冬月は、暗闇の中に立っていた 。

闇を削って生きてきた人間にとって、これはなんと不自然な事か。
人類の叡智が詰まっていると思われるこのNERV本部において、この闇は絶えず存在していたのだ。

しばしば、闇は死と隣り合わせに語られる。
いつの時も、それは人に恐怖をかきたてるものだった。
生物としての本能ともいうべきだろうか。

そして何より滑稽なことは、人類補完委員会という人類の行く末の為の組織が、好んで闇を利用した、という事だろうか。
冬月は、この暗闇に恐怖を感じなかった。
それは、おそらく目の前の机に座る碇ゲンドウにも同じことだったのだろう。

補完委員会のメンバーが、彼らを取り囲んでいた。


「四号機の事故、どう説明するつもりだね。」

「報告書の通り、原因不明です」

「いい加減にしたまえ、君はこれ以上補完計画を遅らせるつもりか。」

「S2機関のサンプルは失われましたが、データはドイツに残っています。問題ありません」

「君のその台詞も聞き飽きたな。君は我々の計画を推進する為にいるのだ。それができなければ、君もNERVも無用の長物に過ぎん。」

「さよう、君がシナリオを書く必要は無い。君にその権限はないのだよ。」


死海文書を写し変えただけだろうに、と、冬月は口の中で言葉を飲みこんだ。
補完委員会が彼らの目的のために行ってきた事など、何もない。
せいぜいNERVに対する圧迫を強めたり、予算を決めたりする程度だ。
冬月が彼らを恐れる理由はなかった。
計画の札の多くを手にしているのはNERVだ。委員会の態度には、焦りのようなものも見え隠れしていた。


「参号機が貴様の手に渡るのも、予定通りといった所か?碇ゲンドウ。」

「―――――――。」


目の前で黙っているゲンドウを見て、冬月は笑いを噛み殺した。
参号機が日本に来る事になったのは、ほとんど偶然と言っていい。
四号機とS2機関を失った事は、NERVにとっても損害であったのだ。
しかし、彼は黙っていた。否定もせず、肯定もせず。
それが相手にプレッシャーを与えると、知ってのことであろう。


「まぁ、いい。せいぜい参号機を上手く使う事だな。我々にとっても、戦力は必要だ。」

「君は目的遂行の為の駒に過ぎん。それを忘れてもらっては困る。」

「解かっています。全てはゼーレの思いのままに。」


ゲンドウの言葉の後、補完委員会のメンバーの姿は霧を払ったかのように消えた。
そこには暗闇のみが残される。
その中で、冬月もゲンドウもそのまま姿勢を崩さない。
やがて冬月が侮蔑を表した口調でゲンドウに話しかけた。


「相も変わらず催促ばかり、か。人類の代表が聞いて呆れる。」

「好きにさせるさ。S2機関は初号機にこそ、真に必要とする。四号機とサンプルの消失はたいした被害ではない。」

「その為のS2機関の研究ではなかったのか?まさか、命の実が天から降ってくるわけでもあるまい。むしろ、それを作り出す行為自体が、神をも恐れぬ行為というべきか。」


そう言って小さく冬月は笑った。
知恵の実を食べたヒトから、命の実を守る為にヒトを天界から追放した神。
それをヒトが作り出してしまおうというのは、確かに神をも恐れぬ行為というものであろう。
しかし、それは先の事故によって水泡と化した。
天罰が下った、と言わんばかりに。


「全て、我々の計画通りだ。問題はない。」

「……彼女たちの目覚めも近いか。」


二人の声は、暗闇の中へと融けていった。











そんな彼女の可能性 〜Regret in the sunset〜











「その頃、私は根府川におりまして……」

2時間目も終わりに近付き、今は、10時を回った所だ。

また思い出話に入ってしまった数学の老教師の話を、シンジは聞いていなかった。
ぼんやりと窓の外を見つめ、今度はちらり、と後ろに居るトウジを見る。
彼は考え事でもしているのだろうか、何処か遠くを見ているような目をしていた。

ここ数日、トウジの様子がおかしい。
確か、少し前、校長室に彼が呼び出された時からだろうか。
学校に来てから、ずっと今のような調子だ。
それに、今日の朝はアスカもおかしかった。
おかしかった、というのは言い過ぎかもしれないが、何か避けられている気がする。
悪い事でもしたのかな…、と考えてみても、思いつかなかった。

四号機の事故と、参号機の事をミサトに聞いたのは、今日の朝だった。
本当はケンスケから聞いて、その前日には知っていた事だった。
向こうから正式な事を言ってくれるかもしれない、と待っていたのだが、結局自分から問いただしたのだ。
それも、彼女が出張に出かける直前に。

ミサトさんはどうして黙っていようとしたんだろう。

彼が上の空で居ると、目の前の画面のアイコンが一つ点滅した。
はた、と気付いてチェックする。メールだ、誰からだろう。

差出人は洞木ヒカリ。珍しい事だった。
真面目な彼女がこうして授業中にメールをよこす事など、あまり無い。
退屈しがちなレイや、文句を並べるアスカの相手をした事はあったが。

教室を見まわして彼女の方を見ると、同じようにして自分の様子を探っていた。
普段しない事だから心配なのかな、とシンジは考えた。

内容は、だいたい今シンジが考えていた事と同じだった。

『アスカ、今日は不機嫌みたいだったけど、どうしたの?
家で何かあったの、昨日まではそんな事無かったわよ。
NERVで調子が悪かったの?』

などなど。

短くまとめられていたが、彼女なりに心配していたのだろう。
が、シンジにとってみれば、正直、自分から聞きたいくらいだった。
友達のヒカリなら、何か知っているかもしれない、と思っていたのだが。

メールの最後に、トウジの事を気にかける文も付け加えられていた。

『授業中に呆けているのはいつもの事だけど、休み時間にも時間無いわね。
今日はお昼ご飯買ってきてないよね。』

委員長、よく知ってるなぁ、とシンジは感心しながら読んだ。
昼ご飯のことをたずねられたのは何故か解からなかったが。

自分も解からない、という旨の返事を書いて出す。
ふと、反応をうかがって彼女を見ていると、やはり落胆した様子だった。

僕の知らなかったところで、何か起こっているのかな。
そう考えると、シンジはあまり良い心地はしなかった。
かやの外に追い出されているようだ。
どうしてみんな何も言ってくれないんだろう、言ってくれないと解からないのに……。

そんな事を考えていると、またメールが届いた。
差出人は、綾波レイ。
メールを開くと、つい、シンジはぷっ、と笑ってしまった。
いかにも彼女らしい文だったので。

『碇君、授業聞いてなかったでしょ〜。
でも、いっつもあんな事ばっかり話されたら、こっちも飽きちゃうよね〜。
真面目に数学の授業されても、わかんないから困るけど……』

で始まり、『昨日の宿題やってきた?』とか、『今週はもうシンクロテストないから楽よね!』とか、思いついた順に並べられたような、雑談調の文が綴られていた。
ヒカリのように、アスカやトウジを不思議がる文は書き添えられていなかった。

先ほどまでの退屈な気分とはうってかわって、シンジは気を良くしてレイに返事を出す。
返事を送った後、遠くから彼女のピースを貰ったのが少しうれしかった。















たしか、ここに来たと思ったんだけど。

レイは日差しの入らない、最上階の暗い廊下の行き止まりに立っていた。
目の前には、錆びた緑色の重そうな鉄のドアがある。
僅かに隙間があり、廊下に刺しこむ一筋の光がこれから行く場所の明るさを示していた。
レイは細腕に力を入れて目前のドアを押し、外への扉を開く。

そこには、突き当たりの柵に肘を預けて顔を乗せ、突っ立っている少年がいた。
普段、彼をこの時間にこの場所で見る事はほとんど無いだろう。
レイは彼が授業終了後に何処かへ行くのを見つけ、後ろからばれないように追ってきたのだ。

レイがドアを開けたことに、トウジは気付いていないようだった。
それほど音が立たなかったからだろうか。振り返りもしない。
背中を丸めて外を見ている彼に対しどう声をかけたらいいのだろうか。
話し掛けづらいな、と思ったが、それでも真後ろに立った。
今、彼と話しておかなければならない。なぜかレイはそう感じて、意を決した。


「す、鈴原くんっ!」


勢いをつけて話しかけたが、少し上擦ってしまったようだ。
なるべく動揺を隠したかったレイだったが、今のそれは、あまり成功とは言えないだろう。
ただ、ぼうっと外を見ていたトウジに、気付いた様子は見られなかったが。
彼はレイの方を振りかえって、小さな声で言った。


「なんや、綾波か。」

「元気、無いね。」

「せやなぁ。」


またトウジは外に顔を向けた。
晴天の多い日本の気候に洩れず、今日もよく晴れている。
数種のセミの鳴き声が、やけにレイの耳についた。
夏に止む事の無いざわめきが、二人の間の間を埋めている。
しかし、その中にあってトウジの声が、レイの耳に妙な存在感を示していた。


「わしの事、もう聞いとんねやろ?」

「うん、昨日、リツコ博士に聞いた。」

「そか。ま、そういう事や。で、何しに来たんや?」

「えっと…」


答えるレイの口振りに冴えは無かった。

自分は、彼に何を言いに来たのだろうか。
慰めに来たのか、アドバイスでもしに来たのか。
明日にでもトウジは松代に向かうのだろうが、起動試験の時の心構えでも言うつもりか。
レイは言葉が続けられずに、黙って彼の背中を見ていた。


「シンジの事が心配できたんやろ?気になってるんとちゃうんか?」


もしかして、見透かされちゃった!?

彼の言葉を聞いて、スイッチが切り替わるようにしてレイの顔が赤く染まった。
確かに、自分がトウジを気になって、こうやって話しているわけではない。
参号機に乗る彼よりも、彼の友人であるシンジの方を心配しているのは、はっきりとしていた。


「あ、そ、それは、えっと、その、」

「そうなんやろ?」

「う、うん」


否定もできずに、赤い顔でレイは頷くしかなかった。


「解かっとらんのは、シンジ本人くらいなもんやで。」

「え」


トウジの言葉に、レイはまた焦りを増す事になった。
一見鈍感そうに見えるトウジにさえ解かっていたという事は、他のクラスメートにも気付かれているだろう。隠すつもりはなかったのだが。
わ、わたしって、そんっなに解かりやすかったかなぁ?

レイが焦ってあたふたしていると、トウジは彼女から視線を外し、また柵の外へと顔を向けた。


「ま、妹はええ治療、受けられるさかい。」


彼は青空に向かって呟いた。
少し焦りで我を忘れかけたレイだが、ばつの悪さを覚えて自分を落ちつかせた。


「でも、いいの?」

「最後にはわしの決めたことやしな。シンジには、悪い事になってしもうたかもしれんが。」

「そうかも、しれないけど」


シンジがどういう反応をするのか、レイには解からなかった。
しかし、喜ばないんじゃないか、という事は確かだと思う。
彼が、エヴァのパイロットなんて他の人がやってくれればいい、と考えているなら、既に第3新東京市にはいないだろう。
まして、自分の友達がエヴァのパイロットになる事に、賛意を示すとは思えない。


「ねぇ、鈴原君は、エヴァのパイロットになりたい、って思う?」

「わしか?いや、なりたいっちゅう訳やないな。シンジがあの中で苦しんどるのを、見た事があるしな。怖さもあるわ。せやけど、いや、せやから、ここで逃げるんはシンジに悪い。」

「……。」

「自分や惣流かて、パイロットやってるわけやしな。」


すごいな、とレイは正直思った。
使徒がどういう物か知っていて、自分がエヴァパイロットになって訳ではなかった。
使徒と戦うまで、対使徒の訓練をして僅かな情報を得た所で、実際の戦闘の恐怖は解からなかった。
彼はそれを知って、エヴァに乗ろうとしている。
自分にそれができただろうか。


「碇君はどう思うかわからないけど、わたしは歓迎するから。」

「そうか?」

「歓迎って言うのも変だけどさ。アスカは、ああだし。誰も受け入れてくれないってのも、寂しいじゃない。それくらいしか、言ってあげられないけど。」


トウジはしばらく考えこむように下に見える校庭を眺めていたが、一つ大きく息をつくと、突然レイの方を振りかえった。
なんだろう、とレイは彼を見る。
彼は、口の端に笑みを浮かべて言った。


「ええヤツやな、自分。」

「な、何よ、急に。わたしは元々ええヤツよぉ?」

「せやったか?」

「あ、ひっどいな〜鈴原君ってばさ!」

「ははは、すまんなぁ。」

「ふっ、ふふっ。あははっ。」


トウジがおとぼけ気味にそういうので、レイもおかしくて笑ってしまった。
二人しかいない屋上に、笑い声が軽く響いた。


「碇くんには、わたしからも言ってみようと思うから。全然上手く言える自信はないけど。」

「おおきにな。」


トウジは小さな声で言った。
会話に満足して、教室へと帰るつもりでレイは踵を翻しかけたが、


「あ、そうだ。」


ふと思い立って、レイは改めて彼を呼んだ。

あの事、多分忘れてるんじゃないかな?
ダメよ、鈴原君。約束した事はきちんと守ってあげないと!


「なんや?まだ何か用か?」

「ヒカリ、お弁当作って待ってるんでしょ!行ってあげないと、ダメだよ。」

「オ、オゥ。」


口篭もった彼の言い方が、妙におかしかった。
今までちょっと大人っぽく見えたトウジが、急に少年に戻ってしまったようだ。
そのギャップがおかしくて、また笑いがこみ上げてくる。

やっぱ、照れてるのかな?
女の子に何かしてもらうの、慣れてる感じじゃないもんね、鈴原君。
ヒカリの気持ちなんて気付いてないかなぁ。


「じゃねっ。」

「ああ。」


それにしても、人の事には敏感な癖に、自分の事になるとダメなタイプが多いよね、男の子って。
人の事にも鈍感なのもいるけど。
ま、そんな人に限って好きになっちゃったり、するんだけどさ。














「三時間遅れで到着とは、ね。どう言うつもりなんだか。」

「仕方ないわよ、ここに持って来るのだって急だったんだから。」


ミサトとリツコが、地下の仮設ケイジに立っていた。
目前には、参号機の巨大なマスクが彼女たちを見つめている。
ミサトは天辺から足元まで、舐めるように参号機を眺め、腕を組んでリツコを見た。

米国から到着した参号機は、予定よりも三時間以上遅れての到着となった。
第2支部が消滅した後、追っ払うように日本に移した為、だいぶ輸送予定もずさんだったようだ。
途中、予定外の乱気流を通る事になった、という事情も聞いていた。


「ふ〜ん、弐号機に似ているのね。」

「マスク以外はそう変わらないわ。基本性能もほぼ同じ。弐号機が戦闘仕様の第一号だから、当然とも言えるわね。」

「そう、よかったわね。」

「気の無い返事ね…。」


リツコは手に持ったファイルと参号機本体を見比べるようにしていた。
話によると、彼女も直接を扱うのは初めてのようだった。
使徒が来る以前、初期段階の設計には関わっていたらしい。


「彼、今日中にはここに来るんでしょう?」

「そうね。妹さんにはもう言ったのかしらね。」

「彼女、明日にはNERVの病院に移されるわよ。」

「彼がここに来る変わりに、ね。」

「でも、シンジ君のときに比べれば、マシなんじゃない?」

「当たり前でしょ。」


ミサトはそう吐き捨てた。













病院の待合室で、トウジは腕を組み、目を瞑って椅子に座っていた。
彼の周りには他にも患者が居て診察を待っているため、騒がしかったのだが、トウジの耳には入っていていなかった。
妹が待つ病院で、トウジはまだ、決心がつかずにいた。

エヴァのパイロット、か。
あんときは、こんな事になるとは思わんかったで。

妹が怪我をし、シンジを殴った時の事を思い出していた。
エヴァが初めて戦闘をしたとき、彼の妹は怪我をした。
それを操っていたのは、初めて初号機に乗ったシンジだ。
直接的には、倒れた初号機が動いてシェルターが崩れ、中にいた彼の妹が巻き添いを食った。
それに納得の行かなかったトウジは、転入直後のシンジを殴ったのだ。

よう考えたら、あんときのシンジも今のわしとたいして変わらんかったのかもなぁ。
随分、悪い事をしてもうたんやな。

その時のシンジの表情の意味が、今更解かった気がした。
「僕だって、乗りたくて乗っているわけじゃないのに…。」という、シンジの台詞を思い出した。

何となく、解かる気もするわ。
また、詫び入れとかんとあかんな。

おそらく、妹は明日にもNERVの施設へと移されるだろう。
移転の理由も説明した方がいいだろう。
そうなると、自分がこれからする事を、彼女に告げる事になる。
まだ、彼は躊躇の中にあった。

エヴァの中のシンジは、苦しそうやったな。
そんなん解かってんのに、どうしてシンジはエヴァに乗ってるんやろか。
せやけど、ここで逃げたら後悔するやろなぁ。

トウジは顔の前で軽く拳を握り締め、じっと見つめた。

人を殴るんとは、訳が違うな…。
自分で乗っておいて、はい、それまで、いう事やないしな。
負けたら、わしの責任にもなる。戦って、死ぬいう事も考えられん事もないな。


「大丈夫ですか。」


暗い顔をしていたのが、周りからは調子が悪そうに見えたのだろうか。
いつのまにか隣に座っていた、若い女性がトウジに話しかけてきた。
まだ赤ん坊の子供を胸に抱っこしている。子供を病院に連れてきたのだろう。
どことなく、死んだ自分の母親に似ている顔立ちだった。


「いえ、妹が入院しとるんです。」

「そう、お見舞い……。妹思いなのね。」

「おとんも、おじんも、仕事が忙しゅうて。」

「やっぱり、NERVの方?」

「ま、そういう事です。仕事、いう事はわかってても、妹は少し可哀想、思うとるんです。」

「そうですか…。でも、あの人達の仕事がこの子の為でもあるわけですから。うちの夫も、いつもそう言ってますよ。生きていれば、怪我や病気は治せますからね…。」

「……。」


そういや、委員長にも姉と妹がいた、言うてたな。
わしがエヴァに乗る言うたら、委員長、何て言うやろ。
また、大きな声でどやされるんやろなぁ…。

今にも聞こえてきそうなヒカリの怒鳴り声を想像して、トウジは笑いが洩れた。
そして、彼は椅子から立ちあがった。

ほな、行くか。
どなられるだけ、マシなもんやで。


「子供さん、お大事にしてください。わしは妹に会ってきますわ。」

「そうですか、そちらもお大事に。」


そして、彼は妹の病室へ向かった。


















夕日傾く坂道に、1組の男女。
身長の何倍も引き伸ばされた影が、2人の足元からアスファルトの上に張りついていた。
ヒグラシの鳴き声をバックに、レイは暫しの下校を堪能する。
シンジとこうして二人きりで家路に向かうのは、しばらくぶりの事だった。
うきうきして軽くなる足取りを、なんとか抑えて歩いていた。


「ヒカリ、なんかアスカと用事があるって言ってたから。付き合ってもらって、迷惑だった?」

「ううん、そんな事ないよ。それより、綾波の方こそ、僕でよかったの?」

「もっちろん。碇君と下校できて、すっごくハッピーって感じかな。」

「は、はは。」


シンジの苦笑いとも、照れ笑いともつかぬ表情を見て、レイは少し不満だった。

もうっ、わたしは本気で言ってるんだけどな〜。
でも、これを碇くんに真剣に言う勇気は無いんだけど。
ま、こうして一緒に帰れるって事で、良しとしましょうか。
それに、この間家に来てくれるって言ってくれたしっ。

こうしてレイがシンジと下校をともにしているのは、アスカとヒカリがいないおかげでもあった。
当然家が同じであるシンジとアスカは登下校も多くが一緒だ。
学校からNERVへ直行する時などは、大概アスカとレイとシンジの3人で移動する。
普段はアスカが居ない時より、自分がいない時のほうが多いから、レイは少し損をしたような気分を味わっていた。


「ね、もしかして、ちょっと元気無い?」

「え?」


しばらく歩いた所で、突然シンジの横顔に向かってレイが言った。
口数が多いという訳ではないシンジだが、今日はいつにもまして無口なような。
シンジは暫し黙っていたが、やがてポツリと呟いた。


「トウジ、今日はちょっと様子がおかしかったような気がする。アスカもだけど。」

「そ、そうだった、かな?」


突然のシンジの言葉に、レイは上手く反応する事ができなかった。
確かに、自分が見ても学校での二人の態度はいつもとは明らかに違ったからだ。
やっぱり気付いちゃったか、とレイは苦笑した。

トウジは傍から見ているだけでも、確かに呆然としていた。
休み時間に静かにしている方が珍しい彼が、ただ席に座って宙を眺めていた。
突然チルドレンの話を告げられたとあれば当然かもしれない、とレイは思った。

アスカはどことなくシンジ達を避けているようだった。
いつものような軽口を言う訳でもなく、彼らに向かって怒鳴り声をぶつけていたわけでもない。
あまり接触しないようにしていたような、そんな様子だった。

レイがメールで彼等の事を触れなかったのは、わざとだった。


「綾波はさ、参号機の事知ってる?ミサトさん、今日から出張で家にいないんだけど。」

「う〜んっと。リツコ博士に聞いたよ。松代で実験やるって言ってた。」


レイは慎重に言葉を選んで言った。
シンジが何をどこまで知っているのか解からない。
自分がリツコに事の次第を告げられたようには、ミサトに教えられていないようだ。
考えがあっての上だろうか、それとも、ただ言いにくかっただけなのだろうか。
シンジがエヴァに乗る時からミサトは付き合っている事になるのだから、やはり言いにくかったのかもしれない。
レイはそう思った。


「ミサトさん、今日になるまで言ってくれなかったんだ。大切な事じゃ、なかったのかな。」

「でも、わたし達が心配したって仕方ない事じゃない。NERVに所属してるって言ったって、エヴァの操縦しかできないし、さ。」

「そりゃあ、そうなんだけど。ミサトさん、あんまり僕のこと信用してくれてないのかなって……。」


シンジの声は沈みがちで、語尾が消え入るように彼の口に飲みこまれて行った。
レイは正直意外だった。
NERVで2人を見たときには、至極上手くいっている様に見えたからだ。
「ミサトさん、今日晩御飯何がいいですか?」
「う〜ん、シンちゃんの好きなので良いわよ。」
「解かりました、じゃあ……。」
シンクロテストの後のそんな会話は、日常のように行われていた。
忙しい母親と、できのいい息子のようなやり取りを耳にする事はしばしばだった。
一人暮しのレイにとっては、少し羨ましい会話であった。


「それは、碇君心配性だから。言ったらすぐに不安がっちゃうでしょ?」


とにかく、励まさなきゃ。
レイは半ば義務感のような思いに駆られ、そう言った。


「碇君が暗い顔するの、見たくなかったんじゃないのかな、葛城さん。」

「そっか。そうなのかな。」

「だから、あんまり暗い顔しないでよね。せっかく一緒に帰ってるんだから!」

「う、うん。ゴメン、綾波。」

「よし、許してあげるっ。」


シンジの下を向いていた視線は意気を取り戻し、顔にも明るさが戻ってきたようだった。
そんな彼の顔を見ていると、自分も明るくなってくる気がする。
アスカは、よく「暗い」などと言っているが、そんな事ないとレイは思う。
昨日家に来てくれたシンジ。今、こうして自分の隣にいるシンジ。

しかし、レイはその明るいシンジの顔に、満足している訳にも行かなかった。

鈴原君の事、言った方がいいのかな。

それだけが、彼女の心に引っ掛かっていた。
シンジにこの事を黙っている、という事が罪悪感のような物になっている。
しかし、先ほどは、「わたしからも言ってみるから」などとトウジに宣言したが、いざ言うとなるとそう気軽には言い出せない。
もちろん、いずれは知ってしまうのだろうが、その時まで黙って待つべきだろうか。

いや、やっぱり言ってしまおう。

ミサトが帰ってくるのは数日後の事だろうし、トウジも起動実験に向かうはずだ。
ある程度、心構えができた方が良いかもしれない。

そうした方が、碇くんの為だもの。鈴原君のためにもきっとなる。
碇君、どう思うかわからないけど……。
でも、いい、はっきり言うのよ、解かった?レイ。

自分を言い聞かせ、レイは決意を固めた。
そしてシンジに向かって言った。


「あのね、碇く…「そうだ、綾波。」


レイが思い切って口を開いたその時、シンジがこちらを振り向いた。

振り向いた彼の顔を見た瞬間、熱の残る夕刻の中で彼女の時間が止まった。

シンジが、自分に微笑んでいる。
ただ、それだけだった。
しかし余りにも不意に襲ってきた彼の笑顔は、レイの四肢を固めてしまうのに充分過ぎるものだった。
見惚れている自分に気付く。しかし、目を外せない。
決意をしたはずなのに、一挙に萎えていく。
気丈に構えようとしたレイの心を、いとも簡単に融かしていった。


「今日、ミサトさんの代わりに加持さんが家に来るんだ。スイカ持ってきてくれるって言ってたから、これからうちに来ない?3人でスイカ一つは、ちょっと多いし。」

「えっ、え?」

「だから、スイカ。綾波、お肉以外は好き嫌いなかったよね。どう?」

「う、うん。行く。行かせてもらって、いいの?」

「もちろん。綾波だったら、いつでもいいよ。」

「ありがとっ、碇君っ!!」


そういうと、レイはいきなり飛びつくようにしてシンジの腕を抱きかかえた。
いつもみたいな、おちゃらけたスキンシップ。
わたしは、こうする度にどきどきしてるんだけどな。

でも、今しているのは、心の不安を消したいから、だけかもしれない。
……わたし……言えないよ……。


「ちよっ、ちょっと、綾波ぃぃぃ!?」

「い〜じゃない、こうしてたって。それとも、碇君はわたしと触るのなんて、ヤなの?」

「そ、そ、そうじゃないよ。」

「じゃ、こうしてようよっ。人通りも少ないし、さ。」

「でも、その、大袈裟じゃ」


ふ〜ん、碇君、女の子っぽいと思ったら腕の筋肉なんて、結構付いてるんだ。

抱え込んだ腕を感じて、ふとそんな事を思う。

最近は碇君の方が背も少し高いし。
でも、こんな気持ちでこんな事してちゃ、碇君に悪いな……。


「くぉらあ、そこの不純異性行為をしてる約二名!」


後から大声に呼ばれて振り返ってみると、そこにはアスカがいた。
ヒカリとの用事、終ったってことかしら。
かばんを片手に、呆れ顔でこちらにやってきた。しかたなく、抱えている腕をほどく。


「もう。アスカったら、こういう時は気をきかせて別の道から帰ってくれなきゃだめじゃない。」

「なんでアタシがあんた達のためにそんなことしなくちゃならないのよ。」

「…………………やきもちだ。」

「ばっ、馬鹿も休み休みいいなさいよね!チルドレンたるものが、世間様に恥ずかしいことして貰いたくなかっただけよ!」

「ホントかな〜、アスカってばさ、いつもいい時に限って出てきてさ。実は碇君の事―――」

「んなわけないでしょ!」

「あ、あの、2人ともその辺で……」


文句を言いながらも、三つの影はコンフォートマンションに向かって動いていった。


















レイはコンフォートマンションのベランダに立って、宵の口にうつろう景色を一人眺めていた。

地平線が橙色から紫色へと移り変わると共に、街はゆっくり夜の衣を身にまとう。
空には街を移し変えたような星の輝きが無数に広がる。
いや、人がそれを模倣して、地上の夜に光を燈したのだろうか。
そして、ほの見る三日月はビルに照りかえり。

綺麗、ね。

視界ににじむ白い斑点を見つめ、薄らと目を細める。
霞のように漂うぼやけた雲も、頬を撫でるだけのか弱い風も、彼女の心そのままに。


「何してるんだい、レイちゃん。」


声に呼ばれて振りかえると、加持が立ってレイを見ていた。
そのままレイの横に位置どり、隣に立った。


「何でもないです。あはは、ちょっと、青春しちゃってたかな〜。」


らしくない所を見られちゃったかしら、と思い、苦笑交じりにレイが言った。
加持はそのまま近付いて、レイの右隣に位置取ると、同じように街の景色を見つめた。


「いいぞ、青春を謳歌できるのも今のうちだけだからな。今出来る事は、今するのが一番さ。」

「あの、加持さん」


レイは思い詰めていた事を話そうと思い、加持に話しかけた。
彼なら、いい答えを教えてくれるかもしれない。
自然、レイの声のトーンが下がった。


「なんだい。」

「参号機のパイロットの事って、加持さん聞いてます?」


先ほどシンジにその事を言えなかった事が、レイの中でくすぶっていたのだ。
自分が言わなければならないという義務はない。
ただ、シンジに対して隠し事をしている、だけの事だったのだが。


「ああ、これでも一応、NERVの一員だからな。最近は職も怪しいが。」

「え?」

「いや、なんでもない。参号機のパイロット、鈴原トウジ君と言ったか。2度ほど会ったことがあったな。シンジ君の友達なんだろ。」


レイは口を開かず、小さく頷いた。


「こればかりは、俺も致し方ない。エヴァパイロットが誰にでもやれるなら、シンジ君やレイちゃんだってチルドレンには選ばれてないだろうし、な。」

「鈴原君の事、碇君はまだ知らないんです。葛城さんからもまだ聞いてないみたいだし。言った方がいいと思ったんだけど、わたし、碇くんに言えなくて……」


彼女の声はいつになくか細く、闇へと吸いこまれていった。
溜息をついて、肩を落とす。
わたし、後悔している、って事なのかな。でも、どうやって言ったらいいのか。

そのとき、レイの肩に軽く手が置かれた。
見ると、加持が自分に優しく微笑んでいる。それはまるで、兄のような笑顔だと感じた。
自分に、その存在はなかったが、兄が居るとすればこのようなのだろうか。


「レイちゃんがそんな事を気に病む必要は無いと思うな。本来言わなければいけないのは葛城の方だ。彼女がシンジ君に言いにくいのもわかるけどな。でも、レイちゃんはもっといいにくいんじゃないか?」

「えっ、どうして?」

「好きなんだろ、シンジ君の事が。」


また、見透かされちゃった……

次第に頬が熱くなる。視線が宙を泳ぐ。
心が浮ついて、あたふたしてくるのが自分でもわかった。
どうしてこんなに解かっちゃうんだろう、言った事なんてないはずなのに。

が、涼しくなってきた風のおかげだろうか。
心のどこかに返事をする余裕が生まれた。


「うん」

小さく、しかしはっきりとレイは言った。
納得するように加持は頷く。ほとんど確信を得ていたという事だったのだろうか。
わたしって、よっぽど解かりやすかったのね。


「なら、当然だ。シンジ君のために何かしてあげたいという気持ちも解かる。だが、君はシンジ君の母親じゃない。レイちゃんだって、シンジ君の母親になりたくはないだろ?」

「は、はい」

「何をするかは、レイちゃん次第だ。鈴原君の事を知ったとき、シンジ君がどう思うかは俺にもわからない。彼の事は彼にしかわからないからな。手助けする事はできても、乗り越えなければいけないのは彼自身だ。だが、たとえ君が言わなかったとしても、シンジ君はその事を君に責めたりしないと思う。」


レイはその加持の言葉を、かみ締めるように聞いていた。
碇くんの事は、碇くんにしかわからない、か。
確かに、プラグスーツ姿の鈴原君と対面する時、どう思うかは碇くん次第、ね。


「綾波ぃ〜!加持さ〜ん!夕飯できましたよ〜!」


ドアの向こうから、シンジが大声で叫んだ。
先ほどから作っていた夕食が出来たらしい。
加持はレイの肩を軽く押すようにして、ドアへと向かわせた。

「ほら、行こう。繰り返すが、気に病む必要は無い。親友に言える事が、恋人に言えない事だってあるさ。自分で考えてきめた事なら、それを責める資格は他の誰にも無い。」

「……はい。」

ドアを開けると、夕飯のいい匂いがレイの鼻腔を抜けていった。















しゃくっ、しゃくっ、しゃくっ、しゃくっ、しゃくっ。

この子、意外と食べるのね。
アスカはテレビの前でうつ伏せになりながら女性週刊誌を開いていた。
あまり着る機会の無いお洒落な洋服が雑誌の一面を飾っていた。

隣で、小気味のいい音が聞こえているのは、レイがスイカを食べる音だ。
夕食後に、加持の持ってきたスイカを食べている3人だったが、アスカは太るのを気にして控えめにしておいた。
加持は既に食べ終わって風呂に、シンジも食べ終わってノートパソコンに向かっている。
テレビでは、売れっ子の俳優が主演をしている安っぽい恋愛ドラマが流れていたが、誰もそれを見ているものはいないようだった。


「レイ、アンタそんなに食べていいの?太るわよ。」


アスカはレイの体形を十分知っていて、かなり痩せているのも解かってはいたが。
なんとなく、自分の目の前で次々とスイカを平らげるレイが気に食わなかっただけの事だった。
アタシだって、嫌いで食べない訳じゃないのに。


「ふぇ?ああ、ダイジョブでしょ、わたしって、痩せの大食いだし。」


白い頬っぺたに黒い種をくっ付けながら言う。

痩せの大食い、ね。
ミサトやアタシには天敵ってわけ。別に、アタシは太ってる訳じゃないけど。
ま、いいわ、スタイルじゃ勝ってるから。

自慢とも、いい訳とも付かない事を考えて、アスカは一人納得していた。


「アスカは食べないの?おいしいよぉ?これ。」

「別にいいわよっ。アンタにやるわ。」

「そ〜お〜?」


しゃくっ、しゃくっ、しゃくっ、しゃくっ、しゃくっ。

……わざとやってるんじゃないかしら、この子。

努めて気にしないようにしながら、アスカは雑誌に目を落とす。

年中夏の日本なので、夏のファッションに関してはある程度充実していた。
が、学校とNERVとの往復のような毎日では、それを着る事が少なかった。
ドイツにいたときはもう少しお洒落な格好できたのに、とも思っていた。


「ねぇ、アスカ。」


前触れも無く、シンジが声をかけた。
たいした事じゃないだろう、と思い、アスカは雑誌の洋服を見ながら答える。


「何?理科の宿題だったら、自分で解きなさいよ。」

「参号機って、誰が乗るのかな。」


しゃくっ、しゃくっ、しゃく

レイのスイカを食べる音が止まった。
部屋にはドラマの女優の声だけが響く。
アスカは雑誌の紙面から目を外し、シンジの方を向いた。


「アンタ、聞いてないの?」

「誰?」


アスカは、ちらりと目だけでレイを見る。
口元にスイカを持ったままだったレイも、同じように自分を見ていた。
目配せをするようにして、お互いを確認する。この様子じゃ、レイも言っていないって事ね。



「さて、ね。誰でもいいんじゃないの?」

「そんな、もしかしたら知り合いかも知れないじゃないか。」

「知り合いだからって、アタシ達がどうこうする事はできないでしょうに。止めさせるつもり?」

「別に、そんな事、ないけど」

「じゃあ、なるようにしかならないじゃない。そのうち、嫌でも知る事になるわよ。」

「う、うん。」


納得はしていないだろう、と思いながらアスカは視線を雑誌に戻した。
口を開くにも開けない、そんな気まずい雰囲気が場を包む。
ちょうどその時、加持がタオルで髪の毛を乾かしながら寝巻き姿でやってきた。


「いやぁ、いい湯だったな。ん、何か、雰囲気が暗いんじゃないか、3人とも。」


それを見ると、アスカは雑誌を閉じて立ちあがり、加持に向かって言う。


「別にそんなことないわ、加持さん。レイ、お風呂アタシが先に行くわよ。」

「うん、先に入っちゃって。わたしはいつも寝る前だからさ。」


ふたたび、しゃくっ、しゃくっ、という音がレイから聞こえてくる。
そして、アスカはバスタオルと着替えを手に持つと、お風呂場へと向かった。
















暗がりの中で、頭の上からアナログ時計が静かに時を刻んでいる。

時刻は10時半を回った所、寝るには少し早い時間だったが、葛城家の明かりはほとんどが消されていた。
知り合いが泊まりに来るとなれば、遅くまで起きていてもおかしくはないのだが、今日はそういう雰囲気ではなかった。
話し詰まりになる事も多かったため、加持の提案で早く寝ることになった。

広間ではシンジと加持が寝るため、レイはアスカの部屋に入れてもらっていた。
生地が薄黄緑色の、アスカから借りたパジャマを着ていた。
サイズが少々違ったため、少しぶかぶかだったのだが。

レイがアスカの部屋に入ったのは初めてだった。
物は多かったが飾り気が無い、というのが印象だった。
女の子らしいカーテンが付けられていたり、タレントのポスターが張られている訳ではない。
大きなタンスが部屋の隅に置かれているため、洋服はいっぱい持っているんだろうなとは思ったが。

アスカの部屋に入れてもらった事は、ちょっとした喜びでもあった。
少なくとも、友達とは思われているんだな、と確認できた。

レイは客用の布団を借りて、カーペットの上に敷いて横になっている。

ベッドの上のアスカは、まだ起きてるだろう。
電気を消してまだ10分くらいしか経っていないし、彼女の寝息も聞こえてこない。


「ね、アスカ、まだ起きてるよね。」

「ま、ね。」


寝るには早いから、少しくらい話しをしてもいいかな。
そう思ってレイは声をかけた。
いくつか、アスカに聞きたい事もある。
なぜか、暗いところで話す方が明るいもとで話すより、話し易いと感じた。


「碇君に、あの事言わなかったんだね。」

「アタシがいう事じゃないわよ。どうせ嫌がるんだと思うけど。」

「アスカは、嫌じゃないの?」


アスカは、エヴァパイロットとしての誇りがある。
訓練や作戦の時の態度を見れば、それくらいは解かった。
シンクロテストでシンジに抜かれたのを怒ったのも、それが理由だろう。


「嫌よ。あんなヤツでもエヴァパイロットになれるっていうのはね。」


やっぱり。レイには、予想できた答えだった。

しかし、それにしては反応が小さいような気がする。
常のアスカなら、もっと感情をあらわにしてもいいか、と思ったが。
そうならなかった事はレイの予想外の事であり、また、ほっとした事でもあった。


「でも、あんまり気にしてないんだ。」

「そういう訳じゃないわよ!誰にでも出きる事なんて、アタシはしてるつもりないもの。」

「じゃあ、なんでさっきは…」

「……アンタとシンジを見てると、時々わかんなくなるのよ。地球を守る、エリートパイロットだって言うのにね。」

「そ、そう?」


レイは、今のアスカの言葉が解からなかった。
エヴァパイロットとして真面目にやっていない事を指摘されたのかとも思ったが、アスカの口振りはそうでは無い気がする。
確かに、呆れているような話し方ではあったが、嫌味な色は入っていない。

意味を掴み切れないで入ると、続けてアスカが話しかけてくる。


「それとも、アンタはアタシがシンジに言ってやった方がよかった?」

「そ、それは」


そう言われると、レイは口篭もった。
自分が言いにくかったからといって、他の人に言って欲しい訳ではない。
加持のいう通り、ミサトに言ってもらうのが一番良いのかもしれない。


「アイツ、チルドレンって事があまり好きそうじゃないわね。」

「……解かんない。エヴァパイロットって事を、碇君がどう思ってるかなんて、わたしにはわかんないよ。あんまり好きじゃないのかな、とも思うし。でも、そうでもないのかな、とも思うし。」

「ほっといたら?なるようにしかならないわよ。」


一瞬、冷たいな、と感じたレイだったが、すぐにこれはアスカの思いやり、と考えなおした。
自分が心配しても仕方のないのは事実だ。
トウジが納得して引き受けたのだから、シンジのためにやめさせると言うのも筋違いな気がする。


「そうだね。友達同士だって、わたしとアスカみたいに、上手くいくかもしれないんだしね。」


軽い調子でレイは言う。


「しっ、知らないわよ!アタシ、もう寝るからね!!アンタもさっさと寝なさい!!」

「え?」

突然、ひときわ大きな声でアスカはそう言うと、掛け布団を手繰り寄せるとそっぽを向いてしまった。
レイは過剰なまでのアスカの反応に、驚いてしまった。


アスカ、どうしたんだろ、急に。わたしおかしな事言ったかな?

変なアスカ。















翌日、レイは葛城家からの登校となった。
どことなくぎこちなかったが、それでも普段一人で学校に来ているレイにとっては、シンジとアスカと共に登校する、というのは楽しかった。

学校にはヒカリがいつものように先に来ていて、レイは彼女と話した。
始業前の僅かの時間は、彼女達にとっても例外なく貴重な時間だった。
時間を余したシンジやアスカも一緒だったが、その朝、トウジの姿が見えなかった。
4人はレイの席に集まって話をしていた。


「鈴原、学校来るの遅いね。」


残念そうな色をありありと覗かせてヒカリが言う。
そりゃ、今日は来ないよね、実験の日だし、とレイは思っていたのだが、なるべく平静を装う事にした。


「まぁ、鈴原くんだって用事があるかもしれないんだし、そんなに残念がらなくてもいいじゃない。」

「べ、別に残念がってるってわけじゃなくて、その、お弁当、勿体無いかなって」

「あ、昨日のトウジのお弁当は、委員長が作ってきたんだ。トウジ、何度聞いても誰に貰ったか言ってくれなかったんだよね。」


シンジが初めてそれに気付いて言う。


「あっ」


レイはヒカリを見て、くす、と笑う。みるみるうちにヒカリの顔が赤くなっていった。
墓穴掘ったわね、ヒカリったら。どうせばれるんだから、隠す事ないのに。
碇君は気付いてないんだろうけどさ。


「あ、あの、碇君、他の人には、あんまり言わないでね?」

「え、どうして?お弁当作ってあげるくらいなら、いいんじゃないの?」

「アンタね…」「碇君……」


自然、レイとアスカの声がハモった。呆れた顔でシンジを見つめる。
余りの鈍感さに、レイは溜息しか出ない。
元々解かってはいたのだが、と思い直すのだが。


「ど、どうしたの?」

「ま、それなら、アスカにお弁当を作ってあげても許せるかな。」

「なんか腹立つわねぇ、それも。」

「ねぇ、2人ともなんの話をしてるのさ。」

「レイだってたまに作ってもらってるじゃない。」

「そう言われると納得できないよね〜。」


二人の話について行けず、シンジはぽかんとしているようだ。
優しいのはいいんだけどね、とレイは少し不満気味だった。

そんな話をしていると、ちょうど学校に着いた所だったのだろうか、鞄を持ったままケンスケが後から近付いてぽんとシンジの肩を叩いた。


「もう少し、相手の気持ちも察してやれよ、シンジ。」

「どういう事、ケンスケ。」

「それは自分で考えろよ、なぁ、綾波。」


トウジにばれていると知ったレイだったので、ケンスケが自分の気持を知っていることにはもう驚かなかった。
相田君の方が、まだ敏感そうね、とも思っていたが。
開き直っちゃえば、別に知られたって構わないもん。


「そーいう事。解かろうとしてくれなくっちゃ。」

「???」

「それはともかく、トウジまだ来てないか?家に寄ったんだけど、誰もいなかったんだよ。週番で早く来たのかと思ったんだが、来てないみたいだな。」

「鈴原、家にも居なかったの?」


ヒカリが不安げな顔を覗かせる。


「参号機の起動実験って、今日だったよな。ひょっとして、トウジのヤツ……」

「まさか、そんな事、ありえないよ。」


笑い飛ばすような調子で、シンジが言った。
レイはそんなシンジを見て、顔を曇らせる。
ちら、とアスカを見たが、アスカは感情を顔には出さなかったようだ。
せめて、起動実験が上手くいってね、とレイは祈るしかなかった。













「そろそろ来るわね、彼。」

「そうね。」

松代の第2実験場。
ミサトは覇気のない表情をしながら、リツコの後に立っていた。
周りにいる日本人は、リツコ一人だけ。
他に彼女の周りにいるのは、参号機の管理をしていた米国からのスタッフだった。
地下の仮設ケイジに置かれている参号機の準備は大体整っている。米国から送られてきた時点で、ほとんど稼動可能な状態まで整備されていた。細かい調整を今ここで行っている。
リツコは流麗な英語を操り、オペレータに、そして直接ケイジスタッフに指示を飛ばしていた。

「アメリカのスタッフもサボっている訳じゃなかったようね。大体マニュアル通りに調整されているわ。」

「完全にこちらの管理下にない物に対して、マニュアル通りとは聞いて呆れるわね。」


素気無くミサトは言った。朝から彼女はこの調子だ。
朝から、というより、このエヴァ参号機という物に対して、ミサトは興味を示していなかった。

たくさんの人が生き残るには必要な事、か。
大義のためになんて言葉は、使いたくないわ。


「彼が乗るのが不満なの?」

「満足はできないわね。」

「シンジ君に言うのが怖い?彼が反発するのは、目に見えてるから。」

「アンタとレイのようには行かないのよ。時々、シンジ君が何を考えているのか分からなくなるわ。エヴァパイロットである事が、重荷である事はよく分かってるしね。」

「私は、別にレイの事を分かっている訳じゃないわ。長く付き合っていても、私にあの子の気持ちはわからないわよ。」

「そう。」


じゃあ、リツコは配慮もせずに、鈴原くんの事をレイに告げたと言う事?
それとも、熟考したうえで、かしら。
レイのシンジ君に対する態度は、リツコでも分かっているでしょうからね。

その時、彼女たちの背後で、自動ドアが開く音がした。
振り向いたミサトの視線の先に、黒いプラグスーツを着た少年が立っていた。

無表情。
口は真一文字に閉められている。
特に、困惑も、緊張も見受けられない。覚悟を決めてきた、という事なのか。
普段の表情豊かな、明るい中学生であるトウジの姿を知っているだけに、ミサトは彼を見るのが痛々しかった。

シンジと同じ年齢にしては、身長が高いほうであろう。
見なれたチルドレンたちとは、少々様子が違う気がした。
いや、それはミサトの見方が違ったからか。
ミサトは何か声を掛けるべく、ドアの前に立つ彼のほうに近づいた。


「鈴原く…」「鈴原君、よく来たわね。」


話しかけようとした瞬間、リツコが事務的な声でそれを遮った。
自分を押しのけ、リツコは白衣を払ってトウジの前に進む。
呆気に取られて、二の句が告げない。


「これから、エヴァ参号機の起動実験に入るわ。あなたには、そのエントリープラグでエヴァとシンクロしてもらいます。もし成功すれば、そのままフォースチルドレンとして正式に登録される事になるわ。引き返すなら、今のうちよ。」

「構いません。わしはもう、やる、いうように決めたんです。」


自分の話し方とイントネーションが違う事はいつもの彼のままだが、ミサトはその言葉に固さを感じた。
私たちは、子供に何を強いているんだろう。


「そう、ならいいわ。じゃ、説明に入るわよ。」


リツコは手に持ったファイルをめくり、予定を確認しながら彼に言った。

説明はリツコによって、滞りなく進んでいった。
起動実験という事で、それほどたくさんするべき事があるわけではない。
起動が成功した場合はそのまま連動試験に移行する事。
そして、もしもの時の連絡系統などを彼に確認しているようだ。

そのリツコの冷静さに、ミサトは薄ら寒ささえ覚えた。
程なく、リツコは説明を終えた。


「――――説明は以上よ。質問はないかしら。」

「ないです。」

「そう、ならスタンバイ、頼むわよ。」


リツコはそう言うと、また後ろを振り返り、調整を進めていった。
迅速な彼女の動作に、ミサトは取り残される。
必然的に、トウジと向かい合う事になった。
目前にいたトウジはそのまま無表情を崩さず、ミサトのほうに軽く会釈をすると、振りかえってドアの方へと足を向けた。


「鈴原君!」


彼の後姿に、ミサトは声を投げかけた。
振り返るトウジ。
プラグスーツ姿の彼を見ていると、胸の奥から罪悪感がじわりとこみ上げて来るのを感じた。


「すまないわね、こんな事させて。」


彼の顔から目を背けながら、ミサトは小さくそう言った。
強く自分たちの非を謝罪するような真似はできない。
ただでさえ揺らぎがちだった心が、なおさら不安定になってしまう。
こうしないと仕方がない、仕方がないのは分かっているのだが…。


「そんなん、言わんといてくださいよ。」


今まで固かった彼の口調と違い、優しい話し方だった。
えっ、と、その声に誘われるように、ミサトは彼の顔を見る。


「NERVかて、誰でもよくてわしを選んだいう訳やないですよね。わししかできん事やから、わしを選んだんとちゃいますか?それなら、ミサトさんが謝ることちゃいますよ。」


そう言って、トウジは笑った。それは男子中学生の、14歳の笑顔ではなかった。
ミサトの目には、しっかりと決意を決めた、大人の男の笑い方に見えた。
一瞬だけ、成長した彼の姿を見た気がした。

再びトウジはミサトに会釈をすると、ドアに向かい、プシュ、と軽い音を立てて出入り口のドアが閉まる。


「優しい子ね、彼。」


作業だけを行っていたと思われたリツコだったが、今の話を聞いていたのだろうか。
ドアに向かって立ち尽くしているミサトの背中から声が掛かった。


「そうね。いい友達持ったわ、シンジ君。」


ミサトは、彼の去ったドアに向かって、頭を垂らして小さく礼をした。















「はぁっ、やっと終った〜。」


レイは席を立ち、大きく背伸びをしながら言った。
今日一日の授業が全て終り、ようやく放課後になったのだ。
学校に出るのでさえ、しばらくぶりだったレイは一日終えるのにも少し疲れてしまった。
活動的な子にとっては、ずっと席に座ったままというのは酷な事かもしれない。
他の子供達も同じようで、皆思い思いに余った元気を発散していた。


「じゃ、レイ、週番よろしくね!」


何かで頭をぽん、と軽く叩かれたと思うと、誰かにそう後から声を掛けられた。
叩いた物は週番日誌のようだ。
ヒカリは深緑の古臭い日誌を、はい、とレイの机の上に置いた。


「え〜っ、わたしひとり〜?」

「仕方ないじゃない、鈴原だって昨日までは一人だったんだから。」

「……うそ、ヒカリが手伝ってあげてたくせに。」


反撃、とばかりにレイはぼそりと言った。うっ、と案の定、顔を赤らめて反応するヒカリ。
余りに予想通りだったので、レイはおかしくなって笑ってしまった。

これさえあれば、しばらくからかえるわね、か〜わいいんだから、ヒカリってば!


「結構あざといよね〜、ヒカリ委員長も!」

「そ、それならレイだって碇君に手伝ってもらえばいいじゃない!」

「じゃ、そうするもん。いっかりく〜ん!!」


お〜い、と、レイは手を振ってシンジを呼んだ。
シンジは鞄を持ってケンスケと帰る所だったのだろうか、席にいて、二人が振り向いた。
ケンスケに肘で小突かれるようにしてから、シンジがこちらへ向かってきた。


「何?綾波。」

「週番の仕事あるんだけど……お願い、ちょっと手伝って!」

「うん、いいよ。でも、ケンスケが…」


と言ってシンジはケンスケを見たが、後姿で手を振りながら、帰って行くようだった。
彼なりに気を使ってくれたのであろう。

さっすが相田君、わかってる!
背中で密かにピースをして、後ろに居るヒカリにアピール。
これで、ついでに一緒に帰る口実も出来ちゃったもん。


「ったく……。じゃ、レイ、碇君、お願いね。サボっちゃダメよ。」

「はいはい、解かってますって。そんな勿体ない事、しないよ。」

「勿体ない事?」

「ああ、碇君は気にしなくていいの!こっちの話だから」


と、レイが言いかけた時、スカートのポケットにあった携帯がなった。
シンジも自分の電話か、と鞄を探る。
すると、レイのポケットからだけ出なく、シンジの鞄からも同様のコールがなっていた。

もしかして、と、暗に予想しながらレイは携帯電話を取り出す。




予想通り、それは非常召集だった。
使徒出現、至急NERVに来れし。

シンジもレイも、NERVに急行するための手段はよく知っている。
電話を切ると、二人は顔を見合わせた。


「綾波、非常召集!」

「う、うん、解かってる。ゴメン、ヒカリ、週番お願いできる?」

「NERVでしょ、仕方ないわ。それより、気をつけて、2人とも。」


こんな時に、敵襲?
嫌な予感がするんだけど……。



















「松代で事故!?」

初号機のエントリープラグで、シンジは血相を変えて叫んだ。

田園風景は巨大な夕日を受けて真っ赤に染まっている。
ヒグラシは物悲しい鳴き声を山麓に響かせ、電線には整列したかのようにカラスが並んでいた。
しかし、野辺山に訪れるはずの静かな日暮れは、今日だけは違っていた。
ありきたりな田舎に巨大なエヴァンゲリオンが三体配置され、地上一面を覆う黒く長い影がボディから引きずられている。送電線の先には非常用の電源が木々に隠されるように陳列していた。

シンジたちチルドレンが緊急に呼び出され、この野辺山に配置されたのは僅か数分前のことだ。
作戦に対する質問の時間も与えられなかった。あっという間にこの地まで輸送されてきたのだ。
シンジはここで初めて松代での事故の一端を知った。

松代で、参号機実験中の事故。
起動実験にはミサトも行動を共にしている。
おりしも、数日前にエヴァ四号機の事故と、アメリカ第2支部の消滅があった。
ということは、まさか、ミサトさんたちも同じような事故に巻き込まれたという事?

シンジの心は、みるみるうちに不安に蝕まれる事になった。


「ミサトさんは!?」

「まだ、連絡はないみたい。」


零号機から通信が入り、レイがそう告げた。
それを聞くと、ますますシンジは落ち着かなくなった。
こんな状態で、使徒と戦うの?ミサトさん抜きで。


「そんな、どうしよう。」

「なにグジグジ言ってんのよ!今アタシ等が心配したって、どうにもならないでしょう!?」

弐号機のアスカから叱りつけるような声がした。

「でも、使徒相手で僕達だけで、なんて、」


今まで、ミサト抜きに使徒と戦った事がない。しかし、今はミサトがいない。
シンジにとって、これほど不安な事はなかった。
戦闘中、彼が自分で意識決定して攻撃、撤退した事などない。よほど緊急の状態でなければ、ミサトからの指令を待つというのが鉄則だったからだ。
それを破り、説教を食らった事もある。
だが、戦闘に関して言えば、シンジは全面的にミサトを信頼していたのだ。


「大丈夫だよ、碇くん。何とかなるって!いまは、司令が直接指示を出す、っていうし。」


励ますようにレイが言う。
ミサトがいなければ、最高責任者のゲンドウが指示を出すというのは当然の事なのだろう。
が、ゲンドウが指示を取っているからといって、安心できる訳ではない。


「父さんが?」

「ほら、しゃんとしてよ!戦いには士気が大事だって、葛城さんいつも言ってたじゃない!」

「うん、わかってるよ」

「ホントに解かってる?」

「う、うん」

「む〜っ」


心の不安を消す事ができない。できれば、何かの間違いであってくれないものか。
少なくとも、ミサトが無事である、という知らせだけでも欲しかった。
今、僕はどうしたらいいんだろう。
父さんの指示に従って、使徒を倒す事ができるんだろうか。

彼の心に渦巻く不安を象徴するかのように、野辺山へと赤い太陽は落ちて行った。
















もう一人、不安を隠せない男がいた。
その男は発令所の下段中央にあって、彼の指定席となったオペレータ席に座り、NERVの制服に見を纏っていた。

日向マコトは作戦開始から、嫌な予感を身に感じていた。

松代での事故と同時に、エヴァ発進の命令。
そして、作戦担当責任者のミサトがいない事。

ただ、情報を多く知る事になっている立場上、ある程度の安全も彼は知っていた。
松代での事故の中心は、地下の仮設ケイジが主だった。その時間には第2実験場に居るはずのミサトは、幾分安全なはずだ。まだ連絡があったわけではないので、推測するしかないのだが。
しかし、その事故を起こした何かが今回の目標であるのはほぼ間違いがないだろう。
そして、それはエヴァ参号機自身ではないのか。


「おい、目標はあれじゃないのか?」


日向は横目で、右隣に居る青葉シゲルを見て、小さな声で話しかけた。
彼も不安があったのだろうか。
同じように目だけで日向の方を見返した。


「参号機、なんだろうな。照合パターンが青である事は確認されている。おそらく、エヴァを操っているのが使徒なんだろう。」

「しかし、参号機のパイロットは」

「シンジ君のクラスメート、じゃないの?」


日向の左隣から伊吹マヤの小さな声がした。
見ると、同じように不安そうな面持ちだった。


「男の子でしょ、シンジ君の友達なんじゃないの?」

「いつか、戦闘中にエヴァの中に逃げ込んだ子供達がいたろ?その時の一人らしい。シンジ君とも無関係とはおもえないが。」

「そんな、じゃあ、シンジ君は友達の乗っているエヴァと戦わなければいけないの?赤木先輩からもまだ連絡がないのに。」

「キツイな。」

「シンジ君、この事知ってるのかしら。」

「知ってると思うか?」

「思わない…。シンジ君、もし知ってたら初号機にだって乗らなさそうだもの」

「まして、葛城さんがいるわけでもないし、な」


日向がそう言った時、急に青葉はデスクに向かい直し、キーボードに向かって手を動かし始めた。状況の変化があったのか、と思い、日向も自分のデスクに向かい直す。
始まってしまうのだろうか。葛城さんや赤木博士がいないままで。


「野辺山で映像、捕らえました。主モニターにまわします。」


青葉がそう言うと、それまで三体のエヴァを捉えていた前方にある巨大なモニターの映像が映り変わり、野辺山へと映り変わった。

山の影からゆっくりとした動きで、黒いボディを持ったエヴァ参号機が巨体を表す。

その瞬間、発令所のあちらこちらから驚嘆の声が聞こえてきた。
エヴァと対峙する事への恐怖だろうか。エヴァの戦いを知っているスタッフ達は、最もその恐ろしさを知っていると言っていい。

日向は予想通りになってしまったしまった事に対し、唇を噛んだ。
やはり参号機。こちらはどう戦うべきだろうか。


「活動停止信号を発信。エントリープラグを強制射出。」


後上方から、ゲンドウの低い声がした。
これで駄目なら、フォースチルドレンを使徒の操るエヴァに取りこまれたままの戦闘になる。
3人のためにも、それは避けたい。
が、シンクロをしているのがフォースである事に変わりはないのなら、そう易々と使徒が手放すだろうか。


「駄目です!停止信号、及びプラグ排出コード、受けつけません!」


マヤの良く通る、しかし明らかに焦りを感じさせる声が、彼の望みを打ち砕く。


「パイロットは。」

「呼吸、心拍の反応はありますが、おそらく、意識はないと思われます。」


苦々しく、日向がゲンドウの問いに答える。
手元に映る参号機のデータは、パイロットが生きている事を示していた。
しかし、それは意識の有無についての保証ではない。
彼の状態を判別するデータは少なかったが、参号機がパイロットの制御下にないことだけははっきりとしていた。現状の悪さに、日向の眉が顰む。


「エヴァンゲリオン参号機は現時刻を持って破棄。目標を、第13使徒と識別する。」

「し、しかし!」


日向は背後のゲンドウを向き直ってそう漏らした。
これでは、最悪の事態になってしまう。
目標を使徒として殲滅する事は、フォースチルドレンの命を顧みないという事を示していた。
そして、それをシンジ君達がする事になってしまうのか。


「予定通り野辺山で戦線を展開。目標を、撃破しろ。」




















「目標、接近。」

「全機、地上戦用意。」

シンジのエントリープラグに、青葉と日向の声が順に届いた。
それまで、不安を抱きながらシートに座っていたシンジは、はっとして我に返る。
モニターの中に映っているのは、禍禍しいほどに赤く燃盛った太陽を背にした、見覚えのある巨大な影。

「使徒?これが使徒ですか?」

「そうだ。目標だ。」

発令所からゲンドウの短い返答があった。
確かに、照合パターンは青だ。
それまでの使徒であったなら、ゲンドウの言った事に疑問を抱かなかったであろう。
しかし、彼は今、瞳の中にある人型のシルエットを使徒と断定する事はできなかった。

「目標って、これは、エヴァじゃないか。」

弐号機とほとんど同じ頭部を持った黒い影が、陽炎にゆれながら徐々に大きくなる。
迫り来るその姿に彼は戸惑いを覚えた。
起動試験中の事故。僕や綾波が体験した物と同じなんだろうか。
という事は。

「人が、子供が乗ってるのかな。同い年の。」

「アンタ、まだそんな事言ってるの!!あの参号機にはね!!」

シンジの呟きに、弐号機のアスカから怒鳴り声が飛ぶ。
即座に彼はアスカの映っているはずのモニターを見た。

しかし、アスカがそのモニターに映っていたのは、ほんの一瞬だった。
弐号機から突然大きな衝撃音が響いたと思うと、焦りを表したアスカの顔が、灰色のノイズへと変わる。

「キャァァァアッ!!」

シンジの居る初号機に悲鳴を残し、彼女からの通信が切れた。
急に迫る危機をひしひしと身に感じながら、シンジはモニターに向かって叫んだ。

「アスカ?アスカっ!!」

シンジの悲痛な叫びに、アスカからの返答は無かった。
やられちゃったの、アスカ!
困惑したシンジは消えたはずのモニターを見つめる。
どうしよう、どうすれば良いんだ。

「シンジ、弐号機は不意をつかれて戦闘不能になった。零号機があと1:00で目標と接触する。至急援護に向かえ。」

発令所からゲンドウの声が聞こえた。映像はなく、音声だけだ。
その事が、逆に彼の耳に圧迫感を強めて入る。

「でも、子供が乗ってるんだろ。どうやって戦えって言うの!?」

「早く向かえ、零号機までやられたらお前一人で戦う事になるぞ!」

「くっ」

ゲンドウのいう事は彼にとって納得のできる事ではなかったが、零号機にも危険が迫っているというのは事実だった。シンジはディスプレイに映し出されている地図を見て、その場所を確認する。

「くそっ」

そして、また彼は焦燥感に見舞われた。明らかに間に合わない。

どれだけ急いでも、目標が零号機に接触するのが先だろう。
それに、接触した所で、レイは参号機と戦う事ができるのだろうか。
自分が間に合っても、参号機を殲滅しようとするだろうか。


「大丈夫よ、碇君。碇君が来るまでに、なんとかケリ、つけるから。」


零号機のエントリープラグから、レイの通信が入った。
シンジはその声が、やけにいらだっているように聞こえた。
それに、こんな事を言うのは彼女らしくない。
アスカとは対照的に、レイは比較的防御重視の戦い方をする。
トレーニングからそれを知っているシンジは、何故そんな事を彼女がいうのか解からなかった。
早く助けに来てね、なら、まだ解かるのだが。


「綾波?それって、どう言う事なの!」

「いいから!敵が来るから、通信、もう切るよ!」


どういう事なんだよ、さっきのアスカといい、今の綾波といい……。
参号機に、何かあるって言うの?
僕はどうすれば良いんだ…?


心の中の暗い雲を拭い去れないまま、シンジは零号機の入るポイントへと自機を進め始めた。

















零号機は、やや初号機よりも目標に近い位置で森の影に隠れ、戦闘準備を整えていた。
しゃがみながらパレットガンを構え、使徒が近付くのを待つ。
先程、アスカがやられたのを本部からの通信で聞いた。
うかつに近付けば、やられてしまうかもしれない。
操縦桿に滲む汗を少し気にしながら、レイはモニターを見つめる。

結局、碇くんには言えなかった。
でも、こうなる前に解かっていたなら、碇くん、どうしたかな。

あの時言っておけば。

でも、わたしにはできなかった。
こうなるって解かっていたとすれば、碇くんに言えた?

ううん、多分無理。

誰になんて言われたって、わたしはこうするしかできなかったのかもしれない。
わたしが言う事で、碇くんが悲しんだり苦しんだりするなんて、耐えられない。
多分、それって、自分が傷つきたくないだけ。
碇くんのためを思うなら、言うべきだったのかな。

……けど……でも……。


「レイ。近接戦闘を避け、目標を足止めしろ。今初号機を回す。」

「はい」


と、いう事は、それまでに仕留めないといけないのね。

発令所からのゲンドウの指令に、レイは小さく応えた。
モニターを見つめ、戦闘に備える。

やがて、身を隠している森の向こうから、漆黒の巨体がゆっくりと姿を現しはじめた。
手をだらりと垂らし、身体を支えるようなゆっくりとした足の踏みこみで歩く。
悪魔を具現化したようなその風貌を見ただけで、悪寒が走る。

レイは参号機が通りすぎるのを待ち、後姿にセンサーを合わせる。
決意を決めた強い瞳で、モニターの目標を鋭く見据えた。

やっぱり乗ってるんだ。
でも、ここで倒さないと、碇くんが倒さなくちゃいけなくなる。
それだけは!!

二の腕に力を入れ、彼女の白く細い指をトリガーに掛ける。

が、それを引かなければならないはずなのに、震えてばかりで思っている通りに人差し指が動かない。
固まりついたかのように、それを押し込む事ができなかった。
冷たい汗がプラグスーツに包まれた彼女の背中から噴出した。

どうして、わたしは躊躇しているの?撃たないと、いけないのにっ!!

決したはずの意が一瞬揺るぎ、彼女の意識に隙を生んだ。
はっと気を取りなおし、再び前方の敵に集中する。

いない!?

直前まで自分の目の前を歩いていたはずの参号機の姿が無い。
そんな、相手がいくら使徒で、エヴァ参号機でも、消えるなんて出きるはずがない。

「うっ!?」

瞬間、頭上からするどい重力を受けたと思うと、意識が回転した。
衝撃と共に、身体全体に強い圧迫が掛かった。直接、身体の中から負担が掛かってくるような。
神経接続で、エヴァのダメージが身体に伝わってしまっているのだろう。
圧迫に耐えながら、モニターをを見入ると、目前に参号機のマスクが迫っていた。

嘘、押さえつけられちゃったの!?

操縦桿を引いても、びくともしない。
それよりもまず、腕に力が入らない。これじゃ、どうしようもない。


「!?やあぁぁぁぁっっ!!!」


状況を打開できずにいると、突然左腕に鋭い痛みが走る。
うちから抉り取られるような刺激だ。
肉が裂け、別の何かが入りこんでくる感覚。


「う、ううううぅぅっ、いやあぁぁぁ!!」


モニターには、粘膜のような紫色の液をたらしている参号機が。
押さえた右手に、血管のようにもぞりと浮き上がってくる異物がある。
痛みで感覚が少しずつ鈍るが、それは次第に肩から首にまでやってくる。


「――――――」
「――――!?」
「―――――!」
「―――。」


その時、神経の軋みに耐えるレイの耳に、発令所から何かが聞こえた。
痛みで頭が麻痺しつつあったため、何を言っているのかまでは解からない。

指示を聞き逃しちゃったかな、と、僅かな意識の片隅で考える。
ゲンドウとマヤの声だった気がしたが。
しかし、今この時にも、レイの左手を激痛が蝕む。
2人の会話の答えは、すぐに出た。


「っっっ!?!?」


意識を吹き飛ばすほどの、激しい痛みがレイの左腕を襲った。
がくん、と肩から落ちる。
それまでの、徐々に神経を冒していく物とは、異質の痛み。
ただ、右手の感触で、左肩に入りこんだ異物が引いて行くのはわかる。
目に見えているはずの左腕が自分の肩についていない、そんな錯覚を覚えた。

「……ぁ……っ……く……。」

叫び上げる声も出ない。
目の前に、自分を見下すように立つ参号機、そして分断された零号機の左腕。
そうか、神経接続が残ったまま、左腕部を切り離したという事か。
が、既に身動きも取れない。このまま殺る気?

しかし、意に反して参号機は自分にとどめをさそうとはしなかった。
零号機が戦闘の意思を示さないのを見ると、あっさりその場を去る。

助かった、の?

レイは一瞬ほっとしたが、すぐにそれがなんの解決にもならないのを知った。

参号機を止められなかった。
初号機と戦わせる事になってしまった。

後悔の念が渦巻く。
神経を劈く鋭い痛み以上に、激しく心が締め上げられる。

碇君、戦わないだろうな。
ううん、戦えないんだよね。
絶対、碇君には戦わせちゃいけなかったのに。

ゴメン、碇君、わたし、解かってたのにできなかった。
こうなったらいけないって、解かってたのに。

激しく続く痛みに薄らいでいく意識の中で、彼女はそう思った。

「ゴメンね」

汗だくになったシートの上に小さく呟いて、彼女は目を瞑った。








FIN







masa-yukiさんのリナレイ版エヴァの11話、ついにフォース・チルドレン編の核心に……
最初の方の、青春ドラマのような明るさが、後半の陰鬱さを引き立てるような……
トウジの心理描写が多かったのは、彼の意志の固さを示すためでしょうか?
何か、かっこいいセリフまで吐いちゃってくれてるし(^_^;)
それにしても、今回の女性陣は、何もできませんでしたね。
そして次回は……どうなってしまうんでしょうか? 続きが知りたければ、是非感想を!

Written by masa-yuki thanx!
感想をmasa-yukiさん<HZD03036@nifty.ne.jp>へ……


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