『レジェンドオブレリアル』




『第一章』


1

 雪。天からの贈り物。天におわします神々が、下界の者に贈る小さな奇跡。
これほどにも完璧に美しく儚い物を人の手で作る事は出来ない。
 それは、実りの秋が過ぎ絶望に震える冬になると、空の彼方より静かに舞い落ち、冬が
寒さを堪え忍ぶ悲しみの季節ではなく、花咲く春を待ちわびる希望の季節である事を輝く
小さな結晶の一つ一つが告げていた。
 今や世界は希望の色に染まり、静かに春を待ち始めた。

 世界が白銀に染まる頃、一行はレプタリアンの村ですっかりくつろいでいた。
 レプタリアンとは、二本足で歩く知能を持ったトカゲである。頭と尻尾はトカゲそのも
ので、全身には厚く丈夫な鱗があり、ダガーぐらいなら易々と弾いてしまう。
 男女とも、身長2m、体重120kgあまり。長い間、その恐ろしげな外見と様々な理
由により、いわれの無い偏見の対象となったものの、生来の我慢強さにより、それを覆し
たたくましい種族である。現在でもまだ偏見は残っているが、この村のように人間の住み
にくい荒野等に集落を作って生活している。時々、集落を離れた者達を見かける事が出来
るが、それも少数で百人以上の集団は滅多にみられない。
 その村で一番大きく、高い屋形では、魔獣カトブレパスを倒した勇者達の無事の帰還を
祝っての祝賀会、つまり大宴会が行われていた。
「そんでねーわたしがカトラスで、ズババーッとカトブレパスの首を切り裂いて、とどめ
を刺したのよ。」
 自慢げに胸を張り、宴会の輪の中心にいるのは、フェイの義賊エルダマール。
 フェイは昆虫の様な羽を持つフェアリーに似た種族であるが、その違いはまず、大きさ
で、身長は80pもある。非常に珍しい種族で滅多にいない。また、短い時間ならその羽
で空も飛べる。性格はほとんどの者が陽気で、今も彼女は、茶目っ気たっぷりな魔獣退治
の一部始終を集まった村人相手に語っていた。
「スゲェ。」感心して聞いているのは金髪の重戦士ジオルだけだ。
 今彼は、戦斧を鶏の唐揚げ、楯はジョッキに持ち変えていた。
 彼が今、この村にいるたった一人の人間である。人間は世界の主要な六種族(人間、エ
ルフ、アーラエ、ドワーフ、フェアリー、ホビット)の中では最も数が多く支配的だ。
 ゴブリンやオークに比べると数は少ないが、世界を治めるには妥当であると、他の種族
に認められているためだ。繁殖力以上に特に優れている点はない。そのかわりに、大きな
欠点もないが。
 その他の村人は冷静に耳を傾けている。非常に論理的な思考をするレプタリアンにとっ
て、彼女の冒険談は矛盾に満ちたものだった。それとも、単にトカゲそのものの表情が読
み取りにくいだけだろうか。つまらなそうにしている。
「あぁーっ、信じてないなぁー。それじゃ、しょーこ見したげるねー。」
 あまりの反応の鈍さに彼女は演奏を始める。「展覧会の絵」と呼ばれる呪歌で聴く者に
幻影で情景を見せる事が出来る。
 現れた幻影は実に見事であった。死の魔獣カトブレパスの姿は一般的に一つ目の牛に似
ているといわれるが、全体のシルエットとしては耳の無い象と言うのが最も近い。
 象の鼻の様な首の先に巨大な雄牛の頭がついていてその目はただ一つ。その血走った目
には恐ろしい魔力があり、にらまれた者は、石と化す。吐き出す息は猛毒で近づく生き物
達を殺してしまうのだ。
 いまや、宴会場に現れた幻の魔獣は、普段は重すぎて引きずっている頭を高々と持ち上
げ、伝説的な視線を聴衆に浴びせるべく辺りをギロリと見回し、黒々とした息を雲の様に
振りまいていた。
 そして、情景は遠くなり、魔獣から離れた所に漆黒の鎧に身を固めた魔戦士と黒い翼を
広げて空を舞う魔術師が現れ、二人が同時に凶々しく節くれだった魔術の杖を天に振りか
ざし、彼方の魔獣へと向けると、恐ろしい程の破壊力を秘めた魔法の稲妻が二本、魔獣に
向かって放たれる。
 魔獣は叫び声の代わりに煙のような猛毒の息を吐き出し、自分を傷つけた者どもを石に
変えんとして一つ目の首をのばす。死の視線を避けるべく二人は左右に分かれ、その後ろ
から黄金の髪をなびかせた重戦士が、必殺の一撃を加えようと戦斧を振りかざして猛然と
駆け寄って行く。しかし、もはや闇の如く魔獣を取り巻いている猛毒を吸い込んだか、あ
と一歩の所、魔獣の目前で膝をつき、口から鮮血を吐く!
 戦士が魔獣の悪魔の如き一つ目でにらまれ、あわや石とならんとするその時、電光の素
早さで猛毒の雲を引き裂き、鮮やかな水色に光輝く羽を持った美しき一人のフェイが、重
戦士と魔獣との間に割って入る。
 恐怖の視線を軽々と右へ左へとかわして魔獣を翻弄し、鋭い反り身の刀を振りおろす。
 大地に降り立ち、刀を鞘に収めると、頭からまっ二つに一刀両断された魔獣カトブレパ
スは、ついに大地に沈んだ。
 そして、真っ赤な夕陽を背にして立つ、フェイのシルエット。
 その美しいエメラルドグリーンの瞳の輝きを残して、幻影は消えた。
 魔獣退治の様子を見事に表現されて、村人も拍手喝采し、アンコールの声がかかる。
「A・RI・GA・TO!みんな、大スキだよー!」
 額にかかるショートの髪をかきあげ、手を振り、満面の笑顔で拍手に答える。
 満足したエルダマールは、次の演奏にかかった。
「調子ブっこいてるわね、あの子。後ろで見てただけのくせに。」
 その様子を見ていたもう一人のフェイ、リリイナは不満を口にする。エルダマールより
も小柄で、服装も落ちついたクリーム色。セミロングの髪と瞳は鳶色。神の聖印、ホーリ
ーシンボルを、胸に下げているのを見ると、僧侶であることがわかる。
 繰り返すが、フェイという種族は、非常に珍しく、二人もいることは滅多にないはず。
 その時、
「後で呼び出して、殺ッちゃおうか。」
 彼女の不満を耳にした黒い翼を持つアーラエの魔術師、ソニアが、物騒な事を囁く。
「オゥ!」
 リリイナが力強く頷くと、
「あんたの方でしょ!調子に乗ってんのはっ!」
 ソニアの拳が小さなリリイナの胴体にいきなりヒットする。神が気紛れに創り出した

と伝説に言われるアーラエはなぜか、気紛れ者が多い。
「!!何故、私が・・・・・・」
 うずくまるリリイナを尻目に気の晴れたソニアはゆっくり果実酒を飲み干した。
「それでこれからどうするのさ。」
 親切な村人に酒を注いで貰ながら、彼女は隣の黒ずくめのハーフエルフに訊ねた。
「これを食う。」
 今、ランチスの前には丸焼きにしたブタの頭があり、たった今耳の辺りをむしり取った
ばかりであった。言うまでもなく豚の丸焼きは素晴らしい宴会の御馳走であり、最も美味
しい部分は当然主賓の彼らに与えられ、その量も他の村人に決して劣らない。巨体を誇る
レプタリアンの御馳走である。そして、出された食べ物を残すのは失礼を通り越して侮辱
行為にも当たる。彼は食べ続けた。
「そうじゃなくて、村を出てからのことだよ。」
 ソニアも自分の食事に手をつける。残った分はどうせジオルが食べる事になるのだが。
「この辺の怪物は殆ど倒した。とりあえず、ガラムの街へいく。一番近いし買い物もで

きるだろう。情報もほしい。」
「アテは?」
「ある。」もう一つの耳をむしりながら、答える。
「ん」
 軽くうなずきながら、ソニアは美味しそうな処を選んで御馳走にとりかかった。
「ほら、あんたもいつまでも寝てないで自分の分ちゃんと食べときな。」
 そう言って、自分のと彼女の分から、真っ黒く焼け焦げた部分だけを集めて、まだ倒れ
たままのリリイナの口の中に押し込む。
「ニガッ!ん〜っ!」
「せっかくの御馳走がもったいないだろ。食べな。」
 リリイナ鼻と口を押さえて縦にしぇいく!横にろーりん!とりあえずグッタリとしたと
ころで手を離し様子を見る。
「おいしいだろ?」
「ち、血の味がしますわ。」
「血の滴るようなステーキって言うでしょ。」
「気分が悪いので、先に休ませて頂きますわ。」
「気分が悪い?まさか酔っぱらったんじゃないよね、そういえば、二日酔いには迎え酒が
良く効くって。」
 リリイナの口元にコップを差し出す。
「い、いえ私お酒は結構です。」
 両手でコップを抑え、首を振って断る。
「なによー。あたしの酒が飲めねーってかー?」
「ソニアさん、もしかして酔ってらっしゃいます?」
「あたしが〜?」
 にっこりとするその目はすわっている。左右で色彩の違うその瞳はこういう時は神秘的
というよりもかえって薄気味が悪い。彼女がグイッとコップの酒を飲み干すと、そこへ親
切な村人が注ぎ足していた。それが何度繰り返されたのだろう。
 リリイナはとっさに助けを求めた。視線の先にジオルがいた。
「ジオル〜ソニアさんが酔っぱらっているの〜!」
「えぇ?酔っぱりゃってるってぇ〜このワイがぁ?まらまら〜楽勝!」
 こっちも顔が赤い。息が酒臭い。目がすわっている。到底、助けにはなりそうもない。
「いやぁーっ!ジオルさんまで!」
 他に助けを求める。ランチスか?エルダマールか?
「ああっランチス〜」
 ランチスはまだ食べていた。先ほどから黙々と一人で自らのノルマを達成するために。
『今、目の前にあるモノは全て自分が食べるのだ。食べてみせねば。』
「キャー!ランチスー!!」
『食い物が喋った。』まず彼はそう思った。なぜだか、それはリリイナに良く似ている。
『なんだリリイナじゃないか、これは食べられない。』彼は食べるのをやめ、手にしてい
たリリイナを放した。『我ながらいい判断力だ。』満足だった。
「今、私を食べようとしたわねー!」
「食べられないからやめた。」
 彼がそう言った時、スッと延びた褐色の手がフェイを後ろからひっ捕らえ、連れ去って
行った。
 それを見て、『もしかしたら、アレは食べられるのかも知れない。』果実酒を飲みなが
ら、そんな事を考えつつ、酔った彼は残りの御馳走に取り掛かった。
「ソニアさん、絶対酔ってます〜。」
 もはや、誰も助けにはならない。絶体絶命のピンチだった。リリイナはしっかりと握り
しめられて、幸せそうに長々と酒をあおるソニアを見ながらそう思う。
「ああっ神様!」
 その時、突然彼女に天恵が訪れた。ホーリーシンボルを掲げる。
「神よ、彼の者の体より不浄なるものをぬぐい去り賜え。」
 酒は過ぎれば体に毒。毒ならば、神の奇跡は起きるはず。
 そして、奇跡は起きた。
「あたしがこの程度で酔うワケ無いでしょ。」
 しらふに戻ったソニアは涼しげにそう言い放った。
「バタバタ騒いでないで、とっととメシ喰っちゃいな。」
 山の様な料理の前でリリイナは嘆息した。
「私、疲れましたので、先に休ませて頂きますわ。」
「疲れた?お酒は百薬の長っていってね、疲労回復に効果があるの。」
 ソニアはリリイナの口元にコップを再び近づけた。
「い、いえ私お酒は結構です。」
「なによー。あたしの酒が飲めねーってかー?」
 しらふの彼女の目は本気だった。
「じゃ、じゃあ、少しだけ。」
 酒をなめるようにチビチビと飲むリリイナに、ソニアが優しく声をかける。
「酒が入ると、肴がいるだろ?」
 そして、こんがりと焼け過ぎたモノをリリイナの口に押し込む。
「ニガッ!ん〜っ!」
 暴れるリリイナを押さえつけ、無理矢理飲み込ませる。グッタリとした彼女に、
「おいしいだろ?」
 そう言って、最高の笑顔を向けた。
 こうして、本格的な冬の訪れの前にして平和な夜は更けて行った。外では白い雪片が、
チラチラと楽しげに踊っていた。

2

 ラカン山脈の麓、二十一都市連合の首都クウィロ。現在、都市連合はロヲムフェラ帝国
と戦争状態にあった。
 都市連合の二十の都市は元々、帝国の一部であり、重要な鉱業生産を担っていたが、帝
国の政策においては、鉱山労働は犯罪者の処罰の代表的なものであり、鉱山夫であること
は一般の帝国人民にとって犯罪者とほぼ同義であった。又、鍛冶や金細工の職人などの大
半は、武器や金貨の製造の為に自由を奪われていた。
 一方、都市連合のあるラカン山脈には、ドワーフ達の王国があり、採鉱、精錬等の技術
を彼らの協力により、帝国最高の水準に高めていた。ドワーフにとって鉱山労働は母なる
大地からの恵みを受け取る聖なる儀式であり、犯罪者の処罰に使われるという事は、母な
る大地に対する侮辱行為でしかなかったし、尊敬される鍛冶屋が自由に旅もできず、奴隷
の様に働かされるのは許されることではなかった。
 ドワーフ達はこの帝国の政策に対して反発し、ラカン山脈周辺の二十の鉱業都市と共に
地位の向上と自由を求めて、立ち上がったのだ。
 帝国歴百九十五年、二十一都市連合の誕生である。
 帝国の貴族にとって最初それはドワーフ王国にそそのかされた犯罪者たちの反乱に過ぎ
なかった。宝石、貴金属、鉄や銅等の卑金属のもたらす富は、当然、犯罪者のものなどで
はなく、帝国政府が管理すべきものなのだ。技術者である鍛冶屋や細工師には、気ままな
旅など許される事ではなく、国の為には制限するのが、当たり前なのだ。
 こうして戦争が始まった。帝国は当初、その圧倒的な戦力によって反乱を抑えようとし
たが、ドワーフ達の協力と指導により最新の技術と最高の装備を揃えた連合の鎮圧は簡単
にはいかず、予想外の苦戦を強いられていた。
 この冬の訪れによって、一時的に戦闘は休戦状態に陥っていた。寒さと雪が兵士達の戦
意を低下させ、作戦を不可能にするのだ。
 そして此処クウィロでは、降着状態に陥った戦争に対して、新たなる変化をもたらすた
めに一人の老魔術師が命を賭けようとしていた。
「師よ、どうしても今夜になさいますか。」
 傍らに控える若い魔術師が問う。広々とした部屋には灰色のローブを着た彼ら二人以外
は、いなかった。
「やらねばなるまい。」
「ならば、私が、いや、他の者達にでも命じて頂ければ、喜んでやるでしょう。」
 若者の言葉には、軽い非難の調子があった。
「お前達はまだ若い。それにこれはワシの仕事だ。後の事は任せる。時間が無いのだ。お
前達には期待している。解っているな、帝国などドワーフ達に任せれば良い。我々はその
後の世界を破滅から救い出すのだ。その為に、ワシはお前達を育て上げたのだから。」
「はっ、しかし・・・」
 言葉を濁す。
「不安か?」
「いえ、決してそのような事はございません。ただ、師亡き後、ご命令に背く者もいるか
と。」
「それは仕方無い事よ。その様な野心の無い事では育てた甲斐がない。」
 一度、言葉を切り、続ける。
「計画なら、お主一人でも出来よう。他の者どもとて、計画には反対すまい。ただ主導権
を握りたいならば、それでよかろう。握らせてやれ。やるべき事さえ解っているならお前
達が少しぐらい自分の計画を加えるのは良い事だ。ワシ以上の計画が建てられれば、それ
でこそ、お前達に任せる意味もある。若い力が必要なのじゃ。これからはの。」
「はい。」
「あの、エイダスとか言う若造も使えるだろう。」
「はい。色々と玩具を持っております。」
「他の連中の気を逸らすには良いだろうな。」
「しかし、彼には・・・。」
「秘密の全てを知らせる事はない。自分で知る事が出来たなら、その時には同志として迎
えれば良い。お前達もそうだったろう。これからも、同じ事だ。利用出来る物は全て使う
ことだ。同志の数も自然に増えるだろう。ワシがお前達を育てたように。」
「判りました。」
「時間だ。下がって良いぞ。」
 老人は、きっぱりと会話の終了を告げる。若い魔術師は、丁重に一礼してから部屋から
退出した。
 部屋の中、一人きりになり、老人は自らの杖で広い床に複雑な魔法陣を描く。その間に
全神経を集中して、偉大な魔術を成功させるべく、準備を整えた。
 両手で杖を掲げ、呪文の言葉を杖より引き出す。心の中の具体的なイメージを呪文に加
えて整え、全身のありったけの力で魔力を織り込んでゆく。魔法は強力であるほど、失敗
しやすい。集めた魔力が多ければ多い程、コントロールできずに霧散するか、暴走する。
 不安定な力を細心の注意を払って安定させながら、限界まで高める。
「我が意志よ、現実となれ!」
 高らかな呪文と共に力を発動させる。大きなうねりが全世界に広がり、老人の叫びに、
大きく震えた。
「これで、一世代は稼げたか・・・」
 力無く呟く。強大な呪文はその発現と引換に彼の寿命を奪い、その命の炎は燃え尽きよ
うとしていた。
 そして突如として、圧倒的な存在が静かに室内に現れた。老魔術師は、残った意志と杖
で疲れ果てた体を支えながら、現れた存在をにらみつける。それは、圧倒的な存在感を別
にすれば、純白の輝くドレスを纏った長い黒髪の美しい女性であった。
「女神自らのお出迎えか。すると、ワシのした事は無駄だったのか?」
 女神は、ゆっくりと豊かな黒髪を否定的に振り、
「ちゃんとルールは変わっていますよ。貴方の望み通りね。」
 悲しげに告げる。
「では、罰を与えに来たか。だが、死は覚悟している。もう、十分に生きた。」
「ならば、勇敢なる者よ、褒美を受け取りなさい。くちづけを許します。」
 表情を硬くして、女神は白くしなやかな右手を差し出す。この世界を支配する、三柱の
神々の一柱、死と破壊を司る、女神アバスティア。その手に触れた者は一切存在を許され
ることは無い。死では無く、消滅の運命を目の前にして、
「我らがいつまでもゲームの駒でいると思うな!」
 老人は強く言い放つ。
「わかっています、安心なさい。残念ですが貴方は二度とゲームには参加しません。」
「残念?そうか・・・希望はあるのだな。」
 やさしい、教え諭す様な女神の言葉に、老人は口元に笑みを浮かべる。
「ええ、たとえ見えなくてもそれだけは、いつでも。」
 静かに微笑む。
「感謝する。」
 老人は恭しく、女神の指先にくちづけし、音もなく世界から消えた。
「名も残せぬとは、悲しいこと。」
 一言呟き、女神も消え去る。
 広々とした室内には、何一つ、無かった。

3

 ロムン山脈の麓にはその昔、コルン王国があり、それは黄金都市と呼ばれたコルンを中
心に、スワルド河の西側一帯を支配していた。王朝はロヲム火山の噴火とそれにより住処
を失った魔獣達によって滅ぼされた。以来、四百年間コルンは怪物達が支配する滅びの原
となった。様々な国や、ロヲムフェラ帝国もこの地に再び文明を築く事は、残念ながら出
来なかった。だが、伝説の都市の黄金を求めて数多くの冒険者達がこの荒れ地の奥深く入
ったが、生きて出られた幸運な者達は少ない。
 そのコルン荒原は、現在一面の雪景色。
 舞散る雪は吹きすさぶ冷たい北風に煽られて、降るというよりも、下から上へと巻き上
がっていた。雲は厚く、鉛色で僅かな光だけを通すのみだった。
 ガラムの街をめざす一行は、南へと向かっていたが、この天候に邪魔をされて、予定を
大幅に遅らせていた。
「さっぶー。」
 大きな荷物を背負い、白い息を吐きながら、寒さにぼやくだけの体力が残っているのは
ただ一人だけで後は全員、無言で雪原を歩き続けた。
「怪物の方がよっぽどマシやわ。」
 この雪が降り始めてからは、コルン荒原の怪物達は寒さに身を潜めるかのように現れな
くなっていた。
 重戦士ジオル・R・ニングスリーは退屈していた。さっきから彼がボケても誰も突っ込
まなくなっていた。独り言が多くなる。
 しばらくして、先頭を歩くハーフエルフの魔戦士は立ち止まり、辺りを見回した。視界
は雪のため見通しが悪く、遠くまでは見渡せない。
「ん?」
 アーラエの魔術師も立ち止まり、辺りに目を配る。怪しい気配はない。
「もうすぐ日が暮れる。この風だけでも避けられると良いのだが。」
 魔戦士は、まだ明るさの残る西の地平線を見ていた。
 日没の気配はまだ無いが、暗くなってからキャンプを張るのは余計な手間が掛かる。野
宿の用意をするなら、出来るだけ早く、歩き疲れてしまわない内に、最適な場所を探すの
が一番良い。だが、辺りにはそれらしい場所は見られなかった。
 魔術師の背中から、二人のフェイもヒョイと顔を出す。彼女の羽毛の下で風と寒さから
隠れていたのだ。アーラエの翼はこんな時にも役立つ。
「!!」
 髪の短い方が魔術師の黒髪を引き、小さな手で左前方を指さす。余程寒いのか、喋る気
はないらしい。
「エルダ、何か見つけたの?」
 もう一度左側を示す。
「なんか言いなさいよ。」
 魔術師はは髪を引く義賊の手を強く振り払い、彼女の示した方へ向かう。
 そこは都合良く北風を遮る丘で南側はちょっとした崖になっており、崖の下は比較的に
風が弱かった。
「良さそうね。」
 すぐに重戦士と魔戦士が、崖から少し離れたところにテントを張る。
「神よ、暖かな御心をお示し下さい。」
 僧侶が小さく唱える。
「ああっ神様!どうか、その暖かな御心をお示し下さい。」
 もう一度、強く唱えると、あたりの凍える程の寒さが無くなった。
「ふぅ。」
 大きく息をついた僧侶の額には、一筋の汗が光っていた。
 手際よく野営の準備が終わる。雪の中での野宿は魔術と奇跡によって、それは驚くほど
快適なものにかわる。光も熱も、飲み水や食べ物ですら、手にいれられるのだ。
 深夜、雪はすでにやみ、雲が晴れて月が出ていた。大きな満月の明かりが雪に反射して
大地が浮かび上がって見える。雪原はまるで砂糖衣のかかった菓子の様に輝いている。風
一つ無く、辺りには静寂が満ちていた。
 魔戦士は一人で見張りについていた。奇跡による結界もあり、怪物や肉食獣の襲撃はそ
れほど恐れる理由は無いが、ある個人的理由から真夜中の見張りについていた。
「うぇ〜ん、暗いよ〜、ママー、どこー?」
 この夜の静寂を破り、神経を逆なでするか細いすすり泣きの声は、魔戦士ではない。
 ピーターという子供の亡霊である。ある事件以来、母親に会わせる約束でずっと彼に取
り憑いている。これが彼の個人的事情の一つである。
「こうるさい餓鬼じゃのう。毎晩、毎晩。」
 このしわがれた低い声も魔戦士ではない。千二百年程昔の大魔術師エイダスがヘマタイ
ト製の頭蓋骨に、自分の知識と魂を封じ込めた魔法の品であり、百目巨人のアルゴスを倒
して奪い取った物である。ほとんど亡霊同然でもあり、やはり彼に取り憑いていると言っ
てもいい。
「母親には逢わせる。男なら泣くな。」
「ホント?」
「毎日、毎日、そればかりじゃ、少しは黙れ。」
「エイダス殿、お静かに。」
 夜泣きする子供と愚痴の多い老人の世話に追われる日々。ハーフエルフの魔戦士はなに
か得体の知れないモノに呪われていた。いや、好かれているのかも知れないが。他にも、
彼は、いつまでも血をジュクジュクと滲ませ続ける赤黒いユニコーンの角など、一見して
呪われているとしか思えない物を所有している。
 突然、真夜中の暗闇が明るく燃えた。それは、西から東へ南の空を赤く染め、大地に激
突した。すさまじい轟音と振動が伝わってくる。
「うわぁっ!なんじゃあ?」
 頭蓋骨がわめく。昔は大賢者とも呼ばれたらしいが、その威厳は既に無くなっている。
 臆病なピーターはもうとっくに姿を消していた。
 揺れがおさまると魔戦士はは立ち上がり、すぐに駆け出した。その頃、テントの中でも
目覚めた全員が、何事かと飛び出して来た。
「もぉー、朝ぁ?ねむい〜」
「一体、何?」
「なんですの?今のは。」
「敵かぁっ!?」
 下着姿に斧と楯を持って出てきた重戦士が辺りを見回す。
「先に行く。」
 魔戦士は一言だけ残して雪の中へ走り去った。南の空が燃えていた。
 全員、軽く身支度を済ませてから、急いでハーフエルフの後を追った。重戦士の身体を
張ったギャグは誰も気にしていない。
 しばらく走った魔戦士の前に、直径50m程のクレーターが現れる。
「隕石じゃな。」エイダスの頭蓋骨が言う。
「これか?それともあの全てか。」
 そのクレーターを前にして、彼は訊ねる。しかし、さらに南の地平線の辺りで明々と夜
空を照らす炎が遠く見えていた。そして、ここでも衝突の熱気で雪が溶け、クレーターの
底はモウモウと蒸気をあげる小さな泥沼になっていた。
「恐らくはそうじゃろ。」
 答はわかりきっていた。何が、「そうじゃろ。」なのか、あえて彼は質問せず、クレー
ターと地平線をただ眺めるだけだった。
「あれ、街の方やろ。」
 他の者もやってきていた。走ってきたのか、重戦士の額にはうっすら汗が浮かび、全身
からは、湯気まであがっている。
「わかんないね、暗くて。森かも知んない。」
 魔術師は遠く、地平線に目を凝らした。
「アーラエの鳥目ってのも、難儀やなぁ。」
 気楽に重戦士は言うが、誰も突っ込まない。
「どうしましょう。」
 誰ともなく呟く僧侶。眉を寄せて不安そうだ。自分達の手に届かない処で何かが起きて
いる。それも、とんでもない事が。
「何これ?」
「隕石だ。」
「流れ星が、あんなに?」
「ああ。」
「どないする?」
「戻る。ここでは何もできない。考えるだけ無駄だ。」
 魔戦士はそう言って、一人でキャンプへと引き返す。すぐ後から重戦士が追いかけ、声かける。
「見張り、変わるでぇ。」
「頼む、寝かせてもらう。」
 軽く頷き、足早にテントへ向かう。
「えっ?もう帰っちゃうの。今来たばっかなのに〜。あれ火事でしょ、ねー、ねー。」
 義賊が一人ダダをこねる中、皆、ゆっくりとキャンプへと戻って行った。
 魔術師は最後まで残り、黙ってクレーターを覗き込んでいたが、不機嫌に眉を上げて、
立ち去った。
「どないした、エルダ。」
 しばらくして、見張りに立っていた重戦士が気配に気付く。
「も少し、見てる。」
 静かにテントから出てきて、彼の肩の上に乗る。夜空を見上げ、
「あっ、また。きれい〜。」
 そう言って指した先には星空が瞬いているだけだった。
 そしてまた一つ、南の空で、流星が消えていく。

4

 深夜、ロヲムフェラ帝国中央部、ローン山脈上空5000m。
 星の降りそそぐ夜に、飛翔船ホーリーファルコン号は、突然の異常事態に陥っていた。
「どーなってるのよー!サンディ!」
 真っ暗な繰船室で叫んでいるのはフェイだった。
「舵がいう事利かないのよ、船長、何かに捕まってな!」
 舵輪を握って叫び返したのは、ジャイアント。彼女の大きな身体で、繰船室は一杯だっ
た。
「落ちるよ!浮力がない。」
「そんな!」
 フェイが悲鳴をあげると、ホーリーファルコン号はコントロールを失い雲の中へと落ち
ていった。
「ちきしょう!あがれ〜!」
 ジャイアントのサンディが全身の力を振り絞った時、失われた時と同様にコントロール
が突然戻ってきた。船室に明かりが点り、僅かに船体が浮き上がる。
「戻った!よし、」
「サンディ、前!」
 フェイが前方を指す。そこには、雲の上まである山脈の山肌がもう目前に迫っていた。
「このっ!」
 サンディの必死の繰船もむなしく、ホーリーファルコン号は、船体の下部を山脈の稜線
に接触させた。山頂の万年雪を吹き飛ばし、大きく跳ねながら、稜線を乗り越え、山腹を
ズルズルと滑っていった。
「うわっ!」
「きゃあぁぁぁー!」
 衝撃と悲鳴が続き、やがて、おさまる。ホーリーファルコン号は、不時着したのだ。
「船長?何とか生きてるよね。」
 サンディはぶつけた肩を撫でながら訊ねた。
「うん、何とか。一体何だったの?」
 フェイは乱れた髪と服を整えながら言った。
「船長が解らなけりゃ、私にゃさっぱりだよ。」
 首を振るサンディの答に、しばらく考えるフェイ。
「あっ、そうだ!みんな、生きてるぅ〜!。」
 フェイは伝声管を使う。すぐに、答が返ってくる。
「ディア!キャムが怪我をしてる。シュリーをよこして、」
「解ったわ、ジュディ。」
 次々と報告が入ってくる。重傷者が二名の他は、みな軽傷のようだった。船の外で見張
りが行方不明になっていたが、アーラエなので、あまり心配はなさそうだった。
「重傷者を医務室へ運んで、他のみんなは食堂へ集まって。」
 ディアは伝声管を閉じると、
「じゃ、食堂へ行きましょ。」
 そう言って、ひらりと飛んで先に部屋を出る。
「あいよ、船長。」
 大きなジャイアントは、小さなフェイに続いた。
 食堂には、他の乗組員がきていた。
「まだ来てないのは?」
 ディアは聞いた。
「エリアがスライアに付き添ってる。ジュディスとカールもまだ。」
 と、そこへ一人の女性が入ってくる。
「ジュディ、カールは?」
 ディアはその女性に聞く。
「怪我してたから、シュリーが看てる。他の二人も、医務室へ運んだ。」
 ディアはうなずいて、身体の割に大きな声を張り上げた。
「そう、じゃあみんないい?ママはリリィ達と船倉の被害を確認して、セーラ達アーラエ
はレイアの捜索に、後はサンディと一緒に船体の被害を確認して。ディアはここにいるか
ら報告して。ママ、後でシュリーとエリアを呼んで来て頂戴。」
 数時間後、ホーリーファルコン号の船長ディアは上級船員を集めていた。
「それじゃ、被害を報告して。ママから。」
「船倉は小物がとっ散らかってるだけで被害は殆ど無し。今、掃除をやらせてる。」
 そう言ったのは、ママと呼ばれた、年輩のドワーフ女性だった。
「船の方はどうなの、サンディ?」
「船体も雪がクッションになって、大きな損傷は無い。飛べるよ。」
「よかった〜。」
 サンディの言葉にほっとするディア。
「後はこの原因だけね。何があったの、サンディ?」
 こう訊ねたのは、黒髪のハーフエルフの女性。
「突然、暗くなったと思ったら浮力が無くなって、舵が利かなくなった。落っこちてすぐ
にコントロールは戻ったけど、その時には、もう山が目の前で、何とか墜落せずに済んだ
のは運が良かったんだ。」
「原因は?」
「さあ?船長がいて解らないんだよ、エリア。私にも解らないよ。」
 ジャイアントは首を振る。
「ディア?」
 エリアと呼ばれたハーフエルフは質問をフェイに向けた。
「ディアだって、わかんないよ〜。ホーリーファルコンは飛ぶように出来てるのよ、落ち
るなんて、全然思わなかったもの。だからみんなに集まってもらったんじゃない。魔法は
エリアの専門でしょ。」
 小さな船長は、まるで責任が無いかの様にすねた。
「レイアは、見張りしてて、何か気付いた事は無い?」
 エリアは仕方無く、他に質問した。
「ないわ。突然、風が強くなったと思ったら、雲の中よ。」
 質問されたアーラエの女性も首を振るだけだ。
「って事は要するに、アイテロン・ホールが働かなかったってこと?それじゃ飛べないじ
ゃない。」
 エリアは、原因と思われる物を口にした。アイテロン・ホールはこの船を飛行させる為
に、風の精霊に働きかける、アイテロンと言う精霊力の素が詰まっている。
「アイテロンが漏れたの?そんな事今まで一度もなかったのよ。」
 ディアは信じられないとばかりに大きな声を出す。
「今、アイテロン・ホールに異常はないよ。すぐにも飛べる。」
 サンディが、とりあえずディアを安心させる。
「ムートハ、ムートガ原因デハ無イト言ッテイル。」
 発言したのはレプタリアンである。トカゲ顔なので、発音にやや独特の訛りがある。
「シュリーそれ、アイテロン・ホールの故障じゃないってこと?」
 エリアは、シュリーに、聞き返す。
「ソウダ。」
 このシュリーに限らず、大抵のレプタリアンは原始的なムート教を信仰している。ムー
ト教では、神も精霊も区別無く、不思議な物事は全てムートの一言で済んでしまう。

 今彼女は、彼女の神に直接質問を行い、答えてもらう『ディビネーション』の奇跡を使
ったのだが、奇跡は口に出して願う必要がないので、彼女は結論だけ伝えたのだ。
「それに、船室の明かりはアイテロンとは関係ない。原因は別だよ。」
「うーん。スライアが目覚めるまで、原因究明はおあずけかな。」
 エリアは首をかしげている。スライアは、この船の精霊術師で、今は怪我の為に医務室
で寝ていた。アイテロンの専門家、つまりこの船の機関長である。
「スライアだって解るのかしら?精霊では無いのでしょう?」
「でも、他は何処にも異常なんて無いよ。今すぐだって飛べるんでしょ。」
「船は飛べるけど、原因がわからなけりゃまた、いつ落ちるか。」
「今度落ちても助かるかどうかわからないわよ。」
「こんな山の上でじっとしててもしょうがないでしょ。それに何度も落ちてたまるもんで
すか。大丈夫、この船は、最高の船なんだから!」
 ついに、難しい話に厭きたディアが話題を打ち切ろうとする。通称『フェアリー・モー
ド』、面倒な事は忘れて、気楽な方へ物事を移行する、ディアの必殺技である。
「それが落ちたから、心配してるんでしょう。」
 エリアがディアをたしなめるが、
「山の上じゃなければ、不時着せずに済んだのよ。ね〜、サンディ。」
 ディアは完全に『フェアリー・モード』になっている。こうなると、お菓子で釣る等し
ない限り、言う事は聞かないし、それでも役に立つ発言は絶対しない。
「原因が解るまで、低空飛行で行きましょ。とりあえず、オズまでいければ、調べがつく
かも知れないし。」
 エリアは、ため息を吐きながら、ディアに譲歩する。船長はディアであり、船の上では
船長の言う事は絶対、なのが船の掟である。
「予定が狂っちゃうわ。」
 ディアは、ぼやいた。
「スケジュールには余裕があるじゃない。」
「壊れた備品や修理代にいくら掛かると思ってるの?」
 両手で大きく円を作るようにして、その費用が安く無いことを表す。
「今度の仕事は帝国のだよ。皇帝からたっぷり報酬をふんだくりゃいいのさ。」
「それも、ディアの仕事なんだから。」
「ま、頑張りな、船長。」
「Boo!」
 ディアはむくれたが、全員が彼女に併せて、『フェアリー・モード』で反撃しているの
で、まるで効果はなかった。
 しばらくして、ホーリーファルコン号はゆっくりと、動きだした。

5

 「自由人の砦」そこをねぐらにする盗賊達はそう呼んでいた。
 ただ丸太を組んだだけの壁と、見張り櫓があるだけのその砦は、ガラムの町の北、オモ
ーラの森の外れ、コルン荒原の入り口に位置した。
 この場所には、帝国の目も届かない。そう気付いた勇気ある山賊達が、この場所にやっ
て来て砦を築いた。この辺りには、トロールやグリフォンがたまに出るぐらいで、後はゴ
ブリンやオークがせいぜいだった。
 やがて、帝国の鎖と怪物の牙を秤に掛けて、様々な犯罪者や逃亡者が集まる様になり、
それらを加えて徐々に、大きくなっていった。
 フェイの義賊エルダマールも、その中の一人だった。
 彼女の場合は逃げ込んだと言うよりも、各地を旅していて、偶然、砦に迷い込んだと言
う方が正しいようだったが。
「ただいまー!」
 砦が近づくと、大きな声で手を振りながら、彼女は門に向かって飛んで行った。
「おぉっ!生きてたかぁ、エルダ。他の連中も、無事らしいな。」
「あったりまえでしょ、無敵のエルダちゃんがついてるんだから。」
 大きく胸を張り、ガッツポーズを取る義賊。
「はいはい、お前に勝てる様な奴はいねえよ。自慢にゃならねえもんな。」
 見張りの一人とそんな会話をして、砦に迎えてもらう。
 いつの頃からか、砦は冒険者から金を取って比較的に安全な宿を提供していた。冒険者
を追い払うよりも、仲間の一員とみなす事で、砦の場所を、政府に知らせない事や、万が
一の場合の避難所としての宣伝にもなる。
 冒険者は時々犯罪に巻き込まれるし、実際、犯罪を、犯す事もある。
 ちなみに帝国では犯罪の刑罰が主に罰金で出される。算出法は色々とあるが、大体が被
害額の三倍が基本で、払えなければ、強制労働となる。これは、各種族間の倫理の違いな
どで起こるトラブルを、全て満足させる為の賠償金制度である。
 例えば食堂での食い逃げは一晩の皿洗いに相当する。皿洗いの仕事は一日で三食の食事
と小銭程度が残るので、食い逃げをするより、真面目に働いた方がまともに生活できるの
である。
 傷害の場合も医療費と生活費、裁判費用等の合計の三倍となる。全治二週間程度の軽い
怪我を負わせた場合でも、約三カ月以上の強制労働である。
 これが殺人となると、軽くて三十年、ほぼ無期懲役に近い。一生涯働いて、罰金を払い
続け、最悪の労働条件の中、平均して八年で病死すると言われている。
 一応死刑は無いのだが、罰金が金貨百枚を越えると、金持ちでもない限り、「死んだ方
がマシ。」と言われている。又、罰金の替わりに金貨一枚、鞭一つと言う地方もある。俗
に言う「百叩き」であるが、本当に百回も叩くと普通の人はそれだけで死んでしまう。
 特に金額の低い場合、公開で行われ、見せしめにされる。
 そんな訳で『有罪』の人物は大金を支払うか、大抵は逃げるのである。もし、後で捕ま
った場合、当然、捜査費用も罰金に三倍で加算されるのだが。
 罰金を払わずに済むのなら、砦の様な避難場所を一つは確保したいのは、人情と言うと
ころだろう。
「宿代は、稼げたのかい?」
 後から来た一行に、見張り役の一人が聞いてくる。
「リリイナ。」
 黒ずくめのハーフエルフの魔戦士は一言で済ます。
「確か、一人金貨一枚ですわよね?ジオルさん、おサイフを出して下さい。」
 フェイの僧侶がサイフから、金を払う。一行の所持金の大半は彼女が預かっている。他
のメンバーは、その日暮らしが出来る程度にしかこずかいを持たない。金には殆ど無頓着
な連中なのだ。サイフ自体はかなり重たいので重戦士が持っている。
「毎度。」
 愛想笑いをしながら、見張りは金を受け取る。
「やっぱり、高いと思うんですけれど。」
 僧侶は、一言呟く。
「いやなら、出てけ。」
 軽く受け返す見張り。
「いやというわけでは、ないんですけど。不当だと思います。」
 金貨一枚は並の宿の二・五倍の値段だった。普通の宿屋であれば、値切るのは彼女の役
目の一つだったが、ここは・・・
「あのな、」
「はい?」
「ここはホテルじゃねえ。」
 出来る限り低めの声を出して、すごんでみせる見張り。
「それは、良くわかってます。」
 彼女が平然と答えると、
「なら、文句言うな。」
 見張りは、吐き捨てるように言う。
「別に文句があるわけでは・・・。」
 やや険悪な雰囲気に、隣にいたアーラエの魔術師は、言い訳を続ける僧侶をつれ去る。
「あんたねぇ、黙ってなよ。」
 魔術師は僧侶をつかんだまま、中へ入っていく。
「でももう少し安くても・・・」
 僧侶は魔術師に道理を説こうとしていた。
「いいのっ!あんたはっ!黙ってればっ!」
 人中、水月、最後に、膝で丹田、の三発で僧侶は沈黙した。
「はい、ジオル。」
 魔術師は、いつものように、にっこり笑って金髪の重戦士に僧侶を預けた。
 重戦士に抱かれてグッタリしながら僧侶は心の中でそっと訊ねる。
『神様、私、何か悪い事でもしましたか?』
『No』
 答えはすぐにかえってきた。リリイナよ、それは天罰では無い、試練だ。
 彼女は、ギリギリと奥歯を食いしばって耐えた。『根性で、頑張りましょっ。』
 そしてようやく一行は無事に砦に入った。
 砦は一応、胸壁を備えた高い木の塀と二つの見張り櫓、住居である丸太小屋、その脇に
倉庫兼住居となる小さな洞窟があった。この洞窟は元々オークの集団が使っていた物を奪
い取り、改造した物で砦の大部分の者がこちらに寝泊まりする。
 一行が寝泊まりするのは、客用の小さな丸太小屋で、窓はなく、外側からかんぬきと鍵
が掛かるようになっていた。
 そして、日が暮れると砦はやはり、宴会となった。皆、久々の客の冒険談を聞きたがっ
たのである。
「そんでねーわたしがカトラスで、サクサクッてカトブレパスをまっぷたつにしたのよ。
すごいでしょ。」
 宙を飛び回り、大げさな身ぶりを交えて、話をする義賊。
 それを聞く砦の盗賊達は、大爆笑、やんやの大喝采である。カトブレパスの大きさが、
砦よりはるかに大きくなっていても、そんな事は、誰一人気にはしない。
 エルダマールの話は、砦の生活に彩りを添えてくれるのだ。
 そんな馬鹿騒ぎの中、魔戦士は、砦の誰にでも先日の火災について質問していた。
「ああ、たぶん、ガラムの街だと思うけど、遠いからはっきりした事は言えんよ。」
「二、三日煙が見えてたけど、隕石って流れ星だろ?大した事無いんじゃない」
「流れ星?そういや、ここんとこ良く見るな。金、金、金。ってさ。」
「ドーンって聞いたときは、ちょっと驚いたよ。寝てたから。」
「あの後、トチ狂ったオーク共がやって来て、追い払うので精一杯だったんだよ。」
「なんで、オークをほっとくのかって?そりゃ、見張りの居眠り防止に決まってるだろ。
退治すると、気が抜けちまう。」
「オークの財宝?そんなもんどうせ、クズに決まってる。」
 結局、魔戦士は大した話は聞けずに、情報収拾を終わった。
「そんで?」
 戻ってきた魔戦士に魔術師は聞いた。
「オークは大した財宝を持っていない。」
 魔戦士は平然と答えた。
「それ、聞きに行ってたの?」
 声が鋭くなる。
「いや。」
「・・・・・・。」
 魔術師の視線はそれだけで、気の弱い人物を自殺に追い込めそうな程だ。が、魔戦士は
そんな繊細さを持ち合わせてはいない。
「やはり、情報は街まで行かなければ駄目だ。」
 魔術師が拳を固めるよりも前に、魔戦士が口を開く。
「いいわけ?」
 彼女の声は冷たい。
「期待していたのか?ここで何か判るとでも?」
 彼女の質問に、真剣な顔して質問で返す魔戦士。
「別に。」
 二人の間の空気は凍りつきそうな程、冷めていた。
「飲んでっか〜!」
 二人の間の緊張感を知ってか知らずか酔っぱらった重戦士が、酒の瓶を持って割り込ん
でくる。その場の緊迫感がシラッとしたものに変わる。
「飲んでないと、やってらんないよ!」
 魔術師は重戦士の手から酒瓶を奪い、一気に飲む。
「ほら。」
 人心地付いたのか、瓶を重戦士に投げ返す。
「おっ!やるねぇ、負けへんでぇ」
 彼も瓶に口を付け、グビグビッと飲むと、又、魔術師に返す。先ほどまで、砦の連中と
酒の飲み比べをして、五連勝して来たばかりの重戦士は、新たなる挑戦者の出現に燃え始
めた。
 魔術師は少々自棄気味に酒を飲んでいた。二人の勝負はなかなか決着が付かなかった。
 魔戦士はその場を立ち、二人の勝負から、一人離れていた。
 その彼に近づく者が居た。ゆっくりと背後から忍び寄ってきた-------。
「よう、オレにはなんにも聞かないのか?」
 そこに居たのは一人のスネイクマン。蛇に似た種族で、レプタリアンの近縁と思われる
が、その姿から嫌われる事がある。人間に似ているが、鱗があるのだ。
 名前はシアン。魔術の杖を持っているところを見ると魔術師のようであるが、やたらと
怪しげな装飾品をぶら下げており、態度も何処と無く軽い感じがトリックスターらしさを
感じる。砦を根城にする者の一人である。
 彼は、みんなから、嫌われていた。魔戦士も例外ではなく、彼が嫌いだった。生理的に
受け付けないのである。スネイクマンだからでは無いようではあるが。
「お前に聞く事など無い。」
 彼は一言で片付けた。
「冷たいねぇ。あんた、ちゃんと温かい血流れてるんだろ。」
 シアンは、ニタッと蛇類独特の笑いを浮かべながら、彼の機嫌を取ろうとする。
「・・・。」
 彼は無言で、すっとその場を離れようとする。
「だからさ、こないだの流れ星と火事だろ、なっ。」
 シアンはちょっと慌てて、声が大きくなる。
 魔戦士は振り返り、シアンをにらみ付ける。
「いいか、良く聞けよ。これはオレの勘なんだが・・・」
 何故か彼の耳元で囁くシアンに、魔戦士は、
「お前の勘はアテにしない。」
 再び、背中を向けて離れていく。
「ひでえ、そんな言い方しなくてもいいだろ。おい、オレの話を聞けよ。」
 傷つきました、と言わんばかりの態度のシアン。
「エナジー・ブラスト。」
 くるりと振り返り、魔戦士は、破壊エネルギーの塊をシアンに浴びせた。
「!!」
 突然の攻撃をスネイクマンは何とか防いでみせた。エナジー・ブラストは、直前で弾け
て消えた。
「おいおい、物騒な事はやめろよ。なっ、オレとあんたの仲じゃないか。」
 両手でまあまあ、落ちつけと彼を抑えようとするシアンに、魔戦士は、
「まだ生きていたか。エナジー!・・・」
 もう一度、今度は全力で呪文を唱えようとするが、その前に、
「まてっ!解った、解った。オレもまだ女神の腕には触れたくないよ。なっ。」
 手を振りながらも、ゆっくりとした動きで実に素早く後ずさるシアン。
「・・・逃したか。」
 結局、この日の魔戦士は疲れただけで、何一つ有益な情報を得られなかった。
「Nnn〜!」
 その時、くぐもった変な声が物陰からして、彼は全身を緊張させながら、そちらへ向か
った。
「誰だ?そこにいるのは。」
 声をかけ、剣を抜いて、物陰にゆっくり近づいていく。声がいつも以上に険しい。そこ
には、便所の脇でロープでグルグル巻きにされ、逆さ吊りにされたフェイの僧侶がいた。
猿ぐつわまでされ、身動き出来ずにプラプラと、まるで蓑虫の様に揺れている。
 彼は剣を収め、
「どうした。」
 僧侶の猿ぐつわを外してやりながら、やさしく訊ねる。
「二人が飲み比べしてたから、エルダと一緒に、ジオルの応援してたら、ソニアさんが怒
ったの。エルダはずっこいから一人で逃げたの。」
 さっきまで泣いていたのか、鼻声の彼女。
「そうか。」
 ロープを解いて、離してやる。
「今日はもうソニアに近づかない事だ。」
 そう言いながら、鼻をかます。
「うん。そうする。」
 彼の忠告に、僧侶は小さくうなずき、フラフラと夜の闇に消えて行った。
 砦の中庭の中央の焚火の廻りでは、宴会がまだ続いていた。宴会の輪の中から、どよめ
きともつかない歓声があがる。
「やったでぇ!」
 重戦士が砦の頭領、石頭のクランに飲み比べで勝っていた。
「お頭ぁ!」
 ついに、ボスが敗北し、情けない声をあげる、砦の面々。
「次は、どいつやぁ!」
 調子に乗って、ジョッキを高々と差し上げる重戦士。
「私が相手をしよう。」
 彼の前に座ったのは魔戦士だった。
「負けへんでぇ」
 椀に盛られた酒を一気に飲み干す。
「あぁ。」
 魔戦士は静かに飲んだ。勝ち負けにこだわるつもりはない。今彼は、無性に酒が呑みた
いのだった。盗賊達が盛んに、彼に声援を贈っていたが、その声もやがて、聞こえなくな
っていく。
 こうして、砦の長い夜は更けていった。

6

 ロヲムフェラ帝国南西部、レニオン侯爵領。
 ロムン山脈の南に広がる、この領土は、八つの都市を含み、その内の西側の三つの都市
が二十一都市連合と接している、帝国の最前線である。
 その中心都市、レニオンは蛇行する大河スワルドの北、小高い丘に立つ城を中心に広が
っている。「空中都市」と呼ばれるその町並みは、少し離れた所から見ると、確かに空に
浮かんでいるように見えた。何処までも広がる雪原に浮かび上がる鋭い塔は遥かな空を指
していた。
 しかし、その遥か上空から、レニオンを見おろす者達がいた。
「何が空中都市だ、ちっぽけな街じゃないか。」

 水晶と黄金で、複雑な装飾を施された巨大な玉座に座りながら、目前の大きな水晶玉を
見つめているのは、いかにも、趣味の悪い黒い服に、赤いマントを着た若い男だった。ま
るで悪の首領の様な不気味で大きな兜を被っている。
「本当によいのですか?十賢者共が後でうるさいですよ、ジュベール。」
 隣に立つ、シンプルな実用本意の鎧を着た男がたしなめる様に言うと、
「かまうものか、この俺の力を見せつけてやるのだ。このハンマーヘッド号でな!それか
ら、ジュベールと呼ぶな。今の俺はあの大魔道師エイダスの二代目、エイダス二世なのだ
っ!いいなっ!」
 わめくように、言い返す。
「判りました、エイダス二世。」
 鎧の男は、神妙な顔で答える。
 ハンマーヘッド号は、空中戦艦である。一千年前の大魔導師エイダスの最高傑作として
知られている。魔法で空を飛ぶ乗り物は実際にそれほど多くない。普通、個人か、少人数
を乗せて飛ぶ、ホウキや絨毯が知られているが、それですら伝説の魔法の品々である。

 それは、巨大な箱船で船と言ってもマストもオールもなく、船らしい優美さは細長い船
体のシルエットぐらいにしか残っていない。
 船首像は異様に大きいが、実はフレッシュゴーレムとなったブラックドラゴンの肉体を
使っており、本物のドラゴン以上の戦闘能力を有している。
 船尾楼はなく、本来マストがあるはずの位置にスマートな艦橋があった。その姿はまさ
にハンマーヘッド(シュモクザメ)の様な不気味なものであった。
 そして、艦橋の中で、この船の持ち主らしきエイダス二世と名乗る男は、黄金の玉座に
ふんぞり返って、鎧の男に向かって指示をだす。
「十賢者共に何が出来るか。この船さえあれば帝国など恐れるに足らんと言う事をあの腑
抜け連中に教えてやるのだ。帝国からの独立など、まだまだ甘い。この船さえあれば帝国
を圧倒する事も可能なんだ。アシッド・キャノンの用意はいいか?」
 鎧の男は表情一つ変えずに答える。
「もう少し降下しなくては、広がり過ぎてしまいます。この高さでは、あまり有効ではあ
りませんぞ。」
「酸の雨が降れば、調度良い宣戦布告の合図になる、下の奴らは慌てるだろうよ。」
「しかし、奇襲の利点が減ってしまいます。」
「それで十分だ。このハンマーヘッドなら、奇襲などせずとも勝てるのだ。奴らに飛行船
は無いのだからな。つべこべ言わず、アシッド・キャノン発射ぁ!」
 そうエイダス二世が命ずると、船首にあるB・ドラゴンの口から、強酸の塊がまき散らされる。
 ドラゴンブレスと同じ威力のそれは、遥か下のレニオンの街へ向かって落ちていった。
「今ごろ下では大騒ぎだな。次の弾の用意を急がせろ、降下するぞ。次は城塞に直接たた
き込んでやる。」
 ハンマーヘッド号は急降下を開始する。いかなる魔法の力か、船体は水平を保ったまま
で、真っ直ぐに降りて行く。
「やはりアーラエが上がって来ますな。」
 鎧の男が報告する。確かにレニオンの街から小さな影が上がってくるのが見える。
「ふん、ささやかな抵抗だ、アシッド・キャノンで蹴散らしてやれい!」
「小さすぎて、キャノンでは狙えません。」
 鎧の男は冷静に意見を述べる。
「ええいっ!なら他のドワーフ共に弓を射させろ!今すぐっ!低能どもが!何の為にこの
船に乗っている!観光旅行じゃ無いんだぞ!わかっとるのか!」
 エイダス二世がわめき散らす。その時、ファイアーボールがハンマーヘッド号に当たっ
た。それでも、ふねは軽く揺れただけだった。
「くそっ、魔術師か!小癪な、どこだぁっ!」
 眼を剥いて怒る、エイダス二世。
 水晶に映る街の塔の一つに、一人の勇敢な魔術師の姿を見つけた。
「今、叩き潰してやる。」
 厭らしく笑うと、水晶玉に映る塔の上の魔術師に向かって行く。
「ぶつけるぞ!」
 言うが早いか、ものすごい音と衝撃がハンマーヘッド号を揺らす。
 空中戦艦の突撃を受けて塔と城壁は大きく崩れていた。
「奴は正面にいます!飛んでいます。」
 鎧の男が報告する。
「おのれ、運の良い奴め、いつまでも逃げられるとは思うな!」
 再び軽々と垂直に上昇する船。先ほどの突撃の影響は無いようだった。魔術師は後ろに
回り込んでいく。船はそれを追ってクルリと回転する。
「エイダス様、深追いはおやめ下さい、相手は一人です。先に城の方を。」
 夢中になって追いかけようとするのを、鎧の男が止める。
「判っている!いちいちうるさい!キャノンはどーだ?」
「発射可能です」
「なら、発射だあっ!」
 そのとたん、またもファイアーボールが船を揺らす。
「またか!ええいっドワーフ共は何をしている!矢を射てと指示したはずだ!」
「今やっております、もっと落ちついて下さい」
 ハンマーヘッド号の周囲では、弓をもったアーラエ達が飛び回っていた。それはまるで
クジラの周りを泳ぐ小魚のようだった。クジラと小魚の間では何本もの矢が飛び交ってい
たが、クジラは我感せずと言った風に悠々と浮かんでいる。二発のファイアーボールも大
した被害を与えていないようだ。
「落ちついている!もっと敵を圧倒せんか!こっちの方が有利なんだぞ!」

「敵も必死に反撃しているだけです。直に静かになります、キャノン発射しますか?」
「すぐやれ!さっき言っただろうが!どんどん打ち込め!そら、早く!」
 エイダス二世は両手でバタバタと玉座の肘掛けを叩く。
「アシッド・キャノン発射!目標城塞天守閣!撃て!」
 号令と共に、再び酸の塊が飛んで行く。
 それは壁に当たってはじけ飛び、白い煙を上げながら、流れ落ちて行く。壁はたちまち
の内に黒く変色していく。城壁の下の方では酸の飛沫を浴びた兵士が転げ廻っていた。
「いいぞ!もう一度だっ!」
 まるで子供のように喜ぶエイダス二世。アシッド・キャノンは、次々と城に街に、降り
注いだ。
 レニオンの街は今や、パニック寸前であった。長期化しようとしている戦争に対して日
頃から、覚悟は出来ているのだが、このような襲撃は予想外だったのである。
 戦争を行う時は都市の被害をなるべく防ぎ、郊外で行うのがこの世界の常識の一つであ
って、本来ならば、レニオンの都市が襲われるのは、侯爵の軍勢が敗北し、勝った側が略
奪者になる場合である。
 今回の襲撃は、その全てを無視した、侵略であった。普通、これだけの大都市を制圧す
るには、大軍勢が必要でその動きは軍勢の大きさ故に、事前に察知できるはずであった。
 今回の奇襲は少数であるが故の成功ではあったが、ほとんどの住民は何が起きているの
かすら、理解できていなかった。何故と考える間もなく、死んでいった。
 ハンマーヘッドの周りでは、次々とアーラエ達が力尽きていった。
 魔術師は、集中的に狙われ、二本の矢を受けて、地上へ落ちて行った。そして、ハンマ
ーヘッド号には、殆ど被害は無いようであった。
「だははっ、見たか、見たか、落ちていくぞ!」
 ろくに反撃もできないままに、レニオンの守備隊は壊滅した。そして、ついにハンマー
ヘッドに反抗するものはいなくなった。
 ハンマーヘッドは、アシッド・キャノンを無差別に打ち込んでいく。
「ふぁっはっは、この大魔道師エイダス二世の前に敵、無あぁっし!」
 高らかに笑う魔術師の前に、「空中都市」レニオンは敗北した。鋭く天を指していた塔
は、溶け崩れ、無惨な姿をさらしていた。
 僅かに生き残った住民達は去って行く黒い影を呆然と見上げる事しかできなかった。

7

 オモーラの森。コルン荒原とガラムの街の間に広がるこの森は、事実上、コルン荒原の
一部として魔の森と呼ばれている。コルン荒原の怪物として挙げられる物の多くは、実は
この森に住んでおり、この森こそが人々の進入を拒んでいるのだ。

「うわぁっ!なんやぁ!」
 金髪の重戦士の声が、森の静寂を破る。
 森に入ったとたん、一行は怪物達の手荒い歓迎を受けた。
 一行が戦っているのは、コカトリス。蛇の胴体と尻尾を持つ雄鳥の姿をした魔獣で、蛇
の王の異名の通り、嘴に即死性の猛毒を持つ。噂では姿を見ただけで死ぬとさえ言われる
恐るべき猛毒である。
 先頭の重戦士は、いきなり飛び出してきたコカトリスに、猛毒の嘴でつつかれていた。
 悲鳴をあげた重戦士を見たアーラエの魔術師は、彼がもう死んだと判断した。そしてカ
トブレパス相手に使い損ねた、覚えたての必殺の呪文で、コカトリスを狙った。
「ファイアーボール!」
 魔術師の呪文の詠唱後、森の中で高熱と爆音が響く。そして、また重戦士の悲鳴。
「うあっちちっ!」
「凄い、威力。」
 魔術師は予想以上の火力に驚いていた。辺り一面が焼け野原と化していた。
「ジオルさん、生きてます?」
 フェイの僧侶の心配そうな声がかかる。そういえば、誰かが悲鳴をあげていた。
「平気や。なんでもあらへん。ありゃ?」
 そう答えた重戦士も立ち上がれなかった。
 コカトリスを重戦士ごと焼き払ったのである。なんでもないハズは無い。彼が生きてい
る事が不思議なぐらいである。並みの人間ならば、二度死んでお釣りがくるのだが。
 ここでひと休みして、傷を癒す。
「神よ。彼の者の痛みと苦しみを除きたまえ。」
 僧侶の祈りと共に、みるみるうちに傷は回復していく。傷跡も全く残らなかった。
「シぬかと思た。」
 ため息しか出ない。
「普通、死んでると思う。」
「あれで、生きてるんだからねえ。」
「毒は平気なのか?」
「鎧を着とって、全然平気。」
「鎧で防げるの?槍で突いても槍を伝わって、腕が腐るって聞いたけど。」
「一応、解毒の呪文も使っておきますね。」
 僧侶はもう一度神に祈る。今度は解毒の祈りだ。
「さあ、これで一安心ですね。」
 再び森の中を進む。森は冬の訪れと共にその姿を変えていた。以前とはまた違う風景に
皆、戸惑っている。
「こっちでええはずや。」
 先頭を行くのは重戦士だった。彼はこの森での経験が他の者よりも多い。
 一度、他の仲間達と一緒にコルンの黄金目当てでこの森に挑戦して、その時は、彼を残
して仲間達は全滅したのであった。一人生き残った彼は傷を負いながらも、森からなんと
か脱出した。
 そこで、丁度良く腕試しにコルン荒原の魔獣退治にやって来た魔戦士達に同行した僧侶
に保護されたのである。
 二度目の挑戦で、森は見事突破したものの、その途中、何度も死にかけた。
 三度目の今回もいきなり死にかけたが、この森では油断しているといつ死ぬかわからな
い。その緊張感が、彼を前に立たせていた。
「また、罠にはまるのはヤ。」
 この森には、一人の隠者が住んでいる。隠者はこの森で生き残るため、自分の住処の回
りに様々な罠を仕掛け、怪物達を遠避け、動物達を狩る。魔術師も僧侶もその罠で危うく
死にかけていた。そのおかげでこの森に住む、隠者がいる事に気付いたのだが、彼こそ、
この森最大の危険かも知れない。
 彼女達は森に恐怖を感じ、やや遅れ気味になる。が、取り残されると恐いので、必死で
付いて行く。
 二人とも何処を見ても罠が仕掛けてあるんじゃないかと疑えるし、じっとしていても、
いつ怪物が忍び寄って来るかも知れないと思う。
 疑心暗鬼が彼女達の足どりを重くしていた。
「罠は避けている。早く来い。ジオル、少し待て。」
 少し先に行く重戦士を確認しながら、後ろに伝えるのはハーフエルフの魔戦士。
 前を行く重戦士も、後ろの僧侶達も離れすぎで、彼も又、少し焦り始めていた。このま
までは、どちらともはぐれてしまう。後で捜しに行くのは彼の仕事になる。
「向こうじゃなかったか?」
 立ち止まって、魔戦士は前を行く重戦士に声をかける。
「こっちの方が近道やし、向こうは川沿いやでぇ、」
 聞かれた重戦士は、立ち止まってから答える。
「そうか。」
 彼は一人で納得した。
「どしたの」
「道に迷った?」
 遅れていた魔術師達も追いついてくる。不安そうに辺りを見回しているが、本当に目を
配っていると言うよりも、自分の背後が気になって仕方がない様だ。
「いや、ケルピーだ。」
 それだけ説明する魔戦士。
「ケルピー・・・」
 僧侶は、つい先日の事を思い出していた。やや困ったように、眉根が寄る。
「ケルピー殺す!」
 魔術師は、低い声で押し殺すように言い、自分の杖を強く握りしめた。
 ケルピーとは、川に棲む精霊の事で、縄張り意識がやたらと強い。
 一行は以前この森を突破した時に、ケルピーの縄張りである川辺でキャンプをして、怒
らせてしまい、酷い目にあったのである。まだ一行に加わっていなかった、義賊以外は、
全員がその時の屈辱的な出来事をよく覚えていた。特に魔術師はケルピーへの復讐の為に
ファイアーボールを修得したのだ。
「どないしょ?」
 最初、ケルピーの縄張りは避けるつもりだった重戦士も、魔術師が戦うつもりなら、挑
戦してみようかなと思う。が、一応他の仲間にも聞いてみる。
「殺っちゃえ。」
 なんの事情も知らない義賊は気楽だ。
「やめておこう、今は。」
 魔戦士は、ケルピーとの再戦よりも、先を急ぎたかった。
「無駄な争いは避けるべきですわ。」
 僧侶も反対する。チラッと魔術師の方を見ると、恐い目で睨んでいた。
「いくぞ、こっちが近いんだな。」
 魔戦士が先頭に立ち、又森を進む。彼に他の者の意見は聞く気は無かった。
 重戦士が後に続くと、他の者も慌てて、後を追った。
 森が少し開けた処に雪を被った隠者の庵がある。隠者はここに小さな畑を作り、自給自
足の生活をしながら、時折訪れる者の為に、魔法の薬を作っていた。この危険な森に棲む
のは、様々な薬の材料となる特殊な植物や動物がいるからだった。
 庵の扉を開けた一行の目に飛び込んできたのは、部屋の中央で、大きな鍋の中の緑色の
スライムと格闘している隠者の姿だった。
「じいさん、なにしてんだ?」
「遊んでおる訳じゃないぞ、早よ助けんか!」
 隠者は杖でスライムを押しやりながら、必死になって叫ぶ。
「ティンダー!」
 魔戦士が発火の呪文を唱えると、一瞬にして炎をあげたスライムは、入っていた鍋ごと
燃え尽きた。
「何でスライムが鍋にはいってたの?」
「容れた訳じゃない。キュアーポーションが全てスライムになってしまっておる。お前達
のポーションは平気か?」
「え〜」
 全員が、あわてて自分のポーションを調べると、確かに小瓶の中身は緑色のいやらしい
生き物に変わっていた。
「じいさん、偽物売りつけたんか?」
 結局、魔術師と魔戦士の二人で一つ一つのスライムを燃やし尽くす。
「違う。ところで、お前達、カトブレパスは退治できたのか?」
 隠者は、さりげなく話題を切り替えた。
「あたしがね、サクサクッとやっつけたの。」
 義賊がさらっと自慢気に話す。
「ほお、そうかそうか。お前さんこの前は何処に居った?」
「お爺ちゃんと会うの初めてだよ。あたしエルダ。」
 二人がのんきに自己紹介などを始めていると、
「隕石が街に落ちた様だが?」
 魔戦士がスライムを焼き終わったので聞いてみる。
「わしも見たよ。調べてみたら、魔術を使って隕石を都市に落とした事が解った。」
 隠者は、髭を撫でつけながら言った。
「魔術で?」
 魔術師が首を傾げる。直接、隕石を落とすような呪文は彼女には覚えが無かった。
「ポシビリティーと言う呪文がある。起こりうる偶然ならば起こせる。」
「「・・・・・・」」
 隠者の説明を受け、魔術師と魔戦士の間で無言の会話がなされる。
「出来る?」
 一瞬の重苦しい沈黙を破り、義賊があまり関係なく質問する。
「まだだ。」
 魔戦士は首を振る。彼には、死ぬまでに覚えられるかどうかさえ、判らないほどの高度
な術だった。
 このままでは相当高レベルの術者を相手にする事になる。いやな予感に、彼の表情は硬
かった。何かに巻き込まれている。それも、得体の知れない事件に。
「ポシビリティーってそんな呪文だったっけ?」
 気まずい沈黙を埋めるように魔術師は質問する。彼女の記憶になにか引っかかるのだ。
 隠者はゆっくりうなずいた。
「確かに、偶然、狙った街に隕石を落とすのは、気軽に出来る訳じゃない。今までなら、
万に一つも、そんな事は起こらなかったろう。隕石の量自体がかなり増えておる。」
「それもポシビリティーか?」
 魔戦士が訊ねる。答は解っていても、自分から言う気にはならなかった。
「いや、リアライゼーションの呪文よる可能性の増大じゃ。そんな事ができるとはわしも
思わんかったが。」
 隠者の表情も心無しか暗い。
「何でや?」
 魔法について何も知らない重戦士も、とりあえず口を挟む。専門家同士の話し合いは、
前提の省略が多くて、理解できないが、彼が質問する事で、何とか基本的な説明もしてく
れる場合がある。
「現実をねじ曲げ、不可能を可能とするのは危険すぎることだ。石にけつまずいて転ばせ
るのとは、次元が違う。」
 リアライゼーションの使い手は、間違いなく最上級の魔術師だ。この最悪の答から何か
この事態を好転させる事を見つけなければいけない。
「誰がやったか判るか?」
 最高の魔術師なら、人数は限られるし、無名でいられる事もない。名前ぐらいは判るか
も知れない。そうしたら、どうするか。魔戦士は質問しながらも考え続けた。
「それは判らんが、予想はつく。都市連合の誰かだろう。帝国と戦争中だしな、全く愚か
な事だよ。魔術師は大きな争いに手を貸してはならんのに。」
「じゃあキュアー・ポーションも、その方の仕業ですの?」
 僧侶が思いついたまま、口にする。癒しの技は神の奇跡だ。それをいやらしいスライム
に変えるなどもってのほかだ。彼女は怒っていた。
「多分・・・そうじゃろう。もしかしたら、神の怒りかも知れぬ。それはこれから調べて
見なければならないが。」
 隠者の口調は重い。いかに魔術でも限界はある。今度の事はただの魔術による戦争以上
の何かが起きている、そんな予感があるのだ。
「あ〜街の方は大丈夫やろか?」
 重苦しい雰囲気の中、重戦士が口を開く。難しい話よりも、彼はガラムの街の方が心配
だった。あの街には割と気に入りの酒場が在ったのだ。
「直接は見ていないので判らんが、かなりの被害が出ているとは思う。行くのか?」
「そのつもりだ。」
 間髪を入れず、魔戦士は隠者の質問に答える。
「そうか。ところでお前達、今夜は泊まっていくのか?それともすぐに向かうか?」
「泊まってく〜!」
 義賊の一言で、この夜は隠者の庵で一泊する事になった。
 次の日、朝早くから起きだした一行は、隠者に別れを告げ街道にむかう。途中トロール
らしき足跡を見つけたが、昼間なので先を急ぎ森を抜け街道に出た。
 「黄金街道」この道は長くそう呼ばれている。黄金都市コルンを通り、南北に走ってい
たこの街道は、コルンの崩壊と共に分断されて、今では黄金が行き交うわけでもないが、
呼び名だけは当時のままで残された。
 オモーラの森を抜けた一行はようやく、文明の近くに戻ってきた。
 現在の街道は、南のジリオンからオモーラの森で東へ曲がり、ガラムの街へと続く。そ
の街道を東からやって来る、荷馬車と商人らしき一団があった。
「誰かくるで。」
 先頭に立っていた重戦士が、その一団を見つける。
「丁度良い、彼らに聞こう。」
 魔戦士は、彼らを呼び止めて、質問した。
「街はどうなっている?」
 一団のリーダーらしい、やや太り気味のその商人は、額の汗を拭いながら、
「街はひどいもんさ、丁度街の真ん中に火の玉が落ちて、火災で中心街は殆ど壊滅だよ。
雪が降っていたせいで、どの家も火を使っていたからな、火事の被害はあっという間に広
がったよ。街へは近づかない方がいいよ、焼け出された連中や、火事場泥棒だの滅茶苦茶
だよ。アンタ等、ジリオンから来たんだろう?帰った方がいいよ、良ければ乗っていきな
大した物は、積んでないから。」
 割とその商人は気前がよかった。
「よお助かったな、アンタ。」
 重戦士は訊ねる。
「住んでたのは、外れの方でね、直接被害は無かったんだが、もう当分商売にはなりそう
もないんで、逃げてきたのさ。」
「他に逃げた人達はおらんのか?」
「後からくるだろう、ほとんど歩きだからな。東に行ったのもいるだろうし、まだ残って
るのもいるだろう。」
「どうする?」
 魔術師は形だけ、魔戦士に聞いた。商人から一通り聞いたのだから、ガラムまで行って
被害を確かめても二度手間だし、今被災者達に出来る事は余り無い。彼もまた一、二秒考
えて、同じ結論に達する。
「仕方無い、ジリオンに向かおう。」
 その時、
「みんな〜はやく〜。」
 既に商人の荷車に乗り込んだ義賊が笑顔で手を振っていた。楽が出来るとなると、その
チャンスを見逃す彼女では、決してなかった。隣には既に僧侶も座っていた。
 ソニアは黙ったまま荷車に近づき、当然、彼女の上に座った。
「ほらリリイナ、詰めないとみんなが乗れない。」
「ふみゅ〜。」
 彼女のお尻の下で、僧侶は情けない声を出す。
 こうして、彼らは、さらに南、ジリオンへと黄金街道を旅する事となった。

8

 レニオン侯爵領の最も東。「紫の街」ジリオンはそう呼ばれていた。赤い煉瓦の町並み
と、町中を縦横に巡らされた水路。北には不毛のロムン山脈を望み、街の南を大河スワル
ドが流れる。赤と青、二つの色であふれたこの街は、その歴史も古く、美しい街として知
られている。
 赤と青以外にも、白い石を敷き詰めた広い大通り、その両側の並木の緑、町中にある幾
つもの公園。春先ならば色とりどりの花が咲き誇る。
 そんな美しい街も今は白い雪に覆われ、家々の煉瓦も濡れてやや黒ずんで見える。大通
りの人通りさえ少なく、ただ葉を落として春を待つ並木が、茶色の列をなしていた。
 冬の澄んだ空気が、熱い肺に心地よい。
 この街はフェイの僧侶にとっては、故郷に当たる。領主とも顔見知りだし、何と言って
も、彼女の寺院があるのだ。
 見慣れたはずの町並みが、まるで、知らない街の様に思えた。たったの三ヶ月、離れた
だけなのに。
 町並みの向こうに、白い寺院の屋根が見える。
 世界には様々な宗派があり、最も多くの信者を持つのは、アルパ三神を奉るアルパ教で
あるが、帝国内では、五星神教が特に保護されていた。
 五星神教は、白き神を筆頭に五柱の神々を崇める。神々は全て何らかの武器を持つ戦神
であり、筆頭の「白き翼を持つ神」は、特に大きな盾を持つとされている。この盾で人々
を災厄から守るのである。常に弱者救済を信条としており、教会全体としては曖昧な中立
を保っている。
 帝国は五星神教を保護する事で、「人民の盾となり守るのは帝国である。」と、教化し
ている。基本的に弱者救済の教えは余り人気がなく、信者は帝国内だけに限られていると
いっていい。
 他の宗派では現世利益、特に、大願成就、商売繁盛、五穀豊穣等が謡文句なのでやや有
難みに欠けるせいでもある。
 さらに、300年程昔の『アーラエ教事件』により、かなりの影響が残っていた。
 神々の多くが、羽を持つ事から、アーラエ=神の使い、とされる事は、昔からあった。
さらに英雄として名を残す者も、各地にいたために誤解はさらに広がり、アーラエを神の
使いとして崇拝し、奇跡の力で全ての種族がアーラエとなる事で種族間の差別を無くし、
理想世界が実現する、と説いた。数多くの人間、ホビット、一部のフェアリー等に、何故
か熱狂的に信仰が広がったのである。
 神の奇跡では無く、魔術による、インチキ新興宗教だったが、被害はかなりあり、その
後の反動によるアーラエ排斥運動や、隠れアーラエ教徒狩り、など、十年以上も混乱は続
き、反動で人々は羽のある神々を奉ることも、ついにしなくなったのである。
 しかし、そんな世の中の事は、彼女には関係なかった。白き神は彼女を守り、寺院は家
なのだ。
「では私、先に寺院の方へ顔を出してきますので、皆さんは先に宿屋へ。」
 街に入ってしばらくすると、僧侶は一人みんなから離れた。
 大通りを真っ直ぐいったほぼ街の中央に寺院はあり、彼女は文字通り、飛んで行った。
 懐かしい寺院の門をくぐる。門番は彼女を覚えており、恭しく頭を下げて迎え入れてく
れた。彼の眼が、笑っていたような気がして、彼の見ていない所で服装を確認する。

 旅から帰ったばかりで、みっともなくは無いだろうか?一瞬、みんなと宿屋に行って着
替えてからにすれば良かったかと考える。が、一度門をくぐって、挨拶もせず出ていく等
出来ない。着替えは後で良い。旅装のままでいけない事はない。神様は、外見にはこだわ
らない。 気分を落ちつけて、聖堂へ向かう。
「リリイナ、ただ今帰りました?!!!」
 寺院に戻った彼女の目に入ったのは、聖堂内に横たわる、無数の人達だった。
 声もなく、静かに横たわる人々。病人のようだ。
 彼女は、直ちに彼らの病状を見る。
 高熱と脱水症状で衰弱し痩せた肉体、血行の悪い肌色は紫がかった黒。それは最悪の疫
病、黒死病(ペスト)であった。
 神の奇跡でも簡単に治せるものではない。ましてや、この人数である。聖堂の奥で何人
かの仲間の僧侶の姿が見えるが、この人数には到底足りない。それでも彼女は、手近な患
者から治療を始める。
「神よ、彼の者の病の苦しみを取り除き賜え。」
 一心に神への祈りを捧げると患者の顔に、微かなやすらぎが見える。一安心して隣の患
者に取り掛かる。
 二人目は、目に見える効果は無かった。病魔は一度の祈りで去る事は滅多にない。この
繰り返しが、病を徐々に駆逐するのだ。
 神への祈りを繰り返す。
 そして、彼女の力が尽きた頃、
「リリイナ。」
 後ろから、静かな声が掛かる。彼女はハッと振り返り、
「ただ今戻りました。僧正尼様。」
 背後の人物に礼儀正しく頭を下げる。そこに居たのは、この寺院を預かる僧正尼、ステ
ィバである。彼女は静かな悲しみを瞳に浮かべ、厳かに、
「一日に救えるのは三人、死んで行くのは六人、新しい患者はその倍。よく力をつけて戻
りましたね。」
 そう言って、僅かに微笑む。確かに、旅立つ前の彼女には、病気を癒す力は無かった。
この旅で成長したのだ。
「はい、でも・・・。」
 彼女が言葉に詰まると、その心を読むように、僧正尼は言う。
「全て一度には出来ない。私も貴方も、まだまだ修行が必要だと言う事です。わかる?」
 僧正尼は真っすぐに彼女の目を見つめる。
「はい、わかりました。でも、他に何か、方法がないのですか?」
 素直になりきれず、つい質問してしまう。
「医者達の使う薬草がありますが、値段が高く、この人々には手が出ません。わかる?」
「はい。」
 お金の事では苦労しているだけに彼女はうなだれるしかない。
「探して見つけようにも、この季節、まだ生えていないそうです。」
「そうですか。」
 さらに、希望を絶つような事を言われ、下を向くしかない。スティバは、人当たりの良
い外見だが、中身は鋼の剣の様に硬く鋭い。苦難をしっかりと受けとめ、安楽に流れる弱
さを切り捨てる。彼女の信仰心は武器なのだ。その強さで、寺院を支えてきた。
「夏でないだけでも良かったのです。そうであれば、人数は倍でしょうから、手に負えま
せん。わかる?」
 スティバは彼女を慰める様に言う。
「はい。」
 最後には、もう一度うなずくしかなかった。
「わかったのなら、お話はこの位にして手伝って下さい。本当に良い時に戻ってくれまし
た。」
 そう言ってスティバは安心した様に笑みを浮かべて奥へと入っていく。フェイの僧侶は
大人しく彼女の後に付いて行くしか無かった。

 その頃、僧侶と分かれてすぐに、ハーフエルフの魔戦士は、
「済まない、先に宿を取ってくれ、話を聞いてくる。」
 そう言って道の途中で、酒場へと向かう。
「仕方無いね、ほら、エルダ、こっち。」
 魔戦士について行こうとするフェイの義賊に、アーラエの魔術師は声をかけて止める。
「ん〜。」
 やや、不満気に返事をする義賊。そして、
「ったく、ジオル、宿はこっち。」
 まだ、魔戦士の背中を見ている重戦士にも声をかける。
「いや、一緒にいこかなと・・・」
「あとでいけば。すぐそこなんだから、」
「情報集めは大勢でヤった方がエエと思うんやけど・・・。」
「飲むのは後で。荷物を宿に置いてから。」
 そういった魔術師は、たいした荷物を持っていない。重たい荷物は、ほとんど重戦士の
背中の上だ。
「しゃあないなぁ。」
 重戦士は彼女に付いていく。二度ほど後ろを振り返りながら。
「川風亭」そう書かれた、小さな看板の宿は裏通りの奥にひっそりと立っていた。
「女将さん、又お願い。五人で二部屋。とりあえず三人、残りは後からくる。」
 魔術師は無口な女将にそう告げる。この街でいつも使う安宿だった。
 顔なじみの女将は何も言わず、部屋の鍵を出し、二階への階段を示す。
 宿は大通りからは十分離れており、静かで、二階の部屋には小さい窓があり、そこから
この街の水路が見え、風景も良い。
「んじゃ、情報集めに行きますか。」
 荷物をまとめた彼女が、重戦士に声をかける。
「おっしゃ、酒や!」
 まだ、整理されない荷物を残して重戦士は立ち上がった。
 
 魔戦士が酒場に入ると、まだ客がいなかった。昼過ぎではまだはやい。ぽつり、ぽつり
と暇を持て余したのがいるだけだ。
 彼はその内、一人でいる傭兵らしき男に近づく。
「景気はどうだ。」
「良くねえな。」
 男は顔もあげずに、一言そう言った。魔戦士は、暇そうな顔のウエートレスに手で合図
し、酒を二杯持ってこさせる。本当に景気が悪そうだ。
「ガラムに流れ星が落ちた話なんだが、何か聞いてないか?」
 酒が来るのを待ってから、再び男に話しかける。
「ガラムだけじゃねえ、アダブクやセブンホードにも流星が落ちたそうだ。」
 アダブク、セブンホードは帝国と都市連合の国境の近くの都市だった。特にアダブクの
周辺の砦は最前線のはずだった。
「おまけに、レニオンには、ドラゴンが現れた。城が壊されたらしいぜ。」
 レニオンは、ジリオンの西にある都市だった。ハーフエルフの彼はあの街で初めて、故
郷のエルフの森の大木より高い建物を見たのだ。石の建物ばかりで好きにはなれない街だ
ったが。
 傭兵は、自分の分のジョッキを手にして少々口が軽くなった。元々おしゃべりなのかも
知れないが、自分から聞いてもいない事まで話してくれる。
「春には、皇帝が直々に近衛兵師団を率いるって噂だけど、このまま春まで待ってるなん
て訳にもいかないんだ。その前にみんな、おっ死んじまう。」
「どういう事だ?」
 彼には、傭兵の絶望感は理解きなかった。この国の生まれでもなく、皇帝等に信頼感が
全く無いからだ。そもそも政府や王家という機関の役割を理解していないのだ。
 エルフの社会で育った彼には、人間の社会は複雑過ぎて、奇妙な混乱を生み出す風変わ
りな習慣が有るとしか思えない部分がある。
 そもそも困るのが、情報が知らされない事だ。エルフの社会なら、必要な情報は全て知
らされ、全員が何をすれば良いか知っている。各自、自分の役割を果たせばそれで社会は
しっかりと働くのである。
 人間の社会は、情報が制限され、自分の役割を果たす為に余計な手間が必要なのだ。
 情報の収集、選別、伝達の仕事をしている者が少ないのだ。しかも、それを見つけるの
も、大変だ。まったく、人間の社会は遅れている。人間達と一緒だと自分がとてつもなく
馬鹿な事をしているように思える。
「戦のおかげで難民があちこちから、入ってるよ。奴らが疫病を持ち込んだのさ。」
「疫病?」
 彼は、寺院の惨状をまだ知らなかった。
「川向こうはもっとひどい。今じゃ出入りは禁止されてるよ。」
 スワルド河の向こう岸は、ジリオンとは又別領地の男爵領で、小さな街が出来ていた。
実質は、河を挟んで一つの都市と言っても良いのだが、行政上、二つの街として機能して
いる。対立していると言っても良い。主に税金問題なのだが、司法的にも問題がある。
 一応ジリムと言う名前があるのだが、一度、用事があって訪れたときは、何もかも乱雑
で、でたらめだったので、結局は、なにも出来ずに終わったイヤな思い出の場所である。
「まあ、新しい病人は減ってるって聞くけどな、河向こうに渡らなけりゃ平気さ。」
 そう言って男は酒を飲み干す。
「そうか。他に話は無いか?」
 彼は、酒の追加をウエートレスにする。
「いや、金になりそうな話なら無いね。ここの領主は春まで動きそうもないし。」
 男は新しい酒を受け取ると、うまそうに飲んだ。魔戦士はウエートレスに、金を払って
から、自分の財布にはもう金がない事を知った。残り青銅貨一枚。
「そうか、不景気だな。」
 財布を仕舞込みながら、他に聞くべき事が無かったか、考える。残り青銅貨は一枚。
「ああ、まったくだ。」
 男はうなずきながら、酒を飲んでいる。魔戦士は、ちょっと質問を考えた。残りの青銅
貨は一枚しかない。後、酒を一杯しか頼めない。この男は色々話してくれた。もう話は終
わりだろうか、それともまだ何か知っているだろうか?もう一杯頼んだら、更に何か話し
てくれるだろうか?この青銅貨一枚をどう使えば、最も有効だろうか?
 その時、店の入り口に全身黒ずくめのアーラエが現れた。後ろには重戦士やフェイの姿
もある。彼らを見て、彼は思わず立ち上がった。
「すまない、仲間が来た。」
 魔戦士は男に声をかけ、席を離れる。
「いや、気にするな。」
 男は片手を振り、まだ酒を飲んでいる。
「どお?何かわかった?」
 魔術師は店に入るなり、勢い込んで近づいて来る、魔戦士に聞いた。どんな知らせが有
るのだろうか?やけに慌てて彼らしくない。悪い知らせだろうか。
「ソニア、金を貸してくれ。」
 そう言った彼の眼は真剣そのものだった。
「・・・。どーして、あたしに言うのよ!お金なら、リリ・・・。」
 そう、金の管理はここに居ない僧侶がしているのだ。彼女は自分の財布すら持っていな
かった。魔戦士は実に悪い知らせを持ってきたのだった。
 金を持たない彼らは酒場を後にする他はなかった。

「リリイナ遅いね。」
 男達の部屋で、フェイの義賊は退屈していた。せっかく酒場に行ったのに、帰って来て
しまうし、魔術師の機嫌は最悪だ。近寄ると、何かの儀式の生け贄にされそうなので、男
性達の部屋に来たが、魔戦士は、部屋のすみでブツブツ独り言をつぶやいているし、重戦
士は酒のお預けをくらって元気がない。
 実は、彼女は自分の金だけは、しっかり持っているのだが、わざわざそれでおごる気に
はならなかった。みんなの分の金はきちんと分けて僧侶に預けてあるのだ。こんな時に居
ない彼女が悪いのだ。リリイナが絶対悪い。リリイナのせいだ。決めた!
「リリイナを迎えに行こう!」
 大きな声で、宣言する。
「へ?」
 重戦士が変な声を出す。が、すぐに、
「せやな、リリイナが居りゃええんや。待っとられん。酒や。」
 とたんに、元気が出たらしい彼は、拳を握っていた。
「そうだ、リリイナだ。金だ。」
 いつのまにか、魔戦士も立ち上がって、
「ソニア、教会に行くぞ、リリイナだ。」
 と、隣の部屋に素早く声をかける。
「リリイナ。」
 そうつぶやいて、部屋から出てきた魔術師の全身には、ほの暗い殺気が漂っていた。
 義賊に率いられて、全員がぞろぞろと寺院へ向かう。
 日暮れ前の寺院には、夕べの祈りに参加しようとする人々が、集まり始めていた。
 聖堂には病人がいるので、人々は中庭に静かに整列していた。
 その人々の間を、祈りのために盛装に着替えたフェイの僧侶が、祝福の言葉をかけなが
ら、飛び回っていた。そして、仲間達を見つけた。
「あら、皆さんお越しになりましたのね。」
 彼女は、うれしそうに言った。今まで共に旅をした仲間だが、この時間、共に神に祈っ
てくれた事はない。
「ああっ!神様ありがとうございます、ついに、この人達も信仰に目覚めたんですね、私
の苦労も報われます!」等と、心の中で神に感謝しながら、彼らにも祝福の言葉をかけよ
うとした。と、その時、
「リリイナ、金。」
「お金!」
 魔戦士は右手、魔術師が左手をがっちりとつかむ。二人とも顔が鬼のように恐い。
 お金。その言葉を聞いたとき、彼女は冷静になっていた。「そうよね、この人達に期待
した私が馬鹿だったわ。フッ。」
「サイフはジオルさんが持ってるでしょ。」
 彼女が遠い目で微笑みを浮かべながらそう言うと、二人の首が、サッと後ろの重戦士に
向けられる。
「忘れとった。」
 重戦士は、思い出したとばかりにポン、と手を打つが、みんなの視線は指すように冷た
かった。とりあえず、笑ってごまかす。
「アハハ、堪忍な。」
「ジ〜オ〜ル〜!」
 魔術師の手に力がこもる。もちろんまだ僧侶の手はつかんでいた。だが、彼女には他の
連中が何をしようが、もうどうでも良かった。
「帰るわよ!」
 そう言って、魔術師達は僧侶を投げ捨てるようにして帰って行った。
 一人、残った彼女は、乱れた服を整えて、ため息をつくと、また人々に祝福の言葉をか
けて廻っていた。
 まるでなにも起きなかった様に。
 その日、彼女は寺院から離れる事は無かった。

9

「なんだ、結構入ってるじゃない。」
 財布の中身を見て、翼ある女魔術師は感想を述べた。
「道理で重かった訳だ。」
 脇から覗いた金髪の重戦士は今まで、見た事も無い程の金貨に驚いていた。
「剣を買おう。」
 半妖精の魔戦士は、前々からの希望が叶えられそうな事に喜んでいた。
 夕暮れの酒場で、いつもの様に慎ましい食事を済ませて、軽く酒を飲みながら、彼らは
冒険の報酬を分けようとしていた。
「あたしの分は、あるからいらない。」
 小妖精の義賊は、そう言って、酒場の主人に、演芸台を使わせてもらう交渉をしに、席
を立った。
 一行の管財人である小妖精の僧侶の姿は、ここには無かった。彼らは金貨や、銀貨の山
を自分達で数えて分けていた。
「明日は、久しぶりに買い物が出来るな。」
 魔戦士が言うと、
「本当、やっと文明のある場所に戻ったね。」
 魔術師は、そう応え、演芸台の妖精を眺めながら、微かに笑っていた。

 次の日、一行は新しい武器と鎧を買い込み、装備を整えた。
「よっしゃ、これで、どんな化け物も平気や。」
 戦士は、自分の新しい鎧に満足していた。前の鎧よりもはるかに重く、動きづらいが、
その分頼りになるし、格好良かった。他の者もそれぞれ気に入った武器や防具を揃えた。
 こうなると、ゆっくりしてはいられないのが、冒険者の性であった。
 その日の夕方には、それぞれが街で聞いた話を元に、食堂で次の冒険の予定を立て始め
ていた。
 しかし、
「だれに聞いても、戦争の話ばっかや。」
 重戦士は、肩をすくめながら、魚のフライを頬張る。
「後、疫病だな。原因は難民らしいが、風聞は当てにしない方がいい。」
 魔戦士が、そう言うと、
「はんひんほいをあいむいうおおああうえほまっへう。(難民の人達も行く処が無くて困
ってる。)」
 口一杯に頬張ったまま、義賊が喋るが、誰もきちんと聞いていない。
「新しい怪物や遺跡の話は殆ど無し。怪物も戦争は避けてる見たい。」
 信じられない、と言った感じで魔術師は言った。
「今一番の問題はやはり、疫病か。リリイナの専門だな。」
 魔戦士は断言する。とはいえ、病気と貧乏と戦争は普通の冒険者の大敵で、なかなか勝
てる相手ではない。彼らは医者でも高利貸しでも死の商人でもなかった。どこかに怪物で
もいないものか。酒のグラスを片手に考える。
「こういう時に限って居ないんだから、あの役立たず。」
 魔術師は食べ終わった肉の骨をまっぷたつにへし折りながら言った。
 以外と大きな音をたてたそれを見て重戦士は、
「居場所は分かっとるんや、迎えに行こ。」
 そう言うと、さっさと席を立った。

 その頃、妖精の僧侶は教会で忙しく働いていた。病人の寝ている聖堂内を清め、寒く無
いように建物内を暖める。彼らを癒して廻り、難民達に配る食料と新鮮な水を用意する。
 短い期間でも、修行の旅を経験した事で、事実上彼女の階級は上がっており、寺院の仲
間達は少しよそよそしくなったものの、彼女の経験と、判断に頼るようになっていた。
 懸命に働く彼女の前に、スティバ僧正尼が来る。
「リリイナ、少し働きすぎですよ。他の者の仕事を奪ってしまいます。わかる?」
「はい。」
「何か悩みごとでも有るのですか?」
「・・・・・・いいえ。」
「何かあったら、私の処へ来なさい。わかる?」
「・・・はい。」
「お友達が来ていますよ。いっておあげなさい。」
「でも、仕事がまだ・・・」
「大丈夫、他の者でも出来る仕事です。仲間を信用なさい。わかる?」
「・・・・・・・・・はい。」
 僧正尼に、礼をしてゆっくりと門へ向かった。
「リリイナ、遅〜い!」
 待たされるのに慣れているわけではない義賊は、彼女の姿を見るなり、そう言って乱暴
に出迎える。
「仕事が忙しかったんです。何の用ですか、お金の事なら昨日済んだはずです。」
 僧侶の声はまだ硬く、なれなれしくまとわりつく義賊から、身を離していた。
「別の事だ。街の疫病を、どうにかしようと思うんだが、病気の事は俺達は専門外だ。相
談しようと思ってな。」
「・・・判りました。でも、今日は病気に効く奇跡は使い果たしてしまいましたから、治
せませんよ。」
「原因を調べるだけだ。対処は後からでもいいだろう。」
 そう言うと、魔戦士は
「一度河向こうへ行こう。」
 と提案する。
「どうして?」
「向こうの方が疫病の原因だと聞いた。それに他にも用事が残っている。」
「今は河向こうへ行けないって聞いたけど?」
 魔術師は自分の集めた情報を確認する。それとなく、面倒な事をするならイヤよ。という
ニュアンスも込めて。
「わざわざ止める奴なんていないさ。」
 だが、船着き場に付くと、
「こら、お前達!そこで何をしている!」
 あっさりと見回りの兵士たちに呼び止められる。
「河を見ているだけだ。いけないのか?」
「この辺りは、立ち入り禁止だ。向こうへいけ。」
 争うわけにもいかず、追い返される。兵士達が見えなくなった所で、
「仕方がない、暗くなるのを待ってそこらの小舟でも借りよう。」
「それって泥棒じゃないの?」
 義賊がまぜっかえす。
「後で返す。借りるだけだ。とりあえず、夕方までもう少し聞き込みをしよう。」
 そうして夕方まで時間を潰し、魔戦士曰く小舟を借りて、河を渡る。
「やぁ〜っと着いたぁ。」
「あそこでだれか、倒れてるよ」
 暗闇の中、一人夜目の利く義賊が倒れている人を発見するが、近寄ってみると、もうす
でに死んでいた。そして、それは一人ではなく、すぐに二人目、三人目の死体が、道端に
倒れていた。
「なんてことでしょう。」
 少なくともジリオン市内では、道端に死体が転がっている事は滅多にない。河向こうの
治安の悪さはこう言ったところにも現れている。
「やはり、こちらの方がひどいようだな。急いで用事を済ませるとしよう。」
「ところで用事ってナニ?」
「ピーターの母親がこちらに住んでいるのだ。逢わせてやれば成仏すると思う。」
「そうなんだ。」
 はじめて事情を聞いた義賊は、納得した。平気な顔で幽霊にとり憑かれていた訳じゃな
いんだ。
「前は見つからなかったじゃない。」
「今回は見つけてみせる。みんなもアニタと言う女性を捜してくれ。」
「もう、死んでんじゃないの?」
「それは、・・・・・・その時考えよう。」
 痛い処を突かれながら、気を取り直して人捜しを始める。生き残っている人々はそれぞ
れが団結していくつかのグループに別れており、余所者には冷たい。しかし、前回の失敗
が教訓となり、今回は何とか話を聞いてもらう事が出きるようになっていた。
「アニタは何処にいる。」
「ねえ、アニタって人知らない?」
 何件かのグループを捜してついに、
「あ?アニタ?なら、彼女だよ。おーいアニタ、あんたに用事だって。」
 奥から出てきたのは、疲れ果てた感じの女性だった。
「あたしに用があるってのはアンタかい。」
 不幸そうな女性はそう言った。彼女がそうらしい。
「ピーターと言う子供はお前の子供か?」
「それがどうしたのさ、あの子はとっくに死んじまってるよ。」
「ここにいる。」
 マントの中から、ぼやけた影が現れる。それは、小さな子供の姿だった。
「ママー!」
 うらめしげな甲高いすすり泣きの声が辺りに不気味に響く。
「なによこれ、どうしろっていうのよ!」
 彼女は一瞬たじろいだが、なんとか悲鳴をあげずに済んだ。
「ママー!どこー?暗いよー恐いよー寒いよぉっ!」
「どうして?あなたピーターに何をしたの!」
 彼女が手を差し伸べるが、触れる事もできない。
「マーマァー!!」
 いっそう恨めしげな声が辺りに響きわたる。泣き喚くピーターだが、目の前の母親に
は全く反応していない。
「・・・・・・無駄だったか。」
「なによあんた、あたしの子供に何をしたのよ!」
 アニタは、ピーター抱き寄せようとしながら、魔戦士をにらみつける。
「・・・何もしていない。」
 それは、事実だったが、この場合何の役にも立たない。
「どうすんのよ、これ!」
 泣き喚く我が子に触れる事も出来ず彼女はもうヒステリー寸前だった。
「・・・病気は大丈夫か?」
 彼女の質問には答えられずに、頭をよぎるもう一つの心配事を聞いてみる。
「それが、なによ!病気のせいだって言うの。」
 話が通じていない。困った魔戦士が仲間を見渡すが、
「今日はもう、何もしてあげられません。」
 僧侶は、朝から教会でほとんどの奇跡を使い果たしていた。魔戦士が、トラブルを更に
抱えたのは解っていたが、それをどうする事もできなかった。
「念のためだ。」
 魔戦士は、血に濡れたユニコーンの角を取り出す。それは、見ようによっては、血みど
ろの小剣にも見える。が、一応万能の癒しの力を持っている。
「今すぐ楽にしてやる。」
 安心させようとでもしたのか、無理に微笑もうとした彼の顔は、不気味に歪んでいた。
「なにするの!近づかないで!」
 おびえて悲鳴をあげる彼女を押さえつけ、無理矢理にユニコーンの角を使う。
「イヤァッ!」
 頬にべっとりと、血をつけられ呆然とする彼女に背を向けて、
「戻ろう。」
 魔戦士はスタスタと行ってしまう。
「気にしないで下さいね。彼、呪われてるから、少しおかしいんです。」
 僧侶は、彼女の顔を拭いてやり、慰めるように言った。
「もう一度始めからだな。」
 魔戦士は、まだあきらめていなかった。
 ジリオンの町外れ、小高い丘の上の墓地。この不気味な場所こそが、ランチスとピータ
ーの出会いの場である。
「うぉおぉおぉうぉうぉぉ・・・」
 墓地はそこらじゅう泣きわめく亡霊達で一杯になっていた。
「気持ち悪〜い。」
 義賊が泣き言を言うが、亡霊達は襲ってくるわけでもなく、うめき声だけをあげ続けて
いる。近づいても亡霊の方が逃げる。不気味なだけで実害はない。
 魔戦士は、辺りを見回して、
「増えているな、やはりどこかに原因がある。」
 おもむろに杖を構え、呪文を唱え始める。
 魔法の源を探しだす、センスマジックである。前回にも使ったのだがその時は未熟で、
結局は何も見つけられなかった。
 何度目かのセンスマジックに反応があった。魔戦士は内心ホッとしていた。
 やはり、何か魔法の品が関わっている。これで原因がわかるかも知れない。
「ここか、ジオル手伝ってくれ。」
「おう。」
 二人で大地を掘り返す。
 他の者はあきれてみているだけだった。
「また、なにか別のものに呪われるんじゃないの。」
 やがて、殆ど形を残していない棺と白骨が、出てきた。
「出てきた!」
 重戦士が、期待の声をあげる。すでに彼の気分は墓掘りではなく、宝捜しになってしま
っていた。
「もっと下だ。」
 魔戦士はもう一度センスマジックを唱え、魔力の品がさらに下にある事を確かめる。
「まだかいな。」
 更に掘り続けると、やがて薄ぼんやりと光っている塊が土の中から出てきた。
「これか!」
 手に取ると、それは卵程の大きさの翡翠に似た宝石だった。
「エイダス殿、これがなんだか解るか?」
「なんじゃ、魂の秘石じゃな。こんなところにあったのか。」
「知ってるのか?」
 期待せずに質問したために、魔戦士の声が高くなる。
「もちろん知っとるとも、もともと、わしのもんじゃし。」
「あんたが原因か!」
 魔術師が、驚きの声をあげると、頭蓋骨は、
「わしのせいにするなよ。わしがこの姿になってから千年、わしの宝なんぞ何処の誰が持
って行ったか知るわけ無かろう。」
 と、いいわけめいたことを言う。しかし、魔術師は、
「宝って、あんたこんなもんばっか持ってた訳?」
 と、あきれた様に声を出す。
「こんなもんとはなんじゃ!」
 くっだらない言い争いが始まる前に、魔戦士が聞く。
「エイダスどの、これは亡霊を作るものなのか?」
 
「・・・いや、違う。ちょっと暴走しておるようじゃの。もともと、死者の魂に働きかけ
る作用があるのじゃ。わしはこいつを応用して、今の姿になったんじゃ。」
「使い方は?」
「魔術師なら、至って簡単じゃ、杖と同じ様にして、内部の力を引き出してやると良い。
気をつけろ、自分の魂が離れん様にな。」
 ランチスは精神を集中した。
 秘石の力が感じられ、それをつかもうとすると、軽い抵抗感があったが、それは薄い膜
の様に破れた。秘石の力に触れたとたん、ランチスの魂は自分の肉体から、あっさりと引
き離された。抜け殻の肉体が、秘石を落としそうになり、慌てて、肉体へと戻る。
「大丈夫ですか?」
 倒れかけた魔戦士を支えて、僧侶が心配そうに声をかける。彼女はここにいる死者達に
安らぎを与える事が出来ずにいた。原因らしい物が見つかった今、自分の未熟さよりも、
魔戦士の成功を祈る気持ちの方が大きい。
 再び、精神を集中する。今度は肉体から離れないように注意する。秘石の力をコントロ
ールしようと、全ての力を込める。秘石が輝きを増す。秘石の輝きに、辺りの亡霊の動き
が激しくなる。
「ランチス!力を注ぎ込むな。暴走を止めるのじゃ!心を落ちつけろ。」
 亡霊に囲まれた中、エイダスがわめき散らす。
 その間にも、暴走した秘石が、彼の力を吸い取っていく。
「!!」
 力の流れに逆らい、踏みとどまる。が、力の暴走は止まらない。ますます強く輝き、亡
霊達の動きが活発になる。
「流れに逆らうな、力を抜け、抜け!」
 エイダスの言葉に力を抜く。全て吸い取られる様な流れが緩む。コントロールに成功し
た様だ。ようやく、秘石の力に触れる事ができた。秘石は一つ一つのぼうれいたちの魂を
僅かながらの魔力で現世につなぎ止めていた。
「これだな。」
 亡霊達と秘石を結ぶ細い魔力の線は切ろうとしても、ただ伸びるだけであった。
「エイダス!魂を解放するのは、どうするんだ?」
「暴走を止めるのじゃ!」
「止まっていると思うが。」
「止まっている?なら、魂は解放されるじゃろう。」
「いや、魔力の線が魂を繋いでいる。」
「コントロールは出来ているのじゃな。」
「ああ。」
「なら、秘石の作用そのものを止めるのじゃ、魔力の放出をやめろ。」
「わかった。」
 魔戦士は魂の秘石の力の中心を探り、その力を止めた。
 途端に秘石から光が薄れ消えていく。そして、
「うぁあああ〜ぉぉぅ〜!!」
 周囲の魂が一斉に大きくわめきだし、うごめく。
「マァ〜マァ〜!」
 その中から一際甲高い声があがると、魔戦士が別れを告げる。
「さらばだ、ピーター。」
 そして、渦巻く魂は白く輝く光の塊となって天へ還って行く。
「終わった。帰ろう。」
「あ〜、もう朝だあ。」
 東の空が白々となり、夜が明けはじめていた。皆、静かになった丘を街へ向かって降り
ていく。
 重戦士は魔戦士の手に、握られたままの魂の秘石を指し、
「なあ、あれも呪いの品物なんか?人の魂をこの世に縛り付ける物なんやろ?」
 丁度、隣にいた魔術師に聞く。
「へ?・・・、あははっ、そうかもね。くくくっ。それ、最高。」
「なに、笑ってんの?」
 義賊が、魔術師に聞いた。
「んー?、ピーターが成仏出来て、良かったじゃない?呪いが一つ解けたわけよ。」
「そうだね、良かったね。呪いが解けて。」
「最高ね。ホント。あっ、そうだ!エイダス。」
「なんじゃ?」
「あんた、他にも宝物があったんでしょ。教えて。役に立つかも知んないでしょ。」
「何処にあるかは知らんぞ。」
「いいわよ。聞きたいだけだから。」
「じゃあ先ず、水晶ドクロからじゃな。こいつは呪いの品じゃが、わしはその特性を応用
して、今のこの姿を創り出したのじゃ。それから、」
「あはは、やっぱり、そんな物ばっかり。」
「なにが、そんな物じゃ!わしの話をきちんと聞け!」
「そうだな、何か危険な物があるなら、回収したほうが世のためだ。聞いておこう。」
 話を聞きつけた魔戦士も加わる。
「なによランチス、まだ、集める気なの?あははっ。」
 魔術師はさもおかしそうに笑っていた。
「集めるとは言っていない。強力な魔法の品が悪用されるなら、その前に何とかしなけれ
ば。そうじゃないのか?」
「ランチスさんの言う事が正しいですわ。ソニアさん、笑い事ではありません。」
「はいはい、解ったから明日にしよ、今日は疲れた。」
「ソニアさん何もしてないよ。」
「うっさいわね、そりゃエルダも同じでしょ。朝までつき合ってやったんだから、それで
十分でしょ。あたしが働くまでもなかっただけよ。」
「俺も穴掘っただけやもん。」
「少し休んだら、今度は疫病だな。」
 全員の表情が暗くなる。
「今日は休みましょう。働きすぎてもなんですし。」
 僧侶の言葉にうなずきながら、朝の街へと帰る。
 翌日から、彼らはまた、町中を調べて廻った。
 疫病という目に見えない敵を相手に、噂という実体のない手がかりだけを頼りにして。
 しかし、調査すればするほど、彼らは後手にまわって行った。
 疫病の犠牲者は、数多く、原因をつきとめるどころでは無かった。
「これ以上、病人を増やすわけにはいかない。」
 魔戦士は言った。ハッキリした原因は解らなかった。それでも、新しい患者をなるべく
減らさねばならない。この数日で、彼の持つユニコーンの角は以外にも活躍していた。
「寺院は手一杯です。みんな努力はしています。」
 僧侶は、寺院の方でも現状維持が精いっぱいなのが解っていた。
「難民の人達をもっと守ってあげないと。」
 義賊は調査中にも彼らを助けていたが、ハッキリ言ってお手上げに近い状態だった。
「街の人達もどうにかせんと。兵隊だけじゃ足らん。」
 重戦士は、不安に駆られた街の住民が、難民に暴力を振るっているのを止めたりしてい
た。兵士達も疫病を恐れるあまり、難民達に対しては十分な保護をしなかった。
「暴動だけは防がんと、ヤバイで。」
「河向こうは、この際あきらめた方がいいかもね。」
 魔術師は、全員が言いたくない事を言った。彼らではジリオンの街中で精いっぱいだっ
た。河の向こうは、そもそも領地が別の為、ジリオン側の兵士達が自由に行動できず、ヤ
クザまがいの自警団が難民達を迫害していた。ジリオン側でもこれ以上の難民の受け入れ
は出来そうにもなかった。寺院から、少しばかりの援助が行われてはいたが。
「・・・・・・。」
 だれも、何も言えなかった。前々から、無法地帯だった場所で、彼らの努力は殆ど報わ
れなかったからだ。少なくともジリオンの街では現状の悪化がくい止められている。
「・・・しかたない、出来るだけの事はやっている。」
 魔戦士もそれだけ言うのが精いっぱいだった。
 この様にして、彼らの努力は続いた。私財をなげうち、難民達に食料を配給し、病人も
癒すようにした。やがて、発病者は徐々に減少した。河向こうでさえ、多くの犠牲者を出
しながらも、なんとか生き残ったのである。
 そして、暦の上で春が近づくと、人々の噂に別の不安が混じり始めた。
「また戦争が始まるって。」
 噂には一番詳しい義賊が、疲れたように話す。疫病との戦いは、彼らに勝利の喜びも達
成感も与えなかった。逆に無力感と疲労だけが少しずつ溜まっていた。
「戦場になるのはもっと西の国境だろう?」
「そうだけど、今度は皇帝が来るって。前より大きな戦争になるだろうって。」
 義賊の言葉はため息と共に、全員に広がって行った。
「どうする?」
「戦争は止められない。」
「わかっとる。けど、どうすんのや。」
「このままじゃあ、いけませんわ。」
「東にでも、行くか。」
「東って?」
「西へ行ってもしかたないだろう。東へ、もっと北へ帝都の方まで行くか・・・。」
「皇帝に会うの?」
「多分、無理だろう。が、他よりはましだと思う。」
「東っていうと、まずはファニィね。」
 魔術師が地図を広げる。
「ファニィから、ナトー、パーディア、テランダム。帝都は・・・遠いな。」
 地図を見ながら、改めて帝国の広さを実感する。西の国境の方が遥かに近い。
「レニオン、アダブク、セブンホード、エイボン、・・・やはり東か。」
 西の街はどれも災害の噂があった。エイボンは噂を聞かないが、今のジリオンよりまし
という保証はなかった。春にはエイボンが最前線の都市になるのだろう。
 そして、ジリオンはその最前線への補給線になるはずだった。いまや、最前線の都市は
大半が破壊され、残された都市も混乱している。帝国の外堀は埋まっていた。
「よし、ファニィへ行こう。」
 こうして彼らの旅はまた始まった。

第一章「完」