死者を鞭打つ

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 伝言ダイヤルで知り合った男性に、薬を与えられ、金を盗られた上に、路上に放置されて、複数の女性が凍死する事件が起きた。仄聞して、加害者よりも、被害者の不用心と、思慮の浅さに驚くばかりである。よって、敢えて、死者を鞭打つ覚悟で、少々、書き置く。

 1) 伝言ダイヤルなんぞで、友達を見つけようとするな。

 当初の目的は知らず、現在、伝言ダイヤルは、いかがわしい目的で使用されることが多い。援助交際という名の買春、主婦の不倫相手探しなど、お世辞にも誉められた使われ方をしていない。そのようなところで、純粋に友達を捜そうというのは、盗賊団の中で、善人を捜そうというに等しい愚行である。古くは、かかる行為を、「魚を求めて木に登る」といった。
 被害者の父親は、インタビューに答えて、「娘は、変な目的で伝言ダイヤルを利用したのではない」と語ったが、そもそも、伝言ダイヤルで、友達を捜そうという発想そのものがおかしい。それに気づかぬから、テレビカメラの前に出て来られたのだろうが、自分の娘の不用心についての反省はなかった。
 更に、父親は、「まだ、若く、未来があったのに、たくさん、夢を持っていたのに、そういう馬鹿なことをするはずがない」とも語っていた。私自身、娘を持つ身であるから、年若い娘に死なれた無念は解る。しかし、もし、未来を大切にし、夢を叶えるつもりならば、伝言ダイヤルなどで、安易に友達探しなどしてはならぬ。そういうことを、厳に教えるのが、親の務めである。
 父親にすれば、伝言ダイヤルで誘い出されて死んだ娘の名誉のために、テレビカメラの前に立ったのやも知れぬ。しかし、そこで露呈したのは、社会の荒波の中で生き抜くための知識と心構えを、まったく教えてこなかった父親の姿だった。
 私は、心底、他人を信用せぬ。自分すら、信用できぬ。しばしば、自分を裏切って、誘惑に負け、怠惰に流れ、私を失望させる。自分すら、完全には信用できぬのに、他人を信用できるはずがない。他人が、それほど信用できるなら、姿も形もない阿弥陀仏や浄土など、信じる必要もない。
 誤解のないように、一言付記すれば、私は他人を信用しないが、一定の条件を備えた人間は、信用に値する人間として扱う。すべての人間に不信の眼を向けて、実社会を生きることはできない。したがって、周囲の人間を、信用するに値する人間と、それ以外に分別する。信用に値する人間には、欺かれてもやむ無しと諦める。元より、信じ切ってはいないから、裏切られたとしても、さほど失望も恨みもない。むしろ、自分の評価と判断の甘さを、思い知る。それが大人の知恵というものである。換言すれば、大人になるということは、そういう知恵を身につけることだと、断じても良い。長じて、パチンコのできる年齢になったから、大人と呼ぶのではない。酒を飲める年齢になったから、大人というわけではない。

 2) 電話番号を教えるな。

 携帯電話と油断して、見ず知らずの者に、電話番号を教えるのは危険である。携帯電話の番号から、契約者の住所氏名等を割り出すのは、さほど困難ではない。携帯電話の番号を管理する者、すべてが善人でない以上、小遣い銭稼ぎに、情報を漏らす者がいると知れ。実際、インターネット上でも、そのような調査を請け負うページが存在する。
 私の知る限り、税務署の職員にして、納税者の情報を漏らす者がいる。証券会社に勤める私の友人が、かつて、そのような不逞税務署員(ミツギトリと蔑称を使っても良い)から、情報を購入することを仕事にしていたのだから、間違いない。もし、ミツギトリにして、これに異論のある者は、申し出るが良い。友人は、既に証券会社を辞めているから、いつでも証人になる。税務署長の首を飛ばして、マスコミに叩かれるのを覚悟なら、勝負するに吝(やぶさ)かではない。
 伝言ダイヤルに、自分の携帯電話の番号を残すなど、愚の骨頂である。

 3) 初対面の男の車に乗るな。

 事件として報道される誘拐には、例外なく車が利用されている。自転車で誘拐する話など聞かぬ。ことほど左様に、車は、他人の自由を奪って移動するには、都合の良い道具である。それを忘れて、うかうかと、初対面の男の車に乗るなど、不用心にもほどがある。男の側からすれば、車に乗った以上、それ相当の覚悟はできていると踏む。それを、男の思い込みと非難するのは勝手だが、被害者になってから泣いてみても、後の祭り。泣くくらいなら、はじめから乗らなければ良い。
 更に言えば、女同士は、つとに足を引き合う。自分の致命的な失敗談など、よほどの友人でなければ、告白しない。話すこと、多くは、車に乗って、良い思いをしたことに限られる。何事によらず、人の話は、話半分に聞くものである。
 私自身、一度だけだが、大阪と奈良の県境、その名も暗がり峠に近い山中で、逃げてきた女性を保護したことがある。アメリカあたりの統計によれば、強姦の加害者は、被害者の知人である場合が、最も多いという。実は、知り合いの車ですら、ある程度の覚悟なしに、乗ってはならぬ時代なのかも知れない。

 4) 安易に薬を飲むな。

 以上の三点について、仮に、百歩譲って、止むを得ぬとしても、納得できぬのは、加害者に言われるまま、薬を飲んだことである。報道は、薬を飲まされたというが、実際には、「肌がきれいになる」と言われて、自分から飲んでいる。無理に、口中に押し込まれたわけではない。
 本来、薬は、病気や怪我の折りに飲むものにして、安易に口にすべきものではない。これは、今も変わらぬ大原則である。もちろん、現代社会は、ビタミン剤に始まって、怪しげな精力増強剤まで、売薬が氾濫している。テレビのコマーシャルも、相当の部分が、かかる薬で占められている。しかし、以前、書いたように、テレビなど、金のためなら何でもする。薬のコマーシャルが金になれば、平気で流す。我々が、テレビ局の金儲けに乗せられて、このような媒体に流されてどうする。売薬を服用することに抵抗がなくなるのは怖いことだと、肝に銘じるべきである。

 以上、被害者の、あまりにも無警戒、あまりにも不用心な行動を知って、少々、老婆心で書いてみた。かかる無警戒、不用心な人間が増えているとすれば、犯罪の被害者にまでは到らずとも、他人に傷つく人間が増加しているのも、宜なるかなである。

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