最低山極悪寺 珍宝院釈法伝
デジタルカメラの普及に伴い、これまでのフィルムを利用するカメラは銀塩塩
塩
デジタルカメラが台頭するに及んで、デジタルカメラと銀塩カメラの優劣が論じられている。私自身は、この手の議論に興味はない。 ただ、新しい技術を背負った製品が出るたびに、このような議論が繰り返されてきたな、とは思う。
今から30年以上も前、私が高校生の頃、メカトロニクスの波が、私達の周りに押し寄せつつあった。メカトロニクスとは、既存の機械を電子回路で制御しようとする技術である。
カメラの世界は、比較的早期に、この波をかぶった。それまでのカメラは、すべて手動の機械式であり、電池は不要だった。例外は、露出計を備えたカメラ
で、露出計部分にだけ電池を内蔵していた。
当時のカメラで写真を撮ろうとすると、直感、もしくは露出計の計測値を参考にして、1)シャッター速度と、2)絞りを設定し、更に、3)ピントを合わせる必要があった。
シャッター速度というが、実際には、フィルムに光を当てる時間のことである。絞りというのは、レンズを通してフィルムに届く光の量を調節する機構である。
そこに、電子制御回路を組み込んだカメラが登場する。シャッター速度だけを決めておくと、カメラが光量を測定し、適切な絞りを実現する 。先にシャッター速度を決めるので、これを、シャッター速度優先と呼んだ。
他方、先に絞り値を設定しておくと、カメラがシャッター速度を決定するのを、絞り優先と呼んだ。最初の自動露出システムである。
これによって、写真を撮る際の作業は、ひとつ減った。便利になってめでたしめでたしのはずであるが、事はそれほど単純ではない。自動露出をめぐって賛否両論噴出し、
喧々囂々。
自動露出カメラの登場以前、写真を撮るというのは、技術を要する作業だった。それが、一部とは言え自動化されれば、技術を持つ者は不安に駆られ、技術のない者は歓迎する。如何なる技術も、初期段階では多くの不備を抱える。自動露出を嫌う者はこれを指摘し、歓迎する者は、技術の熟成に期待した。
その後、カメラがどのように変遷してきたかは、読者諸氏がご存じの通りである。自動化は、コンパクトカメラのみならず、高級カメラの世界にも普及し、終自動焦点式
ただ、中古市場では、今なお、手動の機械式カメラの方が、それより新しい電子制御式カメラよりも、はるかに高値で取引されている。理由は単純。写真を撮る道具としての寿命は、機械式カメラの方が長いからである。電子制御式のカメラは、電子部品、特にカスタムLSIが壊れると、全く修理できない。それに比べ、機械式のカメラは、部品の調達が容易である。カメラが写真を撮る道具である以上、中古市場での価格差は当然であ
る。
同じことは、時計の世界にも言える。クオーツ時計が機械式時計を駆逐したが、中古市場では、圧倒的に、機械式時計の方が高額である。そして、カメラの世界では起こりえないだろうが、時計の世界では、再び、機械式時計が見直され始めている。
皮肉なことである。
私自身はといえば、若い頃は金が無く、新しい電子制御式カメラを買うために、手動の機械式カメラを手放してしまった。今では、それを少し悔いながら、デジタルカメラを多用している。
現段階では、InternetExplororにしか実装されていませんが、今後、順次、ルビタグを使用していきます。
2003/02/17 初稿