教えて君

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 インターネット新名物に、「教えて君」がある。ネット上の技術・情報交換掲示板やニュースグループに散見される新種のアホである。「教えて君」の亜種に、「助けて君」というのもある。

 「教えて君」を見つけたければ、掲示板やニュースグループで、次のようなタイトルを目安にすればいい。「教えてください」 「教えてくださいませ」 「なぜ?」 「助けてください」 「誰か助けて」 「お助けを」 「ひどい...」等々、「教えて君」「助けて君」のオンパレードである。
 上に例示したタイトルは、ADSLに関する某掲示板から採取した。しかし、上記のタイトルからは、ADSL関係の掲示板であることすら読みとれぬ。限られた文字数で、問題の本質を表現し尽くすことは苦難の業である。さりとて、「教えてください」というのは、あまりに芸がない。せめて工夫の跡が感じられるようなら救いもあるが、それすら無い。唯一、一工夫したと思ったのは、
「教えてください。m(__)m」
というタイトルである。情けない。

 「教えて君」の特徴は、タイトルに限らぬ。

 第一に、「教えて君」は、他人の情報を当てにするが、自分で調べようとせぬ。最低限、掲示板の過去ログに目を通したり、Googleなどで検索して、それでも解らねば質問する、という姿勢に乏しい。
 検索に失敗して、失敗した検索語を提示して、適当な検索語を問えば、先達から、適切な助言を得ることができる。これを繰り返せば、検索のコツを会得できるはずである。それをしないで、安直に、「教えて」「助けて」を繰り返すのが、「教えて君」である。

 第二に、「教えて君」は、他人の情報を当てにするが、自分の情報を提示せぬ。何事によらず、見ず知らずの人間から、的確な助言をもらおうとすれば、自分の置かれている状況について、それなりの情報提供が必要である。ADSLに関して言えば、回線業者、プロバイダ、線路長、伝送損失。モデムの接続(リンク)速度と、速度測定値。せめて、このくらいは、あらかじめ、書き込んでから、自分の質問を付記すべきである。
 そのようなことが解れば質問などせぬ、と言うかもしれぬが、それは違う。過去ログを読めば、助言を受けるにどのような情報が必要か、たちどころに解る。もし、その情報の入手方法が解らぬなら、それを問えばいいのである。

 第三に、「教えて君」は、教えてくれる人を求めて、掲示板を彷徨う。自分を助けてくれる好都合な人間が、ネット上のどこかにいるという、理由無き確信に満ちている。その暇があれば、自分で答に辿り着くべく努力すれば良さそうなものだが、それをせぬのが、「教えて君」である。
 

 第四に、「教えて君」は、問題発生の機序(メカニズム)に無関心で、自分の望む結果さえ出れば、それだけで満足する。それ故、いつまでたっても上達せず、幾度となく、同様のトラブルに見舞われ、あちらこちらの掲示板に出没することになる。
 人生や娑婆は、あまりにも複雑な情報系故、これを熟知するのは至難の業である。しかし、インターネットやPCなどは、所詮、人間が作り出したシステムに過ぎぬ。自分の必要な範囲に限定すれば、必要な知識や技術の絞り込みは可能である。

 以上をまとめれば、「教えて君」というのは、きわめて自己中心的で、依存心の強い、強欲の知的怠け者である。

 「教えて君」を、かく難ずれば、必ず、これを擁護する者が現れる。曰く、「誰も最初は教えて君だった。」「知っているなら教えてやればいい。」等々。
 擁護者は、正義の味方、弱者の味方、初心者の味方のつもりでいるのだろうが、それは大きな勘違い。単に、アホの増殖に拍車をかけているだけである。「教えて君」は、自助努力を放棄した依頼心の権化であり、単なる知識不足の初心者とは、似て非なるものである。異なる者を同一視すれば、必ず、弊害が現れる。
 実際、多くの情報交換系掲示板で、「教えて君」が、同じ質問を繰り返し、その都度、助言に必要な情報を記せ、という書き込みがなされている。その結果、情報交換を目的としたはずの掲示板は、大同小異の質問と、その回答ばかりが並ぶゴミ溜めに成り下がっている。

 私自身、インターネットを始めた五年前には、多くのニュースグループを購読していたが、「教えて君」の増加に嫌気がさして、現在では、ほとんど購読せぬ。ネット上のコンテンツも充実してきたので、検索を繰り返して、自分の欲しい情報を収集する方が、ゴミ溜めと化した掲示板を巡回するより効果的である。

 世に悪名高い2ちゃんねるという巨大掲示板がある。あそこが、曲がりなりにも情報交換の場として継続しているのは、罵倒してでも、「教えて君」を排除しているからである。初心者用スレッドを用意して、教えて君が他のスレッドを徘徊するのを阻止している。
 それでも、板の雰囲気を弁えずに登場する「教えて君」が後を絶たぬ。自分が罵倒されることさえ予測できぬ想像力の欠如には、唖然を通り越して慄然とする。

 思えば、「教えて君」は、戦後教育が生み出した鵺かもしれぬ。学校、塾を問わず、常に受け身で過ごし、自分で考え、自分で行動する習慣を欠いたまま、大人になってしまった化け物である。
 ただ、同情の余地はあるにせよ、これからの時代、「教えて君」が通用するほど、この国も微温的ではありえまい。「教えて君」よ。君の未来は暗いぞ。

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