親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写


三十二

 尋ね仰せられて候ふこと、かへすがへすめでたう候ふ。まことの信心をえたる人は、すでに仏に成らせたまふべき御身となりておはしますゆゑに、「如来とひとしき人」と『経』(華厳経)に説かれ候ふなり。弥勒はいまだ仏に成りたまはねども、このたびかならずかならず仏に成りたまふべきによりて、弥勒をばすでに弥勒仏と申し候ふなり。その定に、真実信心をえたる人をば、如来とひとしと仰せられて候ふなり。

また承信房の、弥勒とひとしと候ふも、ひがことには候はねども、他力によりて信をえてよろこぶこころは如来とひとしと候ふを、自力なりと候ふらんは、いますこし承信房の御こころの底のゆきつかぬやうにきこえ候ふこそ、よくよく御案候ふべくや候ふらん。

自力のこころにて、わが身は如来とひとしと候ふらんは、まことにあしう候ふべし。他力の信心のゆゑに、浄信房のよろこばせたまひ候ふらんは、なにかは自力にて候ふべき。よくよく御はからひ候ふべし。このやうは、この人人にくはしう申して候ふ。承信の御房にとひまゐらせさせたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。
  十月二十一日    親鸞
 浄信御房 御返事

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