ご挨拶

1999.6.25.を以って、ぬれ落ち葉、粗大ごみと化す


「八十七歳の試行錯誤」の家へよくいらっしゃいました。
六十の手習いのことを、英語では、It's never too late to learn. というそうですね。
ここは、六十にして電脳に挑戦する初老が、初心者の戸惑いと、数々の説明書に氾濫するカタカナと英略字への抵抗感を捨てきれぬまま、ぼやきぼやき手作りした粗末な家です。
お暇なときには、お散歩がてらお立寄りください。
お若い方からは、いろいろな新しい手法のご指導を、
ご同年の方からは、暖かい励ましのお言葉を頂ければ幸いです。



名前 今林 茂
年齢 昭和11年(1936)1月生
家族 妻(由子)昭和15年10月生

「ただ過ぎに過ぐるもの、帆かけたる舟、人の齢、春・夏・秋・冬」 といったのは清少納言。
一方、西洋では…
ゲーテが「ファウスト」の中で、「瞬間(とき)よ、まあ、待て、おまえはじつに美しい」(大山定一訳)と語りかけています。
「まあ、待て」 そう呼びとめたくなるほど、月日が走りすぎていきます。
上の動画は、ねずみ年の私が、瞬間(とき)というどうしようもない運命に追いかけられて逃げ惑う、こっけいな姿とお笑いください。
大伴家持に、
春の苑 紅にほふ 桃の花  した照る道に 出で立つをとめ
という、まばゆいほどの青春の歌があります。「まだあげそめし前髪の…」という藤村の詩以上に、心ときめくものがあります。
青春の最中にあるときは、さほど美しくも思えなかった日々が、なんとまあ、なつかしく蘇えって来ることでしょう。

2000年11月、リタイア以前からの夢だったペルーへ行ってきました。クスコの町に残る太陽の神殿、サクサイワマン遺跡、マチュピチュ、ナスカ地上絵など、驚嘆の日々でした。
インカ文明を滅ぼした植民地統治のすさまじさも実感しました。日本も朝鮮半島や台湾でやりかけたことです。第二次世界大戦に敗れて、その仲間から追出されたことを幸運に思いました。
また、2001年4月、これも夢にまで見た地、敦煌を訪問しました。莫高窟57窟の観音像や、ヘレニズムの影響を残す275窟交脚弥勒菩薩像の美しさに息をのみました。
2002年3月、アンコール遺跡群を訪れました。カンボジアの誇る寺院(ヒンドゥー教・仏教)の数々に圧倒されました。この地が、つい先ごろまで内戦に明け暮れていたとは…。ポルポト率いるクメール・ルージュの狂気が引き起こしたものではあっても、遠因は西欧諸国の植民地政策にあります。
2003年2月台湾、同年9月韓国を旅行、かつて植民地だった国々での対日感情の違いを、興味深く感じてきました。
元寇の乱では、日本が蒙った被害だけしか頭にありませんでしたが、朝鮮(当時は高麗)も同様に被害者だったことに気づきました。現地に行かなければ考えもしなかったことです。
2004年6月、チベット旅行。主のいない聖地で、いまも亡命を続けるダライ・ラマ十四世に思いをはせました。
2005年2月、メキシコ旅行。ペルー同様スペインの手で消されたマヤ・アステカ文明。インドよりも先にゼロを発見したかも知れないマヤ文明の不可思議さに魅せられた旅でした。
印象は、いずれも旅行記に掲載しましたのでご覧ください。

私たちは一人しか子供に恵まれませんでした。それも、嫁にいきましたから、いまはつれあいとの二人暮らしです。
つれあいは、辰(竜)年です。アニメのねこが、竜だったりして…悪い夢を見そうですね。

かつて、ハードボイルドミステリを読み漁ったことがありました。
ご多聞にもれず、ハメットとチャンドラーがごひいきでした。
そのチャンドラーの「プレイバック」にでてくる、私立探偵フィリップ・マーロウの名台詞、
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」(清水俊二訳)
If I wasn't hard, I wouldn't be alive,
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deseave be alive.(Philip Maulowe)
                                  --Raymond Chandler

というのが好きでした。
ところが、最近落選した国会議員(元高級官僚)の座右の銘がこれだったとは…。
絶句してしまいましたが、それでも、いい言葉の値打ちが下がるわけではないと、思い直しているところです。


玄関に戻ります。