親鸞聖人 ご消息(手紙)

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝 謹写


十七

 さては、念仏のあひだのことによりて、ところせきやうにうけたまはり候ふ。かへすがへすこころぐるしく候ふ。詮ずるところ、そのところの縁ぞ尽きさせたまひ候ふらん。

念仏をさへらるなんど申さんことに、ともかくもなげきおぼしめすべからず候ふ。念仏とどめんひとこそ、いかにもなり候はめ、申したまふひとは、なにかくるしく候ふべき。余のひとびとを縁として、念仏をひろめんと、はからひあはせたまふこと、ゆめゆめあるべからず候ふ。そのところに念仏のひろまり候はんことも、仏天の御はからひにて候ふべし。

 慈信坊がやうやうに申し候ふなるによりて、ひとびとも御こころどものやうやうにならせたまひ候ふよし、うけたまはり候ふ。かへすがへす不便のことに候ふ。ともかくも仏天の御はからひにまかせまゐらせさせたまふべし。そのところの縁尽きておはしまし候はば、いづれのところにてもうつらせたまひ候うておはしますやうに御はからひ候ふべし。

慈信坊が申し候ふことをたのみおぼしめして、これよりは余の人を強縁として念仏ひろめよと申すこと、ゆめゆめ申したること候はず。きはまれるひがことにて候ふ。この世のならひにて念仏をさまたげんことは、かねて仏の説きおかせたまひて候へば、おどろきおぼしめすべからず。

やうやうに慈信坊が申すことを、これより申し候ふと御こころえ候ふ、ゆめゆめあるべからず候ふ。法門のやうも、あらぬさまに申しなして候ふなり。御耳にききいれらるべからず候ふ。きはまれるひがことどものきこえ候ふ。あさましく候ふ。

 入信坊なんども不便におぼえ候ふ。鎌倉に長居して候ふらん、不便に候ふ。当時、それもわづらふべくてぞ、さても候ふらん、ちからおよばず候ふ。

 奥郡のひとびとの、慈信坊にすかされて、信心みなうかれあうておはしまし候ふなること、かへすがへすあはれにかなしうおぼえ候ふ。これもひとびとをすかしまうしたるやうにきこえ候ふこと、かへすがへすあさましくおぼえ候ふ。それも日ごろひとびとの信の定まらず候ひけることのあらはれてきこえ候ふ。かへすがへす不便に候ひけり。

 慈信坊が申すことによりて、ひとびとの日ごろの信のたぢろきあうておはしまし候ふも、詮ずるところは、ひとびとの信心のまことならぬことのあらはれて候ふ。よきことにて候ふ。それをひとびとは、これより申したるやうにおぼしめしあうて候ふこそ、あさましく候へ。

 日ごろやうやうの御ふみどもを、かきもちておはしましあうて候ふ甲斐もなくおぼえ候ふ。『唯信鈔』、やうやうの御ふみどもは、いまは詮なくなりて候ふとおぼえ候ふ。よくよくかきもたせたまひて候ふ法門は、みな詮なくなりて候ふなり。慈信坊にみなしたがひて、めでたき御ふみどもはすてさせたまひあうて候ふときこえ候ふこそ、詮なくあはれにおぼえ候へ。よくよく『唯信鈔』・『後世物語』なんどを御覧あるべく候ふ。

年ごろ信ありと仰せられあうて候ひけるひとびとは、みなそらごとにて候ひけりときこえ候ふ。あさましく候ふ、あさましく候ふ。なにごともなにごとも、またまた申し候ふべし。
  正月九日       親鸞
 真浄御坊

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