたのは爆発の中心地で、もつれるように倒れている初号機と弐号機。
「あっちゃ〜。」「無様ね。」
ミサトとリツコがつぶやいた。どうやら最後だけタイミングがずれたようである。
「ありゃ、格好悪い。」
レイも組んでいた手を放すと、吐息混じりにそう言った。力いっぱい握り締めていたため、手の甲に指の跡が赤くついている。それでも彼女は心底ほっとしていた。
しばらくすると、発令所にはいち早くプラグから出てしまい、有線回線で言い争っている二人の声が聞こえてきた…。
『ちょっと!!人の弐号機に何てことしてくれんのよ!!さっさとどきなさいよ!!』
『何言ってんだよ、そっちが乗りかかってきたんじゃないか!!』
『最後タイミングはずしたのあんたでしょ!!いつもぼけぼけっとしてるから肝心な時にこうなんのよ!!昨日の夜だって寝ないで何してたの!?』
『べ、別にいいだろ!!今日の戦いのための、イメージトレーニングだよ!!』
『はっ、嘘ばっかり!!寝てる隙にアタシの唇奪おうとしたくせに!!』
発令所中に聞こえているので、辺りから失笑が漏れてくる。ミサトは呆れたようにディスプレイを見ているし、リツコはもはやわれ関せず、と肩を竦めている。冬月に至っては頭を抱えていた。加持は興味深くうかがっていたが。
『ず、ずるいよ!!起きてたなんて!!』
『!!アンタホントにしたの!?冗談で言っただけなのに!!キスしたのね!!』
『ち、違うよ!!アスカにしたなんて言ってないじゃないか!!』
!?い、碇君、それどういう事!?
言うより早く、レイはシゲルのオペレーター席に行き、有線用のマイクを奪い取る。
「いっ、碇君!?今のどういう事!?」
『あ、あや、綾波!?い、いや、別に何でもないんだ。その…。』
『寝てる女のこの唇奪うなんてサイテーよ!!何考えてるんだか!!』
『ご、誤解だよ!!僕が誰に何したって言うのさ!!』
『はっ、大方、おとといレイがした事を、昨日アタシとレイのどっちかにしたんじゃないの!?』
レイとシンジの顔が真っ赤に染まる。
!?!?……あ、アスカ、もしかして見てたのっ!?………
「あ、アスカっ!!何でたらめ言ってんの!!」
『あ、綾波、それは……。』
「な、何でもないのよ碇君、アスカの言った事なんて信じちゃだめよ!!」
『はぁ〜、そんなこと言っていいのかしら、きれいさっぱり説明してあげちゃっても良いのよ!?』
「何を言うのよ、アスカ!!」
『え、え!?綾波、もしかして……。』
「ち、違うわよ!!い、碇君だってわたしが寝てる時に何かしたの!?」
『い、いや、別に僕は何も…』
『そうかしら〜、意外と前々から狙ってたんじゃないのっ、この変態は!!』
「ほ、本当にしたの!?碇君!!」
『ち、ちがうよ、僕は、別に……』
「………どもるのが怪しいっ。」
『し、信じてよ、綾波ぃ…』
わたしは碇君に……その……で……。
碇君は………わたしに何したの?
もうっ、昨日もちゃんと起きてれば良かったっ!!
Fin