マスコミVSインターネット

最低山極悪寺 珍宝院釈法伝

 私刑(リンチ)は悪である。理由が知りたければ、かつて朝日新聞がこよなく愛した共産中国の人民裁判を思い起こすが良い。犯人は、三角帽をかぶらされ、罪状を書いた紙を首から下げられて、市中を引き回された。まわりでこれをののしる者は、バカゆえに思想とは無関係で、幸いにも罪を問われなかった有象無象どもである。誰が、どこの馬の骨とも解らぬ者に、裁かれたいものか。

 須磨首切り殺人の容疑者が逮捕されたとき、匿名氏が、容疑者の実名を、インターネット上に掲載した。続いて、父親の名前、勤務先も、これまた、次々に掲載された。匿名といえば聞こえは良いが、要するに、どこの馬の骨とも解らぬ者ということである。

 これは、明らかに少年法の精神に違反する行為で、私刑だ、人権侵害だと、マスコミは騒いだ。しかし、世論に迎合して、私刑と人権侵害を繰り返してきたのは、他ならぬマスコミである。ロス疑惑と称して、三浦和義を追いかけ回し、松本サリン事件で、無実の会社員を犯人扱いして報じたのも、彼らである。連日連夜、被害者の写真を公開し、父親の職業年齢を公開し、さらには、被害者が知的障害を持っていたことまで暴いて、メシのタネにしたのは、マスコミである。それが、私刑だ人権侵害だとは片腹痛い。新聞記者とて、凡胎の子。元を正せば、羽織ゴロ、瓦版屋である。どこの馬の骨とも解らぬこと、他と違いはない。

 これまで、マスコミは、情報の収集、編集、加工、公開を、ほぼ、独占してきた。そして、情報を売ることによって食いつないできた。ところが、インターネットに容疑者の実名が公開されて、自分達の独占状態が脅かされた。犯人の通っていた中学校の関係者は、容疑者の少年の顔も、住所も、親の職業も、よく知っている。今さら、情報収集の必要など無い。容疑者の近所の人々の井戸端会議の内容を、インターネットに掲載しただけである。なあに、マスコミは、メシのタネを奪われるのを怖れて、インターネットを非難したに過ぎないのである。

 マスコミは、インターネットに実名を掲示していると報じて、これを止めさせようとしたが、結果として裏目に出た。私などは、産経新聞の記事を見て、インターネットに容疑者の実名があると知り、これにたどり着いた。(詳しくは、「産経新聞バカ新聞」に掲載)さらに、容疑者の写真があるとの報道によって、これを入手した。インターネットを非難しようとして、かえって、その内容を広く宣伝してしまったのである。

 業を煮やしたマスコミは、今度は、タヨリナイ首相に、インターネットの掲示は悪だと言わせた。(この首相は、国会議員に初当選したとき、ママに付き添われて登院した2世議員である。)表現の自由よりも、銭儲けを優先するプロバイダは、ビビッて、掲示へアクセスできないようにした。

 かくして、マスコミ対インターネットの第1戦は、マスコミが勝利した。しかし、今後、アメリカのプロバイダと契約し、ここにホームページを持つ者が増えれば、今回は有効だった、腰の据わらない政治家を焚き付けるという手法は通じなくなる。やがて、始まる第2戦の結果は、予断を許さない。